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- 2022.04.05 Tuesday
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三か月ぶりで高知県に入る今回のルートは坂出から松山道の西条インターを降り高知と愛媛をつなぐ国道194号を南下する道。この写真は寒風山トンネルに入る少し手前(北側)の湧水がふんだんに湧いている場所で撮影。
元の写真がコレで、ズームをかけることによって見えてくる苔と水滴の一体化。
そして取りあえずココで水汲みをして草ボーボーの我が家に到着しました!
本州と四国を結ぶ三通りの橋がすべて週末料金の1000円になったことを受けて、たまたまタイミングよく高知に向けて大阪を今日出発しました。中国自動車道の宝塚インターから山陽自動車道そして瀬戸大橋を渡って坂出インターまでナント感激の2300円(通常は7000円ぐらいかな)。 多少の混雑はあったものの車は順調に流れ旅行気分を楽しむことができました。
しかし瀬戸大橋の与島パーキング・エリアで初めて目にした光景が四国方面と岡山方面の両方からかわるがわるに乗り入れる渋滞シーン。あの広いパーキングが車で埋め尽くされていたので経済効果は期待できそうな感じ。今回の高速道路料金の設定が中途半端なものでなかっただけに、用がなくてもお出かけ気分にさせてくれます。
向こう二年はこの料金設定なのでこの二年の間に四国においでて(高知弁?)くださいませ。貧乏県がひしめき合う四県の中でも特に貧乏県の高知県ですが、無料の空気が抜群にイイ! まあ高知に限らず地方という田舎は空気がいいし、狭い日本の田舎では使われていない土地が有り余るぐらいたくさんのも事実。
* 今日は家の雑用から離れ宇多津のセント・カテリーナホテルからの投稿 *
ジョナサン・デミが監督した1993年の映画“フィラデルフィア”のオープニングで使われた曲。ロックンロールのイメージが強いブルース・スプリングスティーンがこの映画のために作詞・作曲し歌っています。70年代半ばにヒットした“明日なき暴走”や80年に大ヒットした“ハングリー・ハート”などで知られる太くてセクシーな声のミュージシャン。
合衆国の東海岸にある“フィラデルフィア”という都市で合衆国は誕生しました。
教科書に載っていた独立宣言が発せられたのがこのフィラデルフィアで、1776年7月4日のこと。子供が成長し親から独立するように、それまではグレート・ブリテンの統治下だった合衆国が大人になるための宣言をしたのがペンシルヴァニア州にあるフィラデルフィア。
大阪の家を引き払うための片付けに追われる日々が続いています。自分が買ったどうでもいいモノや不用品の多さに自己嫌悪に陥りそう。サッサと捨てればよかったのに、つい置いたままでフタをし続けた結果 イザという時に動くに動けない有様。
どんなに捨てても減った感じがしなくてイライラは募るばかり。毎日 使っているものはパソコンだけだというのに・・
今日は寒の戻りで寒かったですネ。そんな寒さにめげず雨に打たれた花たちの煌めく写真を残しておきたいと思い、お気に入りのこの曲を選びました。エイズに罹っていた映画の主人公の生の煌めきと花の煌めきは同じ。それに対して荷物を抱え込んでいた今までのエスマルは全く煌めいていなかった。余計な荷物を捨てて煌めく毎日を生きたい!ということで『モノは買わない』という宣言をした日を今日に設定します。
SF映画やSF小説でタイムスリップする話がありますが、SF映画ではないこの映画の主人公ペギー・スーもタイムスリップして25年前を再び体験します。しかし現実は高校時代の同窓会で卒倒して昏睡状態に陥っている間のペギー・スーの脳の中。彼女の人生を決定した相手に出会ったのがタイムスリップした高校時代で、彼女にとっての節目の時。25年前が高校生なら現在の年齢は40代過ぎの女性ということになるので、それにしたら若いペギー・スー。
高校卒業と同時にその固い節目の相手と結婚し子供二人にも恵まれ、安定した主婦道を突っ走る最中に知ってしまった旦那の浮気。そんな同い年夫婦を演じたのが姉御肌のキャスリーン・ターナー(当時32歳)と変な声の若いニコラス・ケイジ(当時22歳)。夫婦というよりママとロックンロール僕? 現実世界で夫婦関係にある男女はトリップすると親子になる可能性も・・
