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    瓜に関する考察

    • 2009.08.31 Monday
    • 22:17

                  

    二つに割った瓜が似ていることから生まれた言葉が“瓜二つ”。一卵性双生児の兄弟姉妹も見分けがつかない瓜二つ。そして記紀神話が語る英雄で名高いヤマトタケルも双生児でした。日本書紀が伝えるヤマトタケルの父は景行天皇(12代目)で80人もの子がいたことで知られる多産系家族の大黒柱。その80人のうち景行天皇の初めての子として生まれたのがヤマトタケル(小碓命)。彼には双子の兄(大碓命)がいましたが、弟(小碓)が兄(大碓)を殺害する事態を招いたことから結果的に小碓命が景行天皇の長男ということに・・

    瓜二つだった大碓(おおうす)&小碓(おうす)の大小コンビのうち生き残ったのが弟の小碓命。朝夕の食膳時に姿を見せなかった兄を不審に思い、出てくるよう教え諭すことを弟に指示したのが景行天皇。五日経っても食膳に姿を見せない兄。父の命令に従い弟が兄に教え諭した方法はナント殺害。朝方 厠(トイレのこと)に立った兄を待ち伏せ、手足をもぎ取る処置で教え諭したのが弟。要するに瓜二つの兄を蛇に変えたのが瓜二つの弟。こうして瓜二つの二人のうち大きい碓は消えました。言葉で教え諭すことは無理だと考えた弟が選択したのは手も足も出ない殺害という手段。

    瓜に関する話で有名なのが瓜子姫と天の邪鬼。この二人の間にも殺害という行為が挿入されていました。瓜子姫の皮を剥ぎ、その瓜子姫の皮をかぶって瓜子姫が予定していた結婚式に参列するという笑えない話。ワザと人の言葉に逆らい嫌がらせをする人のことを天の邪鬼と呼びますが、一般人と反対タイプの天の邪鬼が何故に瓜子姫と関わらなければいけなかったのか。地方により内容は幾分異なりますが、民話の中に登場する嫌われ者“天の邪鬼”の相手役は必ず瓜から生まれた瓜子姫。機織り上手だった瓜子姫は天の邪鬼に目を付けられ、その結果多くの嫌がらせを受けてきました。

    桃から生まれた桃太郎は鬼征伐に出かけて行ったのに対し、瓜から生まれた瓜子姫は鬼に苦しめられています。どちらも果実である桃と瓜の違いを比べて感じるのは桃二つにはなりにくいこと。真ん中に大きな核となる種があるので真っ二つに割りにくいのが桃。しかし瓜は小さい種が寄り集まっているだけなので二つに割りやすい果実。
    また丸い桃から誕生するのが男の子で、楕円形の瓜から生まれるのが女の子?
    犬・猿・雉を家来に付けて鬼退治に繰り出すのは故郷が桃の男の子。そして天が故郷(?)である天の邪鬼に言い寄られ殺される運命にあるのが瓜を故郷に持つ女の子。

    タイプか異なる波乱万丈の桃太郎と瓜子姫ですが、二人の共通点は親が人間ではないということ。植物の実が落ち風で飛ばされたその実が川上から流れてくる状況は桃太郎も瓜子姫も同じ。イザナギノミコトが黄泉国からこの世に帰還することができたのは黄泉津比良坂(黄泉国と現世の境目)に生えていた桃の木でした。イザナギノミコトを追いかけていた黄泉国住人(醜女)たちが嫌ったのが桃。そんな桃から生まれた男の子が鬼退治に行くことから考えると鬼グループと桃は仲が悪い。

    一方 中が空洞になっている固い竹から生まれた女の子が向かった先は月。しかし中途半端な瓜から生まれた瓜子姫は殺害されてしまう運命を担っていました。その殺害に加わっていたのが天の邪鬼という鬼。天の邪鬼が興味を持って瓜子姫に近付いたということは鬼が好きなのは瓜? 瓜子姫を殺した挙句、瓜子姫の皮を剥ぎ自分の身にまとう奇妙な神経はどこから来るのか・・しかも瓜子姫の代わりに花嫁として結婚式に参列しようとする天の邪鬼は女になりたかった男? あるいは男と結婚したかったのがアマノジャク? 特異体質っぽい天の邪鬼の住処は天。

         
      我に似な ふたつに割れし 真桑瓜      芭蕉

    似ても似つかぬ瓜子姫と天の邪鬼が主役を務める日本昔話の別ヴァージョンでは最後に殺されるのが天の邪鬼。殺し殺され大変な関係の二人ですが、鬼グループと仲が悪い桃グループはどうなんでしょうネ。

    ブラック・レイン

    • 2009.08.30 Sunday
    • 22:24
           

    日本のヤクザを扱った極道映画は興味がなく観たいとも思わないけれど、独特の映像表現が得意なリドリー・スコット監督が描いたヤクザのプロ(松田優作が演じたサトー)は無口で無表情でヤクザっぽくあるのかないのか・・とにかくほとんど喋りません。変なヤクザ用語を使って子分を罵るような雰囲気があるヤクザ世界は耳触りで気分が悪い。そんなヤクザの一人サトーは黙々と人を殺す寡黙な殺人犯。

