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    好奇心

    • 2008.06.30 Monday
    • 21:55
               

    “母子相姦” という言葉から感じる陰湿さを全く感じさせないママと14歳の少年との交わりで話題になった映画。 当時 上映禁止や映像カットの騒ぎになるなか、ルイ・マル監督自身が 「自分の体験だ」 などと おおっぴらに言うものだから社会に対して投げかけた波紋はますます広がる始末。

    社会の常識に屈しなかったルイ・マルの熱い想いは、無事 日の目を見ることになりました。 1954年 フランスのディジョンという都市が舞台。 仏印戦争(こんな戦争があったの?)が時代の背景になってはいるものの、主人公の少年ローランは戦争とは全く関係がないジャズに身を置いて遊びほうけている秀才クン。

    戦争で傷を負った兵士たちのために寄付を!という掛け声だけで、友人と寄付金集めをしているローラン。 レコード店で寄付を募るフリをしながら、好きなチャーリー・パーカーのレコードを拝借してしまうという 調子がいい放蕩息子の両親は経済的にも恵まれた生活をしていました。
         
    父親の仕事は産婦人科医 母はセクシーな魅力に溢れた不倫をしている女性。 イタリア人のお手伝いさんもいて、三人兄弟の末っ子として育ったローランは、キレイな母親の愛撫が大好き! 学内の神父から懺悔を求められてもそのときだけ適当に懺悔したふりをして、実際のローランはその直後に煙草の煙を吐いている始末。 でもアッケラカンとしていてイイカンジ!
                       

    彼の兄弟も含めてやりたい放題の若さは、規律や統制を大いに乱しています。 そんな息子たちの母親クララもまた、やりたい放題で好きな男と一緒に車でデート。 戦争で毎日 死者や負傷者が出ている社会にあって、ローランやママは好き勝手な毎日を送っていました。 とにかく優先させているのは、社会のことより自分がしたいこと。 カッコつけないローランの気性は、母親の因子が勝っているのかも。

    チャーリー・パーカーのサックスがバックで流れ続けます。 サックスの音色が突出するチャーリーのジャズとローランの自由気ままな行動は、どこかで結びついているよう・・ 激しい女好きとやりたい放題の自由という点において・・ そしてついでにローランの母親もやりたい放題。 しかし何故か陰湿な空気が流れないのはフランス流? それとも ルイ・マル流?

    陰湿さを感じさせない空気は、映画のなかで常識や規律を口にする人が誰もいないことが原因なのではないかと思います。 日本で特に多い 「勉強しなさい」 という言葉を発した人は誰もいませんでした。 親が子供を管理せず、子供の自由にさせていたことがこの爽やかさを生んでいるようなカンジ。 母親がデートで不在中、ローランはママのように化粧をして女を演じていました。
                 

    型にはまった息子を育てることだけに熱中している母親ではなくて、彼女は自分の感情に素直に好きな男と付き合っていました。 しつけや教育を重視する親の立場を放棄して、二人一緒に遊ぶという友人のような関係にあったのがローランと彼の母親クララ。 付き合っていた男と別れてショックを受けていたママを相手に慰めている息子ローラン。 どう考えても親と子の関係には見えない・・ むしろ恋人か友人のように感じられました。

    そして最後に訪れた二人の親密な関係・・ 「これからどうなるの?」 とローラン。  「これだけよ。誰にも話さないのよ。私たちだけの秘密。後悔なんてしないのよ。懐かしく思い出すのよ。」 とクララ。 本の知識より経験を重視していたクララの考えが現実になって、秘密を共有することになった二人。 仲がヨカッタ母と息子は、あらゆる神話物語に象徴されているように秘密を共有することが多いのもまた事実。

    * 監督 ルイ・マル       * 1971年 作品
    * 出演 ブノワ・フェルー     レア・マッサリ

    マル秘 ママの遺伝子をたくさん受け継いでいたのが三人兄弟の末っ子ローラン・・ だから否応なく惹かれ合ってしまったのかも。

    野心がない神

    • 2008.06.29 Sunday
    • 21:56
                  

    イザナギノミコトとイザナミノミコトの神生みで山の神は “大山祇神”。 野の神は “鹿屋野比売” 別名を “野椎(のづち)神” と言いました。 山と野を受け持つ二神は続けて生まれてきた兄(?)妹コンビで、陰陽の対になる神を四組生んでいます。 大山祇神の性別がハッキリしない神話世界で、野の神とペアを組む山の神は男と断定! しかし山の神は女性であることも多いので女同士で子を産んだ? 神の世界なら女同士の出産は可能です。

