珍しい竹

                  


鬱蒼とした竹藪の中で根元が光っている竹を見つけたのは竹取の翁。
そしてその光る竹筒の中に入っていたのが三寸(約9cm)の女の子。竹取の翁の子として育てられたその女の子は三ヶ月ほどで美しい女性に成長したという有名な話(平安時代に成立)は作者不詳のまま現代まで伝承されてきました。三寸しかなかった小さな女の子がわずか三ヶ月で美しい女性に成長する竹取物語で三日間とか三年間など頻繁に出てくる数字が“三”。三と竹の関係は?

 
天を目指し真っ直ぐ成長する暗い竹藪の中にあったのが光る竹。その中に入っていたのは男の子ではなく女の子。一日でグングン伸びる竹の子の成長と同じように一気に成長したのがかぐや姫と名付けられた女性。中身が空っぽの竹を親に持つ女の子の成長は格段に早い? 地球の男たちに無理難題を突き付け全く相手にしなかったかぐや姫の故郷は月でした。

多くの種類が確認されている竹ですが、そのほとんどに共通しているのは花が滅多に咲かないということ。地下茎で繋がり竹藪を形成する竹は60年から120年周期で開花するという説があり、ひとたびその周期で開花すると地下茎でつながった周囲の竹も一斉に開花し、地上に出現していたすべての竹が枯れるという話。地上で目にする一本一本の竹は地下でつながっているため何らかの影響を与え合っているのが竹かな。
こういった事実から民間伝承では竹の花が咲くと不吉なことが起こる前兆と考えられてきました。神秘的とも思われる竹の最後は共倒れ。共に生き共に死ぬのが竹族?

 
話は全く変わって高知県特産の食べる竹が最近スーパーに出回っています。その名は中国原産の“四方竹(しほうちく)”で、名前の通り四角い竹。普通の丸い筍は春に向かって成長しますが、この四角いタケノコは秋に向かってヒョロヒョロ成長します。竹の子らしいのか筍らしくないのか難しいところですが、食感のシャキシャキ感は正に竹の子! 春の筍の食感とはまるで違う秋に食べる竹の子は只今県内の四方八方のスーパーで販売中。

        


貝と甲斐

                     

平安時代前期に成立した作者未詳の“竹取物語”で根元が光る竹の中から誕生した女の子はわずか三ヶ月で美しい女性(かぐや姫)に成長しました。急速な成長の原因は生みの親だった竹? 男女の交わりで出産に至る人間を親とせず、急速に伸びる竹を竹取の翁が斬ったことで誕生したのが美しいかぐや姫。かぐや姫の育ての親はもちろん竹取の翁ですが、竹の中にいたかぐや姫をこの世に出現させた竹取の翁は生みの親でもありました。

 
特殊な生まれと急速な成長でひと際目立つ存在だったかぐや姫に五人の男性が求婚を迫ります。色好みの五人の男たちはかぐや姫を自分のモノにするため朝に晩に竹取の翁の家を訪れ“あなたの娘さんを私にください”と翁に頼みましたが、かぐや姫は誰も相手にせず結婚しようとはしませんでした。“どんな高貴な方でも愛情の深さを確かめずに結婚することはできません”というのがかぐや姫の本心。熱烈な恋愛で結婚してもスピード離婚に突入してしまうケースもあるのでかぐや姫の判断は賢明!

 
そんな状況のもと、かぐや姫は自分が求めているものを目の前に示してくれた人と結婚すると意志表示。五人の男たちにかぐや姫が求めたモノとは、仏の御石の鉢(石作皇子)・東の海にあるという蓬莱山に生えている木(倉持皇子)・唐土にある火鼠の皮衣(右大臣阿部御主人)・龍の頸に光る五色の珠(大伴大納言)・燕の巣にある子安貝(石上中納言)。特殊な生まれのかぐや姫が選んだモノは意味深なものばかり。
簡単にイメージできるものは何一つなく、地球人ではないかぐや姫の脳構造が示されているような話。それにしても平安時代に仮名で記した竹取物語の作者って地球人?