高校時代にタイムスリップする設定なので、ニコラス・ケイジはいいにしてもブリッコブリブリのペギー・スーを演じたキャスリーン・ターナーは無理が感じられるし、
視点を変えるとタイムスリップしたスーのママと同年齢のようにも見えて違和感パイパイ。さらにスーの娘との親子に値する年齢差も感じられず、年相応という概念が完璧に崩れています。ズバリ!時間軸を敢えて乱している映画。
コッポラ監督の意図はふさわしくないキャストで物語の不安定さを表現しようとしているのかも。夫婦が親子だったり、親子が同年齢だったりするチグハグな演出は時間軸の乱れ? 意図的な乱れは近親者なら克服できる可能性があるので、人間関係を奥深く進めたいと思っている人は相手の時間軸を乱してみましょう。相手の怒り爆発を覚悟で、また振られることも覚悟して臨んでください。
若いニコラス・ケイジはエルヴィス風にロックンロールを歌っています。挿入歌としてチャーリーがヴォーカルを務めたグループが歌っていたのが♪ペギー・スー♪。
ペギー・リーやペギー・マーチあるいは学生時代を歌ったペギー葉山なら知っていたけれど、ペギー・スーという歌は知らなかったです。ネットで調べるとバディ・ホリーという人が歌ってヒットさせたらしい。響きがかわいいペギー・スーは歌や本にも登場する人気がある名前みたい。
高校時代を再び体験することになった彼女は将来の旦那チャーリーを避けて別の男にアタック! 浮気でイヤな想いをさせられることが分かっていたスーは自分の旦那以外に寝たいと思っていた男とチャッカリ寝て過去の夢を実現させます。自分が知る限りの知識を将来科学者になる同級生に教えたり、将来の旦那にはビートルズがヒットさせた歌詞をパクって自分の詞だと言って与えていました。
ある意味 健気で自由奔放な女性がペギー・スー。たまたまタイムスリップした場所で将来を知る強みを発揮させ好き放題の時間を生きたスー。将来が分かることは生きることの最大の強み。死にかかっていたスーが再び目覚める直前に感じたチャーリーとの絆。目覚めたスーのそばには以前と比べて老けた旦那が・・好みとしては当たり前の映像より時間軸が乱れている時のチグハグな映像がオモシロカッタ。
* 監督 F・フォード・コッポラ * 1986年
* 出演 キャスリーン・ターナー ニコラス・ケイジ
★ 過去に戻ってしたいことができるチャンスを得て、したいことをキチンとしたペギー・スーの生き方が好き!
YouTube - 6 ペギー・スー(バディ・ホリー)
旧約聖書創世記が記す宇宙の始まりは“天地創造”という言葉で表現され、神は暗闇の中から昼を誕生させました。無という暗闇から明るい光を生み出した神の初めての言葉が「光あれ」。この世に具現化させるチカラを持つ神の言葉は絶対的パワーがあるようで、“光あれ”と神が言ったのでこの世に光が生まれました。
海を航行する乗り物は船・・空を飛行する乗り物は飛行機。そして宇宙を移動する際に乗る乗り物は宇宙船・・ということから想像すると宇宙は海? 神が二日目に発した言葉は「水の中に大空あれ 水と水を分けよ」。もともと宇宙全体が“水”だと判断すれば神の言葉や宇宙船という名称にも納得できる。
宇宙を示す水を分離させてこの世に誕生させたものが大空。単純に考えると大空は水? そういえば雨は空から降るよネ! 水の惑星と呼ばれる地球に生き物が発生したのは水があったから。人間も含めて水がなければ生きてはいけない生き物たち。
地球の約7割を占める海の塩辛い水は生き物が生きるには不適で、川や湖あるいは地下水など淡水が命の水の役割を果たしています。“水と水を分けよ”という神の天地創造の根源にあるのが水ということになり、空(天)も地も水によって構成されているのが地球という理解でいいのカナ。
天から降った雨水は地中にしみ込むか水蒸気として天に上昇するかの道を選んでそれぞれの水の旅は続きます。こんな水の旅を象徴させているのが日本書紀の“天地開闢(かいびゃく)”説。 もともと一つのものだった天地(混沌)が陰陽に分離して天と地がなったという話を展開する日本書紀は清浄なものは上昇して天に、重く濁ったものが大地を形成したとしています。天に上昇するのは気体になった水(水蒸気)、そして地を形成したのが大地にしみ込んだ重い水?
日本書紀が語るのは天と地の形成は陰陽が分離した結果ということになっています。ということは世界の始まりは天と地が交り合った混沌状態の性別不詳? 人間に例えると思春期を迎える以前の幼児期が考えられ、特に赤ん坊は男か女かの区別はつかない。宇宙の始まりは性別不詳の赤ん坊だった?