    女同士と仮定して産んだ子は、四組の八柱(どちらも偶数)・・天と国が対になった狭土神・狭霧神・闇戸神そして最後に産んだのが 『大戸惑子神』 と 『大戸惑女神』。 すべて自然現象に関わる神で、狭いということと闇のように暗いイメージがあります。 そして最後の二神は、戸惑う神の男女。 しかしどちらも大という冠がかぶせられています。 “惑” という漢字は誘惑のワク・・ “惑う” の意味を考えても、ウロウロして目的地が定まらない流れ者のような雰囲気が感じられる神です。  誘惑にも弱くフラフラして惑い続けている神の親は二人の女?

    そんな危なっかしい子の片方の親がカヤノヒメ。 大山祇神の子はコノハナサクヤヒメを初めとして、スサノオノミコトの妻になったクシナダヒメの両親(足名椎と手名椎)も大山祇神の子でした。 しかしカヤノヒメ単独の出産はほとんど伝わっていません。 山の神がペアになって初めて出産にこぎ着けることができるのかもしれません。 言い換えれば一人では何もできないのがカヤノヒメ? 誰かがそばにいないと生きていけない少女のような神がカヤノヒメの本質かもしれません。
                   
    愛知県海部郡甚目寺町に “萱津(かやつ)神社” があり、カヤノヒメが漬物の租神として祀られています。 漬物というのは塩や糠で野菜を漬けてその上に石をオモシにして漬けると美味しくなるのですが“香の物” と言われるように独特のニオイがしみついた野菜が漬物。

    祀られているカヤノヒメが漬物の祖神なら、ニオイを発散させる何かを持っている神が野の神ということに・・ 惑う男女を生んだカヤノヒメが漬物の租神として祀られているということは惑ってはいけないというオモシ(重石)が必要だった可能性も考えられます。 そうすることでただの野菜が美味しい漬物に変化して、香の物という名前に変わります。 それにしても上からオモシをかけられる神というのも珍しい。 

    通常 人は惑うことの方が多く、そういう面でカヤノヒメは人間らしい女神だと思います。 
    一人では何も産み出すことができなかったカヤノヒメが、山の神とともに産み出したものは ほとんど目立たないものばかり。 さらに迷いの精神を持った戸惑子と戸惑女まで誕生させてしまいました。

    しかし大きい存在と見なされていた戸惑う二神を産んだカヤノヒメも 本当はきっと大きかったはず。 漬物用のオモシで縮んでも味がいいことの方が大切だと思います。 野育ちでイキイキ育ったカヤノヒメは、荒野をさ迷う旅人の心を癒すことができる純朴さを常に持ち続けていたのでは・・・

    大人になるということは安定を望む反面、オモシロサに欠ける人間になってしまうことでもあります。 遊びの精神を忘れ、時計の秒針のようにカチカチを刻み続ける大人にはなりたくなかったのがきっとカヤノヒメ。

    一人で生きることが下手だった野の神は、山の神の力添えで八柱もの神を産みました。 野も山も成分は同じ土で構成されていることから考えると、カヤノヒメのパートナーだった大山祇神は母親か父親タイプ。 少女の心を保ち続けたカヤノヒメは、親と結婚して多くの目立たない神を産みました。 人間世界でタブー視されている近親結婚は、神の世界ではむしろ当たり前の現象だったように思います。

    バードケージ

    • 2008.06.28 Saturday
    • 22:28
           

    主人公の名前はアーマンドとアルバート・・ 初めのアと終わりのト(ド)が似ているので、違う名前なのに紛らわしく感じました。 身長や体形はよく似た男二人ですが、顔は全く違う男と女(?)の物語。 肉体は男同士・・ だけど心は男と女のデコボコ・コンビだけれど実際はデオボコしていない。 一般的呼び名はホモセクシャルの二人。 特にネイサン・レインが扮したアルバートが、アーマンドにくっ付いて女歩きから男歩きを教わるシーンは笑えた!
      
