リバー・ランズ・スルー・イット

            

原作者ノーマン・マクリーンの目を通して綴られた渓流(鱒)釣りと家族の物語。長年勤めたシカゴ大学教授を定年後、74歳でこの小説を書き上げたノーマン(映画の主人公であり進行役)。ものを書くのが好きだった幼い頃のノーマンに牧師の父は以下のような言葉でアドバイスしています。「いつの日か家族のことを書け。何が何故起こったのかが分かるだろうから。」 ノーマンが書いた文章を“半分になる”と言って二度も書き直しを命じていた父。初めの文から4分の1になった文を捨て、飛び出していくのが10歳のノーマンと8歳のポール。フライフィッシングにも4拍子のリズムがあるようで、メトロノーム持参で川に赴くユニーク家族。

 
老いたノーマンが昔を懐かしむように語り始める時代は社会がまだ長閑だった1912年。クラシックカーに吊りズボン・・ さらに釣り帽子(?)がカッコイイ。当時の釣りは信仰と同じでファッション・センスも求められていたよう。教会に行く時のようにビシッとした身なりで実践するのが鱒(trout)フィッシング。幼い頃プロの釣り人になりたいと言ってたポールは成長とともにプロ級の腕に達し、久しぶりに故郷に戻ったノーマンは弟の腕に目を見張るばかり。こうして穏やかな日々が続くかに見えた家族を襲ったのがポールの死。美しい自然と一体化してしまった彼はドロドロした人間社会とうまく折合いがつかず、酒や女に溺れる形で命を落としてしまいます。

                

父に似たノーマンは教育者の道に進み、父とは正反対だったポールは社会のはみ出し者として殺害され人生の幕を閉じます。彼が付き合っていた女性も差別の対象だったインディアンの血を引くメイベル。闇酒場(禁酒法が施行されていた)で演じた二人の官能的ダンスといい、闇賭博に大金を賭けて借金を膨らませていくポールは人生破滅型。明るい性格で周囲の人を笑わせる一方、彼の内面は孤独だったのかも。キレイでも汚くても仮面をかぶらなければ生きていけないのが人間社会。借金が膨れ上がり、何度も警察沙汰になっていたポールを助けようとするノーマン。しかしポールは自分の借金だと言って兄に頼ろうとはしない。常にポールはポールの顔でしかなく、誰かを演じることは一度もなかった。

 
タイプの違う兄弟を中心に話が進むと大抵は対立関係に発展してしまうことが多い、
ところがこの兄弟はそうならない。互いに相手を気遣いつつ相手の領域に土足で踏み込むようなことはしない。だから自然の映像美はもちろん、内容全体がキレイなんだと思う。ノーマンの語りにあったように兄弟喧嘩は少年時代に殴り合った(それもツマラン理由で)のが最後で、コツコツ型の真面目な兄と自由気ままで笑いを誘う弟それぞれの個性を尊重していたのが彼らの両親でした。マクリーン家族の魅力も然ることながら、レッドフォード監督が見つめる優しい人間の描き方が心にしみる。この世には変な野郎も多いけど素敵な人たちもチャントいました。

       

雄大な渓谷に溶け込みニジマス釣りのアーティストの域にまで達したポール。しかし彼の美しい心は何故か正反対の方向に向かい、ロロという名の胡散臭い賭博場の連中により右腕をへし折られて死んでしまうという切ない筋書き。煙のようなものがモクモク出ていたことから想像すると暗黒世界の象徴がロロ?美しい人間はこの世で生きてはいけないことが示されているようで何だか辛くなってしまう。ニジマスと向き合う渓谷とは余りに違い過ぎる空気を発散している場所に向う見ずなポールは近付き殺されました。長生きするには向うをシッカリ見なければいけない?

 
そして長生きした老人ノーマンが故郷の川面に糸を垂れている最後のシーンで語られるのが以下の文。 “やがてすべては一つに溶け合い、その中を川は流れる。洪水期に地球に刻まれた川は時の初めから岩を洗って流れ、岩は太古から雨に濡れてきた。岩の下には言葉が・・ その言葉のいくつかは岩のものだ。“
     
 “リバー・ランズ・スルー・イット”のイットとは何なのか?