     
    大阪を舞台に展開するこのハードボイルド映画から受けた印象は靄に包まれたような異空間。スコット監督の手に委ねるとガヤガヤした大阪の街も蒸気のような白い煙が噴き上げる怪しい空間になり、その怪しい空間でうごめく魔物たちの映画に変身してしまいます。偽札の原版をめぐって対立する闇社会の中で暗躍するヤクザは魔物。
    魔物の実態にイチハヤク気付いたのが統制された日本の警察ではなく、統制から大幅にはみ出していた外国人刑事ニックでした。


                     

    アメリカ映画でありながら舞台は日本に設定されているので異文化の違いが明確に感じられます。人間同士のコミュニケーション手段となる言語の壁を超えて心が通い合うのに必要なものは暴挙? 日米二人の刑事(高倉健が扮したマサとマイケル・ダグラスが扮したニック)が殺人犯サトーを追いかける映画ですが、日本のルールや秩序を乱してでもサトーを逮捕したいニックとその影響を受け組織の穴から飛び出したマサの男同士の友情もいい。終始英語を喋っていた健さんですが、舞台は日本なのでマイケル・ダグラスに日本語を喋ってもらうのは無理? ドーモアリガットだけでは話が続かないけど・・ネ!

     
    友人チャーリーの仇を討つため執拗に食い下がる個人主義のニックと組織の中の一人として大きな枠からはみ出せないマサ。組織体質で構成されている日本は組織の中で黒いものを見てもシロと判断しなければいけないよう仕向けられる世界。もちろんアメリカも似たり寄ったりの組織だと思いますが、個人で動くには勇気が必要ということでしょうね。そういう観点からこの映画に登場していたサトーを考えると個人で動けるトップの悪人。真の悪人は無口で無表情で孤独であること?


          

    暗い映像が続き、その見えにくさに目が慣れてしまいそうな映画の中盤で鉄工所内の溶鉱炉で火が飛び散るシーンが出てきます。ブラック・レインとは原爆を意味する黒い雨のことではなく、鉄を精錬する際の手順に必要な溶鉱炉で飛び交う火を表現しているのではないかと感じました。いい鉄を生み出すには鉄の中に含まれているカスのようなものを取り除くことが必要で、そのためには固い鉄がドロドロになるまで温度を上げて溶鉱炉で溶かさなければいけない。比重が異なるカスが沈殿することでいい鉄が生み出される仕組みを人間に当てはめれば、ドロドロの醜い闘いを経てホントの人間関係が形成されるのかもしれません。

     
    大阪という都会を舞台にしてスタートしたこの映画の終盤は広い田んぼや畑をかかえる農村が舞台になります。尺八風の音色と光と影の演出はヤクザ映画とは思えない雰囲気でニックとサトーの激しい泥仕合が展開するのですが、その泥まみれになって闘っている場所が神社などにある注連縄で巻かれた木が林立しているトコロ。“あの映画のココが分からない”という疑問の声にあったように二人は闘いの最後にニョキっとした木が地面から突き出しているのを交互に眺めそれで闘いが終了になっているように感じました。二人の間に奇妙な間が発生し棍棒のような木が地面から出現することに何か意味があるのか・・明確な答えは分かりませんが、二人の泥仕合が行われた場所は注連縄が張られた神聖な場所だったということが映像から伝わりました。

     

    * 監督 リドリー・スコット    * 1989年(米)作品
    * 出演 マイケル・ダグラス  高倉健  松田優作  アンディ・ガルシア


    ★ この映画が遺作になった松田優作の寡黙で存在感のある演技が光っています。

     

                YouTube - black rain theme

    クーを信じたカメハメハ

    • 2009.08.29 Saturday
    • 22:22
                     

    旧約聖書創世記やギリシア神話が伝える世界の始まりはカオスという名のすべてが混濁した暗い状態からスタートしています。楽園のイメージが強いハワイもその例にもれず、ハワイの創世神話“クムリポ(口承で受け継がれてきた一大叙事詩)”でも世界の始まりは昼がない夜(ポー)だけの世界として考えられていました。光(昼)が誕生するためには闇(夜)が設定されなければいけないようで、明るい場所で確認できない光は闇の中にあってこそ真の力を発揮することができました。

     

    そして暗闇ポーから生まれたのがサンゴ・フジツボ・ナマコなど海底に生息するもの。光のない世界でも生きていける彼らに続いて誕生するのが魚・植物・爬虫類・鳥という風に続きます。その後 家畜として人間に飼われるようになる犬や豚が誕生し、人間が生まれるのは最後の最後! 旧約聖書が伝える話も神が最終日(六日目)の最後に自分に似せて造ったのが人間でした。因みに混沌という闇から神の“光あれ”という言葉で光を生み出したのは初日。

       
    暗闇が生き物でイッパイになった後に生まれてくるのが神々。その神々が抱き合う男ワケア(天空神)と女パパ(大地母神)を無理やり引き離して誕生するのが昼。
    暗闇が続いた原因は天と地が固く抱き合い隙間がなかったこと。
    昼がこの世に誕生するには固く抱き合っていた天と地が引き裂かれる必要がありました。こうして天地は神々に引き裂かれた結果、暗闇ポーに光が差し込み光ある場所に最後に生まれるのが人間。人は光がなければ生きていけない存在としてこの世に生を受けたのかも。

