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- 2022.04.05 Tuesday
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かつての社会が判断した結婚適齢期は男女とも20代が多かったですが、恋愛を重視する恋愛適齢期に年齢制限はありません。とはいうもののイイ年したオジン&オバンが燃えるような恋愛を創造するナンテことは考えにくく、経済的理由の下心があったとしても寂しさ解消のため♂と♀が接近するのは世間でもよくあるパターン。しかしこの映画に登場する熟年男女は魅力的! 20代の女性しか相手にしなかったのがジャック・ニコルソン扮するハリー63歳。一方 20年の結婚生活にピリオドを打ち劇作家として活躍していたのがダイアン・キートン扮するエリカ54歳。
劇作家として名を馳せたエリカは海が見える場所に別荘を構え、夢のような場所で執筆していました。ハリーと出会ったのもこの夢のような場所で、海辺を散歩したり白い石を拾ったりして過ごせる環境にあったのがエリカ。経済的自立を果たしていた彼女は男がいなくても大丈夫なクールタイプでもなく、キャリアを求めて仕事だけに燃えるタイプでもなそう。原題(Something’s Gotta Give)が示しているように“何か変化することが起こらなければいけない”と感じていたエリカが出会ったのが娘の恋人だったハリー。
オモシロイのはジャック・ニコルソンの尻だけヌード。目に焼き付いて離れないニコルソン(ハリー)の尻はエリカによって脚本化され、舞台で上演されるまでになっていました。そのエリカを演じたダイアン・キートンのヌードもこの映画で観察することができます。互いの裸を見た二人の仲は急速に深まり、若い女性しか相手にしなかったハリーの伝説は崩れ去ります。変化する必要があったのはエリカよりハリーの方だったのかも。自分がリードできる女性ばかりを相手にしていたハリーはエリカの反応に興味を示しつつ彼女との距離を保とうとしています。深い恋愛の傷を怖れるハリーと傷をバネにして脚本を書き上げるエリカ。イザとなれば強いのは女性?
また身につまされる思いだったのが老眼鏡を取り違えていたにもかかわらず、二人とも相手の老眼鏡を使い続けていたこと。若い世代にはピンとこない老眼鏡ですが、本屋で立ち読みもできない環境に置かれて初めて感じることができるシーン。そんな老眼鏡世代の二人を怪訝な顔で見つめていたのが老眼鏡にはまだ縁がないジュリアン。
パリのレストランでそんな二人を見てしまった彼は自ら身を引くことを決意し、振られたはずのハリーのそばにはエリカが・・ 老齢になっていたハリーが一途にエリカを追いかけた結果のハッピーエンド。
* 監督 ナンシー・メイヤーズ * 2003年(米)作品
* 出演 ジャック・ニコルソン ダイアン・キートン キアヌ・リーヴス
★ 最後の最後でジャック・ニコルソンが歌う味のある♪La Vie en rose(バラ色の人生)♪が聴けます。
YouTube - Something's Gotta Give
飛梅伝説で有名な飛ぶ梅は菅原道真の屋敷“紅梅殿”の庭に生えていました。大宰府に左遷された主を追いかけ西方に飛んだ梅はもちろん白梅ではなく紅梅だったはず。
ところがその飛んだ紅梅が主のそばで根付いた梅は白梅だったそうな・・ナンデ? 紅梅から白梅に変わるタイミングはいつだったのか。
紅梅の 紅の通へる 幹ならん 虚子
しら梅の かれ木に戻る 月夜哉 蕪村
道真が求めた“匂ひおこせよ”に対応できる梅なら紅でも白でもOK?
また1本の木枝から紅白の花が咲く紅白梅という梅もあるようで
渾然一体になることが可能。
道真に愛された飛梅は主との一体化を目指し、変色して飛んだ?
