春のソナタ

     

フランスではバカンスという夏の長期休暇が義務付けられています。 そんな傾向を反映してこの国では自分が不在中に部屋を貸すという、合理性を追求する人たちも多いらしい。 主人公ジャンヌは学校で哲学を教える女教師。 この設定からしてロメールの哲学談義に付き合わされる予感・・ こむずかしい哲学ナンテのはイヤなんだけど、奇妙なロメール毒に冒されて観ることになりました。

ジャンヌはエレベーターがないパリのアパートの一室に住んでいます。 彼女には恋人がいて、彼の部屋にも彼女は訪れ花を飾ったりしていました。 さすがに哲学者だけあって、落ち着いた部屋が彼女の理想?

しかしジャンヌはたまたま自分の部屋を友人に貸していたので、自分の落ち着ける場所はありません。 恋人の散らかった部屋を片付ける気もなく、自分の居場所がないまま あるパーティで出会ったナターシャという女性の家に転がり込むことになりました。

               

ナターシャの家は裕福で、自分の邸宅以外にフォンテーヌブローの森に別荘まで持っています。 そんなお嬢様的な立場にあったナターシャは、両親の離婚という辛い体験を経て 現在は父と一緒に生活をしていました。 彼女にとって唯一信じたい父が、自分と同い年ぐらいのエーヴという女性と付き合っていることが許せないようです。 しかも自分の思う通りの言葉を発し自分の思う通りの行動で、遠慮という面においては全く縁遠いタイプ。

そんなエーヴと理性的に物事を考えるジャンヌとお嬢様気分のナターシャ そして彼女の父親でもありエーヴの愛人でもあったイゴールの4人で繰り広げられる 食事時の哲学談義バトル。 エーヴとナターシャは言いたい放題!・・ 言葉で相手をぶちかますエーヴにタジタジだったナターシャが最後に言うのは 「わたし 哲学は A だったわ」

                     

日本文化との大きな隔たりを感じる哲学・・ A でも X でも勝手にやってくれという気分にさせられました。 食べたものが消化不良を起こしそうな哲学談義はフランス人の特性なのでしょうか。 そんな状況悪化のなかで、エーヴがこの場を離れます。 一度離れたかに見えたイゴールは別荘に戻ってきてタイミングよくジャンヌと二人きりのセッティング。 ナターシャが意図したように互いに興味を持ったジャンヌとイゴール。

夜を迎えたイイ雰囲気のところでまたしてもジャンヌが始めた哲学談義。 イゴールの方も調子がいいといえばそうなんだけれど、二人ともさ迷っています。 ラストでエーヴが盗んだと疑っていたパパからのプレゼントが、古い靴の中から出てきます。 ナターシャはスッキリした気分でその首飾りを身に付けていました。 ハッキリ言ってこの部分は何のこっちゃ!でした。
             

何かが完結したようなスッキリ感には全く至らない映画。 季節がグルグル廻るように、人の心もコロコロ巡っているように思います。 しかし哲学談義が好きな人たちの部屋はキチンと片付いていて、ナターシャ父娘が住む部屋は空間が多く白い壁には多くの絵画が飾られていました。 個人的にはジャンヌの部屋に飾られていた明るい文様風のアート(トップの写真)が気に入りました。

* 監督 エリック・ロメール      * 1989年 作品
* 出演 アンヌ・ティセードル    フロランス・ダレル    ユーグ・ケステル

地球 ジャンヌが部屋を飾る花の華麗な演出のほうが、鬱陶しい哲学談義に勝ると思います。

クレールの膝

              

雄大なアルプスの麓に位置する美しいアヌシー湖畔(フランス東部)が舞台になっています。 深呼吸したくなるような圧倒的に美しい景色と小鳥のさえずり・・ そして湖面の水がチャプチャプ跳ねる耳にこそばゆい音など、俗世間から逸脱した場所に別荘を持っている 中年の男とそこで出会う若い二人の娘(ローラとクレール)を中心に物語は展開します。
   
