ショコラ

         

古い慣習はイイ部分もあるけれど余りに凝り固まってしまうと風通しが悪くなり、息をするのもシンドイ因習に変わってしまいます。この映画の舞台になったフランスの小さな村を仕切る男がこのカチンカチンの慣習を尊重するタイプで、村に余計な波風を立たせないよう村の住人にキリスト教信仰の道を説いて聞かせる村の指導者がレノ伯爵。伯爵というのがイマイチ胡散臭い肩書きだけれど、何となく偉そうな伯爵の言う言葉を村の人たちは素直に信じています。でもハッキリ言って堅苦しいだけで、楽しもうとする部分が欠落しているのがレノ伯爵。奥さんもイタリアに行ったきり音沙汰もなく、実際の彼は侘しい孤独の身。

そんな村に北風が吹き始めると同時にやって来たのが赤いマントを羽織った母ヴィアンヌと娘アヌーク。父の顔を見たことがないと言うアヌークとその母ヴィアンヌは今まで定住したことがないようで、流れ者のように旅から旅を続けています。そんな二人がオープンさせたのがマヤというチョコレート・カフェ。店の内装もすべて親子手作りで完成させたマヤのショコラはヴィアンヌのルーツを示すように神秘的な味を醸し出し多くの人であふれ返ることになりそうですが、断食期のこの村の人たちは厳しい掟を守りマヤに近付こうとはしませんでした。

そんな中、村の秩序を乱す可能性がある新参者の母娘を敵視していたのがレノ伯爵。
規律正しい現状を保つことだけにエネルギーを注ぐこの村は新しいモノを受け容れるゆとりがなく、新鮮な空気が流れないことから腐る寸前にあったように感じます。
村の腐敗を防ぐためこの村に遣わされた(?)のが流れ者の血を受け継いでいたヴィアンヌとアヌーク。ヴィアンヌの母チザも定住できない流れ者の血が流れていたみたいで、チザも夫から離れ旅立っていく運命にありました。そして今ここにいるのが父の顔も知らない娘と母親の女二人。

                

伝統を重んじるあまり息苦しくなった村で狂人扱いされていたのがジョセフィーヌ。
旦那の暴力にも耐えていた彼女はヴィアンヌと出会い本来の明るい自分を取り戻していきます。旧態依然の伝統や旦那の高圧的な態度に小さくなっていた彼女が甘くて少し苦いショコラを食べて精神を回復させるのは自然の摂理? ジョセフィーヌを家畜のように扱っていた旦那は彼女が家を飛び出してからもつきまとい、どうしようもない男はどこまで行ってもどうしようもない。更生のため努力したことはあったけれど暴力的行為にストップがかかることはなく、フライパンも使えない女だとわめいていた彼は妻ジェセフィーヌにフライパンで殴られダウン。

この村でもう一人浮いている状態にあったのが大家のアルマンド婆さん。
娘と疎遠になっていたアルマンドは孫リュックとも会わせてもらえない様子で、ヴィアンヌと同じように孤独です。同じ孤独でもレノ伯爵の隠す孤独ではなくさらけ出すアルマンドの孤独は自分の残り少ない生を楽しもうとしています。病気のためホントは甘いものを食べてはいけなかったのに、死の館に入って長生きするより今を楽しむことを優先させたが故に死んでしまったアルマンド。生と死を扱う重いテーマですが、孫リュックはそんな祖母を愛し肖像画としてアルマンドを残しました。

また忘れてはいけないのが登場シーンの少ないジョニー・デップが扮したルーという流れ者(ジプシー)。この村では当然彼は嫌われ者で、同じ嫌われ者同士のヴィアンヌとルーは互いに惹かれ始めます。特に親しい人たちだけで開いたパーティの時に流れたジプシー・サウンドがよかった! レノ伯爵の言葉を借りると快楽だけを求めるのが流れ者精神らしいですが、快楽を求めるのはそんなに駄目なこと? 快楽と苦労が喧嘩して勝利するのが苦労だとしたら、人は意識して快楽を求めないといつまでも苦労が続きそう。そして快楽派のヴィアンヌやルーはどこにも定住できない現実にぶつかり、娘アヌークを苦しめています。

         

