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- 2022.04.05 Tuesday
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年の瀬寒波にスッポリ覆われた日本列島。
南国高知でも白い朝になった2010年の大つごもり。
椿の葉に降り積もった雪のしずくが凍るぐらいの冷たさでした。日本には氷や雪を支配する神はいなかったけれど、古代中国(紀元前)の書物である淮南子に紹介されているのが青女という雪(霜)の女神。青二才の青、青年の青、青丹によしの青という冠がかぶせられた女神で、薄情(白女)な女性ではないのが特徴。聖女のイメージに近い青女の一方で、アホオンナにも間違われやすい青女。
日本にも青女と同じぐらい青い神がいました。ママに会いたくて青山を枯れ山にするほど泣きわめいたスサノオノミコトがその人。故郷高天原との折り合いが悪く、自ら根国を形成することで安住の地を見いだしています。もしかして青女もスサノオノミコト系? 自ら雪を降らせ凍らせることで自分の居場所を確保しょうとしたのかも。
しんしん(深深・沈沈)と降る雪は静けさの象徴で、静かな時(青女)を大切にしていたのが古代人。
さかさまの2010年が終わると同時にさかさまの2011年がスタート。
さかさまの世が元にもどるのはいつなんだろう。
真実のヴェールをはぐ時間 by ジャン=フランソワ・ド・トロワ
“真実は時の娘(Truth is the daughter of time)”という古い諺(英国)があり、
時の娘(真実)のヴェールをはいでいるのが時の翁。
象徴的持ち物が草刈り芝刈りに使う三日月型の鎌。
昔話に登場する山にシバを刈りに行く爺さんとはもしかして時の翁?
山の実体を明らかにするには山を覆い隠すシバを刈らなければいけない。
そして時の経過とともに明らかになってくるのが山の真実。
絵画に表現された白いマントを羽織る時の娘の肌は白かった。
ということで潔白を証明したのが時の娘。
ところで法隆寺五重塔の相輪の下部に4本の鎌がかけられています。
法隆寺七不思議の一つがこの鎌で、他の寺の五重塔にはない現象。
鎌をかけた時の翁がいずれ法隆寺のヴェールをはぐ?
時間はどう考えても縮んでいるとしか思えない。
まさにTime flies(光陰矢のごとし)。
光(日)と陰(月)は矢のようにヒュルヒュル飛んでどこに着地するというのか。
月に棲むことから陰を担当する兎が来年の干支。
では光を担当するのは・・というと太陽に棲むカラス。
両者を合わせて光陰矢のごとしを表現すると烏兎怱怱(うとそうそう)。
年をとると人も時間も縮むのは仕方ないにしても、
アメリカに日本のようにはなりたくないとまで言われてしまった脆弱な日本経済。
この一年、ダラダラ何やってたん! みんな困ってるやん。
希望という名のあなたがいるなら、来年の兎の跳躍力に期待するしかない。
しばしば数十メートルもの巨木になるクスノキ(クス)が地面に巨大な影をつくる話(播磨国風土記)がありました。朝日が昇る時も夕日が沈む時も巨大な影をつくることで農耕従事者に嫌われ切り倒されることになったクス。その切り倒されたクスで船を造ると速く走ったことから速鳥という名前が付けられました。虫が付かず水に強いクスは農耕の妨げになるヤッカイモノと見なされ生活圏は海。
クスと同じ運命を辿ることになったヒルコは海をさ迷う航海者。大地を耕す民族とは異なるルーツを持つ人たちを象徴するのがクス。
樹齢750年と推定される西宮八幡宮(土佐市蓮池)の御神木クス。その太い幹の真中に陣取り成長してしまったのが若竹。そういえば竹の御神木というのは聞かないなあ。群れて竹林を形成することが多い後ろの竹仲間から外れ、クスの根元に侵入した若竹。流されたヒルコ神が陸地に漂着し祀られることになるのがエビス総本社の西宮神社(兵庫県西宮市)で、遠く離れた土佐のこの地(西宮で共通)の御神木が腐敗しにくいクスというのも奇しなり。
国道から外れた田園地帯に鎮座するこの社は
クス以外の樹木が多く共存していました。
樟船+ヒルコ+西=補陀落(?)
