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- 2022.04.05 Tuesday
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When the wind blows the cradle will rock.
When the bow breaks, the cradle will fall.
And down will come baby, cradle and all.
みたいなもので、木のテッペンにゆりかごを吊るされたのが赤ちゃん。
風が吹けば揺りかご(cradle)は揺れ(rock)、
木の枝が弓のように(bow)曲がってしまえば揺りかごは落ちる。
そうなると揺りかごの中の赤ちゃんは地面に落ち、
揺りかごもその中に入っていたすべてのものが落ちる。
安らぎの子守唄というより危険いっぱいの子守唄という感じで、
幼い頃からママは赤ん坊に落ちてしまう危険性があることを伝えたかった歌かな。
赤ちゃんが成長し静寂の見つめ合う恋に至るまでには遠い道のりが・・
でも静寂(hush)の音が聞こえれば落ちることはない。
しら梅に 明る夜ばかりと なりにけり
蕪村が辞世の句に託したのが“しら梅”。
コチでもポッ、アチでもポッ。
ポッに触れると元気になれる。
梅咲きぬ どれが梅(むめ)やら 梅(うめ)ぢゃやら 蕪村
梅(母音で始まるume)の古名がムメ(子音で始まるmume)。
母も子も一緒に咲く梅(母という漢字を含む)は互いにフォローし合う優しい関係。
ウとムで前は違っていても後ろの目(メ)は同じ。
きっと同じものを見つめているんだろうネ。
くたびれた やつが見つける 一里塚 (江戸川柳)
一里塚とは街道沿いに築かれた塚(土を高く盛って築いた墓)のこと。
くたびれ生き倒れになったかつての旅人の墓を目印に、
そこで休憩したのが歩き疲れたさすらい人。
方向が定まらない彼らに必要なのはママの子守唄と安心して休める場所。
そこで一里塚に植えられたのが旅人の背もたれとなれる大きな木。
地域によって植えられる木はマチマチだったようですが、
関東地方に多いのがニレ科の落葉高木エノキ(エとも)。
夏の木と書く“榎”は旅に疲れた旅人のために夏の日陰を提供することができました。朝日を浴びても夕日を浴びても大きな影ができてしまうクスノキは農業に携わる人たちの間で評判が悪く、結局切り倒され船の材として利用された話を思い出します。そのクスノキと同じグループに属しているのがエノキかな。喉が渇いてクタクタになった旅人がしばし休憩するのがエノキの木陰。左右対称になる葉(葉脈)が多い樹木の中でエノキの葉脈は左右非対称。またこの葉を好んで食べるのが国蝶に指定されているオオムラサキの幼虫らしい。子守唄が必要なさすらい人とエノキの出会いの背景にあったのがクタビレ(草臥)。
日本全国の街道沿いには“エ”以外の木も多く植えられ、
高知県で断然多いのがセンダン(古名オウチ)。
街道沿いでくたびれた旅人はこのオウチ(↓)を見つけ何を感じるのか。
くたびれても歩き続けるしかない!
それを教えてくれたのが旅人を癒し続けたオウチ。
原題“ The Seven Year Itch”に使われている単語(イッチと発音するitch)は男のムズムズした浮気心を表しています。浮気の虫という言葉があるようにムズムズ虫が活発に動き始めるのが結婚して7年目ぐらい。7年もしないうちに動き始める虫を飼っている殿方も多いと思うけれど、主人公リチャード・シャーマンは恐怖の想像力を駆使してムズムズ虫を追い払おうとする中年男。自分の内面に潜むこの虫を妻(ヘレン)がもし見破れば自分は妻に殺されるという恐怖の筋書きを自分に課しながらムズムズ虫と対決していました。
地下鉄が通り過ぎる時に吹き出た風で白いドレスが舞い上がる有名なシーンは彼女の暑さ対策。あのシーンだけを取り上げガタガタ言う人が世間にいますが、暑さ対策法としては効果的だし周囲の人たちの目の保養にもなっていいんじゃないの。気持ち良さそうに屈託なく笑っていたマリリンはかわいかった。世間の評価に惑わされず自分の目で確認しなければいけないと感じたこのシーンの印象は爽快! 大人になりきれていない少女のようだったのがマリリンで、セックスシンボル的要素は全く感じなかった。世間よりワイルダー監督の目をモーレツに支持しま〜す。Oh!
