チャーリー・ウィルソンズ・ウォー

          

今から丁度20年前の秋(1989119日)、突如ベルリンの壁が崩壊したというニュースが世界を駆け巡りました。それから2年後の1991年末、米国と対立関係にあったソ連が崩壊したというニュースも世界を駆け巡りました。20世紀最後の10年で新たな21世紀が展開しそうな予感は大きく外れベルリンの壁が壊されてもソ連が解体しても現実の一般庶民の生活は何ら変わることなく(むしろヒドクなってる)20世紀を終え21世紀になっても貧困層の苦しみは改善されることなくダラダラ続いています。

      
この映画の主人公となるチャーリー・ウィルソンは現実に存在したテキサス州出身の民主党下院議員。たまたまテレビで報道されていたソ連軍によるアフガニスタン介入の映像を見たのがキッカケで彼は現地を視察し、窮地に追い込まれていたアフガニスタン援助を真剣に考え始めます。女と酒にしか興味がなかった田舎者の彼を応援(利用?)したのがテキサス州の大富豪女性ジョアン。ケバイ化粧で目立つ彼女は共産主義が大キライ! 打倒ソ連を目指していたジョアンとCIAのはみ出し者ガストの協力を得てアフガン支援に乗り出すのがチャーリー・ウィルソン。

               


時代は米ソが対立していた冷戦時代で、結果としてアフガンに攻め入ったソ連はその後崩壊という道筋をたどります。
そのソ連崩壊の一つの要因が米国議会の予算から拠出されアフガンに渡った大量武器の調達。ソ連との表立った対立を避けたかった米国は秘密裏に大量武器をアフガンに流すことでソ連のアフガン侵攻を食い止めることに成功しました。この物語は実話をベースにしていることから想像するとマスコミ報道とは別に裏で進行する話が必ず出来上がっているような感じ。

 
お気に入りのマイク・ニコルズ監督作品だったので観ることにしましたが、ズバリ!面白くなかった。オモシロサを優先するのが映画のすべてではないのでアフガニスタンという国を考えるキッカケにはなったけれど・・イスラム圏に属するこの国は昔から紛争が絶えることのなかった国で、宗教戦争っぽい様相を呈するこの国はややこしそう。その点日本は宗教に関してはどうでもいい人が多く(?)平和に暮らせるというありがたい国。
         


神社も寺も教会もすべてひっくるめて観光の対象になってしまう可能性がある精神はいったいどこから来るのか。要するに金儲けを優先する国が日本で、個人が信仰するモノにいちいち関わってられないというのが日本の現実? 日本で信仰されるべきものはマネーが一番。アフガニスタンという国のことはよく知りませんが近年のニュースで賑わしたタリバンがこの国の政権を掌握し、その後米国がイラク戦争を引き起こすことにつながっていきます。

 

チャーリー・ウィルソンがしたことはヨカッタのか悪かったのか・・いずれ答えは出るというような会話が映画に挿入されていたけれど20年という時を経ても平和なアフガニスタンには至っていません。多くの犠牲を払い多くの人たちの血が流れても平和にたどり着けないことは悲劇です。そういう面で考えると我々が生まれた日本は戦後の痛みを克服し金儲けに邁進してきた結果、取りあえず平和な国が維持されたという点においては先人たちに感謝しなければいけないのかも。日本は宗教より金!


* 監督 マイク・ニコルズ    * 2007年(米)作品

* 出演 トム・ハンクス   ジュリア・ロバーツ


★ この映画のように表面化しない話で歴史は着々と進行してきた可能性が・・


ブルースが聞こえる

       

オープニングの♪ハウ・ハイ・ザ・ムーン♪を歌っているのは“パット・スズキ”という日系アメリカ人。独特のアレンジと歌唱力で印象的な幕開けとなる映像は1945年に設定された煙モクモクの蒸気機関車。第二次世界大戦のための陸軍兵士を養成する目的で送られてきたのが作家志望の主人公ユージーン・ジェロームを含む若者たち。ミシシッピ・リヴァーの鉄橋を渡る機関車と緩やかなテンポで歌われる彼女の歌声は、過ぎ去った時間を懐かしんでいるように感じます。