太陽光線による影の位置で時刻を知る装置が日時計。
晴天という条件が必要となる日時計(sundial)は曇天や雨の日は役立たず。
垂直に立てた棒の先に紐をピンと張っただけのシンプルな日時計(高知城本丸の西)。大まかな時間しか分からないけれど、それがイイ。
午前にも午後にも属さない正午(正に午の刻)が九つ刻と設定され、
その時にできる影は石中央の線に重なります。
表現を変えると実体(棒)と影が直角関係になるのが正午。
前にも後ろにもならない馬(午)が合う二人がこの関係?
今風に言えば長針と短針がピッタリ重なるほんの一瞬の関係。
一流の殺し屋はkillerとは呼ばれずcleaner(掃除屋)なんですね。ジャン・レノが扮した掃除屋レオンがニューヨークでバシバシ活躍するハードボイルド映画。しかし彼が得意とするのはキレのいい掃除だけで社会の適応力は皆無。そんな彼を変えていくのが色気タップリで迫る自称18歳のマチルダ。行き場を失っていたマチルダをレオンが匿ったことで、二人の奇妙な生活が始まります。親子ほどの年齢差があるにもかかわらず、おませなマチルダはズバ抜けた頭の回転力でレオンをフォローできる頼もしい少女。酒を飲まずにミルクを一日2パックも飲むレオン。酔った勢いで殺すのではなく、しらふで実践するレオンの掃除は観ている者を圧倒する強さがあり、強くなければ掃除屋は務まらない。
麻薬密売人だった父の娘として生まれたマチルダは父から暴力を受けていたようで、頬には痛々しいアザがあり鼻から血を出すこともありました。「大人になっても人生は辛い?」とレオンに尋ねるマチルダの心境を思うと胸が痛む。そんなある日、麻薬捜査官によってマチルダの家族全員が殺されるという事件が起こります。ゲイリー・オールドマンが演じた麻薬捜査官スタンスフィールドがそれこそ麻薬中毒患者みたいで、社会にはびこる麻薬を摘発する前に彼らの部署を捜査する必要があるのでは・・
こんなトップの下では働けないという感覚を持つ捜査官もいないことを思うとやはり掃除屋は必要!
殺しがテーマなので激しい銃撃選が何度か繰り返され、落ち着ける場所のなかったレオンが落ち着く時を迎えます。自分と同じ根を張らない鉢植えの植物(花が咲きそうにない)を愛していたレオン。助かる見込みのないことを悟ったレオンは部屋の換気扇を壊し、その小さな穴からマチルダを逃がします。マチルダと別れる際、大地に根を張って一緒に暮らそうとは言っていたけれど本心は死ぬ覚悟だったはず。最後は自爆行為でスタンスフィールドもろとも吹き飛ばし、命を賭けた清掃は見事に成功し落ち着くことができたレオン。切ない結末ですが、レオンの純粋な心を覗くことができました。
* 監督 リュック・ベッソン * 1994年(仏・米)作品
* 出演 ジャン・レノ ナタリー・ポートマン
★ レオンが観ていた映画の題名はレオンの心の憧れだったかもしれない“いつも上天気”でした。
親の都合(信仰とは関係なく三年保育だったから)で通わされた天使保育園でよく歌っていたのがコレ。多くの人たちが集まってというのが“諸人こぞりて”の意味ですが、保育園児には分からない。メロディの感じで『もろび』・『とこ』・『ぞりて』を分離して意味も分からず歌っていました。ゾリテって何?という疑問もなく素直に丸暗記していたエスマル。また歌詞に出てくる『主は来ませり』というのもシュワッキとマセリが分離し、意味不明の歌をキチンと歌っていた幼い頃。原題は“Joy to the World!the Lord is come”で神が降臨する世界を喜べというような意味。意味も分からず丸暗記していた幼い頃ならいざ知らず素直に喜べない年齢まで生きてしまったのが現実で、深く考えなければ清浄な空気に包まれる美しい讃美歌。スラッキー・ギターを中心とするIMEHA(日本人三人のギタートリオ)が奏でるサウンドは心地いい。
一つ松 幾代か経ぬる 吹く風の 声の清きは 年深みかも
活道(いくじ)の岡で家持と宴を催した際に詠んだ歌。
“ポツンと生えている一つ松よ、どれほど多くの時代を生き抜いてきたのか私には分かる。その吹く風の清らかな音色こそ年を深く重ねてきた証しだろう。”というような内容で、長いだけではなく深さも加わった年月を重ねたのが活道の岡の一つ松。
孤独な一つ松は仲間がいる松林を避け、たどり着いたのが活道の岡?
