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    ミスト

    • 2008.10.09 Thursday
    • 21:34

             

    これほどに救いがない映画はスゴイ!と思うと同時に、スゴク気分が悪い。 “この世はどんなに努力しても報われない!” という現実をガァ〜ンと突き付けられ、努力した人たちを奈落の底に突き落とすような映画。 こんなにも報われない状況なら死んだ方がマシという気分にさせられ、最終的にその通りになってしまいます。

    先の感動的作品(ショーシャンクの空に・グリーンマイル・マジェスティック)を創り上げたマイケル・ダラボン監督が挑んだホラー映画。 見かけはホラーで奇異な怪物がヤイノヤイノとガラス窓を割って侵入・・ 観る者をビックリさせる手法を取っているけれど、かなり人間の内面に踏み込んだ映画だと思います。 ドンドン突き付けられる絶望を目の前にして、人間は平常心でいられるのか・・ 映画に描かれていた人物の大半は、宗教(この映画ではキリスト教)にすがり結果として死を免れます。

    絶望を目の前にした人々は、絶望の余りキリスト教を狂信的に信仰する女に従い救いを求めようとします。 まるで神の代弁者のように語る彼女は、人々を洗脳し煽動する危険人物。 そんな危険人物に急に従い始めたのが、ジムというタフそうなオヤジ。 彼は当初 霧の中に怪しいものが存在するという主人公デヴィッドの言葉に全く耳を貸さず、現実だけを信じる男でした。 そんな彼の判断で開けてはいけないシャッターを開けてしまい、一人の若者の命が奪われます。


    その後 後悔した彼はさらに極限の恐怖を体験してしまったことから、コロリと思考が反転して聖書の言葉を大げさに語るカーモディという危険な女に従い始めます。 この女が現実の恐怖に更に追い討ちをかけ、現場に居合わせた人たちの心を恐怖のどん底に陥れ洗脳状態に持っていきます。 彼女はココ(スーパー・マーケット)に居合わせたすべての人間が自分に従うことを望んでいました。

    そんな彼女を振り切ってココから脱出しようとしたデヴィッドたちに協力して、カーモディを銃で撃ったのがアリーという小柄で勇気ある男。 外に出たアリーは化けモノに呑み込まれてしまい、ますます希望が失せていく状況に拍車がかかるだけ!  たとえ逃げても霧が晴れるかどうか分からないまま、圧迫状態にある場所から飛び出そうとした人たちは 化けモノに闘いを挑んだ勇気ある人たちでした。 しかし勇気ある人物に救いの手が差しのべられることは全くナシ!  何もしない方がいいのではないかという陰鬱な気分にさせられます。

    映画の冒頭で、子供を家に置いてきたので自分は家に帰らなければいけないと言っていた女性が登場していました。 「誰か車で送って行って!」 と周囲の人たちに声をかけたけれど みんな自分のことで精一杯。 その時はまだ化けモノの様子も分からない状態で、全員が屋内から出て行こうといないなか 彼女一人だけが決然たる態度で霧の中に消えていきました。 ラストで軍によって救出された様子の彼女が子供と一緒にトラックの荷台に・・ (エエッ!)


    不可解で矛盾だらけの物語の最後は、息子との約束を果たすこと。 息子は脱出する前 父親デヴィッドにこんなことを言っていました。 「僕が化けモノに食べられないように守ってほしい」 と。 息子との約束は、あるカタチで果たされることになります。 そしてしだいに霧で見えていなかった景色が見え始めます。 キリがなく続いていた危険な状態は、霧がなくなったことで危険な状況は収束に向かい始めます。 デヴィッドにとっては霧が晴れようが晴れなかろうが、どうでもヨカッタと思いますが・・

    先のフランク・ダラボン監督作品とは全く異なるイメージですが、中途半端な希望を抱かせないのがヨカッタ。 世の中 突然何が起こるか分からない・・ そしてどんな絶望の淵に立たされるかも分からない。 将来のヨウワカラン希望を持つより、今 美味しいものを食べて心地よい音楽を聴いてぐっすり眠ろうという気持ちが大きくなったのはこの映画のオカゲ。