 
徴兵された若者を乗せた蒸気機関車の目的地はミシシッピ州の南端にあるビロクシ(Biloxi)軍事訓練所。訓練映画にありがちな長官の情け容赦ないシゴキはほとんどなく、のんびりムードの青春映画。ユーモア・センス抜群のマイク・ニコルズ監督なので結構笑える仕上がりになっています。有名な“卒業(ダスティン・ホフマン主演)”もユーモア映画と言っていいくらいに笑えました。この監督のユーモアはエスマルのお気に入り。


例えば訓練生が川を渡ろうとするシーンがあるのですが、
普通なら何が何でも突き進んでいくよう強制されるのが訓練映画。ところがこの映画では訓練生が川の途中で突然止まり、“この川は深そうでこれ以上進めない”と意見を述べます。訓練生の意見は長官に無視されないで選ばれた代表が深さを確認するよう指示が出されます。そしてその結果この川はかなり深いことが分かり、あっさり進路変更! 何が何でも命令に従え〜とはならず、危険性がある川を避けるという判断は好きだなあ。

               


またジェロームと同じ機関車に乗り合わせたユニークな存在がエプステインという学者タイプの青年。
ジェローム同様 長官の言うことに敢えて逆らうタイプで当然のことながら長官に睨まれることに・・しかしこの映画の意外性はラストで示されます。
長官と訓練生の絶対的立場が成立している訓練学校でありながら、教育されたのはもしかして長官だったのかも。エプステインが提案していた腕立て伏せ200回を長官がすることになる展開はなかなかユニーク!


戦争で死ぬことが決まったと仮定して、自分に残された
7日間で何がしたいかという話がありました。多いのはとにかく女とヤル! 男ってこんなに単細胞なの?
筋骨ムキムキのワイコフスキーは年配女性が好きだったようで(?)、英国女王とやりたいんだって。ジェロームも童貞を捨てることが一番の願いで、ママ年齢の娼婦によってその願いは達成されます。その後のジェロームの表情は自信に溢れた様子で、ヤルことは如何に大切であるかが分かります。

       

長官に常に反発していたのが自称スパニッシュ・ユダヤのジェロームとホモ傾向にあったエプステイン。
睨まれることを承知で反発するのがユダヤ人? 厳しい訓練を受けなければ早く死んでしまうと言うトゥミー軍曹の仇は当然ジェロームとエプステイン。しかし最後で立場が逆転するように画策したのがトゥミー軍曹だったように思います。変わり者同士で敵対関係にあった軍曹と反抗する二人の訓練生のルーツは似ているような感じ。


結局 戦争に参加する前に戦争は終結し、軍事訓練を受けただけのジェローム。
18年後のジェロームは念願の作家になって“Biloxi Blues”を書き上げ、エプスタインは弁護士から裁判官になりマフィアからも恐れられる人物になったということ。若かったあの頃が一番幸せだったと回想するジェロームは劇作家ニール・サイモンのこと?
全編を通じて流れるジャズが心地よく、マイク・ニコルズ作品の中でもう少し評価されてもいいと思う映画。

* 監督 マイク・ニコルズ  * 脚本 ニール・サイモン  * 1988年 作品

* 出演 マシュー・ブロデリック   クリストファー・ウォーケン

★ オープニングとは反対方向に進む蒸気機関車が鉄橋を渡るときに流れた曲は♪メモリーズ・オブ・ユー♪。

      YouTube - "How High The Moon" - Pat Suzuki (Overture)


バードケージ

       

主人公の名前はアーマンドとアルバート・・ 初めのアと終わりのト(ド)が似ているので、違う名前なのに紛らわしく感じました。 身長や体形はよく似た男二人ですが、顔は全く違う男と女(?)の物語。 肉体は男同士・・ だけど心は男と女のデコボコ・コンビだけれど実際はデオボコしていない。 一般的呼び名はホモセクシャルの二人。 特にネイサン・レインが扮したアルバートが、アーマンドにくっ付いて女歩きから男歩きを教わるシーンは笑えた!
  
