ストーリー・オブ・ラブ

          

互いに好きな相手と結婚し,その二人が結婚当初の初々しい気持ちを維持しつつ老後を迎えることは奇跡のようなもの。多少(ほとんど?)の打算を含む長い結婚生活を維持するには夫婦の忍耐が必要で、愛情というやっかいなものはなくていい。むしろ結婚生活に不必要な要素が愛情で、愛情があればあるほど喧嘩の回数も増えるように思います。この映画の主人公ベンとケイティーは豊かな愛情を持っていたがゆえに15年目の倦怠期を迎えていました。切った瞬間でナスが変色するように過ぎ去るだけの時間に翻弄されてしまうのが愛情。愛情の最大の敵は永遠に刻み続ける時間?

 
原題は“ザ・ストーリー・オブ・アス(us)”でloveの物語ではなく私たちの物語。
ベン&ケイティー夫婦だけではなく、すべての夫婦すべての愛し合う男女が創り上げる私たちのオリジナル・ストーリーという意味が映画の題名に託されているように思います。その一例としてあるのが回想しながら綴られる過去の出会いからプロポーズそして子育てを経て心が離れてしまった夫婦。二人になれば言葉と言葉が激しくぶつかり合い、子供がいれば仲よしパマ(パパ&ママ)を演じるのがベンとケイティー。場面に応じて器用に演じ分けるという点で二人は息が合っています。

               


しかし口喧嘩が絶えない二人が選択した道は別居生活。
普通はこの段階で経済的につまずく(旦那が出ていけ!と怒鳴る)のが妻ですが、二人の場合は夫が家出。
新たな住まいを即座に確保することができるベンは経済力がある。その後、別居した二人は用もないのに相手に電話をかけることで共通する似た者同士。売り言葉がケイティーなら必ずその売り言葉を買ってしまうのがベン。売り買いが交錯する経済市場のような激しさでトコトンぶつかり合うのがこの二人。仲がいいのか悪いのか・・
いずれにしても体力のある二人。

 
オープニングで語られるのがベンのこんな言葉。“僕が思う究極のラブスト−リーは、男と女が恋をして50年後にその片方が死に数日後にもう片方も悲しみのあまり死ぬ。僕とケイティーはそうなると思ってた。ずっと一緒という意味で・・” 政治や仕事の話ではなく男と女の50年先を考えているのがベン。50年後の夫婦の縁側を想定するのは一般的に女性の方が多いのではないかと思うのですが・・ということで幾分女性的(陰)なベンは妻ケイティー(陰)と当然ぶつかりあうことになります。
陰陽で交り合うのが夫婦とするなら、陰陰では反発ばかり。


          

ケイティーの女友達が表現したのが“ロマンスの抹殺装置が結婚”。仕事・家事そして育児にも追われるようになると二人の間にロマンスがあろうがなかろうがそんなことはどうでもよく、大切なのは今泣いている赤ん坊の世話と今日食べるものがあるかどうか。妻の愛情を求めない代わりに毎日の掃除・洗濯・食事を求めるのが夫?
ロマンスを抹殺しないと結婚生活は前に進まないという情けない現実にぶつかります。しかし意外にもベンは過去のロマンスを大切にする男で、現実的にならざるを得ないケイティーに甘える子供のような夫でした。

 
音楽で参加しているのがエリック・クラプトン。またベンの友人スタン役で体格のいい監督ロブ・ライナーも出演しています。最後はベンが望んだようにハッピーエンドですが、キレイゴト過ぎる感じ。現実的にはドロドロに苦しんでいる夫婦の方が多いと思いますが、わざわざ映画で生々しさを味わいたくないしネ。サマーキャンプで離れていた二人の子と再会する最後の場面で、泣きじゃくりながら自分の心の想いの丈をベンにぶつけたのがケイティー。自分の想いをぶつけることができる相手がいることは何より幸せ! 


* 監督 ロブ・ライナー    * 1999年(米)作品

* 出演 ブルース・ウィルス   ミシェル・ファイファー


★  ベン&ケイティーが選んだアスの物語は他人が認める社会的夫婦より互いの親密さで形成される友人関係でした。

                  
         
YouTube - eric clapton - I get lost (acoustic)             


最高の人生の見つけ方

        

希少価値の高さで有名になった高価なコーヒー(コピ・ルアク)を愛飲しているのはジャック・ニコルソン扮する大金持ちのエドワード。若い頃の夢を押し殺し家族中心に生きてきたのがモーガン・フリーマン扮するクイズマニアで自動車整備を仕事に選んだカーター。人生の半ばを過ぎ、さらに還暦も過ぎた二人の男(白人&黒人)の共通点は癌に侵され残り6ヶ月の命しかないということ。そんな二人がガン病棟で出会い憎まれ口をたたきながら互いに影響を与え合いサイコーの友人関係を築いていく映画。死に直面した二人のジイチャンが少年のようにはしゃぐ姿は現実離れしているけれど、金にモノを言わせ冒険の旅に出ようとする姿勢はジメジメした死から脱出する明るいパワーが感じられました。

原題『The Bucket List』の意味するところは自分の人生でやり残したコトを書き出しクリアしていくリストのことで、水を汲むバケツ(bucket)のように自分の内部に溜めていた水分を取り除くことが表現されているように感じます。喜びの表情で迎えられる生と悲しみの表情で送られる死は一つのもの。喜びと笑いでスタートするのが生なら死もその延長にあっていいはず。生の長さが重要なのではなく生の中身が大切なんじゃないのかな。喜びと笑いでこの世を去った身勝手ペアのジイチャンたちは幸せだけれど、カーター家族の心情は複雑かも。

                

一方 仕事中心の生活で獲得した大金持ちエドワードを気にかけているのは仕事上の秘書トーマスだけ。着々と仕事をこなすトーマスは病気になったエドワードの世話をするのも秘書としての務めということで、ドライ関係のエドワードとトーマス。しかし家族として強い絆を求めるカーターの妻は夫が冒険の旅に出ることを快く思っていません。そんな妻に押し殺していた今までの感情を爆発させ、残り時間を使ってヤリタイコト・リストをクリアしようとしたのがカーター。お金がなければできないことばかりの無謀な冒険はエドワードの経済力で達成されます。最高(?)の人生の見つけ方の必須条件は金持ちでその大金を使うことができる人に出会うこと!

冒頭 ヒマラヤの雪山シーンで友人エドワードのことを語っているのが先に死んだカーター。“彼がその目を永遠に閉じた時、心は開かれた”とエドワードのことを語るカーターは神の目を通して友人を見ているような感じ。先に死んだカーターが眠るヒマラヤにエドワードの遺灰を持参したのが彼の忠実なる秘書トーマス。語り部役で物語をリードするカーターがエドワードに初めて出会ったのがガン病棟。エドワードが経営していた病院でたまたま同室になったカーターに対してエドワードが言った言葉は「半分死んでる。」

半分死んだようなカーターを生き返らせたのがコピ・ルアクの希少な香りを愛していたエドワード。ヤンチャ少年のまま成長し、仕事に没頭して大金持ちになったような雰囲気のエドワードは言いたい放題でやりたい放題。自分を心配してくれる家族もいない彼は孤独な一匹狼ですが、カーターの方は妻や子供・孫に囲まれた優しい物知りジイチャン。今まで置かれていた環境がまるで正反対の二人は余命6ヶ月と診断されたことが縁で生涯の友達になりました。身近な死を(ガンでなくても将来の死はみんな一緒)共有する正反対の二人が罵り合いながら友達になっていく過程がユニーク。
互いにないモノを補い合うように影響を与え影響を受ける友人関係は、仲良しゴッコにはない深い絆が生まれるように思います。

        

死体安置所のような部屋にはいられないと言っていたエドワードが変化していくサマは子供っぽくてカワイイ。信仰心のないエドワードが教会の壇上で語るカーターの思い出話の後、見ず知らずの人に親切にするという項目にチェックする場面は笑いながら泣いていました。天国ナンテ信じるタイプじゃなかったエドワードが壇上で語る言葉の中に天国が何度か出てくるし、カーターがリストアップした最後に残った一番目の項目(荘厳な景色を見る)をチェックしたのが仕事熱心なトーマス。カーターが提案したThe Bucket Listの残りを完成させたのがエドワードと彼の秘書トーマス。

余命6ヶ月を宣告された二人のジイチャンの友情が描かれていますが、納得できないのはカーター家族のはず。何の因果かエドワードと二人、雪山に眠ることになった彼の妻や子供たちはどんな気持ちでその事実に向き合えばいいのか。先に死んだ二人は荘厳な景色を前に雪山のテッペンで憎まれ口をたたき合いながら楽しんでいるのかも。終わって初めて見えてきたのが二人の身勝手さ。共通点がないように見えていた二人は身勝手という点でピッタリ合っていました。

先に逝ったカーターの遺灰がチョコ・フル・オブ・ナッツのインスタント・コーヒー缶に入っているのは納得できるけれど、後から逝ったコーヒー通エドワードの遺灰も同じインスタント缶に入れられていたのは何故? 希少価値の高いコピ・ルアク缶ではなくインスタント缶に入れられたエドワードは死んでカーターに近付いたってことカナ。同じインスタント・コーヒー缶に入れられ、同じ場所で眠る二人の黒白コンビは怪しい関係を雪山に残すことに成功したように思います。

* 監督 ロブ・ライナー   * 2007年(米)作品
* 
出演 ジャック・ニコルソン   モーガン・フリーマン

★ 余命が明確になる前にリストを作成し、体力があるうちにチャレンジする気持ちにさせてくれた映画。


恋人たちの予感

         

5年周期でユーモアのある口喧嘩を繰り返しながら、互いの大きな存在に気付いたハリーとサリーの物語。 名前も似ていた二人の共通点はとにかくよく喋ること。 軽快に弾み機知に富む二人の会話は、実生活のデート時にアレンジして使えそうな感じ。 結果 たとえ振られることになっても、この映画を手本にイキイキした会話を現実に応用してみるのもオモシロイ!  大したことが起こらない日常に、映画から借用した言葉を自分のものにして誰かに試してみることは興味深い体験だと思います。

時は1977年 シカゴ大学からニューヨークに向かう車の中でハリーがサリーに語りかける会話は暗い。 例えば 「一生何も起こらず仕事も友達もできず孤独に死んで二週間後に死体がニオウことになったら?」  葡萄の種(種アリ葡萄は最近ほとんどなくなってしまった)を窓から吹き飛ばしながらサリーに投げかけるハリーの言葉は不快だけれど、ある面 考えさせられる言葉です。

さらに彼の暗い行動パターンは、本を買うと初めだけ読んですぐに結末を読むらしい。 そのワケは読み終わる前に死ぬと困るから・・ というもので聞かされているサリーの表情はかなり気分ワルソー。 自分はいつ死んでもいいように準備はできていると自慢たらしく言うハリーに、気分の悪さが頂点に達したサリーの言葉がコレ。 「死を待ち暮らすだけの人生?」

                    

目的地のニューヨーク到着後、二人はそのまま別れて五年後に空港で再会。 互いに好きな相手がいた二人の方向は背中合わせの反対方向。 このときのメグ・ライアンの髪型が一番 似合ってなかったように感じます。 人生で最悪の経験をしたときの男だと自分の彼に説明しているサリーは、不快な言葉を並べるハリーを憎んでる?  結婚しそうになかったハリーが結婚することを聞き驚きの表情で見つめるサリーは、まさかその時 目の前にいたハリーと自分が結婚することになろうとは夢にも考えていなかったと思います。

石の上にも三年というコトワザ通り、何事かが新たに動き出す予感の三回目の偶然の出会いが二人に訪れます。 シェークスピア書店で演出された二人の三回目の出会いは、互いに名前も覚えている気になる間柄だったよう。 髭を生やしていたハリーは離婚を体験しサリーは恋人と別れて孤独の身。 それぞれ二人は過去10年間に多くの経験を積み、神が書いた物語の筋書きのように出会った場所は本屋。 互いの孤独さ故に気が合ったのか、以前のような険悪ムードは消えていました。

             

“男女間に友情は成立しない” と考えていたのはハリーで、セックスが邪魔して友情が成立しないという意見。 彼女の考え方はどちらでもいいようで、気が合うことが大切!
男女でも男男でも女女でも気が合わない相手は相手にしないのがサリーかな。 メトロポリタン美術館デートで彼らの会話が始まるんだけれど、こんな場所で大きな声を出していいの?  またパンツ・ファッションだったサリーにスカートのほうがいいと言うハリーの言葉を素直に受けて、その直後の彼女はかわいいミニスカートを着用!  ナンダカンダ言いながら気が合う二人はいつも口喧嘩。

映像が切り替わる間に挟まれている老夫婦・・ 彼らが語る馴初めから現在に至るまでの話も、くっ付いたり離れたりを繰り返して到達するセックス抜きの茶飲み友達(?)の域に入ったような感じです。 外見だけ笑顔を見せて何を考えてるのか分からんセックスありの夫婦より、喧嘩してでも相手のことを知ろうとした二人は名前同様 残り者の似た者同士。 老夫婦の最後にハリーとサリーが語りかける映像は、男女間に友情が成立した証しのような雰囲気が感じられました。

* 監督 ロブ・ライナー      * 1989年 作品
* 出演 ビリー・クリスタル    メグ・ライアン    ブルーノ・カービー

祝  食べ物にかけるソースは上からかけるのではなく隣に添えてほしいといつも言っていたサリーの言葉通り、サリーの隣にハリーが添えられました。

スタンド・バイ・ミー

         

小学校を卒業した12歳の少年4人が体験した、夏の冒険を描いた映画。 今では作家になり妻も子もいる主人公ゴーディが、12歳の頃の記憶をたどって昔の自分と昔の友達に会いにいきます。 その夏の体験を最後に その後ほとんど顔を合わすことがなかった少年時代の友人ですが、記憶は鮮烈に残り続けた輝ける二日間。

1959年 オレゴン州の小さな町キャッスルロック・・ 住人も少なく広々としたのんびりした田舎町が舞台。 4人の悪ガキ仲間が汽車にはねられたまま森の中に放置されている死体を探すため、線路伝いの冒険を決行します。 どうして死体を探すかというと発見して有名になってテレビに出るため。 しかしテレビ出演以上の大きなひと夏の体験を、彼らはすることになりました。
        
ゴーディの家族は父と母そして兄の4人家族だったのに、事故で長男を失った両親は そのショックのあまりゴーディの心を置き去りにしたまま毎日が空しく過ぎていきました。 そんな環境に置かれていたゴーディは、自分の方が死ねばヨカッタという想いを胸に抱くようになっていきます。 フットボール選手だった兄はこの町でも有名で、両親にとっても兄は鼻が高い存在。
             

こうして知らず知らずのうちに心が傷だらけになっていたゴーディを、父のように母のようにそして彼女のように包み込もうとしたのが親友のクリス。 彼の家は貧しくクリス自身も十分な愛情を注いでもらっていたわけではなかったのに、彼は他のメンバー全員のママのように面倒をみます。 根っから優しいタイプがクリス。 それに対して、彼ら4人より年上の兄貴分のグループの男たちは騒々しいし荒々しい。 男によくあるタイプの高圧的なイヤな野郎です。

ワンパク4人は自分たちの世界を楽しくするコツをわきまえていて会話が楽しいし笑える。 スラングバンバンなのにイキイキした空気の中で生きている彼らの開放感がいい。
子供時代は仕事上の気を使う会話をしなくてもいいので、言いたい放題、見たい放題! 
川に架かる鉄橋で四つん這いになって進んでいた、太っちょのバーンに向かってゴーディが叫びます。  「死ぬ気か! 立って走れ〜」 のシーンはオモシロカッタ。

そんな見たい世界が腐乱した死体?  好奇心で動かされた4人は、近道のため沼に入ります。 思いのほか 浅かった沼にいたのは雌雄同体の血を吸う蛭。 蛭にカラダじゅう吸い付かれた彼らの表情とシグサは、心地良い笑いになって観る者を楽しませてくれました。 
強烈な体験ほど心に残るので、少年・少女期の冒険はやはりあったほうがいいと思います。 大人になると何やらワケもなく忙しい毎日で、冒険という言葉すら使わなくなるのが現実。

              

森の中で一夜を過ごすことになったゴーディが創った大食い競争の話が映像になって展開します。  口の中から飛び出す反吐・・ 
      参加者も観ていた人も全員反吐だらけ。 (バッチイ!) 
      不安な夜を過ごすのにピッタリの意味のない汚い話。 (オウェッ!)
      大人のツマラン仕事の話よりナンボカ楽しい。 (ホント!)

