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  • 2017.10.26 Thursday
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ビッグ・リボウスキ

          

親からもらった名前はジェフ・リボウスキ。しかし当の本人はこの本名を使わず自称デュード(カッコいい男)で世間を渡っていました。外見は完璧な無精者で、デュード的雰囲気は100%ない。米国西海岸(天使の町という風に設定されている)に住んでいた彼を紹介するのが映画の進行役となるストレンジャー(ひと癖ある人物)で、物語の最後を締めくくるのもこのストレンジャー。仕事もせずボーリング大会で優勝することだけを考えているプータローことデュードが同姓同名の大富豪に間違われたことで巻き込まれていくハードボイルド的ユーモア映画。

 
登場人物はみんな癖のある人物ばかりで、一番まともなのがデュードかも。彼の友人ウォルターはベトナム戦争体験者。ことあるたびに持ち出すのがベトナム戦争で死んだ仲間のことで、気に食わないことがあると拳銃をぶっ放す要注意人物。もう一人のボーリング仲間が人の話をキチンと聞かず話の途中に割り込む間抜けドニー。世間に多い仕事や金が絡む男同士の駆け引きはなく、能天気な三人組。彼らに対抗して試合を挑むのがジーザスという名前のゲイ。まさに変人ばかりで構成されているのがボーリング好きの転がる男連中で、そんな転げ回る男たちの話をしてくれるのが突如ボーリング場に出現する正体不明のカウボーイ・オジサン。

                 

話の発端はデュードが部屋のアクセントにしていた敷物を侵入者によって汚されたこと。もう一人のリボウスキと勘違いされたデュードは同姓同名ゆえの被害をこうむることになります。彼の部屋の唯一のこだわりが尻に敷く敷物。ウォルターの入れ知恵で敷物を弁償してもらうためデュードが訪れたのが金持ちリボウスキ。名前は同じでもタイプが違う二人のズレた会話は笑える。デュードに対して社会の落ちこぼれと激しく罵るリボウスキ氏・・しかしデュードは口うるさい相手を無視して売られた喧嘩を買おうとはしない。そんな彼の態度(代わりの敷物を屋敷からゲットするだけ)はビッグだと思う。外見(すね毛ボーボーの短パンにヨレヨレシャツ)はカッコ悪いけれど、脳の中身は飛んでる感じ。

 
世知辛い世間の常識はイイ学校に入学してイイ会社に就職しなければならず、そんな常識道から完全に踏み外しているのがデュードとウォルター。それでも食えるぐらいの金があったのか、ボーリングだけに興じる日々が一転する事件発生。その事件とは金目当てのリボウスキの妻(娘ぐらいの年齢)の誘拐事件で、犯人と接触して妻を取り戻すよう依頼されたのがデュード。金が絡むと事件が発生しやすくなるのが人間社会。敷物の弁償レベルから話は一気にハードボイルドの様相を呈し、さらに複雑化させていくのがリボウスキの娘で前衛芸術家モードの登場。

         

冒頭で語られたシブイ声の雰囲気はどこかに消え失せ、後半ではふざけ要素が多くなっていきます。他のコーエン兄弟作品は観てもこの映画だけは好きになれないという人がいるかもしれないけれど、登場人物の個性という点では魅力的な映画。普通の人や一般常識が入り込めない身勝手な空気が全編に漂い、現実と夢が混沌としながらも成立しているような感じ。特に頭を殴られたデュードがボーリングの玉になって転がっていくシーンが面白い。

            
印象的だったのが入浴中のデュード。バスタブのそばに置かれていたのが、いくつかの蝋燭(多分香り付き)で、カッコ悪かったデュードが一気におしゃれなデュードになったのがこの瞬間でした。スーパーでも匂いを嗅ぐ癖があったみたいで、敷物と香りにうるさいのがデュードかな。ファッションはイマイチだけれど優しそうな性格が好き。無職で貧乏そうだけれど、金銭トラブルだけは引き起こさないのがデュード。彼のそばにはいつもストレンジャーがついているのでヤヤコシイ事態が発生する可能性は少ないはず、もてそうでやはりモテル男がカッコイイ男。


