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    Aloha 'Oe

    • 2008.07.31 Thursday
    • 23:50
                

          “ 愛してる・こんにちは・ありがとう・さようなら・ようこそここへ・・”
    などこれらすべての意味を含んでいるハワイ語が “アロハ”。 特にコンニチハとサヨウナラは、相反する言葉のように感じるのに同じ言葉のアロハが使われている国はハワイ。  
    正確に言うと現在のハワイはアメリカ合衆国の50州のうちの一つの州なのですが、太平洋上に浮かぶ常夏の島という独立した国のようなイメージが感じられます。

    ハワイ語という言語も残され、そして有名なこの曲 『アロハ・オエ』 も現代まで歌い継がれてきました。 ハワイ語のオエは “あなた” という意味になり、あなたに向けて発せられた言葉がアロハ。 だからアロハ・オエという言葉は、アナタとワタシの状況によってさまざまな言葉に変化します。

    愛情表現であったり、挨拶を交わしたりあるいは感謝や歓迎の言葉など人間関係に関わるほとんどの場合 このアロハという一言が大きな役割を果たしていることが分かります。
    アロハ・オエは、ハワイ王国最後の女王だったリリウオカラニによって詞が付けられ メロディは古くからハワイで歌い継がれてきた伝統的な民謡だったという説と リリウオカラニがメロディも創ったとする説があります。

    いずれにしても、ハワイが国として成立していた時代から合衆国の50番目の州に組み込まれる転換時期に創られた曲がアロハ・オエ。 できるだけ島民の血を流さずに解決策を図ろうとしたハワイ王国は、合衆国に従う道を選ぶことでハワイという土地を守り抜いたのだろうと思います。 そこには言うに言えない複雑な想いが隠されていたのではないか・・

    アロハ・オエは、 “愛を語り合った愛する人・・ また逢う日までさようなら” という別れの歌。  その愛した(アロハ)人に “ありがとう(アロハ)” と “さようなら(アロハ)” を言って、自分はこの世を去るけれど、いつかきっと “こんにちは(アロハ)” と出会えますように・・アロハに託したすべてを 愛するあなたに捧げよう・・ そんな風に感じるアロハ・オエ。

    ハワイ王国は滅亡したけれど、こんなに美しい曲が世界中の人々に親しまれ歌い継がれることになりました。
              
                YouTube - Aloha 'Oe by テレサ・ブライト        

    スタンド・バイ・ミー

    • 2008.07.31 Thursday
    • 22:41
             

    小学校を卒業した12歳の少年4人が体験した、夏の冒険を描いた映画。 今では作家になり妻も子もいる主人公ゴーディが、12歳の頃の記憶をたどって昔の自分と昔の友達に会いにいきます。 その夏の体験を最後に その後ほとんど顔を合わすことがなかった少年時代の友人ですが、記憶は鮮烈に残り続けた輝ける二日間。

    1959年 オレゴン州の小さな町キャッスルロック・・ 住人も少なく広々としたのんびりした田舎町が舞台。 4人の悪ガキ仲間が汽車にはねられたまま森の中に放置されている死体を探すため、線路伝いの冒険を決行します。 どうして死体を探すかというと発見して有名になってテレビに出るため。 しかしテレビ出演以上の大きなひと夏の体験を、彼らはすることになりました。
            
    ゴーディの家族は父と母そして兄の4人家族だったのに、事故で長男を失った両親は そのショックのあまりゴーディの心を置き去りにしたまま毎日が空しく過ぎていきました。 そんな環境に置かれていたゴーディは、自分の方が死ねばヨカッタという想いを胸に抱くようになっていきます。 フットボール選手だった兄はこの町でも有名で、両親にとっても兄は鼻が高い存在。
                 

    こうして知らず知らずのうちに心が傷だらけになっていたゴーディを、父のように母のようにそして彼女のように包み込もうとしたのが親友のクリス。 彼の家は貧しくクリス自身も十分な愛情を注いでもらっていたわけではなかったのに、彼は他のメンバー全員のママのように面倒をみます。 根っから優しいタイプがクリス。 それに対して、彼ら4人より年上の兄貴分のグループの男たちは騒々しいし荒々しい。 男によくあるタイプの高圧的なイヤな野郎です。