磐代の 浜松が枝を 引き結び ま幸くあらば またかへり見む
御上に対する謀反罪に問われた有馬皇子(孝徳天皇の子)の真実は今となっては知る由がないけれど、死を覚悟した青年の歌は万葉集の中で生き続けることに・・
白波の 浜松が枝の 手向けくさ 幾代までにか 年の経るらむ
尾張に 直に向へる 尾津の崎なる 一つ松 吾兄(あせ)を
一つ松 人にありせば 太刀佩(お)けましを 衣著せましを 一つ松 吾兄を
嬢子の 床の辺に 我が置きし 剣の太刀 その太刀はや
鳥居の先から眺めた浦戸大橋はキレイ! 今まで見ることのなかった景色を堪能できるのは車に積める軽い自転車のおかげ。夏はキツイけれど寒い時期のサイクリングは身体が温もって気持ちいい。右側のこんもりした山の向こうが月の名所・桂浜。
鳥居の右横で海の方を向いて鎮座する厳島神社。かつては浦戸湾に浮かぶ狭島に祀られていたようで、航行の邪魔になるとかで爆破され消されてしまいました。古代人の聖地は現代人にとって邪魔なだけ? かろうじて社殿だけが残され、御畳瀬漁港の北端(行き止まり)に移され現在に至っています。
+印の位置にあるのが厳島神社。その北にあるクルスとは小さな岩の名前で、どうでもいいような小さな岩に特殊な名前が付けられていることを思うと小さな岩は要注意! この小さな岩にぶつかり座礁したのがサンフェリペ号(スペイン)だったとか。大したことはないという楽観的判断で航行してしまった結果、まさかの座礁?
社殿の後ろにあった巨岩。
裏側にも窓がある開放的な社殿だったので奥の岩まで光が差し込みます。
格子戸を潜り抜け光の格子模様が岩にクッキリ。
御畳瀬と種崎を結ぶ渡し船。
水の都・大阪市も渡し船が多くあり、
その昔、此花区と港区を結ぶ渡し船に乗って行ったのが港遊園。
幼少期の強烈な思い出は今も別天地へとつながる道を探している感じ。
その別天地へいざなうのが渡し船だった。
現在はユズ(柚子・柚)という名前で社会に浸透していますが、
語源を調べると大馬鹿モノ本来の名前はユウあるいはユで、
ユズはユの実を示す言葉でした。
ここから勝手な言葉遊び・・
ユの実は湯飲み・・少し訛って湯浴み・・湯浴みはユの実すなわち柚子。
柚子と湯は切っても切れない関係でした。
古家や 累々として 柚子黄なり 子規
柚子黄から連想するのは弓月の君。
秦の始皇帝の子孫で渡来人秦氏の祖とされているのが弓月の君(別名・融通王)。
融通が利く王はユズユがお好き?
今日を境に黄パワーは反転します。