女性の目から見ても、このアルバートのナヨナヨした仕草やヤキモチでイライラしている雰囲気など とてもかわいらしく喜怒哀楽に溢れた魅力的な女性に感じました。 そんな彼女(男)を愛していたアーマンドは、普通は子供がいないはずだけれどこれがいたんですね。 その息子(ヴァル)が結婚相手に選んだ女性の両親は、思考回路がカタイ保守的政治家キーリー。

ヴァルと政治家の娘(バーバラ)が仕組んだのが、一日だけの外交官の息子という設定でした。 父親アーマンドの愛人アルバートは、仕方なく叔父さん役を引き受けることに・・ しかし根っからの女だったアルバートは、どうも男役は無理みたいで追い出されてしまいます。 その代わりに招待されたのが元妻だったヴァルを産んだ女性。 ママとしてヴァルを赤ん坊の頃から育てたのはアルバートなのに、自分の息子の結婚相手の家族には会えないという混沌とした悲喜劇。
             

そんなどうしようもない混沌の壁を突っ切ったのが、カツラをかぶって厚化粧をした不自然なアルバート。 誰でもマルワカリの不自然さが展開するなかで、完全にカワイイ女と信じて疑わなかったのがキーリー。 アルバートとキーリーの会話はズレながらも何故かピッタリ合っています。 そんな状況で産みの母親と育ての母親がバッタリ鉢合わせしても、アルバートを女と信じ込んでいたキーリーのキャラクターもまた魅力的でした。

アルバートを隠そうとしていたヴァルも、最後に事実を打ち明けます。 見かけや体裁だけでやっていけないむき出し家族の滑稽さが描かれているんだけれど、心は暖かい気分で満たされます。 その一番の要因は、男に生まれてきたのに自分の奥にあった女という性を隠さずにさらけ出せたアルバートという根っから女の男。 きっとそんな純真さにアーマンドも惹かれたのでしょうね。
              

アーマンドが経営していたマイアミのクラブの舞台に立って演じていたのがアルバート。
マスコミに追われていたキーリー家族は、全員変装してこの舞台に登場しマスコミのやっかいな追っかけから脱出します。 そのとき男っぽいジーン・ハックマンが扮していたキーリーが女装して舞台にフラフラ出演。 意外に女が似合っていたジーン・ハックマン!

家族を構成するのは、常に男女ペアの血縁関係がすべてである必要はないということが感じられる作品でした。 初めと最後に歌われている 『We are family』 が象徴しているように、血縁関係の家族よりホントに相手のことを大切に思える人同士が真の家族と呼ばれるのではないかと強く感じさせてくれた作品。 それにこの映画が多くの笑いを提供してくれたように、ホントの家族なら笑いに包まれているはずだと思いました。 こんな楽しいバードケージなら一緒に入りたい気分・・

* 監督 マイク・ニコルズ       * 1996年 作品
* 出演 ロビン・ウィリアムズ   ジーン・ハックマン   ネイサン・レイン

眼鏡 マイク・ニコルズ監督の他の映画も含めて笑いのセンスはサイコー!

クローサー

       

男(ダン)と女(アリス)の出会いは、唐突に起こった交通事故現場で発生します。 アリスが初めて出会ったダンに声をかけた第一声は 「ハロー ストレンジャー(stranger)」  こうして見知らぬ二人は恋に落ちて同棲生活を始めます。 この映画の経過スピードは速く、ストリッパーだったアリスをモデルにした本の作者がダンでした。 彼はアリスの人生を勝手に盗み書きして出版(本のタイトルは水族館)にこぎつけた泥棒作家。 ストレンジャー同士の二人は、こうして影響を与え合います。

場面は変わってダンを撮影している女性カメラマンが映し出されています。 ダンが書いたアリスの小説に自分の写真を掲載するため、アンナというカメラマンによって 何回ものシャッターが押されていました。 自分が書いた小説を一晩で読み終えたアンナに興味を持ったダンは、アリスをあっさり裏切ります。 離婚歴があったアンナは、男に対して臆病になっていました。 ダンの同棲相手アリスのことを気にして、彼に興味を持ちながらもためらっているのがアンナで直情型のアリスとは正反対の性格のようです。

             