        
    ハワイ王家に属する人物が代々語りで伝承してきたクムリポを一般公開したのがハワイ王国7代目のカラカウア王。崩御する前年の1889年に公表されたクムリポは彼の妹でハワイ王国最後の王となったリリウオカラニ(♪アロハ・オエ♪の作者)が英訳したことで世界中の人々の目に触れることになっていきます。文字を持たなかったハワイの真実が世間に示されるキッカケになったのがハワイ王朝の滅亡? アメリカ合衆国50番目の州に加えられることになったハワイ王国が自国を証明するかのように明らかにしたのが壮大なる叙事詩。失われゆくハワイ王朝の根本が示されていると思われるのがすべてはポーから始まったとするクムリポ。

     
    ハワイ語で起源を意味するクムリポが伝えるハワイの主要な神はクー・ロノ・カネ・カナロアの4(日本では奇数が多い)神。そのなかでバラバラだったハワイを統一した初代カメハメハ王が信仰していたのが“クーカイリモク(土地の強奪者)”。
    ハワイ島出身のカメハメハがハワイ王朝の始祖となるわけですが、彼の出生に関する不思議な話が伝わっています。その不思議な話とはギリシア神話にも頻繁に出てくる神託のようなもので、当時ハワイ島を治めていた酋長アラバイはカフナ(神官)の以下のような予言を耳にします。

    “これから生まれてくる子供の一人が酋長を殺しハワイ全島の支配者になるだろう”というもの。
    そして予言通りカメハメハが各島の酋長たちを殺し、バラバラだったハワイ諸島を統一するという神話的筋書き。そのハワイ王朝創始者がすでに予言されていた“カメハメハ(寂しい人を意味している)”その人で、その寂しい人が最も深く信仰していた神が軍神クーことクーカイリモク。土地を強奪して一つにまとめ上げることができたカメハメハは正にクーが選んだ国王だった?

     

    クーは生け贄を求める神で、自分の命を投げ出せば必ず願いを叶えてくれる神。
    “死んで花実がなるものか”に対抗し、死んでこそ花実がなるとするのがクーの考え方? 生け贄を求める限りはその願いを聞き届けようとするクーの根本は中途半端ではない。祈りのポーズだけで納得しないのがクーの本質と考えると、切羽詰まった願いの証明が必要なのかもしれない。そんな厳しいクーを守り神に、予言通りハワイ王朝を確立したのが何故か寂しいカメハメハ大王でした。               

    クラッシュ

    • 2009.08.28 Friday
    • 22:26
          

    車や人間が激しくぶつかり合い、好き勝手な言葉で相手を罵り差別する人が多く登場する映画。そんなウルサイ人間のルツボと化した大都会L.A.を舞台に触れあいとは縁遠い人間同士のクラッシュが繰り広げられます。故郷も違えば習慣も違う人種の折り合いは難しく、さらに経済的豊かさに恵まれている立場にあるかそうでないかなどが絡まり単純な人種差別ではない根深い差別が感じられました。例えばドン・チードルが扮した黒人刑事グラハムには家を飛び出した弟がいて、母親は弟のことばかり気にかけています。車強盗を繰り返していた弟は結局死んで母の元に帰って来るのですが、グラハムの母親は出世した長男より心配させる次男を愛しているようで世間でもよく目にする親子関係が表現されています。


    人種の違いだけで差別が行われているのではなく、個人の感情が知らず知らずのうちに何らかの差別を生み出しているように思います。
    差別のない明るい社会を築くのは不可能では・・と感じさせる人たちの中で最も印象に残ったのが幼い娘を持つ鍵屋職人ダニエル。スキンヘッドが特徴的なメキシコ系の彼は安全な場所を求め引越しを繰り返していた真面目な男。拳銃の音に恐怖を感じベッドの下に潜り込んでいた娘に妖精の話をするダニエルは仕事で罵られても相手に反撃して闘うタイプではなく、サッサと身を引くタイプ。ひどい言葉(サンドラ・ブロックが扮したジーンやペルシャ系の小売店主)を投げかけられても黙々と仕事をする彼の姿勢は他の人たちからすると浮いています。
                    

    物静かな父ダニエルが不安を感じて眠れない娘に何も通さない透明マントを着せかけるシーンが印象的。どこかの親のように“そんなこと心配しないで早く寝なさい”という軽薄な言葉で娘に接することはありませんでした。不安を感じている娘の心を安心させるため父が語った夢のような話を信じた娘。一方 仕事で小売店主の家を訪問した彼はドアを変えなければいけないという忠告を無視して強盗に入られてしまいます。逆恨みから復讐を企てた店主がダニエルの家で体験した奇跡的出来事(裏がある)でその後の彼の表情は大きく変化していました。感情のもつれから喧嘩、果ては殺人にまで及んでしまう人間関係のなかで生まれた奇跡は人(店主)の心を癒し、他のぶつかり合いに比べ一番ホッとできたのがダニエル父子でした。

     
    この映画では主役となる人物が存在せず、ある人からイイことも悪いことも連鎖的につながる人間連鎖を描いているように思います。個人的感情が優先する人種差別は「差別反対!」と声高に叫んでも解消できるものでありません。多くの移民で構成されている米国だけでなく単一民族(一応)で構成されている日本も差別社会であることは間違いありません。差別のない社会が実現可能かどうかはさて置き、自分がどんな毎日を送りたいのかが大切だと思います。映画の冒頭で“人はぶつかり合いたい”という言葉がありましたが、ぶつかり合いたくない人も大勢いるはず。ぶつかり合いが触れ合いに変わるケースはほとんどないのが現状で、クラッシュが生み出すものはゴミだけ。そんなゴミ社会の中で引越しを繰り返しながらもダニエル家族のように静かに暮らしている人たちがいることをいつも思い出したい。


