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  • 2017.10.26 Thursday
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カラスの仕事

         喜怒哀楽の内面をすぐに顔に出してしまうのが
          “今泣いたカラスがもう笑う”カラス?

        ギリシア神話では真っ白だったカラスが真っ黒に・・
         白を黒と言い曲げる“鷺を烏”みたいなもの?

     聖書では地上を偵察するためノアが一番に放った鳥がカラス。

              ところがこのカラス
     飛び立ちはしたものの行方をくらまし戻って来なかったらしい。

 その後に放たれた鳩は戻って来た(水はまだ引いていなかった)というのに・・

            カラスはどこに行ったのか?

      閉鎖された場所に戻るぐらいなら飛び続ける方がマシ?

       偵察という仕事(すべての仕事?)がイヤだった?

         カラスの行水を繰り返して生き延びた?

                エサは?

    死骸でも食べれるのがカラス・・ だから食べ物には困らない。

           さらに黒いカラスの糞は白。

  

       フィンセント・ファン・ゴッホ 『カラスのいる麦畑』

   

      泣いてもすぐに笑うカラスと黄金色(太陽色?)の麦畑。

   拳銃自殺したゴッホはカラスと同じように太陽を目指していたのかも。


からす力

    憂き世をば 今ぞ別るる とどまらむ 名をば糺の 神にまかせて


源氏物語の主人公に設定された光源氏が都を離れ須磨に下る時に詠んだ歌。
憂き世(浮世)の荒波にもまれながらも何とか生きてきた源氏が都を離れ須磨に下る時の心情が表現されています。都に残す自分の名は人の勝手な噂の種になるだろうが、その真偽の程は糺すの神に委ねようという内容で自分はコ〜シテ、コ〜ナッタ!という鬱陶しい主張はありません。

 
“糺(ただす)の神”とは京都・下鴨神社境内に広がる糺の森に棲む“賀茂建角身命”のことで、間違いを正すことができる神。そしてその糺の神の別名が八咫烏で、下鴨神社の祭神はカモではなくカラス。

 

 石川や 瀬見の小川の 清ければ 月も流れを たづねてぞすむ   鴨 長明

 

    ヤタガラスが鎮座する糺の森の中を流れるのが清き水の瀬見の小川。

月の光を映し出す水鏡の役割を果たすには流れが穏やかで透明でなければならない。

          
山城国風土記逸文では下鴨神社に祀られている賀茂建角身命は八咫烏に化身し、神武天皇の先導役を果たしました。ということは日本の頂点に立つ人物のさらに上に居るのがカラス? そのカラス最大の特徴といえるのが雌雄の区別がつかないことで、外見で雌雄を判断することはできません。言い換えると外見で♂♀の判断をしてはいけないのがカラス。本来はどんな色にも染まる白い鳥だったというカラスを黒に染めたのは神。他のどんな色にも染まらないように・・ というのが神の意志? たとえ間違った方に向いても正しい方に修正できる(糺す)能力を秘めていたと思われるのがカラス。からす力は糺す力? 


万葉集に詠まれたカラス

規律も統制もなく、ただ集まっているだけの群衆を“烏合の衆”と呼び、象徴的に使われているのがカラス。万葉集にも規律・統制を無視するカラスが登場しています。

 

  *** 暁と 夜烏鳴けど この山上の 木末の上は いまだ静けし ***


朝が来たと鳴く夜烏・・しかしカラスの鳴き声に反して朝を迎えていないことが判明するのが山上の木末の上。
人の中に混じって平地で生活する夜烏の朝鳴きは全く当てにならない。

  

  *** 朝烏 早くな鳴きそ わが背子が 朝明けの姿 見れば悲しも ***

 
朝早くから鳴くウルサイ烏のせいで愛する人が朝帰りしてしまう悲しさが表現されています。カラスが鳴く朝には別れが待っていた?