* 監督・製作・脚本 ジョエル&イーサン・コーエン * 
1998年(米)作品

* 出演 ジェフ・ブリッジス  ジョン・グッドマン   ジュリアン・ムーア


★ ストライクゾーンに入るボールはまず真っ直ぐに進みながら、その少し手前で曲がります。
          
YouTube - The Big Lebowski The Dudes Song


ノーカントリー

     

後ろ髪だけでは男か女か区別がつかないマッシュルームヘアーの殺人鬼アントン・シガーが思いっきり怖いっ! 拳銃を使わないシガーが殺人に際し使用するのは肺気腫患者が使う酸素ボンベとホース。ボンベから注入された高圧力の空気が頑丈なドアや人間の眉間をぶち抜くサマは想像を絶するぐらいコワイ〜。しかし殺しの映画スタイルとしてはカッコ悪いかも。自分の目の前にポカンと立っているシガーが何をしようとしているのか相手も理解できないまま、一瞬で殺されてしまうこの状況はどう考えても理解しがたい。

 
その辺の凡人が理解しようがしなかろうか、そんなことはどうでもいいのがアントン・シガー。彼は感情のない機械のような殺人方法でたまたま出会った人たちを殺し続けます。それも持ち運びに不便な酸素ボンベを使っての殺人は拳銃のように音が響かず、不気味な静けさの中で確実に人が死んでいきます。顔に表情がないシガーの冷酷無比な殺し方は人間の域を超えた別世界の住人のような感じ。そんな理解できない犯罪が多発するテキサス州の保安官ベルは何もできない自分に苛立ち意味もなく人が殺される暴力社会に憂いを抱いていますが、現実には何もできていません。

 
原題は“老人たちが住めるような国はどこにもない”というような意味の『No Country For Old Men』。映画の冒頭で語られるのが初老の保安官ベルの犯罪に対する嘆き。最近の犯罪は理解できないと言う彼は祖父も父も保安官という仕事を全うした家庭に生まれた三代目。この仕事をするには死ぬ覚悟が必要と考えるベルだけれど、無茶をしてまで理解できない犯罪に触れたくないというのが彼の本音。どっちつかずの彼は結局何もできず、その後たくさんの人が意味もない(シガーには意味があった?)殺人に巻き込まれていきます。

                
 


偶然出くわした殺人現場で大金を横領した男モスとそのモスを追いかける殺人鬼シガーの追跡劇が中心になっています。
どちらも諦めないタイプの男で、互いに撃たれて血が流れても逃走と追跡は続きます。国境を超えメキシコに逃れたモスは病院で手当てを受けていたのに対して、シガーは救急車も呼ばず(殺人鬼だから当然?)自分流で自分に施す手当てで自分を再生させています。この手当てシーンがこれまた怖くて痛そう。殺人場面より痛くて怖いのが盗んだ薬や注射で施したオリジナル手当て。
社会と接点を持ちたくない異様さと同時に他人に一切頼らず自分で自分の傷を治す手段を身に付けていたのがシガー?

 
緊迫が続く内容だけにコーエン兄弟が得意とする微妙なおかしみが光っている作品。
額の真ん中を撃たれたのに弾が貫通した跡がないという事実に面食らうベルと若い保安官との会話。 「撃った男の頭から弾をほじり出したのか?」と言うベルに対して「想像したくない」と言う若い保安官。表情が曇る二人は想像できない事実に対峙したまま理解の枠を超えて起こる殺人に戸惑うだけ。まさか武器が酸素ボンベと思うはずもなく、弾がない死体に悩むベルの表情がおかしかった。

 
さらに別の事件でこんなのもあったと言うベル。老人に部屋を貸し、その老人を殺して死体を埋め年金を奪っていた犯人が逮捕されたキッカケは犬の首輪をされていた老人が逃げ出したことだったという新聞記事の内容。死体が埋められても事件が発覚しなかった事実をどのように受け止めればいいのか・・若い頃から節約し老後を考え貯めてきた年金をこんな形で奪われ殺されてしまう老人たちの居場所はない。映画の舞台になったテキサス州だけに限ったことではないように感じます。


       


追う者と追われる者の勝負に決着がついても安心を手にすることができない社会を憂うベル。
一方生き延びたシガーが訪れたのがモスの妻。コイン投げで生かすか殺すかを決めてきたシガーは彼女に表が出るか裏が出るかを当てさせようとします。
「それを決めるのはあなたよ」という彼女の言葉にシガーはどう反応したのか・・

