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    ムーンライトマイル

    • 2009.07.31 Friday
    • 22:26
          

    朝から忙しく電話が鳴り響く家に住んでいるのが夫ベンと妻ジョージョーそして娘の婚約者だったジョーという青年。一人娘ダイアナを不慮の事故で失いその日の朝は葬式で忙しそう。4台の車が仰々しく街中をめぐり到着した場所は死者の関係者一同が揃う墓地。映像を観ている限りダイアナを失った三人はそれほど落ち込んでいる様子もなく、形式だけの葬儀を終え形式だけの参列者の振る舞いに気分を害していたのがジョージョー。ベンだけが周囲に気遣い、似た名前のジョーとジョージョーの二人は形式的な対応にひどく疲れていました。

     
    ダイアナは全く関係のない夫婦の発砲事件に巻き込まれ、その流れ弾で命を落としたという理不尽な設定で物語は始まります。たまたまその発砲現場に居合わせたが故に死ななければいけなかったダイアナ。納得できない理由で娘と別れなければいけなくなった両親の葛藤をベースに、加害者を法廷で裁き勝利するためには演技が必要であることも重視されていました。この映画の場合はダイアナを殺した(本意ではなくても)犯人を死刑にすること。しかし残された家族が最終的に選択したのは判決にこだわらず今を生きることでした。
                    

    物語の焦点が幾分定まっていないような感じで理解するのに時間がかかります。裁判に重きを置いている訳でもなく、かといって一人娘を失った家族の喪失感を描いている訳でもない。監督が表現したいことは何なのか・・そして後半に至って見えてきた形式とは無縁のダイアナ家族の生き方。周囲から憐れみの目で見られていたジョーは実は彼女が死ぬ三日前に婚約を解消していました。どちらから婚約解消を申し出たのかは分かりませんが、ジョーは深夜 悪夢にうなされ熟睡できていなかった様子。

     
    そんなジョーに新たな出会いのチャンスが訪れるという考え方によっては不謹慎な物語展開になっていきます。新たな出会いの相手はベトナム戦争に出兵した彼を三年も待ち続けていた(時代設定は1973年)バーティー。昼は郵便局、夜はその彼が経営していたバー(キャルの店)で働いて彼女はジョーに本音でぶつかるタイプ。ダイアナの両親に事実を打ち明けることができず、婚約者を失ったかわいそうな義理の息子を演じ続けていたジョーの心を動かしたのがバーティー。そしてその事実にイチ速く気付いていたのが母親ジョージョー。


            

    一番しっかりしているように見えていた母親が実はかなりの衝撃を受けていたようで、一度は断ったアルコールに再び依存してしまいます。しかし真実が問われる法廷でジョーが語ったダイアナへの本音の言葉が落ち込んでいたジョージョーに再生の道を与え、犯人を死刑に追い込むことよりその道(娘のことを記録する)の大切さに気付く母。ベンも仕事を口実にジョーを我が家につなぎ止めようとしていたけれど、
    ジョーの本音をきっかけに解き放たれた雰囲気が感じられました。三人が一つ屋根の下にいなくても三人の心は通い合っていたと感じるラストに向かう演出はヨカッタ。

     
    映画の中でバーティーがジョーを相手に突然ダンスするシーンがあるのですが、その時にジュークボックスにコインを入れて流れてきた音楽がローリング・ストーンズの♪ムーンライトマイル♪。バーティーと戦場で死んだキャルという恋人との思い出の曲がコレ。酔ったように我を忘れて踊るバーティーは思い出の中だけで生きていたような感じ。そんな彼女を現実に引き戻しこれからの時間を生きていこうとする二人。
    ダイアナの死で結びついていた三人は新たな生きる道を選択したように思います。


    * 監督 ブラッド・シルバーリング    * 2002年(米)作品

    * 出演 ジェイク・ギレンホール ダスティン・ホフマン スーザン・サランドン


    ★  共和党員ではないニクソンという名の犬が吐いたゲロのタイミングは抜群!

                YouTube - Moonlight Mile trailer

    化け物が目覚めるとき

    • 2009.07.30 Thursday
    • 22:20
                       

    色も形も大きさもすべてがゴチャ混ぜ状態で無限の広がりを示していたのがこの世の始まり(カオス)と語るのがギリシア神話。そんな中から一番に誕生するのが大地の女神ガイア。ガイアは単独でウラノス(天空の神)とポントス(深海の神)を生み出し、この世を創造しました。すべてが混じり合った混沌の中から最初に形成されたのが人間の生活圏に属する大地。縦に連なる天空・大地・深海を比べた場合、真ん中を形成する大地が最初に出来上がっているのは興味深い。真ん中の大地が混沌状態にあった天と海を分離したようにも感じる話。


    この世に初めて誕生した女神ガイアは息子ウラノスとともに
    12神のティタン族(近親結婚で誕生)を生み出すまでは問題なくスムーズでした。
    ところが天地の合体で生まれた巨大な12神を超えてさらに生み出したのが問題オオアリの“キュクロプス(額の真ん中に一つだけ目がある)”と“ヘカトンケイル(50の頭と100の手を持つ)”という化け物のような神々。境目は12番目ということになり、12を超えるとヨクナイ現象が起こるのかも。そんな不気味なキュクロプスとヘカトンケイルを嫌った父ウラノスは彼らをガイアの胎内に押し込め封印。醜悪な化け物が押し込まれた場所はガイアの胎内すなわち大地の奥底で地球の核につながるような感じ。

