脱兎

                   

哺乳類を数える場合、普通は一匹二匹あるいは一頭二頭。ところが“兎”だけは匹でも頭でもなく一羽二羽。鳥でもないのに何故? いくつかの諸説の中で興味深いのが狩猟対象にされていた獲物(兎)の持ち方。耳を束ね一括して持ち歩いていたことから一把二把と数えられ、その名残で一羽二羽。また獣の肉を食べてはいけない時代でも獣グループに属していなかった兎は相変わらず狩りの対象となり、どんな時代でも弱い兎は狩られる側。

そこで狩られたくなかった兎は世間から逃げるしかない。狼に食べられてしまった赤ずきんにならないためにも白を維持する必要があったのが兎? 脱兎の勢いで獣グループから脱出することが生き延びる方法だということを兎はすでに知っていました。月を故郷にした兎の仕事は餅つきぐらいで、お金のためにアクセク働く必要はない。
月とスッポンで月を選んだ兎はコツコツが嫌いだったのかも。


    “遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん” (梁塵秘抄)


ウサギ年

                    

           今年の干支“卯”を考えてみました。

       快楽主義者のミダス王(ギリシア神話)はロバの耳。
         その秘密を知っているのは髪切りの床屋だけ。

      兎馬とも呼ばれるロバの耳は馬の耳ではなく兎の耳に近い。

             となると兎は快楽主義者?

     魔女狩りと同じように昔から兎は狩猟の対象にされていました。

           社会の慣例に従うと快楽は御法度!

              しかし今年はウサギ年。

     今年ぐらい快楽を求めるミダス王的生き方をしてみるのはどう?
            
         


キツネの口

              


全国規模に展開する神社群の中で全国ニ位の多さで各地に点在するのが八幡神社。
そのハチマンを抜いてトップの座(約二万社)を維持しているのが通称オイナリサンの“稲荷神社”。 イナリとは読みにくい“稲荷神社”は人々の間で習慣化し、いつの間にか稲荷はイナリとして定着しました。 通常は狛犬が神社の門番、しかし稲荷神社の門番は御存知キツネ。 時々 檻に入れられた門番狐に出会うことがあり、キツネがうろつかないよう厳重な警備が敷かれています。

 

稲荷神社の特徴は幾重にも重なるトンネル形式の朱色の鳥居。 上部と足元の部分が黒く全体的には赤い鳥居が重なり続ける独特の異空間に突入してしまえば詩の世界が待っている? 稲荷神社の主要な祭神は“ウカノミタマ”で、肉体を持たない神のような感じ。 古事記は“宇迦之御魂”日本書紀は“倉稲魂”と表し、スサノオノミコトと二番目の妻・神大市比売との間に誕生した子がウカノミタマ。 不自然なぐらいウカノミタマの物語はないのに、神社群の中では最も多く祀られているという事実。

          

日本書紀の一書に記されたウカノミタマは、両親(この場合はイザナギ&イザナミの神生み)が飢えていた時に誕生した子という風になっています。 光を遮断する鳥居の中の細道を突き進んでたどり着く場所は黄泉の国(母の国)のイメージ。 ウカノミタマの父スサノオノミコトも母が棲む黄泉国を自分の目的地に定めていました。

 

また稲荷神社に祀られているウカノミタマ神は“御食津(みけつ)神”とも呼ばれ、

ミケツ神を“三狐神”という漢字で表記することもありました。 関西では“キツネうどん”を“ケツネうどん”と呼ぶこともあり、狐を意味する古語“キツ”は“ケツ”と同じ意味だったと考えられます。 騙すイメージが先行するキツネが“御”という冠をかぶせられるとウカノミタマ(ミケツ)になる。 ウカノミタマ本来の姿はもしかしてキツネ?

 

稲荷神社の門番キツネが口にくわえているものが以前から気になっていました。

ほとんどのキツネは球体の玉と円筒形の筒(そうでない場合は鍵)を口にくわえています。 この一対のキツネが口にくわえた二つの物体に何の意味があるのか・・

そこで思い出したのは狐が口から吐くという狐火。

 

キツネが口にくわえているのは夜空を焦がす花火のようなものカナ。 夜空に花火を打ち上げる際の掛け声がタマヤ〜!とかカギヤ〜! 江戸時代の花火屋の店名が玉屋と鍵屋だったらしく、その名残りが現代にまで受け継がれてきました。 伝説の狐火とキツネが口にくわえているものと花火の関係は?