映像では表現されないまま家から出て来たシガーの乗った車は交差点で真横(右)から飛び出してきた車と衝突。骨が見える腕から血を流すシガーを心配そうに見つめる二人の少年。少年の一人からシャツを譲ってもらったシガーはそのシャツで腕を支え逃走。モスも自分の傷を隠すため三人の若者から上着を高い値段で買ってました。

 
逃走劇を繰り広げたモスとシガーは似たような状況を体験していますが、根本的に何か違うような感じ。どちらも諦めの悪い(執念深い)男という点では共通していますが、お金に執着していないのがシガーかな。一方 仕事に自信を失くし退職を考えているのがベル。退職したところで何の変化もないことは自覚しているものの、自分を悩ます事件についていけない焦りも感じます。原題が示すようにオールド・メンにとっては住みにくい場所がこの世? 安心とはかけ離れた世界を形成するこの世はルールを尊重する人たちとルールを無視する人たちの激しい攻防戦の場なのかも。


* 監督・脚本 ジョエル&イーサン・コーエン   * 2007年(米)作品

* 出演 トミー・リー・ジョーンズ ハビエル・バルデム ジョシュ・ブローリン


★ マッシュルームヘアーにはしたくない!      

                
     
YouTube - No Country for Old Men - AWESOME Trailer!!!!


レディ・キラーズ

          

ミシシッピ川の河口に浮かぶゴミ捨て島に向かうゴミ収集船に投げ捨てられる盗人たちの映画。オープニングで映し出される橋の下を通るゴミ収集船を真上から眺める映像がその後何度も象徴的に繰り返されます。多くのゴミを積んだ船を上から監視しているような雰囲気のカラスも重要な役割を果たしているような・・そしてもう一匹、黒人婆ちゃんマンソンが飼っていた猫(ピクルス)も盗人たちの行動を直視していました。さらにこの世にはいないはずのマンソンの旦那さん(オーサー)の肖像画も悪巧み行為の一部始終をチェック! 毎週教会に行く習慣のマンソン婆は猫と死んだ旦那に守られていたように思います。

        
主人公は自ら教授と名乗る胡散臭い男で、トム・ハンクスの怪演が光っています。
何かと御託を並べる教授の裏の顔はカジノ船とつながっている地下金庫から金を強奪する計画のバラバラ盗人集団のリーダー。口がうまい教授は知的紳士を装いルネサンス後期の音楽を追求する音楽家だと言いながら、実際は音楽よりエドガー・アラン・ポーの詩を好んでいます。さすらい人を受け入れ故郷の岸辺まで運んでくれた詩の中の愛しいヘレンに憧れているドア教授はこの詩だけを記憶しているロマンチスト。
「ヘレンって誰よ!」というマンソンの問いかけに答えず自分だけの世界で酒も飲まずに酔っている教授はやはり胡散臭い。

                       

彼はマンソン宅の地下室をアンサンブル練習場所として間借りし、そこから穴を掘って地下金庫に眠る金を奪う計画を立てていました。そしてそこに集結したのが能力も背景も異なる4人の男たち。それぞれ癖がある男集団を率いる教授が初めてマンソン宅を訪れた際、初対面だったピクルスは教授の真実を早くから見抜き木の上に登って近付く教授を威嚇。その後もこのピクルスくん・・飼い主のマンソン婆が危険にさらされた時も大活躍します。

 
マンソン邸からカジノ船が管理する地下金庫への掘削工事は順調に進み目的の金を横領するのは意外に簡単でした。しかしその侵入経路を爆破する辺りからマンソン婆が胡散臭い彼らに気付き教授に説明を求めますが、口がうまい彼は適当な嘘でマンソン婆を翻弄。そして翻弄されかけた時にオーサーの肖像画を見つめるマンソン婆は突如シャキッとして教授に向き合います。若い頃から神への信仰心が篤かったマンソン婆は彼らの更生を願い教会に行くよう勧めるのですが盗賊たちは完全拒否! そして彼らの歯車が狂い始め一人また一人そして誰もいなくなったという物語が展開します。


