コットンクラブ

         

設定されているのは1928年、ニューヨークのマンハッタン北東部“ハーレム”に存在したコットンクラブというリッチなナイトクラブ。着飾ったブルジョア階級の人や当時の著名人がしばしばココを訪れ、ジャズ演奏やダンスを楽しんでいたという伝説の場所。黒人居住地区のハーレムにあるのに黒人は入店を断られるという矛盾した話がまかり通っていたこの時代、客はすべてリッチな白人で占められていたのに対し舞台で演奏するミュージシャンやダンサーはすべてプアーな黒人。白人に抑圧されていた黒人が生きていくため選択した道はコットンクラブの舞台に上がること。

そんなコットンクラブは現実に多くのジャズ・ミュージシャンを社会に送り出しました。デューク・エリントンを筆頭にキャブ・キャロウェイやルイ・アームストロングなど、その後のジャズ界をリードする大物が生み出された場所が金と暴力で支配されていたコットンクラブ。黒人街にありながら黒人を阻害するコットンクラブは白人の都合だけを優先させた白人の娯楽と退廃の溜まり場でもありました。そして当然のように翌年起こったのがハーレムから南に下ったウォール街での株価大暴落。

               

物語はハーレムで幅を利かせ酒の密売もしていたギャングのボス(ダッチ)がコットンクラブとは別のナイトクラブで襲われるシーンから始まります。禁酒法が施行されていたこの時代、ダッチは不法の闇取引で多額の金を儲けていた様子。そんな汚れた金にモノを言わせハーレムを牛耳っていたダッチを襲ったギャングは警官と裏で手を組み制服を交換していました。何を信じていいのか分からない闇社会でギャング同士で銃を乱射する映像はまるで映画を観ているように(その通り)現実離れした光景でした。

そんなダッチをたまたま助けたのがディキシーというコルネット奏者。リチャード・ギアが扮したディキシーはダッチの愛人ヴェラとネンゴロになり、コットンクラブで再会。そこで又しても銃の乱射事件が起こります。ハーレムをめぐる権力闘争は簡単にドンパチゴッコに発展してしまう危険性を秘めていました。そしてこのような血が流れる殺し合いもコットンクラブの舞台で演じられていたダンスやジャズの一部になっているかのような演出はコッポラ流? 何がホントで何が嘘なのかが明確な区別がつかないまま混沌映像は続きます。

          

ストーリーがあるようなないような感じで、印象的なのは1920年代のキラキラ衣装とポマードテカテカのオールバックの髪型。ダイアン・レインがかぶっていたチャラチャラした帽子のようなものも印象深い。舞台の出演者と舞台を観に来た客の区別がつかないぐらいに客の衣装は派手! またタップダンスによる靴音は耳に心地よく、映画のラストで披露されたグレゴリー・ハインズのタップと銃撃戦の絡みは幻想的でコッポラ監督の芸術的なこだわりを感じました。

ハインズが踏みならしたタップダンスはもともと米国南部の黒人のダンスでした。
ジャズ発祥にかかわっていたのも黒人だったので、芸術的センスは白人より黒人の方が秀でていたのかも。そんな黒人ばかりで演じられたコットンクラブの舞台を観て真似をしたのが白人? でも白人が関与したおかげでジャズがこんなに進化したともいえるので白人と黒人の関係は濃密。ラストはディキシーとヴィラがハーレムを離れ、西海岸行きの列車に乗り込むハッピーエンドで幕を閉じます。東海岸の闇社会を離れた二人は西海岸の陽光を求めて旅立った?

* 監督 フランシス・フォード・コッポラ    * 1984年 作品
* 出演 リチャード・ギア   グレゴリー・ハインズ   ダイアン・レイン

★ リチャード・ギアの弟役でコッポラ監督の甥にあたる若いニコラス・ケイジが出演していました。     
           
 YouTube - The Cotton Club


ジャック

              

オープニングは浮足立つ仮装パーティから救急病院へ・・そして妊娠二ヶ月で出産してしまったのがカレン・パウエル。仮装パーティが象徴しているように現実的にあり得ない輝く子供の目を持つ大人の純粋さが描かれています。そんな純粋な大人を演じたのが腕や脛さらに胸も毛がモジャモジャしているロビン・ウィリアムズで、年齢は10歳。妊娠したと同時に出産に至るという超スピードで生まれてきた赤ん坊に名付けられた名前はジャック。

誕生したジャックは超スピード(一般的スピードの4倍の速さ)で成長し、10年後の小学5年生になったジャック少年の外見は貫録ある中年おじさん。そんな中年少年のロビン・ウィリアムズに“ママ”と呼ばれるダイアン・レイン。同じく“先生”と呼ばれるジェニファー・ロペス。この二人の女性がジャックより年長だという奇妙な感覚はこの世の話ではない!

