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- 2022.04.05 Tuesday
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源氏物語の主人公に設定された光源氏が都を離れ須磨に下る時に詠んだ歌。憂き世(浮世)の荒波にもまれながらも何とか生きてきた源氏が都を離れ須磨に下る時の心情が表現されています。都に残す自分の名は人の勝手な噂の種になるだろうが、その真偽の程は糺すの神に委ねようという内容で自分はコ〜シテ、コ〜ナッタ!という鬱陶しい主張はありません。
石川や 瀬見の小川の 清ければ 月も流れを たづねてぞすむ 鴨 長明
ヤタガラスが鎮座する糺の森の中を流れるのが清き水の瀬見の小川。
月の光を映し出す水鏡の役割を果たすには流れが穏やかで透明でなければならない。
山城国風土記逸文では下鴨神社に祀られている賀茂建角身命は八咫烏に化身し、神武天皇の先導役を果たしました。ということは日本の頂点に立つ人物のさらに上に居るのがカラス? そのカラス最大の特徴といえるのが雌雄の区別がつかないことで、外見で雌雄を判断することはできません。言い換えると外見で♂♀の判断をしてはいけないのがカラス。本来はどんな色にも染まる白い鳥だったというカラスを黒に染めたのは神。他のどんな色にも染まらないように・・ というのが神の意志? たとえ間違った方に向いても正しい方に修正できる(糺す)能力を秘めていたと思われるのがカラス。からす力は糺す力?
島の端から端まですべてが東邦亜鉛の工場敷地になっている島の名前は“契島”。
瀬戸内海の島の名前を調べていた時に目に留まったのが何か約束事がありそうなチギリジマという島でした。ロマンを掻き立てる“契り”とは正反対の島に名付けられたこの島は工場関係者以外すべて立入禁止。契島というネーミングと立入禁止でますます気になる島になってしまうのが人情というもの。東邦亜鉛さま、工場見学会を開いてよ〜!
東邦亜鉛の前身は明治32年に設立された深川鉱山精錬所(銅の精錬)で、それ以前の契島は調べても見えてこなかったです。すべての樹木を寄せつけない工場の島として注目されているのが契島で、日本で使用する鉛(lead)生産のほとんどを請け負っています。契島で鉛・・ 鉛は契島・・ フムフム。
長崎港の南西に浮かぶ“端島(通称は軍艦島)”も契島に似て石炭(海底炭鉱)採掘の島でした。しかし時代の変化とともに石炭需要は失われ、明治以来続いた炭鉱は昭和49年に閉山。無人島となった端島(はしま)の上陸は長らく禁止されていましたが、昨年から見学のための上陸が許可されることになりました。同じ明治期に鉱山として産声をあげた二つの小さな島ですが、端島は廃墟となり契島は現役で活躍中。
誓約か関与する契りパワーに支えられている結果かな。
昭和25年に契島まるごと買い上げた海に浮かぶ東邦亜鉛精錬所(写真はウィキペディア)。 島といえばビーチ・・ しかし契島にビーチはありそうにない。
