スポンサーサイト
- 2022.04.05 Tuesday
一定期間更新がないため広告を表示しています
- -
- -
- -
主人公レミーはフランスの首都パリから遠く離れた田舎に住んでいたネズミくん。 彼はよくキク鼻と味覚を感じる舌に特性があり、ネズミ一族の間で毒味役の仕事を任されて毎日を送っていました。 毒がないものなら何でも食べるネズミ派ではなく、味にこだわりを持っていた味覚重視型のネズミがレミー。 ネズミ一族の中でも浮いたような存在だったレミーは、ある日家族の群れから離れて一人ぼっちになってしまいました。
そんなレミーを励ましたのが、 “誰でも名シェフ” という本を書いた一流レストランの料理長グストー。 誰とも会話することができない状態で地下室に追い込まれていたレミーに、地上に上がって周囲を見渡してみるように勧めたのが本の中のグストー。 死んでいたグストーは本の中からレミーを応援し、結果的にレミーが憧れていたパリに導くことができました。
このようにレミーが敬愛する死んだグストーは、レミーが産み出した空想的存在のように描かれています。
グストーが残したレストランにヒョンなことでたどり着いたのがレミー。 彼はそのレストランの雑用係に雇われていた料理下手な新人 “リングイニ” と出会って、彼が作った不味いスープを見事な味に変貌させました。 トコトン料理ができないリングイニと料理は得意だけれどネズミのため人前に出ることができないレミーが作ったスープは美味しいという評判が立ち、グストーに対立していたイーゴまでもが認めるようになります。
その後 二人して作る料理はリングイニの帽子の中に入ったレミーが受け持ち、レミーの指示でリングイニが動き回るという奇妙でオモシロイ展開になっていきます。 リングイニの髪の毛を引っ張って合図を出すのがレミーの仕事。 引っ張られる髪の毛の通り動いて作業するのがリングイニの仕事。 二人がいなければ美味しい料理はできないという切っても切れない関係の二人は、レミーというネズミとリングイニというトンチンカンな男。
ネズミの操り人形になって右往左往するリングイニは、女の中の男? ブツブツ文句を垂れながらもネズミの言いなりになってネズミ奉仕するタイプが変な名前のリングイニ。 しかし彼は最後に料理していた人物(?)の正体をばらします。 自分ではなく、頭に隠れていた小さなネズミであることを・・
誰でも名シェフという考え方に異を唱えていたイーゴの要望に応じて、レミーが挑んだ料理は 『ラタトゥイユ(ratatouille)』 という南フランスで親しまれている田舎料理。 この “ラタトゥイユ” という田舎料理がこの映画の原題になっていて、ネズミ(rat)がかきまぜた(touille)ものという意味が込められているように思います。 ナス・ピーマン・ズッキーニなどの野菜と香草を混ぜて煮込むゴッタニ料理を食べたイーゴは、幼い頃に作ってくれた母の味を思い出したようで深い感動に包まれていました。
衛生管理を重んじるレストランの厨房に不衛生なネズミがいたことが世間に知れ渡り、当然 グストーのレストランは閉鎖され社会から消されることに・・ しかしレミーが作る秘密のレストランに足繁く通うイーゴの姿がありました。 きっとレミーの鼻と舌で絶妙な味になっていたのでしょうね。 キチキチと区別せず、ゴテゴテにしてしまうのがレミーの良さでもあり 人の反発を食らう大きな原因にもなっているように思います。
* 監督・脚本 ブラッド・バード * 2007年 作品
ネズミに似合わず、パリの空気が感じられるジャズっぽい音楽が印象深かった。
オーストリアの作曲家モーツァルトの生誕地ザルツブルグを舞台にして、ジュリー・アンドリュースが扮した家庭教師マリアとその指導を受ける7人の子供たちが歌い踊るミュージカル映画。 修道女として神とともに生きようとしていたマリアが、修道院を抜け出し見晴らしのいい高原で歌い踊るシーンが幕開けになります。
神の目線を感じる俯瞰する眼は、まず山の荒々しい呼吸(靄がかかって見にくい)を映し出し、渓谷を越え切り立った崖を経てなだらかな高原に行き着きます。 その高原にいたのがマリア。 風とともに戯れるようにクルクル舞って登場するのが主人公マリア。
“心が沈む時 わたしは高原に行く そこで聴くのはわたしを待っていてくれる懐かしい調べ” と歌う 『サウンド・オブ・ミュージック』。 この歌の原点は高原?
