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- 2022.04.05 Tuesday
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愛媛県西条市丹原にある西山興隆寺は紅葉の名所として知られています。
本堂に向かう参道は緩やかな坂道で、
奇妙な伝説に彩られた牛石や朽ち果てた千年杉の古株、
意味不明の院家さん墓地などに出会いつつ歩を進めることになります。
雰囲気は自然と一体化した巨大な異次元博物館。
割れ目に一円玉が詰め込まれた牛石。
この寺を造営するに際し、
荷物を運搬していた牛がこの地で動かなくなったという伝説がある。
白い御影石の中に黒い石が意図的に埋め込まれている院家さん墓地。
丸・四角・三角・・ いずれの因果?
地面がモコッと盛り上がっている千年杉の古株。
仏の世界で男性と女性が一体化した姿を歓喜天と呼び、
異なる性の男女が一体化する道のりは遠くけわしいものだったと思われます。
歓喜天の一人(男)はインド出身の象頭人身ガネーシャ。
人に害を加えるガネーシャの暴挙を抑え込むために出現したのが十一面観音菩薩(女)。
歓喜天(聖天)はこの両者が抱き合い一つになった姿を示しています。
高貴な色とされる一本の紫紐の結び目は四角。
歓喜天を象徴するクロスした二本の大根と砂金が入った巾着袋。
裏に回って見るとちゃんとした卍になる逆卍。
今から1300年以上も前のこと。
鉢を飛ばすのが得意だった空鉢上人がこの寺を開山したらしい。
興味深いものがイッパイ詰め込まれた西山興隆寺は
きっと空鉢上人が頭で考えた世界だと思う。
空鉢上人が開山したワンダーな寺めぐりはオモシロソウ。
兄の持ち物だった釣り針を失い困っていた山幸彦の前にタイミングよく現れ、海神管轄の竜宮へ送り込んだのは塩土老翁。潮流に詳しい塩土老翁は同じグループの海幸彦よりグループの違う山幸彦に興味を示しています。時代は下り日向で結婚し穏やかな日々を送っていたイワレビコ(山幸彦の孫)の前に現れ、もっといい土地があると東征話を持ちかけたのも塩土老翁。勝負に挑み勝負に勝つことを人生のモットーにしているような別名(事勝国勝長狭命)を併せ持つ塩土老翁は負ける(捨てられる)側の立場に立たされる海幸彦や吾平津媛の前に出現することはない。
故郷日向で蜜月時代を過ごしたイワレビコは神武天皇になるため大和を目指します。先妻(吾平津媛)を犠牲にしてでも成し遂げたかったのが大和の統治者として名を残すこと。その点、自分を養育してくれたママと結婚したウガヤフキアエズノミコト(イワレビコの父)の知名度は低く別名もない。祖父と孫は野心家という点で似ていて、女に興味を示す三代目ウガヤくんは一族の中では浮いた存在のような気がします。また男としての成功話もなく、叔母になる玉依姫と結婚したことが人生最大の出来事のよう。事勝国勝長狭命は突然都合よく出現することから想像すると男の内面に存在する人格のような気がせんでもない・・というわけで女っぽいウガヤくんの中には事勝国勝長狭命は存在しない。
話は変わって瀬戸内海に浮かぶ大三島の大山祇神社(伊予国一の宮で日本総鎮守の肩書きを持つ)を調べていて意外な事実を発見! その意外な事実とは性別不詳の大山積神の別名の一つが吾田国主事勝国勝長狭命であること。薩摩半島南西部に位置する吾田は天孫ニニギノミコトが大山積神の娘コノハナサクヤヒメ(本名・神吾田津姫)に初めて出会った場所。まさに大山積神管轄の土地(奥さんの土地)で両者が出会うようセッティングされています。 時代を遡ると出雲神話に登場していた足名椎&手名椎夫婦も大山積神の子・・ ということは出雲もまた大山積神の領土だったはず。そして大山積神管轄の土地に落ちて来たのが高天原のやっかい者だったスサノオノミコト。スサノオノミコトの妻となり八重垣の宮殿で暮らしたクシナダヒメは大山積神直系の孫ということになり、遠い神代の時代から人の世に至るまで大山積神は大きな影響力を持っていました。