All things merge into one and a river runs through it(すべてのものが一つに溶け合い、川はそれを貫いて流れる)。すべてのものが一つに溶け合った原初の形・・ 人間にたとえるなら仮面を剥いだ本来の自分? 貫いて流れる川とはその人の中を流れる赤い血。詩のような人生を駆け抜けた弟を物語の中に生かした兄。宇宙の根源はやはり川かな。

* 監督 ロバート・レッドフォード   * 1992年(米)作品

* 出演 クレイグ・シェイファー  ブラッド・ピット  トム・スケリット


★ ノーマンが惹かれたジェシーのダンスは幼い頃のポールのダンスにそっくり。

 

       A River Runs Through It - best moment - YouTube


モンタナの風に抱かれて

     


北はカナダと接する米国北西部モンタナ州を舞台にした馬と人の物語。
英語で馬の調教師を“horsebreaker(馬を壊す人?)”と呼び、 映画の原題となっている“The horse whisperer”は調教師とは逆の壊れた馬に囁きかける特別な能力を秘めた人のこと。言葉が通じるはずの人と人との間でも互いの心を通わせ合うのは至難の業なのに、レッドフォードが扮したトム・ブッカーは人より馬と馬が合う男。自分(馬)に愛情を注いでくれる人には従順に尽くし、顔も記憶にとどめるらしい。また乗り手が下手なら人を馬鹿にするのが馬で、人と馬は昔から密接な関係にありました。

             
凍り付いた雪の坂道で落馬事故が起こったことで心を閉ざしてしまう少女グレースを演じたのがまだ幼いスカーレット・ヨハンソン。この事故が原因で彼女は右足を失い、自暴自棄から登校拒否。一方瀕死状態から人を寄せ付けない凶暴馬と化したのがかつては穏やかだったピルグリムという名の馬で、安楽死させられる一歩手前でグレースの母アニーが断固反対。人を信じなくなったピルグリムと自虐的行動をとるようになった娘を再生させる方向に導いたのが気の強いアニー。雑誌の編集長として仕事もバリバリこなす母は娘の立場からすると息が詰まるようで、居心地がいいのは強い母より優しい父。馬から落ちたうえ生きることからも落ちてしまいそうなグレースをこれ以上落ちないようにしたのが嫌われ者アニーで、優しいだけでは人を救えない。

               

片足を失った娘の将来を心配し、何が何でも一歩前へ踏み出そうとするのがアニー。
馬に関する情報をかき集め決定したのがニューヨークからモンタナに向けての長い長い旅。娘とピルグリムを引き連れ出発したアニーは凶暴になったピルグリムの目に何かを感じたようでした。馬の歴史を紹介していた映像の中にこんな言葉がありました。“人間よりずっと前にこの大地に出現した馬は草を食み大地を走っていた。その後に現れた初期の人間は馬を食料としてしか扱わなかった。その時の人間に対する恐怖心は馬の心の奥底にしみついている。”という内容で、過去の何かに触れ凶暴化してしまったのが繊細なピルグリムだったのかも。

 
馬だけでなく人の心にも囁きかけ、相手の心を解き放つことができる超人的人物に設定されているのがトム・ブッカー。自作の強みで自らヒーローを演じてしまうロバート・レッドフォードのトム・ブッカーと馬の繊細な演技はスゴイ! 繊細な馬であればあるほど人に傷付けられた時のショックは大きかったはずで、ピルグリムを癒すためのブッカーの根気は並大抵ではない。また念仏を唱える人に対し念仏を聞き流すのが馬。念仏で人は救われる? 念仏で人を救える?(馬の声) 念仏より大事な何かを手にしたいのが馬かな。馬鹿という字にあてられた馬と鹿ですが、馬鹿にしたのは人でした。

       

舞台になったモンタナの雄大な高原を駆け抜ける馬たちはカッコいい。馬の走りってこんなに優雅で素敵なものなんだ・・という気分にさせてくれると同時に後半で展開するのが不倫愛。この映画に不倫愛は必要ないという意見が大半を占めているようですが、愛の一要素である別れ方という点では好きです。恋愛(特に不倫)において出会いと別れは二つで一つ。恋愛から結婚というのが一番つまらんケースで、ドラマにはなりません。映画になるにはドラマ性が必要・・ということで心に刻まれる別れ方だったと思います。

    
ピルグリムと心を通わせることに成功したトムが最後に実践するのが一本の脚を使えなくする荒治療。見ている人たちみんなが目を背けるぐらい手厳しいものでした。
根気よく囁くだけではホース・ウィスパラーにはなれないようで、残酷さも必要ってことかな。不完全な脚でグレースを乗せ立ち上がったピルグリムは事故以前のピルグリムでもなさそう。大きな試練に耐え、グレースを背中に乗せたピルグリムは鋭い眼から穏やかな目に変わっていました。目は口ほどに物を言う通り、目の演技もなかなか上手だったのが馬鹿ではない馬。そして人を信じなくなっていたピルグリムと似た目をしていたアニーを抱いたのがモンタナの風だった。