            

    カナダ出身(1953年生まれ)のポール・ハギスが脚本・監督(処女作)に携わっています。イーストウッド監督の“ミリオンダラー・ベイビー”や“父親たちの星条旗”の脚本も手掛け、2007年には監督二作目となる“告発のとき”を発表しました。特にこの映画の緻密な人間関係から発展していく、人が人に与える影響力は見応え十分。またスラングが飛び交う前半の人間嫌いに陥りそうな生々しい人間描写は迫力がありました。後半に至ってキレイすぎる人間関係になってしまったのが救いでもある半面、現実には起こり得ない空虚さになってしまったのが残念な気がします。

     
    しかしそんな空虚さの中でかなり執念深く生きていると感じたのがマット・ディロン扮する極端な黒人差別を行動に移すライアン。何を考えているのか分からん人間が多い中で、黒人をスゴク嫌っているのが丸ワカリのライアン。真正面からこれほど黒人を嫌っていることをぶつける人間もそういないのでは・・余りに露骨に出すライアンの仕事上の相棒はコンビを組むことを解消したいと上司に申し出ていたにもかかわらず、その後の事件でライアンの影響を受けたのかライアンっぽい行動をしていたのが笑えた。“人と人の関わりは影響を与え合うことなんだ!”というのが監督のメッセージ? それにしても自分とタイプが違う人と関わると疲れます。


    * 監督・脚本 ポール・ハギス   * 2005年(米)作品

    * 出演 マット・ディロン   ドン・チードル   サンドラ・ブロック


    ★ アカデミー賞作品賞を受賞した深い内容の主人公がいない人間連鎖映画。

                 YouTube - crash trailer

    原点はカオス

    • 2009.08.27 Thursday
    • 22:09
                       

    『古天地未剖“古(いにしえ)に天地(あめつち)未(いま)だ剖(わか)れず”』
    これは日本書紀冒頭の言葉で、その後『陰陽不分。渾沌如鶏子。』という言葉が続いています。日本開闢(創世)神話が伝える原初の様子は天地の区別ができない状態で陰陽の区別もなく、鶏の卵の中身のように混沌(渾沌)としていたことが表記されています。聖書やギリシア神話にも共通する世界の創世は天地・陰陽の区別がつかない混沌(カオス)が原点。そしてその後に続く言葉が『溟滓(くぐも)りて牙(きざ)しを含めりき』。内にこもる状態の“くぐもる”鶏の卵が鋭い牙のような兆しを含んでいるということなのか・・フ〜ム

     
    そして清陽なるものはたなびきて天となり、重く濁れるものは滞りて地となったという風に続きます。地より先に形成された天は陽を含む軽さと清らかさを持ち合わせていたのに対して、固まりにくかった地は陰を含む混濁した重さが感じられます。例えるなら水の上で魚が浮いて漂っている状態が地であると記す日本書紀。混沌から天地分離に至るのが内にこもっていた卵が割れた時? 殻の中に一体化してこもっていた陰陽(男女)の区別が決定されるのもこの瞬間?

              
    牙し(兆候?)を含む卵とは如何なるものか。何かが起こる前ぶれ現象をキザシと呼び、卵が割れるキザシとは殻にヒビがはいった状態かな。ヒビがはいると内にこもり続けることができなくなり外に飛び出すしかないのが卵の中身。そして飛び出した卵の軽いモノは天に、重いモノは地にと分離されることになったのではないか。陰陽で考えると真ん中の核になる黄身の部分が陽で、その黄身を保護する状態の白身が陰。ということは黄身で形成されているのが天で地は白身で成り立っている?

     
    しかし本来は二つで一つのものだった黄身と白身は殻が割れて別々の道を歩くことになりました。人間を例にして考えると陽の男性と陰の女性は本来一つのものだった可能性が・・黄身という男性要素を保護しているのが白身の女性要素。男女別々に区別されこの世に誕生する人間も本来(原初)の姿は男女が一体化したものだったのでは・・そして卵が割れた結果 天地が形成されトップに出現するのが陽だけを持った天御中主神。その後に続くタカミムスビ&カンムスビの二神も陽だけを持った独神で出現場所はもちろん天(高天原)。

    陽だけを含む別天津神(五柱)の出現後、神世七代が続きその最後(七代目)に出現するのが
    男女の区別が明確なイザナギ&イザナミの夫婦神。天地を陰陽の区別として考えるとイザナギとイザナミは住む場所が異なっているように思います。最終的に二人は仲違いをして黄泉国住人になってしまった妻を取り戻すため黄泉国訪問を果たす夫ですが、二人の終の住処は違ったまま。本来は一つのものだった陰陽を形成する夫婦神は多くの国土や神々を生み出したけれど、最後は夫婦喧嘩で歩んだ道は別々。

     
    天地に分離する以前は鶏の卵の中身のようだったと考えられるカオス。この世の原初がカオスなら、人も原初の姿は核となる黄身とその黄身を守ろうとする白身の合わさった姿だったはず。黄身のような君に出会えるか、あるいは黄身を守ろうとする白身のような君に出会えるかがその人の人生の豊かさを決定するように思います。

         