相反するように見えた女二人の共通点は、どちらも見えないし触れることができない愛を求めていたこと。 二人とも男の露骨な性的束縛に嫌気がさしていたように思います。 この映画の場合 女に対して男が求めるのは女のカラダ。 内面の繊細な彼女を見つめようとはせず、彼女たちが発する言葉だけを鵜呑みにする単細胞の男の性は生まれつきのもの? 肉体重視の単細胞頭脳を有する男と 人間の奥に潜むその人固有の何かを探ろうとする単純な複雑さを内包する女は、それぞれ目指す愛のカタチが全く異なっているように思います。

                    

特に性的な面で男性的性の象徴として登場していたラリーの性欲を満足させられたのは、女のフリをしていたダン。 根本的に男同士のダンとラリーがこだわっていたのは、パートナーの女性が自分以外の男に満足したのかどうかってこと。 イヤになるぐらいしつこく女の性描写を尋ねる彼らは、女が嫌がっている本心を見抜けないらしい。 そして繊細さ皆無のラリーによってアリスを失ってしまったダン。 彼女の言葉や自分に接する時の態度を無視してラリーが言った言葉を信じたダンは、当然 アリスの対象者ではなくなります。

ストレンジャー同士の二人が出会う奇跡とともに、アッという間に崩れるストレンジャー同士の関係。 映画の初めのほうで 自分の物語を書いたアリスにラリーがこんなことを質問していました。 「この本で抜け落ちているところは?」  アリスの答えは 「真実」・・ 本能的に何かを感じ取っていたアリスは、異国イングランドで体験した冒険旅行を終えて合衆国に戻ってきました。 税関で示されたパスポートに書かれていた名前はアリスではなく、ジェーン・ジョーンズ。 不思議の国のアリスの冒険はこうして終了します。

                 

冒頭シーンで赤毛のショートカットだったアリスは、帰国後 自分の国を歩いているときのヘアースタイルは、黒髪の緩く縮れたロングヘアーに変わっていました。 アリスとして異国で体験したデキゴトが彼女に与えた影響は大きかったと思います。 それと同時にアリスがダンやアンナとラリーのニセ夫婦に与えた影響も・・ 別れを選択したアリスとダン・・ モトの鞘へ収まったアンナとラリーの男女の物語で感じたことは、アリスにとって異国イングランドには自分が求めていた男はいなかったということ。 バックで流れる音楽の歌詞 “彼女が見上げる空に英雄はいない” という通りの展開になっていきました。
       
男女4人が絡まった性に関する嘘をどこまで信じていいのか不安にさせられる作品です。 人は言葉通りだけでないということは確かなようで、言葉に見え隠れする相手の心を読み取る能力に長けていたのがアリス。 そしてアリスと最も対極にいたのが、セックスに異様な執着を示すラリッているラリー。 4人の個性が炸裂するズレた会話を覗き見気分で楽しむことがこの映画を観るコツかな。 当時70歳を過ぎていたマイク・ニコルズ監督の嗜好は、性への飽くなき男女のズレ?

* 監督 マイク・ニコルズ       * 2004年 作品
* 出演 ジュード・ロウ  ジュリア・ロバーツ  ナタリー・ポートマン  クライヴ・オーウェン

マル秘 タイトルのクローサー(closer)は接近状態を示していますが、男女二人が重なり合うことは無理みたい。

イルカの日

         

イルカの知性は昔からよく知られていて現実に合衆国海軍で動物兵器として機雷の探知やダイバー救助などに利用されています。 これらを題材にした映画が “イルカの日”。
賢いイルカを訓練して言葉を覚えさせようとしていたのが主人公のテリル博士。
軍に用いられる危険性を察知して、秘密の小島でオス一頭のファー(αのファー)と妻のマギーそして何人かのスタッフと共同生活を送っていました。

研究施設のスポンサーになっている財団にも内緒で行われていたファーの研究は、後にそのファーの秀でた研究成果を知られることになります。 ファーはテリル博士のことをパー(パパ)とかわいい声で呼びます。 人間のようにダラダラ喋らないので、ファーとパーはとてもいい関係に見えます。
                      

