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    桑と蚕

    • 2010.05.31 Monday
    • 22:09
              

    桑の葉を食べて成長する蚕(天の虫?)は蛾の幼虫で、餌となる桑(特に山桑)の葉を栄養源に自ら吐き出すのが繊維状の繭。絹織物の元になる繭は幼虫の蚕から成虫の蛾になるため一切の食事を絶つ冬眠部屋のようなもの。そんな繭誕生にかかわっているのが成虫になる前の幼虫カイコ(可愛い子?)。大人になりきれない可愛い子(蚕)が食べる桑の木は雷にとっては避けたい木。

     
    伝説では桑の木に落ちた雷が怪我をしたとか桑のマタ(三つの又と木で構成されているのが桑)に挟まれ雷が消えたという理解しにくい話ですが、要するに落雷と蚕の成長を担う桑の木は相性が悪い。また東北地方の民間信仰で“おしら(蚕)様”という神が伝わっていて、成虫になる前の幼虫が神として信仰されています。東北地方の旧家などに住む“座敷童(いなくなるとその家は衰退する)”も子供でした。お茶目な子供心を失った大人も衰退する?

     
    桑の葉を主食とする白いオシラサマ誕生に至る逸話は悲恋から始まります。農家の娘が家畜として飼っていた馬と親しくなり、いつしか夫婦の関係に・・ このこと(娘の相手が同居する家畜だったことに問題あり?)に激怒したのが父親。娘の旦那になった馬を桑の木に縛り付け生皮を剥ぎ、その剥いだ皮を桑の木枝に引っかけたそうな。そばで泣きながら見ていた娘・・ 桑の木枝にぶら下げられた馬の生皮がその娘に絡み付き、空高く舞い上がった夫婦。父に反対された夫婦(馬&姫)の化身がオシラサマで、動物の肉や卵を嫌うとされています。

     
    美しい絹織物の素材を産み出す蚕が桑の葉を主食としていたようにオシラサマもベジタリアン? また雑な祀り方をするとオシラサマの怒りが爆発し、その家族が死んでしまうという話も・・ 家畜だった馬と夫婦の契りを結んだ娘をオシラサマの原型として考えるとオシラサマの口に肉は合わない。オシラサマに祟られないようにするには肉や卵を控え、野菜中心の食事にすることが大事。馬頭と姫頭が合体しているオシラサマの食生活の中心は蚕が好きなクワバラに生えるマルベリーで、雑な雷が寄り付くことはできません。             

    アルテミスの慈愛

    • 2010.05.30 Sunday
    • 22:30

    ゼウスの父クロノスは自分の王位を子に奪われるという神託の恐怖で、妻レアが産んだ子を次々飲み込みました。父と同じような立場に立たされ丸飲みしたのがヘラ(姉)より以前に結婚していた先妻(メティス)。知恵の女神を象徴するメティスが産んだ子に神々は滅ぼされるという事実を知ったゼウスもまた父がしたように先妻を丸飲み。男は都合の悪い相手に出くわすと丸飲みしてその都合の悪い相手を消し去っています。常に自分がトップで居続けることが男の思考? 賢い女性(メティス)はゼウスにとって都合が悪く、正妻の立場を確保したヘラなら都合イイみたい。

     
    ゼウスが敬遠したメティスを飲み込むことで誕生したのが完全武装の女神アテナ。
    ゼウスの頭の中は戦うことで占められていた感じ。そのアテナと幾分似た要素を持っていたのが狩猟をつかさどる月の女神アルテミス。彼女の母はティタン族“レト”で、ゼウスが鶉に変身し妊娠させた子が双子の一人アルテミス。レトに合わせるため小さな鶉に姿を変えたのが黒鷲を従えていたゼウス。鶉と黒鷲では違い過ぎ! そんな状況に激怒したのが孔雀派ヘラ。小さな鶉派レトの出産に怒り狂ったヘラは出産できそうなすべての陸地を封鎖し、レトに対する嫌がらせを敢行。