 

狐火とは怪火・鬼火・燐火などと呼ばれている火のことで“狐の提灯”という言葉もこの狐火を表現しています。 深い森で暗い夜道を照らすのが狐の提灯の役目。

行き場を失った旅人が狐火に出会って目的地まで辿り着くことができたという話もあり、人間を惑わす反面 迷子になった旅人の足元を照らすことができたのがキツネ。

     

実体が感じられなかったウカノミタマは人を騙し惑わす狐ではなく、生死の境をさ迷った人にだけ見ることができたキツネが放つ一瞬の花火のようなもの。 道案内が得意なカラスに対抗してキツネも火で道案内ができたのかも。 人間を騙すことが得意だったカラスやキツネは騙すだけの動物ではなかったはず。


しかし騙された方は怒りが爆発してこれまた火花が飛び散る可能性があり、騙し騙される関係はまさに火遊びでは済まない。 
キツネが嫁入りする時は相反する雨と太陽が混ざり合う時。 相反するものが憎しみ闘うのではなく、相反するものが一つになることを願ったキツネ族に属する人たちは赤と黒の鳥居に覆われた光が射さない細道を突き進んでいきました。 そこに一瞬の輝きを放つ火があるかもしれないから・・


底を見ず(水)に死ねない兎

             

 イソップ寓話に 『井戸の中の兎と狐』 という物語があり、以下のように話が展開します。

   ウサギは喉が渇いたのでキツネの庭にある井戸に出かけて行って水を飲みました。
             ウサギが思っていた以上に深かった井戸。
              そこで思いっきり喉を潤したウサギは
        深い井戸から脱出することができなくなってしまいました。
   そしてそこに居合わせたキツネは井戸の中のウサギを見下ろして言いました。
       「大失敗だな。 どうしたら井戸から上がれるかをまず考えて、
             それから下りて行くべきだったのに・・」

  先のことを余り考えない傾向のウサギが浸入したのは、何故かキツネの庭にあった穴。
                キツネの穴を 『狐塚』 とも言い、
     初めからウサギはその穴から出られなくてもいい覚悟で落ちていったのかも。

               日本のコトワザにこんなのがありました。
                  『兎死すれば狐これを悲しむ』

ワンダーランドは迷いの国

           

京都の “東山三十六峰” とは、京都府と滋賀県の境にそびえる比叡山(一番目)から南西方向に連なる多くの峰を表現していて 三十六峰という偶数で表されています。 京都盆地を守るようにして続く峰々の最終ポイント(三十六番目)に位置するのが “稲荷山”。 その山の麓に “伏見稲荷大社” があります。 日本の神社では八幡神社に次いで多いのが稲荷神社で、その総本宮が伏見稲荷大社(京都市伏見区深草藪之内町)です。

本殿の背後に続く朱色と黒色で配色された奇抜な色合いの千本鳥居と呼ばれる参道をくぐり抜けて到達するのは、稲荷山を拝することができるという場所で そこに置かれているのが“おもかる石”。 この石は五輪塔の一番上になる空輪と呼ばれているもので、丸いリンゴのようなカタチをしています。 五輪塔というのは供養塔などで見かけることがあると思うけれど、下から五段に形の異なる石を積み上げてそのテッペンにあるのが空輪(くうりん)。

この空輪を表しているのが “おもかる石”で、持ち上げて自分の想像より軽ければ願いが叶うということらしい。 見た目にはそれほど重そうには見えないおもかる石を 持ち上げる時に注意しなければいけないことは、くれぐれも見た目に惑わされず かなり重いと想像することが願いを叶える秘訣です。 モノゴトはすべてこの見た目に惑わされると失敗するので注意をして慎重に臨みましょう。
   
伏見稲荷大社の主祭神は “倉稲魂(うかのみたま)命” で、日本書紀の一書によるとイザナギノミコトとイザナミノミコトが 国生みを終えたあと飢えて気力のない時に生んだ子で、ウカノミタマという名で記されています。 国生みのためにエネルギーを使い果たし それでも最後の力をふりしぼってギリギリで生んだことが想像されます。 “うか(食)” とは人が生きていくうえで欠くことができない食べ物のこと・・それを司る神がこのようなギリギリを体験して生まれています。 飢えることがもう少し進めば餓死という悲惨な事態を招きます。 その寸前に食べ物を得ることができたなら、きっとその食べ物はその人にとって宝物のような存在になるはずです。