かぐや姫が見たいと言った五種類のモノの中で今回は燕が持っているという子安貝を調べてみました。
他のものに比べまだしも具体性が高いと思われるのが子を産む燕の巣にあるという子安貝。しかし人の目に触れた瞬間失われてしまうのが燕の子安貝の特徴で、たとえ子安貝があったとしても手にする前に消えてしまう幻のようなものが燕の子安貝なのかも。燕の巣に梯子をかけその梯子を登ったジャックのような中納言は自ら手を差し出しかき回して手にしたものが平たいナニカ。高い場所で平たいものに触れた瞬間、竈の中に落ちた中納言石上麿足(まろたり)は意識不明の重体。

      
その後 意識を回復させた麿足が手に固く握りしめていたものは燕が垂れた糞と判明。やり甲斐のないことを“カイ(貝)ナシ”というのはこのエピソードが元になっています。かぐや姫と結婚するため必死だった麿足の手に残ったものは燕の糞だけという踏んだり蹴ったりの話。コトの顛末を恥ずかしく思っていた麿足は高い場所から落ちたことで腰を痛め、その後体力もしだいに落ちていきます。噂で麿足のことを知ったかぐや姫はお見舞いに以下のような歌を送りました。

 
“年を経て 浪立ち寄らぬ 住の江の 待つかひ(甲斐)なしと 聞くはまことか”

 
   麿足のことを心配しているようでどこか冷たそうなかぐや姫の歌に対して
              麿足の返歌が以下の通り。

 

  “かひはかく ありけるものを わびはてて 死ぬる命を すくひやはせぬ”

 
あなたが求める貝はなかったけれど、あなたが歌を私に送って下さったので甲斐はありました。できることなら侘しく死んでしまう私の命を匙(かい)ですくって下さると嬉しい・・という歌を書き終わると同時に麿足は絶命。こうして貝なしの麿足は人生の最後に甲斐あり体験をすることができました。かぐや姫が求めた幻のような燕の子安貝を必死で探そうとした麿足は魅力的な男性! 道半ばでカイなく死んだように感じる麿足ですが、かぐや姫と出会い生きがい(甲斐)を感じる時間を過ごしたようにも思います。

 
生まれ方が尋常でなかったかぐや姫は消える時も尋常でない消え方をしました。
“私の身は人間世界のものではない”というかぐや姫の言葉通り彼女は確かに変わっていました。どんな男も相手にしなかったかぐや姫の故郷は月。月人と地球人の結婚は許されていなかったのか、あるいは地球人を好きになれなかったのが月人のかぐや姫だったのか。彼女に振り回され命を落とした熱意ある麿足の冥福を祈りたいと思います。


光る竹を見つける目

             

この世でかぐや姫の親になったのが “竹取の翁” という古老の男。 名前は 『散吉(さぬき)の造(みやつこ)』 と言い、サヌキという地名が奈良県北葛城郡河合町にあります。 
翁の仕事は野山を開墾して竹を取り、その竹に手を加えていろいろなモノを産み出すことでした。 そんな翁がいつものように竹を取るため出かけた野山で出会ったのは、根元がキラキラ輝いている一本の竹。 このようにして竹取の翁とかぐや姫の親子は出会いました。

竹の中にいたかぐや姫は、当初三寸(一寸は3.03cmなので9.09cm)の手のひらサイズの美少女。 翁は小さい彼女を自分が作った竹籠に入れて虫を愛でるようにして育てました。 小さかった彼女はスクスク成長・・三ヶ月で一人前の女性になったことから想像すると、竹籠に隔離して育てたことが、短期間に大きく成長した要因になっているような気もします。 かぐや姫の自由を奪って大きくしたのが竹取の翁?  自由を奪われたかぐや姫は親に反発してアッという間(三寸のかぐや姫が三ヶ月で一人前の女性になった)に大きくなったのかも。

「我 朝ごと夕ごとに見る竹の中におはするにて知りぬ。 子になりたまうべき人なめり。」 という翁の発言があります。 竹を編んで籠(こ)を作ることを仕事にしていた翁は、竹で籠を作らず竹の空洞にいた小さい女の子を自分の子にしようとしました。 翁はカラッポであるはずの世界で出会った三寸の女の子と出会ってすぐ、自分の子になるような運命を感じているようです。 翁は何かピリピリと閃くものを感じたのでしょうか。

