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- 2022.04.05 Tuesday
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八十神の荷物を背負って歩かされていたオオナムチの母は
殺された息子の再生を願って根国に通じる紀(木)国の門を叩きます。
麻衣 着ればなつかし紀の国の 妹背の山に麻蒔く我妹
麻衣の織り手は我妹?
オオナムチとスセリヒメ(正妻)の出会いは根国。
根国でつながる夫婦に子はいない。
猛々しい性分のスサノオノミコト(根国の管理者)は日本国中に木の種を撒き散らした。
切っても切ってもちょっとやそっとで枯れないのが木。
スサノオがやっつけた八岐大蛇が再生したようにスサノオの息がかかった木は死なない。
ざぶりざぶり ざぶり雨ふる かれの哉 一茶
枯野には猛々しいスサノオはいない。
死を前にした芭蕉は変化のない穏やかな世界を夢見ていたのかも。
ざぶりざぶりざぶりの雨でも枯野の草木は変化しない。
世の中は何か常なる飛鳥川 昨日の淵ぞ今日は瀬になる
男女の仲もこれと同じ。
淀みのある深い関係 (淵) は流れがないので臭い水になる。
一方、勢いよく流れる瀬は透けて見えるので腐らない。
そして名は体を表す瀬織津姫(伊勢神宮内宮の荒祭宮の祭神)も
衣通姫のように透けて見える。
太陽の輝き (天照大神) が水面に映るとキラキラした瀬織津姫になる。
歩行ならば 杖衝坂を 落馬かな
旧東海道 (三重県四日市市采女町) にある杖衝坂で芭蕉が詠んだ句。
急な坂を越えるときのしんどさは馬上の人には分からない。
歩行 (かち) を実践しているのは馬だから。
しかしヤマトタケルは疲れた足を引きずり自力で登りました。
ヤマトタケルのかち (歩行)。
君により言の繁きを故郷の 明日香の河に禊しにゆく 八代女王
君(聖武天皇)との間に生じた言の繁き(世間の噂)を洗い流すため
八代女王は故郷の明日香川に向かいます。
禊の対象になっているのは戸が立てられない人の口から発せられる言の繁き。
葛城山に住んでいた一言主神は一言しか喋らない。
ということは一言主は穢れていない。
その穢れなき一言主(神)を土佐国に追放したのが事の刺激を重視する雄略天皇(人)。
高山短山の末より、さくなだりに落ちたぎつ速川の瀬に坐す瀬織津姫が禊の主役。
洪水伝説は言の繁き人間社会の禊。
海の彼方から陸地に寄り付いたスクナビコナとオオモノヌシは大国主神 (八十神に迫害され死んだオオナムチが再生した人物) が実践した出雲の国造りのパートナー。 国造りの前半を務めたスクナビコナは途中で投げ出し常世国 (彼の故郷?) へ。 この世の競争システムに適応できなかった? そして後半に出現するのが汝の幸魂奇魂であると言っているオオモノヌシ。 オオモノヌシはスクナビコナとは違ってこの世を這い抜く蛇体という適応力を備えていました。 三輪山に祀られるいるのはオオモノヌシすなわち蛇が住まう根国で再生したオオナムチ。
この神風の伊勢の国は常世の浪のしき浪のよする国なり。
傍国のうまし国なり。この国に居らむとおもふ。
これは天照大神の鎮座地を探していた倭姫が伊勢に至った時に耳にした言葉。
こうして五十鈴川のほとりに伊勢神宮が創建されます。
また倭姫は八岐大蛇が誕生させた天叢雲剣をヤマトタケルに与えています。
八岐大蛇を含む出雲とスクナビコナが目指した常世と伊勢が微妙に絡み合っている感じ。
淀みしもまた立ちかへる五十鈴川ながれの末は神のまにまに 光厳院
強きまま 蟹は土蔵に 隠れけり (今村俊三の蟹曼荼羅より)
猿蟹合戦の結末は蟹を利用した猿が反省し蟹グループ(栗・蜂・臼・卵・牛糞など)に加わるというもので、女を食い物にしようと企んでいた蛇婿をやっつけた蟹は身勝手な猿にも仕返しを断行。 蟹は今食べることができるおむすび派、猿は地面に植えて成長を待たないといけない柿の種派。 蟹のおむすびを食い蟹が育てた柿の実も食べてしまう猿。 猿は蟹を怒らせたかったのかも。 猿の計画通り蟹の怒りは大爆発! タイプが違う両者が持ち物を交換したことから始まる猿蟹合戦。 被害者だった蟹は泣き寝入りせず調子のいい猿を徹底的にやっつけました。
蟹の貌 古ぶ彼方に 雷鳴れり 今村俊三
韓人の 衣染むといふ 紫の情に染みて 思ほゆるかも
作者は百済から古代日本に亡命した麻田陽春(あさだのやす)。
韓人とは百済人?
韓の人が生活の基本(衣食住)となる衣を紫(多年草)の根で染めるという。
日本人からすると韓人は外国人。
生活様式が違うあなたが染めた紫は私の心(情)に深く染みましたという歌。
高貴な紫根色に染めたのが韓人で、
染められた方の人(古代日本人?)は高貴ではなかった?
両者の融合の結果、今がある。