山と湖の調和した景色が精神の解放を促してくれそうな心地よい別荘の部屋を借りて執筆活動をしていたのがオーロラという女性で、彼女の古い男友達が主人公ジェローム。 彼は一緒にいても疲れない女性との結婚を控えたマリッジ・ブルーな気分を漂わすプレイボーイ。 オーロラは若い頃からジェロームに惹かれていたようで、互いに仲がいいけれど結婚には至らなかったという友情関係が成立している男と女。

個人的感覚でヒトコト言わせてもらうと、夏のバカンスや雄大な景色と全く波長が合わないジェロームの髭・・ 髪の毛と口髭と顎鬚がすべてつながっていて彼の顔もハッキリしないし、とにかく暑苦しいイメージが感じられました。 顔立ちは良さそうなジェロームに言いたいことは、 「鬚を剃って!」  この主人公の風貌にロメール監督の意図は当然加わっていると思います。
              

オーロラが書く小説のモルモットになって、ジェロームはローラという少女を相手にデートを仕掛けます。 彼はローラの反応を見てオーロラに報告するという いわゆるネタ探しのようなことをしていました。 ジェローム同様 モルモットにされたローラは、同年代の男の子より年上がいいと言ってそれなりにジェロームを喜ばせ自分も楽しんでいる様子。

しかし熱い恋の予感はまるでなく、互いに互いの反応を窺っている様子が感じられます。 そんなローラには父違いの姉クレールがいて、姉妹とはいうものの二人は全く似ていません。 クレールには同世代の恋人ジルがいました。 妹のローラは年上のジェロームを相手にするけれど、姉のクレールにとってヒゲオヤジの存在は眼中にないという状況。

                 

まるで相手にされていなかったジェロームに突如 芽生えたクレールへの熱い想い。 自分が知っている自分の意識に反して、クレールの膝を触りたい!という欲求にかられる自分に驚いているジェローム。 理性に変わって活発化し始めた本能的感情が恋の始まりだと思うので、ジェロームはクレールに出会って初めて 燃えるような恋の高ぶりを感じたってことなのか・・

クレールを前にするとあがってしまう自分を分析してジェロームは、何でも話せるオーロラにこんなことを言っていました。 「目標の見えない欲望だからよけいに強い。 何も求めぬ純粋な欲望・・ その欲望を感じる自分に当惑する。 そんな女がいたとは・・」 ということで、ジェロームはクレールの膝に触れたい欲望を募らせていきます。 胸ではなく膝ねえ・・ 男の複雑な気持ちがワカラナイ!

そしてジェロームの何も求めない純粋な欲望は、嵐の日に達成されます。 「男の言いなりになっている」 とクレールに批判めいたことを言って、さらに彼女が好きなジルが別の女の子といるところを目撃したジェロームは、君のためだとか何とかこねまわしながらその事実を彼女に言って傷つくクレールをクールに眺めています。

しばらくは耐えていたクレールだったけれど、 「もう喋らないで!」 と言って泣き出す始末。 そんなクレールのそばでドサクサに紛れて彼女の膝の上を撫で回しているジェロームの手のひら。 彼女も心的ショックのせいもあり、彼の手を払いのけるようなことはしなかったけれど クレールの目線が複雑で独特の怪しい雰囲気が漂っていました。

                 

その結果報告をオーロラにしているジェローム。 彼にとってクレールの膝を撫でるというのは、絶壁から飛び降りるようなことだったと言っています。 大変な勇気が必要だったとも・・ 「自分の意志で初めて勇敢なことをした・・ 純粋な意志で一つのことを成し遂げた。 やらねばとこれほど思ったこともない。」 とかなんとか・・・ ジェロームにとって余程 クレールの膝に触れることは純粋な欲望だったのでしょう。 結婚前に大事なことが達成されてよかったと思います。 

一方のクレールは、ジルの事実を知るために彼を問い詰めている様子。 そんな若い二人の会話を聞いていたのがオーロラ。 彼女はこの事実を知って小説の題材に取り入れ、その後のジェロームとクレールを主人公にした話を書こうという気持ちになったのかどうか・・

どう考えてもクレールはヒゲオヤジより若いジルのほうが好きみたい。 ジェロームの言葉を借りて表現すると、純粋に同年代のジルにやきもちを焼いていたのはクレールでした。 純粋さの真実を解明するための手っ取り早い手段は、意味もなくどこかから突き上げてくるような恋?

