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- 2022.04.05 Tuesday
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ペレの故郷は南太平洋上に浮かぶタヒチのボラボラ島という説があり、彼女は南半球の楽園から逃げ出し北半球の楽園ハワイに終の住処を求めました。故郷を去った理由は海の神(ナマカオカハイ)との折り合いが悪かったから。そこでペレの故郷ボラボラ島の地形を調べてみることに・・ 島の中央にはペレを象徴する火山オテマヌ山(標高727m)がありますが、その周囲を取り囲むようにしてあるのが岩礁。その岩礁内のラグーンと本島を含めてボラボラ島と呼んでいるようで、水上コテージで安心して眠れるのは周囲に岩礁があるおかげ。ペレの姉だったというナマオカハイとの争いに敗れたペレは故郷を去ります。
東側の細い陸地(岩礁)に有名なホテルがあり、ボラボラ島(本島)の山々を守る城壁のような役目を果たしているのが岩礁であり内海。そんな安全な島が故郷だったペレ。しかし彼女の本質は火・・ 安全と快適さだけで満足できるタイプではなかったのがペレ。身動きがとれないような地形に感じるボラボラ島を脱出したペレは、まずハワイ諸島の北にあるニイハウ島にたどり着きます。そんな彼女をしつこく追いかけて来たのが海(水)の女神で姉になるナマカオカハイ。カウアイ島・オアフ島そしてマウイ島へと南下しながら自分の居場所を探し求めたペレ。しかし妹に安住の地を与えようとしないのが姉で、この姉妹の終いに待っていたのが殺人事件。
両者はマウイ島で決戦の時を迎え、殺されてしまうのが火の神ペレ。迦具土神が父に殺されたように北のハワイに住処を求めた南のボラボラ島出身のペレも姉に殺害されてしまうのが神々のストーリー。両者に共通するのは火の神は長生きできず、最終的に火は肉親によって殺される!
故郷ボラボラ島で呑気に暮らしていれば殺されることはなかったのかもしれない。しかし逃げ出した彼女がいたからこそ、海底火山の爆発でハワイ諸島が形成されたようにも思います。破壊と創造を繰り返すことで命を燃焼させたペレは現在ハワイ島キラウェア(噴き出るという意味)火口に住処を構え、彼女の肉体は滅んでもその意志は存続しています。現在も活動を続けるキラウェア火山の海底にはホットスポットと呼ばれるマグマの噴出口があり、ハワイ島をこれほどビッグにしたのはペレの深い意志? ナマカオカハイとペレの戦いは海と陸との戦いでもあり、陸上生活を基本とする人間はすべてペレの子孫なのかもしれない。
ペレが噴出するマグマはドロドロではなく川のようにサラサラ流れるらしい。
山歩きの際、よく見かけていたのがオクラに似たコレ。オクラのように食べたい気分にはならない実で、それほど名前を知りたいとも思わず今日に至っていました。オクラの季節はトックに終わっているのに、コチラはまだ蕾が開花しようと頑張っています。その頑張り屋さんの名前がヒョンなことで判明! トロロアオイまたは黄蜀葵(おうしょっき)または花オクラ。
ハイビスカス・ムクゲ・フヨウなどと同じアオイ科に属するトロロアオイの目立たない蕾が目立つ花に大変身。“美しい私を食べて!”という自己主張の声が聞こえてきそう。そしてこの美しい花は食用となり花オクラという名前を獲得します。また粘液を含む根茎を和紙作りの糊に使うこともあるようで、紙の原料をトロトロにさせることから命名されたのがトロ(ト)ロアオイ。読みにくいオウショッキ(中国名)という呼び名が一番ピンと来ない。
実を結ぶ 前に収穫 花オクラ
ギリシアに目を向けると人間に火を与えてはいけないと絶対命令を下していたのがゼウス。しかしゼウスが属するオリンポス神より以前のティタン族プロメテウスがその禁を破り人間に火を与えます。その禁破りの罰は重く、プロメテウスは生涯ゼウスに苦しめられることになりました。火の用心のため火の神を殺してしまうのが日本で、危険承知で人間に火を与えるのがギリシア。また一方で日本における火祭りの多さなどを考えると、殺された迦具土神の怨念はなお生き続けているような気もします。
無念の死であればあるほど迦具土神のパワーは強大なものになる可能性があり、行き場を失った火は殺されることでさらに燃え上がる?