    それでも見にくい状況の中で、スーパーという圧迫された場所から脱出するため行動したデヴィッドたちは勇気がありました。 この映画で彼らの勇気が報われることはなかったけれど、何もしなかった人たちより行動した彼らの生き方は何らかの影響力を生じさせたと思います。 スティーヴン・キング原作の小説 “霧” の結末を大幅に変更させて創った映画で監督が言いたかったことは、中途半端な希望を持たずに絶望しろ!ということ?  絶望の先に見えてくるものが真実に一番近いのかも・・

    * 監督・脚本 フランク・ダラボン     * 2007年 作品
    * 出演 トーマス・ジェーン    マーシャ・ゲイ・ハーデン    ローリー・ホールデン

    濃霧 気分的によくない映画ですが、いろいろ考えさせられました。

    グリーン・マイル

    • 2008.09.24 Wednesday
    • 21:56

             

    塀の中の世界で出会った囚人同士の友情を描いた “ショーシャンクの空に” のフランク・ダラボン監督が、今回は看守と囚人の陰湿さと塀の中で起こった大男の奇跡を映像化しました。 塀の中という特殊な世界に存在する男同志の立場を超えて、人から人に託された魂のバトンが心にしみる映画。 バックに流れる音楽はノスタルジーを感じさせる繊細でかわいいジャズ・・ 孤独と相性がいいジャズは、秘密の人間世界をより効果的に高めているように思います。

    主人公ポール・エッジコムは、かつて米国南部にあるコールド・マウンテン刑務所の看守として死刑囚棟の看守主任を任され、死刑執行の指揮を執っていました。 死刑囚たちが死刑執行までの残された時間をE棟と呼ばれていた死刑囚棟で過ごし、最後に電気椅子のある部屋に通じる通路を通ることになります。 この通路は左右にある独居房の真ん中を貫く通路で、色褪せた緑色だったことから “グリーン・マイル” と名付けられていました。 死刑囚が死にゆくために最後に歩くグリーン・マイルがタイトルになっています。

    『マイル(mile)』 という単語の原義が、“左右合わせて一歩とみなす干渉の距離” という風に英和辞典に書かれていました。 囚人は左右の足を鎖につながれていることから想像すると、その左右をつなぐ鎖の長さがマイルの意味に近いように思います。 鎖の長さが短ければ、一歩前に踏み出す距離も当然短くなるはず。 左右が互いに干渉しあえば、一歩も前に進めないという事態に発展しかねません。



    現在は老人ホームで生活しているポールの回想シーンとして物語が始まります。 そのキッカケになったのが、老人ホームで観ることになったミュージカル映画 “トップ・ハット”。 ビング・クロスビーとジンジャー・ロジャースが “チーク・トゥー・チーク” を歌い踊る映像が映し出され、それを観ていたポールは突如何かを思い出したように席を立ちます。

    自分が探し求めていた幸せが今ここにある・・天国にいるような気分という歌詞のように、どんなに時間が経っても忘れることができない出来事がポールの胸によぎったような一瞬がオープニング。 あの時初めて映画(このトップ・ハット)というものを観たある人物の目は、子供のようにキラキラしていました。

    時は1935年、ポールは尿路感染症を患っていて尿の排出がうまくいかず苦しんでいました。 そんな折 新しい死刑囚が送り込まれてきました。 幼い姉妹を殺害した罪で死刑を宣告されたバカデカイ黒人男・・ 名前はジョン・コーフィ。 「死人が歩いてく〜 死人が歩いてく〜」 と何度も繰り返される言葉。

    死人は必ず寝ている状態であるはずなのに、立って歩いていることが強調されているように思います。 ジョンは暗闇が怖くて夜も明かりがないと眠れないという 大きい割に子供のようなところがある大男。 殺人を犯して逃げようとはせず、大声をあげて泣き続けているだけのジョン・コーフィ。 ラストで真実が明らかにされますが、ジョンはどう見てもバカデカイ赤ん坊のよう・・