     
    明確な理由は示されていませんが、オリンポス神は小さいことが嫌い? また卵も鶉自身も地味な斑模様で、孔雀のような華やかさは全くありません。訳も分からず迫害の対象にされたレトは苦しみの中で誕生させたのがアポロン(昼)とアルテミス(夜)でした。聖書にも記されていたようこの世の闇を照らす真の光は暗闇から誕生しています。迫害に耐え、出産にこぎつけたレトが誕生させた女の子がアテナに似た狩猟神アルテミス。森の中で夜の獣を従える彼女は野性的! 処女神のイメージが強いアルテミスとは違う大地母神(エフェソスのアルテミス像)として信仰されていたのがエフェソス(現在のトルコ西部に位置する古代都市)のアルテミス像。


                    


    多くの乳房が象徴するのは母性的慈愛? 
    この像以外にいくつかのアルテミス像があり、その共通点は豊かな乳房で陰部は隠されています。赤ん坊にミルクを与えるのが乳房の役割なので、女性というより母親に重点が置かれていたのでは・・ ゼウスの頭から誕生した闘争心のあるアテナ信仰(ギリシア本土)と比べ、敗者をも優しく包み込む母の姿を重ねたのがエフェソスのアルテミスかな。ヨーロッパとアジアを分岐するエフェソズ(川の氾濫で何度も変化を繰り返し形成された地域で日本神話の斐伊川を思い出した)で信仰されたアルテミスは狩猟や月の女神とは趣を異にする慈愛を秘めているように感じました。

    セロリ花

    • 2010.05.29 Saturday
    • 22:18

    セロリが入った野菜ジュースはあの独特のニオイですぐに分かります。好き嫌いがハッキリするニオイこそセロリで、香りで食べる野菜がセロリ。昨年秋に植えたセロリ(苗)はほとんど成長しないまま(高さはせいぜい30cmぐらい)、花を咲かせています。鈍い成長(肥料を与えなかった)にもかかわらず、花は咲くのネ。

        

     店頭に並ぶ大きなセロリからは想像できないぐらいの小さな花の寄り集まりで、
             
    セロリが属するセリ科は全般的に花が小さい。

      

            
    ニオイを放つ茎や葉に寄り付く虫はいなかったけれど、
                 
    花になるとこの“アリ”サマ。
           
    自然の中で繰り広げられている小さなドラマは至って正直!  

                 
    アリの口 丁度合います セロリ花

    投げてはならない真珠

    • 2010.05.28 Friday
    • 22:17
              
    百万遍念仏を唱えるかのように神聖さを好まない人に神聖な話をしても何の意味もない。食べられないモノより今すぐ口にできるモノを欲している貧しい人に真珠を与えてもそれほど喜ばれないはず。真珠を売って金にするには手間がかかるし、その真珠を必ず買ってくれる人がいるかどうかも分からない。

          
       
    “神聖なものを犬に与えてはならず、また真珠を豚に投げてはならない。
       
    それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。”

    マタイによる福音書に記された有名な言葉で、豚に真珠という言葉の元は新約聖書。
    犬と豚が象徴的に使われていますが、気になるのが『与えてはならない』と『投げてはならない』という微妙な言葉のニュアンス。豚に対峙する時は投げるような雑な行動がよくない? 真珠の価値(静かな貝から誕生)を理解できる豚はソソクサに腹が立つのかも。


     豚に真珠という言葉は受け継がれてきたのに、犬に神聖という言葉は聞かない。
    真珠を豚に丁寧に与えれば、豚はその真珠の価値を理解できると言っているような気もする先の発言。豚の原種がイノシシで、突き出たイノシシの鼻を短く押しつぶしたのが豚かな。


    もう一つ豚が聖書に登場する話がありました。
    悪霊が豚の体内に入り、悪霊に乗っ取られた豚はすべて崖から落ちて死にます。悪霊を体内に囲い込むぐらいなら死んだ方がマシだと思って豚は死んだ? あるいは豚の体内に入ってはみたものの、居心地の悪さで悪霊自身が死にたくなった? 豚の意志か悪霊の意志か・・いずれにしても悪霊が死んだことはヨカッタ。豚と悪霊がセットになると死ぬ答えしかないようで、悪霊を宿した豚はこの世にいない。ブヒブヒ!