日本に寄り付くはずのないペレが安住の地に選んだのがハワイ諸島の中で最も南東に位置するハワイ島のキラウェア火山。その理由はどれだけ土を掘り起こしても水が出なかったことで、カラカラの土地がペレのお気に入り。その点、空海が地面を突くと清水が噴き出すという井戸伝説の多い日本はペレの住処にはなり得ません。五行で考えると火(陽)と水(陰)は相剋関係になり相性が悪いように思いますが、陰(女)陽(男)の交わりで多くのモノが生み出されるのが自然界。特にハワイという土地の成り立ちの根本にあるのが火と水の闘いで、ペレの怒りが爆発したことで流れ出た溶岩を冷ますのが海の水の役割。この繰り返しでハワイ諸島は北西(岩盤が最も古い)から南東に向いて形成されてきました。
そして日本列島の島の連なり方はというと・・南西から北東方向なんですネ。日本神話で天孫ニニギノミコト(夫)の疑いを晴らすため火中出産に臨んだコノハナサクヤヒメ(妻)が誕生させたのが三人の男の子(火照・火須勢理・火遠理)でした。その火兄弟のうち皇位を継承することになるのが火から遠い火遠理命。燃え盛る火の勢いが強い火照命は火遠理命に従うことで決着するのが日本という国の特徴で、迦具土神が殺されたように火の神がリーダーになることは決してない。日本とハワイは同じ島国でも火に対する考え方が全く違っていました。
小さい秋のネタ探しに出かけた近くの山で思いがけず出会ったのが雪の白さを思わせるキラビヤカなこの花。太い茎を中心に左右交互に並ぶこの大きな葉の持ち主はショウガ。初めて見たショウガ(正しくはジンジャーリリーあるいは花縮砂)の花の印象は強そうでキレイ。近付くと容姿端麗な白い花にふさわしいスパイシーな香りを放っていました。調べて分かったのが“カリブに浮かぶ赤い島”と形容される社会主義国家キューバの国花がこの白い花。 現地(スペイン語)では蝶を意味するマリポーサという名前らしく、ハナシュクシャやジンジャーリリーとは一味違うカワイイ名前で呼ばれています。
マリポーサが放つ香りは爽やかな甘さで、脳に適度な刺激を与えるような気がする。
ショウガ科に属する所以なのか、たるんだ脳の引き締めにいいかも。
目立つ花びらの中に普通あるのがオシベとメシベ。
しかしメシベらしきものが真ん中に一つあるだけでメシベを取り囲むオシベはどこ?
そこで判明したのが原点(宇宙の原初)回帰現象。
先にピョコンと出ている元メシベにベッタリくっ付いている元オシベは一体化しています。天地分離で昼が生まれる宇宙時間の進行と逆方向に向いているのがマリポーサ? だからキレイでイイ香り。
妙に斜めになっているのが不思議!
いい香りは美しいものに宿るということをマリポーサが示してくれました。
天と地が抱き合っていたとされる宇宙の原初もキレイだったんだろうナ。
世界の始まりは天空神ワケアと地母神パパ(男と勘違いしそう・・でも性は一応女)が強く抱き合うことで生じた長い夜(ポー)だけで、昼を創造するのに必要だったのが合体したワケアとパパの分離。長い夜だけで構成されていた世界(ワケアりのパパ)が切り離されることで光が差し込み誕生するのがアオという昼。合体している間は暗闇が続くだけで、新たなモノを生み出すことはできません。ハワイの創世神話は天と地の分離(聖書に似てる)から始まり、その後ワケアとパパの間に数々のトラブルが発生します。本来は一つのモノだったはずのワケアとパパ・・分離された寂しさ故の困難が彼らに待っていました。
オオゲツヒメや保食神を思い出す死と再生はあらゆる国において重要なテーマになっています。そして父と娘が次に誕生させるのがハロアという名の人間(ハワイ人の祖)で、アロハを逆にした名前であることが興味深い。