かぐや姫との出会いを果たしたその後の翁は、竹を取るたび節と節の間の空洞の部分に黄金が入った竹を見つけることが頻繁に起こるようになりました。 通常で考えれば竹の節と節の間は空洞でなければならず、黄金が入った竹を見つけることの意味は 翁の運気が上昇し始めたという風に理解しました。 翁の運気が上昇して裕福になった原因と考えられることは、竹から生まれた子を我が子にしたから?  
             
魅力的な女性に成長したかぐや姫の髪を結い上げ、裳(女性が腰から下にまとった服)を着せ 几帳の中に厳重に閉じ込めて秘密裡に育てられたのがかぐや姫のような感じがします。 竹取物語のかぐや姫は何故に隔離されて育てられたのか明確にされていませんが、その後 月に帰るシーンがあることから考えるとかぐや姫は地球人ではなく月の住人だった?

地球とは異なる星からこの世に出現したかぐや姫の居る場所は、常に光が満ちていました。 根元が光っていた竹から生まれたのがかぐや姫だったので、地中の深い底からライトが投げかけられていたのかもしれません。 父親の竹取の翁は娘のかぐや姫に接することで、気分が悪いときも腹が立つことも紛らわすことができました。 自分(翁)を裕福にしてくれたうえに、自分の夢や希望のような存在だったのがかぐや姫。 竹を取ることが仕事だった散吉の造は、かぐや姫のおかげで光り輝く人生の仲間入りができたように思います。

平安時代初期に成立した竹取物語の舞台は大和国の飛鳥(藤原)の地。 フィクションとして描かれた最古の物語で、“竹取の翁の物語” とも呼ばれています。 主人公は多くの竹の中から根元が光る竹を見つけた竹取の翁というジイサン。 光った竹を見つけ出す能力に秀でていた竹取の翁がいたからこそ、かぐや姫はこの世に誕生することができました。 かぐや姫の父親でありしかも誕生させる母親の役割も果たしたのが竹取の翁。 その後 かぐや姫が竹取の翁に与えた影響を思うと、二人の関係は濃密さ100%!
              
しかし20年という時を経た最後の場面で、かぐや姫は自分を産み育ててくれた翁と別れることになります。 その間 5人の求婚者に無理難題を言って困らせ、時の帝までがかぐや姫との結婚を希望していました。 そんなモテモテのかぐや姫は、満月の夜(8月15日)に自分の国(月)に戻らなければならないことが約束されていました。 そこでかぐや姫曰く、「私の身はこの人間世界のものではありません。 月の都が自分の故郷です。」 というわけで、かぐや姫は羽衣をまとって地球をあとにするという有名なシーンにつながっていきます。
            
かぐや姫を迎えに来た月の住人は、年をとらない美しい人たちばかりで、悩みもないということがかぐや姫によって語られます。 地球上ではそんな不自然なことが起こりうる可能性は全くありません。 時間とともに年老いて醜悪さを増し、頭の回転も鈍り出します。 この世に生を受けた瞬間から死に向かう人間の旅は、どこか寂しい反面 何かを克服できた時の感動は美しさだけで満たされている月とは根本的に異なっているように思います。

“美しさ” とは何かを考えた時、穢れを知り反吐体験をして初めて感じる感情が美しさに近いような・・ 自分が美しい世界だと信じてその場所に居続ける限り、真の美しさを知ることはないはず!  イザナミノミコトを追いかけて黄泉国で穢れを見てしまった夫イザナギノミコトもまた、穢れに触れて美しさを求めた結果 禊という過程を経て産み出したものが美というものかもしれません。

竹を取ることが仕事だった竹取の翁も娘と別れることで、何かを産み出せる可能性を秘めているように思います。 かぐや姫が翁に与えた豊かさと楽しかった時間を糧に、翁の再出発が始まるような予感!  竹取物語の主人公は、あくまで月人(付き人?)だったかぐや姫ではなく竹取の翁でした。 何もないはずの竹の空洞に光を確認することができた翁の目が、自分に付いていたかぐや姫を産み出したのではないか・・