そんな一人の赤ん坊が成長して陰陽の分離で天と地に分離されたと仮定すると、自分の分身がこの世に存在するはず。自分が男(陽)なら分離された相手は女(陰)ということになり、水の旅は自分の分身を探すこと。しかし性が違うと目的地も異なるので永遠に出会えない。分身に出会うのに必要なことは性が同一にならないといけないんじゃないかな。
清浄さという共通点で陰の女性が男性化して陽の二人として出会うか、重くて濁った水同士の男性の女性化として出会うか二つに一つ。 どう考えても重くて濁った水同士というのは湿気過多で虫がわきそうで不潔。 健康的に自分の分身を探すには女性の男性化が手っ取り早い方法で、陽の男同士で出会うと清浄な二人として天に到達できる?
二時間半もある子供も大人も楽しめる長編ミュージカル映画のタイトル“チキチキバンバン”はポンコツ車の名前。英国で開催されたクラシックカー・レースで優勝寸前、コースに飛び出してきた犬を避けるため道をそれて爆発した車がチキチキバンバンの過去の歴史。見た目はポンコツだったけれどエンジンは優勝できるぐらいの馬力を持っていたのがチキチキバンバン。
原作は殺人を犯しても罪に問われることは一切ない英国諜報部員ジェームズ・ボンドの生みの親・イアン・フレミング。この人の頭脳こそ主人公ポッツみたいで、豊かな発想力と軽快さで物語は異国バルガリア国との戦いに発展します。子供が地下に閉じ込められている国がバルガリア国。地上で生活しているのは大人ばかりで、子供の笑い声もなくダンマリムードの国がバルガリア。たまたまポッツたちがその国に侵入し、その国の独裁者を倒して地下に閉じ込められていた子供たちを解放します。
しかしこの映画に関わった人たちはオジン&オバンではなさそう。 大人でありながらこれほどユニークな発想で映画を創れるのがいいなあ。もし映画や音楽あるいは小説がこの世に全くなく、すべてニュースで報道されていることだけだったら余りのツマラナサで爆発する人があふれ出しそう・・というのは自分のことであります。架空の国・バルガリアは架空ではなく、この世に結構たくさんあるように思うのですが。
妄想癖があったポッツの父親はいつも軍服を着て小さい小屋で時間を過ごしていました。 一方 同年齢のバルガリアの王様はメタボ体形のボンバースト男爵。 男爵ってのがイマイチ分かりにくく要するに自分が欲しいものはすべて手に入れたい癇癪持ち? 子供っぽい癇癪玉のような性格のため大人になりきれない子供が統治していた国を破壊したのがポッツと彼を愛するお金持ちの令嬢・トゥルーリー。
そして最後にポッツ家族を救ったのが一度は死んだチキチキバンバン。真っ黒焦げになった体験を克服したチキチキバンバンは、自分を助けてくれたポッツを救い出しラストシーンで大空高く舞い上がります。お金に困窮しトゥルーリーとの結婚をためらっていたポッツだったけれど、吹くと音が出る飴を発明したことでお金持ちになりました。メデタシ メデタシ・・で終わる古典的映画。人の世もメデタシ メデタシがいいんだけれどネ。 しかし現実世界はそのメデタシをなかなか許してくれない。
監督 ケン・ヒューズ 1968年 作品
出演 ディック・ヴァン・ダイク サリー・アン・ホウズ
★ ポッツを演じたディック・ヴァン・ダイクのバンブー・ダンスや人形ダンスがヨカッタ!
YouTube - Chitty Chitty Bang Bang Road Tax
1984年映画も音楽もヒットした“足の向くまま”という意味の『フットルース』。
ケニー・ロギンス作詞・作曲で彼が歌ったこの曲は軽快なノリで元気を与えてくれました。 歌詞の後半部分で呼びかけられるのが何故かジャック。
Jack, get back C’mon(come on) before we crack
ジャック 戻って来いよ 僕たちが爆発する前にコッチにおいでよ
ジャックに関してマザーグースに記されているのが
“Al l work and No play makes Jack a dull boy.