    女性の目から見ても、このアルバートのナヨナヨした仕草やヤキモチでイライラしている雰囲気など とてもかわいらしく喜怒哀楽に溢れた魅力的な女性に感じました。 そんな彼女(男)を愛していたアーマンドは、普通は子供がいないはずだけれどこれがいたんですね。 その息子(ヴァル)が結婚相手に選んだ女性の両親は、思考回路がカタイ保守的政治家キーリー。

    ヴァルと政治家の娘(バーバラ)が仕組んだのが、一日だけの外交官の息子という設定でした。 父親アーマンドの愛人アルバートは、仕方なく叔父さん役を引き受けることに・・ しかし根っからの女だったアルバートは、どうも男役は無理みたいで追い出されてしまいます。 その代わりに招待されたのが元妻だったヴァルを産んだ女性。 ママとしてヴァルを赤ん坊の頃から育てたのはアルバートなのに、自分の息子の結婚相手の家族には会えないという混沌とした悲喜劇。
                 

    そんなどうしようもない混沌の壁を突っ切ったのが、カツラをかぶって厚化粧をした不自然なアルバート。 誰でもマルワカリの不自然さが展開するなかで、完全にカワイイ女と信じて疑わなかったのがキーリー。 アルバートとキーリーの会話はズレながらも何故かピッタリ合っています。 そんな状況で産みの母親と育ての母親がバッタリ鉢合わせしても、アルバートを女と信じ込んでいたキーリーのキャラクターもまた魅力的でした。

    アルバートを隠そうとしていたヴァルも、最後に事実を打ち明けます。 見かけや体裁だけでやっていけないむき出し家族の滑稽さが描かれているんだけれど、心は暖かい気分で満たされます。 その一番の要因は、男に生まれてきたのに自分の奥にあった女という性を隠さずにさらけ出せたアルバートという根っから女の男。 きっとそんな純真さにアーマンドも惹かれたのでしょうね。
                  

    アーマンドが経営していたマイアミのクラブの舞台に立って演じていたのがアルバート。
    マスコミに追われていたキーリー家族は、全員変装してこの舞台に登場しマスコミのやっかいな追っかけから脱出します。 そのとき男っぽいジーン・ハックマンが扮していたキーリーが女装して舞台にフラフラ出演。 意外に女が似合っていたジーン・ハックマン!

    家族を構成するのは、常に男女ペアの血縁関係がすべてである必要はないということが感じられる作品でした。 初めと最後に歌われている 『We are family』 が象徴しているように、血縁関係の家族よりホントに相手のことを大切に思える人同士が真の家族と呼ばれるのではないかと強く感じさせてくれた作品。 それにこの映画が多くの笑いを提供してくれたように、ホントの家族なら笑いに包まれているはずだと思いました。 こんな楽しいバードケージなら一緒に入りたい気分・・

    * 監督 マイク・ニコルズ       * 1996年 作品
    * 出演 ロビン・ウィリアムズ   ジーン・ハックマン   ネイサン・レイン

    眼鏡 マイク・ニコルズ監督の他の映画も含めて笑いのセンスはサイコー!

    痛い愛情

    • 2008.06.27 Friday
    • 23:40
        

         ミケランジェロ・ブオナローティというのが、ピエタを彫ったあの有名な芸術家。
              ミケランジェロ・メリージという同じ名前の芸術家もいて、
                この人はカラヴァッジオという通称の方が有名です。
            先のミケランジェロより80年ほど後に生まれたイタリアの画家が
                  カラヴァッジオと呼ばれたミケランジェロ。
         カラヴァッジオが描いたこの絵は 『聖トマスの懐疑』 と名付けられています。

            キリストの右胸の傷口に人差し指を突っ込んでいるのが聖トマス。
                     キリストの十二使途の一人で、
            一度死んだキリストが復活した瞬間を見届けることができなくて
                  自分の師であるキリストを疑っていたらしい。
            そんな疑い深い弟子のトマスに対して自分の方から胸をさらけ出し、
     弟子の手首を取って自分の傷口に差し入れるように仕向けている雰囲気が感じられます。

                 疑われることに耐えられなかったキリストは、
               弟子に復活の証明を示した場面のような気がします。
       一度死んで血が流れた後なので、キリストの肉体から真っ赤な血は流れていません。
         後ろから覗きこむ男二人も現実を目の前にして信じるしかないという表情。。

