サンセット大通り

           

生前プール付きの豪邸に住みたいと思っていたジョー・ギリスの希望は意外な形(プールに浮かぶ死体)で叶えられます。アメリカ西部(ロサンゼルス)にあるヤシの木の並木道で有名な“Sunset Boulevard”を駆け抜けていくパトカーがオープニング映像。映画産業の中心地ハリウッドに近いサンセット大通りの一角にノーマルとは言えない女優ノーマ・デズモンドの豪邸があり、時間が止まったような屋敷に紛れ込んでしまったのがウィリアム・ホールデン扮する映画の脚本家ジョー。お金に困っていたジョー(厳しい現実)とお金に困っていなかったノーマ(映画のような夢の世界)。
環境が違い過ぎたジョーとノーマは折り合うことができず悲劇は起こります。この物語の進行役を務めるのがプールに浮かぶ死体となったジョー。こうして話は6ヶ月前に溯り、ジョーは自分が死ぬことになった経緯を語り始めます。

              
実際にサイレント映画の女優だったグロリア・スワンソンと映画のノーマはまさに現実と映画が交錯している感じで、不自然な時間の歪みが丁寧に且つ不気味に描写されています。まず気になる存在がこの宮殿のような家の執事マックス。彼は三回結婚したノーマの一番初めの旦那で、彼女と離れたくないので執事になったとか・・ 時代の変化に対応できず、未だにサイレント時代の女優であり続けた妄想癖のノーマ。同居人マックスは現実を直視しない彼女を守ることが自分の務めであるかのように忘れ去られた存在のノーマにファンレターを書いています。現実を見ようとしないノーマはマックスのおかげで好きな夢を見続けることができました。そんな二人の間に割り込んだのが現実直視型の貧乏ジョー。

             

映画女優だったノーマと同じようにジョーもまた脚本家として映画に携わっていました。相反するタイプに見えた二人の共通点が作り物である映画。サロメの主役として再び脚光を浴びることを望んでいたノーマは過去に何度か自殺未遂を図ったことがあり、彼女の屋敷にあるすべての部屋に通じるドアには鍵がありません。表現を変えると彼女は自分の本心をさらけ出し男の愛を求め過ぎたのかも。結局三回も結婚と離婚を繰り返し傷の絶えないノーマに最後の最後まで付き従った男の器は名前と同じようにマックスでした。そして猿の葬儀屋に間違われたジョー・ギリスはノーマにとって4番目の男。


オープニングのクレジットから雲がかかったような不鮮明な映像で、
その不鮮明さは物語の進行とともに異様な空気を漂わせていきます。初めはノーマが書いたサロメの原案の修正を任されたジョーですが、次第に彼の私生活にまで侵入するノーマ。彼女の束縛に耐えられなくなったジョーは毎晩邸宅を脱け出し、ある女性と会っていました。彼女も映画の脚本家を目指していて、自分の意見をズバッと言う賢い女性ベティ。過去に執着して生きるノーマとは違い、ベティは現実を生き現実に仕事をこなしています。婚約者がいながらジョーに恋してしまったベティ。どっちつかずのジョーが最後に選択するのは?
            

健全な空気とは正反対の淀んだ空気が初めから最後まで充満しているにもかかわらず、そのイヤ〜な空気にハマって目が離せなくなってしまう不健全映画。しかし魔力のある脚本で映画は見事に成功しています。映画はやはり脚本がすべて? ノーマもジョーもベティもこだわっていたのが裏方の仕事だった脚本。気分を害する脚本なのに映画の魅力はなかなかのもの。空気の淀みは半端ではなく深呼吸すらできない雰囲気。途中で気分転換の深呼吸をしようものなら窒息死してしまいそう。

 
ノーマの願いだった映画出演が最後に意外な形で訪れます。それはツクリモノの映画ではなく現実の殺人者ノーマに向けられたスポットライト。この時も彼女を支えていたのがマックスで、狂気の現実はまるで映画のよう。最後にノーマが監督に言います。「アップにして」 しかしカメラが近付けば近付くほど彼女の顔はぼやけ、最後は煙のように消えてしまいます。再び映画の主役を演じることを念願していたノーマ。彼女のぼやけた顔が無声映画の終焉を告げているかのような終わり方で、聖ヨハネの首を欲しがったサロメとは違っていました。彼女が欲しかったのは男の頭ではなく自分の名声だったのでは・・

* 監督 ビリー・ワイルダー  * 1950年(米)作品

* 出演 ウィリアム・ホールデン  グロリア・スワンソン

★ 暖炉の前で横たわっていた猿はインパクトがあった。


ワン・ツー・スリー

    

始まりと同時に流れ出すのがせわしい♪剣の舞♪。この曲はソ連のハチャトゥリアンが作曲したもので、映画の主題(米ソ対立)の一翼を担っています。自分たちの国を持たない民族クルド人が剣で戦うイメージを表現した曲らしい。映画に登場する人物もみんな音楽と同じようにせわしく喋りまくり動き回り、観る者に息つく暇を与えないまま映画は終ります。しかし不快なせわしさではないのがワイルダー監督のなせる技で、主人公マクナマラが勤務するコカコーラ社のようにスカッとするせわしさがこの映画の柱。確かこの時代(1961年)に活躍した政治家にマクナマラとかいう人がいたような・・ そのマクナマラに扮したのが圧倒的喋りで周囲をリードするジェームズ・ギャグニー。

                                     
舞台となったベルリンは映画が製作された1961年東西に二分され壁が形成されています。ともに譲り合わない資本主義と共産主義の対立が鮮明になりつつあった時代の風刺映画ですが、堅苦しい政治や思想をお祭り騒ぎにして終始一貫したドタバタ喜劇で最後まで突っ走ります。出世に意欲を示すマクナマラは敗戦による復興のため民主主義社会を目指していた西ベルリンに赴任。彼の部下シュレマーはヒトラー体制に染まり、マクナマラが注意しても踵を鳴らすあの癖がなかなか取れない。ドイツ人気質の従業員はというとマクナマラに敬意を表し、立ったり座ったりで忙しい。ヒトラー色に染まった西ドイツのお国柄が鮮明に表現されていました。東ドイツは米国に反発するデモ行進が日課らしく、変わる西に対し変わらない東の廃墟が印象的。