          君により 言の繁きを 故郷の 明日香の河に 禊しにいく

    この歌の故郷は飛鳥川。好きになった君との明日を信じて禊を実践しようとしている主人公。そして禊の場所に選ばれたのが故郷の明日香。明るい日の明日が来るか来ないかを決定するのは原初の姿に戻れるか否か。   

    オイディプスの哀しみ

    • 2009.08.26 Wednesday
    • 22:22
                  

    知らずに実の父を殺し、知らずに実の母と結婚した男の名前は“オイディプス(エディプスとも発音)”。実の親の元で育てられずに成長したオイディプスは生まれてすぐ捨てられる運命にありました。その原因は父ライオスに下されていたアポロンの言葉“子供が生まれればお前はその子に殺されるだろう”というもの。その神託を素直に信じ美しい妻イオカステに指一本触れずに結婚生活を送ってきたのがテバイ王ライオス。しかし酒の勢いに勝てなかった彼は結婚後初めて妻と交わり案の定イオカステは妊娠。酒の魔力が加わり誕生した子がオイディプス。

     
    父ライオスは将来起こるかもしれない悲劇に対処するため愛する息子オイディプスを山中に捨てる決心をします。実の子を先に殺しておけば自分が殺されることはなかったはずですが、我が子殺しをためらったライオスは結局自分の子とは知らずに息子に殺されることになるのが神託の怖さ。オイディプスという名前は実の両親が名付けたのではなく、ライオスが息子を捨てる際に黄金のピンで刺し貫いていた踵を意味するのがオイディプスという名前の由来。踵といえばトロイア戦争で活躍したアキレウスの弱点として思い出しますが、オイディプスは赤ん坊の時に踵を黄金のピンで射抜かれる体験をすでにしていたことになります。

     
    それでも彼はアキレウスのように死ぬことなくポリュボスの家来に拾われ、オイディプスの育ての親であり名付け親になったのがコリントス(湾と湾に挟まれた地域)の王ポリュボス。聡明で勇敢な男に成長したオイディプスの本当の国はカドモス(アレスが飼っていた蛇を殺した罪でアレスの怒りを買い妻ハルモニアと一緒に至福の島に送られた人物)が建国したテバイ(カドメイア)。しかし自分の国はコリントスと信じて疑わなかったオイディプスは自分のホントの父親はポリュボスではないと告げられ、自分のホントの父を問いただすべくアポロンに神託の伺いを立てました。


    “自分の実の父親は誰なのか”を知りたかったオイディプスに応じたアポロンの神託は以下のようなもの。
    『故郷に戻れば父を殺し、母を妻にすることになるだろう』という恐怖の言葉。コリントスが故郷だと当然信じていたオイディプスはコリントスに別れを告げ旅立つことになります。森の中をさ迷っていた彼はそこで大勢の供を従えた一人の老人に出会います。自分の持っていた杖でオイディプスを追い払おうとするその老人の態度に腹を立てた彼は思わず目の前の老人を殺害。この老人こそ彼の実の父親ライオス。アポロンの神託通り、ライオスはイオカステとの間に生まれた我が子に殺される結果となりました。


    一方 自分の実父を殺したとは思っていないオイディプスが向かった先は何故かテバイ。ホントの
    故郷だったテバイがオイディプスを招くように、黄金のピンで刺し貫かれた彼の足は本来の故郷へと向かっていました。運命の糸(意図)で操っているのは太陽神アポロン? しかしまだ事実を把握していない彼は知らぬが仏状態でテバイ王になるためのスフィンクスの謎解きに挑戦する余裕も持ち合わせていました。その謎解きに正解した(もし間違っていれば別の人生があったのに・・)オイディプスは念願通りテバイ王となり未亡人イカオステと結婚。二男二女を持つ夫婦として平穏な日々がこれから先も続くはずが・・

     
    ジワジワと彼の過去が暴き出される事態のキッカケになったのが養父ポリュボスの突然の死。オイディプス以外に子供がいなかったポリュボスの継承者はオイディプスただ一人。そんな事情でコリントスから遣わされた使者はオイディプスをコリントスに連れて帰ろうとしていました。「故郷には帰れない・・もし故郷に帰れば自分の父を殺し母と結婚することになってしまう」というオイディプスの言葉をそばで聞いていたのが妻であり実は母だったイオカステ。すべてを理解したイオカステは自分の部屋で首つり自殺。


    失意の果てにオイディプスは黄金ピン(死んだイオカステが身に付けていたものでかつて踵を刺し貫いたものと同じ)
    で自分の両眼を突き刺しました。“これ以上もう何も見たくない!”という打ちひしがれた彼の痛ましい心が伝わってきます。オイディプス自身が悪事に手を染めたり誰かを裏切った訳ではなかったのに彼の家族は不幸な死に方をしています。結果として母子相姦で誕生した二人の娘に手を引かれ諸国放浪の旅に出たオイディプス。

    諸説あるうちの一つが放浪の末、彼らが最後にたどり着いた場所がアテナイ。
    そのアテナイにあるコロノスの森で最期を迎えることになったオイディプス。悲劇的人生の最期は自らの目をつぶしたことで少しは緩和された? 故郷を離れようとしながら逆に故郷にドンドン近付いてしまった彼の目は辛いけれど真実を見抜くチカラがありました。