            見えないモノを見えなかった相手に信じさせようとしたキリストは、
              弟子の手を取って導き教える痛い愛情に溢れていました。

    シザーハンズ

    • 2008.06.27 Friday
    • 22:51
             

    一見 廃墟のように見えるモコモコした山の上に立つ城に住んでいた老博士が作ったロボット型人間の名前がエドワード。 彼は無表情な顔とメタリック・ボディと大きなハサミ型の両手が印象的な人造人間でした。 作り手だった博士から最後の手がエドワードにプレゼントされる予定だったクリスマスの前日のこと・・ 博士が作った美しい手を目の前にして喜びの表情を示すエドワード。 しかしそんな彼を見ると同時に博士は突然、息を引き取ります。 

    こうして自分の手を持たない未完成人造人間のエドワードは、その後 孤独な博士と同じようにこの城に一人住み続けることになりました。 そんなある日、化粧品のセールス販売をしていた主婦ペグがこの城にセールスのつもりでひょっこり訪れました。 外見の薄気味悪さを気にせずドンドン城の内部にまで侵入し、あげくにエドワードを見て驚いて逃げるような一般的主婦ではなかったことが 悲劇と喜劇の幕開けになります。

    自分の手(ハサミ)を使って剪定した城の内部の木はいつもキチンと刈り揃えられ、お伽の国にまぎれ込んだような楽しい気分にさせてくれます。 博士に本や詩を読み聞かせてもらっていたエドワードは、美しい童話の世界に生き続けていました。 自分の手はないけれどロボットの鋏を持っていた彼の特技は、長く伸びた樹木の葉や髪の毛を切って大変身させること。 特に氷の彫像を作る時に舞い上がるキラキラ輝く雪のような氷の粒が 一番心に残っています。
                 

    無垢なエドワードは、人間たちが住むパステル色の街に連れてこられたことで 彼の穏やかだった毎日が乱れ始めます。 彼が住んでいた城はモノクロームの世界で、多くの色に溢れた下界の生活とは根本的な隔たりがありました。 慣れない世界で何とか頑張ろうとしていたエドワードを応援したのはペグ一家。 この家族・・ みんなちょっとずれていて個性的! ペグの娘キムに恋をしたエドワードは、キムの言うことなら泥棒でも何でもしました。

    結果として警察に追いかけられる羽目になったエドワードは、自分の城に帰るしか仕方がない状況に追い込まれます。 近所の連中は、当初 彼に興味を示してヘアーカットや犬の毛をカットしてもらっていたのに、エドワードが警察沙汰になったことで彼の素性を疑い始めます。 熱を上げてエドワードの追いかけをしているかと思えば、何か事件が起きるとよく調べずに噂だけでブツブツ言う人たちが大半のこの街で 彼を取り押さえようとしていた警官が空砲を放って彼を逃がしたことがホッとした一瞬でした。

    モノクロームの世界が展開する城の内部で、キムがイヤがっていた男が死にます。 そしてキムは好きだったエドワードとも別れなければいけません。 住む世界が異なっていたエドワードは、キムが自分を想ってくれていた心を十分に理解したうえで 短い言葉を彼女に投げかけます。 「さよなら」・・ 自分を作ってくれた博士と同じように 単純な世界にしか居ることができなかったエドワードが、キムに捧げた最大のプレゼントがサヨナラ。

                

    時間を経た冬のある日、おばあさんが孫に雪が降る話を聞かせています。 このおばあさんの頭には、若い日 エドワードが彫った氷の彫刻のそばで舞っていた自分の姿がありました。 舞い落ちる雪の正体は、モノクロの世界に住んでいた手がないエドワードが切り刻んだ氷の余計な部分。 自分の手がなかったからこそ こんなに美しい氷の彫像が完成し、残りの氷の粒(結晶)は雪になって下界に降り注いでいるような気がします。

    雪が降っている間、天上では何かが彫られている可能性があると信じたくなるファンタジー映画。 外見はおばあさんになったキムの心にいつもあったのは、六角形の雪の結晶を自分に浴びせたエドワード。 こんなに美しい結晶を一人の女に浴びせることができたエドワードは、未だに変わらず樹木の剪定をキチンと続けているようでした。