* 監督 エリック・ロメール      * 1970年 作品
* 出演 ジャン=クロード・ブリアリ   オーロラ・コルシュ   ベアトリス・ロマン

船 ところで絶壁から飛び降りるほどの勇気が求められる純粋な欲望を感じることができる女(男?)に出会ったことあるぅ?

パリのランデブー

三篇の短編で構成されているこの映画のリード役はすべて
女性。 特に二番目の “パリのベンチ” の女性は、
自由気ままがひどい!  要するに二人の男と
適当にやっている遊び人の傾向が強く、
ある男と同棲しながら別の男とも
デートを重ねています。  彼女は同棲している
相手とは冷めていると言いながら、
別れることもせずダラダラ生活を続ける
どこにでもよくいるタイプ。 
彼は彼女と結婚を望んでいて、同棲相手と
別れて自分と一緒にという誠実そうな青年でした。

ダラダラしている彼女に愛想を尽かすことなく付き合いを続けていた時、パリのホテルに同棲中の相手が別の女と入っていくのを見つけてしまった彼女は、突然怒り出し誠実に付き合ってくれていた男に決別宣言! こんな女を相手にした男も見る目がなかったと諦めましょう。

トップの “七時のランデブー” の女性主人公は一途に恋人を思い続けているエステル。彼女はひょんなことでその彼に別の彼女がいるらしいという噂を耳にします。 彼の事実を確かめたい反面 コワイような気もするエステルは市場で買い物の途中ハンサムな男に声をかけられました。 映像で見ている限り先の恋人よりハンサムだしスタイルもいいしカッコいい!
 
なのにエステルはそのナンパ男を相手にせず断わり続けます。 でも自分を裏切っているかもしれない彼が別の女とデートしている可能性がある場所を指定して再会を約束。エステルは余程恋人のことが好きみたい。ナンパ男をダシにして恋人の真意を探ろうとしています。

   しかし買い物途中で財布をスラレタことが分かり、
   彼女はナンパ男を疑い始めます。 
   エステルが指定した場所に行くと、
   案の定 付き合っていた彼と鉢合わせ。 
   怒りを爆発させ恋人が弁解するのも聞かずに
   どこかに行ってしまった彼女は、ネチネチしない爆発タイプ。 
   そして待ち合わせの場所に少し遅れて現れたナンパクン!
   もう少し早く来ていれば彼女を奪えたかもしれないのに・・
          
最後の話は “母と子 1907” というピカソの絵がタイトルになっています。素人画家の青年のもとに、スウェーデンからデザイナーの女友達が遊びに来ました。 絵画に対する考え方が違う彼女とのデートを待っていた様子もなく彼はひたすら自分の絵を描き続けています。

彼の住まいの近くにあるピカソ美術館に彼女を案内した帰り道、彼はある女性に心惹かれて尾行を開始。彼女が入ったのはピカソ美術館・・後を追って彼もまた美術館へ。 その追いかけた彼女が足をとめた絵が、“母と子 1907” という子供が描いたような分かりにくい絵。

青年画家はこの絵に興味があったらしく、
ますます彼女をつけ回して自分の家にまで彼女を誘いこみます。
彼女は人妻・・ しかし彼は一向に気にすることなく
自分の好意を彼女に伝えます。 彼女も悪い気はせず、
その場限りの会話を楽しむ初対面の二人。
その日の夜にまた絵筆を持った彼は、
無駄な一日ではなかったというような言葉をつぶやき
自分の絵に没頭しているということは恋愛より自分の仕事第一主義?

早い話 何か刺激が欲しかっただけってことのように思います。 こういう男は相手より自分を優先させる傾向にあるので、恋愛で傷つくことはなさそう・・ 三篇のそれぞれのカップルのなかで、真剣に相手のことを想っていたのは一番目のサッサと別れたエステル。 想いが深ければ相手の裏切りを許すことはできません。

ロメール監督が74歳で脚本を書き監督したこの映画の始まりは、パリの街角で男二人のうち一人はアコーディオンを弾いてもう一人は歌を唄います。 “パリでのランデブーがいつも楽しいとは限らない 驚くことも多いし時には思いがけぬことが起きる” という歌詞の通り、最後まで思いがけぬことの連続でした。

* 監督 エリック・ロメール     * 1994年 作品
* 出演 クララ・ベラール   オーロール・ローシェル   ベネディクト・ロワイアン

ハート大小 パリの街角を歩いて会話するだけで映画にしてしまうロメール監督の低予算手腕はスゴイ!