 

* 烏とふ 大をそ鳥の まさで(真実)にも 来まさぬ君を ころくとぞ鳴く * 
 
カラスを罵って表現したのがオオオソドリ(大軽率鳥)。軽率なカラスがコロク(子ろ来)と鳴いているのはホント?ウソ? 当てにできないカラスの鳴き声はコロク。

 
  
*** 婆羅門の 作れる小田を 食む烏 瞼腫れて 幡桙に居り ***

 
婆羅門とはインドの最高位僧侶のこと。そのエラ〜イ坊さんが作った小田にやって来たのが規律・統制を無視するカラス。規律・統制を重視する僧侶と正反対のカラスが出会った結果、瞼が腫れた(鳴いた?)のがカラス。幡桙(はたほこ)とは小さな旗をつけた鉾のことで、婆羅門に“参りました!”という合図を送っているような・・
規律・統制を無視するカラスを懲らしめたのが異国の僧侶。

 

           “カラスが鳴くからカ〜エロッ!”
 カラスが鳴くのはやはり夕方・・アサイチでカラスが鳴いている状況は余りない。

    そんなカラスがアサイチで鳴けば、この世の雑踏から脱出できる? 


テカテカ

              

        お節料理の代表的一品は黒豆煮。

  “烏豆”とも呼ばれている大豆の一品種がオセチを彩ります。

 黒豆を煮ると烏の濡羽色のようにテカテカしてくるのが黒豆の特徴。

       新年にふさわしい(?)テカテカブラック。
  
闇から光が誕生したという旧約聖書の話はもしかして黒豆やカラスのテカテカ?  
    キラキラした光ではなく闇にとけるテカテカを愛したのが日本の太陽神。
             自分の足でテクテク歩けば、
      自分のテカテカした宝物を見つけることができるような予感!


3を8にしたかったカラス

            

熊野神の使いを務めていた三本足の烏に導かれて大和入りを果たしたのは、後に橿原で初代天皇として即位した“磐余彦”。 記紀が伝える話では、三本足の烏に出会うことができた人物は自分の目的を達成できそうな物語の展開でした。 時代は下って6世紀後半に生まれた “蜂子(はちこ)皇子” も三本足の烏に導かれて羽黒山に到達しています。 磐余彦が東征という航海を終えて上陸した場所は、紀伊半島の南東に位置する “熊野”。 
その土地の地主神と思われる熊野神の使いが三本足のカラスで、熊野神がこのカラス(ヤタガラス)に命じて磐余彦を目的地に案内しました。

一方の蜂子皇子は蘇我馬子により暗殺された崇峻天皇の長男。 父と同じように馬子に暗殺されることを警戒した彼は丹後国の “由良” から北を目指し、辿り着いたのが山形県鶴岡市 “由良”。 八乙女浦で八人の乙女が笛の音に合わせて踊っているのを見て、その美しさに惹かれた彼が上陸を決定したのが由良という場所でした。 由良から揺られて由良に上陸した蜂子皇子は、見知らぬ土地で三本足の烏に出会ったことで迷子にならず自分の目的地に辿り着きました。 磐余彦も蜂子皇子も航海を終え上陸した場所で出会ったのが三本足のカラス。 三本足のカラスに出会うということは、勝利の女神に出会うようなもの?
      
陽数の三本足のカラスと蜂子皇子に関わる多くの陰数の八は神話のキーワードになっている数で、陽と陰の出会いでモノゴトが達成しているように思います。 どちらか一方が欠けていれば目的は達成されていなかったかもしれず、陰と陽の合体を日本神話は推し進めているような気がします。 プラス要素のカラスとマイナス要素の蜂子皇子の出会いは何かを生み出せる原動力になったのではないか。

由良に上陸した蜂子皇子を導いたカラスの行き先は日本海に面した由良からほぼ真東(下の地図)に位置する羽黒山。 ヤタガラスに導かれた磐余彦は太平洋側の熊野上陸後、大和の橿原を目指したので進路は北西。 同じ三本足のカラスでも烏の方向性は定まっていませんが、どちらも海から遠く離れた内陸部を目指そうとしたのが三本足のカラスの共通点かも。 カラスの行水が象徴しているようにカラスは水を好んでいない?