    • 2009.08.25 Tuesday
    • 22:19
              

    サスペンス映画の怖〜い穴ではなく、こちらはディズニー製作のユーモアがつまった“穴”。主人公はスタンリー・イェルナッツ(Stanley Yelnats)という変わった名前(姓)の少年。先祖代々イェルナッツ家の男性はスタンリー(イェルナッツの反対)という名前が付けられていました。線対称図形のように名前と姓が釣り合う関係の家に生まれたのが物語の主人公となる四代目スタンリー。しかし曾祖父(一代目)の代で豚を盗んだことが原因で呪いがかけられたと信じ込んでいたイェルナッツ家は不運なことばかりが起こっていました。

     
    舞台になったのが犯罪少年たちに穴掘りを命じるグリーン・レイク・キャンプという場所にある更生施設。グリーン・レイクとは名ばかりで雨が全く降らず樹木も育たない砂漠のど真ん中が何故かグリーン・レイク。しかしイェルナッツ家曾祖父の代の頃はグリーン・レイクそのもので、美しい自然に包まれた場所だったみたい。イェルナッツ家の名前同様、左右が反転するように砂漠化したグリーン・レイクの原因は白人女性が黒人男性を好きになったから? 途中で挿入される回想場面が現在の穴掘りと絡み、時空を超えたファンタジー映画の要素もタップリ。穴を掘ると自分のルーツが分かるのかも(ただ闇雲にそこら辺の穴を掘ってもダメ!)。

                    

    一日一穴掘ることを義務付けられていた少年たちを監視していたのがこの施設の女所長(名前はない)で、男顔負けでエイリアンに立ち向かったシガニー・ウィーヴァー(以前の体型を維持してる)が演じていました。嫌みたっぷりの会話で周囲の男たちをこき使う女所長はある魂胆を持って少年たちに穴掘りを命じていたことが後に判明。彼女の下で働くジョン・ヴォイトはスタイルのいい若い頃があったとは信じがたいメタボ体型のおじさんに変貌。グリーン・レイクの水が干上がるように人も干上がっていく? 干上がらないようにするための工夫は自分の穴をしつこく掘ること。

                      
    たまたまブック・オフで見つけたマイナー(劇場公開はされていない)なディズニー映画でしたが、水があった過去と水がなくなった現在をつなぐ因縁物語の無理した展開はオモシロイ。更生施設では渾名で呼び合うことが原則でゲロ袋・腋の下・イカ・X線・ジグザグ・ゼロなど意味あり気な渾名が付けられ、スタンリーの渾名は原始人。ジグザグという言葉はZ字型の稲妻を表していて、英語“zigzag”がそのまま日本語として使われています。そんな変な奴らが生まれ変わることを目的に生活する更生施設で次第に意気投合していくのが原始人とゼロ。 


             

    二人は盗まれた有名選手のクサイ靴で結ばれていました。スタンリーが通りを歩いていた時にたまたま空から落ちてきて彼の肩にぶつかったのが有名選手の靴。その靴を有名選手の靴とは知らずに盗んだのがゼロ。つかまりそうになったゼロがその靴を放り投げた結果 無実の罪で更生施設送りになったのがスタンリー四世。靴との縁があったスタンリー四世のパパ(スタンリー三世)は靴のニオイ消しスプレーを開発しては失敗を繰り返していました。クサイつながりの原始人とゼロが出会ったのは偶然ではなく過去の因縁が影響しているような感じ。

     
    物語の後半で思い余ったゼロはこの施設から逃亡。そんな彼を追いかけたのが素直なスタンリー。渇いた喉を潤す水もない広大な荒れ地で死んだと思われていた二人は親指型の山頂で湧水に出会い、その後その山に生えていた玉ネギを食べて生き延びることに成功。荒れ地でも元気に育つのが玉ネギということなのか・・後で黄斑トカゲに襲われそうになった時に玉ネギを大量に食べて臭かった二人は黄斑トカゲに襲われずにすみました。

     
    原作は児童文学作家のルイス・サッカーで、この映画の脚本も担当。毎日一つずつ穴を掘り続けた二人に待っていたのはハッピーエンドの結末(ディズニーだから当然)。スタンリーが掘った穴から財宝入りの箱が出てくるし、その上靴の消臭スプレーも完成しヒット商品になっていました。イェルナッツ家の家族が信じ込んでいた呪いは解かれメデタシメデタシの映画ですが、そのメデタシの前には穴を掘ることが課せられていました。穴掘りは囚人の仕事ではなく囚人から抜け出すための仕事。


    * 監督 アンドリュー・デイヴィス    * 2003年(米)映画

    * 出演 シガニー・ウィーヴァー  ジョン・ヴォイト  シャイア・ラブーフ


    ★ 何年も降らなかったグリーン・レイクに雨が降る奇跡を起こしたのがスタンリー四世と座標軸の原点を表すゼロ。

    ココナッツの故郷

    • 2009.08.24 Monday
    • 22:07

                     

    椰子の木の英語名“palm tree”のパーム(palm)は手のひらという別の意味も含んでいる単語で、ココ椰子の木になる果実は手のひらに収まりきらない固くて大きな“ココナッツ”。椰子の木の幹のヒョロヒョロ感から考えてもあんなに大きな実をつける椰子の木には何か秘密が隠されているのでは・・と思いつき岸辺に寄りつく椰子の木と椰子の実なるものを追いかけてみました。