また妄想癖で思考がアチコチに飛ぶリチャードはピアノを弾くことができました。
クラッシック(特にラフマニノフ)音楽にも精通していた彼が弾いた曲は左右の人差し指を使って弾くチョップスティックス。ラフマニノフには興奮しなかった彼女がこの軽快な曲には興味を示し、思わず彼女を押し倒し直後に後悔するリチャード。妻と息子を避暑地に送り出して間もないのに狼に変身してしまう自分を嫌悪する男は小心者なのか妻を真剣に愛しているのか。鬼の居ぬ間の女遊びを拒否し、モテル自分の妄想にふけっている彼は他人の口を極端に恐れていました。妻に知れたらどうしよう、会社に密告されたらどうしようと心配ばかりしている彼はやはり小心者。
既婚者(結婚を考えなくて済む)で部屋にエアコンがあったことでますます気をよくしたのがマリリン。ニューヨークの暑さに辟易していた彼女は下着を冷蔵庫に入れる工夫(試す価値あり)で暑さをしのいでいました。一方 彼女を襲って以降のシャーマンは親指が自然にビクビク動き出す癖に見舞われ、そこに注目したのが精神科医。
まさか自分が彼女を襲うとは想像もしなかったようで、想像したことは何も起こらず想像しなかったことが彼に起こります。 “妻を愛してる”・・とかブツブツ言いながらビクビク動く親指にオドオドしているリチャード・シャーマンはシャーマンに成り切れていない。
* 監督 ビリー・ワイルダー * 1955年(米)作品
* 出演 マリリン・モンロー トム・イーウェル イヴリン・キース
★ 三つの要素(流木と砂と彼女)と題されたグラビア写真の中の彼女は髪が短く、本人が言ってた話と矛盾しているんだけれど・・もしかして本の中の彼女をシャーマンが脳で勝手に創造した話だったのかも。
外から内に向かって紅くなるのがヨモギの色付き方(それも真冬)で、
普通なら茶色く枯れてしまうはず。
ところがヨモギは普通ではなかった!
寒さに耐えきれず枯れるのが植物の一般とするなら
ヨモギの場合は寒さに耐えきれず紅葉?
虫の侵入を拒み邪気を祓うヨモギの香りはイイ。
多くの種類が属するヨモギ属を英語でアルテミシアと呼び、
ギリシア神話に登場するアポロンの妹(姉の場合も)アルテミスが名前の由来。
双子(アポロン&アルテミス)の生みの親が鶉に変身したゼウスとレト。
草原を住処にするキジ目キジ科の小さな鳥がウズラ。
その鶉族から誕生したのがヨモギにかかわっているアルテミス。
雑草扱いされているヨモギですが、そのルーツを知ると雑草扱いはできない。
大仏に 草餅あげて 戻りけり 子規
巨大な大仏に匹敵するのが草餅?
今まで気付かなかったヨモギの紅葉から感じたのは
ただ座っているだけの大仏パワーより遥かに勝ってる。
ヨモギを摘み、ヨモギを食べ、ヨモギの香りを部屋イッパイ漂わせ、
一日の締めくくりはヨモギ風呂!
末広がりになった漢数字“八”は神話の中でキーワードになっていました。“八”をヤと読んで日本を意味する大八洲国。その大八洲国の宝の一つが“天叢雲の剣”で、高天原を追放されたスサノオノミコトと酒飲み八岐大蛇が向き合った結果の産物。
後に身の危険にさらされたヤマトタケルを救ったことで“草薙の剣”と名前を変え、現在は熱田神宮の御神体となっています。縁起がいいと考えられている末広がりの八ですが、限りなく末に広がっていくというのも怖い話。人間の欲望が末広がりなら、人間の寿命が末広がりなら、それこそこの世は魑魅魍魎が織り成す化け物の世界になってしまう。そこで殺されても殺されても果てしなく生き返る八岐大蛇は徹底的に殺される必要があり女を食い物にしていたヤマラナイ八岐大蛇の悪行はヤマッタ?