* 監督 ロバート・レッドフォード  * 
1998年(米)作品

* 出演 ロバート・レッドフォード  クリスティン・スコット・トーマス


★ 不倫でも火遊びでも自分の人生を演出するのは自分。


普通の人々

         

過ぎて分かるのが1980年代後半をピークとするモノと快楽に溢れた狂乱時代。物価も株も土地も人の心もすべてが右肩上がりで、社会全体が狂い始めることになる80年代の行く末を暗示していた映画。終戦直後を生きた人たちは生きるために必死で働く毎日だったはず。家族の絆がド〜コ〜言ってられない時代でもあったわけで、豊かな暮らしが当たり前になっていた時代に影を落とし始めたのが精神面を重視することによる家族崩壊。映画に描かれたジャレット・ファミリーは当初4人家族(夫婦と息子2人)。しかしヨットの転覆事故で死んだのが兄バック、そして生き残ったのが弟コンラッド。映画は3人家族でスタートします。

                      
舞台になったのはイリノイ州郊外(シカゴの北)にあるレイク・フォレストという静かな高級住宅地。ここは狭い場所に多くの人たちがひしめき合って暮らす庶民の街ではない。豊かな自然に恵まれた広い敷地に大きな家を構え、仕事(弁護士)にも恵まれ、家族にも恵まれ、これ以上望むものは何もないような家族が結果として崩壊していきます。そのキッカケになったのがバックの事故死。特に母親ベスは弟より兄の方との相性がよかったようで、母と生き残った息子との間に生じていたのが微妙なすきま風。兄を死なせてしまったという後悔を引きずりセラピーを受けるのがコンラッドで、ベスはというとゴルフやパーティに参加することで毎日を充実させている様子。

               

心の振幅が激しく自分の内面をさらけ出すコンラッドに対し、ベスは周囲の目を気にして上辺を取り繕うタイプ。そんな二人の間に入ってドッチ付かずの右往左往タイプが父カルビン。コンラッドのことを気にしながらも周囲に合わせ妻に合わせていた彼ですが、次第に自分の内面と向き合うようになっていきます。特にカルビンの心に引っかかっていたのがバックの葬儀の時の妻の言葉。精神的に取り乱していたカルビンは無意識で青いシャツを着ていたらしい。それを見たベスは冷静に「白いシャツにした方がいい」とアドバイスしたというのがカルビンの妻に対するこだわり。突然の息子の死で動転し不安定な状態だったのがカルビン・・ そして意外に冷静だったのがベス。何かコトが起こった時にハッキリするのがその人の根源部分。カルビンは妻のその根源を許せなかったのかも。  

 
また朝食時にこんなシーンがありました。食べたくないと言う息子の言葉に素早く反応するベス。かつて自殺未遂を引き起こした息子の身体の心配をするのかと思いきや即座に皿を引き上げゴミ箱にバサッ(モッタイナイ)。その後サッサとゴルフに行ってしまうことから考えると、妻として母としての責任を果たすことがベス(専業主婦)の重要課題? 家族の内面に立ち入るようなことは一切ないと同時に家族にも立ち入ってもらいたくないのがベスみたい。そんな彼女を愛そうとはしていたカルビンですが、最後に彼の本音が出てしまいます。日常のわずかな塵が積もり積もって山となり夫婦の間にそびえてしまった可能性があり、夫婦間の塵は毎日掃除しなければ長続きしない?

        

不安定なコンラッドを支えるのがセラピストのバーガー医師と合唱部で一緒の女友達ジェニン。特にジェニンをデートに誘う時のコンラッドはイキイキしていて可愛かった。ショック療法で解決できないのがコンラッドの不安定さ。頼れるバーガー医師や同世代のジェニンが彼の安定となり、過去の自虐的トラウマから解放されていきます。自己抑制をしたいと言っていたコンラッドはバーガー医師の誘導で今までこらえていた怒りの感情を爆発。そんな中で“何故兄は手を離したのか!”というコンラッドの問いかけに“疲れたからだ”というバーガー医師の指摘が興味深かった。

                 
当時47歳のロバート・レッド・フォードが初めて監督したこの映画は地味だけれど真面目です。夢見る銀幕の夢見る物語ではなく普通の人々が日常で必ず体験するであろうイザコザを丁寧に表現している映画だと思う。自分は今まで壁にぶつかったことは一度もないと感じている人は不感症で、その分周囲に苦痛を与えているはず。壁にぶつかった時こそ考える時。その点でカルビンは自己を見つめ、自分の溜まっていた想いを妻にぶつけました。結果は別離の方向に向いたけれど、父と息子の絆は深いものになりました。体裁ばかり気にする人生より本音で生きることを選択したカルビンと無言で去ったベス。ところで慰謝料はどうなるんだろう。