     
    父親によって地球の核に幽閉された雷や稲妻を象徴するキュクロプスと50人分の考えや手を持っていそうなヘカトンケイルは地上に出現できないまま時は流れました。
    そして時代はティタン族からゼウスが率いるオリンポスの時代を迎えようしていた頃のこと。ガイアは自分が生んだ子を胎内に戻した夫で息子でもあるウラノスにずっと腹を立てていました。そこでガイアはティタン族を裏切りゼウスに密談話を持ちかけます。大地の奥底に押し込まれたキュクロプスとヘカトンケイルを助け出し、彼らを味方につければ必ずティタン族に勝てる!”と。

     
    古い支配者ティタンと新しい支配者オリンポスが戦ったティタノマキアと呼ばれる戦争でゼウスが勝利することになった要因は地球の核に押し込まれていたキュクロプスとヘカトンケイルを救い出しオリンポス側の味方につけたこと。敵国の核になる中心人物(ガイア)が生んだ化け物を押し込めたのが旧支配者(ゼウスの祖父になるウラノス)で、逆に押し込められた化け物が持つ偉大なチカラを導き出したのが新たな支配者となるゼウス。こうして敵対関係にあったティタンとオリンポスの勝敗はガイアの胎内に隠れていた醜悪なキュクロプス(三人兄弟)とヘカトンケイル(同じく三人兄弟)がゼウスに味方して決着に至ります。

     
    母親の胎内に戻された醜悪な神々の父親だったウラノスは彼らが表面化することを嫌っていました。しかし彼らの母親ガイアは逆に醜悪な息子たちを助け出そうとしています。額の真ん中に一つだけ目がある巨人キュクロプスは見えないものを見通す第三の目を持っています。またヘカトンケイルを考えるとワンパターン的発想ではなく、様々な思考回路で多くの手を使ってナニカを作ることができるタイプだったかも。


    物語では鍛冶神としての役割を与えられていたヘカトンケイルは武器や武具を作ったという説もあり、
    ヘファイストスのようにモノ作りに秀でていたと思われます。
    しかし父ウラノスは見えるモノしか信じないワンパターン思考で、彼らの持つ魅力的な特性を排除。そんなウラノス思考に敵対したのが女神ガイア? 
    そしてガイアの胎内に押し戻された彼らを再び地上に出現させたのが新しい時代を担う女好きのゼウスでした。

     

    キュクロプスやヘカトンケイルを消し去ろうとしたウラノス的思考は時代に受容されず、消し去られた彼らに再び光を与えたゼウスは時代が求めた支配者だったようにも感じます。何もかもがイッショクタに混じり合ったカオスから最初に生まれた女神が生み出したキュクロプスとヘカトンケイルは新たな時代にふさわしい可能性を秘めていたのでは・・実の父親に化け物扱いされ消し去られていた彼らがゼウスの支援者になるのは当然の結果でした。すべての人間の奥底に隠れているはずのキュクロプスとヘカトンケイルが目覚める時、この世は変化する? 

    レディ・キラーズ

    • 2009.07.29 Wednesday
    • 22:18
              

    ミシシッピ川の河口に浮かぶゴミ捨て島に向かうゴミ収集船に投げ捨てられる盗人たちの映画。オープニングで映し出される橋の下を通るゴミ収集船を真上から眺める映像がその後何度も象徴的に繰り返されます。多くのゴミを積んだ船を上から監視しているような雰囲気のカラスも重要な役割を果たしているような・・そしてもう一匹、黒人婆ちゃんマンソンが飼っていた猫(ピクルス)も盗人たちの行動を直視していました。さらにこの世にはいないはずのマンソンの旦那さん(オーサー)の肖像画も悪巧み行為の一部始終をチェック! 毎週教会に行く習慣のマンソン婆は猫と死んだ旦那に守られていたように思います。

            
    主人公は自ら教授と名乗る胡散臭い男で、トム・ハンクスの怪演が光っています。
    何かと御託を並べる教授の裏の顔はカジノ船とつながっている地下金庫から金を強奪する計画のバラバラ盗人集団のリーダー。口がうまい教授は知的紳士を装いルネサンス後期の音楽を追求する音楽家だと言いながら、実際は音楽よりエドガー・アラン・ポーの詩を好んでいます。さすらい人を受け入れ故郷の岸辺まで運んでくれた詩の中の愛しいヘレンに憧れているドア教授はこの詩だけを記憶しているロマンチスト。
    「ヘレンって誰よ!」というマンソンの問いかけに答えず自分だけの世界で酒も飲まずに酔っている教授はやはり胡散臭い。

                           

    彼はマンソン宅の地下室をアンサンブル練習場所として間借りし、そこから穴を掘って地下金庫に眠る金を奪う計画を立てていました。そしてそこに集結したのが能力も背景も異なる4人の男たち。それぞれ癖がある男集団を率いる教授が初めてマンソン宅を訪れた際、初対面だったピクルスは教授の真実を早くから見抜き木の上に登って近付く教授を威嚇。その後もこのピクルスくん・・飼い主のマンソン婆が危険にさらされた時も大活躍します。

