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- 2022.04.05 Tuesday
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古い慣習はイイ部分もあるけれど余りに凝り固まってしまうと風通しが悪くなり、息をするのもシンドイ因習に変わってしまいます。この映画の舞台になったフランスの小さな村を仕切る男がこのカチンカチンの慣習を尊重するタイプで、村に余計な波風を立たせないよう村の住人にキリスト教信仰の道を説いて聞かせる村の指導者がレノ伯爵。伯爵というのがイマイチ胡散臭い肩書きだけれど、何となく偉そうな伯爵の言う言葉を村の人たちは素直に信じています。でもハッキリ言って堅苦しいだけで、楽しもうとする部分が欠落しているのがレノ伯爵。奥さんもイタリアに行ったきり音沙汰もなく、実際の彼は侘しい孤独の身。
そんな村に北風が吹き始めると同時にやって来たのが赤いマントを羽織った母ヴィアンヌと娘アヌーク。父の顔を見たことがないと言うアヌークとその母ヴィアンヌは今まで定住したことがないようで、流れ者のように旅から旅を続けています。そんな二人がオープンさせたのがマヤというチョコレート・カフェ。店の内装もすべて親子手作りで完成させたマヤのショコラはヴィアンヌのルーツを示すように神秘的な味を醸し出し多くの人であふれ返ることになりそうですが、断食期のこの村の人たちは厳しい掟を守りマヤに近付こうとはしませんでした。
そんな中、村の秩序を乱す可能性がある新参者の母娘を敵視していたのがレノ伯爵。
規律正しい現状を保つことだけにエネルギーを注ぐこの村は新しいモノを受け容れるゆとりがなく、新鮮な空気が流れないことから腐る寸前にあったように感じます。
村の腐敗を防ぐためこの村に遣わされた(?)のが流れ者の血を受け継いでいたヴィアンヌとアヌーク。ヴィアンヌの母チザも定住できない流れ者の血が流れていたみたいで、チザも夫から離れ旅立っていく運命にありました。そして今ここにいるのが父の顔も知らない娘と母親の女二人。
伝統を重んじるあまり息苦しくなった村で狂人扱いされていたのがジョセフィーヌ。
旦那の暴力にも耐えていた彼女はヴィアンヌと出会い本来の明るい自分を取り戻していきます。旧態依然の伝統や旦那の高圧的な態度に小さくなっていた彼女が甘くて少し苦いショコラを食べて精神を回復させるのは自然の摂理? ジョセフィーヌを家畜のように扱っていた旦那は彼女が家を飛び出してからもつきまとい、どうしようもない男はどこまで行ってもどうしようもない。更生のため努力したことはあったけれど暴力的行為にストップがかかることはなく、フライパンも使えない女だとわめいていた彼は妻ジェセフィーヌにフライパンで殴られダウン。
この村でもう一人浮いている状態にあったのが大家のアルマンド婆さん。娘と疎遠になっていたアルマンドは孫リュックとも会わせてもらえない様子で、ヴィアンヌと同じように孤独です。同じ孤独でもレノ伯爵の隠す孤独ではなくさらけ出すアルマンドの孤独は自分の残り少ない生を楽しもうとしています。病気のためホントは甘いものを食べてはいけなかったのに、死の館に入って長生きするより今を楽しむことを優先させたが故に死んでしまったアルマンド。生と死を扱う重いテーマですが、孫リュックはそんな祖母を愛し肖像画としてアルマンドを残しました。
また忘れてはいけないのが登場シーンの少ないジョニー・デップが扮したルーという流れ者(ジプシー)。この村では当然彼は嫌われ者で、同じ嫌われ者同士のヴィアンヌとルーは互いに惹かれ始めます。特に親しい人たちだけで開いたパーティの時に流れたジプシー・サウンドがよかった! レノ伯爵の言葉を借りると快楽だけを求めるのが流れ者精神らしいですが、快楽を求めるのはそんなに駄目なこと? 快楽と苦労が喧嘩して勝利するのが苦労だとしたら、人は意識して快楽を求めないといつまでも苦労が続きそう。そして快楽派のヴィアンヌやルーはどこにも定住できない現実にぶつかり、娘アヌークを苦しめています。