仕事ばかりして遊ばないジャックは愚か者になるという意味で
英語の諺にもなっています。
キューブリックが監督した映画“シャイニング”でもジャック・ニコルソンが扮した作家ジャックがホテルの広間でタイプを打っていたのがこの言葉。仕事が忙しいという理由で家族と離れタイプを前にして書いていた文章はこのフレーズだけ。 初めから最後まで紙面イッパイに打ち込まれた文は“仕事ばかりで遊ばない・・いまにジャックは気が狂う” そしてジャックは気が狂って家族を殺し始めます。
そんなことになる前にコッチに戻っておいでという歌がフットルース。
足の向くまま気の向くまま、自分が好きなように生きればいいという歌がフットルース本来の意味。 それにしてもトムやジムやベンやジョンではなく、ジャックに限定されてるってどういうこと? ジャックは何者ダッ!
皇位継承のためなら肉親を殺してでも自分が天皇になろうとする人物が多い男社会で、允恭天皇は当初 天皇に即位することを拒んでいました。その理由は男社会では通用しない控え目という病気。仁徳天皇と正妻・磐之媛の4番目の男の子が允恭天皇で、三人の兄たちは殺し合う経緯を経て天皇の道に突進しました。しかし長男(履中天皇)と三男(反正天皇)の間に挟まれたニ男(墨江中津)は確かな理由もなくこの世から抹殺されています。
允恭天皇が確立した呪術的手法の盟神探湯とは煮沸した釜の中の泥を手で探り出すというもの。飛んで火に入る夏の虫のように泥だらけの手が火傷しなければその人は正しかったと判断され、前に進むことができます。しかし泥だらけの手が火傷してしまった人は恐怖で前に進めなくなるというのがクカタチの基本構造。他人に見られていないからと裏で悪事を働きバレナイことをいいことに楽観していれば、いつか化けの皮が剥がされる日が来るかもしれないしネ。
そして化けの皮が剥がされた場所が“甘樫丘(明日香村豊浦)”で蘇我蝦夷(父)と入鹿(子)の邸宅があった小高い岡に鎮座しているのが甘樫坐神社。歴史上初の女帝・推古天皇を祭神にしていますが、元々は八十禍津日神・大禍津日神・神直日神・大直日神ということらしい。ヤソマガツヒとオオマガツヒはイザナギノミコトが黄泉国から逃げ帰り禊をした時にカラダを洗い剥がれた垢から誕生した神。
神直日神と大直日神は“直”という漢字が示しているように曲がった禍(まが)を真っ直ぐに正す神。魔が差したという言い訳は通らないのが天地神明に誓う神明裁判の掟。穢れが存在して初めて正すことができるので、汚れから生まれた曲がったマガツヒ神は悪役を演じながら世の中をキレイにすることができる神だと思います。
そんな汚れた世の中を一掃する手段を講じたのが控え目で争い事が嫌いで女が好きな第19代允恭天皇。美しいことにかけてはピカイチだった衣通姫を愛したのもこの天皇。正妻・忍坂大中津比売との間に9人の子を誕生させ、兄(軽皇子)と妹(軽大娘)が愛し合う近親愛スキャンダルにも関わっています。
原作は米国のノーベル賞作家アーネスト・ヘミングウェイ。そして脚本を手掛けたのがウィリアム・フォークナー(ヘミングウェイ同様 米国のノーベル賞作家)という学生時代の教科書に載っていた大物作家がこの映画に関わっています。製作は1944年なので二人ともこの世に存在していたという信じがたい時代の映画。
第二次大戦中の日本は文学や映画どころではなかったことを考えると当時の歴然とした国力の差を感じます。因みに現代は持ちつ持たれつの金次第関係?