                     

物語は出世に意欲を示すマクナマラが社長の娘の面倒を見ることになり、その娘スカーレットと彼女の恋人オットー(共産党員)に振り回される内容。清く正しく美しくをモットーに掲げるオットーはスカーレットの目に新鮮に映り、二人は結婚。出世意欲に燃えていたマクナマラはスカーレットの勝手な行動に激怒し、どこの馬の骨か分からんオットーと対立。互いに譲り合うつもりはないようで、オットーに対するマクナマラの買収作戦は失敗。 “ 資本主義は月夜の腐れニシンだ・・光り輝くがクサイ。ソ連のミサイルは金星に、アメリカのミサイルはマイアミビーチに・・ ” というのがオットーの独断的意見。

          
買収に屈しないオットーを排除しなければ出世どころか自分が排除されてしまうと感じたマクナマラ・そこでオットーをアメリカのスパイ(相手国から言わせるとアメリカ帝国主義者)に仕立て上げ、東ベルリンで監獄送りになるよう画策。モスクワで妻と幸せな生活ができると信じていたオットーは逮捕され、マクナマラの裏工作は成功します。その後押しをしたのがアンクル・サム(合衆国を象徴する架空の人物)が飛びだす鳩時計。しかしスカーレットがすでに妊娠していていることを知った彼は予定を変更し、新たな名前でアメリカ側の人間に仕立て上げようとするのが裏工作に精を出す資本主義崇拝者マクナマラ。振り回されていたのはバラ色の生活に憧れていたオットーだったのかも。

      

その彼が東ドイツ警察の取り調べ室で拷問ともいえる尋問を受けていたシーンで思ったのは西も東もこの点では共通しているような感じ。スパイ容疑のオットーは何が何でもアメリカのスパイでなければならず、ノーは一切通用しない。眠りを奪われ朦朧状態にあったオットーはついに相手側の筋書きに合わせ、アメリカのスパイであると嘘を暴露。容疑者を吐かせるための手段は眠らさないことと相手が嫌がることを繰り返し行うことで、密室で繰り広げられる世界共通認識がコレ?


ドタバタ喜劇の裏に散りばめられた監督の皮肉は超一流。
最後はますますドタバタに拍車がかかり、伯爵オットーに変身させるための磨き上げをみんなに指示するマクナマラ。抵抗していたオットーも次第にその気になっていくし、冒頭で紹介されていた三人のロシア人のうちの一人は資本主義側に亡命し「裏切るか裏切られるかのどっちかだ。」と口走る始末。マクナマラの秘書だったブロンド娘に心酔してしまったようで、自分の都合で動くのがこの社会。

 
共産主義を信じていたオットーはこの事実を知り絶望寸前。しかしスカーレットの両親を前にしたオットーは伯爵として社会情勢をこんな言葉で表現しています。「希望はないが深刻ではない。」と。 マクナマラの精神が乗り移ったかのように喋り続けるオットーと自分の引き際を知るマクナマラ。英国支店長を期待し持ち歩いていた傘をオットーに手渡し、次の赴任先に向けて出発。妻の期待通りマクナマラは故郷アメリカに帰ることでハッピーエンド。


* 監督 ビリー・ワイルダー    * 1961年(米)作品

* 出演 ジェームズ・ギャグニー   ホルスト・ブッフホルツ


★ ワン・ツー・スリーのせわしい時の変化に対応できなかったパンナムの機体が使われていました。


お熱い夜をあなたに

          

イタリア語のペルメッソ(入っていい?)に応じる言葉アヴァンティ(Avanti)が原題。意味不明の紛らわしい邦題を付けるくらいなら原題のままにしておいてほしかった。監督がこの事実を知れば抗議したくなるであろう変なタイトルですが、“お熱いのがお好き”や“あなただけ今晩は”と肩を並べる(あるいはそれ以上)楽しい映画。舞台となったイタリア南部のナポリ湾に浮かぶイスキア島は温泉が湧く保養地で、男女二人の主人公はどちらもイタリアとは縁のない外国人。

 
ワイルダー監督映画になくてはならない存在のジャック・レモン扮するウェンデル(米国人)はどこにでもいそうな男の代表・・いわゆる仕事の鬼。その点、日本人男性も似たり寄ったりでラテン系の血は流れていない。ウェンデルがイスキア島に出向くきっかけを作ったのが彼の父。海の向こうの異国で事故死した父の遺体を引き取るのが彼の目的で、旅の途中でも弔辞の言葉を考え練習していました。風光明媚なリゾート地イスキアに全く興味を示さず、頭の中は葬式のことばかり。道中で出会うことになる女性パメラ(イギリス人)はというと、イタリア語の本を片手にイタリア語の猛勉強。男は自分流で突っ張り、女は相手国に合わせようとする努力をしています。

               

イスキア到着後まず遺体安置所に向かおうとするウェンデルですが、ランチタイム(1時〜4時)のため扉は開かないと説明するのがホテルの支配人カルロ・カルーチ。昼間はゆっくり時間をかけて食事をして女を愛し、夜は夜で妻を愛するのがマメなイタリア人。仕事に目がないアメリカ人(日本人も)とは根本的に違います。ホテルは曲がりくねった坂道を登りきった見晴らしのいい場所にあり、泥風呂でリラックスする長期滞在者が多い。泥まみれになって働くと疲れるけれど泥まみれの温泉につかると癒される? そういえば泥パックというのもあったし、泥と肌が合うとキレイになれるのかも。