    ワンパク4人は自分たちの世界を楽しくするコツをわきまえていて会話が楽しいし笑える。 スラングバンバンなのにイキイキした空気の中で生きている彼らの開放感がいい。
    子供時代は仕事上の気を使う会話をしなくてもいいので、言いたい放題、見たい放題! 
    川に架かる鉄橋で四つん這いになって進んでいた、太っちょのバーンに向かってゴーディが叫びます。  「死ぬ気か! 立って走れ〜」 のシーンはオモシロカッタ。

    そんな見たい世界が腐乱した死体?  好奇心で動かされた4人は、近道のため沼に入ります。 思いのほか 浅かった沼にいたのは雌雄同体の血を吸う蛭。 蛭にカラダじゅう吸い付かれた彼らの表情とシグサは、心地良い笑いになって観る者を楽しませてくれました。 
    強烈な体験ほど心に残るので、少年・少女期の冒険はやはりあったほうがいいと思います。 大人になると何やらワケもなく忙しい毎日で、冒険という言葉すら使わなくなるのが現実。

                  

    森の中で一夜を過ごすことになったゴーディが創った大食い競争の話が映像になって展開します。  口の中から飛び出す反吐・・ 
          参加者も観ていた人も全員反吐だらけ。 (バッチイ!) 
          不安な夜を過ごすのにピッタリの意味のない汚い話。 (オウェッ!)
          大人のツマラン仕事の話よりナンボカ楽しい。 (ホント!)

    映画の終了と同時に流れ出すベン・E・キングの “スタンド・バイ・ミー”。  
    Daring (友) に呼びかけている言葉が、 “Stand by me (僕のそばにいて) ”。
    友人とはある面、恋人や夫婦以上に愛しい存在なのかもしれません。 ゴーディにとってダーリンのような存在だったクリスは、すでにこの世にいなくなってしまったけれど 心に中のクリスは自分のすぐそばにいて自分をいつも守ってくれる愛しい親友。

    * 監督 ロブ・ライナー      * 1986年 作品
    * 出演 ウィル・ウィートン   リヴァー・フェニックス   コリー・フェルドマン  

    読書 森の中で夜明けに出会った鹿はゴーディと鹿だけの秘密のまま・・ コンニチに至っています。

    Home On The Range

    • 2008.07.30 Wednesday
    • 23:35
                   

    『峠のわが家』 という日本語タイトルが付けられた歌は古いアメリカ民謡。 
    カウボーイ・ソングの一つでビング・クロスビーの甘い歌声でヒットしました。 日本では音楽の時間に歌ったことがある曲で、付けられた日本語の歌詞とアメリカ民謡の詞の内容とはかなりかけ離れています。

    “range(レンジ)” にあるホームというタイトルのそのレンジとは、囲いのない放牧場を意味する言葉。  “バッファローが歩き回り、鹿たちが遊び戯れるところに家をくれ! そこでは勇気ある言葉が交され 空は一日中晴れている” と表現されています。 そんな囲いがない自由な場所にある家をくれ (give me a home) という内容は、日本語で表現された旅情を感じさせる歌詞の内容とはかなり異なっています。

    日本語の 『峠』 の意味は、漢字が示しているように山の上りと下りの境目。 あるいは熱病にうなされている人が “峠を越す” というように使われる言葉です。 エスマルがこの懐かしいメロディーを聴いて感じる峠は、現在 正面から見ている山の裏側・・ すなわち目では見えないけれど山の向こうに開ける世界を感じます。

    その場所はきっと、自分が上った山(人生)の峠から見える景色。 その景色は草花を揺らす心地よい風が吹き抜ける大草原で、もう上ったり下ったりしなくてもいい場所。 そんなトコロに自分の家をくれ!と神に祈りを捧げれば、手に入るものなのか・・ あるいは頭だけで想像するしかない場所なのか・・  現実にその場所をゲットするためしなければいけないことは、
    まず自分の囲いを取っ払うこと。

    足摺岬の怪談

    • 2008.07.30 Wednesday
    • 22:21
               

    万葉集という歌の世界では、どうにかこうにか足を引きずって行く目的地はあしひきの “山” でした。 しかし高知県では山ではない場所に足を引きずって行きます。 
    その名はそのまま “足摺岬”。  東(室戸岬)西(足摺岬)両サイドに岬がある高知県の地形は、左右の手で太平洋を抱え込むようなカタチになっています。 見つめているのは坂本竜馬と同じ海しか見えない海側。

