チャーリーとチョコレート工場

       

主人公はチャーリー少年というより自分の考えだけでモノゴトを推し進める傾向にあった、見かけは女性的男性のチョコレート工場社長兼従業員ウィリー・ウォンカ。
上質のチョレートを製造し世界各地に輸出し巨大な富を得ていたウォンカ社はウォンカの突然の指示で従業員は全員解雇。そしてウォンカ社の門は固く閉ざされました。内部で何をしていたのか知られていなかったウォンカが世界から5人を選んで自分の工場を見せるという触れ込みが流れ、ウォンカ・ファンの5人の子供たちとそれぞれの付添人を含め10人がウォンカ工場の内部に足を踏み入れる映画。 

五人が選ばれる当たりクジは銀紙内部に敷かれたゴールドの台紙。 
卑怯な手段がまかり通って選ばれた5人のうちの一人が主人公チャーリー・バケットで、彼もたまたま道端に落ちていたお金で買ってその幸運を手にしました。 チャーリーは両親とそれぞれの両親4人ともが健在な7人家族で彼らが住んでいる家は傾いています。

四角い箱型の家ではなく家全体が左側に極端に傾いていて斜めになった扉が印象的!傾いた家での7人家族は困窮の暮らしを強いられていました。 バケット一家の傾いた家とは全く違う豪華な宮殿のような工場を持っていたのがウォンカ。 何の特技もない普通の少年だったチャーリーはウォンカ工場に対する憧れは他の誰より強く、白いパーツでウォンカ工場のミニチュア作りに励んでいました。

             

少年期のウォンカは歯医者だった父の厳しい躾に耐えられず、父を捨て自分の好きなチョコレート工場を完成させた人物。 ウォンカにとっての父は厳しいだけの存在で彼は家族を嫌っています。 自分の家に自分の居場所がなかったウォンカ。 だからこそ自分の甘い夢工場を造ろうとしたのかも。

            

笑えたのはオープニング・セレモニーで人形たちがクルクルしながら歌ったウィリー・ウォンカの歌。 最後に火花が人形に燃え移り、焼けてチョレート色になってしまった人形たちにただ一人拍手して登場したウォンカ。 自分の作ったものを自画自賛して楽しんでいるオタク社長の登場に参加者たちは茫然自失。 自信過剰で現実を無視して自分の世界で遊ぶことができたウォンカは子供。 一方 傾いた家で育てられたチャーリーは子供だけれど大人です、

    

自分の工場のレシピを盗んだ従業員の首を切り、ウォンカは新たにウンパルンパを雇い入れてチョコレート工場を再生させました。このウンパルンパが繰り広げるミュージカル風ダンスがふざけていてオモシロイ。 5人ペアのうち順々にウォンカが工場から追い出していく皮肉タップリの目は子供向けではなく大人の視点に立っています。 お伽話を装いながら監督の目に叶わない人物は全員消されることに・・
ある面 独裁者的感覚を持っていたのがウォンカ。 話し合いを嫌い自分の好みだけでこの工場の後継者を探そうとしていました。

         

そういう面で考えると逆らわなかったチャーリーがたまたまウォンカの後継者指名を受けることに・・しかし家族と離れ自分一人だけがチョコレート工場に住むということに納得できなかったチャーリーは後継者指名を拒否! 家族の大切さを年上の妹のようなウォンカに説いて聞かせる年下の兄チャーリー。 彼に付き添ってもらって過去に別れたままの父と再会を果たしたウォンカ。 その父は雪が積もった白い場所に建てられた一軒家で現在も歯科の開業医として働いていました。

 

ウォンカの父親は息子の成功を伝える記事を切り抜き、家の壁いっぱいに飾っている隠れウォンカ・ファン。 お互いの心を理解した父と息子はぎこちない仕草で抱き合う場面が如何にも演技らしくてイイ。 ホントは父の厳しい愛情より母のような優しい愛情を求めていたのがウォンカだったのかも。 険悪だった父との仲を取り戻し、後継者チャーリーの家族とも仲良しになったウォンカは孤独な王様を返上してその後はアマ〜イ生活を送ったという話。

* 監督 ティム・バートン     * 2005年 作品
* 出演 ジョニー・デップ    フレディ・ハイモア

☆ 独裁者で変人だったウォンカはチャーリーと出会って何とか成長できました。


ビッグ・フィッシュ

          