相手の嗜好に合うよう自分を変えることができたゼウスが白鳥になって交わった相手は“レダ(レーダーとも)”。レダが発していた電波をキャッチしたゼウスはレーダー網に映し出されたレダの存在を突き止めレダと交わった? ゼウスの目にとまった女性は必ず妊娠から出産・・今回の女性レダも人妻でありながら白鳥の子を出産することになります。
この絵はレオナルド・ダ・ヴィンチの弟子が模写したとされている何枚かある“レダと白鳥”のうちの一枚。多くの画家が魅了されたテーマ性の高い絵ですが、なぜか現存しているのはダ・ヴィンチの弟子のものばかりで元のオリジナル作品は残されていません。模写とは元の絵を単純に真似ることではなく、他者(本来の作者)の作品を忠実に再現することで、他者の考えを自ら体感し理解するための手法のこと。ダ・ヴィンチの弟子が師匠の絵を模写することでダ・ヴィンチの意図を理解しようとしたのが“レダと白鳥”?
死に瀕した白鳥がうたう歌を“白鳥の歌”と呼ぶことがあり、レダの耳元で囁いているような白鳥は白鳥の歌をうたっているような気もします。死ぬ間際に歌うということはその人物の辞世の句のようなもので、死に瀕した白鳥(ゼウス)を抱き締めているのがレダ。白鳥の仕草から想像するとレダに何かを訴えたいような・・
また垂仁天皇に嫁いだ狭穂姫の兄が天皇に刃向かったことで死んでしまう話がありました。天皇の子を宿していた彼女は生まれてきた子を残し彼女は火の中で命を全うする展開で、残された遺児(ホムツワケ)の話にクグイ(白鳥の古称)が登場しています。髭が伸びるくらいにまで成長していたのにホムツワケは一言も喋らずオジサンになっていました。そんなホムツワケがクグイを見た途端 言葉を発します。
“時に鵠(くぐい)有りて大虚(おおぞら)を度(だびわた)る”という表現から考えると、ホムツワケが目にしたものは自分を産んでくれた母サホヒメの姿だったのでは・・ 母の真実(炎の中で息絶えた時の心情)を感じ取ったことで言葉を発するようになったのがホムツワケ? 自分を置いて先に逝った母の心情を理解するキッカケになったのが白鳥を意味するクグイで、先に述べたダ・ヴィンチの弟子が模写する心情に近いように思います。
筋肉質でたくましそうな女性の股の間に割り込みキスしている白鳥が死に瀕するというより、キス相手の女性のほうが死に瀕しているように感じるのですが・・ 悩ましげな “レダと白鳥” を表現したルーベンスのこの絵ははもちろん弟子が模写したものではありません。
コノハナサクヤヒメが命懸けの火中出産で誕生させたのが海幸彦(長男)と山幸彦(三男で末っ子)。海と山の兄弟喧嘩(真ん中の子は無視された空同状態の兄弟)は初めから勝負ありで、兄は弟に追随するよう決定付けられた歴史が記紀に示されていました。追随する側に立たされた兄の血を受け継いでいたのが九州南部を居住区とする熊襲。その熊襲に似た“甕襲(みかそ)”という人物が垂仁紀に登場しています。また有無を言わさない天孫族(山系)に最後まで逆らった天津甕星の甕という漢字が使われている甕襲。海系の熊襲の“襲”と天津甕星の“甕”という二つの漢字で表現された人物を想像すると高圧的態度で人を支配する天孫族の血と相反するタイプ?
垂仁記に記されている内容では丹波国桑田村に住んでいたのが甕襲。甕襲は一匹の犬を飼っていました。その犬がムジナ(穴熊の別名)という山の獣(しし)を食い殺します。そして食い殺された山の獣(同じ穴のムジナ族)の腹の中にあったのが八尺瓊の勾玉。スサノオノミコトに切り刻まれた八岐大蛇の尾には三種の神器の一つだった叢雲の剣がありましたが、甕襲の飼犬に食い殺された山の獣の腹にあったのがやはり三種の神器の一つとなる八尺瓊の勾玉。切り刻まれた蛇や食い殺された獣が内部に秘めていたものが日本の根幹を支える三種の神器。
両者とも殺されることで日本の宝は出現しています。ネチネチと地面を這い回る蛇や昼でも同じ穴をネグラにするムジナは殺されなければいけなかったはず。日本の宝を個人に置き換えて考えると、人間の内面に巣くう蛇やムジナは自分で殺す必要があるのでは・・ 金に群がるムジナ族を殺したのが甕襲という名の人物が飼っていた足往(あゆき)と命名された犬。金や権力を振りかざす天孫族に対抗した天津甕星と従属者にされた海幸彦の血を受け継ぐ熊襲を合わせたような甕襲のアユキに拍手を送りたい! アユキは宝のある場所を見つける嗅覚と宝を独占する不法行為を許さない賢い犬で、その犬とペアを組んでいたのが丹波在住のミカソでした。
注目を浴びないまま黒い実をつけていつの間にか白い花が咲き、注目を浴びないままいつの間にかまた黒い実をつけて・・のグルグルした繰り返し? しかし剪定や掃除が一番ラクなのがシャリンバイかな。横に広がった枝先がクルリンと上向きに曲がるのが特徴で、上方向にドンドン伸びる他の木(枇杷や山桃)に比べ管理はスゴクしやすい。また枝と枝がぶつかり合わず隙間も多いことから樹形の良さはピカイチ!
