物実

  大和国の“物実(物代・物種)”として認識されていたのが天香具山の赤土。
    天照大神とスサノオノミコトの誓約で誕生した子を表現する場合も
           物実という言葉が使われていました。

    “五柱の男子は物実我が物によりて成れり。故、自ら吾が子ぞ。”
 
     先に生まれし三柱の女子は物実汝が物によりて成れり。
             故、すなはち汝が子ぞ。
 
 五柱の男子は天照大神の物実だった五つの玉の緒から生まれたので天照大神の子。
    三柱の女子はスサノオノミコトの物実だった剣から生まれたので
             スサノオノミコトの子。
      それぞれ相手の物実を口の中に入れて粉々に噛み砕き、
          それを息のように吐き出しています。

      

   いつの間も 神さびけるか 香具山の 杉の本に 苔生すまでに

 

      杉(ほこすぎ)とは矛のように真っ直ぐに伸びた杉。

        その杉を成長させたのが香具山の神聖な土。

          “物種は盗まれず”という諺があり、

        その人の根本に流れる血筋は絶対的なもの。

    天から降ってきた香具山の土は大和国の物種(物実)であり、

           決して盗めないものの象徴。

 

   大和の 宇陀の真赤土の さ丹つかば そこもか人の 吾を言なさむ

 

  真赤土(女)に染まった私(男?)をみて周囲の人は何と言うでしょう。

          日本の国旗を見れば一目瞭然!

     核となる赤い部分が外側に滲み出すことは決してない。

 

立ち立つ煙のイメージ

        

       高津宮の昔より 代々の栄えをかさねきて 民のかまどに立つけむり 
            にぎわいにまさる大阪市 にぎわいまさる大阪市
       
これは大阪市の歌というもので、何の因果でこの歌を知ってしまっているのかというと 小学校時代 式典などに際して校歌とともに覚えさせられ歌わされました。 無理やり歌わされていた幼少期を過ぎて、多くの時間が流れた人生の後半になって理解したのは、難波の高津宮から周りを眺めて詠んだ仁徳天皇の国見歌 (高き屋に のぼりて見れば けむり立つ 民のかまどは にぎはいにけり) がベースになっていたということです。

仁徳天皇は難波を都と定めた初めての天皇で、現在も上町台地一帯は官庁街として過去の面影を残しています。 仁徳天皇が周りを見回した場所(高き屋)と考えられるのが大阪市の中央部を貫く上町台地。 少なくとも高い山のテッペンに上って国見をしたのではなく、丘陵地(台地)のような場所で周りを見回したのだろうと想像します。

仁徳天皇の祖になる神武天皇も日向国から大和国を目指し、腋上(わきがみ)のホホマの丘に立って国見をしました。 国見をして感動して言った言葉は、“狭いけれど美しい国を得たことだ!” 古代における “国見” というのは自分の想いを呪術的に込める要素があり、現実に見ている景色というより 心が描き出す景色を国見というものに託したように思います。 国見をした神武天皇は、自分が創り上げた国が美しいことを喜んでいるようです。

そして神武天皇の目に映った蜻蛉(とんぼ)がトナメ(交尾)をしているようなハート型の国は 神武天皇の内面(イメージ)を表しているもので、蜻蛉(あきつ)のような蜻蛉島(秋津島)を大和国に例えました。 “とんぼ(蜻蛉)” という漢字は “かげろう(陽炎)” とも読むことができるので、神武天皇が見ている蜻蛉島は陽炎島でもありそうです。

陽炎とは、のどかな春の日にチラチラと立ち上る怪しげな気で 車の運転をしている時などに ユラユラとした変な動きをするモヤモヤを見かけたことがあると思います。 陽射しで暖められた空気によって光が不規則に屈折して見えるために起こる現象で、通常の光では見えていなかったものが その屈折した光によって一瞬見えるものが “陽炎” ということですね。
          
      大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば
           国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎(かまめ)立ち立つ 
               うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は
  
これは舒明天皇の国見歌と呼ばれているもので万葉集の二番目に収められています。 それほど高くない天香具山から舒明天皇が眺めた景色も煙が立ち立つものでした。 その後に続く歌は、白い鴎が群れを成して飛んでいるような描写です。 通常の状態では決して見えないものが陽炎とするなら、大和国から見えるはずがない海原から立ち立つカモメは、もしかして陽炎のような煙?
        
