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- 2022.04.05 Tuesday
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人は過去に体験したすべての出来事を脳に刻むことはできません。楽しかったこともイヤだったこともその人の感覚で記憶されているように思います。しかし年齢とともに脳が健全に機能しなくなり過去のことはもちろん家族の名前すら分からなくなるのが“認知症”という病気。本人以上に家族が辛い思いをすることの方が多いこの病気に罹ってしまったのが主人公アリー。若かった二人が本気で愛し合ったストーリーを読み聞かせるのがノア。彼は過去のすべてを忘れてしまったアリーの記憶回復を心から願っています。
裕福な家庭で育ったアリーと田舎の材木工場で働いていたノアとは世間的に釣り合わない経済環境でした。また仲がいいのか悪いのか、二人はすぐに口喧嘩。親の反対もあり、別れることになった二人の再会が実現したキッカケは新聞に掲載されたノアの出世。婚約者がいる身で出世したノアに会いに行ったのはアリー。彼もそれを意識していたとは思うけれど、ここで改めて実感したのが結婚に必要なのはまず経済力。
特にお金に苦労していないアリーは貧乏な生活はできないはず。そんな環境で奮起したのがノアかな。
* 監督 ニック・カサヴェテス * 2004年(米)作品
* 出演 ライアン・ゴスリング レイチェル・マクアダムス
★ アリー創作の恋愛ドラマをキチンと読むことができたノアは命懸けで一人の女を愛しました。
YouTube - きみに読む物語
『奇』 も 『帰』 も “き” と読むこの言葉は遥か昔の漢代を生きた
“淮南子(えなんじ)” という人の言葉です。
生と死を対比させて表現した言葉に“生は難く死は易し”というのもあって、
これは誰の言葉?
エスマルは淮南子が感じた生と死の言葉は好きですが、
難と易で示した生と死の言葉は嫌いです。
生は奇妙・奇跡・怪奇・奇特そして事実は小説より奇なりの “奇”。
死は帰宅・回帰・帰還・帰着など自分本来の場所に “帰ること” ができれば
詩になる死。
生成りの生を気成りに生き、奇体験をたくさん積んで
帰るのは記紀に登場する黄泉国の黄なり。
日本を代表するお伽話の中で“桃太郎”や“一寸法師”に殺される側に立つ鬼がいるかと思えば“瘤取り爺さん”のように深夜踊り騒ぐ鬼も登場しています。諺にも『鬼が出るか(住むか)蛇が出るか(住むか)』という表現があるように鬼と肩を並べているのが蛇? “人間の心の奥底に潜む考えは計り知れない”というような意味で鬼と蛇が対になっているこの諺を推測すると、人間の心の奥底に潜んでいるのは鬼か蛇。角や牙がある強いイメージの鬼と手も足も出ない蛇ではタイプがまるで違っています。夢語り的なお伽話で殺されたのは鬼。そして神々が登場する記紀で殺されたのは蛇。
また陰陽道や風水で鬼が出入りすることで忌み嫌う方位が“艮(うしとら)”の北東で鬼門と呼ばれています。平城京から平安京に遷都する際も比叡山を鬼門に配するよう設計されたことは有名な話。ということは朝廷側に立つ人物が恐れるのは鬼?
また“鬼は外 福は内”の節分から鬼を考えると鬼の居場所は常に外で中に入れてもらえない? 仲間意識のない独立独歩型の鬼は仲間意識を大事にする朝廷側からすると目の上のタン瘤? そこで鬼の侵入を阻み平安京の平穏を保つために建てられたのが比叡山延暦寺。
恐ろしい形相で人を恐怖のどん底に陥れる怪物のような鬼がいるかと思えば、死者の霊魂を鬼に例えて表現する場合もあるのが複雑怪奇な鬼。牛の角や虎の牙がありウシトラ方向から侵入しようとする鬼は上半身が裸で下半身が虎皮の褌姿、そして金棒を持っています。当然このようなタイプの人物はチームワークを乱す恐れがあるのでますます蚊帳の外。常に部外者に置かれてしまう鬼の住処で有名なのが京都府北西部の丹後地方に連なる大江山。大江山という名の峰があるのではなく800m前後のいくつかの連山の総称が大江山。
方向的には北東から南西に連なりその地域の境界になっている峰々で、雲海が発生しやすいことでも有名らしい。大江山の鬼退治伝説はいくつかの話があり、退治されたのは土蜘蛛の陸耳御笠、それに英胡・軽足・土熊そして酒呑童子。要するに素直に従ってくれない人たちを朝廷人が鬼と呼び、そんな鬼グループが殺されたのがこの大江山辺り。雲海が発生しやすく似たような高さの峰が続く大江山は隠れ家にもってこい? 争いが絶えない社会と断絶し隠遁生活を始めたのが鬼かな。しかし結局は見つけ出され殺される羽目になった鬼。
スサノオノミコトが退治した八岐大蛇という蛇は日本の宝の一つとなった刀を内包していた蛇。手も足も出ない(出さない)蛇は殺されてもすぐに生き返るのが特徴ですが、独立独歩型の鬼は殺されてしまえばハイそれまで。ところで瘤取り爺さんに登場していたダンス好きの鬼も殺される対象になるんでしょうか。楽しい宴会が好きなだけの鬼が殺されるなら世も末だっ!