    彼は神から与えられたような不思議な癒しのチカラが備わっていて、ポールの尿路感染症も治してしまいます。 その後 このE棟でジョンが起こす奇跡を目の前にした看守たちは、彼の特殊な能力に気付き始めます。 ネズミのミスター・ジングルズや刑務所長の奥さんの病を癒してしまうジョンは、やはり神の使い人?  映像で観ている限りは、どこかボンヤリした空気が伝わってきます。 神の本来の姿はジョン・コーフィのようにボンヤリして寝ていることが多いのかも。

    初めのシーンで老人になったポールがうなされて目覚めた夢は、実はジョンがこの世で体験したこと。 ジョン・コーフィがイエス・キリストのように他人の罪を背負って死ぬという事実は、人間世界の普遍的なテーマを表しているように思います。 そのジョンの死に関わったポールは現在108歳でまだ死ねないと嘆いていました。 意味がヨウワカランのですが、コーフィとポールはただならぬ関係にあったのだろということは感じます。 テーマとして扱っている題材は、重くて深い人間界の深淵のよう・・

    三時間の長編映画で舞台になっている場所もほとんど屋内で変化がないにも関わらず、こんなに集中して観ることができる映画というのもスゴイ!  E棟で繰り広げられる吐き気を催すぐらいの人間の残虐性と同時に、ボス&ジョンと呼び合う看守と囚人の奇跡に値する男二人の強い絆が辛いぐらいに心に響きます。



    死刑執行の際 ポールがジョンに言いました。 「何か言い残すことは?」 ジョンはこのように答えています。 「自分が生まれてきたことを謝る(I’m sorry for what I am.)」 と。 もう少し深く追求すると、自分が何者であるかを探そうとしたことを後悔しているというような意味が感じられます。 自分が何者であるかを知ってしまったジョン・コーフィは、それ故 醜悪な人間世界が見えてしまったのかもしれません。

    結果として幼い姉妹の殺人者ではなかったジョン・コーフィは、無実の罪で死刑に処せられ死を迎えます。 死刑を執行したのがポール。 考え方によってはジョンを殺したのはポールということに・・ ジョンの記憶がポールに託され、ポールは神が遣わしたジョンの思考を感じるようになります。 そして神の罰としてポールはなかなか死ねないで、妻や子供それに友人を見送り続けるばかり。

    そんなポールに加えてネズミも何故か長生きさせられました。 この映画では長生きするということはある種 天罰のように表現されています。 ポールにとってもネズミにとってもグリーン・マイルは果てしなく長い道のり。 人生をなかなか締めくくることができないという点で、ポールとネズミは似た者同士。 こうしてポールとネズミは、神の裁きが下る日まで生き続けなければいけない役を背負わされることになりました。

    * 監督 フランク・ダラボン     * 1999年 作品
    * 出演 トム・ハンクス    デヴィッド・モース    マイケル・クラーク・ダンカン

    足 重いテーマであるにも関わらず、爽やかな感動に包まれる哲学映画。

    ショーシャンクの空に

    • 2008.09.14 Sunday
    • 20:28
               

    激情に駆られた殺人ではなく、冷酷で非情な復讐と断罪されたのが銀行の副頭取だったアンディ。 仕事は計算高く犯罪も計算高かったアンディによって殺されたのが、本人は愛していたという妻とその愛人。 裁判所で厳重管理の終身刑が言い渡されて入所してきたのがショーシャンク刑務所。 刑務所の外観は高い城壁をめぐらしたように美しく、広い中庭でキャッチボールをしている囚人たちは 結構 楽しそうにやっています。
                 