 
何かとリズムの違うイタリア人とアメリカ人。異国で死んだ父を引き取るにはイタリアの規則に従う必要があり、そのトロサに苛立つウェンデル。不味いアメリカンに慣れてしまっている彼は泥色のエスプレッソが口に合わず苛立ち、水(C)だと思って蛇口をひねれば熱い湯で火傷という有様で苛立ちは増すばかり。一方風俗習慣の違う国で楽しそうだったのがパメラ。一糸まとわぬ裸体をさらけ出し海にジャンプするパメラはラテン系。ウェンデルの父が運転していた車の助手席にいたのが彼女の母親で、ウェンデルのパパとパメラのママはこの島で密会していました。その二人がぶどう畑に突っ込んで即死。そんな状況で出会うことになるのがウェンデルとパメラ。


          

この甘い物語にもう一人かかわってくるのが甘くないブルーノという名のボーイ。
かつて彼はアメリカ暗黒街のメンバーだったらしく、強制送還でイタリアに戻された経歴の持ち主。アメリカに憧れアメリカに渡ることを夢見るブルーノはラテンの血は一滴も流れていない。明るい場所より暗い場所を好む彼は最終的に髭のあるメイドの黒人女性に殺されます。そこで三つの棺が用意されるわけですが、その後の展開がサイコーに楽しい。特に最後のオチは納得できるし大いに笑える。人は必ず求めた場所にたどり着くという教訓的ブラック・ユーモアが粋!

 
もう一つ印象的だったのがパメラのアイスクリームの買い方で、注文数は四つ。そばにいた子供たちの期待を無視し、四つの味を一人で楽しむパメラ。博愛精神とは縁遠いけれど彼女の仕草は素直で爽やか。ワイルダー監督映画に登場する女性は天真爛漫・・ 言葉を変えると自己チューの我がままタイプだけれど憎めない。そんな彼女の魅力にはまってしまったのが父の仕事を継いだアームブラスター・ジュニア。そして仕事一筋の真っ直ぐな男の生き方を曲げたのが女パメラであり彼女の母親。不倫の絆を結んだ二人の愛は簡単明瞭! ペルメッソ&アヴァンティで国境を越えた不倫は続きそう。


* 監督 ビリー・ワイルダー   * 1972年(米)作品

* 出演 ジャック・レモン  ジュリエット・ミルズ


★ ウットリする音楽を担当したカルロ・ルスティケリは鉄道員・刑事(死ぬほど愛して)・ブーベの恋人なども手掛けたイタリア人作曲家。


七年目の浮気

     

原題“ The Seven Year Itch”に使われている単語(イッチと発音するitch)は男のムズムズした浮気心を表しています。浮気の虫という言葉があるようにムズムズ虫が活発に動き始めるのが結婚して7年目ぐらい。7年もしないうちに動き始める虫を飼っている殿方も多いと思うけれど、主人公リチャード・シャーマンは恐怖の想像力を駆使してムズムズ虫を追い払おうとする中年男。自分の内面に潜むこの虫を妻(ヘレン)がもし見破れば自分は妻に殺されるという恐怖の筋書きを自分に課しながらムズムズ虫と対決していました。

 
舞台に設定されたのはリチャードが暮らすニューヨークのアパートメント。その階上にひと夏だけ間借りしてやって来たのがマリリン・モンロー扮する娘で最後まで彼女の名前は示されません。均整のとれたセクシーボディの娘がムズムズ男を挑発する内容かと思いきや、天真爛漫娘のペースに陥りムズムズ虫を目覚めさせてしまった男の抑圧と爆発の葛藤物語。すり寄っていくのはリチャードの方で、娘の興味の対象は如何にしてこの暑い夏を乗り切るか。間借りしている部屋にはエアコンがなく、下の部屋は全室エアコン完備だったことから興味を持たれただけのシャーマン。男女の思考形態は根本的に異なっているのに、自分の思考と嗜好だけで突っ走るのが男の可愛さであり愚かさ?
                

地下鉄が通り過ぎる時に吹き出た風で白いドレスが舞い上がる有名なシーンは彼女の暑さ対策。あのシーンだけを取り上げガタガタ言う人が世間にいますが、暑さ対策法としては効果的だし周囲の人たちの目の保養にもなっていいんじゃないの。気持ち良さそうに屈託なく笑っていたマリリンはかわいかった。世間の評価に惑わされず自分の目で確認しなければいけないと感じたこのシーンの印象は爽快! 大人になりきれていない少女のようだったのがマリリンで、セックスシンボル的要素は全く感じなかった。世間よりワイルダー監督の目をモーレツに支持しま〜す。Oh

                  
また妄想癖で思考がアチコチに飛ぶリチャードはピアノを弾くことができました。
クラッシック(特にラフマニノフ)音楽にも精通していた彼が弾いた曲は左右の人差し指を使って弾くチョップスティックス。ラフマニノフには興奮しなかった彼女がこの軽快な曲には興味を示し、思わず彼女を押し倒し直後に後悔するリチャード。妻と息子を避暑地に送り出して間もないのに狼に変身してしまう自分を嫌悪する男は小心者なのか妻を真剣に愛しているのか。鬼の居ぬ間の女遊びを拒否し、モテル自分の妄想にふけっている彼は他人の口を極端に恐れていました。妻に知れたらどうしよう、会社に密告されたらどうしようと心配ばかりしている彼はやはり小心者。


      

既婚者(結婚を考えなくて済む)で部屋にエアコンがあったことでますます気をよくしたのがマリリン。ニューヨークの暑さに辟易していた彼女は下着を冷蔵庫に入れる工夫(試す価値あり)で暑さをしのいでいました。一方 彼女を襲って以降のシャーマンは親指が自然にビクビク動き出す癖に見舞われ、そこに注目したのが精神科医。
まさか自分が彼女を襲うとは想像もしなかったようで、想像したことは何も起こらず想像しなかったことが彼に起こります。 “妻を愛してる”・・とかブツブツ言いながらビクビク動く親指にオドオドしているリチャード・シャーマンはシャーマンに成り切れていない。