煙立ち立つ雲海にポッカリ浮いたように見えている天香具山の実際の高さは152mしかありません。 登るというような表現には適していない “天香具山” が 何故かこの歌に触れると “孤高の山” のイメージが広がります。 見方を変えれば、湯気が靄のように立ち上って白くかすんでいる湖に浮かぶ孤島のような感じがします。
     
古代の国見を考えると、神武天皇も舒明天皇も仁徳天皇も共に立った地点はそれほど高くないトコロでした。 国見をした天皇たちは遥か遠くまで雄大な景色を見ようとしたのではなく ほんのすぐそばに広がる平地だったのではないかと・・ 平地と低い山との高低差はそれほどありません。 国見をした天皇は高低差がない関係を求めた・・ 誰に?
高い山の上にある城ではなく、平地に立つ城を大切に思ってくれる平城(なら)のような人。

イケないイワレの根拠

               
古代 天香具山の北側には “磐余(いわれ)” と呼ばれる地があり、この辺りに “磐余の池” という大きな池があったと伝えられています。 磐余の池を調べるために地図を見て気になったのが “膳夫町” という名前。 ちょうど磐余の池があったと伝わっている天香具山の北(JR香具山駅の南)に位置しています。 かなり特殊な漢字で読みにくい【膳夫】と【磐余】に何か謂れ因縁があるかもしれないと思い、他にも接点(どちらも天香具山の北にある)を探したくてゴソゴソと調べ始めました。 

“膳夫” と書いてカシワデと読ませる奇妙な名前の意味は、饗膳(御馳走の膳)を司る人・・いわゆる料理人です。 奇妙な読み方のカシワデは、古代にカシワの葉に食べ物を盛ったことからカシワデ(膳夫)と呼びました。 膳夫が調理した食べ物が新鮮だったとしても、盛るカシワの葉に毒が付着していれば その食事をした人は死にます。

古事記に “櫛ハ玉(くしやたま)神を膳夫とし、天の御饗を献りし時に・・” という記述があり 膳夫に選ばれたのが櫛ハ玉神で、この神は水門(水戸)神の孫と言われています。 水門とは川と海の境界部分にあたり、淡水と海水が混じり合っている川の河口に生まれた神が水門神なので その水門神の血を引いて淡水と海水を合流させる役目を持つ神が、櫛ハ玉神といえます。 櫛ハ玉神を膳夫にして海の幸を食べたのが、出雲国を高天原グループに譲り渡すことを決定した大国主神でした。

食事の世話をする女房役を務めたのが櫛八玉神ということですね。 天の御饗を献じる時に櫛八玉神が鵜に化けて海の底に入り、底の埴土(赤土)を喰い出して 天八十毘良迦(あめのやそひらか)を作ったという記述があります。 ヤソヒラカとは薄い皿のようなもので、食べ物を盛る器(カシワの葉)と考えることができます。
 
その後 天櫛玉神はワカメの堅い部分の茎を鎌(か)って作ったのがヒキウス(穀物や豆などを粉砕製粉するもの)。 次に海蓴(こも)の柄を使って杵を作り、この二つで火をオコシました。 単に調理するだけではなく、食べ物を盛り付ける皿をまず自分で作り さらに食べ物を調理するうえで必要な火まで自分でオコシて、準備万端で料理に臨んでいます。 膳夫に指名されるだけのことはあり、大国主神も安心して食事ができたと思います。
        
時代を経てカシワの葉の役目をするヤソヒラカが、神武天皇の話にも登場しています。
神武天皇は天八十平瓮を天香具山の土で作ることができれば勝利できる(大和に入れる)という神託を得ていました。 さらに天八十平瓮で水を使わずに飴(?)ができれば、武力を使わずに天下を治めることができるだろうという話もあります。

意味がよく分かりませんが、神聖な天香具山の土はもともと海の底にあったもの?
初めは海の底にあり見えなかった赤土が、見える赤土になったのが天香具山という考えもできそうです。 “神日本磐余彦” という異名を持つ神武天皇が、天香具山の土で天八十平瓮を作ることができた結果 日本を統一して名前も磐余彦から神武天皇に変わりました。 磐余と呼ばれていた池にあった可能性がある赤土は天香具山を形成し、かつては磐余の池があった湿地が 現在は人が住める膳夫町になっているのではないかという仮説・・

天香具山の北にあったとされる磐余の池が、もし現在の膳夫町辺りだとすると 櫛ハ玉神が果たした功を奏して名付けられた名前が “膳夫” ということになりそうです。 神社に詣でた時、柏手(かしわで)を打って神を拝する習慣があることを思うと 柏手と同音のカシワデ(膳夫)の存在の重さを強く感じます。

もつれなかった三角関係

        

    “香具山と 耳梨山と あひし時 立ちて見に来し 印南国原”

この歌は中大兄皇子が詠んだ大和三山の三角関係の歌の反歌としてすぐあとに詠まれています。 大和三山に託した三角関係で有名な歌も中大兄皇子が詠みました。

        “香具山は 畝傍を愛しと 耳成と 相争ひき 
神代より かくなるらし 古へも しかなれこそ うつせみも 褄(つま)を争ふらしき“
内容を紹介すると以下のような意味になります。 香具山は畝傍山を愛しく想って耳成(梨)山と争ったと言う・・神代の頃からそうなのだから昔も今も 人々は褄を争うことは避けられない。

歌に詠まれた褄(つま)は性を問わない結婚相手のことを表現した言葉です。 現代社会では夫(おっと)と妻(つま)という風に読み方が異なるけれど 古代では夫も妻も互いに相手の呼び名として“つま”と呼んでいました。 性というものにこだわらない配偶者を 夫(つま)あるいは妻(つま)と呼び合うことが習慣だったということです。

だから男か女かハッキリしない畝傍山を、香具山と耳梨山はツマを手に入れるために争ったということになります。 そもそも三角関係の男と女が行きつく先はドロドロの修羅場で、どう考えても香具山がそのドロドロに加わるとは考えにくい話なのですが・・
      
冒頭の歌の “あひし時” は、原文では 【相之時】 となっていて争うというような雰囲気は全く見いだせません。 しかも香具山に天の冠がついていないので本当に香具山なんだろうか?と疑いたくなります。 香具山を追いかけてきて感じることは、俗っぽい三角関係に似つかわしくない山で 争うことを嫌う傾向にあるのが香具山です。

原文では香具山のことを “高山” と記しています。 香具山は152mしかない低い山なので、高山が香具山と理解されたことがとても不自然! まして耳梨山(香具山より低い山)と争う発想自体 受け入れにくい考え方です。

また 【相之時】 の相は “相互” の相あるいは “相性” の相でペアのような意味に近いことから発想すると、香具山(高山)と耳梨山がペアになった時というようなまるで反対の意味になってしまいます。
      
香具山と耳梨山があうのを見に来たのは、出雲国の阿菩(あぼ)大神だと言われています。 普段あまり立ち慣れていないのかあえて “立つ” という言葉が挿入されているような冒頭の歌です。 通常は寝ていることが多い出雲国の神が、ワザワザ立って大和国まで来ようというのだから 事態はタダゴトではないのでしょう。

そして印南国原(播磨国の加古川から明石の辺り)まで来て そこで留まったという又してもヨウワカラン話。 とりあえずハッキリしていることは出雲国から南東方向にこの神は進んでいます。 タダゴトではない事態に腰を上げ、立ちにくい足で立って播磨国までやって来ました。 考えられることは通常合うはずがない香具山と耳梨山が合ったことが、非常事態だったのかもしれません。

香具山は嗅ぐ山で鼻の能力には長けているけれど、目や耳は鼻に比べて劣っていると考えられます。 耳梨山は耳がないので聞こえず、結果として喋ることは多分苦手でしょう。 そんな欠けたところばかりがある香具山と耳梨山が合うというのはやはり非常事態です! きっと針の間から天を見るぐらいにめったに起こらないことだったと思います。

播磨国風土記によると、出雲からやってきた阿菩大神は大和三山の争いが止んだので 播磨(針間)国の印南野で乗ってきた船をひっくり返して(事代主神みたい) 丘のようになった場所が印南野台地と呼ばれています。

三角関係でモメゴトが終わるケースは非常に珍しいことで、出雲国からワザワザやってきた阿菩大神は、針の間から永遠に続く遥かな空を見ることができたので 安心して印南国原に留まったと理解しました。

一番に生まれた国常立神

                 
 
“葦”と書いてヨシあるいはアシと読むこの植物は、両極端の読み方がされています。 生育場所は川下の流れが滞っているようなジュクッとした汽水域で塩にも負けずに育ちます。 天地生成段階で混沌とした泥のようにぬかるんだ国土に葦牙(あしかび)のように芽を吹き出した神の名が “ウマシアシカビヒコジノカミ”

アシカビを葦牙という漢字で表現しているキバのように、並んで揃っている歯からキバッとはみ出ている牙のような神が ヌルヌルした沼地に誕生しました。
           
古事記では別天神と言われている五神のうちの四番目に誕生しました。 しかし先の三神(天御中主神・高御産巣日神・神産巣日神)は高天原に誕生しているのに対して、葦牙の芽は国土(地)に初めて誕生し、その後 続いて生まれた “天常立神” と合わせて別天神と呼ばれています。

そして別天神のグループに属していない神の一番初めに生まれたのが “国常立(くにのとこたち)神”。 天常立神(五番目の神)と国常立神(六番目の神)とは対になっている名前ではあっても、属しているグループは異なります。 また国常立神には “国底立神” という別名もあります。 常(とこ)と底(そこ)は同じような意味でとらえられているように思います。

この国常立(底立)神は日本書紀では一番に生まれた神で、やはりトップには注目する必要があります。 古事記と同じようにドロドロした地面から葦の芽のような形をしていたものが神になり、それが “国常立(くにのとこたち)神” であり、神のトップに出現しました。 誕生の仕方が古事記でいうところの四番目に生まれたウマシアシカビヒコジノカミに似ています。

このように記紀で表わされているウマシアシカビヒコジ神と国常立神は微妙に異なっているけれど、記紀が伝えようとしている神は同一人物で ヌルヌルの地点にシッカリ立った神であることに間違いはありません。 しかも日本書紀では、天ではなく地上に誕生している神がトップです。

奈良県橿原市の天香具山の頂上に鎮座しているのが “国常立神社”。 同じ大きさの祠が二つ隣り同士に並んでいます。 向かって左側が 【高おかみ神社】 で右側が 【国常立神社】 になっていて、二つ合わせて国常立神社ということなのでしょうか?

天香具山から少し東よりの北方向(JR長柄駅の近く)に “大和(おおやまと)神社” があり、その末社として “高おかみ神社” があります。 関係があるのかどうか理解に苦しむところだけれど、どちらも目立たずこんな所に 高おかみ神社があったの?という意外な出会いにビックリします。 隠れて目立たないのが高おかみ神なのかなあ・・・

天香具山にある国常立神社は実際そこに行って初めて高おかみ神社の存在を知ることになります。 地図に記載されているのも国常立神社だけ・・ そこ(底)に行ってみなければワカラナイ事実は世の中にはたくさんあるのでしょう。 国常立神の隠れ妻であるおかみさんと天香具山のテッペンで仲良く肩を並べている神は、多くの神の中で一番に誕生しました。 

誕生時は一人で生まれてきた国常立神だったけれど、隠れ妻(?)の高おかみ神と肩を並べて 別天地である天香具山で心地よく祀られているはずです。 

涙のその後

              

恋の火・調理する火・ロウソクの揺れる火・山をハゲ山にする火・火事で大切なものを灰にしてしまう火・・ 多くの火の源である迦具土神の誕生と引き換えに、妻を失ったイザナギノミコトは妻の頭にはいつくばり そして足にはいつくばって嘆き哀しみ涙を流しました。 その涙は香山(かぐやま)の畝尾の木の本に坐して“泣沢女(なきさわめ)神”と名付けられました。

嘆き哀しみの直後 イザナギノミコトは生まれて間もない我が子の頸(くび)を持っていた十拳剣で斬りつけました。 神話では、殺人前の涙の居場所は香山の畝尾にいると地名を明確にさせています。 男のイザナギノミコトが流した涙は女神になり、現在は天香具山の北西麓にある“畝尾都多本神社”に祀られています。 