ルーたちが乗って来た船が燃やされアルマンドの死を知った母娘はもうこの村に居続けることができないと判断し、この村を離れようとします。そんな苦しい彼女を助けようとしたのが美しく変身したジョセフィーヌ。かつて自分を助けてくれたヴィアンヌを助けるのは自分の番だと信じたジョセフィーヌは他の仲間を集め、ヴィアンヌの指導を仰ぎマヤを存続させようと頑張っていました。この村を離れるのをイヤがっていたアヌークの気持ちも理解していた母は、娘のためそして自分のために定住生活を決断しました。
その後ショコラの不思議な味におぼれてしまったのが何とレノ伯爵。食わず嫌いだった彼はショコラがきっかけで少しずつ変化し、この閉鎖的な村も解放されていきます。人や村の解放に大きく寄与したのが多くのカカオを用いたホット・チョコレート。ホントはそれが一番好きだったと言うルーは再びヴィアンヌのもとに帰ってきてメデタシメデタシ。異端者扱いされていたヴィアンヌやルーを受け容れたこの村で開催された祭りは、解放感あふれる笑顔の人たちで構成されていました。
* 監督 ラッセ・ハルストレム * 2000年(米)作品
* 出演 ジュリエット・ビノシュ ジョニー・デップ レナ・オリン
★ ショコラの原料となる中南米原産の苦いカカオは精神を高揚させる薬用効果もあるらしいヨ。
スウェーデン出身のラッセ監督が創ったスウェーデン語による初期作品。 1994年の“ギルバート・グレイプ”によって日本でも広く知られるようになりました。
舞台は1950年代末のスウェーデンの小さな町。 1957年にソ連(ロシア)が打ち上げた人工衛星スプートニクに乗せられたライカ犬と自分を比べて自分の心の寂しさを紛らわせています。
主人公は悪戯好きのイングマル少年で兄とママの三人暮らし。 パパ不在の三人家族で中心にならなければいけないママは病気で寝込みがちの日々を送っています。
現実はママが病気で咳をする辛い日々ですが、イングマルはママをもっと笑わせてあげたかったみたい・・映画の中で何度か繰り返される元気なママとビーチでふざけるイングマルとママの笑い声。 映像はクリアではなくぼやけているので一瞬の夢なのか、イングマルの記憶に残るママなのか。
本を読むのが好きだったママはベッドでいつも本を読んでいました。ホントはママを喜ばせママの笑い声を聞きたかったのに現実はママを困らせてばかりのイングマル。人類進歩のため人工衛星に乗せられた犬は死ぬために宇宙に飛び立ち餓死。そんな犬の辛さに比べればマシだと自分を何とか納得させているイングマルは結構大人です。
田舎のおじさんの家に預けられることになったイングマルは相変わらず周囲に面倒をかける男の子。 でも何故か女の子や大人の女性にもてるイングマル。 優しいお姉さんのボディガードとして芸術家の家を訪問した際、そのお姉さんのヌードを見たくて屋根から転落! でもキチンとお姉さんのヌードを見ることができた彼の表情は緩みっぱなし。 コロコロ変化する少年の表情がこの映画の一番の魅力!
そして幼いイングマルは大好きだったママと死別、飼っていたシッカン(犬の名前)とも再び会えない事実に接し失うことの辛さを体験します。 その時選んだイングマルの行動がいじらしい。 どこかその辺の大人のようにウダウダ愚痴をこぼして周囲を不快な気分にさせるのではなく、宇宙のゴミにされたライカ犬のようにワンワン鳴くだけ。
ホントはたまらなく辛かったイングマルだと思うけれどライカ犬の辛さを思い出し何とか耐えていたのかも。 そんな彼の心情を察することができる大人たちに囲まれていたイングマルは幸せダッ! ママをもっと笑わせたかったイングマルが失うことの辛さを克服し、さらに成長すれば恋人を笑わせ周囲の人たちの心を和ませる青年になれるんだろうな。
ママのことをいつも気にかけていたイングマルが辛い時に語りかけるのは人ではなく満天の星空。 言葉のゴミを吐き出さなかったイングマルの目は輝いていました。
何ということもないストーリーなのに心の奥が震えるのはイングマルの清い心と人を笑わせようとする仕草。 ビーチでひっくり返るイングマルとそれを見て笑うママの笑い声が一番心に沁みました。
* 監督 ラッセ・ハルストレム * 1985年 作品
* 出演 アントン・グランセリウス アンキ・リデン
☆ 流れる日常の瞬間を切り取り美しいものに変えるラッセ・カラーの風土はスウェーデン。