鬱蒼とした竹藪の中で根元が光っている竹を見つけたのは竹取の翁。そしてその光る竹筒の中に入っていたのが三寸(約9cm)の女の子。竹取の翁の子として育てられたその女の子は三ヶ月ほどで美しい女性に成長したという有名な話(平安時代に成立)は作者不詳のまま現代まで伝承されてきました。三寸しかなかった小さな女の子がわずか三ヶ月で美しい女性に成長する竹取物語で三日間とか三年間など頻繁に出てくる数字が“三”。三と竹の関係は?
多くの種類が確認されている竹ですが、そのほとんどに共通しているのは花が滅多に咲かないということ。地下茎で繋がり竹藪を形成する竹は60年から120年周期で開花するという説があり、ひとたびその周期で開花すると地下茎でつながった周囲の竹も一斉に開花し、地上に出現していたすべての竹が枯れるという話。地上で目にする一本一本の竹は地下でつながっているため何らかの影響を与え合っているのが竹かな。
こういった事実から民間伝承では竹の花が咲くと不吉なことが起こる前兆と考えられてきました。神秘的とも思われる竹の最後は共倒れ。共に生き共に死ぬのが竹族?
聟島で人工飼育され巣立ったアホウドリは北の大地アラスカで何年かを過ごした後、産卵のために帰って来ると考えられている所が自分の生まれた地。巣立ちの場イコール産卵地という風にインプットされている脳(帰巣本能)を持つのがアホウドリ。
昆虫・魚・鳥・哺乳動物など、考えたり探したりというより本能的に身に付けているのが帰巣本能。どんなに遠く離れていても自分の故郷を思い出し、その時期が来れば帰ることができるのがアホウドリ。決して阿房ではないはずなのに、何故阿房鳥(馬鹿鳥とも)ナンテ呼ばれてしまったのか。
“私の体で最もセクシーな部分は脳ミソである”と言ったのは昆虫記を記した“ファーブル”。何を見て、何に触れて、何を聞いてセクシーと感じるかはその人の脳が決めること。自分の脳だと思っていても誰かが侵入しているかもしれない脳構造こそが味噌かもしれない。
夏の炎天下にも屈せず、むしろその炎天を食べて巨大化(高さ1mほどにもなってた)していたのが真っ赤なケイトウ。夜の冷たい秋風にも屈せず、今の季節になっても枯れずに元気だったのでそのまま放置していました。そして久しぶりに意識して観察するとセクシーな乱舞を展開していたのがケイトウ。その艶やかな乱舞の舞の一つは違う種類のケイトウと寄り添いイイカンジ。セクシー色でセクシー咲きの鶏頭は実はセクシーな脳を持っていた? モノゴトが表面化するということはモノゴトより先行する脳がすでに決めているはず。
このエンドウ豆の新芽のツルもエスマルの目にはセクシーに感じます。何かに絡み付こうとして伸ばしたツルですが、何らかの棒が見当たらず自分でマイマイしてしまったエンドウくん。行き場のなかったツルを自ら絡ませたエンドウの意外なセクシーさ。そして一番セクシーでないのが人間の脳?