     
    マンソン邸からカジノ船が管理する地下金庫への掘削工事は順調に進み目的の金を横領するのは意外に簡単でした。しかしその侵入経路を爆破する辺りからマンソン婆が胡散臭い彼らに気付き教授に説明を求めますが、口がうまい彼は適当な嘘でマンソン婆を翻弄。そして翻弄されかけた時にオーサーの肖像画を見つめるマンソン婆は突如シャキッとして教授に向き合います。若い頃から神への信仰心が篤かったマンソン婆は彼らの更生を願い教会に行くよう勧めるのですが盗賊たちは完全拒否! そして彼らの歯車が狂い始め一人また一人そして誰もいなくなったという物語が展開します。


                 

    後半の一人ずつ消えていく構成がオモシロク、リズミカルに手際よくゴミになってゴミ収集船に投げ捨てられていく5人の盗人。それらを傍でジッと眺めていたのが賢いピクルスくん。特に最後のシーンで地下室に残されていた切り取られた指をキチンとゴミ船まで運ぶピクルスには笑える。殺されそうな状態にあったマンソン婆を結果的に助けたのは神の息がかかったピクルスと死んだ旦那オーサー。特に教授が橋から落ちるキッカケを作ったのが橋の上でウロウロしながらゴミを狙っていたカラス。カラスの尽力もありマンソン邸の地下室に残された大金はマンソン婆のものに・・

     
    コーエン兄弟が描く間の笑いが軽妙で好きな映画の一つです。タイトルのレディ・キラーズとは女たらしという意味ですが、この映画に女たらし的な人物がいたっけ。
    マンソン婆を上手に騙したつもりで結局は失敗した教授が女たらしに一番近いカナ。
    あるいは完全犯罪に待ったをかけたマンソン婆を消そうとする男たちがマンソン婆を消さずに自分たちが消えた映画ということで女性的傾向にある男集団がレディ・キラーズ? 教授が掲載した新聞広告で集まったレディ・キラーズは一人残らずゴミの島に向かうゴミ収集船に落ちて消えました。


    * 監督・脚本 ジョエル&イーサン・コーエン    * 2004年(米)作品

    * 出演 トム・ハンクス   イルマ・P・ホール


    ★ 迫力ある黒人たちの教会サウンドはヨカッタ!

     

              YouTube - ladykillers "2 pezzo gospel" 

    出雲の形成者

    • 2009.07.28 Tuesday
    • 22:15
               

    この世で二回も死の体験をした後、根国で再生するオオナムチは嫡妻(須勢理毘売)がいながら色恋沙汰で浮名を流すプレイボーイでした。根の国で多くの試練を克服し大国主神という名前を獲得した彼はアチコチの女性に手を出し妊娠させています。
    八十神の恨みを買うことになった八上比売との間に誕生したのが木俣神。スサノオノミコトが誓約で誕生させた三人娘のうちの一人(多紀理毘売)との間に誕生したのがアジスキタカヒコネ神と下照比売の兄妹。そしてルーツが分からない神屋楯比売との間に生まれたのが釣り好きの“事代主神”でした。

     
    また求愛の歌を捧げた高志国の沼河比売は出雲国を譲る際に登場する建御名方神を産んでいます(先代旧事本紀)。しかしスサノオノミコトの一人娘で正妻・須勢理毘売は大国主神の子を生むことはありませんでした。沼河比売の息子とされるタケミナカタが物語に登場するのは出雲の国譲り場面で、高天原から派遣された天津神(建御雷之男神&経津主神)に抵抗した神として描かれています。出雲を占領しようとする天津神に勇気を持って闘いを挑んだ建御名方神は、鋭い刃で迫る天津族の激しさに耐えられず逃走。

     
    海に触れる部分が全くない信濃の諏訪湖に追い詰められ、その場所から一歩も出ないことを約束させられたのが大国主神と沼河比売との間に生まれたタケミナカタ。
    乗っ取り計画を企てる高天原族に果敢に立ち向かった建御名方神は諏訪大明神となり、長野県諏訪盆地の真ん中にある諏訪湖周辺4カ所に立地する諏訪大社に妻(八坂刀売神)とともに祀られています。タケミナカタの逃走経路は母の出身地(高志国)に近付くような感じで、出雲から東を目指して逃げています。また高志国といえば八岐大蛇の出身地でもありました。


    かつて八岐大蛇が侵入し女を呑み込んでいた出雲国を構築し統治していた大国主神は
    高天原からの偵察(スパイ)を二回も受けていました。一回目のスパイは天照大神が誓約で誕生させた5人兄弟の次男・天穂日命。彼は天照大神の右の角髪に付けていた勾玉から生まれた子で、高天原から命令されていたスパイの仕事を放棄し大国主神が管理する出雲に定住。右関係者は出雲が好きなのか、天穂日命が高天原に戻ることはなく三年後に再び遣わされたのが天津国玉神の子とされる天稚彦(天若日子)。

     
    大国主神の子(アジスキタコヒコネ神)と瓜二つだった天稚彦も高天原の命令に背き、アジスキタカヒコネ神の妹になる下照比売に恋心を抱き出雲に居着いてしまいます。そんな天稚彦を待って8年の時が経過した高天原組が今度こその三回目に送り込んで来たのが天御雷之男神と経津主神。11年もの無駄な時間を費やした高天原チームの乗っ取り計画は三回目にやっと実行に移されることになります。そして最後の切札として選ばれた天御雷之神に対峙したのが沼河比売の息子・建御名方神でした。