    さよなら子供たち

    • 2010.05.27 Thursday
    • 22:22
               

    切ない・苦しい・辛い・悔しいなどマイナス感情は実際にその体験をしないと分からない。エスマルの青春期(70年代)に♪戦争を知らない子供たち♪という歌がヒットしましたが、その頃の日本を背負っていたのが実際の戦争体験者。それ以降、戦争体験者は当然減り続けているわけで当時の戦争を知らない子供たち(老年期)とその戦争を知らない子供たちに育てられた若者で構成されているのが現在の世界。想像する限り、我々が今感じる痛みは戦争時の痛みに比べ大したことはないのだろうと思う。

                 
    映画の主人公ジュリアンと同年齢で現実のユダヤ人迫害を目にしたルイ・マル監督は
    何が何でもこの映画を完成させたかったという話が伝わっています。ルイ・マル少年が見た本物のユダヤ人迫害は切ない(映像から感じたエスマルの気持ち)ものでした。迫害から逃れることのできない運命を静かに引き受けるユダヤ人の凛とした強さと、戦争社会におけるナチスの非情な社会的統制を感じました。どれだけ不条理だと叫んでも通じないのが政治権力による統制システムで、理由があろうがなかろうがユダヤ人は連行され殺されるのが戦時下におけるルールでした。

                  

    舞台になったのは中高一貫のカトリック系男子校で、ゲシュタボ勢力が増大しつつあった19441月のこと。冒頭で紹介されるのが駅のホームでママに抱きついている甘えん坊ジュリアンくん。学校では負けん気が強い悪戯少年なのにママの前ではアカンタレの気の弱い男の子。家族とのクリスマス休暇を終えたジュリアンは汽車に乗り、神父さんが運営する寄宿舎を目指しています。車窓を隔てた向こうの景色は厳しい冬の寒さが感じられ、戦時下におけるナチス台頭を暗示しているかのよう。迫害されるべき対象にされたユダヤ人に関する知識はほとんどありませんが、映画に登場するユダヤ人少年ボネは賢い。

     
    ボネを初めとしてユダヤ人少年を何とか救いたい一心で学校に連れて来たのが神父さん。当時の社会情勢からすると体制に逆らう要注意人物と見なされ、自分自身も危険な目に合うことは承知で彼らを救おうとしていました。学内で開催されたチャプリンの映画鑑賞会で笑い声に包まれていたあの穏やかな瞬間を思い出すと胸が痛い。またボネとジュリアンが共演した息の合うジャズピアノもヨカッタなあ。息が合うと素敵なメロディが生まれ、息が合わないとナチスに寝返ったジョゼフみたいになってしまう? 違う人間同士が息を合わせ何かを生み出せれば、お互いの人生が輝くはず。


             

    ゲシュタボ行動で不快だったのがレストランへの立ち入り。静かに食事をしているのに身分証明書を出せとか何とか・・うるせえ奴ら! ある紳士に証明書を提出させ、ココはユダヤ人禁止だとかツベコベ言うのが彼らの仕事。嫌がらせを好むタイプなのか、そんな不快な人間を相手にしなかったのがそのユダヤ人紳士。ボネもそうですが、ユダヤ人ってどちらかといえば無口なのかな。才能がありすぎて凡人相手にツマラン会話はできない? また体制に従うことを拒否する傾向も感じられ、体制側からすると排除したいのがユダヤ人?