しかし喋らないファーに苛立つテリル博士は、やはり人間のイヤな部分をチャント秘めていました。 人間でないイルカが英語を話すことがテリル博士の自慢らしく、恋人のビー(βのビー)と水中ダンスや気が合うジャンプをして楽しんでいるファーには エサをあげないという身勝手さ!  でもファーはパーに求めるものは何もなくただパーと遊びたいだけ。

研究所の出資元である財団はやはり政府とつるんでいて、スタッフの一人と信じていたデヴィッドという男は財団からの回し者。 人間がすることはこんなことしかないのかな・・ テリル博士も財団もどっちもどっち! そのことを知ったテリル博士は、飼い馴らしたファーを手放すことを決断します。 親子のような間柄にあったファーと別れることは辛かったと思うけれど、ファーを助けるためにはこの選択しかないことを悟ります。

                       

ファーにとっては人間に利用されていてもされていなくてもどちらにしても関係なく、信頼するパーと一緒に楽しそうに会話のようなことをしているのが愛くるしくて切ない気分にさせられます。 ウウッ! 都合のいい人間たち・・ 外洋に出ていくファーにパーは呼びかけます。  
    「人間には絶対近づくな!」    「わたしがイルカ語を話せばよかった・・」

コミュニケーション能力が高いイルカを利用したのは人間。 でもイルカは人間のそばに近付くことをやめず、人間の心的治療をするセラピーにもチカラを発揮してくれました。 人間に傷つけられても人間を助けようとするイルカのコミュニケーション法は、人間のように薄っぺらなものではないのでしょう。

* 監督 マイク・ニコルズ     * 1973年 作品
* 出演 ジョージ・C・スコット    トリッシュ・ヴァン・デヴァー

爆弾 ファーとビーが水中で泳いだりジャンプするときの息の合い方はピッタリで、観ているだけで癒され心地よくなりました。

卒業

  

      「ハロー! ミセス・ロビンソン」   「ハロー! ベンジャミン」
互いに丁寧な挨拶をしていたベンジャミン(通称ベン)は、大学を優秀な成績で卒業した若者。 彼の両親が開いたベンの卒業祝いのパーティに参加していたのが、ミセス・ロビンソン。 ミセスという限りもちろん夫のある身のロビンソン夫人が、ベンに家まで送っていくように命じます。 家に着いてもどうのこうので、ロビンソン夫人の奇妙な誘惑に惑わされてしまうベン。
  
彼は大学を卒業していい会社に就職してというような、平凡な生き方を嫌っていました。 考えていることはやはり行動にも表れて、彼はプールに潜ったりプカプカと水面を漂う漂流生活。 映像では水に関する描写が何度も挿入されていて、ベンが求めているものが象徴的に表現されています。
      
ロビンソン夫人と情事を重ねるベンは、真面目な男からしだいに遊び人のベンに変化していきます。 そんな折 ロビンソン一家の一人娘エレーンとデートしたベンは 互いに幼なじみの間柄で、ロビンソン夫人にはないエレーンの魅力に心を動かされてしまいました。 こうして書いていて感じるのは、母親と娘の両方と関係しているとんでもない野郎なのに 彼の余りの常識外れがむしろ面白く、ベンを応援してあげたい気持ちに・・

         

常識外れはベンだけではなく、ロビンソン夫人も娘のエレーンもついでにロビンソン氏も三人が三様でユニークな存在です。 恋愛映画とは程遠く、むしろ笑いのセンスが冴えているコメディ映画という感じ! ベンも含めたロビンソン一家は、何をしでかすか分からない危険に溢れた人たちで 平凡さとはかなりかけ離れています。
         
自分の母親と関係していたのがベンだと知ったエレーンは、ベンを嫌って彼から離れます。(これは常識) そんなエレーンを今で言うストーカーになって、彼女の日常を追いかけ回しているのがベン。 かなりみっともない状態のベンは、めげずにそのミットモナサを押し通します。 エレーンとの結婚宣言をしたベンの現実は、自分一人だけが勝手に決めた結婚宣言で、相手はどうか分からないのに結婚宣言できる勇気がミットモナイけれどオモシロイ!