邦題は何からの脱出か理解できない『脱出』ですが、原題は“持つと持たぬと(To have and have not)”というコレマタ何が(何を)持つのか持たないのか分からないタイトルの映画。
伝説化したハンフリー・ボガートとローレン・バコールの初めての共演作で、年齢差(当時ボガート44歳、バコール19歳)を超えて二人は翌年夫婦になりました。
どうでもいいことだけれど、ボガートの4番目の奥さんがバコールでバコールの1番目の旦那がボガート。もしボガートが長生きしてたら(57歳で死亡)二人は別れず添い遂げることができたのかなあ。
映画の中で何度か繰り返される質問が「死んだ蜂に刺されたことある?」
ボガートが演じたハリーの分身のように描かれていた酒飲みオヤジのエディが会う人ごとに尋ねていました。夢を見ながら死んだ蜂のムサシ(無刺?)に刺されたってことを言っているのか、繰り返しが多かったこの質問に監督は何らかの意図を加えていそう。このような質問を受けた時には単純にナイという返事ではなく“死んだ蜂に刺されたことあるの?”と逆に問い返して相手の意表を突いてみましょう。
舞台になっていたのはナチス支配下(1940年の設定)になっていたフランス領のマルティニック島。フランスとは遠く離れたカリブ海に浮かぶ小さな島で釣り客のため沖まで大型ボートを操縦する船長が主人公ハリー。彼は時代の背景になっていたレジスタンス運動を極端に嫌っていました。映画の後半で明らかになる脱出はどこから脱出したいのかというと政治的関わりを持たされる現在の不快な状況。彼はそんな政治や思想に関わる状況から脱出を図ろうとしていました。
原作者ヘミングウェイも脱出という言葉で表現していいか分かりませんが、62歳の誕生日を迎える直前ライフルで自殺しています。持つか持たないかの対象はもしかしてこの世の適応力? 晩年は躁鬱に悩まされたヘミングウェイは自ら命を絶つことでこの世から脱出することに成功。ヘビースモーカーで大酒飲みだったというボガートも老年期に入る前にこの世を脱出。こうしてボギー伝説は色褪せることなく魔力化し、これから先も続いていくんだろな。
* 監督 ハワード・ホークス * 1944年 作品
* 出演 ハンフリー・ボガート ローレン・バコール
★ 不動の人気を保つボギーの魅力は子供っぽい表情とジメジメしないドライな喋り方と微妙にそらす視線とはにかむような笑い。
YouTube - lauren bacall: to have and have not "how little we know"
1960年代を代表する宇宙映画はキューブリック監督が表現した理解しにくい“2001年宇宙の旅”。会話はほとんどなく映像と音楽による創造的空間が印象深かった。
それから約10年後に生まれた宇宙映画というかバケモノ映画がローマ字読みするとアリエン“Alien”。明るい映像が多かったキューブリック監督に対して闇の宇宙を描いたのがリドリー・スコット監督。
この世にアリエン見たこともない生命体が発する信号に遭遇したのが宇宙船ノストロモ号。海を航行する乗り物は船・・そして宇宙空間を飛行する時の乗り物も船。
宇宙船に乗り込んでいたメンバーは男五人女二人・・長い時を船内カプセルで眠っていたような様子でノイズ信号をキャッチした段階で彼らは眠りから覚めるというのがオープニング。
人間の五感も彼らが体験した宇宙と同じで、自分とは異なる異種人種に出会うことで神経が目覚める感覚を表現しているように感じます。五感の次の感覚とされる第六感が目覚めるのは危険が伴う異種人種との出会い。映画では“空気の密度の微妙な変化”と表現していたその変化を感じることができる要素が人の第六感。言葉で表現できなくても間違いなく淀んだ空気を感じる瞬間はあるよね。
そんな空気密度の変化に引っ掛かったのが猫・・象徴的な意味合いが感じられる猫はエイリアンの存在を人間より早くキャッチできました。環境の変化に対して抜群の適応力を持っていたのがエイリアン。エイリアンを真ん中に挟んで科学部長を務めるアッシュと判断力に優れたリプリーの対決映画のようにも感じます。
何より恐怖に感じたのは異星人を地球に連れ帰るため本社(?)が特別に乗船させたのがアッシュだったこと。彼は本社の人造人間で他の乗船員の命より優先させたのがエイリアン分析。よだれタレタレのエイリアンより常に沈着冷静なアッシュは赤い血が通っていない器だけの男。本社の命令に忠実なアッシュは自分の脳で考えず命令に従うだけのロボトミー。
「構造も攻撃本能も見事な完全生物がエイリアン」という発言をしたのがアッシュ。
リプリーがどうすればエイリアンを退治できるかの質問に対するアッシュの答えは
“すばらしい純粋さで生存のため良心や後悔などに影響されることのない完全な生き物なので退治するのは無理!” 結局 アッシュの言葉通り、リプリー以外はみんな完全生物に殺されました。
乗組員の一人ケインの顔にこびりついたエイリアンは脱皮しながらドンドン大きくなるのが特徴で、強烈な酸性の白い液体(血液?)を吹き出す完全生物は何かを象徴してるのかも。コンピューター・システムに語りかけても答えが出なかったエイリアンを最後にバシッと退治したのは女性リプリー。映画が製作されて30年という時間経過を経ても何も変わることができない地球システム。宇宙映画というよりむしろ地球映画を表現しているように感じました。
* 監督 リドリー・スコット * 1979年 作品
* 出演 トム・スケリット シドニー・ウィーヴァー
★ 一度観るだけではアッシュの言動を理解するのに不十分なので、二回目は胡散くさいアッシュを意識しながら鑑賞してね。