             

後半の一人ずつ消えていく構成がオモシロク、リズミカルに手際よくゴミになってゴミ収集船に投げ捨てられていく5人の盗人。それらを傍でジッと眺めていたのが賢いピクルスくん。特に最後のシーンで地下室に残されていた切り取られた指をキチンとゴミ船まで運ぶピクルスには笑える。殺されそうな状態にあったマンソン婆を結果的に助けたのは神の息がかかったピクルスと死んだ旦那オーサー。特に教授が橋から落ちるキッカケを作ったのが橋の上でウロウロしながらゴミを狙っていたカラス。カラスの尽力もありマンソン邸の地下室に残された大金はマンソン婆のものに・・

 
コーエン兄弟が描く間の笑いが軽妙で好きな映画の一つです。タイトルのレディ・キラーズとは女たらしという意味ですが、この映画に女たらし的な人物がいたっけ。
マンソン婆を上手に騙したつもりで結局は失敗した教授が女たらしに一番近いカナ。
あるいは完全犯罪に待ったをかけたマンソン婆を消そうとする男たちがマンソン婆を消さずに自分たちが消えた映画ということで女性的傾向にある男集団がレディ・キラーズ? 教授が掲載した新聞広告で集まったレディ・キラーズは一人残らずゴミの島に向かうゴミ収集船に落ちて消えました。


* 監督・脚本 ジョエル&イーサン・コーエン    * 2004年(米)作品

* 出演 トム・ハンクス   イルマ・P・ホール


★ 迫力ある黒人たちの教会サウンドはヨカッタ!

 

          YouTube - ladykillers "2 pezzo gospel" 


ディボース・ショウ

         

それぞれの思惑が渦巻く婚前交渉後 仕方なく結婚して離婚に至るケースが多い近年の男と女。 そんな危険回避のため、離婚を前提に婚前協約(Pre-Nuptial Agreement)を結んで 安全を確保しようとする女性を扱った映画です。 大金持ちが住むビバリーヒルズを舞台に離婚訴訟専門の弁護士マイルズ・マッシーが引き受けた弁護が、女遊びが好きでケチな大金持ちのレックス・レックスロスの離婚問題。

レックスは浮気現場をビデオに撮られていたにも関わらずビタ一文 妻マリリンに渡さず妻を追い出す計画をしていました。 片や妻のほうも金持ちとの離婚を繰り返して自分の財産を増やそうと意図的に計画していた女性。 どっちもどっちの策略結婚ショウの幕が開きます。 

夫の味方をしながら妻のマリリンにも惹かれていたマッシーは歯の矯正に命をかける辣腕弁護士。愛情より金と名誉を重んじる鼻持ちならないヤツで、そんな彼の化けの皮を剥ごうとするのがマリリン。 二人とも見えるお金に執着するということではピッタリ一致していた二人。
  
原題は 『 Intolerable Cruelty 』 で、“耐えられない非情さ” というような意味になります。 勝つだけではなく、相手をぶちのめすまでの非情さがこの映画の主題。 映画を観ると結婚などしたくなくなってしまうので、異性にふられて心寂しくなっている人なら 結婚失望を完成するチャンスになるかも。

             

この世での結婚生活に愛やロマンを決して求めてはいけないというクールさが示されています。  結婚とはある意味バトルのようなもので、食うか食われるかが試される度胸ゲームのようなもの。 コーエン兄弟が仕掛けたゲーム感覚のドタバタ喜劇は、この世を生きることも喜劇(ショウ)のようなものだというメッセージが伝わってくるように感じます。

トコトン激しいバトルを体験したマッシーとマリリンは、最後に初めて出会った場所で結ばれます。 しかしこの映画を観て、どこまで二人が本気になっているのかどうか信じられないような気分! また騙し合いが始まるのではないかという疑念でイッパイになります。 男と女に限らず、騙し合いの世の中で信じることができるのは自分だけ。 自分の知能と体力と美を磨き続けることがきっと生きるコツ!