ルーたちが乗って来た船が燃やされアルマンドの死を知った母娘はもうこの村に居続けることができないと判断し、この村を離れようとします。そんな苦しい彼女を助けようとしたのが美しく変身したジョセフィーヌ。かつて自分を助けてくれたヴィアンヌを助けるのは自分の番だと信じたジョセフィーヌは他の仲間を集め、ヴィアンヌの指導を仰ぎマヤを存続させようと頑張っていました。この村を離れるのをイヤがっていたアヌークの気持ちも理解していた母は、娘のためそして自分のために定住生活を決断しました。

その後ショコラの不思議な味におぼれてしまったのが何とレノ伯爵。食わず嫌いだった彼はショコラがきっかけで少しずつ変化し、この閉鎖的な村も解放されていきます。人や村の解放に大きく寄与したのが多くのカカオを用いたホット・チョコレート。ホントはそれが一番好きだったと言うルーは再びヴィアンヌのもとに帰ってきてメデタシメデタシ。異端者扱いされていたヴィアンヌやルーを受け容れたこの村で開催された祭りは、解放感あふれる笑顔の人たちで構成されていました。

* 監督 ラッセ・ハルストレム    * 2000年(米)作品
* 出演 ジュリエット・ビノシュ   ジョニー・デップ   レナ・オリン

★ ショコラの原料となる中南米原産の苦いカカオは精神を高揚させる薬用効果もあるらしいヨ。


マイライフ・アズ・ア・ドッグ

          

スウェーデン出身のラッセ監督が創ったスウェーデン語による初期作品。 1994年の“ギルバート・グレイプ”によって日本でも広く知られるようになりました。 
舞台は1950年代末のスウェーデンの小さな町。 
1957年にソ連(ロシア)が打ち上げた人工衛星スプートニクに乗せられたライカ犬と自分を比べて自分の心の寂しさを紛らわせています。

主人公は悪戯好きのイングマル少年で兄とママの三人暮らし。 パパ不在の三人家族で中心にならなければいけないママは病気で寝込みがちの日々を送っています。
現実はママが病気で咳をする辛い日々ですが、イングマルはママをもっと笑わせてあげたかったみたい・・映画の中で何度か繰り返される元気なママとビーチでふざけるイングマルとママの笑い声。 映像はクリアではなくぼやけているので一瞬の夢なのか、イングマルの記憶に残るママなのか。

                      

本を読むのが好きだったママはベッドでいつも本を読んでいました。
ホントはママを喜ばせママの笑い声を聞きたかったのに現実はママを困らせてばかりのイングマル。人類進歩のため人工衛星に乗せられた犬は死ぬために宇宙に飛び立ち餓死。そんな犬の辛さに比べればマシだと自分を何とか納得させているイングマルは結構大人です。

田舎のおじさんの家に預けられることになったイングマルは相変わらず周囲に面倒をかける男の子。 でも何故か女の子や大人の女性にもてるイングマル。 優しいお姉さんのボディガードとして芸術家の家を訪問した際、そのお姉さんのヌードを見たくて屋根から転落! でもキチンとお姉さんのヌードを見ることができた彼の表情は緩みっぱなし。 コロコロ変化する少年の表情がこの映画の一番の魅力!

そして幼いイングマルは大好きだったママと死別、飼っていたシッカン(犬の名前)とも再び会えない事実に接し失うことの辛さを体験します。 その時選んだイングマルの行動がいじらしい。 どこかその辺の大人のようにウダウダ愚痴をこぼして周囲を不快な気分にさせるのではなく、宇宙のゴミにされたライカ犬のようにワンワン鳴くだけ。
             

ホントはたまらなく辛かったイングマルだと思うけれどライカ犬の辛さを思い出し何とか耐えていたのかも。 そんな彼の心情を察することができる大人たちに囲まれていたイングマルは幸せダッ! ママをもっと笑わせたかったイングマルが失うことの辛さを克服し、さらに成長すれば恋人を笑わせ周囲の人たちの心を和ませる青年になれるんだろうな。

 

ママのことをいつも気にかけていたイングマルが辛い時に語りかけるのは人ではなく満天の星空。 言葉のゴミを吐き出さなかったイングマルの目は輝いていました。

何ということもないストーリーなのに心の奥が震えるのはイングマルの清い心と人を笑わせようとする仕草。 ビーチでひっくり返るイングマルとそれを見て笑うママの笑い声が一番心に沁みました。