 
全室冷房完備で涼しいはずのシャーマンは夏の暑さでのぼせ上がっている様子で、暑いはずの彼女はどちらかといえば冷静に物事を見つめています。ピアノを前にしてリチャードに襲われた時も“こんなことは初めてだ”と言うシャーマンに対し、彼女の言葉は“しょっちゅうヨ”。彼女に名前がないことから想像するとマリリン・モンローだからこそ襲う気になったという風にも考えられ、男を虜にする彼女の魅力全開映画。最後は口癖のように軽く“愛してる”と言っていた妻と息子を追いかけ、彼も避暑地に旅立ちます。夏の暑さは結婚生活7年目を迎えた男の精神を熱く狂わせる凶器の要素も秘めていました。しかし彼はマリリンの魅力に屈せず妻の元に・・  ツマズカナイ男はツマンナイですが、映画はオモシロイ。


* 監督 ビリー・ワイルダー   * 
1955年(米)作品

* 出演 マリリン・モンロー   トム・イーウェル   イヴリン・キース


★ 三つの要素(流木と砂と彼女)と題されたグラビア写真の中の彼女は髪が短く、本人が言ってた話と矛盾しているんだけれど・・もしかして本の中の彼女をシャーマンが脳で勝手に創造した話だったのかも。


情婦

              


同じ読み方の情婦あるいは情夫は法律が認める夫婦ではなく内縁関係にある夫婦のこと。
肉体関係だけで結ばれている夫婦の共通点は“情”だけで、法律が認める夫婦の共有財産であるべき家や金は彼らにとって関係ない。そんな情け重視の情婦を中心にした法廷映画の原題は“検察側の証人Witness for the Prosecution)”。殺人罪に問われた夫(レナード)のため弁護する立場にあった妻(クリスティーン)を演じたのがドイツ出身のマレーネ・ディートリッヒ。しかし彼女が立ったのは弁護側ではなく対立する検察側。正式な夫婦ではなかったからなのか、彼女は検察側の証人として“夫ではない”とハッキリ証言していました。

     
映画の結末を言わないように!というメッセージに逆らい、映画の結末から感じるのは情婦の立場にあったクリスティーンは情に流されない男性的強さ。裁判が関与する映画とは思っていなかっただけに、正式な夫婦とは認められていない男女の情を覗き込むことに・・ 邦題のイメージから法廷ストーリーとは思わせない意外性が魅力で、意外にも情婦という邦題は好きです。そんな微妙な関係の男女に足を突っ込むことになったのが病み上がりの辣腕弁護士フィルフリッド。口うるさい看護婦に従うフリをしながら影で酒や煙草そして仕事に没頭する狸オヤジで、何より好きなのが刑事訴訟の法廷で検察側と勝負して勝つこと。過去にも多くの訴訟を手掛け勝利した経緯が感じられるフィルフリッドに弁護を依頼したのがクリスティーンの情夫レナード。


                 

二人が出会ったのは法廷の舞台となる英国ではなく異国ドイツでクリスティーンの母国でもありました。ドイツに駐留していたイギリス軍兵士がレナード、そして彼ら兵士を慰問する歌手がクリスティーン。一目惚れで結婚することになった二人ですが、彼女は独身ではなく母国に夫がいる身の二重婚。モノ不足のせいか母国を逃げ出したかったクリスティーンは、たまたまモノを提供してくれたレナードと意気投合。一方 裕福なエミリー・フレンチともイイ仲になり彼女の遺産相続者になったのがレナードで、この段階で話が怪しい。刑事コロンボの目でストーリーを追うとレナードのわざとらしい芝居が鼻につく。

 
結末を知ったうえで映画を観るのもこの映画の魅力になっています。未亡人だったエミリー・フレンチの遺産相続人だったことを知らないと言っていたのがレナードで、その事実をすでに知っていたのがクリスティーン。二人の間にあった矛盾する話は法廷で明らかにされる前から発生しています。最後のドンデン返しもいいけれど、犯人を知ったうえでその人物の言葉や表情を観察するのもオモシロイ。男女の機微を表現するのが上手いビリー・ワイルダー監督ですが、この映画でもやはり中心にあったのは男女の考え方の違いと情婦の情け深さ。本当に彼女が求めていたものは?・・ というのが明らかにされるラストは切ない。


        


また話題になったのがマレーネ・ディートリッヒの変装。個性ある声と男性的な体型からマルワカリではありますが、このもう一人の女性がレナードを救うことに貢献しています。敢えて悪女を演じることで情夫を無実にしようとした情婦。しかしそんな情婦の情を簡単に裏切った情夫に情はない。二人の間で振り回される格好になった弁護士フィルフリッドは法廷で判決が下された後、情夫と情婦の真実を見ることになります。そこに突然出て来たのが名前も覚えていないとレナードが証言台で証言した女性で、一緒に旅に出る計画を立てていました。そんな展開を目の前にしていたフィルフリッドが最後に呟いた言葉 “殺しではなく処刑だ” が印象深い。

 
法廷が終了した後のラスト10分で目まぐるしく変化する男女の感情。フィルフリッドと同じように観客側もまた呆気にとられる最終場面。原作はアガサ・クリスティの検察側の証人ですが、最後は情婦の独壇場になっていました。邦題の情婦の方がこの映画にはピッタリだったような感じ。罪を犯した者は必ず裁かれなければいけないとするなら、第三者に裁かれるより事件関係者に裁かれた方がヨカッタように思います。


* 監督 ビリー・ワイルダー   * 1957年(米)作品

* 出演 タイロン・パワー  マレーネ・ディートリッヒ チャールズ・ロートン

★ 英国法廷では変なカツラをかぶる習慣があったようで、正義を判断するのはカツラをかぶった頭で?