母エヴァと娘マイカの長年にわたる確執を描いた映画。大人の女性(エヴァとマイカ)の間で板挟みになるのがエヴァの孫でありマイカの娘であるアンカ。冒頭で紹介されるのが怖い夢にうなされ大声を上げる6歳のアンカで、泣き叫ぶ娘をなだめようとするマイカに対し茶々を入れアンカを取り上げるのがエヴァ。アンカはマイカが16歳の時に産んだ子で、未熟なマイカに子育ては無理だろうというエヴァの勝手な判断がその後のねじれ(エヴァとマイカの対立)を生じさせていました。
エヴァの生き甲斐らしきものが子育てのようで、その目的は自分の思う通りに我が子を完成させたい趣味的嗜好が伝わってきます。幼い頃なら子は親の言いなりになりますが、そういつまでも人形を演じるわけにはいかないと感じ出すのが自我の芽生え始める思春期の頃。マイカも親の期待に応えるべく人形を演じていたようですが、マイカの妊娠を機に母と娘の間に大きな亀裂が生じます。親の言うことをきかない子はいらないというのがエヴァの考え方のようで、そんな母親をますます嫌うのがマイカ。
“あなたは盗みをしてはいけない”という戒めを破り、娘の子を自分の子にしてしまったのがエヴァ。彼女が必要としているのは自分に素直に従う子。初めはマイカにその勝手な夢を託そうとしていたようで、子供を支配下に置きたいだけかも。そんな母に敵対し我が子を取り戻そうとするマイカですが、当然仕切り上手なエヴァにかなうはずはない。二人の間に挟まれたアンカの心情を察すると、早く大きくなってこの窮屈な家から出た〜い気分? 男を寄せ付けず我が子をコントールする母重視の女世界は息がつまりそう。この場から逃げ出したくなる男の気持ちが何となく分かる感じ。
ラストは母親の干渉から逃れるため始発電車を待つアンカを抱いたマイカと娘を追いかけて来たエヴァとステファンが織り成す早朝の駅が舞台になっています。最終的にエヴァを選んだアンカ。そして一人、始発電車に乗るマイカ。“すべてから逃げている”と自ら言っていたマイカはその言葉通り、過去のすべてを捨て新たな一歩を踏み出すことに・・ 過去のすべてから逃げ出すということは人生の敗者のようにも感じますが、誰しも怖くてできないのが過去を捨てること。一方、自分が考えていた通りにマイカだけが離れアンカは自分の元に戻ってくるという好都合の展開になったエヴァ。結果的に弾かれることになったマイカを父ステファンはどのような気持ちで見送ったのか。
* 監督 クシシュトフ・キェシロフスキ * 1988年 作品
* 出演 アンナ・ポロニー マヤ・バレルコスカ
★ 子育てが生き甲斐になってしまう母に育てられた子は苦しく感じるのでは・・
谷ふかき 草の庵の 寂しきは 雲の戸ざしの 明けがたの空
なかなか明るくならない明けがたの空とはこの世で対立する人間関係?
土御門天皇はさらにこんな歌も残しています。
うき世には かかれとてこそ 生まれけめ ことはり知らぬ わが涙かな
その後、土御門天皇は野根山街道(土佐と阿波を結ぶ官道)を通って
阿波に遷されます。
その野根山街道の中間地点に岩佐の関所跡(清水が湧く)というのがあり、
その地で土御門天皇は喉を潤したそうな・・
清らかな水に触れ、美味しいと感じることができるのは先の涙があったから?
また野根山街道沿いに“宿屋杉(かつてこの杉の下で旅人が一夜をしのいだことからの命名)”という空洞になっている杉の木(室戸台風で倒壊し現在は根元だけ)があります。日々の生活に疲れた旅人が横になることができたのが宿屋杉かな。空洞だったからこそ横になれるわけで、人の心もカラッポになると楽!