しかも人と同格の扱いをされているのがタロイモで、浦島さん専用のイモに匹敵する可能性も・・ 日本の南西諸島などで栽培されるタイモ(田芋)もタロイロと似た感じで、日本全域を占めることになる稲作以前からこの地域で栽培されていたのがタイモ(水芋)でした。通常はタイモの根茎を食べますが、ズイキ(芋茎)と呼ばれる茎も食用になっています。
ハワイの主食がタロイモ、そして日本の南西諸島でも広く栽培されていたというタイモ。稲作が伝わったとされる弥生時代より遥か昔の縄文時代はハワイのようにイモが主食だったのかも。その痕跡と考えられるのが関西圏(京都・奈良・滋賀)を中心に開催されるズイキ祭り。米に慣れてしまった日本人の主食がイモ(戦時中は芋しか食べれなかったという話)になることはないと思いますが、ハワイでは今も栄養価に富むタロイモが神聖視され栽培され続けています。近親関係の父と娘が初めてこの世に生み出したものが死産を経て再生したタロイモで、初めてのモノを大切にするハワイ人とその時代に合わせて変遷を繰り返してきた日本人。日本人の原点ってイッタイ何なんだっ! (コロコロ変わること)
清い水が流れる場所で成育するタロイモ。
日本の畑で栽培するサトイモとは雰囲気が違う・・
母と子ほどに年が離れた晋作(本名・春風)が望東尼の草庵に匿われて過ごしたのはわずか10日ばかり。その後、命を賭けて幕府軍と闘う決意を固めた晋作。彼を見送る際、望東尼は自分の手で縫った着物を晋作に手渡し以下のような歌を詠んでいます。
まごころを つくしのきぬは 国のため たちかえるべき 衣手にせよ
マナを交換(?)する花(といっても雑草ですが)と蝶。
天の川 秋の一夜の 契りだに 交野に鹿の 音をや鳴くらむ 藤原家隆
燃える夏の契りならいざ知らず、冷たい秋風が吹き始める季節の契りが“秋の一夜の契り”。天の川を挟んで向かい合う牽牛星と織女星の継続的逢瀬が叶えられるのは秋の契りがあったから? 交野とは大阪府枚方市にある台地(淀川左岸)で、現実に天野川という名の川が流れカササギ橋も架かっています。狩猟地としても名高い地域で、その交野という台地に居たのが秋の歌にしばしば登場する鹿。“秋の鹿は笛に寄る”という諺があるように、♂と♀が互いに求め合う季節は秋。興奮状態の夏ではなく、冷めた秋の契りを交すのが鹿。だからこそカササギ(鵲)は羽根を広げ、鹿を応援してくれるのかも。
苔ふかき みのおの奥の 杉の戸に ただ声するは 鹿の音ばかり 鴨長明
さらに花札の十月には紅葉とともに鹿が描かれていることなどを思い出すと鹿と紅葉のかかわりは深い。紅葉の季節に交尾期を迎えるのが深い森をさ迷う鹿で、その目的は秋の契り? 以前から不自然に感じていた“紅葉狩”という言葉・・ もしかして牝鹿を挑発して鳴く牡鹿狩のことかも。
我が岡に さ牡鹿来鳴く 初萩の 花妻問ひに 来鳴くさ牡鹿 大伴旅人
かくのみに ありけるものを 萩の花 咲きてありやと 問いし君はも
余命いくばくもない旅人が余明軍に尋ねたのが“萩の花咲きてありや”。
萩の花を妻として、萩と一緒に旅立ったのが旅人だったように感じます。
しおらしき 名や小松吹く 萩薄 芭蕉
しおらしき名の持ち主は“はぎすすき”?
吹くイメージは風・・となると萩薄が属するのは風組。
小松が風に揺れることはなく、萩薄は風と一体化してユラユラ。
加賀の小松に滞在していた折、芭蕉が詠んだのがこの句らしい。
言葉通りの小松と自分を重ね合わせた小松に息を吹きかけるのが
しおらしい名前の萩薄と仮定して考えると、
芭蕉は萩薄のような女性に息を吹きかけてほしかったのかも。
人皆は萩を秋と言うよし 我は尾花が末を秋とは言はむ 作者未詳
散歩途中に出会ったこのススキ・・際立つ輝きを放っていました。
通常は左右どちらかに傾いてなびくことが多いススキですが、
細い茎をピンと立て天を目指している強さを感じます。
すすきのひかり さえぎるものなし 種田山頭火
芭蕉が求めたしおらしさはコレだったのかも。