 

    YouTube - Marlene Dietricn in Witness for the Prosecution - Trailer


アパートの鍵貸します

       

自分が住んでいた賃貸アパートの部屋を上司の浮気部屋として提供していたのが主人公
C.C.バクスター。
ジャック・レモンが扮したバクスターは巨大組織で構成された保険会社に勤める大部屋のイチ平社員。自分の部屋を浮気部屋に無料開放するその意図は上司の計らいによる出世期待で、会社での実質的な仕事は自分のアパートの鍵を封筒に入れ上司の手元に届けることでした。浮気相手の都合もあり部屋を使う上司の変更に応じて曜日を設定するのがバクスターの主な仕事。彼のデスクやその上に置かれた電話は結局のところ上司の浮気のために使われているのが現状で、会社組織の一端を垣間見る映画でもあります。

彼は今で言うところのパワハラっぽい上司の態度を利用して出世しようとする目論みで、どっちもどっちのギブ&テイクで成立していたのが家族持ちの上司と独身バクスター。妻の目を盗んで別の女と浮気することも上司の仕事だったようで、彼らを後押しする形で自分の出世実現に驀進していくバクスターはバックが嫌い? そんな彼の前向き姿勢が認められ大部屋から何とか飛び出すことができたのですが、それと同時に彼が密かに想いを寄せていた女性の不倫を知ることになります。その女性が若き日のシャーリー・マクレーンが扮した可愛いフラン。身持ちがいいことで定評があった彼女は会社内の人気者。
                

そんな彼女を翻弄していたのが部長という肩書きを持つシェルドレイクで、会社の中では一応エライ人。
色を好む傾向のエライ人だった部長はフランとの不倫前にも次から次に会社の女に手を付けていました。その事実を知った彼女はショックを受け、こともあろうにバクスターの部屋で自殺未遂。彼女が命を落とさずに済んだのはバクスターの対処がヨカッタからで、応急処置に対応してくれたのが隣りの部屋に住んでいたおせっかいなドクター・ドレイファス。毎晩隣りの部屋から聞こえてくる女の声に反応し、バクスターの現状に何度も警告を発してくれていました。特に耳に残ったのが“Be a mensch!”メンチュと発音されていたmenschとはhuman beingのこと。

英語っぽくないmenschは東欧系ユダヤ人が用いていた言語(イディッシュ語)で、ユダヤ人の血を受け継いでいたワイルダー監督はこの映画で何度かメンチュという言葉をドクターに喋らせています。耳慣れない奇妙な発音なので浮いたように耳に残っていたのがメンチュになれ!すなわち真の人間になれ? バクスターの日常を勘違いしていたドクターの手痛い介護により眠りから覚めたフラン。眠ろうとする彼女の目覚めを終始見守り続けていたバクスターこそメンチュだったと思う。心配してこの部屋にやって来たフランの義兄に殴られても平気だったバクスターは、フランを救うことに必死でした。そんな彼を理解できず相変わらずエライヒトが言う甘い言葉に騙されてしまうフラン。甘い言葉で女の気を引くような男は家庭でもテキトーな言葉で家族を騙していると考えた方がいいかも。

       

バクスターが住んでいたアパートメント(原題
The Apartment)は寝室・居間・キッチンと独立した部屋の間取りで結構広い。シーズンに合わせてクリスマス・ツリーが居間にあったり、スパゲティ調理のためにテニス用ラケットがキッチンにあったりします。外食もしないで冷凍食品をチンする侘しい夕食風景ですが、ワイルダー監督が描くとほのぼの感が漂う夕食になるのが何とも不思議。後半で好きなフランと一緒に食事する際のスパゲティ料理に使われていたのがラケットで、邪魔になりそうな長いラケットを狭いキッチンで手際よく使えたバクスターは麺を皿にひっくり返すのが上手い。最近はこういう男性がモテ系のよう。今から50年も前に描かれたバクスター・タイプの男性が21世紀を背負うのかも。

何とか回復できたフランを待っていたのが家から追い出されたシェルドレイク部長。
自分から家を出たのではなく以前の愛人だった秘書が彼の妻に密告したことが原因のようで、ますますメンチュから離れた人生を目指している部長。一度死にかけたフランは部長の嘘を見抜く新たな目を持つ女性に変身。エレベーターガールが象徴するように上がったり下がったりする生活は卒業した様子で、最後に彼女が選択したのは甘い言葉で人を惑わすようなことをしない料理上手なバクスター。

地位も部屋も手放し、再出発しようしていた彼が最後にこんな言葉をフランに言います。
「愛してるよ」とか「君に夢中だよ」とか。でも成長したフランが返した言葉は「黙ってカードを配って!」。「物事はすべて成り行きだわ」と言っていたフランの言葉通り、成り行きでソファに隣り合った二人。メンチュな二人の成り行きを演出したのが緻密な脳を持つワイルダー監督で、その緻密な脳構造をさらけ出さない賢さがまた賢い。やはり名を残せる監督はスゴイ!