メキシコ人の愛情表現の一つに、好きな人の最後(死に際)をラブレターで告白するというのがありました。 そのことを思い出させてくれた映画がコレ!  幼い頃から大ボラ吹きの父親を理解できなかった息子が、最後になって父の死を物語にして語り始めたのを観て メキシコ人の愛情表現のラブレターとどこか似たような感じがしました。

物語の主人公エドワードは、事実をオモシロク脚色して話すのが上手なオヤジ。
一人息子のウィルに語って聞かせた話は、すべてこのオヤジの作り話でありホラ話でありそして夢のようなお伽話。 しかしそんな父親の話が現実離れしすぎていることに不信感を募らせ、一時 父と子は断絶状態にありました。 真面目さゆえの息子ウィルは、父親のホラ話ではなくホントの話を知りたかったのだと思います。

断絶していた二人が顔を合わしたのが、父エドワードの死に際。 幼い頃 森に棲む魔女に自分の最後を教えてもらったエドワードは、多少の危険を冒してでもさまざまなことにチャレンジして自分の道を切り開いてきました。 その話が事実なのか作り話なのか聴く側は理解できないまま、エドワードが語る話は周囲の人々の心を盛り上げます。 生きるという事実だけのつまらない話ではオモシロクないので、オヤジが工夫してたくさんの色を付け加えた結果 息子は混乱しました。
                      

タイトルの “ビッグ・フィッシュ” は、人が釣り上げようとしてもなかなか釣ることができない賢い魚のことで オヤジは最後にこのビッグ・フィッシュになって海へ還ります。 誰かによって書かれた名無しの人物を歩まされるような人生ではなく、自分で自分の脚本を書いてその自分を演じて最後に自分が伝説の人になるように エドワードは自分で自分の物語を創り上げました。 見方によっては大ボラなんだけれど、そうなるとリンリンリンと鈴音を響かせてやってくるトナカイに引かれたソリに乗ったサンタのオヤジの生みの親(?)も大ボラ吹きということに・・ 事実と物語は幾分 混沌の中に同居しているように思います。
    
世界の国々に語り継がれている神話も、そのほとんどが荒唐無稽の分かりにくい話ばかり。 誰しも毎日起こる現実だけを受け止めて歯を磨いて寝るだけなんてイヤですよネ! 人は何かを創造することを楽しみ それによって新しい発見があり喜びも湧いてきます。 そのうちの一つがホントかウソかを疑いたくなるような “作り話”・・ 表現を変えると話上手。 不快な作り話はイヤですが、その話を聴いて笑ったりビックリしたり泣いたり・・ あるいは懐疑心を抱いたりすることが “生きる” ということの基本であるように思います。

           

父親の作り話についていけず 成長とともに不信感を持つようになっていく息子のウィルが死が迫った父に接することで “ホントの父” を探すため、父の作り話の検証を始めます。 
父の息子に対する愛情があるからこその作り話がいつの間にか話だけに終わらず、最後は父が息子に語ってくれた人物が全員 葬儀に参列します。 現実にその作り話のようにこの世が展開していくことだってあるかもしれないと感じさせてくれる一瞬を 伝説のビッグ・フィッシュになった大ボラ吹きのオヤジが教えてくれました。

* 監督 ティム・バートン      * 2003年 作品
* 出演 ユアン・マクレガー    アルバート・フィニー    ジェシカ・ラング

魚 「私はいつも ありのままの自分でいた。 それが見えないのはお前が悪い。」 と息子に言い放ったオヤジは、最後 その息子が作った死に方で死にました。

シザーハンズ

         

一見 廃墟のように見えるモコモコした山の上に立つ城に住んでいた老博士が作ったロボット型人間の名前がエドワード。 彼は無表情な顔とメタリック・ボディと大きなハサミ型の両手が印象的な人造人間でした。 作り手だった博士から最後の手がエドワードにプレゼントされる予定だったクリスマスの前日のこと・・ 博士が作った美しい手を目の前にして喜びの表情を示すエドワード。 しかしそんな彼を見ると同時に博士は突然、息を引き取ります。 

こうして自分の手を持たない未完成人造人間のエドワードは、その後 孤独な博士と同じようにこの城に一人住み続けることになりました。 そんなある日、化粧品のセールス販売をしていた主婦ペグがこの城にセールスのつもりでひょっこり訪れました。 外見の薄気味悪さを気にせずドンドン城の内部にまで侵入し、あげくにエドワードを見て驚いて逃げるような一般的主婦ではなかったことが 悲劇と喜劇の幕開けになります。