しまなみ海道で陸続きになるまでは船でしか行けなかった大山祇神社(愛媛県今治市大三島町宮浦)は山より海とのかかわりが深く、男の中に存在する女が大山積神? 潮流の神(塩土老翁)の顔を持つ大山積神はこの世の変革期に出現するような感じで、一定(凪)より変化(波)を求める要素がありそう。 そしてその変化をキャッチし必ず勝つように仕向けていくのが大山積神? 大山祇神社の祭礼に一人角力というのがあり、 土俵に上がるのは一力山という名の力士ひとり。一力山の相手を務めるのは目に見えない稲の精霊。誰かと競争して勝つのではなく自分の中にいる嫌いな奴に勝つのが大事。それを教えてくれるのが吾田国主事勝国勝長狭命という名の海に詳しい大山積神。
古寺に 灯のともりたる 紅葉哉 子規
三寒四温の繰り返しで燃える丹色に変化するモミジ。
美しく変化するコツは三四があること。
一に努力、二に努力、三四がなくて、五に努力の変化は美しさに欠ける。
モミジを美しく演出したのは光を注ぐ天照大神。
盥から 盥にうつる ちんぷんかんぷん 一茶(辞世の句)
後世の人たち(特に国を動かすエライ人)に向けられたメッセージだと思う。
水を入れて手足を洗うのが盥(たらい)の役目。
盥の中にあるべき水の現実は・・
初めの盥が珍糞(ちんぷん)、後の盥が漢糞(かんぷん)。
どちらも糞に変わりはない。
名前の響きからして心地いいカリン。
さらに心地いいのが晩秋に熟すカリンの実の香り。
フルーツは何が何でも香りが大事。
車の中にカリンを置いておくだけで幸せな気分で運転できる。
味覚より嗅覚を満たしてくれるカリンの見てくれは悪いけれど、
人間と同じで中身(香り)を嗅がなければいけない。
できるだけ細かく刻んで砂糖漬けにすると香りと酸っぱさで
抜群のシロップが出来上がる。
フルーツ香り大賞をカリンにあげたい。
蚤虱 馬の尿する 枕元
これは関所の番人(今の役人)が管理する尿前(しとまえ)の関で芭蕉が詠んだ句。
当時(江戸時代)関所破りは重罪とされていましたが、
実際は関所も役人も宿場も内輪の者全員がつるんで関所破りが常態化していました。
だからこの句?
玉に貫く 楝を家に 植えたれば 山ほととぎす 離れず来むかも 大伴書持
書持(家持の実弟)が家の庭に植えようとしている楝(おうち)とはセンダンのこと。街道沿いや街中でよく見かけるセンダンはくたびれ果てた旅人が休憩するための目印になる木。その目印になる木を自宅の庭に植えれば山ほととぎすは戻って来てくれるだろうかというような内容で、何らかの理由で離れてしまった山ほととぎすは書持にとって大切な存在だったはず。
我がやどの 花橘に ほととぎす 今こそ鳴かめ 友に逢へる時 大伴書持
霊木の楝に導かれた結果、ほととぎす(愛する人の魂)が我がやどの花橘に宿った感じがします。 姿(肉体)は見えなくても庭に咲く香りのいい花橘に宿ったホトトギス。花橘を見ることは愛する人(旧友でもあった人)の魂を実感することで、決め手となるのが鼻で嗅ぐ香りの良さ。 この世で一番あてにならないのが左右の目で見る左右の世界。その点、一つしかない鼻が嗅ぎ分ける世界は一つしかない。
旅を続ける旅人が目印にして歩き続けた木というのが一里塚に植えられた木で、
高知県ではセンダンが多い。
秋の深まりとともに葉はドンドン落ちるのに有毒のこの実はなかなか落ちない。
幸(まさき)くと 言ひてしものを 白雲に 立ちたなびくと 聞けば悲しも
かからむと かねて知りせば 越の海の 荒磯の波も 見せましものを
突然の弟の訃報を知って詠んだ家持29歳のときの歌。
2歳違いの弟・書持との再会は叶えられず、家持の無念が感じられます。
さ迷い続ける旅人の目印になるオウチを家の庭に植えようとした書持。
彼は不透明要素を持つ旅が嫌いだったのかも。
安心できる庭で植物の世話をしながら穏やかな日々を送った書持は
生涯宮仕えをしなかったらしい。
宮仕えより友探しを優先させるのはいいと思う。
この世に生まれてきた理由がちょっとぐらい分かるかもしれないから・・