1920年生まれのフェリーニ監督が、
34歳の時に脚本を書いて
映像化させたのが白黒のこの映画。
映画の初めと終わりのシーンは、
どちらも波が打ち寄せる浜辺。
明るい昼の浜辺にいたジェルソミーナは、
姉ローザが亡くなったことから貧しい家族のために
身売りして、大道芸人ザンパノに従わざるを
得ない状態に追い込まれてしましました。
ローザが死んだ原因が分かっていないけれど、ローザの
身代りにされたのがジェルソミーナのような気がします。
ジェルソミーナの母が、すでにザンパノからお金を手にしてしまっていたので 否応なしにジェルソミーナは、母が敷いた道を歩むことになります。 ザンパノの芸は 胸にまきつけた鎖を大きく息を吸い込んだ胸の膨らみで切るというもので、初めから最後までザンパノはその芸だけに集中してるというか・・それしかできないみたいです。 男にありがちなチカラを鼓舞して周りを圧倒するというタイプがザンパノ。
初めのうちはジェルソミーナも何とか(お金のため)ザンパノに従って芸のアシスタントを務めるのですが、男の余りの身勝手さにジェルソミーナの心は傷つき乱れ始めます。 傷心のジェルソミーナがじっと見つめていたのが、地元で開催された祭りの余興(綱渡り)に出演していたイルマットという男。
彼は人を小馬鹿にしたようにケタケタとよく笑います。
ラッパで美しい音楽を奏でることができたイルマットは、
ジュリエッタの支えになろうとしていました。
荒くれ者のザンパノに従い、自分は何もできないと嘆く
ジュリエッタに 彼は優しく接します。
同じ男でも全く違うタイプのザンパノとイルマット。
ザンパノはイルマットの存在に苛立っていて、
車で移動中にたまたま道でイルマットに出会ったことが悲劇の始まりでした。 ザンパノに殴りつけられたイルマットは死に、その後イルマットの死体や彼の車の処理をしているザンパノを 一部始終見ていたジュリエッタの精神がこの事件を機に侵され始めます。
ザンパノもどことなく変なジュリエッタに気付き、彼の荒々しさに変化が感じられるようになります。 道の途中 まだ雪が解けずに残っていた村で、ジュリエッタは車を降りて壁のそばに寝ころびました。 死を受け入れようとしている彼女の静かで穏やかな心が伝わってきます。 ザンパノもそれを察したのか、彼女を残して車に乗り込みました。 そのとき、ジュリエッタのそばで焚き木の炎が上がっていたことを思うと ザンパノが本来持っていた優しさがこの時に表面化したのでしょう。
ジェルソミーナがラッパで奏でていたメロディは、イルマットに教わったものでした。 ザンパノが芸をするために訪れた海辺に近い村で、このメロディを口ずさんでいた女性から その後のジェルソミーナのことを聞いたザンパノは、暗くなった夜の浜辺で声をあげて泣きます。 ザンパノの自分を守るための荒々しさは、イルマットとジェルソミーナによってしだいに変化してきたように感じました。
* 監督 フェデリコ・フェリーニ * 1954年 作品
* 出演 アンソニー・クイン ジュリエッタ・マシーナ リチャード・ベイスハート
荒々しく人を従属させるだけの世界は、ジェルソミーナが吹いた心に響くラッパのようなメロディを誕生させることはできません。