冬には裸木になってしまう梅とは全く似ていないように思う常緑樹のシャリンバイ。
バイの由来は梅の花と似ていることから命名されました。
そこで確認してみることに・・
ウン!納得
米国民謡の♪オクラホマミキサー(わらの中の七面鳥)♪は余り知られていないオクラホマ州とは関係ありません。日本のある世代の人たちにとっては体育祭の後のファイアーストームで踊るダンス曲として有名。男女ペアで踊るオクラホマミキサー以外にも単独で踊るマイムマイムも楽しかった。単調なリズムのオクラホマミキサーに比べ活気あるマイムマイムの方がダンスとしては好きでした。
“わらの中の七面鳥”という題名で歌詞もキチンとあった歌がどうしてオクラホマミキサーという題名でしかもフォークダンスに使われることになったのか・・世の中は不思議なことがイッパイ! オクラホマ州という州もあるのに全く関係ないし、カリフォルニアミキサーでもジュースミキサーでも良かったのに、わらの中の七面鳥は日本でオクラホマミキサーとして有名な曲になりました。歌詞内容はわらの中に逃げた七面鳥を追いかける歌で、季節はクリスマスだった? こんな暢気リズムで七面鳥がつかまるかな。何はともあれウクレレ演奏の懐かしいオクラホマミキサーを聴いてください。
蘇をさらに熟成すると五味の第五を意味する“醍醐(乳を精製して得る最も美味なるもの)”というものになり、仏教の最高真理にたとえられています。長時間の熱で水分を蒸発させ濃い乳(蘇)から醍醐に至らせることは生きる営みの火を絶やさない醍醐味かも。そそくさ状態で蘇を完成させることはまずできません。ソソクサから抜け出すことで水臭い人間関係から水いらずの人間関係に蘇生することができるのではないかと思うのですが・・ 仮面舞踏会のこの世で自分本来の素性(そせい)を保つためにも自分の水抜きは必要!
水が抜かれ携帯することもできるようになった蘇(ミルク工房飛鳥)。
ほのかな香りとともに味わう蘇は故郷で聞いた“そ”?
音階の五番目もそ〜いえばソでした。
ふるさとの訛りなつかし 停車場の人込みの中に そを聞きに行く 石川啄木
妊娠した妻に向かってニニギノミコトが発した言葉は“自分の子かどうか分かん!”。浅はかな夫の言葉に対し火中出産で三人の男の子を誕生させ、疑いを晴らしたのがコノハナサクヤヒメ。天孫という立場にあった男が発した言葉は甚だ軽い。
妻を傷付けていることすら分からん口軽男の妻になったのが大山祇神の娘コノハナサクヤヒメ。当初、大山祇神は二人の娘をニニギノミコトに嫁がせていました。
しかしニニギノミコトの選択は二人の女性を妻とせず、醜い顔立ちの磐長姫はイラン!と拒否。
妻を妊娠させる前段階からすでに自己チューの性格だったようで、岩のように永遠なる夫婦関係を願って送られたのが不細工(細工されてない?)な磐長姫。美しい細工に彩られた女性は受け容れても細工されていないスッピンの女性は虚仮にする?