* 監督 ラッセ・ハルストレム   * 1985年 作品
* 
出演 アントン・グランセリウス   アンキ・リデン


 ☆ 流れる日常の瞬間を切り取り美しいものに変えるラッセ・カラーの風土はスウェーデン。


ギルバート・グレイプ

         

原題は主人公の名前 “ギルバート・グレイプ(Gilbert Grape)” だけではなく、その前に “What’s Eating” という言葉がくっ付いていて意外に長いタイトルの 『 What’s Eating Gilbert Grape 』。 直訳すると 『何がギルバート・グレイプを食べているのか』 この不可解なタイトルの意味するところは、何かに食べられているギルバート・グレイプがイライラしている内面描写。 すなわち、彼を苛立たせているものの正体を見極めようとしている映画だと思います。

ギルバート・グレイプはグレイプ家の長男。 知的障害の弟アーニーと姉と妹そして母親の5人家族。 一家の大黒柱になるべき父親は何の前触れもなく何年か前に家の地下室で自殺。 その結果 母親はショックの余り家から外に出ようとせず、自分で自分のカラダを動かすこともできないほどブザマな体型に・・ 父を失い傷付いた家族を支えるのはギルバートただ一人! 
                
グレイプ一家が生活しているのはアイオワ州エンドーラという田舎町で、音楽のないダンスのような町。 音楽がなければダンスする気も起らない・・ そんな変化に乏しい町が彼らの故郷。 若者たちは当然そんな田舎に飽き足らず喧噪を求めて故郷を捨てる傾向にあるなか、死んだような町につなぎ止められたギルバートは家族を見捨てず何とか日々の雑事をこなしていました。 アーニーを監視しながらささやかな不倫で相手の女性を楽しませるギルバートは、自分のことより周囲の人を労わろうとする優しい心の持ち主でした。 

                     

変化がない町で変化を示すのは弟アーニー。 高い所が好きで目を離すとアーニーは鉄塔に登って楽しんでいる様子。 危険な鉄塔登りを何度も繰り返すアーニーとアーニーに振り回されるギルバート。 それでも一途に兄に信頼を寄せる弟はかわいいけれど、世話がかかる存在。 父はいないし母もアテにできない。 さらに厄介な弟まで抱えていたギルバートをいら立たせていたのはコレ?  しかし自分の楽しみなどなくてイイと思っていたのがギルバートなんだろうな。 苛立ちはあるけれど家族のために生きることができればそれでヨカッタ?  そんなキレイゴトで普通は済まないね。
           
一方 自分の夫を突然失った悲しみから立ち直ることができないまま、食べ続けて太ってしまった母親。 母の重みで家を支える柱がグラグラした状態になってもなお、ギルバートは補修して家を保つことにエネルギーを注いでいました。 文句の一つも言わず家族を支え続けてきたギルバートを食べているものの正体は家族愛? そんな状態の彼の前に現れたのがトレーラー・ハウスで生活していたベッキーという女性。 彼女が彼に自由な風を送り込んだ結果 ますます揺れ始めるギルバートの素直さは魅力的!  しかし彼はトコトン羽目を外すことはなく、彼が戻る場所はいつも家族が暮らす家。

土地に縛られないトレーラーを気に入っていたアーニーが、ある日 高い鉄塔に登ったことが原因で警察に監禁されたことがありました。 そしてそのことがグレイプ一家の転換点になり、モノゴトが大きく動き始めます。 その転換点とは、動かなかった母親がアーニーを助けるため巨体を揺らして家から外に出たこと。

            

彼女は夫を自殺という辛い形で受け止めなければならず、それ以降 家の中に閉じこもってテレビと食事にしか興味を示さなくなっていました。 そんなママが初めて怒りを爆発させ、息子アーニーを取り戻すため警察に向かいます。 イザとなれば息子アーニーを守るため本気で動こうとしたママはホンモノ!

ラストはギルバートの重荷になっていた母親が死にます。 ギルバートの足を知らず知らずのうちに引っ張っていた母親との縁は切れ、彼が守らなければいけなかった家も燃えてなくなりました。 ギルバートの手かせ足かせになっていたものはすべて失われ彼は晴れて自由の身!