    * 監督 ティム・バートン      * 1990年 作品 
    * 出演 ジョニーデップ   ウィノナ・ライダー   ダイアン・ウィースト

    雪 ハサミを持っていたエドワードは好きな人を抱き締めることはできなかったけれど、キムの心の扉を壊して彼女のどこかに入ることはできたような・・

    堕落しない選択

    • 2008.06.26 Thursday
    • 21:56
                

    奄美・沖縄地方で海の彼方にあると信じられていた楽園を “ニライカナイ” と呼びました。 
    その楽園から “赤また” と “黒また” それに “真世(まゆん)がなし” という変な名前の神たちがやってきて、人々に豊かな恵みをもたらすと考えられている神々の故郷がニライカナイ。 アカマタとクロマタは仮面をかぶり、マユンガナシは蓑と笠を身に付けています。 実際の姿を見せず、変装上手な人物が神の役割を果たしたのではないかと考えます。

    どこの誰だか分からない月光仮面のような不可解な神が海を渡ってくるという伝説は、奄美・沖縄に限らず記紀神話にもキチンと記されていました。 蛇体で有名な大物主神や酒造りが上手だった少彦名神の故郷も海の向こうにあった楽園だと思われます。 どちらも “光を伴って” という形容が付加されている神で光を確認できるのは夜。

    沖縄・奄美地方のニライカナイとよく似たイメージの観世音菩薩が住む山を目指して小舟で海を越えようとすることを 『補陀落(普陀落)渡海』 と言いました。 この補陀落(ふだらく)という言葉は、古代インドのサンスクリット語がベースになっている語で、チベット仏教の聖地として名高いダライ・ラマが住むポタラ宮が補陀落に該当するとも言われています。

    標高3700mに位置するラサのマルポリの丘(山と呼ばず丘?)に建設された宮殿がポタラ宮で、この高地を補陀落と呼んでいたことが分かります。 海の彼方にあると考えられていた補陀落は、山(丘)のテッペンにもあるということになり、かなり矛盾する話になっています。 
    日本に視点を戻すと、南の果ての海上にあったと考えられていたのが補陀落。
              
    南の果ては少なくとも海が氷で覆われているような心配はなく、舟の舵をうまく取りさえすれば目的地に到着できそうな気がします。 紀伊半島の東・・ 熊野灘に面する那智勝浦町にあるのが “補陀落山寺” という天台宗の寺院。 仁徳天皇の御世 インドから熊野に漂着した裸形上人によって開山されたと伝えられています。 山中ではなく海岸近く(那智勝浦町浜の宮という地名)に建つ補陀落山寺に隣接してあるのが 熊野三所大神社(くまのさんしょおおみわしゃ)。

    明治維新の宗教政策として実施された神仏分離とはまるで正反対の異国文化を受け入れようとする 神仏習合の空気が色濃く残る場所が補陀落渡海の出発地。 古代日本は、異国の神だった大物主神や少彦名神を受け入れることができる寛容な国だったのだろうと思います。 異なることに一線を引くのではなく、折り合いがつく方向を目指すことができる大らかさを持った人たちが かつての日本を形成していたのではないでしょうか。
               
            行く人も とまるも袖の 涙川 みぎはのみこそ 流れまさりけり
         
    この歌を詠んだのは男でしょうか? それとも女でしょうか? 実はどっちとも言いがたい。 その理由は女を装って書いた男の作品だから。 作者は紀貫之・・ 作品は土佐日記 この歌はその中で詠まれた歌の一首です。

    歌の中に出てくる汀(みぎは)は、水際の意味で  “みぎはのみ” は汀の身という理解で考えると目の前に進むべき陸地はなく、あとは海に飛び込むしかないギリギリ状態が思い浮かびます。 補陀落渡海も多分こんな切羽詰まった心境の人たちの物語なのでしょう。 追い込まれてどうしようもなくなった優しい心の人たちは、闘いを挑むのではなく 楽園を目指して小舟に乗り込みました。

    歴史上にもやはり父と夫が争うという悲惨な体験をした女性がいます。 父は大海人皇子 母は額田王 後の天武天皇にとって初めての子になるのが “十市皇女”。 夫は天武天皇の兄でもあり又ライバルでもあった天智天皇を父に持つ大友皇子。 争いごとは壬申の乱という名前で記録されていて、結果は父の勝利で夫である大友皇子は自害に追い込まれ 女性である十市(とおち)皇女は、男の闘いに翻弄され30歳くらいのときに急死しました。

    いつの世も男に振り回される女性たちの哀しみが十市皇女物語から伝わってきます。 十市皇女こそ紀貫之が詠んだ歌のモデルであり、思い余った末に海の彼方にあるという楽園を目指そうとしたのではないかと感じます。 争いごとが多い社会を捨てて那智勝浦の浜を後にした人々の美しい心が、人と人の争いという堕落世界に足を踏み入れない選択の物語を生んたのではないか・・