自分の手(ハサミ)を使って剪定した城の内部の木はいつもキチンと刈り揃えられ、お伽の国にまぎれ込んだような楽しい気分にさせてくれます。 博士に本や詩を読み聞かせてもらっていたエドワードは、美しい童話の世界に生き続けていました。 自分の手はないけれどロボットの鋏を持っていた彼の特技は、長く伸びた樹木の葉や髪の毛を切って大変身させること。 特に氷の彫像を作る時に舞い上がるキラキラ輝く雪のような氷の粒が 一番心に残っています。
             

無垢なエドワードは、人間たちが住むパステル色の街に連れてこられたことで 彼の穏やかだった毎日が乱れ始めます。 彼が住んでいた城はモノクロームの世界で、多くの色に溢れた下界の生活とは根本的な隔たりがありました。 慣れない世界で何とか頑張ろうとしていたエドワードを応援したのはペグ一家。 この家族・・ みんなちょっとずれていて個性的! ペグの娘キムに恋をしたエドワードは、キムの言うことなら泥棒でも何でもしました。

結果として警察に追いかけられる羽目になったエドワードは、自分の城に帰るしか仕方がない状況に追い込まれます。 近所の連中は、当初 彼に興味を示してヘアーカットや犬の毛をカットしてもらっていたのに、エドワードが警察沙汰になったことで彼の素性を疑い始めます。 熱を上げてエドワードの追いかけをしているかと思えば、何か事件が起きるとよく調べずに噂だけでブツブツ言う人たちが大半のこの街で 彼を取り押さえようとしていた警官が空砲を放って彼を逃がしたことがホッとした一瞬でした。

モノクロームの世界が展開する城の内部で、キムがイヤがっていた男が死にます。 そしてキムは好きだったエドワードとも別れなければいけません。 住む世界が異なっていたエドワードは、キムが自分を想ってくれていた心を十分に理解したうえで 短い言葉を彼女に投げかけます。 「さよなら」・・ 自分を作ってくれた博士と同じように 単純な世界にしか居ることができなかったエドワードが、キムに捧げた最大のプレゼントがサヨナラ。

            

時間を経た冬のある日、おばあさんが孫に雪が降る話を聞かせています。 このおばあさんの頭には、若い日 エドワードが彫った氷の彫刻のそばで舞っていた自分の姿がありました。 舞い落ちる雪の正体は、モノクロの世界に住んでいた手がないエドワードが切り刻んだ氷の余計な部分。 自分の手がなかったからこそ こんなに美しい氷の彫像が完成し、残りの氷の粒(結晶)は雪になって下界に降り注いでいるような気がします。

雪が降っている間、天上では何かが彫られている可能性があると信じたくなるファンタジー映画。 外見はおばあさんになったキムの心にいつもあったのは、六角形の雪の結晶を自分に浴びせたエドワード。 こんなに美しい結晶を一人の女に浴びせることができたエドワードは、未だに変わらず樹木の剪定をキチンと続けているようでした。

* 監督 ティム・バートン      * 1990年 作品 
* 出演 ジョニーデップ   ウィノナ・ライダー   ダイアン・ウィースト

雪 ハサミを持っていたエドワードは好きな人を抱き締めることはできなかったけれど、キムの心の扉を壊して彼女のどこかに入ることはできたような・・

ピーウィーの大冒険

          

ツール・ド・フランスの自転車レースで一番になり、栄誉の冠を授けられる寸前に目が覚めたピーウィー。 彼の分身的存在の紅白に彩られた自転車に乗って、ツール・ド・フランスに優勝する夢がオープニング。 途中 その自分の分身である自転車を失ったことから彼の大冒険が始まります。 コレだけは誰にも譲れないというモノが一つでもあると、生きていくエネルギーになるので、対象は趣味でも人でも何でもいいと思います。

その生きていくエネルギーがピーウィーにとっては紅白の目出度い自転車。 物語の筋を追うのではなく、監督がこの映画に託した何かを考えてみました。 どこにも属さず自分の力だけで生きていくのは、現代の世 並大抵のことではありません。 そんな環境に置かれていたピーウィーは、警察に頼らず自分一人で分身の捜索を開始します。 生きることはもしかしてもう一人の自分を探し出すこと?
                     