その後 場面は切り替わって修道女たちが歌う荘厳なミサ曲。 これはこれでいいけれど、マリアのイメージとは違っているような・・ 他の修道女もまたマリアの人柄を愛しつつ、規律を重んじる修道院の生活とはかけ離れた自由奔放さをマリアに感じていたようです。
その結果 マリアは修道院から追放(?)されてマリアの舞台は人生の修行の場である外の世界へ。 神に守られた静かな修道院から、イタズラ盛りの子供が7人もいるややこしい場所を神から与えられたマリア。
そんな未知の場所がオーストリア海軍退役軍人だったトラップ大佐が住む大邸宅。 12人目の家庭教師としてマリアはこの家に派遣されました。 規律と秩序で動いているのがこの家の特色で、子供たちは父が吹く笛の音で行進したり止まったりしています。 犬のように笛で呼ばれて動くように躾けられていたのがトラップ家の子供たち。 笛で呼ぶナンテことは受け入れられないマリアは、大佐の厳しさにモノオジせずチャッカリ笛で大佐を呼びます。
大佐がウィーンに出かけている間にマリアは子供たちと一緒に近くの草原にハイキング。 その時に歌われる歌が有名な “ドレミの歌”。 日本では7音階の7番目の音は『シ』・・
しかし英語では 『ティー(tea)』 と発音していました。 他にも意外な発見があったドレミの歌を子供たちと一緒に歌っていたマリアはサイコーに素敵! 家庭教師というより彼らのママのような感じで、トラップ家に失われていた歌を取り戻させたのがマリア。
彼女と全く正反対の大佐の心は、マリアの影響で人間的な血が通い始めます。
トラップ大佐に惹かれ始めたマリアは、自分の心の愛情に混乱し一度は修道院に戻ります。 神とともに生きるため修道女になろうとしていたマリアの心に入りかけたのがトラップ大佐。 ダンスの息がピッタリ合っていた二人は、難関を乗り越えて何とか結婚に至ります。
しかし時代の流れはナチスが台頭し、祖国オーストリアがナチスによって併合されようとしていた1930年代が背景になっています。 大佐はドイツに迎合することができず、ドイツから睨まれる立場に置かれてしまいます。
ラストはザルツブルグ音楽祭の当日。 舞台に立つことを嫌っていた大佐が歌った “エーデルワイス”。 本来はエーデルヴァイスという高貴な白を表すドイツ語らしい。 会場にいた人たちと合唱したエーデルワイスは、アルプスやピレネー山脈に自生する高山植物。
薄く白い雪をかぶった花を咲かせることから “ウスユキ(薄雪)草” とも呼ばれている花がエーデルワイス。 そんな花が咲くアルプス山脈を越えてスイスに亡命しようとしたのがトラップ・ファミリー。 いつの日か愛する我が祖国に戻れる日を夢見て・・
この映画を彩った音楽は、どの曲も力を与えてくれる曲ばかり。 同じ日本語で会話してもコミュニケーションできない言葉より、意味が少しぐらい分からなくても 音楽は国境を超えることができるように思います。 現実のイヤなことに出会った時こそ、この映画の出番!
すべての道が塞がれるようなことは決してなく、小さな道もきっとどこかに通じることを信じたマリアのように いつも楽しいウタを歌って毎日を過ごしたいと思いました。
* 監督 ロバート・ワイズ * 1965年 作品
* 出演 ジュリー・アンドリュース クリストファー・プラマー
“ウェスト・サイド・ストーリー” も監督したロバート・ワイズ監督は、1979年 “スター・トレック” の監督も手掛けました。