タイトル名を勘違いして金色の山という風に理解していました。よくよく見ると濁りがないコールドの方で冷たい空気に包まれた山に帰ることを目指していたのが主人公インマン(Inman)。南北戦争の南軍兵士として戦いに明け暮れ傷を負った彼は死を覚悟して病院から脱走。狂気の戦争が始まる直前、彼はその後の自分を支え続けることになるエイダ(Ada)に出会っていました。数回しか言葉を交していないのに、インマンとエイダは互いに互いを支え合う関係という設定で物語は始まります。離れていても相手が自分を想っていてくれる、そして自分も相手を想っているというハイレベルな愛を目指していたのがインマン&エイダ。
一方のインマンも故郷を目指し、長い距離を自分の足で歩き続けていました。初めの二人の出会い以降、映像はインマンとエイダを交互に映し出していきます。病院を脱走したインマンは何度も何度も死の淵を覗き込む体験をし、その度に誰かに助けられ何とか命をつないでいきます。彼の目的は自分の故郷であるコールドマウンテンに帰ることだけ。そこには愛するエイダが待っていてくれるはずだから・・他の脱走兵はみんな撃ち殺されてもインマンだけは生き残り、神が定めたコールドマウンテンへの道を目指します。そんな特殊な運命を背負ったインマンを助けたのがチェロキー(北アメリカ先住民)のバアサン。
きっとこのバアサンもインマンを助ける役目があり、その役目を果たしただけ。神に選ばれたインマンの厳しく冷たい道を察知していたのがこのバアサンだったのかも。
その頃、エイダとルビーが暮らす農場でも脱走兵狩りの義勇軍と称する男たちがうろつき、ヤルことナスことすべて荒々しい奴らは脱走兵の息子を匿った家族(エイダの隣人)にひどい仕打ち。平気で無抵抗な家族を殺す奴らの精神こそ殺される必要があるのでは・・そんな奴らに比べると、脱走兵という罪を背負ったインマンは多くの敵を殺しはしたものの荒々しいだけの男ではない。そのインマンとエイダが再会した場所は雪に覆われた深い山。しかし互いの愛を確認した二人に待っていたのはしつこい義勇軍の追跡でした。
やっと再会できた二人だったのに彼らの筋書きは切ない。インマンの長い旅は目的のコールドマウンテンで終わり、そこで彼を抱き締めたのはエイダ。“アイ・ケイム・バック(I came back.)”という何気ない言葉が持つその深さを感じました。
* 監督 アンソニー・ミンゲラ * 2003年(米)作品
* 出演 ジュード・ロウ ニコール・キッドマン レネー・ゼルウィガー
★ 男たちの暗い戦闘シーンと残された女たちが耕す広大な田園風景が対比的に描かれています。
YouTube - Could Mountain Scene- Inman talking about going back to Ada
ハロウィーンのランタンに使われるのは皮がオレンジ色のドデカイカボチャ。
カボチャの種類は多くあり、形や大きさも違うし皮の色もさまざま!
しかし中身の色は大抵オレンジ色。
ハロウィーンで闇夜に光を与えるのにカボチャが選ばれた理由は
中の世界がオレンジ色だから?
同じ頃に収穫する胡瓜や茄子は冷蔵庫に入れておいてもすぐ腐るのに、カボチャは夏から冬まで常温で放置しても腐りません。気温の変化に影響を受けず長期保存に適しているカボチャは実りが期待できない冬のエネルギー源。多くの種類があり味も微妙に異なるカボチャの中で初めて知ったのがヒョロ長い“瓢箪カボチャ”というやつ。
ハロウィーンには使えそうにない代物で、中身をくり抜くことはまず不可能!
一部だけを見るとどうってことのないカボチャなんですが全体の姿はこんな感じ。
その瓢箪カボチャの花が秋の深まりを増した今頃になっても咲き続けています。
大阪のスーパーでは見たこともなかったのがカボチャのイメージを覆した瓢箪カボチャ。種も少なくほとんどが実。
ハロウィーンには見向きもされない瓢箪カボチャですが、
人に与えるオレンジ色のエネルギーはパンパンの中身が証明してくれます。
風光明媚なこの場所はusaです。
大文字で示すU.S.A.は太平洋の東にある国(しかし西洋と呼ばれている)で、ローマ字読みのusa(宇佐)は高知県土佐市の山間部にある四国霊場35番・清瀧寺から海に近い36番・青龍寺に向かう途中にある太平洋に面した漁港で賑わう港町。向こうに見えているのが宇佐湾で手前の建物が明徳義塾高校の国際キャンパス。杜撰管理で立ち行かなくなった“グリーンピア土佐横浪”というかつての公共施設を買い上げたのが経営上手な明徳義塾。
写真の一番手前に見えているのが蟹はいない“蟹ヶ池”。絶滅危惧種に指定されたベッコウトンボが生息する場所(昭和50年代ぐらいまで)として知られていましたが、植生豊かな池や沼を好むベッコウトンボはいつしかこの湿地帯から姿を消しました。ベッコウトンボが成育するには記紀に示されたアシ・ヨシ・ガマなどの挺水植物が繁茂する葦原中国のような場所が求められます。要するに昔の環境を残している湿地帯であることが必要なようで、ベッコウトンボが生息できる場所は日本の原形をとどめている場所ということになりそう。
念願の終着地点となった橿原で即位した神武天皇が詠んだ国見歌にもトナメ(雌雄が互いに尾を含み合って輪になって飛ぶこと)をしているトンボ(蜻蛉)が登場していました。日本の原風景と考えられる場所を選んで生息するのがベッコウトンボ?