* 監督 ビリー・ワイルダー    * 
1960年(米)作品
* 出演 ジャック・レモン   シャーリー・マクレーン

★ 家族持ちで女に甘い言葉を平気で言う男は信じない方がいいと思う。
    


あなただけ今晩は

      

パリの娼婦街を舞台に演じるのは母国語を喋らない浮いたアメリカ人。その浮いている人達の中でさらに浮いているのがジャック・レモン扮する新米警官ネスター。警察に公認されていた娼婦街にブローニュの森から転属された生真面目な彼はカサノバ通りの家宅捜索を敢行。娼婦とともに豚箱にぶち込まれた客の中にはネスターの上司もいて、即日クビというのは国が違えど社会共通のルール。人間社会で何より重視されているのは黙認する(できる)目。黙認できなかったネスターは警察から弾き出され、ますます浮いた存在に・・

          
そんな彼の浮き方と肩を並べる浮き具合でカサノバ通りに立つのがグリーンタイツにグリーンリボンの娼婦イルマ。酒飲みペット(犬)も頭に付けているのはグリーンリボン。彼女は男に養ってもらうタイプの女性ではなく、反対に男(ヒモ)を養い食わしています。口から出まかせで涙を誘い客から金を巻き上げるのが上手なイルマは、その金を自分のために使わずヒモに貢いでいました。暴力的なイルマのヒモ男と真っ向から対立し、たまたま勝利してしまったのが行き場のなかったネスター。彼はいつの間にかイルマのヒモになりイルマに養ってもらう立場に・・ しかしネスターにとってヒモは居心地の悪い生活。そこでバーのマスターと協力して立てた計画がイルマの専属客を務める片目(左目だけで見る)紳士の設定でした。

               

妻との折り合いが悪い金持ち英国紳士に設定されたX卿を演じるためネスターは近くの市場で早朝労働に明け暮れる毎日で、イルマの相手をしたくても疲れて寝てしまうのが実情。そんな訳あり労働で得た金はX卿がイルマと過ごす一夜に充当され、イルマはX卿からもらった金をネスターに渡すという三人(実は二人)の循環システムが構成されていきます。しかしネスターの不自然な一人二役を演じる芝居は当然厳しい現実に直面。イルマの心はこの世に存在しない金持ち英国人に向かい始め、そこでX卿に腹を立てたのがネスター。果ては殺人計画を立ていつの間にか現実にX卿の殺人者にされてしまう不可解ネスター。

 
ビリー・ワイルダー監督の知的ユーモアと社会制度に対する皮肉が込められ、浮いたカップル間で金が行き来する映画。ある面では金に寄ってたかるウジムシ野郎が加わらないのでキレイな映画ともいえますが、社会が嫌う男たらしの娼婦が男に金を貢ぐ物語なので常識の範疇からすると大きく外れています。 “金は天下の回りもの”という言葉があるように、一人の人物のところに留まってはいけないのが金。その点、イルマは自分の巧妙な嘘で稼ぎ出した金をすぐに男に貢いでいたので金を回すことにかけては天下人? 彼女の執着は男で、一人ぼっちを極端に嫌っていました。そんなイルマをオモチャにせず、細工して彼女に返金していたのがネスター扮するX卿。


       

イルマにその事実を打ち明け、「愛してるのは君だけだ。他の男とは寝るな!」と抱き締めることができていれば、事態はこれほどまでに複雑化しなかったはず。実際ネスターがしたことはイルマをホッタラカシのまま早朝労働に明け暮れたことと自分が嫉妬するX卿を創り上げてしまったこと。嫉妬した老紳士を川で殺す際のネスターをたまたま現場で見ていたのがイルマの元ヒモ男。警察への通報で御用となり豚箱行きのネスター。こんなワケワカラン話を長々と続けることのスゴサと馬鹿馬鹿しさを感じながら、つい付き合わされてしまう多くのXを持ち合わせているワイルダー監督。

 
誰でも若い頃はカワイイを証明してくれたのが原題“Irma La Douce(かわいいイルマ)”を演じたシャーリー・マクレーン。おばさん時代のマクレーンしか知らなかったので、若いイルマのマクレーンはやはり若い。またジャック・レモンが使い分けた英国訛りの老紳士がネスターとイルマの結婚式に参加していました。その事実をウマク把握できず面食らっていたのが異国の老紳士Xを立案したバーのマスター。立案したことが現実に起こってしまう展開は“another story”ということで、軽快な音楽とともに馬鹿馬鹿しくてオモシロイ話は幕を閉じます。


* 監督 ビリー・ワイルダー    * 1963年(米)作品

* 出演 ジャック・レモン   シャーリー・マクレーン   ルー・ジャコビ


★  「男に働かせるのは恥!」と言っていたイルマの個性ある言葉が印象的。

   

         YouTube - Trailer - "Irma la Dulce" (1963)


お熱いのがお好き

             

女装好きの男性必見の映画。参考にしてほしいのが男性二人(トニー・カーティスとジャック・レモン)のたくましい女メイク&女ファッション&女歩き。禁酒時代を背景にしたシカゴのもぐり酒場で勃発した銃の乱射事件から映画は始まります。法を無視した飲酒パーティが開かれていた秘密の部屋で楽器を演奏していたのがジョー(サックス)とジョリー(ベース)。楽団員すべてが警察に連行されるなか、ドサクサに紛れて逃走したのがこの二人。暗黒街を牛耳っていたマフィアが仲間割れした現場にたまたま居合わせた彼らは女装してフロリダ行きの列車に飛び乗ります。暖かい場所フロリダを目指していたのが女ばかりの楽団員で、その中に加わっていたのがマリリン・モンロー扮する甘い声の持ち主シュガー。

 
今から50年も前とは思えないほどの凝った女に変装した男二人と甘ったるいマリリンは観る者に良質な笑いを与えてくれました。この三人に関わってくるのがジャック・レモン扮する女ダフネ(ギリシア神話の中でアポロンに愛された女の名前)に熱くなった大金持ちのジイチャン。過去のダフネのすべてを受け容れようとするジイチャンを本気で好きになりかけていたダフネですが、男同士の結婚では出産することもできず不可能なんだけれどジイチャンの熱い想いは伝わってきました。包容力に溢れ、しかも経済的基盤がシッカリしているジイチャンとナヨナヨ感のない力強いダフネの結婚生活は意外に明るい未来が待っているかも・・

               