     
    しかし最強の刃を振りかざす高天原チームに叶わないと判断したタケミナカタは信濃に逃れます。その後を受けて父・大国主神をフォローする役割を担当していたが神屋楯比売の息子・八重事代主神。父・大国主神は息子の指示に従うということで、高天原チームは美保ヶ崎(御大の前)で鳥と戯れ魚釣りをしていた事代主神を訪れました。そして高天原の言い分を聞いた彼は出雲国を譲ることを承諾します。その直後、事代主神は自分が乗っていた舟を引っくり返して海の中に埋没。(すなわち自殺?)
    コトを知っていたコトシロヌシが出した答えは自らを自らの手で消すこと。

     
    悲劇的な結末のようですが、海に埋没したコトシロヌシは父と同じように再生し伊豆の三宅島で三島明神になったという話が伝えられています。長男タケミナカタは出雲から海のない信濃へ逃れ、次男コトシロヌシは出雲から地下を通って南東方向に位置する海に浮かぶ三宅島で再生を果たし三島明神になりました。大国主神の血を受け継ぐ両者は出雲から遠く離れた場所で新たな神に変貌し今日に至っています。彼らの父・大国主神もオオナムチから再生した話を思い出すと、出雲族は再生することができる集団? 言葉を変えると過去の自分を消し新たな自分を形成できる人たちが造る国が出雲国だったのでは・・

    父親たちの星条旗

    • 2009.07.27 Monday
    • 22:24

      

    太平洋戦争で米国が攻め入った小笠原諸島(父島・母島)のまだ南方に位置する日本の領土・硫黄島が舞台になっています。島の名前と戦争は結び付いていたけれど、
    6人の米軍兵士が星条旗を硫黄島の摺鉢山テッペンに掲げようとしている写真のことは初めて知りました。こんなレベルで映画を観始めたものの、映画冒頭を占める銃弾のドンパチがうるさく途中で観るのをやめようかと思ったぐらい・・しかし何とか後半にたどり着けたのは監督がクリント・イーストウッドだったから。

    映画の核になっているこの写真を撮影(1945223日)したのは報道カメラマンのジョー・ローゼンタール。日米の激戦地となっていた硫黄島を米軍が陥落した印象の強いこの写真でアメリカ国民の士気を鼓舞しようとしたのが政治に関わっていた中枢部の面々。太平洋戦争で戦費を使い果たしたアメリカ経済を立て直すため、この写真を使って“国債を買ってくれ!”と国民に呼びかけます。その結果アメリカ国民のパワーは見事に結集し、疲弊していたアメリカ経済は活気を取り戻すという宣伝効果に用いられたのがこの写真。
                   

    しかし現実に戦場で戦い多くの血が流れるのをマノアタリにしていた写真の中の兵士たちは、現実とその後の世間が創り上げる茶番のギャップについていけず自分が体験した戦争に関して口を閉ざします。しかもこの写真が撮影された後、写真のメンバーの半数(3人)は戦死していました。少なくとも写真を撮影した段階で米軍が日本軍を制圧していたわけではないということが証明されます。残されている資料によると硫黄島で死んだ米軍兵士は日本軍兵士を上回り、アメリカの実質的損害が高まったのがこの硫黄島での戦いでした。

    原作は自分が直面した戦争に固く口を閉ざしたジョン・ブラッドリー(ドク)の息子ジェイムズ・ブラッドリー。撮影された写真の中の一人ドクは海軍の衛生兵として硫黄島の戦いに参加し、生き残り兵士としてその後の自分の立場や自分の母国の有様に苦悩した人物として描かれています。フラッシュを浴びる英雄的扱いの場面で何度も起こるフラッシュバック現象で自分の友人イギーを助けられなかった自分に苛立つドク。誰かを助けることができたなら英雄だけれど、星条旗を掲げただけの自分が英雄であるはずがないと悩むドクの心は清い。

    そんな彼の悩みを意に介さず着々とアメリカを運営する必要があるマスコミや政府は彼らの写真を利用して国債ツアーの行脚へ。戦争で資金がなければ答えは敗戦しかないことを理解していた国の管理者は勝利を得るため資金集めに奔走します。そんな環境に置かれた生き残り兵士の一人アイラ(インディアン)は英雄扱いに対応できず酒に溺れることで何とか生を繋ぎ止めていたみたい。彼も本来の自分と周囲が創り上げるヒーローとのギャップで悩んでいた一人・・社会の適応力は低いけれど彼の純粋な生き方は魅力的!

          

    前半はドクのフラッシュバックによる戦闘部分が占めていますが、後半では生き残ってしまった兵士のその後がジンワリ表現されていました。また同じ写真に写りながらその後死んでしまった兵士の遺族の心境も微妙で、息子を失った家族はこの写真が支えとなりその後の虚しい時間を生きてこれたというセリフが心に残っています。
    いろいろな立場に立つ人たちの心情を思うと一枚の写真が周囲に与えた影響はかなり大きい。そして自分たちの心とは乖離した状態でマスコミに祭り上げられ、それに従わざるを得なかったドクやアイラの心も複雑だったと思います。

          ♪僕は独り歩いて行く 本当のことを言うと孤独なんだ 
          でも孤独には耐えられる 君も孤独だと知っているから♪

    これは冒頭で流れた歌。その後の物語を象徴するように孤独な兵士たちが表現されていました。現実の戦争体験を通して真の孤独の意味を知るのか・・孤独な兵士たちは多くを語りません。ラスト映像は山から下った兵士たちが武器やヘルメットを砂浜に置き軍服も脱いで波間で戯れるシーン。“国のための戦いでも死ぬのは友のため、共に戦った男たちのためだ”と語るのは回想場面でのドク。命を懸けて戦い多くの友人を失った戦友同士にしか分からない強い絆でつながっている彼らは、互いの孤独を知っていたからこそ自分の孤独を支えることができたように思います。

    * 監督 クリント・イーストウッド    * 2006年(米)作品
    * 出演 ライアン・フィリップ   ジェシー・ブラッドフォード

    ★ 音楽にも造詣が深いクリント・イーストウッドはこの映画で監督のみならず作曲も手掛けました。
             YouTube - Flags of Our Fathers (Music Sample)

    危険なふたり

    • 2009.07.26 Sunday
    • 22:11

              

    互いの右目で互いの右目の奥に何が存在するのかを確認している様子が感じられるこの二人はゼウスとヘラ。姉さん女房のヘラはまさにこの言葉通りゼウスの実姉で、ティタン族のクロノス(父)とレア(母)の間に生まれた姉弟でした。近親結婚で結ばれた弟と姉の夫婦関係は日本神話にも登場(イザナギ&イザナミあるいはスサノオ&アマテラス)していたことから考えると神族は肉親同士で結婚し子孫を増やす傾向にあるような・・超接近して見つめ合う二人の横顔(ゼウスの右目と見えていないヘラの右目)から感じるのは睨み合い?

    血縁関係にある二人が出会った(といっても身近な弟と姉なのでゼウスは変身して姉に接近)のは冬の嵐が吹き荒れる時期。格好よくカッコウに変身したゼウスは自ら嵐を巻き起こす演出でヘラの憐れみを買う策略で急接近。自らの演出効果で凍えるカッコウを演じたゼウスを見てかわいそうに思ったヘラは思わず抱き締めていました。
    母性本能をくすぐることに成功したゼウスは根っからの女たらし。そして女たらしだと気付きながらつい正妻に憧れ結婚してしまった姉は、結婚後も旦那の見境ない浮気に翻弄され続けます。その結果、嫉妬深い鬼婆のイメージが定着してしまったヘラ。

    しかしこの絵画から受けるヘラの印象はセクシーで気が強そうな感じ。睨まれたら睨み返す雰囲気のヘラは弟で夫でもあるゼウスを心から愛していました。だからこそ夫の浮気の対象になった女性に対する仕打ちは徹底的になされました。ヘラが責めるのは浮気(真剣だったかも)した自分の旦那ではなく、ゼウスに選ばれた女性。家庭を守ることを一番に考えるヘラは自分の若さと美しさを旦那に示すため、毎年春を迎える頃になるとカナトスの泉に沐浴に出かけたという話。

    カナトス泉に浸ると浮気相手に対する苛立ちや自然現象の老いが失せ、心の平穏と新たな美貌と純潔を獲得できるらしい。まさに奇跡の泉と呼ぶにふさわしい再生可能な場所に毎年足を運んだヘラは自分をリセットする能力に秀でていたように思います。
    秋に葉を落とし枯れ木になっても春がめぐれば新芽が出てくるように、ヘラも春がめぐれば乙女のように生まれ変わってゼウスに向き合いました。そんな健気な一面も持ち合わせていたのが女神のトップでゼウスの正妻ヘラ。嫉妬深い鬼婆はヘラの一面だけで、実際のヘラは女を磨くことを重視していたように思います。

    多くの女神の中でゼウスに選ばれたヘラはゼウスが変身したカッコウを温めたことで結婚に至りました。カッコウは托卵(自分の巣を持たないで他の鳥の巣に卵を産みつける)する鳥として有名で、巣を持たない風来坊のようなカッコウに変身したゼウスを愛してしまいます。自分が帰る場所という意味での巣を持たないゼウスはその後もヘラの巣には居着かず、さすらい人のように女から女(時には少年)へと渡り歩いていきます。そんなさすらい人で女たらしだったゼウスを自分の元に繋ぎ止める方法がカナトスの泉での沐浴。

       

      この絵(作・英国の画家ジェームズ・バリー)に表現されたヘラは沐浴後?
           なまめかしく動くヘラの指に自分の指を絡ませるゼウス。
             ゼウスの描写されていない右手の場所はどこ?
           
    目では睨み合いながら肉体は互いに求め合っている様子。

    血が濃い関係のゼウスとヘラは不協和音を奏でながら、赤と白の布でお互いを縛り合っているのかもしれません。ギリシア神話に登場するすべての神々の頂点に立つ二人は離れたくても離れられない腐れ縁の危険な関係!

    クレイマー、クレイマー

    • 2009.07.25 Saturday
    • 22:20
               

    家を飛び出したミセス・クレイマーと家に残されたミスター・クレイマーが子供をめぐって裁判で対決する映画。原題も“Kramer vs. Kramer”という風になっていてvs.versus)という単語が壁のように二人のクレイマーを隔てています。30年という時が経過したことを感じさせない夫婦のカタチと両親に振り回される子供の姿は日本公開当時も話題になっていました。突然自分の生活に降りかかった子育てと家事をこなしながら息子ビリーとの仲を深めていこうとする父親ダスティン・ホフマンの孤軍奮闘ぶりが印象的!