    イエス

    • 2008.06.25 Wednesday
    • 23:25
               

     レオナルド・ダ・ヴィンチ初期の作品 『カーネーションの聖母』 と名付けられた絵。
           まずM&Mのカタチをした窓から見える雄大な景色が印象的!
          マリアの胸元で大きく目立っている卵型のブローチが目を引きます。
         右手で軽く我が子を支え、左手にかざしているのが赤いカーネーション。
                キリストが手を伸ばして取ろうとしているのは
                  カーネーションなのかブローチなのか・・

             赤いカーネーションといえば母の日を思い出しますが、
       どう考えてもキリストからマリアにプレゼントされたような状況は考えられません。
         マリアが我が子に与えようとしているのが赤いカーネーションのような・・
                   するとマリアの母親がキリスト?

                外見は赤ん坊のように見えるキリストが、
            実はマリアの生みの親という不可解なシチュエイション。
          固定観念を取っ払って物事を考えるとユニークな発想が生まれます。
               二人の関係はユニークな間柄だったはずなので、
            マリアが望むものなら何にでもなれたのがイエス・キリスト。
                  マリアのためなら、すべてがイエス!

    クレールの膝

    • 2008.06.25 Wednesday
    • 21:58
                  

    雄大なアルプスの麓に位置する美しいアヌシー湖畔(フランス東部)が舞台になっています。 深呼吸したくなるような圧倒的に美しい景色と小鳥のさえずり・・ そして湖面の水がチャプチャプ跳ねる耳にこそばゆい音など、俗世間から逸脱した場所に別荘を持っている 中年の男とそこで出会う若い二人の娘(ローラとクレール)を中心に物語は展開します。
       
    山と湖の調和した景色が精神の解放を促してくれそうな心地よい別荘の部屋を借りて執筆活動をしていたのがオーロラという女性で、彼女の古い男友達が主人公ジェローム。 彼は一緒にいても疲れない女性との結婚を控えたマリッジ・ブルーな気分を漂わすプレイボーイ。 オーロラは若い頃からジェロームに惹かれていたようで、互いに仲がいいけれど結婚には至らなかったという友情関係が成立している男と女。

    個人的感覚でヒトコト言わせてもらうと、夏のバカンスや雄大な景色と全く波長が合わないジェロームの髭・・ 髪の毛と口髭と顎鬚がすべてつながっていて彼の顔もハッキリしないし、とにかく暑苦しいイメージが感じられました。 顔立ちは良さそうなジェロームに言いたいことは、 「鬚を剃って!」  この主人公の風貌にロメール監督の意図は当然加わっていると思います。
                  

    オーロラが書く小説のモルモットになって、ジェロームはローラという少女を相手にデートを仕掛けます。 彼はローラの反応を見てオーロラに報告するという いわゆるネタ探しのようなことをしていました。 ジェローム同様 モルモットにされたローラは、同年代の男の子より年上がいいと言ってそれなりにジェロームを喜ばせ自分も楽しんでいる様子。

    しかし熱い恋の予感はまるでなく、互いに互いの反応を窺っている様子が感じられます。 そんなローラには父違いの姉クレールがいて、姉妹とはいうものの二人は全く似ていません。 クレールには同世代の恋人ジルがいました。 妹のローラは年上のジェロームを相手にするけれど、姉のクレールにとってヒゲオヤジの存在は眼中にないという状況。

                     

    まるで相手にされていなかったジェロームに突如 芽生えたクレールへの熱い想い。 自分が知っている自分の意識に反して、クレールの膝を触りたい!という欲求にかられる自分に驚いているジェローム。 理性に変わって活発化し始めた本能的感情が恋の始まりだと思うので、ジェロームはクレールに出会って初めて 燃えるような恋の高ぶりを感じたってことなのか・・

    クレールを前にするとあがってしまう自分を分析してジェロームは、何でも話せるオーロラにこんなことを言っていました。 「目標の見えない欲望だからよけいに強い。 何も求めぬ純粋な欲望・・ その欲望を感じる自分に当惑する。 そんな女がいたとは・・」 ということで、ジェロームはクレールの膝に触れたい欲望を募らせていきます。 胸ではなく膝ねえ・・ 男の複雑な気持ちがワカラナイ!