コッポラ作品“ペギー・スーの結婚”でも感じたことですが、コッポラ監督は何かを伝えるためにこのような状況設定をしているのかも。この映画の母(カレン)と子(ジャック)は父と娘にも見えるし、先生(マルケス)と生徒(ジャック)は恋人同士にも見えるんですね。映画の中で校長先生を演じたジャックは校長先生にピッタリだったし・・
                

ジャックの家は大きく物質的には何の不自由もなく成長した少年。
でも身体的外見のため同級生たちは彼を不気味がり、誰もジャックに近付こうとしません。ずっと家の中で育てられた孤独な10歳の少年ジャックは一緒に遊べる友達を求めていました。
ママがジャックの相手になって遊んでくれるけれど、彼の浮いた孤独の穴を埋めることはできない。

一念発起して学校に行ったもののクラスのみんなから怪物扱いされ、ショックで落ち込んでしまうジャック。しかし同級生の男の子が興味を持つポルノ雑誌を買うことができる体格のジャックは、しだいに正真正銘10歳の少年たちに迎え入れられることに・・バスケでも自分の身体的特徴を大いに発揮し、ジャックの念願だった友人ルイとの仲を深めていきます。

学校でマルケス先生が提案した作文のテーマが“大人になったら何をしたいか”。
生きていたい!というジャックの想いは人より4倍の速度で過ぎ去る時の重さに切実なものを感じていたんだろうな。そして友人だったルイはジャックのような大人になりたいという意志を伝えていたことから想像すると、ルイの目に映る大人は遊ぶことや目を輝かすことを忘れ仕事だけに追われる大人にはなりたくないということ?

             

生まれつき人より短い人生を決定されて生まれてきたジャック。与えられた時間は短いということを誰よりも強烈に知っていたジャックは自分の少ない時間を精一杯輝かせるためにエネルギーを注いだように思います。マルケス先生に失恋後のジャックはやりたい放題で飲めない酒を飲んで喧嘩・・そして言いたい放題で殴り合いになり警察の世話になるジャック少年すなわち校長先生。でも人生は一回きりだから自分の好きなことをすればいいよね! 

ラストは7年後の老人になったジャックが映し出されます。(生きていてヨカッタ)ハイスクールの卒業式総代としてジャックが言った言葉 「人はこの時期になると将来を考えて不安になる。でも僕を見てくれ。そして悩むのはやめよう。どうせ人生は長くはない。悩んだ時は夜空を見上げてほしい。」 流れ星のように人生を駆け抜けてきたジャックは自分に与えられた長くない時間の一瞬一瞬を輝かす才能に恵まれていました。

* 監督 フランシス・フォード・コッポラ   * 1996年 作品
* 出演 ロビン・ウィリアムズ  ダイアン・レイン  ジェニファー・ロペス

★ jackからJackになるためジャックは時間と闘いました。


ペギー・スーの結婚

           

SF映画やSF小説でタイムスリップする話がありますが、SF映画ではないこの映画の主人公ペギー・スーもタイムスリップして25年前を再び体験します。しかし現実は高校時代の同窓会で卒倒して昏睡状態に陥っている間のペギー・スーの脳の中。彼女の人生を決定した相手に出会ったのがタイムスリップした高校時代で、彼女にとっての節目の時。25年前が高校生なら現在の年齢は40代過ぎの女性ということになるので、それにしたら若いペギー・スー。

高校卒業と同時にその固い節目の相手と結婚し子供二人にも恵まれ、安定した主婦道を突っ走る最中に知ってしまった旦那の浮気。そんな同い年夫婦を演じたのが姉御肌のキャスリーン・ターナー(当時32歳)と変な声の若いニコラス・ケイジ(当時22歳)。夫婦というよりママとロックンロール僕? 現実世界で夫婦関係にある男女はトリップすると親子になる可能性も・・