奥が丸見えの宿屋杉
子供の頃の遊びで主役になることが多いのが鬼。鬼になった子が他の子を追いかけ回し、その鬼につかまると今度はその子が鬼になり先と同じように他の子を追いかけ回す鬼ごっこ遊びの主役はもちろん鬼。鬼につかまった子が鬼になるということから考えると鬼が他者に与える影響力は大きい。その影響力を嫌ってか、家の内には入れてもらえないのが鬼。
わらべ歌の♪かごめかごめ♪遊戯で輪の真ん中に一人目隠しされ、しゃがまされる役が鬼でした。鬼を真ん中にして、その周囲をグルグル回るのが籠目になぞられた鬼の友達。籠の中に押し込められた(あるいは自ら籠の中に入った可能性も・・)鳥はいついつ出やるという歌詞の意味するところは鬼の出現を待っているようにも感じます。安全な籠の中の鳥(目隠し状態で小さくなっている鬼)が外に出やるタイミングが夜明けの晩。そしてその夜明けの晩にすべるのが因縁関係にある鶴と亀。その鶴と亀がすべって(一体化という意味もある)籠(?)から抜け出す瞬間は夜が完全に明けきらない夜明けの晩。
窮屈な籠の中に入れられた鬼は最後に後ろの正面に居た人物の名前を当てなければいけません。自分の後ろにいる誰か・・その関係が鶴と亀? 後ろの正面とは自分自身のことで、自分が誰かを当てるのが“かごめかごめ”遊びの原点かも。他者に対して影響力のある鬼が円の真ん中に配置されているカゴメカゴメ遊びのポイントは鬼を外に出そうとしているのか、あるいはその逆か。鬼は外という言葉を思い出すと鬼は外に出たがっている? カゴメカゴメで周囲を囲まれた鬼が外に出ることができるのは後ろの正面すなわち自分を知る時。
良きにつけ悪しきにつけ影響を与え合うのが前後一体の空を舞う鶴と地を這う亀で、天と地の間で右往左往しているだけでは自分の本名(鬼が云う魂)は分からない。
鬼は物に隠れて顕はるることを欲せざる故に、俗に呼びて隠(穏)と云うなり
日本初の漢和辞典(和名類聚抄)に記された鬼は“於爾(オニ)”。
オニが活躍できるのは人が眠りに就いている夜(無意識状態にある時間帯)だけで、
人が目覚めて意識を取り戻すと鬼の出番はありません。
ビックリ箱の中身が分からない時に恐る恐る覗き込んで言うのが“鬼が出るか蛇が出るか”。 般若面のイメージが強い鬼と大酒飲みの八岐大蛇を思い出す蛇が対になっています。物に隠れて顕れるのが鬼、そして酒を飲んで出現するのが蛇?
出雲国風土記に“目一つの鬼”が登場しています。大原郡阿用(あよ)の郷(島根県雲南市阿用川流域)を舞台にした地名説話の一つで、この目一つの鬼はこの地にやって来て男を食べました。八岐大蛇の好物は女、そして目一つの鬼の好物は男?
食べられた男というのがこの地の開墾者で、田を佃りその田を守っていたらしい。
その守りが災いとなったのか、男は目一つの鬼に食われてしまいます。
彼の両親はというと竹藪に隠れたまま息子を助け出す行動には至らず、
ただ竹藪の中に身を潜め震えているだけでした。
その時その震えで竹の葉が動き、男が「動動(あーあー)」と叫んだことから
アヨ(初めは阿欲で後に阿用)という地名になったという話。
意味がまるでワカリマセーン!と風土記作者に訴えたい!
ここで注目したいのが田佃り男を食べた目一つの鬼。
鬼が出るか蛇が出るかで、この地(阿用の郷)に出現したのが鬼。
しかも目一つの鬼!
夜間に出現したと思われる目一つの鬼に食われたのは男・・ではこの鬼の性別は?
女を食い物にしていた蛇に対し、男を食い物にしていたのが目一つ鬼。
鬼が出るか蛇が出るか・・ビックリ箱の中身は開けてみないと分からない。
際立つジャパンブルーを生み出すことになったのが染料として栽培されていたタデ科の藍。藍より出でて藍より青くなる特徴を有する染料の藍(黒色または茶色)がジャパンブルーの生みの親。空色や水色の呼称で表現される天地の青を根源で支えるのが藍という植物で、藍の世界はもしかして“あとん”?
名所江戸百景 深川洲崎十万茅坪
ゼウスの目を通して表現された日本?
天空から地上を見下ろすワシの目がとらえた色は天を映し出す藍色。
では藍色の天地の間に存在するアイ(I)は何色に染まりたい?
それとも染めたい?