                         
    子育てと仕事の両立を図ることはなかなか難しく、特に女性は子育てのために仕事を辞めてしまうことが多いように思います。本人が納得して辞めても子育ての途中でホントにこれでよかったのかどうかを悩み出すとこの映画のようにトラブル発生! 
    しかし30年後の現在は主夫として家庭を守り子育てに協力する男性も増えているので1979年当時より子供をめぐって夫婦が対立することは減ってきているのかも。
    “子はかすがい”となって夫婦関係が保たれていたかつての夫婦は子供を奪い合い裁判にまで持っていこうとする1979年当時の夫婦をどのように眺めていたのか。


                    

    子供をめぐって対立する夫婦の裁判映画から感じたのは夫婦の対立というよりそれぞれの弁護士の言葉の対立。争う相手に不利な状況を突き付けトコトン追い込む術(口がうまい)を持っているのが弁護士という職種のように思います。そんな口に多額の金を払いたくないなあ・・というのがエスマルの率直な感想。裁判沙汰にならなければいけない夫婦はサッサと夫婦の縁を切って別れるのが一番だと思いますが、世の中には裁判好きな人も結構多いみたいでそれぞれの意思と選択で自分の将来が決定されていくのでしょう。

     
    誰かの娘、誰かの妻あるいは誰々ちゃんのお母さんというのに耐えられなくなったクレイマー夫人は自分自身(ジョアンナ)を探すため一人息子を家に残して飛び出しました。そんな彼女の心の変化に気付くことができなかったのが仕事にだけ目が向いていた夫テッド。妻ジョアンナの辛い心情を察することができなかったテッドは翌日から主夫としての役割も引き受けることになります。無理やりその環境に置かれてしまえば人は何とか対応できるもので、新米主夫からしだいに主婦顔負けの主夫になっていく元仕事人間のテッド。


             

    初めはモタモタしていたフレンチトースト作りも映画の後半ではビリーの協力を得て手際よいテッドの主夫ぶりが発揮されていました。またビリーがジャングルジムから転落して目に傷を負った際も必死で抱きかかえて病院まで走り続けるテッド。仕事にしか目が向いていなかった彼が仕事以外の世界に触れ親子の絆を深めていく半面、会社側はそんなテッドに容赦ない決断を迫ります。現実の社会も多分こんな感じで、家庭を重視するような男性を求めていないのが社会の常識?

     
    ビリーを置き去りにしたまま家出してしまったジョアンナは息子と離れたことを後悔していました。そこで息子を取り戻すために起こしたのが裁判。裁判官が下した判決は母親が息子を引き取り育てること。しかし勝利したはずのジョアンナはビリーと父親(夫)がモタモタしながら暮らしてきたこの家こそ愛する息子が求めている場所であることに気付きます。ホントはビリーと暮らしたかったはずのジョアンナだけれど、自分が身を引くことでビリーに対する愛情が示されたように思います。


    * 監督 ロバート・ベントン     * 1979年(米)作品

    * 出演 ダスティン・ホフマン   メリル・ストリープ 


    ★ 目覚めた朝にママがいなくなったことを知ったビリーが自分の責任ではないかと苦しんでいる心情が切なかった。

     
         
     映画に使われたヴィヴァルディ作曲♪マンドリン交響曲♪
      
      YouTube - Antonio Vivaldi, Mandolin Concerto, 1st Movement

    レッテルは愚鈍

    • 2009.07.24 Friday
    • 22:09

                   

    先を予言して考えるプロメテウスはゼウスに禁じられていた火を人間に与えたことでそれ以降ゼウスの罰を死ぬまで受け続けることになりました。先見の明があった割にプロメテウスは苦労を背負い込んだ人生だったように思います。そんな彼の弟が兄とは正反対の先に考えず何かが起こった後に考えるという意味の“エピメテウス”。
    熟慮する兄との対比で表現される弟エピメテウスは愚鈍の象徴とされ、その愚鈍さ故にゼウスと敵対関係に至らず罰を受けることもありませんでした。

    トップに君臨するゼウスが排除すべき対象の男は自分の地位を脅かす狡猾な男。プロメテウスがその対象となりゼウスの攻撃(肝臓を喰われる)から逃れることができなかったのに対して、先のことを何も考えず行き当たりバッタリの愚鈍なエピメテウスはゼウスの攻撃の的から大きく外れていました。結果的にパンドラという美人を妻にしたうえ、その後に引き起こされる大洪水に巻き込まれることなく妻と仲睦まじく暮らしたという物語の展開になっています。平凡な幸せを求めるならエピメテウスのような愚鈍さが必要なのかも。

    旧約聖書のアダムとイヴにもこんな話がありました。エデンの園という楽園で生活していた二人は神の言いつけに背き知恵の木の実を食べてしまい楽園追放の憂き目に会っています。知恵を獲得したアダムとイヴは神の嗜好から外れ、神と一緒の楽園生活は終わりを告げました。この話から想像すると神は知恵を獲得した人間を好ましく思っていないように感じます。裸ではしゃぎ回っていた頃のアダムとイヴが神の理想? 要するに神は子供っぽい人物が好きみたい。

    そういう点で考えるとゼウスの対象外となったエピメテウスは先のことを考えない気楽さを持ち合わせていました。どちらかと言えば子供っぽい要素の方が勝っていたようで、何も考えなかった彼はゼウスが人間の堕落目的で地上に送った美人パンドラを妻にしてしまいます。しかし何も考えなかったエピメテウスは堕落の意味も理解できず、パンドラとの生活を楽しんでいました。ある日家で一人だったパンドラは好奇心に駆られ開けてはいけないと注意されていた箱を開けてしまいます。ゼウスの命令で創造されたパンドラが地上に降りる際、ゼウスがパンドラに持たせた箱でした。