    アンディはその塀の中で生涯の友人に出会います。 その友人とは刑務所内にあらゆるものを調達できたレッドという名の黒人。 自分は赤毛のアイルランド系とアンディに打ち明けていたのが黒人のレッド。 映画の主題はホワイト&ブラックの男二人が協力して、塀の外で出会えるように工作した長い人生の旅のような物語。 ラストシーンを演出したのがアンディで、塀の中にいる自分たちには到底できるはずがないと思っていたレッド。 しかし後半の分かりにくい無理したストーリ―性での脱出計画は成功します。
         
    入所者の大半が自分は無実だという不自然な世界で、アンディもまた自分の無実を訴えていました。 彼は鉱物に詳しいらしく何かを計画するつもりでレッドに調達を頼んだものが小さいロック・ハンマー。 独房の中でコツコツ石を刻み続けていた姿は、アンディの意思の強さを物語っているように思います。 気が狂いそうになる独房生活でバランスを保ち続けることができたのは、きっと穴掘りのおかげ。
                           

    穴を掘って外へ通じる道を完成させるのには600年かかると言っていたレッドの予想に反して、アンディはわずか20年ほどでその難行をやってのけました。 地質学に詳しかったアンディは圧力と時間に耐えて、塀の外に脱出することができました。 刑務所内で行われていた反吐が出そうな圧力が、アンディにこのような行動を駆り立てたのではないかと思います。

    レッドに調達してもらったリタ・ヘイワースやマリリン・モンローのビッグ・ポスターに覆われていた壁にジワジワと掘り進めた闇の通路。 彼は暗い世界を抜けクサイ排水路も耐えてやっと自由の身になれました。 必死に生きるか必死に死ぬかを常に問いかけていたアンディ・・ その後 レッドも必死に生きることを選択しました。 必死に生きることは、必ず死に至る生に敢えて闘いを挑み続けることなんでしょうね。 アンディの脱獄後 仮釈放を許されたレッドはアンディの可能性(hope)に賭けました。

                

    大きな樫の木の根元に見慣れない黒曜石があり、その下に何かが埋まっているというアンディ。 仮釈放中のレッドは塀の中時代に聞いたアンディの話を思い出し、その大きな樫の木を探しあてました。 レッドが目にしたものは・・ 夢の実現に向かうアンディからレッドへのプレゼント。

    また一方で描かれているのが、刑務所内の看守による囚人の陰湿な嫌がらせ。 アンディは仕事柄 お金に関する詳しい知識があったので、看守たちに納税申告の仕方などを提供して 機嫌を取りながらチャッカリ脱出計画を進めていました。 こういう面を考えてもアンディは、計画的に物事を運ぶタイプのよう・・ したいことがハッキリ見えていたので、その実現に向けて着々と自分だけの穴を掘り 自分だけの通路を完成させて刑務所の外に出ました。 無実の罪で塀に入れられたからこそ、自由の新鮮さを感じることができたのだろうと思います。
                 

    自分が置かれている立場を認識し時間をかけて計画的に推し進めたアンディの希望(hope)は、米国南部の国境線を越えてメキシコのジワタネホに入ること。 彼はジワタネホの海岸でホテルを経営しながら釣りをする計画でした。 そんなアンディに誘われアンディを追いかけたのが塀の中で生活を共にしてきた調達屋レッド。 閉じ込められていた時間が長かった分、解放感も大きかったと思います。

    “ワクワクして落ち着かない 自由な人間の喜びだ この長旅の結末はまだ分からない 国境を越せるといいが・・ 親友と再会できるといいが・・ 太平洋が青く美しいといいが・・” 
    このように語っていたのはレッド。 そしてこれがレッドの希望。 二人が創ったラストは、靴を肩にぶら下げて浜辺を歩くレッドと彼に駆け寄るアンディの姿。 塀の中でアンディが強く信じた希望は、親友のレッドとともにキチンと成就されました。

    * 監督 フランク・ダラボン       * 1994年 作品
    * 出演 ティム・ロビンス     モーガン・フリーマン

    船 アンディが目指したメキシコのリゾート地ジワタネホは物価も安く女が集まってくる地域・・ 脱出したアンディとレッドは男をやめて女たちに交って生活したくなった?