以前は宮城県以南の本州・四国・九州に広く分布していたベッコウトンボですが、
現在は限られた池や沼地でのみ生き残り絶滅は何とか免れることができました。
ベッコウトンボが生息している場所に行けば葦原中国に近い景色が確認できると想定すると、ベッコウトンボは本能的に昔の日本を知っている?
蟹ヶ池の向こうに見えている三角屋根のあるトコロが青龍寺。
波のない水面に映し出された逆さまの世界も美しい。
ココでベッコウトンボに会うことはできないけれど、
まだまだ豊かな自然が残されています。
こんなシーンに出会える一瞬こそが散策の宝物。
遍路旅の計画に蟹ヶ池散策も加えてネ。
播磨国風土記に紹介されているのが何々丘になった由来をダラダラ説明する伊和の里の地名説話。話の主役は“大汝命(オオナムチ)”とその子“火明(ほあかり)命”。火明命といえば記紀にも登場していた名前で天孫ニニギノミコトの兄ニギハヤヒの別名が火明命。神武天皇になる前のイワレビコが大和に入る際 侵入を拒否したナガスネビコが信じていた神で、ニニギノミコトが日向に天降る遥か以前に天磐船に乗り河内国(大阪府交野市)に天降っていたのがニギハヤヒ。天孫(ニニギノミコト)ルーツ以前の古代日本の統治者がニギハヤヒすなわち今回の主役・火明命?
その火明命の父親がオオナムチという設定で風土記伝説は始まります。母親の名が記されていない播磨国風土記に登場する火明命は気の強い子で行動も激しかったことから父・大汝命は困り果て我が子を棄てる計画を立てました。その棄て場所に選んだのが“因達(いだて)の神山”で現在の八丈岩山(姫路城の北西)という低山。
この因達の神山で火明命に水汲みをさせている間に逃亡計画を立てていたのが父親。ということは因縁がありそうな因達の神山は低い山(約173m)なのに水が湧く山だったのですネ。
“大人は信じられないイッ!”という火明命の悲鳴が聞こえてきそう。信じる父と一緒に因達の神山に来て、まさかそこで棄てられるなんて思ってもいなかったはず。
素直な性分なら尚更のこと、水を汲んでいる間に逃げ出した父に対する怒りは低い神山の頂点で済むわけない。信じていた人物に裏切られた火明命の苛立ちは激しい波風を引き起こし、父が逃亡計画のために用意していた船は海上(この辺りはかつて海)で立往生。あげくに父の乗りこんだ船は息子の怒りで木端微塵になったという話。
譲渡の決定権を二人の息子に委ねた大国主神はオオナムチ時代も大国主神になってからも自分で決めるのが苦手?
記紀における国譲りを最終決定したのは大国主神の次男だった事代主神。播磨国風土記に登場したオオナムチは手に負えない息子から逃げ出す計画を立てたものの事態発覚で万事休す状態。そんな父が立てた計画に騙されることなく父を苦しめた火明命は古代日本を背負うだけのパワーの持ち主。日本の西に降臨したニニギノミコトより日本の大和に近い河内に降臨したニギハヤヒの方がずっと力持ち? しかし記紀では古代日本を支えていたニギハヤヒは何故かニニギノミコトの曾孫イワレビコに皇位を譲っています。波風を立たすタイプだったニギハヤヒが素直にイワレビコに従うというのも怪しい話ダッ!