        
    旧(もと)の木は 生(お)いや茂れる 枝はなお 影をやなせる
         
    われもまた 渚を枕 孤身(ひとりみ)の 浮寝の旅ぞ
      
      実をとりて 胸にあつれば 新(あらた)なり 流離の憂(うれい)
         
    海の日の 沈むを見れば 激(たぎ)り落つ 異郷の涙

    これは島崎藤村が作詞した♪椰子の実♪の二番と三番の歌詞です。椰子の木(親)から離れ海をさ迷い続けた椰子の実(子)が親子別々の時間を過ごしてきた哀しみが表現されています。南国の島でよく目にする光景は椰子の木陰にハンモックを吊るして白日夢に浸るまどろみタイム。サンサンサンと太陽が降り注ぐビーチにくつろげる木陰を提供してくれるのが椰子の木。塩分を含む海水や風にも強い椰子の木ならではのたくましい生命力を感じます。

    インドネシアやポリネシアの島々に広く分布しているハイヌウェレ型神話というのがあり、“ハイヌウェレ”という名の少女がモデルになっています。その彼女が生まれたのがココ椰子の花。すなわち海を漂流してどこかの島にたどり着く運命を背負っていたココナッツのような少女がハイヌウェレ? ココ椰子の花から生まれたハイヌウェレは肛門から出る汚い糞からさまざまな宝物を排出することができました。そんな特殊な場所から排出された宝物を気にいる人は誰もなく、ハイヌウェレは周囲の人々からすると気持ち悪い存在として殺害されてしまいます。

    人々の手で切り刻まれたハイヌウェレの死体は地面のアチコチに埋められ、そのアチコチの地面から種類の違う芋が生じたというのがハイヌウェレ型神話の概要です。
    日本にもハイヌウェレ的な女神(オオゲツヒメや保食神)がいました。二人とも不潔だと罵られた挙句オオゲツヒメはスサノオノミコトに、保食神は月読命に殺された二人の死体から生じたのが日本人の主食となる五穀。南方の島々の話では殺されたハイヌウェレの死体から生じたのは芋ですが、不潔だという理由で殺された少女(女神)の死体から主食となるモノが生まれています。

    さすらいを続けた可能性が高いハイヌウェレの故郷は砂浜に木陰を与えてくれる椰子の木。島崎藤村が表現した異郷の涙とは殺されたハイヌウェレの涙かも。最後に藤村はこんな言葉でこの歌を締めくくっています。

         思いやる 八重(やえ)の汐々 いずれの日にか 国に帰らん

    流離の旅を続けた子(ココナッツ)が親の手のひらに乗る日はいつなのか。塩分や強風にも屈しないココナッツの強い生命力の元は油分を含むドロドロした白いエキス?
    簡単には割れないココナッツの故郷はきっとビーチの木陰で夢見た世界。

    マウイ

    • 2009.08.23 Sunday
    • 22:08

             

    ハワイ諸島の中で一番若くて大きな島(ハワイ島)のキラウェア火山(活火山)の火口“ハレマウマウ”を住処にしているのは火の女神“ペレ”。そして南東端にあるビッグ・アイランドの北西隣りの島がマウイ島で、中央部が人間の首のように細くなっています。島の形から想像するとかつて東西に分離していた二つの島が合体したような感じ。マウイ島のマウイ(Maui)はハワイに伝わる神と人間の間に生まれた英雄“マウイ”から名付けられています。マウイの住処は標高3000m以上もある“ハレアカラ(休火山)”の麓。霧(神の息)が発生して山頂が確認できなくなることも多く、神の息がかかった場所で暮らしているのがマウイ島の名付け親マウイ。

    半神半人のマウイ(またしても4人兄弟の末っ子)が果たした功績の最大のデキゴトが天を持ち上げたこと。天と地の区別が明確ではなかった時代(原初の混沌?)にマウイが天をつかんで放り投げたことから天と地の境界(空間?)ができました。人は空間がなければ生きていけないのでマウイに感謝! 二つ目の功績は太陽を捕えて昼と夜の長さを同じ長さにしたそうな・・それまでは一日の大半が暗い夜で、輝く光をもっともっと取り込んだのがマウイ。“太陽が住む家”を意味するハレアカラで太陽をキャッチした賢いマウイは暗い世を明るくしたヒーローに間違いない。

    三つ目の功績は人間にとって重要な火を発見したこと。ハレアカラはキラウェアのように噴煙を上げ溶岩をはき出す山ではなく、霧に包まれモクモク状態の見にくい山でした。ハレアカラが噴き上げるのは人間が必要としていた火でなく頂上を隠してしまう白い霧。そこでマウイが考え出したのが自ら火をおこす方法。乾燥した二本の木を擦り合わせ、火をおこすことを考え出したマウイのアイディアは素朴!