     
    この映画を観て強く感じたのがルイ・マル監督の誠実な心。戦争を知らない人だらけで構成されているピンボケ世界に真摯な映像をプレゼントしてくれたルイ・マルに感謝したい。若い頃はフランス映画を敬遠する(観ても理解できなかったのだろうと思う)ことが多く、ルイ・マル作品に触れるようになったのはごく最近のこと。バタバタ生活からジックリ生活に切り替えたことで、フランス映画の良さが少し分かるようになりました。この映画を観てほしい。この映画は観なければいけない。何としてもこの映画は観る必要がある! だってニセモノばかりの世界でこの映画はホンモノ(思い出すと涙が出る)だから。

    * 監督 ルイ・マル    * 1988年(仏・西独)作品

    * 出演 ガスパール・マネッス   ラファエル・フェジト


    ★ ジュリアンの愛読書は男女が絡む千夜一夜物語。

    ハナミョウガ

    • 2010.05.26 Wednesday
    • 22:07
          独特の芳香とシャキシャキ感が魅力のミョウガは生で食べるのが美味。

        関西圏のスーパーに置かれているミョウガのほとんどは高知県産で

                 高知とミョウガの接点は深い。

         鰹のたたきに添える薬味に使われることが多いミョウガですが、

    数年前にミョウガだと思って(葉に独特の香りがあった)近くの山から採取したモノを庭に植えていました。その後の観察でミョウガではないということが分かり、名前もワカランまま気にも止めず数年を経た今年・・

         image002.jpg

          葉の間からトンガリ帽子のような花が咲き出てビックリ!

     今までとは違う事態に直面することで、どうでもよかった植物の名前が判明。

         当初感じたミョウガは正解・・判明した名前は“ハナミョウガ”。

     花が咲いたミョウガをハナミョウガと呼ぶことがあるので紛らわしいですが、

      ショウガ科ショウガ属が“茗荷”でショウガ科ハナミョウガ属が“花茗荷”。

       漢字で書くと全く異なる生姜(根を食用)と茗荷(花穂を食用)ですが、

           強烈なニオイを発散する点では生姜も茗荷もいい勝負。


          image004.jpg 


           初めて知ったハナミョウガの花は個性的で目立ちます。
           
    オレンジ色の小さな蕾が垂れ始める時が開花サイン。

              垂れた状態からパカッと上下に開くと・・


      image006.jpg

                 花ミョウガの花は妙に妖しげ。
       
    花の中(蛇の口のようにも見える)からニョキっと出ているのがメシベ?
        
    今まで気にもしなかったハナミョウガが咲かせた花がキッカケになり、

                 その周囲はキレイになりました。   

    ヘルメス

    • 2010.05.25 Tuesday
    • 22:17

                    

    二匹の蛇が絡み付く杖の持ち主はモラルを踏み外してでも楽しさを重視するヘルメス。彼の母はプレアデス7姉妹の長女マイアで、そのマイアの父親がゼウスと敵対関係にあったティタン族アトラスでした。地球の西端(何を中心に置くかで設定される西はバラバラ)で天空を背負っているのが世界の河川を象徴するオケアノスの孫。
    彼の肩にかかる重圧の原点は“ティタノマキア(ティタンの負けや)”という新旧の対立にありました。負け組(旧)に属していたアトラスはゼウスの命令でその重い荷物を背負うことを余儀なくされ現在に至っています。

    アトラスがもし重圧に耐えられず背負い物を放り投げれば地球はどうなるか。答えは間違いなく汚れたままの地球が存在するだけで何の変化も期待できないけれど、放り投げる時の勢いで少しは埃がふっ飛ぶかも。埃まみれの地球で重い荷物を背負わされているアトラス(長男)の弟が人間に火の扱い方を教えたプロメテウス。その次の弟がパンドラを妻にした気楽さが売りのエピメテウス。ギリシア神話ではエピメテウスとパンドラの子孫が地球人ということになっています。