カラスの道案内で蜂子皇子が初めにたどり着いた場所は、出羽三山の中で最も低い標高414mの羽黒山。 山頂には蜂子皇子の墓とされる宮内庁管轄の御陵もあり、蜂子皇子と羽黒山の深い関係が示されています。 羽根が黒いという感覚で羽黒山を考えると、結びつくのはハチコを案内した三本足のカラス。 カラスの住み処はもしかして羽黒山?  その後 蜂子皇子は羽黒山洞窟で三年間の修行を経て厳しい修験道を確立。

修験道とは役小角を祖とする日本古来の山岳信仰に基づく自然と一体化する教えで、即身成仏を重視する考え方。 死んで仏になるのではなく生きて肉体を持ったまま悟りを開いて仏になることが即身成仏なので、蜂子皇子の不気味な形相は即身成仏を具現した結果のようなものかもしれません。 その後 閉ざされていた月山と湯殿山を開き、初めに開山した羽黒山でその生涯を終えています。

ところで磐余彦を案内したのは由緒正しきヤタガラス。 しかしハチコが出会った三本足のカラスは、ヤタガラスいう表記はされていませんでした。 このカラスの心情になって考えると自分に足らないものはヤタの八。 ヤタガラスになりたかったカラスは、ハチコを迎え入れることでハチを手に入れて晴れてヤタガラスになった?  日本の宝だった鏡と玉は八という冠がかぶせられていることを知っていた一番好きのカラスは、策略を練って八の冠をかぶるためにハチコを呼び込んだ?

伝説では蜂子皇子は初めから出羽地方を目指していのではなく、丹後の由良から庄内地方の由良にたまたま辿り着いたような話になっています。 ユラユラと日本海をさ迷っていた蜂子皇子と大和入りを目指し戦闘体制にあった磐余彦とは、根本的に異なっています。 しかも蜂子皇子が下船するキッカケになったのが八乙女浦で目にした八人の乙女のダンス。 そのダンスに惹かれた蜂子皇子の前に出現したのが三本足のカラスでした。 突如 自分の前に出現したカラスに従ったのが蜂子皇子ということになり、彼はズル賢いカラスを信じてついて行ったということですね。

自分が知らない土地で黒いカラスに出会った蜂子皇子は、よそ者のカラスを警戒せずカラスを信用しました。 嫌われることが多かったカラスにとって蜂子皇子は友人のような存在に感じたのかもしれません。 信用することより疑うことを優先させる人間社会から逃れ、北の国にやって来た蜂子皇子を救ったのがカラス。 凍える心を共に知っていたハチコとカラス。 父・崇峻天皇の暗殺以降 落ち着いて眠ることができなかった蜂子皇子は、カラスが居る羽黒山でやっと落ち着くことができました。

サインはV

                 

日本神話をベースに烏と蛇を考えるとカラスは “八咫烏” ヘビは “八岐大蛇” となり、どちらもハチに属する同じ組。 イソップ寓話にも “カラスとヘビ” の話があり内容はこんな感じ。 自分の口に合うエサにありつけなかった烏はとにかく食うモノを探していました。 そんなカラスの目にとまったのが日向に寝転んでいる蛇。

この二人の出会いから想像すると烏は自分に合うものしか口にしないようで、カラスがシメシメと感じたのは日向に寝転がっている珍しいヘビ。 普通 蛇はジメジメした暗い場所を好むはずなのに、カラスがシメシメと感じたヘビはジメジメしていない日向を好む蛇。 カラスは自分の口に合うと判断した結果 蛇に飛び掛かってヘビサライをやってのけたと思ったのも束の間、日向の蛇はカラスに絡みつき息の根を止める行動に及びました。
  
日向の明るい蛇に殺される寸前 烏が口にした言葉が、 「ああ 僕はナンテ運が悪いんだ。 自分を殺すような御馳走にありつけたというのに・・」  そして同じハチグループだった蛇に烏は殺されました。 しかも蛇の寝場所は日向。 ハチグループだった烏の口に合ったのは同じハチグループの蛇。 シメシメと思ったカラスの予測に反してヘビもシメシメだった可能性があり、狡猾なカラスは狡猾なヘビに丸呑みされました。 八組同志の狡猾対狡猾の戦いに対してイソップは、日向の蛇に軍配をあげました。

チーズが取り持つ縁

               

              黒いカラスは乳白色のチーズ好き。 
         盗み上手なカラスが腐ったチーズを口にくわえて木の上に・・ 
      そこにタイミングよく現れたのがカラスの動向を窺っていた茶色いキツネ。
           木のテッペンにいるカラスを見上げて言いました。
「あなたの羽根は艶があって姿もステキだわ! ついでに声も聞かせてくださらないかしら」
    嬉しくなったカラスが “カー” と鳴いた途端、腐ったチーズはキツネの口へ・・

           キツネもカビが生えたチーズが好きだったってこと?
        どうせ盗んだものだし、またカッさらえばいいと思ったのがカラス。
         ゴミ溜めにあった腐りものだったし、変なニオイもしてたしね。
       キツネ語を理解することができたカラスの育ての親はもしかしてキツネ?
  ママキツネは素直な息子カラスを観察し、鳥の王様になれるように騙し方をアドバイス?