高校時代にタイムスリップする設定なので、ニコラス・ケイジはいいにしてもブリッコブリブリのペギー・スーを演じたキャスリーン・ターナーは無理が感じられるし、

視点を変えるとタイムスリップしたスーのママと同年齢のようにも見えて違和感パイパイ。さらにスーの娘との親子に値する年齢差も感じられず、年相応という概念が完璧に崩れています。ズバリ!時間軸を敢えて乱している映画。

               


コッポラ監督の意図はふさわしくないキャストで物語の不安定さを表現しようとしているのかも。
夫婦が親子だったり、親子が同年齢だったりするチグハグな演出は時間軸の乱れ? 意図的な乱れは近親者なら克服できる可能性があるので、人間関係を奥深く進めたいと思っている人は相手の時間軸を乱してみましょう。相手の怒り爆発を覚悟で、また振られることも覚悟して臨んでください。

           

若いニコラス・ケイジはエルヴィス風にロックンロールを歌っています。挿入歌としてチャーリーがヴォーカルを務めたグループが歌っていたのが♪ペギー・スー♪。

ペギー・リーやペギー・マーチあるいは学生時代を歌ったペギー葉山なら知っていたけれど、ペギー・スーという歌は知らなかったです。ネットで調べるとバディ・ホリーという人が歌ってヒットさせたらしい。響きがかわいいペギー・スーは歌や本にも登場する人気がある名前みたい。


          

高校時代を再び体験することになった彼女は将来の旦那チャーリーを避けて別の男にアタック! 浮気でイヤな想いをさせられることが分かっていたスーは自分の旦那以外に寝たいと思っていた男とチャッカリ寝て過去の夢を実現させます。自分が知る限りの知識を将来科学者になる同級生に教えたり、将来の旦那にはビートルズがヒットさせた歌詞をパクって自分の詞だと言って与えていました。

ある意味 健気で自由奔放な女性がペギー・スー。たまたまタイムスリップした場所で将来を知る強みを発揮させ好き放題の時間を生きたスー。将来が分かることは生きることの最大の強み。死にかかっていたスーが再び目覚める直前に感じたチャーリーとの絆。目覚めたスーのそばには以前と比べて老けた旦那が・・好みとしては当たり前の映像より時間軸が乱れている時のチグハグな映像がオモシロカッタ。


* 監督 F・フォード・コッポラ    * 1986

* 出演 キャスリーン・ターナー   ニコラス・ケイジ


★ 過去に戻ってしたいことができるチャンスを得て、したいことをキチンとしたペギー・スーの生き方が好き! 

           YouTube - 6 ペギー・スー(バディ・ホリー) 


ワン・フロム・ザ・ハート

この映画を観て初めて知った南太平洋に浮かぶ
ボラボラ島。
今では名前も知られるようになり楽園のイメージが
定着しつつあるけれど、
当時は映画のストーリーや映像より
このボラボラ島に心を奪われ 
いつもブラブラしていられそうで
イイナと感じたことを思い出しました。

ストーリーだけを追えば語ることは何もないけれど、
映像がこれほどに現実ばなれしている作品も珍しいのではないかと思います。
これがもしかしてコッポラ監督のネライだったりして・・

現実はつまらないからせめて映画の中でキラキラを体験してみようという試みか、
あるいはリアリティーがないということは社会の現実と似ているんだヨというメッセージなのか?  特殊な映像だけに いろいろ監督の想いを想像してみたくなります。

完璧にすべてがツクリモノであるということがマルワカリのオール・セットで撮影されました。

 音楽ではしわがれ声のトム・ウェイツと、 
 柔らかく透き通った声のクリスタル・ゲイルが
 担当して少しだけ話題になりました。 
 両極端の男と女を象徴的に声で表現しているよう
 にも感じます。

ストーリーのなかで男と女が5年目の記念日に、お互いプレゼントをしました。 女から男に贈ったのは、ボラボラ島行きの航空券。 男から女へのプレゼント(?)が家の権利書で・・ちょっと興醒め!  この男・・堅実ではあるかもしれないけれど、女心を理解していないです。

このように男と女は永遠にズレを生じさせながら、それでもこの世には男と女しかいないので “何か合わない” とどこかで感じながらも、妥協あるいは習慣で生活し続けていくことになるのでしょうか。 

* 監督 フランシス・フォード・コッポラ    * 1982年 作品
* 出演 フレデリック・フォレスト   テリー・ガー   ナスターシャ・キンスキー

ムード ボラボラ島という名前がどのようなイキサツでつけられたのかスゴク興味があります。 

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