    四国山地に隔てられた地形のため、歴史的に考えても都がある方向は見たくても見えなかったというのが正直なところ。 打ち寄せる波ばかり見てきた住民は、海の向こうに楽園があると信じて生活していました。 そんな楽園を目指した人たちの伝説が高知県にも残されていて、中世 補陀落渡海が試みられた場所としてこの足摺岬が選ばれています。
                       
    どちらも太平洋に突き出ている岬ですが、断然 足摺岬の方が何かに引っ張られるように
    グゥワァ〜ンと南に伸びています。 しかも上の写真のように、断崖絶壁で波が激しく花崗岩質の岩にぶつかり砕け散っているサマはちょっとコワイ!  室戸岬はこのように絶壁なっておらず、海の際まで近付くことができます。 どちらの岬も空海が修行した場所として語り継がれ、室戸岬側には最御崎寺(ほつみさきじ)、足摺岬側に金剛福寺という四国遍路の札所があります。

    どちらも海に突き出た岬のため、辿り着くまでの行程は疲れます。 しかしこれ以上 陸地がないギリギリまでやって来たという満足感も湧いてくるのが遍路のイイところ。 都会の喧噪から離れて聞こえるのは波の音と鳥がさえずる声。 中央部の高知市から車で走ると、室戸岬までかかる時間の二倍の時間を必要とするのが足摺岬。 それだけ南に垂れ下がっているのが足摺岬。
              
    この足摺岬に “七不思議(実際には八つか九つか・・もっと多くあるとか)” と言われる怪しい話が伝えられています。 足摺岬という場所は足を引きずりながら辿り着く場所で、しかも補陀落渡海の出発地でもありました。 生きることと死ぬことの境目と考えられる場所が足摺岬だったのではないか・・ 生きる側の陸地に留まるか、生きるために楽園を目指すか・・ 当時の人々の心は切羽詰まったものがあったと思われます。

    そんな足摺岬の怪談のうちの一つ “亀呼場” という話を紹介します。 荒々しく砕ける波を真下に見るその場所(亀呼場という岩場)で弘法大師が 「カメサ〜ン!」 と呼べば亀が海底からモッコリ現れ、弘法大師を背中に乗せて向こうに見える岩場に連れていったそうな・・ベンベン!  その岩の名は “不動岩” だとさ・・ベンベン!

    痛い足を引きずってもうこれ以上進むことができない足摺岬の先端に立って亀を呼ぶと、連れて行ってくれた場所が龍宮城ではなく不動岩。 この話を想像して考えると以下のようなストーリーができあがりました。

    弘法大師は広大な空と海が好きで、陸地は騒々しいので嫌いでした。 だから空と海にふさわしい場所を何とか探すため四国を隈なく歩いた結果、気がつけば広大な海が見渡せる足摺岬の断崖で風に吹かれている自分を発見しました。 静かな場所はどうしたら行けるのか?と考え、死ぬ覚悟でカア(カメ)サ〜ンと呼んだのです。

    すると出現したのがナント!亀さま・・かめさま・・かみさま・・(チョット苦しい)。 そして亀が弘法大師を背に乗せて陸地から切り離された不動岩に連れて行きました。 ココは狭いけれど騒がしくなく常に海と空を眺めて生活することができる別天地。 海底にあるという龍宮城はこの不動岩のことだったのかも・・ というクサイ話でした。 

    波に乗る貝

    • 2008.07.29 Tuesday
    • 23:49


    ホタテ貝から生まれた美の女神ヴィーナスが誕生した場面を描いたのはボッティチェリ。
    『ヴィーナスの誕生』 と名付けられたこの絵の舞台は、海から岸に寄せる波打ち際。 
    別名をビーチとも・・ 海側で飛んでいる男女二人は裸で、陸側でピンクのマント(布)をかけようとしている女性はロング・ドレスを着用。 そして真ん中のヴィーナスはブロンドのロング・ヘアーで性別が決定される部分を隠しています。 ホタテ貝の蝶つがいに左足を置き 右足は添える程度にして立っているヴィーナスは、自分が裸であることに恥ずかしさを感じているような気もするけれど意外に裸で平気かも・・

    この絵で気になるのは、海側にいる男性に抱きついている女性の前に出ている右足。 
    彼女の抱きついたポーズから右足を前に出すのはかなり困難! 通常なら左足が出てくるはず・・ 余程 カラダをくねらせて右足を前に出しているということでしょうか。 男女が一体化したような海からの使者の息を吹き込まれているのがヴィーナス。 美の女神ヴィーナスは合体した男女の性を有する中性的神なのかもしれません。