映画の終了と同時に流れ出すベン・E・キングの “スタンド・バイ・ミー”。  
Daring (友) に呼びかけている言葉が、 “Stand by me (僕のそばにいて) ”。
友人とはある面、恋人や夫婦以上に愛しい存在なのかもしれません。 ゴーディにとってダーリンのような存在だったクリスは、すでにこの世にいなくなってしまったけれど 心に中のクリスは自分のすぐそばにいて自分をいつも守ってくれる愛しい親友。

* 監督 ロブ・ライナー      * 1986年 作品
* 出演 ウィル・ウィートン   リヴァー・フェニックス   コリー・フェルドマン  

読書 森の中で夜明けに出会った鹿はゴーディと鹿だけの秘密のまま・・ コンニチに至っています。

ミザリー

シドニー・シェルダンは1980年代を風靡した
現実に存在した人気作家で
ポール・シェルダンは長編小説を書いている
架空の人気作家で
彼の生みの親は米国のホラー系人気作家の
スティーブン・キングです。

作家はみんな人気があります。
何故なら、人をドキドキさせたり楽しませたり
泣かせたりすることができる 
魔術師のようなものだから・・

この映画のタイトルになっている “ミザリー” というのは、ポール・シェルダンが書いている本に出てくる主人公の女の名前。 そのミザリーという本にスッカリ陶酔してしまって、ミザリーになりきってしまうことがあるファンのアニー。 

彼女は、ある日猛吹雪の中を運転していて事故を起こしたポール・シェルダンを助けます。 彼のファンだったアニーがポールをつけ回していたおかげで、ポールは死なずに命をつなぎ その後のアニーの親身な介護で少しずつ回復していきました。

長く続いたミザリーの最終章で、ミザリーの死をアニーが読んだあたりから 彼女の介護する態度が豹変。 まるで自分が殺されたように怒り狂うアニー  そして殺人者のポールを部屋に閉じ込めてカギまでかけてしまいます。 

物語のなかのミザリーが現実のアニーに乗り移っているような感覚がしだいに大きくなってっきて、キャシー・ベイツが演じたアニーとミザリーの垣根がなくなり、物語が現実に進行しているような 異様な感覚が観ている側に伝わってきます。

 アニーはミザリーを生き返らすために、
 ポールに筋書きの変更を求めました。
 車椅子生活のポールは何とか動く指でタイプを打ち続けます。

 家にアニーがいない時を狙って他の部屋に侵入し、
 アニーが過去に殺人を繰り返していたことを知ったポールは
 この家からの脱出を試みようとします。

しかしその裏行動をアニーに知られることになったポールは、足首を完全に折られてしまいました。 ミザリーになりきっていたアニーは、自分を殺した生みの親であるポールへの愛情と憎しみで 精神が混乱していたように感じます。 ポールを独占したい愛情の深さと自分(ミザリー)を殺した憎しみは、ミザリーという物語以上の物語が生まれました。

ポールに自分と一緒に死んでほしいと懇願するアニーの偏執的な愛情は、もしかしてポールが書いたミザリー? 私を殺さないでと訴えているミザリーの懇願のようにも感じます。 ねじれた愛情ではあったけれど、アニーがポールに与えた影響は凄まじいもので ミザリーの続編としてアニーが出版されるのではないかという期待が残りました。

* 監督 ロブ・ライナー   * 原作 スティーブン・キング   * 1990年 作品
* 出演 キャシー・ベイツ   ジェームズ・カーン   ローレン・バコール

ペン 本から生み出された主人公は、隣に住んでいる知らない人よりずっと親近感があります。

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