    一方ゼウスとマイアの間に生まれたヘルメスもエピメテウスに引けを取らないぐらい気楽な人物でした。ヘルメスの祖父がゼウス(オリンポス)に敗れたアトラス(ティタン)で、彼は最高神ゼウスの息子という立場にあると同時に母親の持つ小さな☆的要素も持ち合わせています。父に対する従順さの裏で節操のない遊び人でもあり、彼が羽根の生えた靴を履いていた理由は自分の足で歩けなかったから? しかも杖を必要としていることから考えるとヘファイストスのように足に障害があったかも。

    彼の杖の先端部にも羽根がついているので、どちらかといえば大地を踏みしめ歩くより空中でフワフワしたいタイプのよう。足が不自由であることの共通点はフワフワ。海でも空でもフワフワ。生き方もフワフワ。日本では根付きにくいフワフワ感を持つヘルメスの杖に絡み付くのが足のない二匹の蛇。彼が生まれたのは牧歌的楽園にたとえられるアルカディア(キュレネ山)の洞窟で同じ洞窟生まれだったのが父ゼウス。

    人の眠りや夢に侵入するのに不自由な足であることは問われず、節操のないヘルメスが夢に侵入する時のトレードマークは羽根のついた杖と羽根と生えた靴。フワフワのヘルメスがうまく侵入し、夢物語が完成すれば間違いなくその作者はヘルメス。幸運を運んでくれると同時に盗みの神でもあるので、自分の大切なモノを盗まれないように・・ フワフワの裏を返せば悪事あり!

    糸杉

    • 2010.05.24 Monday
    • 22:13
                  糸のように一直線に伸びる木は“糸杉”。
            ドッシリ腰を据える木とは正反対のスリムな木。

      杉という名前からスギ科に属する木と思ってしまいますが、実はヒノキ科。

             西洋檜がイトスギのことで紛らわしい名前!

    イトスギの英語名はサイプレス(cypress)、そしてヒノキの英語名もサイプレス。

             サイプレス最大の特徴は腐敗しにくいこと。

       腐敗しにくい理由は虫が寄り付きにくいイイ香りを放っているから?

         神聖さを象徴するイトスギは絵画にも取り上げられています。

      

     

    これはアーノルド・ベックリン(1827年〜1901年)が描いた『死の島』という絵。

         不動の象徴である巨岩そのものが島になっている孤島が死の島?

       “動”を生の世界とすると死の世界は不動すなわち“静(聖)”の世界。

           イトスギは静かな場所を好んで成育するということかな。      

    岩場ばかりで土があるようには見えないけれど、狭い場所で元気に成長しています。

                    

       この絵が象徴するように糸杉は死の象徴で墓地に植えられることが多い。

      ここで不思議に思うのはヒノキ科に属する西洋ヒノキ(日の木)が死の象徴?

       杉との縁は全くないのに何故かイトスギと命名されていることの奇妙さ。

        ついでながら聖書にイト杉と合わせて出てくるレバノン杉はマツ科。

            スギ科ではないのに糸杉にレバノン杉・・何故?

       想像を膨らませて思うのは属するグループからはみ出してしまったのが
                   糸杉にレバノン杉。

          小舟で死の島に寄り付こうとしている人も死に装束風ですが、
                 実は俗界を離れた生者かもネ。

    ミショウカン

    • 2010.05.23 Sunday
    • 22:11
      和製グレープフルーツと呼ばれているのが今一つ知名度のない“ミショウカン”。 
         
    シーズンの終ったブンタンや子夏に比べミテクレは極めて悪い。

     しかし太陽の陽射しをタップリ受けた結果の悪い外見で、
            
    味はむしろ傷のないブンタンより美味しいと思う。
     傷イッパイのミショウカンなら、さらに味はジューシーで苦みは全くありません。
        
    甘夏(苦いのにどうして甘夏なの!)のあの苦みは全く口に合わない。

      こんな不味いモノ作るな〜!と叫びたい気分なのに対して
       
     ミショウカンは外見からは想像もできないぐらい中身が充実しています。

       皮を剥いて食べる柑橘類は何といっても中身が大事!