一年ぶりに会うベッキーのトレーラー・ハウスを待っていたギルバートとアーニーの最後の会話がすべてを物語っています。 “僕らはどこへ?” とアーニー。 “どこへでも・・” とギルバート。 やるべきことをキチンと果たしたギルバートは、どこにでも飛んでいける自由の羽根が背中に・・ 牧歌的な映像は、昔も今もこれからも変わらないギルバートの心を映し出している心象風景のようでした。

* 監督 ラッセ・ハルストレム      * 1993年 作品
* 出演 ジョニー・デップ    レオナルド・ディカプリオ    ジュリエット・ルイス

YES! かわいいけれど世話がかかる知的障害のアーニーを演じたディカプリオは、演じている感じがしないぐらいにウマカッタ。

カサノバ

   

女を喜ばすためなら何だってしてくれそうな女の中の男(?)は、18世紀 イタリアに実在した作家であり猟色家としても名高いジャコモ・カサノバ。 彼にとって最も大切なことは女の肉体的官能・精神的官能を高め極めること。 いい方に考えてあげれば女を磨こうとする奉仕精神にあふれた男であり、普通に考えれば女たらしの遊び人がカサノバ。

時間とともに恋愛の達人になった男カサノバの名前を受け継いだ別の男がいました。
彼が執筆した一万ページに及ぶ回想録に書かれていた女との情事とは別に、世間に公表されていなかった秘密の女が存在していたという設定で物語は始まります。 世間で知られているプレイボーイのカサノバとは異なる男とその男が愛した男のような女の愛の物語。

真実のカサノバの人生に深く関わった可能性がある女は、カサノバの愛に疑問を投げかけた女フランチェスカ。 彼女のカサノバに対する見方は女の誘惑に人生を捧げる放蕩者。 一方 カサノバが語るカサノバは至福の体験を追求する哲学者で、二人が描くカサノバ像は全く異なっていました。 しかしフランチェスカは目の前にいるカサノバを別の男サルヴァトと勘違いして話は奇妙に盛り上がります。
                       

快楽と退廃そして水の都ヴェネチアを舞台にして、カサノバの秘密が明かされるアメリカ映画なのでイタリア人のカサノバですらイタリア語を話しません。 一途に女を求めるだけのカサノバではなく、求めた女の心も肉体も満足させることができた男がカサノバ。 仕事・・仕事・・仕事・・仕事に明け暮れる男に満足できる女はいないけれど、愛の成就を願う男はたとえ遊び人であっても女が放っておかない。 モテル男は昔も今も女によって創造される? 
  
役者の子としてヴェネチアに生まれたのがカサノバだったので、女と対峙した時の演出効果はきっと抜群だったはず!  いかにしてその場を盛り上げるように演じるかがカサノバの仕事。 だって役者の子は役者。 修道院の女と関係を持ったカサノバは、罪を問われたものの投獄は免れました。 カサノバに抱かれた修道女もたとえ投獄されても本望だというようなことを言っていたので、余程 女を虜にする熟練の腕を持っていたと想像されます。

        

カサノバが影響を受け始めたフランチェスカには別の顔がありました。 その別の顔は哲学者であり作家でもあったベルナルド・グアルディ。 グアルディの考えによると女性は空気・火・軽さ・力の要素を持っていて天に昇ろうとする傾向があるらしい。 その天にジャンプする力を阻んでいるのが男の重い砂が詰まった頭。 その砂袋を捨て去れば女性は自由になれると考えていたのが、グアルディすなわちフランチェスカ。
        
惨めな借金生活を解消するために画策されたのが、フランチェスカの意思に反した金持ちとの結婚。 相手はジェノバのラード成金だったパプリッツィオ。 このメタボ体型の男の出現によって堅苦しい愛の話にユーモアが加わり、結構笑えるシーンが続出します。 最終的にパプリッツィオは娘フランチェスカの母親との仲が深まり、好きなようにヤッテという感じ!  
男女の関係で真実の愛ナンテものはなく、お金が大事というのがこの映画の主題かも。

そしてパプリッツィオがカサノバを作家グアルティと勘違いして、またまた変な展開に・・ 
ヴェネチア政府も誰がカサノバか分からない状態で、混沌とした面白い話が続きます。
世間で自分の名前を偽称して偽証罪を問われることがありますが、名前と本人が一致せず 周囲も勘違いしたままドタバタ喜劇のように進行する話はオモシロイ!