満月の夜

  二人の男の間を行ったり来たりして
  楽しんでいる女性が主人公のルイーズ。
  その二人の男のうちの一人は、ルイーズと
  いつも一緒に行動したいと思っているレミ。
  夜にふらふらと出歩くルイーズとは違い、
  彼は家に居ることが好きなタイプなので
  二人の相性は悪いと思います。

一方 結婚して子供もいるのがオクターブ。 
彼はルイーズがレミと半同棲生活をしていることを
知っています。 当然ルイーズもオクターブの裏事情を知って彼と付き合っていました。 三角関係と呼ぶようなドロドロ感は全くなく、ロメール監督が得意とするダラダラ会話が続きます。

スタイルも声も申し分ないルイーズが、男関係で悩んでいるのは以下のようなことでした。 「15歳の時から私が本当に一人でいた時期はなかったのよ。最初の男の子と別れたとき、もう二番目がいたわ。 ごたごたなしに移ったわ。 新しい男に惹かれて前の男と優しく別れるの。 私に全く欠けているものは孤独を味わい、それを悩むことなのよ。」

鼻持ちならないルイーズの発言は、喋り方がかわいいのでつい許されてしまうのでしょうか。 それを聞いていたオクターブはルイーズにこんな質問をしました。「君の方から誰かを愛したことはないのか?」 即 彼女の返事は 「率直に言ってそうだわ。 多くの人たちと反対に、私に反対し私を無視する人は愛せないわ。 他人の欲望が私をそそるのよ。」

  ルイーズは自分を好きになってくれた人を
  好きになろうとしているような気がします。
  しかし彼女は一人の男だけを選択しようとはせず、
  スペアの男を用意しておきたいタイプ?
  あるいは、その時々の気分で相手を変化させて
  自分に刺激を与えようとしているのか いずれにしても
  ルイーズの周りには常に不自由なく適当な男がいました。

ルイーズはレミのことを深く愛していると言いつつも、レミ以外の男を求めてフラフラ街をさ迷っています。 彼女のこの態度は、やはり愛とは程遠いかもしれません。 しかしルイーズにとっては、レミとの関係をいつまでも長続きさせるための手段であるらしく レミにも他の女性と付き合っていいと言うのがルイーズ風。 付かず離れずの適当な関係を保ちながら、長くお付き合いをしましょうというような雰囲気が伝わってきます。

  ルイーズの言い分に納得できないレミは、
  自分以外に好きな男ができたらどうするのかと彼女を責めます。
  ルイーズにとって友人的存在のオクターブは、
  レミとは全然合っていないと指摘しながら
  ルイーズのカラダが欲しくてたまらない狼男の要素も
  持ち合わせていました。

そんな男の間で揺れながら 口先だけは一人になりたいと孤独ごっこを楽しんでいるルイーズ。  ロメール監督が描き出す人物像はどうも一筋縄ではいかないような人たちばかり。

最後は、ルイーズ以外の女を愛することなんて考えられないと言っていたレミがルイーズに別れを切り出します。 一緒に生きていく女を見つけたと言うレミの言葉に傷ついてはいたようですが、その後 すぐにもう一人の男オクターブに電話をかけている懲りないルイーズの姿がありました。 孤独を味わいたくないけれど一人になりたいルイーズは、満月の夜だけ眠れないのではなく毎日 眠れない夜を続けていきそうな感じ。

* 監督 エリック・ロメール      * 1984年 作品
* 出演 パスカル・オジエ    チェッキー・カリョ    ファブリス・ルキーニ

泣き顔 女心の不安定さを知り尽くしているロメール監督の目は男それとも女?