東山三十六峰の最終地点にある山が稲荷山と名付けられ、その山の麓に伏見稲荷大社が建てられました。 東山三十六峰は稲荷山を最後にして、それ以降連なる山はありません。 そんな最後の山に祀られた神が、食べ物を司る倉稲魂神でした。 飢えの寸前を知っているからこそ、人に食べ物を与えることができるチカラを身につけたのではないかと思います。

赤と黒の光を遮った鳥居を通り過ぎれば、そこはまるでワンダーランド! キツネに憑かれたようにサマヨイビトになってしまいます。 稲荷山の内部は異様な塚が峰々に出現して、耳に響いてくるのは水が流れ落ちる音・・キツネや朱の鳥居を遥かに超越して死の世界に突入してしまった気分になります。 恐怖の死の世界ではなく あらゆるものがイッショクタになって山中に整然(?)と鎮座するという奇妙な世界を目にします。

不気味なのに山(四つ辻と名付けられた場所)からの眺望や、風が通る心地よさで気持ちがイイという この世とは一線を画した世界が稲荷山の内部に展開しています。 また稲荷山の土を練って作られた土人形(伏見人形)は土偶のイメージを変え、色つきで素朴な味わいが魅力的です。

“狐の嫁入り” というのは天気が定まらず晴れているのに雨が降っている天気のことを言います。 人の精神的迷いもこれに似ていてイイと思いながら疑ったり・・イヤと感じつつも好きだったり 人の心は複雑でいつも狐の嫁入り気分であるのかもしれません。

ウカウカしていたらキツネにだまされてしまう世の中で、何とか信じることができるものに出会いたい一心で 稲荷信仰が始まったように思います。 稲荷山の内部に展開するワンダーランドは真実を求めようとした人たちの熱気が創り上げたもので、迷いながらも生きることを選択した熱い想いが伝わってくる世界です。

サラサラ花粉にまみれたウサギ



蒲は淡水の湿地に生えていて高さは2メートルぐらいにまで成長します。 褐色の花穂を支える茎がピィーンと真っ直ぐに伸びています。 花穂は小さい花をびっしりツメツメにつける雌花と雄花が集まったもの! 見方によればソーセージに似た感じで花の認識を改めさせられるのが“ガマの花” ソーセージ風の花穂の上半分は細く雄花が集まっていて その下にくっついて雌花が集まっています。 一本の茎にソーセージ型の花穂を雄花と雌花が上下になって構成しているという かなり特殊で花とは思えないような花が茎の上にのっかかっているのが蒲。 花とは花びらがあって 風に吹かれてヒラヒラ揺れるものと信じていたけれど 蒲の花はソーセージ型なので揺れる雰囲気はなさそう・・ヒラヒラがないので揺れることがない蒲の花粉を敷きつめて その黄色い花粉の上でゴロゴロしていたら治るというアドバイスを受けたのが因幡のヌード・ウサギ!

ウサギの目は何故か泣きはらした後のように赤い目をしています。 また“瞬きをしない”とも言われていて この世に誕生してから目を閉じたことがない(眠ったことがない)ので 充血した目になってしまったのがウサギ? 眠れないことが原因の赤い目をしたウサギには何か不安があったのかもしれません。 またヌードにされてしまうこともウサギの赤目と関係しているような・・そのウサギの不安を解決したのが黄色い蒲の花粉でした。

八十神たちはウサギのことを知らずにピントがずれたアドバイスをしました。 海水でカラダを洗って山の上で風に吹かれていたら傷は治ると・・しかし ウサギの傷は回復するどころかますます悪化していきました。 相手のことをよく知らずに接すると 人間関係の悪化にもつながるので用心しましょう。 そして今度はウサギのことをよく知る大国主神がアドバイスしたのが次のようなこと。 海水ではなく真水でカラタを洗って 河口に生えている雄花が大量に出すサラサラパウダーの蒲の花粉を敷いてその上で寝転がっていれば治る。 こうして八十神と大国主神の違いはウサギによって判明しました。
     
余談ですが、“ガマの油売り”というコトバを知っていますか? この“ガマ”というのはガマガエルのことではなく植物のガマのこと。 いずれにしても眠らないウサギを安心させ、眠らせることを可能にしたのは蒲の花粉パワーと 大国主神がウサギのことをよく知っていたことによって 正しい判断がなされたからでした。