* 監督 ロバート・レッドファード    * 1980年(米)作品

* 出演 ティモシー・ハットン   ドナルド・サザーランド 


★ 監督を筆頭に、この映画に登場していた普通の人々はみんな真面目でした。


大いなる陰謀

        


筋書きと映像で何かを伝えるのが映画とするなら、
明暗を分けた映像表現で監督が伝えようとしたものは何だったのか。暗い方を受け持つ二人の若者(メキシコ系と黒人)は政治学を担当するマレー教授の教え子。母国の将来を真剣に見つめていた彼らはアフガニスタン戦線の志願兵として最終的に命を落とします。そんな二人とは対極の位置にいるのがトッドで、彼の発言に対して指摘したマレー教授の言葉は耳が痛かった。政治や戦争絡みの映画は自分の好みではないし、たとえ鑑賞しても何かを書く気にはならなかったのが今までの自分。しかしマレー教授の政治に対する一生懸命の姿勢が強烈で、敢えて不得手な題材を扱った映画の感想を書くことにしました。

 
昔も今も変わらずはびこる金権政治に対する愚痴をまくしたて、一切の関わりを拒否しようとしていたのがトッド。“くだらん!”の一言でケリをつけようとしていたトッドにマレー教授は迫ります。「君は選挙を応援するとかポスターを貼るとか・・そういった何かに賭けたことがあるか!」 「ポスター貼りが賭けること?」と言うトッドに対し、マレー教授はズバリ「空論よりマシだ。」 この言葉は耳が痛かった。若い頃から三無主義で討論会は大嫌い。自民がやっても民主がやっても事態は同じ・・そして何もしない自分。しかし冒頭で紹介した二人の若者は政治や軍首脳部のアホさ加減をすべて理解し納得したうえで、兵士として戦う道を選択しました。

               

原題は羊のためのライオンという意味の『Lions for Lambs』。普通は迷える子羊(一般人)をリードするのがライオン(政治家)の役目。しかし実体はその逆で戦線のトップに立ち戦ったのが幼い頃から貧しく辛いことばかりのアーネストとアーリアン。国のために何かできるはずだという熱い意気込みの彼らに浴びせる白人同級生の質問がコレ。「君らはいい大学を出て高給取りになるつもりがないのか・・そんなのは欺瞞だ。」 白人学生の考えも最もではあるけれど、国の将来を本気で心配していた二人は自分の将来設計より国の変革(費用がかからない教育を誰でも十分に受けることができる制度)に重きを置いていました。実際に体験しないとその痛みは分からないように、貧しさ故の苦しみは体験していない人(例えば政治家)にとっては全く分からない。 

 
三つの異なる場面が交互に映し出され、明るい場面を象徴するのが共和党下院議員のアーヴィングと女性ジャーナリストのジャニーン。イラク戦争で失った政府の信頼を回復させるために実践しようとしているのがアフガニスタンにおける新作戦。その新作戦の記事を書いてほしいというアーヴィングの要請で面談したのがジャニーン。
二人の速い会話バトルについていくのは結構大変! そんな二人の会話の中で“新たな展開はいつから始まるのか?”というジャニーンの質問に対してアーヴィングは時計を見ながら“10分前”と平気で答えています。大衆が記事として読む時はすでに次の展開が始まっている感じで、リード役のライオンが描くストーリーを子羊が知るのはかなり後のこと。

        


テロ戦争という過去の過ちを正すため実践されたのが新たな展開のアフガニスタン。
間違った戦争を払拭するのにまたまた戦争? 戦争の大義を求め戦争から戦争へ・・分かりにくい大義を決定するのは一体誰なんだ? また戦況をキチンと把握できていない軍司令部の無能さも目立っていて、瀕死の状態にあったアーニーとアーリアンはまるで犬死にみたいなもの。臆病な羊のため戦場に赴いたライオン(アーニーとアーリアン)だったのに、余りのやり甲斐のなさで息苦しさと腹立ちが交錯する気分。
正直者が馬鹿を見る世の中で馬鹿のために戦う必要はないと感じさせられましたです。ハイ!