O侯爵夫人

         

ロメール監督が名付けた原題にこだわって考えてみました。 原題は “Die Marquise(侯爵夫人) von O...”。 “侯爵夫人(marquise)” には未亡人という意味が含まれているようで、文字通りに訳すと 夫を失ったけれど自分はまだ死んでいない人ということになります。 日本では侯爵という言葉に馴染みがありませんが、広辞苑で調べると五等爵(公・侯・伯・子・男)の二番目の位を示しています。

その未亡人の前にdie(生命を失う)がくっ付いているので、まだ死んでいなかった未亡人が死んだというような雰囲気が感じられるタイトルです。 夫を失った妻が、その後の人生を元気で生きていくことは余りよくないのかもしれません。 映画の主人公でジュリエッタという名の未亡人は、夫を失ってこの先一人で生きていこうと決心していました。 夫の後を追って死ぬことが愛の成就ということでもないと思うので、彼女の判断は適切だったと思います。 

ジュリエッタの夫は五等爵の二番目という高位にいた人で、父親はロシア軍に対抗して自国を守ろうとしていた大佐でした。 そんななか、ショッキングな現実が起こります。 その現実とは未亡人で貞淑なジュリエッタの妊娠! 彼女自身が妊娠の兆候に驚きを隠せないで狼狽しているにもかかわらず、家族は不埒なことをしでかした恥ずかしい娘だと侮蔑の眼で見下すだけ・・  娘(未亡人)の妊娠というのは、家族にとっては耐え難い憤りのようでした。

           

そんな家族に信じてもらうため 父親の足元に跪いて身の潔白を訴えるのですが、父親は娘の言うことを信じようとはしませんでした。 母親も娘を気にかけてはいたけれど、娘の身の潔白を信じてはいなかったようです。 未亡人が妊娠するという現実は、道を外れた悪徳行為そのものでした。

原作はドイツの作家ハインリヒ・フォン・クライストで映画の言語もドイツ語です。 物語の進行にともなって途中で小休止のような文字解説が挿入されます。 本をペラリとめくるような気分にさせてくれるロメール監督が紡ぎ出す世界は魅力的! 窓から射し込む光 部屋に映し出されるシルエット ロウソクの揺らぎなど、絵画を意識した映像はまるで(その通り)お伽話の世界のよう・・
   
映画の前半で、ジュリエッタは敵国ロシアの兵士によって強姦されそうなところをロシアの伯爵に助けてもらったことがありました。 これがあまりにもタイミングよく彼女を助けます。 そうと知りつつ彼女は助けてくれた伯爵に好意を抱いていたように感じました。 そして問題の伯爵(侯爵よりワンランク下の爵位)です。

彼はいったい何をしたかったのでしょう。 不可解な展開でわざとらしいシーンがフンダンに盛り込まれたこの映画の主人公 O侯爵夫人は、夢のような妊娠をマリアのように受け入れました。 そこに至る過程は、ジュリエッタにとっては悲惨な戦争のようだけれど 持ち前の気高い美しさが他のすべての人たちを圧倒していました。

夫を失っても死んでいなかった未亡人は、身に覚えがないデキゴトを受け入れたときに きっと死ぬような体験をしたのだろうと思います。 こうして未亡人は死に、新たな生命を宿したジュリエッタは第二の人生を歩むことになりそうです。

* 監督 エリック・ロメール     * 1975年 作品
* 出演 エディット・クレヴァー   ブルーノ・ガスツ    ベーター・リューア

読書 『その後 若いロシア人が次々に伯爵の例にならった』 という最後のクレジットの言葉が気になります。

レネットとミラベル 四つの冒険

             

この映画の脚本を執筆して監督もしたのが、フランスのエリック・ロメールです。
1920年生まれの監督が67歳で創った映画が、タイプの異なる二人の少女を描いた“レネットとミラベル”。 60歳という還暦を迎えて、さらに精力的に映画を創り続けたエネルギーには頭が下がります。

映画というより二人の少女をモチーフに、二人が友達になって互いに影響を与えていくような素朴な映像です。 田舎に住んでいたのは、絵を描くのが得意で感性豊かなレネット。 都会のパリに住んでいたのは、親元を離れて学校に通うミラベル。 レネットの田舎の小道で二人が出会って、青い時間(静寂の時)を共に体験することができたことから二人は親しくなり レネットはミラベルが住む部屋で共同生活を始めることになりました。

出会った頃の二人は、それほど異なるタイプのようには見えなかったのに しだいに考え方や人の接し方の違いがタンタンと観る側に伝わるようになっています。 その違いが強烈に出ていたのが、スーパーで万引きをした女を助けたことに関する二人の考え方の相違。

助けたのは都会派のミラベルで、
そんなことをしたら相手のためにならない
というのが素朴派のレネット。
よく喋るのはレネットで、ミラベルはレネットの聞き役!