    ヴィーナスの生みの親ホタテ貝の生息場所は浅い海底で、冷水に適応して今日まで生き伸びてきました。 ホタテを “帆立” と書くことから開いた殻を帆のように立てて海上を走るという意味もあります。 ヴィーナス自身が帆の役割をして海から岸辺に寄りついてきたのかもしれません。 それを応援したのは海(西)から陸地(東)に向けて吹く風。 
    風が追い風になって裸のままのヴィーナスは、波に乗る貝とともにビーチにたどり着いたような・・  陸地側に入ると服を着せられる可能性があるので、服を着たくなければ貝のように口を閉ざしてしまうだけ。

    ザ・ビーチ

    • 2008.07.29 Tuesday
    • 22:10
       

    楽園に行くための地図があっても、その楽園の存在を信じなければそこを目指そうという気持ちにはなれないですね。 アメリカ人リチャードは自分の国を飛び出し、たまたま楽園への行き方が記された地図を手に入れます。 その地図を持っていたのはダフィという男で、彼は以前 その楽園に居たことがあったらしいけれど、現在のダフィはイカレポンチになって自ら死を選びました。 彼の死の寸前に楽園地図を託された男がディカプリオ扮するリチャード。
        
    彼は今の自分に満足していなくて、何かを探すため東南アジアのタイを訪れるところから物語は始まります。 観光客のまま旅を終えたくなかったリチャード・・ そんな異国の安ホテルで出会ったのがリチャードとダフィ。 見ず知らずの二人は、楽園を求めていたということで共通点がありました。 そして楽園を求めていたうちの一人は自殺し、もう一人のリチャードは託された地図をもとに楽園を目指します。 彼は同じ安ホテルに泊まっていたフランス人のカップルを誘い、米仏三人の冒険はこうして始まりました。

                        

    多くの危険をくぐり抜けてたどり着いた場所は、白砂がまばゆい秘密のビーチ。 断崖絶壁になった地点から飛び降りる勇気があって辿りつける場所だったので、リチャードたち三人は勇気あることが証明されました。 しかしそこでリチャードが見たものは社会と断絶し気が合う仲間とコミュニティを形成して共同生活をしている人たち。 彼らは快楽を求めて楽園にたどり着いた人ばかりでそのリーダーがサルという女性。 初めは心地よく楽園生活を満喫していた三人だったのですが、しだいにその楽園の隠された部分が明らかにされていきます。

    その隠された部分とは、楽しむか死ぬかどちらかに決定すること。 サメに襲われカラダが思うように動けなくなったメンバーの一人が、ブツブツ言って周囲を暗い雰囲気にするので その男は楽園から追放されます。 中途半端な性格は嫌われる傾向にあるのが楽園? 
    楽しむこともエネルギーが必要なので、カラダが不自由になるといろいろな問題が起こってくるようです。  でもビーチは裸足で歩けるのがいいんだけれど・・

              

    一方 楽園地図を別の男たちに渡していたリチャードは、その責任を取らされ彼もまた楽園を追放。 この島に他人を寄せ付けない番人の役目を背負わされ 孤独の日々を送ることを余儀なくされたリチャードは、しだいにダフィのようにイカレポンチになっていきます。 しかしこの島で殺人を目撃したリチャードは、恐怖のあまり突如 我に帰ってマトモサを取り戻すことになりました。 そのマトモサとは、今 自分が居るビーチは楽園ではないということの認識。 同時に他のメンバーも、自分が置かれている立場の奇妙さに気付きそれぞれが自分の故郷に戻ります。

    こうして楽園を求めた冒険映画は、真実の楽園ではなかったということが判明して終わりを迎えます。 しかし冒険に参加したリチャードは強くたくましい男に成長したように思います。 彼は何の変化もなく毎日をダラダラ過ごすより、楽園があることを信じてそれを目指しました。 結果 そのビーチは楽園ではなかったのですが、フランソワーズというフランス人の彼女をゲットできたし 美しいビーチを自分の目で確認することもできたし。 イカレタまま あの世の住人にならなくてヨカッタよ・・ リチャード!  楽園は神が支配するエデンしかないということ? 