    そしてジェロームの何も求めない純粋な欲望は、嵐の日に達成されます。 「男の言いなりになっている」 とクレールに批判めいたことを言って、さらに彼女が好きなジルが別の女の子といるところを目撃したジェロームは、君のためだとか何とかこねまわしながらその事実を彼女に言って傷つくクレールをクールに眺めています。

    しばらくは耐えていたクレールだったけれど、 「もう喋らないで!」 と言って泣き出す始末。 そんなクレールのそばでドサクサに紛れて彼女の膝の上を撫で回しているジェロームの手のひら。 彼女も心的ショックのせいもあり、彼の手を払いのけるようなことはしなかったけれど クレールの目線が複雑で独特の怪しい雰囲気が漂っていました。

                     

    その結果報告をオーロラにしているジェローム。 彼にとってクレールの膝を撫でるというのは、絶壁から飛び降りるようなことだったと言っています。 大変な勇気が必要だったとも・・ 「自分の意志で初めて勇敢なことをした・・ 純粋な意志で一つのことを成し遂げた。 やらねばとこれほど思ったこともない。」 とかなんとか・・・ ジェロームにとって余程 クレールの膝に触れることは純粋な欲望だったのでしょう。 結婚前に大事なことが達成されてよかったと思います。 

    一方のクレールは、ジルの事実を知るために彼を問い詰めている様子。 そんな若い二人の会話を聞いていたのがオーロラ。 彼女はこの事実を知って小説の題材に取り入れ、その後のジェロームとクレールを主人公にした話を書こうという気持ちになったのかどうか・・

    どう考えてもクレールはヒゲオヤジより若いジルのほうが好きみたい。 ジェロームの言葉を借りて表現すると、純粋に同年代のジルにやきもちを焼いていたのはクレールでした。 純粋さの真実を解明するための手っ取り早い手段は、意味もなくどこかから突き上げてくるような恋?

    * 監督 エリック・ロメール      * 1970年 作品
    * 出演 ジャン=クロード・ブリアリ   オーロラ・コルシュ   ベアトリス・ロマン

    船 ところで絶壁から飛び降りるほどの勇気が求められる純粋な欲望を感じることができる女(男?)に出会ったことあるぅ?

    イン・ハー・シューズ

    • 2008.06.24 Tuesday
    • 22:32
      

    自分の足にフィットしない靴を履いて心地よく歩くことはできません。 特に女性が履くヒールの高いパンプスは、歩くことにはそれほど向いていないけれど 足元の女性らしさやフォーマル的な演出にはヒールのある靴は欠かせません。 しかしパンプスを履いてユッタリ散歩しようという気にはなれない。

    主人公は二人の姉妹・・姉は黒ぶち眼鏡をかけてキャリア・ウーマンを装っている弁護士ローズ。 妹はスタイル抜群で自分の稼ぎがない自由奔放なマギー。 幼い頃に母を失っていた姉妹は、その孤独な心を親友のように慰め合ってきたような雰囲気・・

    姉のローズは部屋の棚イッパイに今までに買い込んだ靴を並べています。 しかし自分にピッタリの靴にはまだ出会っていないようで、棚の靴はますます増えそう。 妹のマギーは姉と足がピッタリ合うので、ローズが大切にしている靴を無断拝借してヒールを折ってしまうトラブルが多いタイプ。

    このように性格を異にする姉妹は、喧嘩しながらも互いに互いを必要としていました。 しかしマギーのアバズレ的性格が災いして、ローズが好きだった同僚のジムを垂らし込んでしまったことが原因で姉の怒りは大爆発! 「私の人生から消えて!」 という言葉を妹にぶつけながらも後で気にしているローズは、やはりマギーのことが好きみたい。

                           

    マギーがいなくなった部屋に残されていた一匹の足が短くて首の長い犬。 ローズは弁護士という仕事を放り投げてズック靴を履く犬の散歩を仕事に選びました。 息が詰まりそうな状態だった彼女を救ったのは、人間ではなく犬だったように思います。 ローズの人生の転機はこうして突然起こります。 男たらしのマギーもローズの男(ジム)から200ドルせしめて、取りあえずの一歩を踏み出します。
               
    死んだと思っていた祖母がマイアミに住んでいることを知り、行き場を失っていたローズは老人たちの街マイアミを訪れることになります。 祖母のエラもまた、過去に自分の娘(姉妹の母)を自殺で失うという辛い過去を背負っていました。 自分が娘に与えてしまった我が子コントロールを今では恥じている様子。 どんな家庭でも複雑な事情を抱えて現在に至っているということですね。