            

            グレープフルーツの産地は太陽サンサンのフロリダ。
    ミショウカンの産地はミショウという名前の元になった愛媛県御荘(今は愛南町)。
     
    ブンタンや子夏のように店頭に並ぶことが少ないミショウカンを知ったのが
          
    その御荘(みしょう)近くにある四国霊場40番の観自在寺。

    参道で売られていたミショウカンを買って帰って以来ミショウカンの大ファンに・・

           一般のミカンのように食べてみないと分からないという
              不確かさに出くわすことはまずありません。
        
    太陽光を受けて育ったという証しがミショウカン(美生柑)の傷で、

        傷だらけの外見に惑わされない人だけがホンモノの味をキャッチ!

    調和の行方

    • 2010.05.22 Saturday
    • 22:30

                   


    ゼウスと正妻ヘラの間には二人の男の子(ヘファイストスとアレス)が誕生しています。
    長男ヘファイストスは顔立ちの醜さと足の不自由さが原因で両親に捨てられた過去がありました。ゼウス直系の子は相反するタイプのヘファイストスとアレスが継承することになるのですが、昔も今も絡み合うのが男女の仲。 美を象徴する女神アフロディテが夫に選んだのはモノ作りに長けていた長男の方で、気が多い彼女は夫の弟とも不倫関係にある筋書きになっています。現代にも通じる三文小説風三角関係を形成しているのが最高神ゼウスと正妻ヘラの間に生まれた二人の息子。

     
    弟アレスは美貌の持ち主であるのに対し兄ヘファイストスは足が不自由な醜男に設定され、男なら誰しも憧れる美の女神を絡ませ展開していくのが古代ギリシア人の脳から生み出されたギリシア神話。兄と結婚し弟と情を通じる女性アフロディテは愛人アレスとの間に二人の男の子と一人の女の子を誕生させました。タイプの異なる兄弟を相手にネチネチした三角形の頂点に立つのが美と同時に嫉妬心も持ち合わせているアフロディテ。

     
    正式な夫婦ではなかったアレスとアフロディテとの間に誕生した二人の男の子は“敗走(ポボス)”と“恐慌(ディモス)”で、もう一人の女の子が“調和(ハルモニア)”。オオカミとイノシシを従えるアレスは一直線に突き進む荒ぶる神。しかしアフロディテと結婚(混合)することで突き進む要素は消え、アレスの直線的闘争心に代わり産み出されたのが恐慌による敗走? その結果として意外なハルモニアが誕生しているように思います。アフロディテと結婚することでオトコに偏り過ぎていたアレスの闘争心は緩和されたのかも。男女を問わずバランス感覚が大事ってことかな。

     
    さて軍神アレスの子として誕生したハルモニアのその後を追ってみました。男女の調和がとれたハルモニアの人生は幸せとはいえず、彼女は蛇となって最後を終えることになります。彼女はギリシア中部に位置するテバイの建国者カドモスと結婚。オリンポス神までが出席する豪華なウェディングが開催され幸せイッパイでスタートする二人。しかし晩年までその幸せは続かず、母国テバイを後に放浪の旅へ・・ 酒神ディオニュソスの母となるセメレが二人の間に誕生していますが、セメレの兄弟姉妹はこの世に適合しにくいタイプばかり。だから酒に頼りたくなる?

                    
    建国した国テバイを去ることになったカドモスとハルモニアの最後の姿は共に蛇。 

    青い斑点のある黒蛇(この世に存在する?)になった彼らをゼウスは至福の島に送ります。 至福の島なら調和がとれたハルモニアにふさわしい日々が送れそう。人を酔わす酒神ディオニュソスの祖母がハルモニアということになり、この世を生きるには酒でも飲まないとやってられない! 調和が欠落したこの世で手も足も出ないというより、手も足も出したくなかったのがハルモニアの本音?

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