口が軽いうえゴソゴソした細工好きで自分のことしか考えない男に拒否された磐長姫は、自分の人生を棒に振らずに済みました。一方気に入られてしまった妹は夫の不快な言葉と闘うため危険な炎に飛び込みます。二人の姉妹を振り回すことしかしていないのが自分で落ちる場所すら決められなかったニニギノミコト。(ア〜アッ)
しずかさや 岩にしみ入る 蝉の声
岩にしみ入るのは蝉の声に加えて虚仮にされたイワナガヒメの苔。イワナガヒメを拒否した賑わう天孫グループに苔虫神の心情は理解できないと思いますが、21世紀の現代まで歌い継がれてきた君が代の苔むした巌に通じるのは天孫族とは相性が悪かったイワナガヒメ。天孫にどれだけ虚仮にされようとも静かな生き方を求めたイワナガヒメは日本の苔文化を象徴する存在で、日本人本来の感性に通じるワビとサビを内包しているように思います。
冬の食材として重宝するのが球状をなす白菜。すべての白菜が球のようにキチンと重なり合ってくれるかというとそうでもなく、下の写真(近くの畑)のように開いてしまう白菜も結構多い。 特に原種(地中海沿岸)は結球するタイプではなかったようで、品種改良の末 現在のような白菜に至っています。
中国を経て日本に渡来したハクサイのホントの故郷は陽光輝く(イメージでそのように感じてしまう)地中海でした。それぞれの葉は太陽の光を浴びたいはずなので結球したくない気持ちが本心? 大らかに開いたハクサイのそばには縄で縛られた痛々しいハクサイも・・
締りがない白菜は冬の陽射しを独占して大らかに育っていました。
水に映った自分に恋心を抱きながら死んだ美少年の名前(ギリシア神話)“ナルキッソス(narcissus)”が水仙の英語名。目で見るより鼻で感じる水仙のルーツは中国にあり、天にある仙人を天仙・地にある仙人を地仙・水にある仙人を水仙と表現していました。ということは水の仙人がナルキッソス? 俗世間を避け一人で森などに住み神(天仙?)との対話を目指す人が地仙と呼ばれる仙人タイプで、俗世間との折合いは極めて悪い。
水仙族のナルキッソスもまた自分に言い寄る女性たちを嫌っていました。俗世間の女性を相手に恋愛する気は毛頭なかったようで、相手にしたのは水の中に映った自分。叶うはずのない恋に落ちてしまった彼は水の中の自分を何度も抱き締めようとしますが、抱き締めると同時に形が崩れてしまうのが水の特徴。失恋の果てに憔悴した彼は水辺で死んでしまいます。その後、ナルキッソスが死んだ水辺に生えてきたのが水仙でした。
日本にも水仙の群生地として有名な場所がいくつかあり、大抵は海を見下ろす崖であることが多い。日本海に面した福井県越前岬(断崖)にこんな伝説が残されています。越前岬がある越前海岸近くに住んでいたのが仲良し兄弟の二人。兄は戦地で戦い、弟は家で留守番。戦地で負傷し家に帰って来た兄が目にしたのが弟に寄り添う美しい娘。道端に倒れていた彼女を助けた縁で弟の世話をするようになったらしいのですが、彼女が負傷した兄の世話も始めるようになった途端 始まったのが兄弟喧嘩。
その後の意外な展開が水仙とナルキッソスに大きくかかわっています。仲が良かった兄と弟が争うのを見て彼女は何をしたか。 断崖から荒海に大きくジャンプ・・いわゆる身投げですネ。兄弟喧嘩の幕引きをした彼女の感覚はもしかして自己犠牲という名のナルシズム? 彼女がいなくなってからの兄弟の様子は語られていませんが、ナルキッソスの場合と同じように越前海岸は水仙で埋め尽くされることになりました。
寒中に咲く香り高い水仙は海を見下ろす崖っぷちを選んで咲いています。俗っぽさを嫌うのが仙人でしたが、兄弟の間に挟まれ死を選んだ彼女は仙女だったのかも。
雪中花とも呼ばれる水仙の白い潔さは水仙の高貴な香りと順序立てて咲く下の写真が証明しています。
細い葉に挟まれた一本の茎(葉に紛れてほとんど区別できない)からいくつかの花が咲くのが日本水仙。咲く順番を守り方向が重ならないよう考えながら咲いているように感じます。対決好きの俗世間の人たちとの折り合いは悪くて当然!
其(そ)の匂い 桃より白し 水仙花 芭蕉