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- 2022.04.05 Tuesday
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死刑台と地下鉄は全く違うものなのに、ルイ・マルが監督した処女作・死刑台のエレベーターの続編のようなイメージで感じていた“地下鉄のザジ”。思い込みとは恐ろしいもので、エスマルの脳の中では死刑台が地下鉄に重なり一つのものとして表現されている感覚をズッと持ち続けていました。勝手な脳の一人歩きを許してしまった結果、死刑台のエレベーターで投げかけられた罪と罰の次の舞台は地下鉄だと信じきっていた勝手な脳にノーを突き付けたのがゼウスと同じZから始まるザジでした。
舞台は押し合い圧し合いの人々でごった返していたパリ。都会に人々が集中するのは日本だけのことではないようで、半世紀も前のフランスでも右往左往する多くの人々であふれ返っていました。さらに表面化しない地下鉄までがストを決行していたため、地下鉄組まで表面化し右往左往しています。大人を操るのが得意なザジは地下鉄に乗るのを楽しみにママに連れられ田舎なら上京。しかしママの目的は恋人に逢うことで、ザジはガブリエル叔父さんに預けられることに・・ そんな忙しそうな人ばかり登場するこの映画でひと際異彩を放っていたのがガブリエルの奥さん。
男性的なアルベルティーヌに対し、男なら誰でもすがろうとする未亡人も興味深い。
紫ファッションで統一した彼女は男を求め夜のパリを徘徊する女性で、男連中からは毛嫌いされるタイプ。子供のザジにこんな言葉「私と一緒に歩いてくれる?」を投げかけ、ザジもこのオバサンにはサジを投げています。そして最後にセットされた場所はガブリエルが女装ダンスを繰り広げるハリボテ・バーで、食器や食べ物が飛び交うドタバタ劇がしばらく展開。地下鉄とザジを結び付ける接点も分からないまま映画は終盤に至り、“これは何なんだ!”という唖然状態でキタナ〜イ映像がしばし続きます。まさに登場人物みんながザジの口癖“ケツ喰らえ”を実践している感じ。
眠りから覚めたザジはラストで身勝手なママ(パパはママに殺されたらしい)と対面。「地下鉄に乗れた?」と尋ねたママにザジが答えた言葉は「年とったわ」の一言。開けてはいけないと念を押されていた玉手箱を開けて年とった浦島さんを思い出すセリフで、ザジがパリという街の玉手箱を開けてしまったのかもしれない。地下鉄に乗りたかったザジはパリの深部を覗きたかった? 最終的に地下鉄に乗れたザジ・・しかし眠っていたので何も記憶はない。わずか数日のパリ滞在だったけれど、ザジが夢の中で見たパリは退廃ムードが漂っていました。
* 監督 ルイ・マル * 1960年(仏)作品
* 出演 カトリーン・ドモンジョ フィリップ・ノワレ
★ 軽快なテンポで右往左往するザジと一緒に半世紀前のパリ見物を楽しめるビビッドな映画。