    神に敵対する人間が地上に溢れるようになったことに失望したゼウスは人間社会滅亡を計画し、パンドラとともに地上に下ろしたのがパンドラの箱と呼ばれているあの箱。人間を苦しめるあらゆる災厄を詰め込んだのはもちろんゼウス。しかし最後の最後に出てきたのが絶望した人が生きるエネルギーに転換できる希望というもの。この希望を箱の隅っこに忍ばせておいたのが先に考えるプロメテウスで、万が一(ゼウスが計画していた人類抹消)のことを考えた彼は人間を滅亡(絶望)から救う希望をこの箱の中に託しました。

    絶望した人間を再び生かすように考えてくれたプロメテウスのおかげで現在の人間社会が存在しています。一方のお気楽夫婦エピメテウスとパンドラは末永く暮らしたということらしいのですが、二人は起こっていることが理解できていなかったのでは・・知恵があるとプロメテウスのように不幸を背負い込むような感じだし、知恵がないとお気楽夫婦のように本人が気付かないところで迷惑をばら撒いているようにも感じます。将来の安定に向け現在の苦労を背負いこむのか、先のことなど何も考えずに現在を楽しむがいいのか。将来の安定を考えながら今を楽しむのは社会システムが許さない? 

    スペース カウボーイ

    • 2009.07.21 Tuesday
    • 22:18

          

    宇宙への憧れを抱き続けて40年、やっと宇宙に飛び出せるその時を迎えたのが1958年当時 宇宙探検を目的に結成されたチーム・ダイダロスの若者4人。40年前に宇宙に飛び出すつもりだったセピア色の彼らの夢を奪ったのは一匹の猿で、それ以降4人は宇宙から離れた地上生活を余儀なくされていました。そして40年経った今、宇宙飛行士として再び脚光を浴びたのが老齢に達してはいたものの青年の心を持ち続けた4人のオヤジ。

    腕に刺青をした牧師タンクと相変わらずの女たらし要素を発揮するジェリー、そして無謀な曲芸飛行を得意としていたホークといつも対立していたフランクがチーム・ダイダロスのメンバーでした。イーストウッドが演じたフランクに突如NASAから二人の訪問者が駆けつけます。緊急事態が宇宙で発生し、その事態に対応できるのはフランクしかいないという切羽詰まった状況。何か裏事情がありそうなNASAに疑念を抱きながらも見事に復活する危険な老オヤジたち。

                   

    米ソ冷戦時代の遺物として宇宙を遊泳していたのがロシアの人工衛星アイコン。永遠に宇宙を旋回するはずだったロシアの人工衛星が突如制御不能に陥り、何故か求められたのがドクターフランク。彼は宇宙パイロットであると同時に人工衛星の心臓部となるエンジンの設計者でもありました。フランクが設計した人工衛星スカイラブのエンジンと同じエンジンがロシアの人工衛星にも搭載されていたようで、そのエンジンを制御できるのは設計者フランクだけしかいないという判断を下したのがNASAの高官に出世していたガーソン。

    裏でロシアと手を組んでいる不可解な様子のガーソンは宇宙開発を仕切るトップ。かつて猿を起用したのもこのガーソンで、チーム・ダイダロスにとっての忌まわしい過去はガーソンによるものでした。因縁対決のようなフランクとガーソンですが、宇宙への夢は誰にも負けない老オヤジたちの執念で40年ぶりに晴れて宇宙に飛び出したガーソンに抑え込まれていた男4人。そこで彼らが見たものは4つの核を搭載した怒りに燃えるロシアの人工衛星。意志を持っているかのようなロシアの人工衛星は完全武装してフランクたちに向き合います。

          

    その危険性を察知したフランクは地球に持ち帰るよう命令されていた若い飛行士イーサンに警告するのですが、イーサンはフランクの言葉を無視して上司の命令に従い命を落とします。もう一人同乗していた若いパイロットも完全武装した人工衛星の反応に脳シントウを起こしてダウン。そんな状況で活躍する年季が入ったダイダロスメンバーの優秀さと勇気がメイッパイ表現されていました。長年の経験と知力がモノを言う事実に屈しざるを得なかったのがコンピュータ頭脳に頼り過ぎていた現代の若者。
    このことをNASAに示すことになったのが核を搭載した制御不能のロシア製人工衛星(でも心臓部は米国製?)。

    ラストは地球に帰還するボロボロになったスペース・シャトル。核を積んだ人工衛星と共に月を目指したのが癌に犯されていたホーク。彼の夢だった月にワンの合図でボタンを押したのがホークと喧嘩しながら親友関係に至ったフランク。自分が犠牲(本人はそのようには思っていないと思う)になり地球を助けたのが無謀な音速飛行を好んだホーク。 地球に帰還するシャトルのハンドルを握るのは親友ホークを失ったドクターフランク。

    翼がもぎ取られた高速の落ちるシャトルが落ちないで着陸できたのはかつての無謀なホークのおかげ。彼が手動で対応した速度を落とす時の方法をそのままソックリ真似ていたのがフランク。ホークの魂がフランクに乗り移ったかのように一体化した二人の作業で、無理だと思われていたシャトルは地球に戻ってきました。何もかもモギ取られボロボロになったシャトルの帰還は頭脳明晰なコンピュータではなく過去の体験による人間の手により不可能を可能にすることができました。

    * 監督 クリント・イーストウッド     * 2000年(米)作品
    * 出演 クリント・イーストウッド   トミー・リー・ジョーンズ 

    ★ 何度か出てくる余裕がない“ワンの合図”とエンディングのフランク・シナトラの♪Fly Me To The Moon♪が印象深い!