意見が合わなくてもじっくり聞いているミラベルは、
レネットの保護者になれそう・・

四つの冒険というように、田舎での出会いが一番目で 
その後 慣れない都会でレネットは、
カフェでイヤなことを言われたり、小銭を駅である女に恵んでしまった結果 自分の小銭がなくなりウロウロしながらも、何とか都会生活をこなしていきます。

四番目の話で、画廊に自分が描いた絵を売りに行く時も ミラベルが保護者のように赤の他人を装って(矛盾ある表現ですが)、レネットの小遣い稼ぎに一役買って出ました。
取ってつけたような話ばかりではあるけれど、誰もが体験している些細なデキゴトから 何かを感じさせられ考えさせられるのがエリック・ロメール作品です。

日常とかけ離れた感動や迫力ではなく、どこにでもありそうなトラブル(冒険)が 観ている側に心地よい影響を与えてくれました。

* 監督 エリック・ロメール     * 1986年 作品
* 出演 ジョエル・ミケル    ジェシカ・フォルド

よつばのクローバー 映画のなかでレネットが描いた絵は、すべて彼女(ジョエル・ミケル)の作です。

海辺のポーリーヌ

夏休みをゆったり過ごすため 
いとこ同士のマリオンとポーリーヌは、
ウルサイ電話がない別荘を、
車で訪れるところから始まります。

ツタが絡まる美しい雰囲気の別荘に入るとき
郷愁感を感じる柵を開けるため
車から降りたのがポーリーヌで、
彼女の着ていた青いセーラー服が印象深く残ります。

ポーリーヌはショートカットがよく似合う
15歳のあどけなさが残る少女。
しかしビーチでビキニになった彼女を見たときに感じたことは、女の子にしては肩幅が広くて たくましい体格だなってこと。 しなやかで女らしい体型のマリオンは離婚を経験していて、ポーリーヌよりかなり年上のお姉さん!

そんなマリオンがタイミングよく海辺で出会ったのが、結婚する以前のボーイフレンドだったピエール。 ピエールは未だに彼女への未練があり、しつこくマリオンにアプローチを試みるものの全く相手にされません。 マリオンが相手にしたのはピエールの友人で赤いシャツを着ていることが多かったアンリ。
  
ヘンリーの友人であるピエールは、彼に熱を上げているマリオンに注意を促すため 再三繰り返してアンリのプレイボーイぶりを伝えようとするけれど、ますますマリオンに嫌われてしまう青いままのピエール。 大体において、口数が多く人のことをガタガタ言うタイプは女に(男にも)嫌われます。

   一方  ポーリーヌは海辺で出会った
   同じ年頃のシルヴァンと仲良くなりました。
   ここでやはり男と女のトラブルが発生します。
   プレイボーイのアンリがマリオンの次に手を出したのが   
   ビーチでキャンディを売っていた女性。 
   そして二人が懇意にしている現場を目撃してしまった
   のがピエール。 マリオンにその事実を言っても
   信じてもらえず、 相変わらずもてないピエール。

アンリは当然プレイボーイなのでその場をうまくかわし、自分ではなくポーリーヌが仲良くしていたシルヴァンだと嘘をつきながら ポーリーヌを慰めるフリをします。 大人とはこういうもので自分の都合だけで動くものだと分かってきたポーリーヌ。

ホントを言っていたピエールはマリオンに鬱陶しく思われ、嘘を言ったアンリはポーリーヌを傷つけました。 映画の冒頭に示されていた言葉  “多くを話すものは自らを傷つける” この言葉に従うとポーリーヌ以外の大人たちは多くを話していたような・・
      