     イソップ寓話の “カラスとキツネ” をベースにしてアレンジしてみました。
    この話の一般的教訓は、人のお世辞や口車に乗せられるなというツマラン教訓。
     チーズぐらいキツネが欲しけりゃくれてやったのがカラスなんじゃないカナ。
         人の動きをジッと観察して盗もうと思えば盗めるカラスだし・・
 そして臭いチーズはカラスの口からポトンと落ちてキツネの口に入りクサイ関係が成立!

八咫&八咫

               

三種の神器の “鏡” を形容するのに使われた “八咫” と同じように形容されたものが “烏”。 三種の神器になるぐらいの鏡と同じ扱いをされているのが白になれなかった黒いカラス。 逆にヤタガラスと同じ 『八咫』 をかぶせられた八咫鏡も黒い?  光りモノに興味を示してそれをコレクションする習性があるカラスと鏡は何かつながりがあるのでは?  とりあえずそんな仮説を立てて何かを導き出すため、またまたコネクリ回してみました。

石凝姥がオモイカネ神の指示で隠れた太陽(天照大神)を復活させるために作られた道具の一つが八咫鏡。 “真経津鏡” という別名を持つ八咫鏡は邪悪なものを断ち切る・・ すなわち鏡に映った邪悪なものをハネ返すパワーを持っていたことが “フツ” という名前に示されています。 表現を変えると邪悪なものが八咫鏡に映ればたちまち殺される運命にあったのかも。 八咫鏡に向き合えるということは邪悪な心がないことを証明することになり、潔白な心を証明するための道具が八咫鏡だったのではないかと思います。

穢れていない精神を映し出す八咫鏡と同じ八咫グループのヤタガラスも、濁りのない精神を持っていたはず。 記紀に登場するヤタガラスは、神武天皇の目的(大和入り)を達成できるよう天から道案内役として遣わされた三本足の鳥。 しかし記紀が記すヤタガラスが三本足だったかどうかは明確な記述がないので分かりませんが、中国起源の太陽に棲む “日烏(光らす?)” の影響を受けて三本足のヤタカラスが誕生したのだろうと思います。陰数の二本足カラスでは太陽の陽と対立してしまうので陽数の三という数がカラスに用いられた?
 
すると陰数の二本足人間は、三本足カラスのように太陽を住み処にすることはできない?  光を与えてくれる太陽と足の数(陰陽)が大いに関係しているのが東洋を中心にした伝説。 一方 西洋諸国を代表する旧約聖書の “ノア伝説” にもカラスが登場していました。 
洪水の後、水が引いたかどうかの確認のためノアはまず初めにカラスを放ちました。 なぜかトップに放たれているのがカラス。 カラスは一番が好きな鳥。

しかしこのカラス・・ ノアの元には帰って来なかったらしい。 その後に鳩が放たれ、その鳩がオリーブの枝をくわえてノアの元に戻ってきたことから陸地を確認できたという話が続いています。 カラスの行方は分かっていませんが、自分の故郷だった太陽を目指して飛び去ったという説が有力!  解放されたカラスは地球の黒っぽい陸地ではなく光る太陽を目指して飛び去った?
   
常にトップに君臨するカラスは、日本神話でもトップに立って道案内をこなしました。 難波から大和入りを計画していた神武軍は、困難な波のため迂回ルート(太陽を背にする)で熊野に上陸して大和を目指すことになります。 難波の上陸は無理でも熊野(大和の南西)なら何とか上陸できた一行は、そこの先住民だった女傑ニシキトベが自分たち(彼女から見れば侵入者)に服従しないことを理由に彼女を殺害。 突然の珍客に殺されたニシキトベのショックはさぞ辛いものがあったと思います。 そして殺されたニシキトベの毒気に当たり、神武軍はチカラを失い総崩れ。

