キカ

     

“キカ(Kika)” というのは主人公(女)の名前で、アルファベットの11番目のKをかなり意識する名前になっています。 彼女の仕事はメイクアップ・アーティスト・・生きている人間だけでなく たまに死人のメークを手掛けることもありました。

心臓麻痺で死んだラモンのメークを継父に頼まれ実施中に 突如ラモンは息を吹き返します。 この設定から考えても一般常識を持って鑑賞してはいけない映画で、さらに道徳観念もすべて捨て去らなければ観るに堪えない映画の仕上がりになっています。 ということは、監督が敢えて一般的な人々の一般常識を破壊させたいという仕掛けがあるのかもしれません。
                      

年下の男ラモンと同棲しているのがキカ・・ そして自分たちの部屋の上に住んでいるのがラモンの義父ニコラス。 ラモンはカメラマンでニコラスは作家という芸術関連の父と子の両方ともにキカは関わっています。 ラモンはキカを常にカメラで覗き見していて、キカがある男にレイプされている場面に遭遇して警察に連絡しました。 自分が助けに行くわけではありません。 とにかく覗きに徹しています。

一方ニコラスは妻を殺したかもしれない立場にいて、息子のラモンは義父に幾分疑問を感じています。 ニコラスはラモンに妻が自殺したと言っていますが、真相は闇の中。 でも作家は妻を殺す傾向にあるということをニコラス自身が口走っていました。

その後 ニコラスがある女を殺したことを突き止めたのが 軍服みたいな服を着て頭の上でカメラ撮影しているヨウワカラン女。 またキカのメードもユニークで、キカを愛している様子。 そしてこのメードの弟がキカをレイプするというハチャメチャな物語の展開になっていき キカはこの家を出ます。 まあ当然かも・・ 気が狂いそうになるイヤな状況が次から次に起こります。 しかしキカの軽いフワフワ感で物語の重さは感じず、異様な状況は相変わらず続きます。
               

最後にニコラスを看取り、ラモンを再び生き返らせたキカは自分がはめていた指輪を捨てました。 ひまわり畑が続く道で車が故障して困っていた男を同乗させて言いました。
「頼りになる男がいいのよね。」  彼は道順に詳しい男でした。

殺人事件を起こしたり覗き見で危険な状態にあることを察知しながら 自分を助けてくれない男はサッサと見捨てて新しい男に乗り換えたキカ。 ズルズル引き込まれる情に流されず、自分を優先させる魅力に溢れていました。  異様な世界に居続ける限り幸せを手にすることはできないように思いました。

* 監督 ペドロ・アルモドバル      * 1993年 作品
* 出演 ヴェロニカ・フォルケ   ピーター・コヨーテ   ヴィクトリア・アブリル

おてんき 部屋中を占める聖なる置物と ハデハデ色のインテリアと バックで流れるスパニッシュ・メロディは芸術的!

バッド・エデュケーション

             

少期の頃は男女ともそれほど顕著な声の差はありません。 世界を見回しても少年合唱団あるいは少年少女合唱団はあっても、少女だけの合唱団というのは余り聞いたことがない・・ それほど少年の声は透明感があって美しいように思います。 しかしそのイイ声を保つことができる期間は少なく、少年に待ち受けているのは “声変わり” という避けて通れないオジサン声の変化です。

避けて通れない二人の少年の心とカラダの変化が、怪しいセクシーさで描かれているのがこの映画。 神学校時代の仲良し二人の少年の名は、イグナシオとエンリケ。 少年同士の気が合う二人の友情が、恋愛的友情に発展していこうとする頃 大人(少年たちの教師であるマノロ神父)という邪魔者の介入で、二人は引き裂かれてしまいました。

その後 互いに逢うこともなく別々の日々を過ごしながらも、それぞれの心には相手を想う気持ちが続いていました。 恋愛感情というのは単純に相手を愛おしく想う気持ちで、たまたま男同士だったという理解をしたいと思います。 ホモとかレズとかいってそれほど騒ぐようなことではなく、恋愛感情を持てる相手に出会えることがまず幸せだといえます。

社会的な目を気にして結婚したり、将来の安定のために適当な相手を選ぶことは男も女も少なくありません。 そんな打算や安定などをすべて取り払って、それでも相手を想う気持ちが持続すれば 奇跡を起こすキッカケの魔法の扉の前に立つことができそう。 奇跡と呼ばれているものの本質は、すべて相手を強く想う気持ちが根本にあるように思います。 相手のことを思いやる情熱が、この世の見えていないナニカを動かすのではないかと・・

  声がキレイだったイグナシオは、
  成長してカラダも女に変身させようと努めました。
  しかし大人への声変わりとともに彼の心も
  変化してしまったようです。

  女として生きようとしたイグナシオの姿に 
  過去の声のような美しさを見いだすことはできませんでした。
  エンリケはイグナシオのことを思いつつ
  映画監督として活躍していました。

そのエンリケ監督のもとを訪れたのが、イグナシオを改名して俳優を目指していたアンヘル(実は・・)。 彼は俳優を志していて自分で書いた “訪れ” という脚本をエンリケに託して映画化を求めました。 
その “訪れ” という映画シーンがこの映画に挿入されながら話が続くので、頭が混乱しながらも女装したガエル・ガルシア・ベルナスの美しさに見とれてしまう。 キサス・キサス・キサスを歌っていた彼は、女以上の女になっていた・・多分・多分・多分。

男二人が絡むやってられないシーンがあるけれど、少年の声がそのやってられない大人を凌駕して後味はいいものでした。 男にこんなに魅力的に女を演じられてしまうと 女の存在が危うくなる危険性があるので、女はこの映画で女研究をする必要がありそうです。 男に女の存在を譲り渡すことのないように・・

