第二次世界大戦中の1942年、この映画で監督デビューを果たしたヴィスコンティは当時36歳。
ヴィスコンティがこの映画につけたタイトルは、 “妄執(ossessione)”。
しかし原作は、米国出身のジェームズ・M・ケインが書いた 『郵便配達は二度ベルを鳴らす』 というタイトルでした。
その原作者の了解を得ずにヴィスコンティが映画化したので、日本でも長い間 日の目を見ることなく時間が流れ 映画制作から37年後の1979年になって日本で公開されました。 そういうわけでこの映画を中心に考えると、監督が自分の処女作に命名した名前は “妄執” あるいは “執念” というような意味がふさわしいのではないかと思います。 しかし もしこの映画が妄執というタイトルだったら、こんなに人の話題にはなっていなかったのではないか。
物語の男と女は出会ってすぐに目だけで互いに感じ合っています。 その後もこの二人・・ メクバセで何かを伝えるようなことが多く、言葉では伝わらない二人の世界を築こうとしていました。 男(ジーノ)は自分の居場所が定まらず放浪生活を続けていて たまたま立ち寄った飲み屋で目が合ったのがその店の主人の妻ジョヴァンナ。 彼女は旦那が家政婦のようにしか扱ってくれないことに不満を抱いていました。 しかし貧しさを体験していた彼女は、暴力的な夫のもとでも安定があったので我慢できていました。
二人は惹かれ合いながらも一度は別れます。 男は自由な生活 女は安定した生活を求めていたので進むべき方向性が異なっていました。 ジョヴァンナは飛び出しかけたイヤな夫との生活に戻り、ジーノはお金もなく列車に乗ります。 そんな無一文のジーノを助けたのが同じ列車に乗り合わせていた自称芸術家のスペイン系男。 彼は何かとジーノのことを気にかけていました。
しかし偶然なのか必然なのか、
別れたジョヴァンナとジーノはある街で再会。
ジョヴァンナの夫がオペラ・コンテストに参加するために
訪れていた街で、傘売りを手伝っていたのがジーノ。
椿姫を歌っていたジョヴァンナの夫はいい声でした。
そして変わらない想いを確認した二人は、
目で合図してある行動を選択します。
二人の変わらない情熱を成就させるための選択は、邪魔者の夫を消すこと。
愛を成就させようとした二人はしだいに破滅への一途をたどり始めます。 女は将来の安定のため 夫が残した店でパーティを開いてお金を稼ごうとするのですが、そんな毎日に耐えられないのがジーノ。 夫の保険金が入るというときにも彼は怒りを爆発させていました。 愛する人と生活するため働いてお金を稼ぐことと愛する人の愛情を求めることは、現実世界ではウマク折り合いがつかないように思います。
そんな中でもがきながらも何とか再出発しようとしていた二人に訪れた悲劇。 かつて車の転落でジョヴァンナの夫を見殺しにしたジーノは、一度ならず二度までも車の転落事故を起こしてしまいました。 この事故で死んだのは、自分の子を身籠っていたジョヴァンナ。 二人が大喧嘩をした時も愛していたジーノを信じて待ち続けたジョヴァンナでした。
では警察にジーノの罪を密告した奴は誰なのか・・ かつて自分を助けてくれたことがあったスペイン系の男。 彼もまたジーノのことが好きだったみたいで、人間の心の奥は複雑です。 男や女にもてるジーノは、この世でお金を稼ぐことを一番に考えないで 目に見えない愛情を何とか手に入れようとしていた男らしくない男だったように思います。
* 監督 ルキノ・ヴィスコンティ * 1942年 作品
* 出演 クララ・カラマイ マッシオ・ジロッティ ジュアン・デ・ランダ
ジーノが運転していた車は二度事故を起こし二人の人間を殺してしまったので、ジーノには罪を償う時間が必要です。