    * 監督 ダニーボイル     * 2000年 作品
    * 出演 レオナルド・ディカプリオ    ティルダ・スウィントン

    水泳 ビーチのリーダーだったサルは、人の命より楽園を選びました

    Begin The Beguine

    • 2008.07.28 Monday
    • 23:34
                    

    始まるという意味の “ビギン(begin)” と西インド諸島にあるマルティニーク島のダンス曲 “ビギン(beguine)” をうまく掛け合わせてリズミカルな感じがする題名の 『ビギン・ザ・ビギン』。  コロンブスによって発見されたカリブ海に浮かぶフランス領の美しい島がマルティニーク島らしい。
           
    作詞・作曲はコール・ポーター。  この人がツクった曲数もスゴイけれど、世界中でヒットした曲数も半端じゃないぐらいスゴイ!  作詞・作曲ともに一人で仕上げてしまうことから思うと、まさにコール・ポーターに吹き込まれた神の息(域)を感じてしまいます。

    フリオ・イグレシアスの歌でヒットして日本でも多く知られるようになりましたが、エスマルは何がなんでもアーティー・ショウ楽団のビギン・ザ・ビギン!  のっけから独特の世界へ連れて行ってくれるこの曲の始まりは、アーティー・ショウの空気。 装飾音符がたくさんくっついているような音の模様を感じる曲。

    フリオ・イグレシアスの歌は流れる風のような雰囲気だったけれど、アーティー・ショウ楽団のビギン・ザ・ビギンは、幾分 変な間があいてかろやかに流れないのが魅力かな。 だからダンスをするには不向きで相手の足を踏んでしまいそう・・ ベニー・グッドマンと同じクラリネット奏者だったアーティー・ショウは、1950年代半ばに突如スウィング・ジャズから遠ざかって
    本を書き始めたという噂があります。

    死ぬまでクラリネットを吹き続けたベニー・グッドマンと違って、アーティー・ショウは伝説的な生き方を選択しました。 しかし彼がアレンジした有名な曲 (スター・ダストとか煙が目にしみる) は煙のような伝説にならずにキチンと残りました。  正統派だったベニー・グッドマンの演奏より、変なアレンジが得意(?)だったアーティー・ショウの心地よく流れないのに軽い 
    『ビギン・ザ・ビギン』 でした。

    ウトウとヤスカタ

    • 2008.07.28 Monday
    • 22:09
               

    “善知鳥” という鳥が北海道留萌市近くの日本海に浮かぶ “天売島” や岩手県 “椿島” など、陸地から切り離された島に多く生息しています。 善知鳥はチドリ目ウミスズメ科善知鳥属という善知鳥だけの世界を形成するグループに属する海鳥で、アイヌ語の突起を意味する言葉らしい。 

          せんせ〜 「さて北方の島に生息するこの鳥は何と読むでしょうか?」 
          せーと  「ハイ先生! ゼンチドリ」 
          せんせ〜 「その通り 正解です」 
            という単純な世界が好きなのですが、この世は不可解で複雑。
             そんな複雑さを象徴した読み方をさせる善知鳥は “ウトウ”。
                 ウトウトではなく善がウで知がトで鳥がウ?
          せーと  「せんせー そんなら悪知鳥はナンテ読むのですか?」
          せんせ〜 「アクチドリかなあ・・」 
          せーと  「さすが! せんせ〜」

    ウトウは海鳥なので、昼間は海で過ごし夜は群れをなして巣穴に戻ってきます。 巣穴というのが断崖絶壁になっている岩場の隙間に掘った穴で、人間が簡単に寄りつけないような場所。 大きさは鳩ぐらいの鳥で、生殖時期に上嘴の基部から角状の突起を生じさせる習性があります。 また仲間同士の絆が強い鳥でもあるとのこと・・ 義理・人情に厚い鳥?
            