* 監督 ペドロ・アルモドバル      * 2004年 作品
* 出演 ガエル・ガルシア・ベルナス   フェレ・マルティネス   ハヴィエル・カマラ

ハイヒール アルモドバル節全開で原色パワーギンギンの映画の中の映画 “訪れ” の原作者はアンヘルで主演もアンヘルでした。

トーク・トゥー・ハー

舞台の緞帳が上がるシーンから始まります。
多くの椅子や机が乱雑に置かれている舞台で、
苦悶の表情を浮かべた二人の女が前と後ろに分かれて
その苦しさから逃れるように動き出します。

そのとき近くで椅子や机にぶつからないように
そのモノをドケテいる男。
二人の女は似たような動きをして、
共に壁にぶつかって倒れます。

オペラ風の音楽がより悲しく切なく、二人の女の苦しみやモガキを観ている側に伝えてくれます。 その哀しい二人の女を泣きながら観ていたのが、この映画の主人公マルコとその隣に座っていたのが 後に深い親友になるベニグノでした。

初めは見ず知らずの他人同士だった二人が出会ったのが、病院という特殊な場所。
ベニグノが過去にしてきたことは、長年にわたって実践してきた母親の介護だけ・・そしてこの数年間は愛するアリシアというバレリーナの介護をしていました。 一方 マルコは女闘牛士のリディアを愛し始めていました。

しかし二人の男が愛した女性たちは、二人とも事故で病院のベッドで 眠れる森の美女のようにただ眠り続けているだけでした。 眠り続けたまま何も反応がないアリシアに、ベニグノは語り続けていました。 このシーンがタイトルに一番近い。

女性の脳は神秘的なので、眠っているように見えても内面では自分が語りかける声を理解しているはずだと言うベニグノ。 でもマルコは、牛の角に突かれた瀕死の状態のリディアに触れることができずにいました。

   この映画のなかで、ベニグノが無声映画を観に行きます。 
   タイトルは 『縮みゆく恋人』・・
   眠ったままのアリシアが、
   元気な時に好きだと言っていた無声映画。

   この無声映画がスゴイ! 
   トーキー(talkie)ではないのに、
   映像だけで見事に伝わってくる強烈なものがあります。

内容は、彼女が開発した薬を飲んで縮んだ恋人が 一寸法師のようになって動く映像が見どころです。 彼女が眠りに就く際、その縮んだ恋人は彼女のオッパイの上によじ登って下り 次に目指したのは彼女の秘密の花園! 卑猥さのない映像が表現しているのは何なのでしょう・・ 命の神秘のような不思議な感覚が伝わりました。

ホモ扱いされていたベニグノは最後に自殺を選びます。 ワケあって刑務所に入っていたベニグノを支えたのがマルコ。 アリシアとの一体化を求めていたペニグノは、アリシアの妊娠を機に刑務所へ・・ 現実的な話ではなく、無意識状態のアリシアが妊娠したことはベニグノが望んでいた一体化が成就したという風に考えることもできます。

女の介護ばかりしてきたペニグノを特殊なホモとは見ずに、一途にアリシアを愛するただの男であることを理解したのはマルコで、彼もベニグノ以上に切ない女のダンスを観て涙する男でした。

* 監督 ペドロ・アルモドバル     * 2002年 作品
* 出演 ダリオ・ダランディネッティ  ハヴィエル・カマラ  レオノール・ワトリング 

地球 “ククルクク・パロマ” の誰しもが魅了されてしまう歌と演奏を聴かせてくれたのは、監督もファンだというカエターノ・ヴェローゾというブラジルのおじさん。

オール・アバウト・マイ・マザー

主要な登場人物はすべて女で占められている映画が 
“オール・アバウト・マイ・マザー”
母(女)にこだわって映画を創ろうとしている
監督の執念のようなものを感じます。
カラダは男に生まれてきても、
目指すのは女という魅力的な女がアグラード!  
 
名前の意味には“楽しませる”という意味があるらしく、
映画に出ていた彼女は アッケラカンとした
楽しい女性でした。 上半身はシリコンをたくさん
注入して豊満なバストを手に入れ、
下半身はそのまま男をぶら下げている売春婦です。 
役柄では女になった男を演じているけれど、
実際の肉体にぶら下がっているものはありません。

また三人の “エステバン” という名の男が登場しています。
一人は、セシリア・ロスが扮したマヌエラの息子・・
彼は17歳の誕生日に車にひかれて死んでしまいます。

そして二人目がエイズ感染した男を父に持つ生まれたばかりの赤ん坊。 
最後の一人が、死んだエステバンと赤ん坊のエステバンの共通の父親でもあるエステバンという名のオトコオンナ。
    
彼も先のアグラードと一緒で、ブルンブルンバストの男でした。 マヌエラの夫でもあり、エイズで死んだロサの夫でもあった人です。 困りもののエステバンではあったけれど、何故か女にもてるロングヘアーのオンナオトコ。

彼女たちみんな 置かれた環境のもとで、自分たちがなりたい女になっていきます。 劇場の舞台と対比的に描かれていた物語は、生きていることも舞台と同じように 自分が創り書き上げる物語であることを表現していたように思います。

書き手は自分・・そして演じるのも自分だから、物語の展開は楽しく笑えるものにしたいですね。

* 監督 ペドロ・アルモドバル     * 1999年 作品
* 出演 セシリア・ロス  マリサ・パレデス  ペネロペ・クルス  アントニア・サン・ファン

口紅 性同一性障害という言葉があるけれど、自分の性を真剣に考えれば 内面と肉体が一致していないことがあると思うので障害という言葉は使いたくありません。

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