神話が伝える八岐大蛇の風貌は八つの谷と八つの山で構成されていました。谷と山が同じ数の八岐大蛇は円のようにクルクル回転し、同じことを何度も繰り返していた様子が伺えます。その繰り返しがやまるためには誰かがどこかで切り裂かなけれならない。それを実行したのが高天原のはみ出し者だったスサノオノミコト。谷と山を繰り返す振幅の激しい八岐大蛇の目は赤く充血し、腹は血でただれていました。これらの記述から想像すると到底平和な日々を過ごしていたとは思えない様子で何かに苛立っていた可能性が・・ 安定とはかけ離れた雰囲気の八岐大蛇の頭上には光を遮り雨を降らす大きな雲が常に同行していました。先に示した天叢雲の剣は八岐大蛇について回る叢雲からの命名で、雨(水)と深く関わっています。
出雲を舞台に繰り広げられた八岐大蛇とスサノオノミコトの戦いで救われたのが手名椎&足名椎夫婦の八人姉妹の八番目の娘クシナダヒメ。そのクシナダヒメと結婚し新居を構えたスサノオノミコトが詠んだ歌が“八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣作るその八重垣を”。八重垣が三回繰り返されたこの歌でスサノオノミコトの退治劇は終了します。また八重という冠をかぶせられた事代主神(大国主の次男)は出雲国を高天原チームに譲り渡す最終決断をした神。こうして八重事代主神はいつまで続くか分からない危険な末広がりの状況にピリオドを打ち、再生に向けて第一歩を踏み出すのが話の筋書きでした。
さらに出雲にかかる枕詞『八雲立つ』あるいは『八雲さす』のように出雲を舞台にした話に関与しているのが八。この八とは切っても切れない縁のある出雲国風土記(意宇郡)には狭い国を継ぎ足し造り上げた国引き神話が紹介されていました。その国引きをクニコクニコ(国来国来)と実践したのが“八束水臣津野(やつかみずおみつの)命”というややこしい名前の神で、名は体を表す如く八と水が使われています。
狭い出雲国に他国の余りモノを継ぎ足し完成させたのが今の島根半島ということで、元の出雲国と新たにくっ付けた島根半島の間に生じたのが海ともつながる宍道湖と中海。淡水の琵琶湖とは違い、塩分濃度が異なる海水と淡水が混じり合う汽水湖を形成しています。いつまでもどこまでも流れ続け姿を変え続ける水を閉じ込めた(終らせた)のが八と水にかかわる八束臣津野命。ダラダラが続く限り完成に至るはずはなく、形あるものはすべて終りがありました。
この木なんの木? 気になる木。
スベスベした青っぽい幹が決め手となり知らない木は知ってる木になりました。
“桐(ゴマノハグサ科)”とはグループが違うのに名前はどういうわけか
“青桐(アオギリ科)”。
そっかあ! キリ科というのはないんだ。
樹木らしからぬこの不思議な木に宿っていると考えられているのが想像上の瑞鳥である鳳凰。雌雄が合体した鳳(♂)凰(♀)がアオギリに宿る理由は何なのかを考えてみました。
落葉高木アオギリを見上げると枯葉のようなものが
枝にへばりついています。
枯葉に見えていたものの正体がコレ。
実のようなものも一緒に寒風にさらされています。
枯葉に見えていたものの実際は実を包んでいた袋状の皮で、
その裂けた皮と中から生じたむき出しの実がこうして一緒にぶら下がっています。
寒さに強いのか潔さが欠落しているのか、落ちる気配はまるでない。
ここで先の問題(何故鳳凰は青桐に宿るのか)が解決しました。
その勝手な答えは“執着”。
鳳と凰が離れられないのも
真冬でも枝にしがみついて落ちない青桐のこの状況も・・
執着とは落ちる時期が来ても落ちない粘り強い精神だった。
冬ごもり 春の大野を 焼く人は 焼き足らねかも 我が心焼く
大原の 野を焼く男 野を焼くと 雉な焼きそ 野を焼く男
野を焼くという言葉を三度も繰り返し、野を焼くのは男の仕事と言わんばかりの子規。野を住処にする雉にとって野はなくてはならないもので、“焼野の雉子(きぎす)”という言葉がこの歌にピッタリ。野を焼かれた雉は我を忘れて子を救うということから子に対する親の深い愛情を示しています。そして“焼野の雉子”の後にくっ付くのが雉と同じように野にいる“夜の鶴”。霜が降りる寒い夜、広げた羽根で子を包み込むのが夜の鶴で、野原に生息する雉や鶴の親子の絆は深い。そんな親子の情愛に満ちた生きものたちが暮らす野を焼く男は一体何がしたいのか。視界良好の草原維持のためには何が何でも野焼きは必要。男を強調していた野を焼く男は野を焼いてはじめて男になれる!
古き世の 火色ぞ動く 野焼きかな 蛇笏
理由は潜ったから・・
数秒潜って水面に出て来たオオバン目がけ追い回していたのがユリカモメ。
ユリカモメは何故潜ったオオバンを追いまわすのか。
多分餌の横取り。
潜らない(潜れない?)ユリカモメは潜りを許せず集中攻撃。
逆に餌の横取りする奴らは潜りにはなれない。
潜りと横取り・・ 生きることは大変です。