かぐや姫と真間の手児奈



タイトルの二人は美しく複数の男に求婚されたことでは同じだけれど 全くタイプが違います。 かぐや姫は知っての通り自分に求婚した男に無理難題を突きつけて 自分をどれだけ愛しているか男心を試す意地が悪い部分もありました。 男をのっけから信じようとしなかったのか、あるいは自分を守るための手段だったのか・・信じてだまされるなら初めから信じない! 

それに対して“真間の手児奈(くれぐれもテジナと読まないようにテコナと読んでください)”は素朴で飾らず素足で駆け巡るカワイイ女性でかぐや姫のようなカゲは見いだせません。 屈託のない誠実な女性であったが故の悲劇が彼女を襲いました。万葉集の世界でも山辺赤人や高橋虫麻呂が伝説の真間の手児奈を歌に託して詠みました。 それだけ男を惹きつける女性とは?をテーマにテコナを追いかけてみましょう。

東京都と接している千葉県市原市に“真間”という地名があります。 江戸川沿いに発達した市川市はかつての“真間の入り江”と呼ばれていた地域で 葦などが群生する湿地帯でした。現在 真間川という川が湿地帯の痕跡をとどめるように 南に流れる江戸川から突如分岐して東に向きを変えて流れ出し 最後は真間川という名で東京湾に注ぎ込んでいます。 手児奈は自分を求めてくれた男たちが争うことを拒みこの真間川に身を投げました。 自分さえいなくなれば争いはなくなるだろうという発想です。(キミィ〜ナルシストだよ) まま これは物語。 しかし手児奈は物語を発展させて伝説にまで高める行動を選びました。 後の世にまで生き続けるためにはノーマルな考えでは無理なのでしょう。

かぐや姫は生まれた時から特別な光に包まれて誕生していました。 初めから伝説になるべきタイプの女性です。しかし名もない庶民の手児奈がこれだけ長い年月を経ても語り継がれる魅力はきっと人間っぽくないから・・むしろ男を翻弄するかぐや姫のほうが人間っぽいような・・外見だけでなく心の底まで清く澄んでいた手児奈が かつて水を汲みに来ていた“真間の井”は海水が流れ込んでいたにもかかわらず清水が湧き出ていました。

【勝鹿の 真間の井見れば 立ち平(なら)し 水汲ましけむ 手児奈し思ほゆ】 高橋虫麻呂が詠んだ歌のようにこれから先もずっと真間の手児奈は語り継がれていくことになるのでしょう。 川の名前にも井戸の名前にもママという名がつけられた手児奈は、かぐや姫以上の伝説の女性になりました。

竹のなかにいたかぐや姫



竹取翁が竹を伐ってその中にいた赤ん坊を育て、その子が成長してかぐや姫と呼ばれるようになりました。 かぐや姫は中が空洞のはずの竹の中に何故か入っていました。

竹を伐る行事で思い出すのは毎年六月二十日に行われる“竹伐り会式”。 長さ四mもある太い青竹をオスの大蛇に見立て五段に伐りつけます。 蛇はクネクネと曲がっているものの象徴的存在ですが、ココ鞍馬寺では弁慶ファッションの僧侶たちが 真っ直ぐに伸びる竹を雄蛇と見なし二組(近江座と丹波座)に分かれてその伐る速さを競います。

この例を当てはめると竹取翁(名前もそれを物語っているような・・)はスサノオノミコトのように大蛇を退治しようとしていたのかもしれないですよネ。 昔の物語では大蛇を退治すると英雄になれるストーリーが多く竹取翁もそれを目指そうとしていたカモ?
  