インチキ占い師の言葉をそのまま信じて、テキサス州サン・アントニオ市にあるアラモを目指したピーウィー。 道中 殺人犯や幽霊に出会っても動じずピーウィーイズムに変えてしまいます。 天才と馬鹿の間にある紙(神)一重の薄っぺらな紙がピッタリなピーウィーですが、持ち前の天真爛漫さと異常な執着心と目に見えない大きな偶然よって、彼は最後に自分の分身を取り戻します。

真面目に大人の目で鑑賞すると、馬鹿バカしさが先行してしまうように感じます。 自分の危険な大人度を量るつもりでこの映画を観ると、楽しめている自分がいるのか あるいは覚めた自分しかいないのか・・ 要は自分の幼稚度を知る手がかりになるのがこの映画ってこと。

ピーウィー・ファッションも世間から見ればかなり浮いています。 人と同じようなフツーはイヤ!という雰囲気が漂うピーウィーが住む部屋を独占している雑多なおもちゃ類。 高価なものはなくガラクタばかり・・ でも遊び心がイッパイ詰まっていました。 自分で工夫して楽しむ姿勢は、その人の心を老人に変えることはない。 アンチ・エイジングを意識しなくても遊び続けることが結果としてアンチ・エイジングになるのではないか・・

             

当時27歳だったティム・バートン監督は、5年後 “シザーハンズ” というファンタジー映画を私たちに示してくれました。 つまらない現実社会を生き抜くために必要なものは、精神を自由に跳ねさせる想像力だと思います。 イヤな現実と向き合って殺人事件を起こすより、自分の独自な発想で描く物語を創ればその世界で遊ぶことができます。 後半 ワーナー・ブラザーズの映画スタジオに飛び込んで展開するドタバタの常にトップを走っていたのは、紅白の自転車に乗ったピーウィーでした。

* 監督 ティム・バートン      * 1985年 作品
* 出演 ピーウィー・ハーマン    エリザベス・デイリー

自転車 自転車と一体化して走る気分は風のよう・・

エド・ウッド

         

人に観てもらうための映画のはずが 自分が満足した映画を創ったのがエド・ウッドという映画監督。 そして映画 “エド・ウッド” を紹介したのがティム・バートン監督。 しかし自分が満足することが一番であるということは大切で、観客のために自分の本意ではない映画を創って興行成績が上がっても、それはどこか寂しい気がします。
           
エド・ウッドとは実在した映画監督で、オーソン・ウェルズに憧れ監督のミチを志した人です。 しかし史上最高と言われている “市民ケーン” を監督した人物とは違って、史上最低最悪と評されはしたものの、名前はこうして死後も伝えられ残ることになりました。
          
何も魅力がなければ映画化もされないし、あえて評されることもありません。 通常 人は他人にどう思われるかとか・・こんなバカなことはできないとか・・社会の目を気にして考えすぎる余り、中途半端で自分を見失ってしまうことが多いと思います。 そこがエド・ウッドは普通の人とは違って、駄作と言われ続けながらも映画を創り続けたシブトイ人でした。

映画で紹介されたエド・ウッドは女装を好む自分自身を抑えきれず、自分の心情を映画に託して “グレンとグレンダ” という女になった男の話を創り上げました。

当然のことながら、規律が好きな社会は受け入れるはずもなく エド・ウッド自身であり続けようとすればするほど空回り状態の日々。

社会生活を穏便にしていくには、自分の仮面を剥いではいけないのです。 たとえ女装好きだとしても、男らしく行動することを社会は求めます。 自分自身を見つけようとすると、破滅に近付く可能性があるのだけれど エド・ウッドはその破滅方向に進んでいきます。

世間でトコトンこき下ろされ ショックも大きかったと思うけれど 映画のなかのオーソン・ウェルズに励まされた彼は、熱い心で自分自身を映画の世界に託しました。 ティム・バートン監督によって創られた “エド・ウッド” は監督自らがエド・ウッドのファンであると言うように、社会の標準的な目で見るのではなく 人間的な温かさを感じる目によって 現代の私たちに伝えられることになりました。

* 監督 ティム・バートン     * 1994年 作品
* 出演 ジョニー・デップ    マーティン・ランドー 

眼鏡 映画はテレビとは違って観客はお金を払うので、自己満足も過ぎるとよくないね!

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