一方 トニー・カーティスが扮した役は男に騙され続けたシュガーをかばう女友達ジョセフィンと
シュガーに恋するシェル石油の御曹司。女だと信じているシュガーは男のジョセフィンに何でも打ち明けるカワイイ女性。過去の女性関係で女に対して不感症になっていた御曹司を救うため熱いキスをしまくるシュガー。女に反応できる男にするため健気に御曹司を愛撫し、彼をその気にさせるのが背中丸見えでバストの辺りが女でも気になるマリリン。マリリンのシュガーにジワジワ反応するジョーの演技と思惑は大成功! しかしシェル石油の御曹司という肩書きのない男ならシュガーはどう反応したのか気になるところ。

 
当時33歳(1926年生まれ)だったマリリン・モンローはその3年後に伝説の人になり、好き好きは別にしてマリリン・モンローという生き方と謎多き死に方を後世の人たちに残しました。少なくとも主婦向きではないような女性がマリリンで天性の彼女なのか自ら演出した彼女なのかは知るよしもないけれど、話し声の甘さや肉体的女性のセクシーさはマリリン・モンロー最大の魅力。演技が下手というのを聞いたことがありますが、決してそんなことはないと思う。演技なのか彼女の素地なのか区別しにくいところがイイように感じました。


          

映画の中でマリリンが歌った♪I wanna be loved by you.♪はヨカッタ! “あなた一人だけに愛されたい私 あなた一人だけにキスされたい私”という内容の歌ですが、映画の中では待っている女性ではなく自分から積極的に金持ちにアプローチしていました。当時にしては行動力のある女性がシュガーで、彼女と波長が合っていたのは女装が似合う男二人。女のネチネチした部分が全くない女三人ですが、三人ともタイトルのようにお熱いのが好きみたい。そんな熱い三人の仲間に入ったのが実生活でも大富豪というオズグッド三世。熱い仲間が集う場所は陽光輝くフロリダのビーチで、お金のある人は額に汗して働かなくてもいいのがいい。

 
ビリー・ワイルダー監督53歳の時の作品。テンポのある演出は休ませる暇を与えずアッという間に追われるマフィアからの逃亡を成功さます。その逃亡に力を貸したのが不気味な女ダフネに熱中した大富豪のジイチャン。愛したダフネが男だと分かっても全く動じず、ジイチャンがダフネに言った言葉は“完全な人はいない”。人は不完全だからこそ自分が完全になることを求めて自分に合う誰かを探すのかもしれません。


* 監督 ビリー・ワイルダー   * 1959年(米)作品

* 出演 マリリン・モンロー  トニー・カーティス  ジャック・レモン


★ 大富豪とダフネのその後が気になる。

       YouTube - "I Wanna Be Loved By You",Marilyn Monroe


フロント・ページ

       

ロードショー公開されたタイミングで当時たまたま観た映画。結構心に刻まれていてもう一度観たいとズ〜ッと思っていた念願の作品がやっとDVD化され観ることができました。心に刻まれた理由が何だったのかを想像すると今がすぐに過去になってしまうジャーナリズムの世界でシカゴ・イグザミナー新聞社の編集長(ウォルター・マッソー)と記者(ジャック・レモン)が織り成す迫力あるトボケリズム。会話のテンポはかなり速く頭にガンガン響く喋りが続きます。登場人物全員が何かに怒っているような感じで言いたい放題なのに嫌な気分ではなくどこか懐かしい雰囲気。社会を皮肉る姿勢はピカイチで、そのドライな笑いがある種の快感をもたらしていたのかも。

              
題名のフロント・ページは新聞の第一面。“読者はトップしか見ないんだから”という言葉は俳優ウォルターが扮した編集長ウォルターの言葉。独断と偏見で新聞を構成するウォルターと組んで記事を書いていたのがジャック・レモン扮するヒルディ。
しかし彼は結婚退職を希望し、セワシイこの業界から足を洗おうとしていました。
そんな折、たまたまニュースで飛び込んで来たのが翌日の死刑執行を前にした死刑囚(アール・ウィリアムズ)の逃亡事件。黒人警官を撃った罪で死刑を宣告されていたウィリアムズは殺人の瞬間の気持ちを思い出させる実験に駆り出されていました。
死刑囚の心理状態をチェックしようとしていた医師の思惑通り、拳銃を持たされた死刑囚は犯人役の医師に向け発砲。この辺りのストーリー・・かなり笑えます。

                

多くの記者がたむろする煙草くさい部屋(警察署の一部)が主要舞台で、たまたまヒルディだけが居たその部屋に窓から転がり込んできたのが逃亡犯ウィリアムズ。ヒルディの記事で彼のことを知っていたウィリアムズは彼を信用してデスク(ローリングするカバーが付いている)の中に・・ その事実を知っていたのはヒルディとウィリアムズのことを気にかけていた娼婦モリー。この二人が他の連中に見つからないようあの手この手で対応する演技もなかなか見物。もともとは舞台劇だったようで、鑑賞する側の笑いを意識したツクリになっています。そしてその意図通り、観ている方は笑ってしまうんですね。こういうツクリが当時から好きだったみたいで、今回久しぶりに観ても好きだなあって感じました。


結婚相手のペギーがこの部屋に来ても仕事に熱中しているヒルディはトップ記事の作成に必死で、彼女のことは眼中にない様子。
ウォルターとの二人三脚で仕事に賭けるヒルディに結婚するつもりがあるのか疑問を感じ始めたのが若いスーザン・サランドンが扮したペギー。先に一度結婚に失敗していたヒルディは今度こそ!という結婚への意気込みは全くなさそうで、興味の対象は時間との勝負が明確に出る新聞記事の見出し作り。「時間と闘っている」と言うウォルターの言葉にペギーが返した言葉は「私たちもヨ」。生きている限り時間との闘いはすべての人に課せられた宿命のようなもの。1929年に設定された時代背景の中、忙しそうな音楽(楽しくて好き)とヒルディが打つタイプ音がその緊張を高めていました。


       