    青森県にある二つの半島(津軽半島と下北半島)に抱かれるような入海になっているのが陸奥湾。 西側に突出しているのが津軽半島で、古代においてこの津軽半島が陸奥湾に面した浜を “外ヶ浜(外の浜)” と呼びました。 北の 『外ヶ浜』 と南の 『鬼界ヶ島』 は平安時代には辺境と見なされ、中央の官人に同化しない人たち (鬼や蝦夷) が住む場所でもありました。
           陸奥(みちのく)の 外の浜なる 呼子鳥 鳴くなる声は うとうやすかた

    鎌倉時代前期の歌人である藤原家定が詠んだ歌に登場している外の浜。 当時 外の浜は辺境と見なされ、蔑視されていた蝦夷たちが住んでいた地域・・ そんな場所を住み処にしていたのが “ウトウヤスカタ(善知鳥安方)” という鳥。  伝説では “うとう” と親鳥が呼べば、 “やすかた” と雛鳥が答えるという親と雛(子)が一つになった鳥がこの外の浜に住んでいました。

    青森市安方という所に “善知鳥神社” があり、宗像三女神が祀られています。 神話ではスサノオノミコトが自分の赤心を示すため天安河を挟んで 天照大神と誓約(うけい)をした時に生まれた神が宗像三女神。

    スサノオノミコトが持っていた十拳剣を天照大神が三段に打ち切って、噛んで吹き棄てた息吹の狭霧から生まれました。 剣が細かい粒になって霧のように視界が悪いなかで三人の姫は生まれ、このことでスサノオノミコトの赤心が証明されたという話がありました。 内面に偽りがない心を赤心と呼び、男のスサノオノミコトは女三人を誕生させたことで天照大神の弟に対する疑いは晴れました。

    善知鳥神社に祀られている三人の姫は、きっとウトウの化身のはず。 前から読んでも後から読んでも読み方は同じで単純さを感じさせるのが親のウトウ。 そんな親から生まれた子は難しいことより単純で安易な方を好む安方? 多分 似た者同士の切っても切れない仲がいい親子がウトウとヤスカタ。
               
    ウトウは天敵を避けるため危険な崖っぷちを住み処にしています。 他の鳥に見つからないような場所を選んで、こっそり巣を作っているようにも感じます。 水鳥であるにもかかわらず帰る場所は陸地の奥(穴)。 ウトウト安心して眠ることができる場所を探し求めたのは、エミシ(蝦夷)と呼ばれていたエニシ(縁)を大切にする人たちだったのでは・・・

    海を飛ぶ夢

    • 2008.07.27 Sunday
    • 23:18
        

    もしある人物が本気で死にたいと思ったら、誰かに相談して意見を求めるようなことはしないで 何らかの自殺方法を見つけて死ぬと思います。 残される人たちのことは余り考えず・・ この映画のテーマは、そんな身勝手な個人が選択する自殺ではなく 社会や家族に生と死を考える動機を与えたかった主人公だったのではないかと思います。 そういう面で他者に与えた影響は大きい。

    船乗りとして世界放浪の旅をしていた (本人の作り話かもしれない) 主人公ラモンは、海に命を与えられそしてその海が自分を奪ったということをフリアに打ち明けていました。 引き潮の海にラモンが飛び込み脳を損傷したことによる首から下の全身麻痺で、彼はこの26年間寝たきり生活を強いられていました。 ここで気になることが一つ。どうして彼は引き潮の海に飛び込んだのだろうということ。 深い海なら海底に頭をぶつけるようなことはないのに、引き潮時の海は深い底が浅くなるので飛び込みは危険!
          
    そんな危険に敢えて挑戦したラモンはその段階で死んでもいいと思っていたのではないか・。 たまたま誰か(友人かな?)に助けられ、その後 家族の世話でこの年(50代前半)まで生きてしまいました。 そして26年という年月を経てラモンは決心します。 もうこれ以上誰かの世話になって生き続けたくないと。 そこで彼が彼らしく生きるために選んだ道は尊厳死を求める裁判を起こすことでした。

                          

    ニュースでラモンのことを知ったロサや尊厳死を反対する車椅子の神父、そして自らも不治の病に侵されている弁護士フリアなど入れ替わり立ち替わり、今まで知らなかった人がラモンの家を訪れます。 みんなそれぞれ尊厳死のことを考え何らかの行動を起こそうとした人たちで、ラモンが発した尊厳死に大きな影響を受けた人たちだと思います。 

    映画を観ていて特に印象深いのはラモンが頭のなかで鳥のように風のように空を自由に飛んで、散歩に出かけたフリアを追いかけて彼女を抱き締めるときの描写。 カラダは不自由でもこうして脳で体験できるということは、もしかして肉体が動くことより大切なのではないかという気にさせられました。 ラモンはこの26年間寝たきりで家族の世話になってきたけれど26年以上の濃い時間を生きてきたように感じます。

    ラモンを取り巻く人々の生と死の葛藤が映像を通じて伝わってきます。 生きてほしいと願う気持ちを持ちながらも、反面 ラモンを自由にしてあげたいという微妙な気持ちが渦巻きながら それぞれの想いはみんな揺れています。 こんなに多くの人々に愛されているラモンは幸せだよ。 それなのに “生きていて今までいいことは一度もなかった” ナンテいうラモンの言葉は、ただトゲになって周囲の人々を傷つけているだけ。 よくないヨ〜 ラモン!