その後 昏睡状態が続いた神武軍は天から落ちてきた聖剣(布都御魂剣)で目覚め再び活気を取り戻します。山深いうえに土地勘もなかった神武軍は、何とか回復はできたものの大和への方向性がつかめず一進一退の現状維持。そしてある日イワレビコの夢枕に立ったのが天照大神・・“ヤタガラスを遣わすのでヤタガラスの後について行きなさい” こうして天照大神の意思でヤタガラスが遣わされ、神武軍は険しい紀伊山地を超えることができました。

一方 熊野地方で信仰されていた神が “御先(みさき)神” という神のような動物。 御先神は非常事態の際に出現する動物(カラスやキツネ)のことで、神の前に立って目的地までの道案内ができました。 神を導くことができるのは、人間のペットにならず独立心旺盛で狡さも持ち合わせていた知的なカラスとキツネ?  トップ好きのカラスがここでもヤタガラスとして活躍し、先頭に立って神武軍を引っ張っていきました。
              
でも何か変なのは、神武軍が侵入した土地で信仰されていた熊野神の使いがカラスなんですね。 道案内ができるということはその土地を知っていないとできないので、神武軍を引率したのは熊野神のカラス? 光りモノを好む習性があったカラスが寄り添う熊野神は、キラキラ輝いていたということかも。 え〜と〜デスネ まさか熊野神が天照大神ってことはないと思うけれど、ヤタガラスを調べていくと熊野神と天照大神の共通点が浮上してくるのですが。
             
人間に飼われるはずがないカラスが、熊野神なら納得して飼われてもヨカッタということカナ。 飼い主だった熊野神のお使いまで引き受けちゃってるカラスは、熊野神のお伴役。 天から遣わされたヤタガラスとどうも合致しない!  それに天から来たカラスでは知らない土地の道案内ナンテできないし・・ やっぱり熊野神のペット的存在がヤタガラス?  となると熊野神は天照大神の地上における姿かも。 太陽神を象徴させる “八咫鏡” と太陽神のペット(?)の “八咫烏” は同じ家族だったということで苗字は同じ “八咫” やった。

カラスの国

             

                地上で枯れたモノたちを弔うため、
         カラスは自分の国(空飛ぶじゅうたん)に枯れたモノを運びました。
             枯れたモノは影があり、カラスには影がありません。
                   光が射しても光が射さなくても、
           カラスの国のカラスに影ができることはありませんでした。

カラスは白かった

            

カラスは黒いからカラスなんだけれど、神が黒いカラスに決定する以前は白かったという話。 鳥の一番を決めるために、白いカラスは他の鳥から毛を抜いて自分の羽根にくっ付けて神の審査を受けたらしい。 見事 一番を獲得したカラスは、後にその不正が判明して神によって白いカラスから黒いカラスにされたとか・・

      この話からカラスの傾向を判断すると、カラスはトップが気に入っている。
     自分が今ある白い羽根より、いろいろな色が混ざった方がいいと考えている。
            そのための手段は、別の鳥の色に染まるのではなく
            逆に他の鳥から羽根を盗むという盗癖があること。
     
               “白いカラス” という映画がありました。
          黒人を両親に持つ子が白い肌で生まれてくることがたまにあり、
    白い肌を持つ黒人は、アメリカ社会で白人だと偽って生きていく場合があるらしい。
    血は紛れもない黒人の血なのに、外見だけは白人に見えてしまう主人公のことを
               表現したのが邦題の “白いカラス”。
    原題は “The Human Stain” で “人間の染み” というような意味になります。
  
神がカラスと決定する以前は、白いカラスだったことを考えると 神が指定した黒色には何か大きな意味が隠されているのかもしれない・・ 道に迷っている人の道案内ができるカラスは、きっと目的の道を知っているはずです。

太陽の表面には黒い斑点のようなものがあり、それを “太陽黒点” と呼んでいます。 その黒点は太陽の染みのように見え、古代中国では太陽に住んでいるのがカラス(黒点)という風にとらえていたようです。 日本でも太陽に住んでいる三本足のカラスとして神話に登場していました。

太陽の表面に現れる黒い染みのように見える点々を古代の人々はカラスと表現しました。 太陽がカラスに住み処として提供したからこその結果だと思います。 もし白いカラスなら太陽の輝きにかき消されてしまいそう・・ 太陽神が求めたものは、鳥という漢字に一本横線が足らない “烏” という鳥。 一番が好きだった白いカラスを気に入って黒色にしたのは、もしかして太陽神?

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