          

しだいに事実が明るみにされる中、社会の異端思想の罪で死刑を宣告されたのがフランチェスカ。 女たらしの罪でやはり死刑に処せられることが決定したのがカサノバ。 
イヨイヨどうしようもない事態になった時、二人の前に現れたのが幼い頃に離れ離れになっていたカサノバのママ。 死の間際で駆けつけることができたのが、カサノバを産んだ母親という設定は神話的。

全編を通して絵画的な映像をより高めているのが、心地良いクラシック音楽。 舞台になったヴェネチアの街もこの世のものとは思えないぐらい美しく心に残りました。 女たらしのカサノバではなく、真実の愛を知ったカサノバとフランチェスカの物語は封印されたまま カサノバ伝説は現在も変化しながら生き続けることになりそうです。

* 監督 ラッセ・ハルストレム     * 2005年 作品
* 出演 ヒース・レジャー    シエナ・ミラー    レナ・オリン

ハート大小 カサノバの右腕になって彼を支え続けたルポの女房風キャラクターがかわいかった!

アンフィニッシュ・ライフ

   

合衆国西部の山が多いワイオミング州の牧場に住んでいる主人公アイナーを演じたのがロバート・レッドフォード。 年齢を重ねた分だけ、ますます頑固になっていく意地悪なオヤジ(ジイヤ?)のアイナーと 甘さより渋さが出てきたレッドフォードが完全に重なりました。 
人生が顔に出るということがよく言われますが、若い頃に感じた甘い雰囲気のレッドフォードは消えて自分の生き方を通そうとする孤独な頑固さがヨカッタ!
 
彼の相棒が長年の親友ミッチという男で、一つ屋根の下で二人は生活していました。 
ミッチは以前 山から下りてきた熊に襲われたことがあり、顔やカラダの皮膚を熊に噛まれて爛れた悲惨な状態に・・ そんなミッチの世話を焼きながら、アイナーは過去のわだかまりに縛られたまま年を重ねてきたオヤジ。 アイナーの心の内側にひっかかっていたものは、自分の息子を交通事故で失ってしまったこと。 車の運転をしていたのが息子グリフィンの妻だったジーンで、息子は助手席で事故に巻き込まれて死にました。

                    

アイナーにとって受け入れ難い息子の死は生き残ったジーンに向けられ、彼女を憎むことでバランス感覚を保っていたように思います。 自分たちが住む牧場の家を見下ろすところに息子の墓を建てて暇さえあれば墓石に向かって語りかけ、未来を生きようとせず過去に縛られたまま時間が止まったような毎日を送っていたのがアイナー。

一方 ミッチは殺されそうになった熊に餌をやってくれとか、檻の中に隔離された熊を自由にしてやってくれとか 妙に熊のことばかり心配していたのが熊によって動けないカラダにされたミッチ。 過去を憎み続けるアイナーと過去を赦そうとするミッチが対照的に描かれています。 二人は同じ家に住み続けてきましたが、ホモではなく友人。 しかし互いの精神的な愛情が感じられる友人的ホモに近いように思います。
         
ジーンは事故直後 この牧場を離れたようで、彼女は何人かの男と付き合っては別れるということを繰り返していました。 男の暴力で顔にアザができるぐらい殴られたジーンは、一人娘のグリフとともに脱出。 ラストの方で、ジーンを追いかけてきた暴力男を自分から殴りつけたシーンはオモシロカッタ。 この暴力男・・ アイナーにもコテンコテンにされたうえ、女にも殴られる始末。 恐怖の暴力で支配すると痛い目に遭うというのは当然の結果。 暴力男は殴られなければいけなかった!  女はそんな男に付いていかないよ! 目を覚ませ!