       YouTube - Bellagio Fountains - Frank Sinatra Fly Me To The Moon 

    根国の須勢理毘売

    • 2009.07.20 Monday
    • 22:06
                       

    スサノオノミコトの妻は大山祇神の子として生まれた足名椎(父)・手名椎(母)の末っ子“櫛名田比売”と大山祇神の娘ということ以外のルーツは何も分からない“神大市比売”の二人。山の神の血を受け継ぐクシナダヒメとの結婚後、六代目に誕生するのがオオナムチ(後の大国主神)。オオナムチの母は刺国若比売、父は天之冬衣神で二人とも名前はほとんど知られていません。そしてこのオオナムチの嫡妻としてすでに決定されていたのがスサノオノミコトの娘“須勢理毘売”。では彼女の母は誰かとなるともう一人のスサノオの妻・神大市比売が母親ってこと?

     
    スサノオノミコトと神大市比売との間に生まれた子は兄・大年神と妹・宇迦之御魂神だったので宇迦之御魂神の別名(実体)が須勢理毘売ということになるのカナ。彼女はスサノオノミコトが管理していた根の堅洲国に唐突に出現します。そこにやって来たのが八百神の迫害を受け続けていたオオナムチ。二人は出会った途端、目合(まぐわい)で互いの愛を確認していました。スサノオの血を受け継いでいた二人はスサノオの国で出会い、その直後に目合が行われています。

     
    互いに知らないはずの二人が出会った場所は地上に出現している国ではなく、木の根のように地中に深く潜り込んでいる場所でした。八十神に何度か殺されたオオナムチを再生させたのが母・刺国若比売。それでもなお執拗に繰り返す八十神の迫害から息子を救うため母はオオナムチを木の国に送り込みます。その木の国を管理していたのがスサノオノミコトの息子“五十猛命(古事記では大屋毘古)”。スサノオの息がかかった木国の管理者(五十猛命)は更なるオオナムチの危険を察知し、木の股から送り込んだ場所がスサノオと須勢理毘売が暮らす根の堅洲国。

           
    このような場面で突如出現するスサノオの娘とされる須勢理毘売の母親は誰なのか?
    また木国を管理していたスサノオの息子・五十猛命の母親は誰なのか? 明確な答えがないままスサノオ関係者の物語は進行し、死にかけていたオオナムチは根国で再生を果たします。初対面のはずのスサノオとオオナムチですが、義理の父は義理の息子に対して“葦原醜男(色許男)”という名で呼びかけていました。以前からオオナムチのことを知っていたような雰囲気のスサノオは根国にたどり着いた義理の息子に命名した名前がアシハラシコオ。オオナムチから無理やりアシハラシコオという名に変えられた彼は、義理の父により娘にふさわしい男かどうかを試されることに・・

     
    地上では八十神の迫害、根国では義理の父親による無謀な試練が待っていたオオナムチの人生は大変! しかし須勢理毘売が影になり助けてくれたおかげで難問をすべてクリアしたオオナムチ(もう無知ではなくなった)。スサノオが寝ている間に妻となる須勢理毘売を背負い、根国を後にした彼は見事に再生することができました。その再生に手を貸したのが五十猛命と刺国若比売そして須勢理毘売。特にスサノオの娘スセリビメの出現の仕方が唐突すぎてどうも気になる!

     
    ギリシア神話に語られていたゼウスの頭から生まれたアテナに結び付くようにも感じます。根国で同居していた父と娘の関係はゼウスの頭にいた娘アテナとの関係に近い? 完全武装したアテナを生み出したゼウス同様、根国で単独出産した須勢理毘売と同居していたのがスサノオなのかも。葦原醜男とスセリビメの目合はもしかして外見的には男同士の見つめ合い? しかしスサノオの脳にはスセリビメが存在していたので内面的には男女の目合でOK! 目合を果たしたスセリビメとオオナムチの関係は言葉を変えるとスサノオとオオナムチの脳の一体化?(ドキッ!)

            
    その後、根国を後にしたオオナムチは根国とこの世の分岐点となる黄泉比良坂を通り抜け、この世に生還。その境界ポイントの黄泉比良坂でスサノオノミコトは義理の息子にこのように呼びかけています。「ワシから取り上げた大刀と大弓で八百神を倒し、スセリビメを正妻にして宇迦山の麓に立派な宮殿を造って住め!」 この時にスサノオが義理の息子に命名した名前が大国主神と宇都志国玉神という新たな名前。
    根国で生まれ変わったオオナムチはその後出雲の支配者となるのですが、その出雲を無理やり奪うグループが存在していました。スサノオの息がかかった出雲王国の繁栄は現実の人間社会で長く続くことはないという事実が示されることになります。

     
    余談になりますが、大国主神と須勢理毘売との間には子供がいませんでした。先の過程を当てはめて考えると男同士の目合で子供ができるはずがないという結論に・・
    根国に突如出現する不自然な一人娘スセリビメはスサノオノミコトの脳の中が住処?
    女性的思考の高天原生まれのスサノオノミコトは海の統治よりママを恋しがってもいました。この世での出雲王国繁栄は長く続かなかったけれど、この世に影響を与える可能性がある根国の統治は今もスサノオノミコトが担当しているはず!

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