    マジェスティック

    • 2008.07.23 Wednesday
    • 23:04
            

    時は1950年代初め・・ 場所はアメリカの田舎町ローソンと 映画の殿堂ハリウッドが舞台になって奇妙な話が展開します。 この小さな田舎町は戦争に赴いた青年たちの多くが死に、未だに深い傷を抱えたまま立ち直れずにいました。 そんな死にかけの町の浜辺(?)に流れ着いたある一人の男(ピーター・アプルトン)が主人公。 彼は記憶喪失に陥り、自分の名前すら分からない状態でこの町に流れ着きました。 そこで彼は救世主的存在のルークに勘違いされ、事態を把握できないままその田舎町でルークとして生活を始めることになります。

    タイトルの 『マジェスティック(majestic)』 は威風堂々という意味で使われる言葉。 
    この映画では田舎町にあった映画館の名前に付けられた名前がマジェスティック。 何となく語感がマジック(魔力)と似ているように感じるのですが・・ 過去には多くの観客を呼び込んだマジェスティックという映画館も今では廃墟のようになっていました。

    そんな映画館を運営していたのがハリーという気のいいオヤジさんでルークは彼の息子。 我が合衆国を守るため兵士として出征したまま行方不明になっていたのがルークだったので、ルークと似ていたピーターは英雄のようにこの町の人々に迎えられることになりました。 落ちぶれた映画館を再興させるため彼は力を貸すのですが、しだいに彼の過去の記憶が戻り始めます。
                          

    映画全編にわたって流れるジャズが1950年代当時の空気を伝えてくれているように感じます。 軽やかなスウィング・ジャズが心地よく響き、一方で赤狩りという思想的な部分も顔を出します。 しかしどちらかと言えば、政治思想というより主人公が自分本来の場所を探す旅のようなものがテーマだと思います。 赤狩りの対象になって国の要注意人物に指定されたピーターが、ひょんなことから辿り着いた場所が静かで落ち着いた田舎町だったという話。

    ラストのほうで、ルークの恋人だったアデルがピーターにあるものを渡します。 それは戦争に赴く際ルークがアデルに託した手紙・・ その手紙の一部を抜き出して記しておきます。 “僕は死ぬ覚悟をして戦闘に入る。もし僕が死んでも悲しまずに前へ進むと約束してほしい。 そして僕の分も精一杯生きてくれ。 僕らの闘いをムダにするな。 悪がチカラを持てば犠牲を払ってでもその悪を叩きつぶさなくてはいけない。 単純な論理ではあるが命を懸けるだけの価値がある。”
                   

    過去に戦争で死んだ兵士の気持ちは日本でも他の国でも分かりませんが、自分の命を捨ててでも何かを守ろうとした兵士たちのおかげで 現在があるということは確かだと思います。 戦争の傷跡がまだ癒えていなかった田舎町の人々は、ルークによく似たピーターがこの町にやってきてくれたおかげで立ち直る方向に向き始めます。 押しつけるようなタイプではなく生きることを真摯に考えるルークは、ローソンという町の人々の生きる支えのような存在。 そんなルークが戦争から生還できた喜びはきっと大きかったのだろうと思います。

    シング・シング・シングのメロディが流れるなか、ピーターはハリウッドを捨てて 静かな田舎町に再び戻ってきました。 自滅寸前のピーターを救ったのはこの田舎町の人たちで やっと落ち着ける場所を見つけたピーターは、愛するアデルと夢の世界で生きることができました。 国の強大なチカラに屈しなかったピーターは、やはりルークの再来だったのかもしれません。

    * 監督 フランク・ダラボン       * 2001年 作品
    * 出演 ジム・キャリー     マーティン・ランドー     ローリー・ホールデン

    ムード ハリウッドを去る時のピーターは、名前も変えて人生をもう一度やり直そうとしていたのでその夢が叶った魔法のような映画。

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