丹後国風土記逸文に記述されていた浦島子の夢舞台は丹後半島でした。魚を釣るつもりで島子が釣り上げたのが五色に輝く亀。
その特殊な亀は突然美しい女性に姿を変え、島子を道連れに常世の蓬莱山を目指すことになります。何の苦労もない常世生活で二人は肩を並べ袖を接して夫婦となるのですが、楽しい常世生活はわずか三年で幕切れ。神武天皇の祖父(山幸彦)も島子と同じように妻(豊玉姫)の故郷(龍宮)に別れを告げたのが三年目。その後、夫は妻の故郷を脱出し自分の故郷を目指します。
故郷が違うと別れの原因になりそうな話で、島子も故郷に残してきた父母を想いやっていました。結果的に島子は常世美人(連れ合い)を捨て故郷への道を歩み始めます。血縁関係のない連れ合いより深い血縁関係で結ばれている家族を選んだのが島子。肩を並べ接していた袖を分かつことになった夫婦は初めから同じ本を読まず、違う本を読んでいた? 違う本であるなら結末も異なるのは仕方のないこと。珍しい五色の亀を釣り上げ幸せの渦中にいた島子は望郷の念を捨て切れず、楽しさイッパイの常世を捨て両親の元に戻ることで直面したのが現実の時の流れ。
島子が常世(連れ合いの故郷)で過ごした三年は現世(島子の故郷)の三百年に匹敵する時間で、常世(亀の国?)の時の流れはユッタリしています。亀の相手にふさわしいのは亀に勝利を与える兎でなければならず、現実志向の島子は常世の眠りに没頭できなかったのかも。結果として現実を重視した島子は掴みどころのない煙を浴び、ジイサンロードを突き進みます。我を忘れていた島子が我に返ったのはヨカッタのかマズカッタのか。我を殺したり我を張ったりしなくてもいいのが我を忘れている時で、我に返った島子を待ち受けていたのが忙しく過ぎ去る現実の時間。
美しい山容の飯ノ山や屋島まで見渡すことができました。
瀬戸内海に北西に突き出すような形で伸びているのが太郎の故郷とされる荘内半島。
海の向こうにあるのが常世だったことから考えると常世方位は北西? しかし太郎は現実を生きるため故郷に戻って来ました。仁義深い老人になって余生を過ごしたのが仁老(塵労?)浜とやらで、長生きするのも大変だ! 世間のしがらみを取って長生きするか、常世の安定を取ってこの世に決別するか。そしてもう一つの選択肢がこの世に常世をつくること。
風任せ 自由気ままな 常世旅 世間のしがらみ ポイポイ捨てて
訪れる人の目を楽しませてくれるのが粟島のブイブイガーデン。
ブイブイとうるさいのが人間で、沈みかけてブイブイ! 浮きっぱなしでブイブイ!
人のブイブイは嫌われますが、人形のブイブイは静かでカワイイ。
天まで届け! 天使の♪ラブソング♪
ヤギの花子も尻を向けてお出迎え。
廃棄物になるべき運命にあったブイを再生させたのがエッチャンという女性。
海面でプカプカ浮いているだけのブイに豊かな表情を与えた
エッチャンのユーモアセンスとパワフルさに脱帽!
バイバイ! ブイブイ 笑顔をありがとう。
津島ノ宮駅の所在地が香川県三豊市三野町大見(ミが多い)。拝殿は駅のすぐそばにありますが、本殿は陸地と切り離された津島(かつての名前は鼠島)にあります。
祭神は乙姫様と思いきや粗雑さで高天原を追放されたスサノオノミコト。
八岐大蛇を退治しクシナダヒメと結婚したスサノオノミコトは八重垣で自分の邸宅を囲った人物でした。多くの参拝客で賑わうこの2日間はもしかして苦痛? しかし本殿に近付けるチャンスは滅多にないことを思うと、年2日の祭りは貴重な日。その祭りのために2日間だけ営業するのが津島ノ宮駅。