         

一度はアイナーの家を飛び出したジーンだったけれど、娘のグリフにとっては居心地がヨカッタ牧場に一人でサッサと戻りました。 自分の居場所はやはり居心地がいいのが一番!  暴力を受けていた母を見ていた娘は、意地悪いアイナーの愛情の深さを知っていたのかもしれません。
     
タイトルの “アンフィニッシュ・ライフ” は、アイナーの息子の墓碑に刻まれていた言葉。 
ミッチが最後にアイナーに言いました。 「俺が死んだらグリフィンの隣に埋めてくれ」
そんな友人の言葉に 「まず死なないとな」 という言葉を返したアイナー。 
アンフィニッシュ・ライフの意味は、まだ仕上がっていない人生のこと。

仕上げは死ぬこと? 死ぬまでにしたいことをタントしておかなくては! そのしたいことをしている実践者は、アイナーとミッチそして新しい家族に加わったジーンとグリフ。 そして忘れてはいけないのがアイナーとミッチによって自由を得た熊。 二度目にミッチに出会った熊は、もう襲いかかることはなく 自分の居場所(山)に戻って行きました。

* 監督 ラッセ・ハルストレム      * 2005年 作品
* 出演 ロバート・レッドフォード   ジェニファー・ロペス   モーガン・フリーマン

自転車 日本では劇場公開されなかった映画・・ かろうじてDVDで観ることができてヨカッタ!

シッピング・ニュース

  

「ダメ男!」と妻のペタルに散々罵られても怒らないで、妻が放り投げている家事や子育てを着々とこなしている主人公・クオイル。 
そんな彼(夫)を見て、ますます苛立ちを募らせるペタル。

幼い頃 クオイルは父親に水の中に投げ込まれて死にそうになった体験があり、社会や家族には逆らわず、すべてを受け入れて今まで生活してきたようです。 そんな穏やかなクオイルを理解することなく、毎晩 男遊びを続けるペタル。

臆病だけれど真面目に生活しているクオイルに襲いかかってきた両親の死。 「遺産もないの?」と言うペタルの悪態にも暴力をふるったりしない男がクオイル。 社会における個人の真面目な生活態度は、時にコバカにされることが多く 人に訴えられる前に人を先に殺すというような社会システムの中では、クオイルの居場所はありません。

若い男と逃亡の末、突然の事故で死んだペダル・・このことがキッカケになりクオイルの人生が大きく動き始めます。 彼は生き残った娘(バニー)と叔母(アグニス)と共に 先祖の地・ニューファンドランド島を目指しました。

ニューファンドランド(Newfoundland)島は北米大陸の最東端に位置する島で、1949年まではイギリス植民地で自治政府を持ち、小さいながらも独立国家としての機能を維持していました。 現在はカナダに属していますが、民族的には独立色が強いニューファンドランド人というアイデンティティーを持つ人が多数いるようです。 そんな血を引くクオイルがしだいにダメ男から目覚め始めます。

先祖のクオイルという名前がつけられたクオイル岬に建つ
クオイル一族の家は 荒れ果ててもなお、
その崖っぷちに建ち続けて存続していました。 

海に転がり落ちそうな場所に建てられた先祖の家は、
四隅をワイヤーでその岩場にガシッとつなぎとめられ
この場所しかないというような状態で、荒々しい海を見下ろし続けていました。

島で伝説的に語られていたことは、 “クオイル一族は呪われた海の民だ” ということ。 娘は人形遊びをするどころか、その人形を相手に退屈な子と言いながらその人形を壊しています。 クオイルとは異質の血が混じったバニーは、クオイル一族のように 人に従うだけのタイプではなさそう・・
         
島の突端に縛り付けられていたクオイル一族の家がある夜 嵐で崩壊し、ワイヤーで繋ぎとめられていた家は完全に崩壊! その何もないクオイル岬に立って見る景色は、雄大で美しいものでした。

人の生き方に置き換えて考えると、守るべきものが多ければ多いほど ワイヤーの本数も増えていきます。 何もなくなってしまうということは、確かに恐ろしいことかもしれないけれど 何もなくなってしまったからこそ見えてくる景色があることも忘れないようにしたいです。

* 監督 ラッセ・ハルストレム     * 2001年 作品
* 出演 ケヴィン・スペイシー    ジュリアン・ムーア

おうち 大型船(ship)が入港できるぐらいの港が築かれるためには、浅い海は無理で水深が深いことが要求されます。

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