ベンに対する怒りのため、娘のエレーンは絶対お前に渡さないというロビンソン夫婦。(あれっ・・これも常識的) エレーンは何を思ったのか、突然カールという医師の息子と結婚することを決めました。 それを知ったベンが慌てふためき、エレーンとカールが結婚式を挙げる教会に到着して二階の大きな窓から「エレーン エレーン エレーン・・」 と何度も大声で叫び続けます。

            

そんなミットモナイ姿をさらして叫び続けたベンにエレーンが答えました。 「ベ〜〜ン」 
教会を飛び出して黄色いバスに乗り込んだ二人はまるでドラマのよう・・
教会の扉の取っ手に差し込まれた十字架が、彼らを自由にさせました。 エンディングで流れだした音楽 “サウンド・オブ・サイレンス” の意味は、静寂の音。 ベンが何もしないでプールに潜っていた時に、聞いていたのがきっと静寂の音だったのでは・・

* 監督 マイク・ニコルズ      * 1967年 作品
* 出演 ダスティン・ホフマン   キャサリン・ロス   アン・バンクロフト

バー ストーリーを真面目に受け止めると笑えないので、水面にプカプカする気持ちで常識外れ(もしかして極めて常識的)の会話を楽しんでください。

愛の狩人

         

ダッフルコートが似合っていないジョナサン(ニコルソン)と前髪が少し薄くなっている
サンディ(ガーファンクル)は、どう見ても学生には見えないけれど 映画の初めは大学生の二人です。 その後 映画のなかの二人は時間を経てオッサンになり、以前の大学生だった頃の女体験を話題に、モノにした女の数を自慢しているジョナサンと つまらない自慢話を聞いているサンディ。
              
原題は “Carnal (色情的な) Knowledge(認識・理解)” で簡単に表現すると色好みということになるかと・・ 自分の性癖を知る(knowledge)には、まず相手が必要! 相手の色に自分を合わすのか、相手を自分の色に染めるのかは 肉体関係を共有する相手の性癖によっても異なってくると思います。

ジョナサンは女に縛られたくないタイプのようで、女を転々と変えていきます。 サンディはジョナサンとは異なり、真面目に女性と向き合うタイプ。 学生時代 二人の共通の恋人のようになっていたスーザンが結婚相手に選んだのは、遊び人ではないサンディ。 後にサンディが告白した結婚生活は 穏やかだけれど刺激がない毎日で、休日は互い別々の本を読むという生活に サンディは満たされていないようです。

                   

そんなこともあり、社会に出たサンディはスーザン以外の女とも付き合うようになりました。 一方 ジョナサンの同棲相手だったグラマーなボビーは、彼から受けた罵倒でショックのあまり自殺未遂を引き起こし 結果的にジョナサンの妻になり子供も産みました。 結婚して娘もいるのに やはり満たされないジョナサンは、街をさ迷い歩き 娼婦を相手にして心の慰めにしているように感じました。
       
女をセックスの相手にしか見ていないジョナサンは、屈折しながらも愛を手にしたい愛の狩人のような気がします。 求めれば求めるほどに底なし沼に陥ってしまいそうな危険要素を含む愛の狩人がジョナサン! 近年 変な日本語タイトルが多いなか原題より理解しやすいタイトルだと思います。
     
対称的な男を描くジョナサンとサンディはともに “女” にとても執着していました。 お金や仕事そして名誉という男が好みそうなものには興味がなくて、ひたすら執着していたのは女色。 しかし一番女色に執着していると考えられるのは、この映画を撮ったマイク・ニコルズ監督なのかも・・ 前作の “卒業” に比べてネチネチ感にあふれ理解しにくい話でした。

女なしでは生きていけそうにないのが、意外にも遊び人のジョナサン! 彼は女に何を求めようとしていたのかはハッキリ分からないけれど、安全な家庭でパパを演じることはイヤだったみたいです。 男と女が求めるものは永遠に一致することはないのでしょうか。

                      

* 監督 マイク・ニコルズ     * 1971年作品
* 出演 ジャック・ニコルソン   アート・ガーファンクル   キャンディス・バーゲン 

CD ガーファンクルは演技より歌声の方がずっといいことをこの映画で示してくれました。

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