コーヒーミルは煎ったコーヒー豆を粉末状にする道具で、五月のミルは水や木がないと生きていけないと言っている田舎志向のおじさんの名前。 ミルは毎日 家の周りをブラブラして蜂やザリガニなどと戯れている現実社会から浮いたような生活をしています。 このおじさんの仕事はありません。 いわゆる無職・・ ブルジョワ家庭に生まれたので、お金に不自由せず、この年(60歳前後ぐらい)まで遊びながら生きてきたような雰囲気が漂っています。
仕事や社会の現実とは異なる世界に身を置き、特に女に興味を示す助兵衛オジサン。 孫もいて世間の目から見ればお爺さん年齢なのですが、仕事もせずに遊び続けてきた成果の結果 若々しい好奇心を維持していました。 ミルの言葉によると飛行機に乗ったこともなく、生まれてからずっと自分が住んでいる家の周りをうろついて遊んでいた様子。
1968年パリで起こった若者たちによる反体制運動を五月革命と呼び、その後 世界じゅうに吹き荒れた学生紛争の発端になった運動が時代の背景になっています。 そんな社会の変革期にあった五月革命とは何の接点もない生活をしているのがミル。 家の周りの自然環境すべてが興味の対象になっていて、都会生活者とは一線を画するタイプのよう。
ツール・ド・フランスに出場できそうな自転車を所有し、いつも自分の部屋に愛用の自転車を持ち帰るという優雅な生活をしています。 母親とお手伝いさんのアデルと一緒にのどかな毎日を送っていたミルは、母の死をきっかけに遺産相続という人間社会の現実に巻き込まれていきます。 一人っ子ならそんな心配はないけれど、彼には兄弟がいたので仕方なく分配話に付き合わされることになりました。
ミルが住んでいた家は、白壁に絡まった蔦が美しい大きなお屋敷。 屋敷の周りは田園風景が広がりぶどう畑も所有し、庭にはサクランボの実がたわわに実り 絵に描いたような風景のなかで物語は展開していきます。 桃源郷を感じさせてくれる映像は、現実から逸脱したルイ・マルが感じている美的感覚なのかもしれません。 バックに流れる音楽は、ステファン・グラッペリが奏でるヴァイオリン・ジャズ。 争いが絶えない社会から遠いところに位置しているのがミルであり、ルイ・マルの分身的存在のような気がします。
愛用の自転車で蜂蜜採りやザリガニ捕りに興じているミルは、子供の心を維持したまま年を重ねたおじさん。 そんな彼と対照的に描かれていたのが彼の弟ジョルジュ・・ そして交通事故で死んだミルの姉の娘クレール。 ジョルジュはパリの変革運動に興味を示し、古美術商のクレールは高く売れそうな家財に興味を示します。 血はつながっている家族でも、大人になると方向性がこのように大きく変わっていくようです。
急死した母親の遺体のそばで、繰り広げられる家財の点検・・ 金になるのならないのの話が遺体が横たわっている部屋のすぐ隣で行われています。 いつもは顔を合わせない親族一同が集まって話題にしているのは、お金の話と政治の話。 子供時代はお金に執着しないのに、どうして大人になるとお金に執着するようになるのか・・
五月革命の影響で食料品やガソリンが手に入らないという状況が続き、社会のストライキは葬儀屋にまで及び母親の葬式ができなくなるという異常事態に発展します。 しかし意外にも呑気なミルたち家族。 葬儀ができないのなら自分たちで母親の遺体を埋めようということになり、年がいっている使用人に穴掘りを任せてブルジョワ家族は 優雅な屋外ランチ・タイムを楽しんでいる様子。
しかも男女関係が結構乱れて、みんなやりたい放題の家族です。 誰かが誰かに合わすようなことはなく、みんな勝手に好きな話をして好きなことをしているみたい・・ そんな好き勝手な調子がいい人々に対して非難する目ではなく、むしろ面白がっている目で見つめているのがルイ・マル監督の目線のような気がします。
屋敷を売りに出すという話もいつしか消えて、ミルと死んだ母親のダンスが最後のシーン。 若返った母と長男のミルは、ほとんど同年齢のような感じで軽快なリズムに合わせてステップを踏んでいます。 母親にとってミルは、他の多くの家族の中で一番 気に入っていた存在だったのかも・・ 家族全員を送り出した後 多くの調度品が片付けられ広くなった部屋で母と息子が踏むステップは、桃源郷を感じさせる夢の一瞬!
* 監督 ルイ・マル * 1989年 作品
* 出演 ミシェル・ピコリ ミュウ・ミュウ ドミニク・ブラン
アチコチ行かなくてもミルみたいに楽しく毎日を過ごせるのは無職だったから・・