    他にも島を釣り上げたり(スゴイッ!)凧を発明したのもマウイ。マウイが釣り上げた島というのはハワイ島東岸の雨が多いヒロ地区ヒロ湾に浮かぶ小さなココナッツ・アイランド。現在はヒロ湾に突き出たワイアケア半島の先端からココナッツ・アイランドまで橋が架かっているので歩いて行ける島。以前はハワイ語で癒しの島を意味するモクオラ(Mokuola)と呼ばれ、この島から湧く水を飲めば病気が回復するという話も伝えられています。マウイが海底から釣り上げた特殊な島なのでこの島に行けば癒し効果は期待できそう。マウイは自分の住処があるマウイ島だけではなく近隣の島にも影響を与えていました。

    余談になりますが、リンゴのように生のままかぶりつくことができる玉ねぎがハレアカラ山麓のクラという高原地帯で栽培されています。普通の玉ねぎに比べてかなり小さく甘みは抜群! だから生でも食べられるのネ。マウイが住んでいるというハレアカラ山麓で栽培される甘いマウイオニオンはもしかしてマウイの化身? マウイ島は英雄マウイの生命がすべてに宿った奇跡の島なのかもしれない。

    メデューサの子

    • 2009.08.22 Saturday
    • 22:22

                 

    女たらしのゼウスの兄はハデスとポセイドン。
    冥界の支配者ハデスは自分の妹デメテルの娘ペルセポネを妻(叔父と姪で結婚)にし、その後はゼウスのように浮いた噂はありません。しかし海の支配者ポセイドンはゼウスに似て正妻アンフィトリテ以外の女性とも浮名を流した女たらし系の神でした。その乱れた女性関係の中にはゴルゴン三姉妹の中で最も美しかった末っ子“メデューサ”がいました。たまたまポセイドンに愛されたが故に正妻アンフィトリテの妬みを買い不幸を背負い込み、美しすぎたメデューサはある女神によってその過ぎた美しさを奪われる羽目に・・

    メデューサといえば一本一本の髪の毛が毒蛇でウジャウジャしている化け物のイメージが強いですが、化け物にされてしまう以前の彼女は二人の姉(ステンノ・エウリュアレ)より格段に美しい女性でした。しかし格段に美しかったことがアダとなりその美しさを奪い去ったのがゼウスの一人娘アテナ。「私の髪はアテナより美しい」と口走ってしまったことに怒りを爆発させたアテナも美しい女神。毒蛇の髪の毛に加えイノシシの歯・青銅の手・黄金の翼(これはカッコイイ!)を持たされたのがメデューサ。彼女の目の奥を見た者は動かぬ石に変えられてしまうという恐怖の目の持ち主でもありました。

    メデューサを醜い女性に変えただけでは怒りが収まらなかったアテナはペルセウスに彼女の首を刎ねるように要請。絵画でも有名な青銅の塔の中に閉じ込められたアルゴス王女ダナエに黄金の雨に変身したゼウスが降り注いだことで生まれたのがペルセウス。ダナエの父(ペルセウスの祖父)が孫に殺されるという神託を受けていたことから娘を籠城させていたにもかかわらず、黄金の雨になってダナエの部屋に侵入したのがゼウス。厳重に警戒していたのに孫が誕生してしまった原因はゼウスの変身術(女心をつかむ能力?)のスゴサ。

    このような環境で誕生するのがメデューサの首を刎ねるようアテナに要請されたペルセウス。ここで気になるのがペルセウスの出自と彼に殺されることになるメデューサの容貌。ペルセウスの母が幽閉された青銅の塔とメデューサの青銅の手の一致は何か意味があるのか偶然なのか。さらにペルセウスの父は黄金の雨になり青銅の塔に降り注いだこととメデューサの黄金の翼との関係はあるのかないのか。ペルセウスが誕生するキッカケになった青銅の塔と黄金の雨は、後にペルセウスが殺すメデューサの肉体の一部になって出現しているように思います。美しかったメデューサを醜い女性に変えたのがアテナで、彼女を殺すように指示したのもアテナ。アテナはメデューサに対して余程腹に据えかねることがあったのでしょうね。

    「自分の髪の毛はアテナより美しい」というメデューサの言葉に異常に反応したアテナは自分の髪の毛をかなり意識していた感じ。死者の国に迷い込み居場所が分からなくなっていたメデューサを探し出し対峙したのがペルセウス。しかし真正面から向き合うと石に変えられてしまう恐れがあったので彼女の顔を正面から見ないようにして首を刎ねるよう警告されていました。冥界の統治者ハデスの隠れ兜、ヘルメスが履いていた羽根の生えた靴そしてアテナの持ち物だったピカピカの楯を味方に付けたペルセウスは今まで誰も退治できなかったメデューサの首を刎ねることに成功します。

    刎ねられた彼女の首から溢れ出た血から生まれたのが高速で天を駆ける天馬ペガサス。黄金の翼の持ち主だったメデューサは殺され、その彼女の血から羽根が生えたペガサスが生まれたということはアテナの計画的犯行だった可能性も考えられます。
    メデューサを殺せば天駆ける馬が誕生することをすでに予知していたのがアテナでありゼウス? 父ゼウスにプレゼントされたアイギス(イージスとも発音)という名の楯の真ん中にメデューサの首をはめ込んでいるアテナ。自分を守る最強の武具アイギスにメデューサの首をはめ込むアテナの心境は?

    メデューサの首から流れた血(メデューサの胴とも)がペガサスを生み、そのペガサスはゼウスの怒りの象徴である雷や稲妻を運ぶ役目をしていたという話。母がメデューサ、父がポセイドンという不倫関係の二人の間に誕生したのが翼を持った馬ペガサス。見た者を石に変える特殊能力があったメデューサの血を受け継いでいたペガサスは最後に天上の星座となりました。比較的明るい星で形成されているのがペガサスで、4個の星が作るペガサスの方形という言葉も生まれています。ゼウスがもたらす雷や稲妻の運び役だったペガサスが天上に描いた形は馬の胴体(もとは母メデューサの胴体?)に似た四角形でした。

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