 
そして映画は唐突に終わります。まだ終わってほしくない気分なのに幕切れ。アーヴィングの取材要請を胡散臭く感じたジャニーンはどうするのか。マレー教授の指摘を少しは感じた風なトッドは行動するのか、しないのか。「君らが無関心だから連中はそこを利用する。君らが目をそらすから連中は巧妙な作戦を練る。連中にはチャンス。」 後半でトッドにぶつけるマレー教授の言葉。誰だって犬死になんかしたくない。だから無関心で目をそらしているのがトッドのような賢い若者。賢さをどう生かすか、その若い感性に託したマレー教授のひたむきな姿勢に心惹かれた映画でした。


* 監督 ロバート・レッドフォード   * 2007年(米)作品

* 出演 ロバート・レッドフォード  メリル・ストリープ  トム・クルーズ


★ 雪が降りしきる戦場で散ったアーネストとアーリアンの友情はホンモノ。


ミラグロ

       

ニューメキシコ州にある高地(海抜2520m)のミラグロ町がこの映画の舞台になっています。 ミラグロ(milagro)とはスペイン語の “奇跡” を意味する言葉なので、奇跡的なことが起こる映画のように思いますが、内容は全く違って現実を直視しています。 しかし舞台になっている土地の名は一応 “ミラグロ”。

この町は周りを山で囲まれた見晴らしのいい場所にあります。 毎日の忙しさに疲れ果てた都会人が、自然を求めて行きたくなるような心地よさが感じられます。 しかし現実にこの土地で生活している人々にとっては経済的収入がないので、貧しい暮らしを余儀なくされていました。 そしてミラグロの地に介入したのが都会派の土地開発業者。
                  
日本でもバブル期の頃は、リゾート開発という名のもとに僻地にある田舎の広大な土地が、ゴルフ場などに転用され木や山がズタズタに破壊されました。 自分たちの土地を流れる水も自由に使えず、巨大組織の手によって管理されミラグロの地は荒れ果てみんなが諦めかけていたギリギリのタイミングで、この地をヒョッコリ訪れた “ある大きなカゲ”。

                      

満月の夜に小さなアコーディオンのようなものを奏でながらフラフラやってきたオヤジ。
悪さばかりするラピタという名のピンク豚を飼っているアマランテというジイサンのところに来て、この町を助けるという言葉を残して突然去ります。 メキシカン・ハットをかぶり夜中に踊りながら風を興していました。

この地に古くから住んでいるホセという男も仕事がなく、開発業者に職を求めてあっさり断られた時のこと。 イライラしていた彼は、小川の水を塞いでいた柵を蹴ったことで自分の荒れた土地に水を引き入れることに成功。 そして突然ホセは自分の荒地を耕し始めます。 土地を売ると言っていたホセの豹変は誰かの仕業かも・・ 開発業者の言いなりにならずに突如抵抗を始めた彼は、周りのみんなからすると流れに逆らう厄介者。

            

物語の流れはそれほど面白くないけれど、時折 描写される心が和むシーンが心に残ります。 特にルピタが飼い主の老人の杖に絡むように歩いていたのが印象的! 飼われている豚に首輪はなく、自由に遊んでいるルピタだけが楽しそう・・ 嫌われながらも人をホッとさせるものを持っていたルピタを飼いたい!

物語は開発業者との水争い問題に発展していきます。 後半部は銃の撃ち合いでナニゴトヨッ?という感じなのですが、自分の土地を守ろうとする人たちが目覚めたということなのか 最後は州警察官のモンタナも折れて町のみんなでメキシカン・ミュジックを奏でて一件落着風の無理した終わり方!

現在はアメリカに属しているニューメキシコ州は、かつてはメキシコ領土。 メキシコの血を受け継いだミラグロを守り通したのは、豆が嫌いでステーキ好きなアマランテの分身のような何者かの影響だったように思います。 「自分たちの土地は自分たちで守れ!」 という言葉に従い、自分たちの土地を守りぬいたミラグロの地は風がいつも吹き抜ける高い地にありました。
           

メキシコを代表する乾燥した土地でも育つサボテン・・人を寄せ付けないトゲのせいか水がなくても力強く育ちます。 自分にとってホントに大切なモノを守るためには、トゲを全身にまとわないと闘うことはできません。 暖かいファンタジー性も加わり、社会問題にメスを入れながらもどこかホンワリしているのはレッドフォード監督の目だと思います。

* 監督 ロバート・レッドフォード     * 1988年 作品
* 出演 チック・ヴェネラ   クリストファー・ウォーケン   カルロス・リケルメ

ゴルフ 自分たちのミラグロという土地をよそ者に略奪されず、しかも多額の金に買収されなかったミラグロに住んでいた人たちの心が奇跡に近い!

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