問題の発端になったアンリの女関係で、一番 衝撃を受けたのはポーリーヌでした。
そして意外にもアンリが一番 心を動かされたのがポーリーヌ!
エロオヤジがポーリーヌの足にキスする場面は、“このオッサン 一体何を考えてるねん!” と訝りの気持ちを抱きながらも何となく分かるような(?)男心を感じました。

セクシーな女より無垢な少女を求めていたってこと?  それを一般的にはロリコンと呼ぶけれど、このオッサン(アンリ)はちょっと違うように感じます。
遊び人で自分を出さなかったアンリが、ポーリーヌの前では少年のようになっていたのがカワイカッタ! ポーリーヌとの出会いがもう少し遅ければよかったのにね。

休暇を終えて二人が再び門のところで又、セーラー服を着たポーリーヌが門を閉めました。 初めと終わりだけ、セーラー服を着たポーリーヌが門を開け閉めすることに何か深い意味が込められているように感じるのですが・・ポーリーヌは門番だった・・(意味がよく分かりません!という声)
ということで門を閉めてポーリーヌの15歳の夏の休暇は終わりました。

* 監督 エリック・ロメール     * 1983年 作品
* 出演 アマンダ・ラングレ   アリエル・ドンバール   パスカル・グレゴリー

花 二人が別荘に来たときは、紫陽花がキレイに咲いていたけれど帰る頃には枯れていました。

緑の光線

映画のタイトル “緑の光線” はフランスの作家
ジュール・ヴェルヌの小説がベースになっています。 

他に 『80日間世界一周』 『海底二万里』 
『十五少年漂流記』 などがあり、
今回 調べて分かったジュール・ヴェルヌは、
小説だけではなく科学の分野でも
多くの業績を残しました。 
科学者でもあったヴェルヌが書いた “緑の光線” 
の科学的説明が映画で紹介されていて 
内容は以下のようなものです。

海を背景にして老人たちがヴェルヌの小説(緑の光線)に関して話をしています。 水平線の向こうにお日さまが沈む時、カラッと晴れた日にだけ 最後の最後で 一瞬 明るい緑の光を見ることができる。 また夏は大気の状態が適切ではないので見ることは難しく、空気が澄んでいることが必要!

光の屈折によって起こる現象で、緑の光線を見た人は自分と他人の感情が分かるようになるとのこと。 映画で語られていた老人たちも 何度か見たことがあるようで、自分と他人の気持ちが分かるようになったのでしょうか?

映画は、隠しカメラである女性を追いかけて撮っているようなドキュメンタリー風になっていて、追いかけられている女性はデルフィーヌ。 彼女は孤独です。 本当は恋人と休暇を過ごしたいのに一人なので何かが満たされないまま 何とか頑張るんだけれど、ワケもなく泣いてしまいます。 人ともっと触れ合いたい心はあるのに、デルフィーヌは他人とうまく交流することができません。 そんな自分が情けなく、またワケもなく泣いてしまいます。

  多くの人で混み合うビーチで過ごしたり、
  一人で散歩をしたり 
  波が激しく打ち寄せる断崖絶壁の階段を
  下ったりして気分を紛らわせようと
  すればするほど 急に寂しくなって、
  またワケもなく泣いてしまいます。

適当に他人に合わせてやっていくことが不得手なタイプのようで、気がつけばいつも一人。 きっと適当な恋人ではなく、ホンモノの恋人を探しているのでしょうね。 
     だからいつまでも一人。

他人から見れば苛立つデルフィーヌに、“心から自分がしたいことは何?” と問いかける奴がいました。 そんなことを質問するあんたがしたいことは何やねん? と反発することもなく散歩かな・・というカワイイ返事!

その言葉通りに、ウロウロ歩きまわって小道に入っていくデルフィーヌ。 しかし心は満たされないようで、自分に合うナニカを探しています。 そのナニカがはっきり分からなくても、現実にそのナニカに出会うまで 彼女はワケもなく泣きながら探し続けることになりそうです。

* 脚本・監督 エリック・ロメール     * 1986年 作品
* 出演 マリー・リヴィエール

虫眼鏡 科学者が言う “緑の光線” を見ようとする気持ちがある人と、疑ってかかる人のこれから先に訪れる時間は 決定的に異なっているはずです。

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