イザナギノミコトが黄泉国から逃げる際、醜女に追われ自分の持ち物を捨てて それを醜女たちが拾っている間に逃げようとしたところアッという間に追いついてきます。 イザナギノミコトが二回目に投げつけたのが櫛の歯でした。 その櫛の歯から化成した筍も醜女を追い払うチカラにはならず案の定ムシャムシャ食べて追いかけてきます。 筍はもちろん竹の子ですぐに大きくなるもの。 醜女たちと同じようにアッという間に成長します。 もしかしてアッという間がよくない?  考える時間もないので判断を誤ることが多いから・・

さて雄蛇と見なされた竹の中にいたのが後のかぐや姫です。 翁が伐る前にその竹はキラキラ輝いていました。 大物主神や少彦名神も海の向こうから光を放ちながらやって来た神でした。 雄蛇の中に棲んでいたかぐや姫が放った光こそ異国の者のシルシだったのでは・・本来 空っぽであるはずの竹の中に怪しく輝く光を放ちながらナニカがそこにいたのです。 当然 現実に起こりえない現象・・この世では空っぽは空っぽでなければいけないはず。

夢は夜の限定で本来は起こるもの。 管理人はもちろん月読命・・暗い夜を輝かせる“かぐや姫”はこの世の人とは結婚できず月読命が支配する月が彼女の故郷だった可能性があります。 なお青竹は昔から物干し竿に使われてきました。真っ直ぐな竹を伐って横にして使います。 洗濯物が風に揺れているサマはとても心地イイもの。 竹から生まれたかぐや姫は汚れた衣が洗濯されてキレイに乾くことを助ける風のように思います。

昼はこうして目に見えないけれど夜にはハッキリ見える光・・じっくり考えると見えてきますね。

変若水を浴びた蛇



月の都が故郷のかぐや姫は光る竹から生まれました。 月は日々満ち欠けを繰り返し、新月という月は地球人には見えません。 『天橋も長くもがも 高山も高くもがも 月読の持てる変若水(おちみず)い取り来て君に奉りて 変若(おち)しめむはも』 万葉集に詠まれた作者未詳の歌。 変若水を持っているのは月読命であるいうことを言っているみたいです。

“変若水”というのは漢字から想像すると 飲むと若く変化させてくれる水 しかし読み方は“おちみず” ちょっとつながらないような気がしませんか? 時間の経過ともに人は誰しも老いを引き受けて歩まなければなりません。 その時間を逆行させるような変若水があるとすれば、この世に愛想が尽きて別世界(月)で生きることしかなさそうです。

この世と縁を切るため、かぐや姫は五人の男の求婚を次々に断わり 巷では結婚できない理由があったのでは?と噂され ついにかぐや姫は男だったから結婚に応じられなかったという話まで飛び出すことになりました。 理由はどうあれ かぐや姫は初めから地球で生を終えるつもりはなかったような気がします。

月には存在しているけれど私たちの目には見えない新月が定期的に訪れます。 実際の月自身は自転しながら約29日間周期で地球を一周しています。 だから地球からは月と太陽の位置関係によって月が満ち欠けをしているように見えているだけで球体の月が欠けることはありません。(当然だよね!) そして地球人には見えない月を新月と呼んでいます。 月読命も夜の管理者なので存在していても 私たちの目には見えない新月のような存在と言えるでしょう。 この見えない人物こそが若返り水を保持しているようです。
   
沖縄県宮古島に伝わる変若水についてこんな話があります。 まず変若水は“おちみず”とは読まず“しじみず”と読みます。 【しじみず(変若水)】に対して【しにみず(死水)】が加わって展開する話に変わります。 月と太陽が人間に長命を与えるため地球に使者を送りました。 しかし手違いで蛇が変若水を浴びてしまい 人間は逆に死水を浴びることになりました。 

そういう理由からか 蛇は世界各地の神話に人を悩ます怪物としてタビタビ出現しています。 八岐大蛇を筆頭に蛇と闘って勝つとその人物はヒーローになりました。 蛇に勝つということは変若水を手に入れるということでしょうね。 しかし蛇と闘うことを決めた人物は多分、捨て身の覚悟で臨んだと思います。 “おち”を見ず(みず)に突き進むことができた人にだけ与えられるのが“おちみず”というオチ いかがですか?     

calendar
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 
<< June 2017 >>
sponsored links
selected entries
categories
archives
links
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM