ことの終わり

         

“ことの終わり”のコトとは人妻サラと夫ヘンリーそしてサラの愛人ベンドリックスの愛憎が絡む三角関係のこと。三角形を形成する三人にもう一人存在感があるようなないような人物が加わり、戦時下(1940年代)のロンドンを舞台に愛を貫こうとする女性サラの物語。作家ベンドリックスのサラに対する愛と憎しみをベースにした物語ですが、映像が与える印象はズバリ!愛情より愛欲に溺れサラの肉体に執着する男がベンドリックスのような感じ。

            
特にサラの愛人という立場に置かれていたベンドリックスは彼女をホントに愛しているのか疑問です。また夫と愛人の男二人の間を行ったり来たりするサラは一見悪女風ですが、ベンドリックスの独占欲とセックスが絡むエゴ愛とは全く違う深い包容力を心の奥に秘めていました。しかし彼女にはヘンリーという夫がいたことを考えると裏切り行為以外の何物でもない。そんな三人に関わってくるのが正体不明の第三の男。

               

原作は英国作家グレアム・グリーン(19041991)で映画化もされた“第三の男”の原作者でもあります。 またまた今回も登場するのが三角形を形成する三人とは違う立場にいる第三者? この第三者には誰も抵抗することができません。信じる人には存在感がある人物で、信じない人にはどうでもいい関係のない第三者。サラはその人物を信じ、ベンドリックスはその人物に抵抗します。

              
自ら「愛人向きではない」とサラに言っていたのがヘンリーで、自分の妻サラと自分の友人ベンドリックスのただならぬ関係に気付きながらも波を荒立たせるようなことはしない。彼は真面目な旦那さんなのですが、妻サラは彼だけに満足できず肉体も言葉も激しい愛人に惹かれ始めます。そういう面ではベンドリックスは愛人向き? 
そして二人の男の間で揺れるサラはいったい何がしたいのか。

 

サラの心が自分に向いていないことを知り雨の中を彷徨うのがヘンリー。妻を責めるようなことはせず、一人悩んでいる彼は優しい半面優柔不断。一方のベンドリックスは夫の元に帰ろうとするサラを信じることができなくなり、探偵を雇ってサラの行動を監視。このことだけでもベンドリックスの愛は失格! まだヘンリーの愛の方がサラを見守るという点で納得できるけれど、サラの心はヘンリーにはなさそう。世間を騒がせる事件が現実に起こっているように三角関係はやはり危険!

         

揺れるサラの心は戦争の爆撃でベンドリックスの死を確認した時に強固なものに変わります。見えない大きな存在に向かって一人祈りを捧げていたサラが振り返るとそこにベンドリックスが・・もし彼を生き返らせてくれるなら一生彼と会わなくてもいいという誓いを立てて神に祈りました。その直後、彼女の願いは誰かに伝わりサラは何も知らないベンドリックスから身を引くことになります。

 
この映画・・受け入れることができる人とそうじゃない人に分かれてしまうように思います。社会では奇跡と呼ばれる体験をしたのがサラ。そしてそんな不可解で胡散くさいものを信じようとしないのがベンドリックス。しかしラストで信じざるを得ない出来事を目にしてしまいます。このラストはヨカッタ! でもそんなこと起こるはずがないと感じる人も多いのでは・・


* 監督 ニール・ジョーダン   * 1999年 作品

* 出演 レイフ・ファインズ   ジュリアン・ムーア   スティーヴン・レイ


★ 男の見掛け倒しの愛より娼婦的に見えたサラの愛が一番キレイだった。

                                                                         
        
YouTube - End of the Affair Theatrical Trailer        


俺たちは天使じゃない

   

ツルハシを持って穴を掘る囚人が映像化されることが多いのが映画の世界。 そんなオープニングで幕が開くこの映画の主人公は刑務所に服役中の囚人・ネッド&ジム。鎖で足をつながれた二人は離れたくても離れることができない腐れ縁関係の男と男。タイプが異なる二人は塀の中でも塀の外でも常に一緒に行動していました。

塀の中の二人は従順ではありません。 看守の命令に従わなかった彼らはドサクサに紛れて死刑執行時に死刑囚と一緒に脱獄してしまします。 二度と元の場所に戻りたくなかった二人を応援したのが巡り合わせた偶然のタマタマ!

この先どうなるか分からないまま森の中で一夜を明かした二人は、この町の教会が待っていた二人の神父に勘違いされてドタバタ喜劇が始まります。ビクビクしながらも偶然に身を委ね、過去の自分から新たな自分を創造する映画という風にも感じます。
腐れ縁で悪に染まっていた二人は鎖を断ち切り、最終的にそれぞれが目指す道を見つける過程がオモシロイ。
               
映画に限らず断ち切りたい縁を引きずることでいつまでも不幸に見舞われることがあるように、絡まる縁を一度は断ち切ることが必要なのがこの世のシステム。相棒関係にあった囚人のネッドとジムは、今まで触れたことのない修道院生活が始まります。

町の人々は神父というだけで崇め奉る空気がある中、一人で聾唖の娘を育てていたのが神より金を信じていたモリーという女性。 5ドルで男に身を任す彼女は信仰も神の教えもすべて信じない女。 でも5ドルは安すぎると思うけどネ。 しかし娘を育てていくには愛情よりまずお金という彼女の判断は正解だと思う。 “同情するなら金をくれ!”という言葉を思い出しました。

教会でいつの間にかブラウン神父という名前と職業にされてしまったのがジム。
教会内部でブラウン神父と呼ばれているいるうちに、いつしかジムはブラウン神父そのもののように聴衆を前にして説教するブラウン神父になっていました。 ヘブライ人の手紙をたまたま覚えていたジムが神父に間違えられ、しだいに囚人から神父らしくなっていったのがジム。

     

一方 俗世間の垢にドップリつかっているのがネッド。 自分が今いる場所と隣国カナダの間を流れる川に架かる橋を渡れば自由の身。 何度も国境越えに挑戦しますが、寸前でその願いは見事に破綻! しかし最後に聾唖の女の子を助けるため急流の川に飛び込んだネッドを助けたのが涙の聖母。

奇跡と呼ばれる出来事を国境になっていた橋の上で示したネッドに心惹かれるようになったモリー。 橋の上でジムは自分を神父と認めてくれた教会に戻り、ネッドはモリーと一緒に橋を渡っていいところへ・・こうして長く続いた腐れ縁は断ち切られました。 神父の服を着ても全く神父に染まらなかったネッドと神を信じなかったモリーは奇跡を体験し、独力で橋を渡ることができました。

* 監督 ニール・ジョーダン     * 1989年 作品
* 出演 ロバート・デ・ニーロ   ショーン・ペン   デミ・ムーア

☆ 天使が登場しないこの映画で、洗濯バサミのついた服を着ていたジムに何の不信も示さず自ら洗濯バサミを後ろ襟につけた女性的男性が一番天使に近かった。


クライングゲーム

「彼女はただ俺が好きなだけだ。」
彼女とは男のカラダをして生まれてきた女 ディル。
俺とはIRAというアイルランド解放軍に属していた
テロリストの一人 ファーガス。
男は政治を求め女は愛を求める
普遍的パターンの男と女の出会い。
しかしこの出会いには隠された秘密がありました。

男性に質問!  あなたが心から愛した女がいるとします。 
女もあなたと同じぐらいに愛していて、
二人は心の交流ができていたと仮定します。 
自分のすべてを賭けてその女を愛し続けることを宣言していたあなたは、彼女の秘密を知ってしまいました。 それは、彼女が裸になった時。 そうなんです・・ 彼女のカラダは男。 そのまま以前と変わらず、彼女を愛し続けることができますか? それとも愛していたというのは口先だけだったことを認め、彼女を置き去りにしますか?

物語は 思いっきり女そのもののディルが愛していた英国の黒人兵士(ジョディ)が、
IRAグループに人質として捕えられたところから始まります。 この人質作戦は、IRAが英国軍に捕まり虐げられていた自分たちの仲間を解放させるために仕掛けたものでした。 人質のジョディを見張っていたのがファーガスで、二人の男に友情が芽生え始めます。 もし自分が死んだら恋人(ディル)に愛していたということを伝えてほしいと言って、ジョディは事故で死にます。

  友人でもあった黒人兵士の遺言を届けるために、
  ファーガスはディルを探し彼女とこうして出会います。
  妖しい色気と独特の歌声に魅かれて、
  ファーガスはディルを求めました。
  ディルは何も包み隠さず、男である自分のカラダを女として
  好きな男の前にさらけ出しました。
  そこで驚き吐き気をもよおしたのがファーガス。
  余りの唐突なデキゴトだったのでショックを受けていました。

しかし慌てふためいて逃げ出すようなことはせず、彼女に謝り二人は仲直り。 かつて ディルの恋人だった兵士は、そのこともすべて了解したうえで彼女を愛していたことが分かります。 だからこそディルにとってジョディは、別格の存在に位置づけられていました。
              「知らないフリをしてヨ。」
               「フリにも限界がある。」
                「君を男に変えたい。」 
              「私はワタシでしかいられない。」

“男が女を愛する時” という歌がオープニングで流れます。 では男が男を愛するときは? ウゥ〜ン・・・ちょっと気分悪いカモ! でもこの映画の二人は正真正銘 男と女でした。 
一般的社会で見かける男と女より、ずっとずっとイイカタチの男と女!

タイトルのクライングゲーム(The Crying Game)とは何を意味しているのでしょう?
              男はディルを傷つけ泣かせます。
               ディルも傷つき泣いています。
             ということは、男と女のゲームですね。
         愛のカタチが見えないだけに悪気はなくても男が女を愛する時
           クライングゲームに陥ってしまうことがあるのでしょう。

* 監督 ニール・ジョーダン     * 1992年 作品
* 出演 スティーヴン・レイ   ジェイ・ディヴィッドソン   フォレスト・ウィテカー 

泣き顔 肉体関係だけの男と女が多い現代社会で、映画の二人は心のセックスを成就させようとしました。

プルートで朝食を


暴力と汚い言葉が大キライなキトゥンは、世間的には不可解な女性のような男。 でも実際の女以上に優しい心を持って生まれてきたキトゥン! 教会の前に捨てられ、周りからは変人扱い・・“それでもまっすぐ生きてきた”と姿勢をピンと正して、乳母車を押している彼女のヨタリ方が魅力的なシーンが幕開けとなります。 

キトゥン(子猫の意味)に関わってくるさまざまな男たち・・泣かされながらも彼女は女であり続け、決して男にはなりません。 根っからの女が男のカラダを持って生まれてきてしまったというのも皮肉だけれど、女としての魅力を発揮させ 男に甘え尽くそうとします。 しかし その献身さに見合う男にはなかなか出会えないけれど絶望することなく 男を探し続けています。

自分を生んでくれた幻の女性である母親を探すため、故郷アイルランドから大都会ロンドンへ・・そこで女装した変人爆弾テロの犯人に仕立て上げられ、メッタダタキを受け それでも一向に立ち向かわず 机の上で泣き崩れるだけのキトゥン。


しかし暗いイメージは全くなく 70年代の音楽とうまくとけ合ってリズミカルに物語は進行していきます。 アイルランドと英国の政治的問題など キトゥンにとってはどうでもいいことで、男の目を自分に向けさせることが彼女の生きるすべて・・・(?)
       
男のカラダを持つキトゥンの目はとても美しく、地球から遥か彼方のプルート(何年か前に太陽系惑星から仲間はずれにされた冥王星のこと)を故郷に持つような 屈託なく笑う彼女がとてもかわいい! 外見はどう頑張っても男マルワカリのキトゥンだけれど、精神的男らしさは皆無! また苦しさを苦しさとも感じず、何が起こってもダラダラしたままシャンとする気配は全くなく 太陽系惑星ではないプルートから受け取る“笑うチカラ”がキトゥンをホンモノの女性に変えました。

* 監督 ニール・ジョーダン     * 2005年 作品
* 主演 キリアン・マーフィー   リーアム・ニーソン

赤い旗 ショッキング・ピンクはこの映画のためのもの!

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