そのすぐ近くに“畝尾座健土安神社”があり、泣沢女神が祀られている同じ畝尾に鎮座していて 祭神は健土安比売命でイザナミノミコトが死ぬ真際に誕生させた土の神です。 イザナギノミコトの涙とイザナミノミコトが最後に生んだ土の二人の女神が、“畝尾(うねお)”という同じ場所に祀られています。
 
大阪の住吉大社に“埴使い”と呼ばれるフシギな神事が伝えられています。 毎年二回 二月と十一月に畝傍山の頂で土を採取しその土で神酒を醸造するための壺を焼くという行事。 古代に土を採取する神事ではなく、ある事件が起こっていました。 武埴安彦(第八代孝元天皇の皇子)と妻の吾田媛が香具山の土を大和国の土に見立ててコッソリ盗み出したことが発覚し 二人とも殺されたという血生臭い事件を思い出します。

今回の埴使い(はにつかい)の神事は天香具山の土ではなく畝傍山の土。 畝傍山の土なら採取してもOKで、天香具山の土は何が何でもダメッ!という感じがします。
         
天香具山は以前から何度も書いているけれど、独立峰ではなく多武峰から北西方向に連なるウネの一部が浸食作用で削り取られて独立峰のように見えている山で、畝尾という地はこのウネの最後の場所を意味しているような名前です。

夫婦で多くの子を生んだイザナギノミコトとイザナミノミコトは、最後に別れることになりました。 流すだけの涙をすべて流したイザナギノミコトは我が子を斬りました。

大和国を象徴させる神聖な土がある“天香具山” その香具山の北西にあたる最後の場所・・畝尾という地に涙と土の女神が祀られていました。 イザナギノミコトの最後の涙・・そしてイザナミノミコトが最後に生んだ土・・さらに多武峰から続いていた山々の終りの畝尾。 あらゆる要素の最後というものが終結しているような場所です。

五行における水(涙)と土は相性が合わない相剋関係であるにもかかわらず、天香具山はその習慣を破りました。 涙を含んだ香具山の土はカグワシイ匂いがする迦具土という名前と同じになり、火の神は天にたどり着いたのではないでしょうか・・父の最後の涙と母が最後に生み出した土は最後の場所で解け合い、家族三人は許し合うことができたと思います。

波波迦の木の役目

           

大和三山の一つである天香具山の北斜面の麓に天香山神社があり、そこに “波波迦の木” が生えています。 波波迦(ははか)の木というのは “うわみずざくら(上不見桜・上溝桜)” の古名で 神話で占いに使われた非常に堅い材でもありました。 “波波” の古名が象徴しているようにあるいはあてられている漢字の “上溝” のように 木の表面がデコボコになっているのが特徴的です。

高天原で天照大神が、スサノオノミコトの暴虐に耐えかねて天の岩戸に隠れたときのこと・・思金神がいろいろ対処をしたうちの一つが天香具山の男鹿の肩甲骨をそっくり抜き出し(?) 同じく天香具山のハハカの木を取ってきて、男鹿の肩甲骨を焼いて占うということをしています。 

男鹿の肩の骨を抜くというのは、何かを背負えるような状態ではなく 骨抜きにして何も背負えなくしてしまうということ? 骨を抜かれて肉だけになったとするなら、男鹿の肩甲骨ではなく肩甲肉になってしまいます。 ハハカの木を燃やして、そのついた火で男鹿の肩甲肉を焼くという占いから想像すると 光と闇の競い合いをハハカの木と男鹿の肩甲肉にさせたという風に解することもできそう・・占いの結果は分からないまま、高天原では光を取り戻すことができました。
        
神話では男鹿もハハカの木も、天香具山のものでなければいけないと断定しています。 その後も思金神は天香具山に生えている賢木(さかき)やヒカゲカズラそして小竹(ささ)の葉などを用意させました。 天香具山に生えている植物だけに限られていることが光を取り戻すカギになっているようです。

天香具山は畝傍山や耳成山と違って独立峰ではありませんでした。 そのように見えているだけで 実際は南東から北西方向に向けて連なる多武峰の一部で、最後にあたる部分が天香具山です。 長い年月をかけた風雨の浸食により、天香具山の南東部分だけが削られ
切り離されたようになり 独立した峰のように見えてしまいました。 天香具山自らの意思で独立しようとしたのではなく 仕方なく離されてしまった見せかけの独立峰が天香具山の真実です。

そのウワベ独立の山である天香具山に生息する男鹿やその土地に生えている植物で、天照大神を岩戸から導き出すことに成功し世に光が戻りました。 占いに使われたハハカの木の出身もやはり天であるらしく、漢字で書くと “上を見ない桜” で 『上不見桜』 すでに天に生えているので上を見る必要はなさそうです。 桜の一種ではあるものの桜の季節を彩る華やかさは全くなく 白くて小さな花が密集して咲いています。 別名を金剛桜と言い、散り際の美と評される日本人が感じる桜のイメージとは違う 強い面を持っていることから名付けられたような名前。

光を再び地上に注ぐため高天原では占いを含め、多くの努力がなされました。 その高天原に匹敵する天香具山の北に 実際のハハカの木が生えていることを思うと、実際には独立していない頼りなげな天香具山を、北から見守ってくれている母親の役目をしてくれているのがハハカの木!

天香具山を完成させるためのカケラ



欠けた天香具山を補うカケラは“天山(あめやま)”であることが伊予国風土記に記されています。 調べてみると天山はキチンと地名に残されていました。(ヨカッタ!)
愛媛県松山市天山(丘のような山)に天山神社があり“天櫛真智命”が祀られています。
地図で確認すると石手川を挟んで北に道後温泉 南に天山という位置関係になっています。 “石手川”は宝川あるいは湯山川とも呼ばれていた川で、隠された宝物が湯水のように溢れて流れていたのかもしれない川名ですね。 実際には氾濫して川筋を変え、住民を泣かせた川だったらしいのですが・・氾濫が宝かも?

この天山から北西に石手川を遡ったところに第五十一番札所“石手寺”があります。 石手寺は国宝の山門や三重塔で表の顔がある反面、マントラ洞と名付けられた洞窟が裏の顔として怪しげな雰囲気を伝えています。 この闇のような洞窟のある場所に石手寺が造られたと考える方が納得できますね。 何かを隠すため? あるいは何かを祀るため?

カケラになって飛ばされた天山という地域の東隣が福音寺町で“土亀山”という低い山があり その南・星岡町にも“星岡山”という低山があり大和三山の縮小サイズで配置されています。 位置関係は南北軸を中心にして回転させたような配置で天の配置図なのかも・・天山神社に祀られている“天櫛真智命”という名が付けられた神社が奈良県にあります。(ヤッパリ!)

橿原市南浦町の出屋敷の森にある“天香山神社”本来の名が【天香山坐櫛真智命神社】
クシマチ神は占いの神として見なされていて、鹿骨・亀甲に表れる縦横のヒビを奇兆(くしまち)と言いました。 そういえば天照大神が天の岩戸に隠れてしまい暗闇が続いていたとき香具山からイロイロなものを取り出し抜き出し、光を取り戻すための努力をしています。 そして奇兆と呼ばれるクシマチが表れることが光を取り戻すための要因になっているみたい・・奇しき光がクシマチ神なのかその光を待っている神がクシマチ神なのか?
   
天香具山の欠けた一部はクシマチ神が祀られている天山であることは確かです。 そのカケラは伊予国にあったとされていたのに、香具山の北にクシマチ神が坐している事実を考えると香具山のそば(真北)に離れていた天山が寄り添っています。 アマ〜イ天山が香具山のそばに居続けることで天香具山は完成しました。

天から落ちてきた山



長野県北部にある戸隠山は高天原で天照大神が岩戸に隠れたとき 隠れていた洞窟を塞いでいた大岩を天力雄命が放り投げてできた山であると神話物語は伝えています。 ちょっと戸隠山に行って来るというような山ではなく、かつては修験するために籠る山だったようです。 また別の神話物語ではアジスキタカヒコネ神がこの世で友人だった天稚彦の弔いにやってきた時 天稚彦の家族が自分を見て“息子が生き返った!”と言って抱きついてきたので アジスキタカヒコネ神が死人と見間違えるとは汚らわしいと言って怒り 葬儀のために造られていた喪屋を剣で斬り倒し蹴飛ばしました。 その蹴飛ばされた喪屋が天から落ちてきて、美濃国の藍見川の川上ある喪山になったという話です。 この物語が伝える喪山と思われる山が岐阜県不破郡垂井町の喪山古墳であるらしく 伝説通り高さ54m(山とは呼びにくい)の古墳の頂上には墓石もあるとのこと・・光を塞いでいた大岩は地上に落ちて天にそびえる戸隠山になり、怒りで斬りつけ蹴飛ばされた喪屋は日本各地に多く点在する古墳になりました。

さらに天から落ちてきた山が大和三山の一つ天香具山・・伊予国風土記逸文が伝える話では 伊予国にある天山(あめやま)は天から落ちてくるとき二つに分かれて 一方は倭の国に落ち もう一方はこの地(伊予国)に落ちたということなのです。 本来は一つのものが二つに分かれて落ちてきてしまったので天香具山は欠く山と言えそうです。 欠いた部分を埋めるのは伊予国に落ちたとされる天山 しかし確かな山を確認することはできません。 

天香具山は大和三山の他の畝傍山や耳成山とは違って欠いた部分があります。 そして畝傍山も耳成山も火山で独立した山を形成したようなのですが、香具山は多武峰(とうのみね)からつながっていた尾根が長い時間の侵食によって香具山の部分だけが残された結果 独立したように見えている山です。 だから本当は多武峰の一部だったのですね。 見た目は大和三山と呼ばれるような位置関係にあるけれど 性格が全く違うように思います。

欠いた何かを探し続けている山が香具山で 他の二山と争うようなことは嫌う傾向にあるはず・・そんなつまらないことより香具山は欠けた何かを探すことの方が大切だということを知っているから・・ “天”という冠がつけられる必要性は香具山のこんな部分にあるのかもしれないですね。

天香具山の土



天照大神が天の岩屋戸に隠れてしまい、夜が朝を迎えないままダラダラと闇夜が続いていたので困り果てた八百万神は思金神と相談して打開策を考えました。 いくつかあるうちの一つ・・キーワードは“天香具山”そこに天児屋命と太刀玉命を向かわせ 牡鹿の屍体から肩の骨を抜き取り 同様に香具山で採取してきた樺の木を燃やしてその火の中に牡鹿の肩骨を入れてその焼け具合を占いました。 また香具山にたくさんの榊を根こそぎ取りに行かせています。 さらに岩戸の前で天細女命がしたことは、ヒカゲカズラをタスキ掛けにして マサキカズラを丸く束ねて冠にし 手に笹の葉を持って乳房を揺らしながらの天照大神を導き出すダンスでした。

女性である天照大神が興味を示すとも思えないけれど、その時は男の目でその様子を覗き込んでいたのかも! 天細女命が身に着けていたヒカゲカズラ・マサキカズラ・笹はすべて天香具山から採取してきたものです。 天照大神をこちらの世界に戻すためには天香具山に生えている物のチカラが必要とされました。
   
時代は下って神の世から人の世の神武天皇から10代目・崇神天皇の世に奇妙な事件が起こっています。 崇神天皇からみれば叔父になる武埴安彦が妻の吾田媛と二人でこっそり香具山に行って 香具山の土を頒巾(ひれ)に包んである言葉を唱えました。「これは大和の国の物実(根本となるもの)」 香具山の土こそ大和国の象徴のように感じられる発言です。 結局 このことが原因で埴安彦も吾田媛も討たれてしまいます。 香具山の土を採取したのがいけなかったのか、その唱えた言葉がマズイコトだったのか 明らかな理由が分からないまま話は進んでいきます。

かつて死んだイザナミノミコトの糞から誕生した埴安彦神と埴安姫神は、食べ物を盛るための器を作る神聖な土の神です。 天香具山は高天原にあったとされる山で、大和三山の耳成山や畝傍山とは一線を画しているように思います。 スサノオノミコトが天から落ちてきたように 香具山も天から落ちてきた山。 持統天皇が詠んだ有名な歌 “春過ぎて 夏来たるらし 白妙の 衣干したり 天香具山”からイメージを膨らませると香具山に干した白い衣はとてもよく乾く・・すなわちジメジメしていない山 さわやかな山という風に感じます。

天照大神は太陽神なのでネチネチした鬱陶しいことはキライなのでしょう。 そのためにも香具山で育った植物のパワーが求められたのだと思います。 ただカズラや笹が育成するためには、適度な水分を含んだ土壌であることが大切です。 水とうまく溶け合うことができる“土”が大和国を解くカギになるのでは・・

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