             

    そんなエラの導きで、マギーは老人ホームで働き始めます。 盲目の元教授に頼まれて詩を読んで聞かせているときのマギーは、つたない読み方ではあったけれど 自分が不得手なことに取り組んで懸命に頑張っていました。 誰かに頼って生きるだけのアバズレタイプだったマギーの純真な一面を覗いたような気がします。 元教授やエラなど、彼女にとって人生の大先輩である老人たちとの出会いで マギーは大きく変化しました。

    文字を読むことが遅かったマギーは、老人たちのユッタリズムに合致して 自分自身を取り戻していったのではないかと思います。 マギーはどちらかというと、仕事にガツガツ取り組むタイプではなく、裸足で歩くプールでボ〜ッとしていたいタイプだったのかも。 一見 男たらし風のマギーの波長は、意外にも老人の波長と似ていたということ?

          

    『イン・ハー・シューズ』 という言葉に託されているのは、彼女の靴の中に入って・・すなわち彼女の立場に立って考えるということらしく、外見から相手の本心を覗くことはできません。 履きモノの靴の中に入らないと相手の痛みは分からない。 老人ホームで友人に自分には子供はいないと言っていたエラは、孫のマギーとローズに出会って過去の家族の確執を変化させていきました。
                
    母を失い相性が悪い継母に育てられた姉妹の孤独同様、彼女たちの母親の母(エラ)もまた孤独な心を押し殺して生きてきたようです。 マギーが憧れていた姉のローズも、履かない靴を並べることで自分の孤独を癒してきたのだろうと思います。 弁護士から犬の散歩業に転向したローズが犬を連れて階段を駆け上るときの彼女の晴れ晴れした表情と、マイアミで靴を履かずにのんびり寝転がっていたマギーの表情が交互に映し出されていたシーンが印象的!

    ぶつかり合って最悪になっていた姉妹は、祖母が住んでいたマイアミという砂浜が近くにある場所で本来の自分自身を取り戻していきました。 砂浜を歩くときはやはり裸足が似合います。 裸足で歩くことが好きだったマギーは、自分を装わず裸足の生き方を望んでいたように感じました。

    * 監督 カーティス・ハンソン     * 2005年 作品
    * 出演 キャメロン・ディアス    トニ・コレット    シャーリー・マクレーン

    ぴかぴか 靴を履かなければ蒸れてクサクなることもないので、裸足が一番清潔かも・・

    男のそば

    • 2008.06.23 Monday
    • 23:14
           

                     静かな村の丘のような場所で
          眠っているヌードの女性を描いた(眠れるヴィーナス)ジョルジョーネが
                      こんな絵を描きました。 
                  付けられた名前は 『テンペスタ(嵐)』

                  川が流れていて向こうが都会(川の下流)、
                そして手前が田舎(川の上流)のように思います。 
         川幅が狭まったポイントの左岸に兵士のような男が立って彼女を見つめています。
            川の右岸に腰を下して赤ん坊にオッパイを含ませている女性はヌード姿。
           男の視線を無視して画家の視線を気にしているような雰囲気が感じられます。

                男も川を渡ろうと思えばすぐに渡れる場所にいるのに、
                     彼女に近付こうとはしていません。
             女は何故か下半身をさらけ出して赤ん坊にオッパイを与えています。
               まあ風に吹かれて気持ちがいいといえばそうなんだけれど、
                        やはり気になる他人の目線。

              しかも空の状況から推察すると雷鳴が響いている可能性があり、
            しばらくすると激しい雨に見舞われる危険性を含んでいるそんな環境で
                       落ち着いて授乳でもなかろうに・・

              この絵は専門家の間でいろいろな解釈論争がされているらしく、
             どれだけ赤の他人が解釈しても正しい解釈は存在しないと思います。
                そんなわけで 自由な発想でこの絵を解釈してみました。
          
             自分の居場所を探していた女がやっと見つけた安心できる場所がココ。
                安心できたからこそ女はヌードになることができました。
              すぐ近くの対岸に自分を守ってくれる男の存在を確認した女は、
                  すべてをさらけ出して我が子に乳を与えています。
                   新しい命を育んでいくために必要だったものは、
                    自分をしっかり見つめてくれる男の存在。

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