マッソー&レモンの二人が初めてコンビを組んだのが同じビリー・ワイルダー監督の“恋人よ帰れ!わが胸に(1966年)”。タイプが全く違う二人なのか、とてもよく似た二人なのか、あるいはその両方を備えた二人だったのか・・ いずれにしても名コンビであることには間違いなく、周囲を圧倒する二人を前面に押し出したウルサイ映画ですがオモシロイ! 特にウィリアムズが隠れていた机の持ち主(トリビューン紙の記者)に中を開けさせないために口から出まかせばかり言ってたイグザミナー編集長は人を診断するexaminer(調査官)みたいでした。その調査に合格したのがヒルディで、不合格だったのがトリビューン紙の記者(気のいいおじさん)。記者になるには気がいいだけでは務まらないってことかも。

 
この映画で改めてビリー・ワイルダー監督の偉才を感じました。他の作品はほとんど観ていないので、これからドンドン観てみたいという気にさせてくれた監督の70年代作品。若い頃は映画の嗜好が偏っていたのでワイルダー監督との接点はなかったですが、記憶の中に30年以上も留まり続けたフロント・ページがきっかけでワイルダー監督ファンになりそうな予感。緻密に計算されたユーモアと政治に対する執念のような皮肉がふんだんに散りばめられていて、監督の本音を感じます。フロント・ページの大きな見出しだけで判断する我々に対する皮肉もイッパイでした。初めから終わりまで高いテンションを維持し続けるパワー全開映画は寅年スタートにふさわしい。


* 監督 ビリー・ワイルダー   * 1974年(米)作品

* 出演 ジャック・レモン  ウォルター・マッソー  スーザン・サランドン


★ ラストでやっとこの世界から足を洗えたかに見えたヒルディを待ち受けていたのは・・またしても・・で足を洗うのは結構難しい!

         YouTube - The Front Page - Original Trailer 1974


麗しのサブリナ

             

特にオードリー・ヘプバーンを真似てサブリナパンツをはいていたわけではありませんが、一時期 ピチピチのサブリナパンツを愛用していたことがありました。 そのサブリナパンツという名前の由来になったのがこの映画・・ 原題はそのまま 『サブリナ』。 ドレスを着ていることが多かった映画の中のサブリナが、後半 何故かコートの下に着用していたのが黒いサブリナパンツ・・ といってもこの映画 白黒映画です。 そんなサブリナパンツをはいてサブリナが会いにいった相手はハンフリ・ボガートが扮したライナス。

合衆国東海岸にあるロード・アイランドという島に居を構えていたのが大富豪の “ララビー” 一家。 夫婦と二人の息子・・ それに豪邸を管理するたくさんの使用人と車の運転を受け持つフェアチャイルドなど、多くの人々が広い敷地に一緒に住んでいました。 主人と使用人の主従関係が明確にされているので、運転手フェアチャイルドの一人娘だったサブリナは この家で催されていたパーティに参加することはできません。

               

二人の息子のうち長男がライナス 次男がデヴィッド・・ 長男は仕事に目がなく次男は女に目がないという どちらも度を超えるぐらいの仕事人間であり女たらしでした。 そして運転手の娘サブリナが幼い頃から好きだったのが遊び人のデヴィッド。 相手にされないサブリナはフランスに旅立つ寸前 自殺を決意します。 『お父様 わたしはパリに行くより今 死にたいのです。 わたしがこれからすることを許してください。 さようなら』 そして追伸 『わたしの葬儀にデヴィッドを呼ばないで・・ 彼はきっと涙を流さないと思うから・・』

というわけで、22歳のサブリナは自分がもし死ねば涙を流してくれることをデヴィッドに期待しています。 多くの高級車が並んでいる車庫で排気ガスを吹かして窒息死を試みたサブリナですが、たまたま入ってきたライナスによってサブリナは結果的に命を取り留めることになりました。 そして彼女はフランスに旅立ち、好きだったデヴィッドと離れて二年・・ 料理の腕は全く磨かれないままファッションだけは華麗に変身してララビー宅に戻ってきました。

誰もが見紛うぐらいぐらいのイイ女に変身したサブリナに熱を上げたのがプレイボーイのデヴィッド。 サブリナにとってかつての夢は夢でなくなり、今 自分の目の前にデヴィッドがいてダンスをしています。 冴えないシンデレラが王子様と結婚するはずの物語は、ココから急に変な方向に向かいます。 仕事一筋だったライナスが、意外にも女の扱いがうまかったこと。 弟の代わりだと言いながら、サブリナとのデートを楽しんでいたライナス。

               

彼女も初めはそれほどでもなかったのに、ジワジワとライナスに惹かれている自分を確認して 戸惑いながら訪れたのがライナスの会社・・ その時のファッションがサブリナパンツ。
いわゆる三角関係の男女を表現しているのに、ネチネチしない爽やかさを感じさせてくれるドライな風。 ララビー社を経営するためデヴィッドの政略結婚を成立させる必要があったライナスは、最終的にサブリナをフランスへ送る手筈を整えていました。

ところで象徴的に出てくるフランスは恋をするのにいい国で、仕事には向かない国のよう・・ そういえばサブリナはいつも少女のように夢を追いかけていたように思います。 そんな夢とは全く縁がなかったライナスが最後にフランス行きの船を追いかけて乗船しました。 人生の転換点になったサブリナとの出会いで、彼の後半生はきっと楽しい時間になるだろうと感じました。

* 監督 ビリー・ワイルダー     * 1954年 作品
* 出演 ハンフリー・ボガート   オードリー・ヘプバーン   ウィリアム・ホールデン

船 『エンドウ豆に玉ネギ青ネギはあるけれどバナナはありません・・バナナはありません』 とバナナがないことを強調する変な歌を知っていたライナスは、最後に仕事を捨てました。

calendar
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 
<< June 2017 >>
sponsored links
selected entries
categories
archives
links
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM