女を喜ばすためなら何だってしてくれそうな女の中の男(?)は、18世紀 イタリアに実在した作家であり猟色家としても名高いジャコモ・カサノバ。 彼にとって最も大切なことは女の肉体的官能・精神的官能を高め極めること。 いい方に考えてあげれば女を磨こうとする奉仕精神にあふれた男であり、普通に考えれば女たらしの遊び人がカサノバ。
時間とともに恋愛の達人になった男カサノバの名前を受け継いだ別の男がいました。
彼が執筆した一万ページに及ぶ回想録に書かれていた女との情事とは別に、世間に公表されていなかった秘密の女が存在していたという設定で物語は始まります。 世間で知られているプレイボーイのカサノバとは異なる男とその男が愛した男のような女の愛の物語。
真実のカサノバの人生に深く関わった可能性がある女は、カサノバの愛に疑問を投げかけた女フランチェスカ。 彼女のカサノバに対する見方は女の誘惑に人生を捧げる放蕩者。 一方 カサノバが語るカサノバは至福の体験を追求する哲学者で、二人が描くカサノバ像は全く異なっていました。 しかしフランチェスカは目の前にいるカサノバを別の男サルヴァトと勘違いして話は奇妙に盛り上がります。
快楽と退廃そして水の都ヴェネチアを舞台にして、カサノバの秘密が明かされるアメリカ映画なのでイタリア人のカサノバですらイタリア語を話しません。 一途に女を求めるだけのカサノバではなく、求めた女の心も肉体も満足させることができた男がカサノバ。 仕事・・仕事・・仕事・・仕事に明け暮れる男に満足できる女はいないけれど、愛の成就を願う男はたとえ遊び人であっても女が放っておかない。 モテル男は昔も今も女によって創造される?
役者の子としてヴェネチアに生まれたのがカサノバだったので、女と対峙した時の演出効果はきっと抜群だったはず! いかにしてその場を盛り上げるように演じるかがカサノバの仕事。 だって役者の子は役者。 修道院の女と関係を持ったカサノバは、罪を問われたものの投獄は免れました。 カサノバに抱かれた修道女もたとえ投獄されても本望だというようなことを言っていたので、余程 女を虜にする熟練の腕を持っていたと想像されます。
カサノバが影響を受け始めたフランチェスカには別の顔がありました。 その別の顔は哲学者であり作家でもあったベルナルド・グアルディ。 グアルディの考えによると女性は空気・火・軽さ・力の要素を持っていて天に昇ろうとする傾向があるらしい。 その天にジャンプする力を阻んでいるのが男の重い砂が詰まった頭。 その砂袋を捨て去れば女性は自由になれると考えていたのが、グアルディすなわちフランチェスカ。
惨めな借金生活を解消するために画策されたのが、フランチェスカの意思に反した金持ちとの結婚。 相手はジェノバのラード成金だったパプリッツィオ。 このメタボ体型の男の出現によって堅苦しい愛の話にユーモアが加わり、結構笑えるシーンが続出します。 最終的にパプリッツィオは娘フランチェスカの母親との仲が深まり、好きなようにヤッテという感じ!
男女の関係で真実の愛ナンテものはなく、お金が大事というのがこの映画の主題かも。
そしてパプリッツィオがカサノバを作家グアルティと勘違いして、またまた変な展開に・・
ヴェネチア政府も誰がカサノバか分からない状態で、混沌とした面白い話が続きます。
世間で自分の名前を偽称して偽証罪を問われることがありますが、名前と本人が一致せず 周囲も勘違いしたままドタバタ喜劇のように進行する話はオモシロイ!
しだいに事実が明るみにされる中、社会の異端思想の罪で死刑を宣告されたのがフランチェスカ。 女たらしの罪でやはり死刑に処せられることが決定したのがカサノバ。
イヨイヨどうしようもない事態になった時、二人の前に現れたのが幼い頃に離れ離れになっていたカサノバのママ。 死の間際で駆けつけることができたのが、カサノバを産んだ母親という設定は神話的。
全編を通して絵画的な映像をより高めているのが、心地良いクラシック音楽。 舞台になったヴェネチアの街もこの世のものとは思えないぐらい美しく心に残りました。 女たらしのカサノバではなく、真実の愛を知ったカサノバとフランチェスカの物語は封印されたまま カサノバ伝説は現在も変化しながら生き続けることになりそうです。
* 監督 ラッセ・ハルストレム * 2005年 作品
* 出演 ヒース・レジャー シエナ・ミラー レナ・オリン
カサノバの右腕になって彼を支え続けたルポの女房風キャラクターがかわいかった!