              

    生きるとは何か?の答えは死ぬまで見つかりにくいし見つかっても人それぞれに違うはずなので難しい問題ではあると思うのですが、少なくとも生きる先に死は必ず存在するので生きること死ぬことを考えることはいいことだと思います。 この映画のテーマは自分で自分の命を絶つのではなく誰かの介添えによって死にたいというのが単純な自殺とは大きく異なっているように思います。 そしてそれを社会(法)に認めてもらおうとしたこと。 しかし彼の生きるための死は当然却下されます。

    生きるために死を選んだラモンの心情は、他人にはなかなか理解できません。 しかし介添えをする人には、きっとラモンの奥深い心が理解されていたのかも・・  ラモンは人生の半分以上を寝たきりで過ごしましたが、精神は決して死んでいなかったと思います。 その死んでいない精神が求めたものはダラダラした生ではなく尊厳死というものでした。

    * 監督 アレハンドロ・アベナーバル      * 2004年 作品
    * 出演 ハビエル・バルデム     ベレン・ルエダ

    おうち 実在するラモン・サンペドロの手記 『 Letters from Hell 』 をもとにしたスペイン映画。

    メロス島生まれ

    • 2008.07.27 Sunday
    • 21:54
                 

    余りに有名すぎるこの像は、一般的に 『ミロのヴィーナス』 と呼ばれています。 フランスのルーブル美術館が所蔵している高さが2m以上もある大理石像。 ミロというのはエーゲ海に浮かぶメロス島で発見されたことによる英語的呼び名が “ミロ”。 伝わている話では1820年に小作農ヨルゴスによって発見されたということ。 通常なら発見した人物の名前がどこかに残されていてもよさそうに思うのですが・・
       
    この像を土の中から発見したヨルゴスは、初め自分の家に隠していたらしいけれどトルコ人の官吏に発見され没収。 後にフランス人のエラ〜イ人がその像の価値を認めトルコ政府から買い上げて、修復された像を当時の王(ルイ18世)に献上したという風に伝わっています。 そしてルイ18世がルーブル美術館に寄付し、その後はほとんど外部に出ていくこともなく 
    ルーブル美術館の管理のもとでその美しい姿態を示してくれています。 過去に一回 ミロのヴィーナスは海を渡ったことがあって、その唯一の場所が日本の京都(1964年)。 
    1964年といえば東京オリンピックの年・・ 何か関係があったのかな。

    まず気になるのは、ミロのヴィーナスが発見された土地 “メロス島” のこと。 メロス島はかつてといっても気が遠くなるぐらい昔の昔の大昔・・紀元前。 アテナイ人(古代ギリシア人)によって大量虐殺が行われたのがメロス島。  “強者が弱者を支配するのは当然である” という思想がまかり通っていたことが古い書物に記されています。 その結果メロス島は破壊され、長い間(1800年以上)この像は 故郷のメロス島で眠り姫のように眠り続けていたということですね。 そうなるとミロのヴィーナスを製作したのはメロス島の住人だったはず・・
         
    両腕が発見されなかったことで その後 研究者の間でいろいろな憶測が飛び交ったらしいのですが、もしかして初めから腕はなかったのかも・・ 普通に考えられることは、下半身をまとっている腰巻き風の布を手で支えなければ布はずれ落ちてしまう・・ しかしこの像がヴィーナスたる所以は、不自然に落ちない布をまとっているからではないか。

    後世の人がこの像を見て女性のイメージでヴィーナスと名付けられたのだろうと思うのですが、エスマルが受ける印象はそんなに女っぽくは感じない。 くねらせた肉体から受ける印象は、男に媚びる女のセクシーさよりむしろ裸をさらけ出す潔さ。  だからこそミロのヴィーナスは、永遠に年をとらないミロのヴィーナスである美しさを秘めて 人の心に残る存在になるのでしょう。

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