狐の嫁入り能力



“呪い”を何と読みますか? ほとんどの人は素早く“ノロイ”と読みますが“マジナイ”とも読みます。漢字だけで書かれている時 トロトロしたりマジに考えすぎても答えは出てきません。 幼い頃ケガをしてお母さんからその傷口を撫でてさすってもらいながらこんな言葉を聞きました。「チチンプイプイ イタイノイタイノトンデケー!」 これはマジナイ言葉ですね。 このようにマジナイには愛情が感じられます。

恋しくば 尋ね来て見よ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉
お母さんから息子に宛てた“葛の葉伝説”の物語に含まれる歌です。 森の中で狩人に追われていた白狐を助けたのが安部保名(あべのやすな)。 そのお礼にと女に化けて保名を介抱したのが“葛の葉”という名前の女性でした。 親身に介抱しているうちに恋心が芽生え二人は結婚し童子丸という子を授かりました。 しかしその5年後、息子の童子丸は自分の母親が白狐であることを見破ってしまいます。 見破られた葛の葉が自分の故郷“信太の森(しのだのもり)”に帰っていく時に詠んだのがこの歌! “童子丸”は成長してマジナイ師になった安部晴明の幼名です。

この話から考えられることは、安部晴明が5歳にして母の正体を知ったことは もうすでにその頃から未然にモノゴトを察知できる陰陽師的特殊能力が備わっていたということでしょう。 当然その血筋は母親の白狐が影響しているものと考えられます。
 
明るく日が照っているにもかかわらず雨が降っている天気のことを“狐の嫁入り”と表現しました。 陽射しの中で輝くように降る雨は暖かい光を受けて霧のようにヤワラカです。 太陽と雨は仲が悪いはずなのに、互いに絡まりあって創りだす自然現象はとても神秘的です。 母の葛の葉と子の安部晴明が一緒に生活できたのはわずか5年間・・それも子の記憶に残る期間は“ほんの少しの時”です。

狐の嫁入りで葛の葉は社会に大きな影響を与えることになるマジナイ師をこの世に生み出し 狐の嫁入りのようにほんのわずかな期間でいなくなってしまいました。 一人残された晴明が寂しさのあまり母を呪うのか、母から授かった呪い能力を伸ばしていくのか・・
これは歴史がチャント教えてくれました。     

兎の足のお守りを持っていると幸せになれる


兎の足はビッコだな耳切ってつなご だまして切ろか 縛って切ろか
大正中期から昭和にかけて活躍した作詞家で主に童謡が多く知られている野口雨情作詞の“兎の耳”の一部です。 他に有名なものとしてはシャボン玉・証城寺の狸囃子など耳慣れた多くの童謡があります。 しかし現在では何とか用語にひっかかって歌われることは
なくなりました。 兎の足を追跡するうえで確認しておきたいことは、兎の前足と後ろ足の長さが異なる。 一語で言うとカタチンバ(またしても・・)でも兎の足の場合は左右ではなく前後です。

ここでやはり思い出してほしいのが“因幡の素兎” この兎 もともとは因幡の地のウサギだったけれど 洪水で流され隠岐の島(具体性のない沖ノ島とも)に漂着してしまい、何とか自分の故郷に帰りたい一心で例の有名なワニザメの背中を渡るという話につながります。 くれぐれも白ウサギではなく“素ウサギ”! 素人の素 玄人の反対ってこと。
ワニザメの背中を渡りきる直前に嘘をついていたことがバレてしまい ワニグループに毛を抜かれスッピン・ツルツル・毛ナシにされてしまいました。 そういう理由で素ウサギはヌードのウサギ。

ところでウサギがワニザメの背を渡る素地はすでにウサギ自身にあったように思われます。 前足と後ろ足の長さの違いにより跳ねると丁度波のように上下に揺れ コトワザにもあるように“兎波を渡る”にふさわしいシーンが頭に描かれます。 紋様などでも波しぶきの上を跳ねるウサギが描かれています。 むしろ平坦な道を走るより 坂道を駆けたり波を渡る方が兎の足の特性上ラクだったかもしれないですネ。 

短い前足は穴を掘るのに使われ、長い後ろ足は“蹴り”に使われます。 どんなにキツゥーイ魔球が飛んできてもこの蹴りでケリをつける・・一件落着の世界をツクルことができるのが“兎の足” 右後ろ足を軸足として左後ろ足で蹴り上げる・・とても美しい世界です。 こういう理由で『ウサギの足のお守りを持っていると幸せになれる』と信じられています。 幸せの秘訣はケルこと? 何を?

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