            

離婚を繰り返して自由を手にしてきたマリリン。 この先も男を振り回して莫大な財産と自由を自分のものにするためのバトルが繰り広げられそう・・ 彼女の対象者になった男マッシーは、以前に比べてかなりマシな男になっていたように思います。 金や地位よりも大切なものがあると少しは理解してマシになったマッシー。 でも時間が経てばコロッと変化するのも人間なので、クールさを常に持ち合わせておくことは必要だと思います。

冒頭場面で流れていた “ボクサー” という曲が象徴しているように最後の最後(クレジット・タイトル)で再び流れたボクサー。 コーエン兄弟が耐えられない非情さという映画に託した心情は、ボクサーがリングで体験する耐えられない想いだったのではないか・・ 四角いリングで闘う孤独な二人のボクサーは、考え方によっては互いに化けの皮を剥ごうとする夫婦のようなもの。 誰をも寄せ付けないハート型の金網リングで闘い続けた二人の行き先は?

* 監督・脚本・製作 ジョエル&イーサン・コーエン     * 2003年 作品
* 出演 ジョージ・クルーニー     キャサリン・ゼタ=ジョーンズ  

指輪 婚前協約のような紙切れを破棄してでも結婚したいと思わせる男に出会うため、金網のリングで闘いを挑む女の物語?

バートン・フィンク

映画のタイトルは主人公の名前・・時代は1941年アメリカという設定で、その年の暮れぐらいからジワジワと日本との戦争色が濃くなっていました。 バートン・フィンクはニューヨークで成功をおさめた
純文学を主体とする庶民演劇の脚本家。 第二弾として要請された題材は、 “レスリング” で、黒いタイツをはいた男二人がぶつかり合うという単純で分かりにくいテーマでした。 「シーンは必要ないがストーリーは書かなくてはいけない」というフィンク。

今 彼が滞在している所はアール(earle)ホテルの621号室。 壁紙が剥がれてしまうような薄汚い部屋で、飛び回る蚊に刺されて彼は悩まされています。 こんな部屋でストーリーをひねり出す作業は、まさに産みの苦しみ? 壁紙が剥がれてくる描写で、いかにこの部屋が湿っぽく鬱陶しいかが分かります。

息苦しい部屋に閉じ込められて、脚本の執筆活動は誰だってできるワケがないよ! 切羽詰まるような圧迫感で神経がイカレそうになりながらも、唯一彼を正常に保つ方向に導いていたのが隣室(623号室)の男。 フィンクに語った自己紹介は、平穏という保険の勧誘をしていたチャーリー・メドウス。 しかし刑事に追われていた彼の実際の姿は、殺人鬼のムント。

バートン・フィンクとチャーリー・メドウスはこのホテルで出会います。 フィンクが本を書くためこのホテルにこもって滞在していたときに出会ったのがチャーリーで、彼の分身的存在として描かれているように思います。 また「自分のことを分かってくれるのは君だけだ。」と言うバートンはチャーリーを抱きしめます。 どちらも孤独の日々を過ごしてきた二人で、社会にウマク馴染めないでいました。 そんなある日、著名な作家の秘書を務めていたオードリーという女性の他殺死体がフィンクのそばに・・

  うろたえてヤッテイナイとわめいているだけのフィンクは、
  チャーリーによって目覚めさせられます。
  “精神の生命を見せてやる” と言いながら、
  真っすぐに続くホテルの廊下を走りながら刑事を撃つチャーリー。
  周りは炎に包まれ チャーリーはその火の中に
  カラダをうずめました。
  波が大きな岩にぶつかり打ち砕ける映像。 

初めの方にもこれと同じ映像が描かれていました。 岩と波は何も変わらず同じようにぶつかって打ち砕けていますが、ひとつ変わったことがありました。 波が岩に打ち砕けるだけの誰もいなかった浜辺を、最後はバートン・フィンクが背広姿で歩いています。 すると向こうの方からコチラに歩いてくる一人の女性。

彼が机に向かって台本を書いていたあのホテルの部屋でいつも見ていた写真の中の女性に似た感じ・・ 写真の女性は後姿しかなかったけれど、フィンクは現実なのか夢なのか初めて彼女の顔を見ました。 重苦しい部屋の中で見ていた彼女が今 自分の前にいて、写真と同じような水着姿で海を眺める彼女を、後ろから見ているバートン・フィンクの姿がありました。
        
       チャーリーに託されていた箱を見て彼女は尋ねます。 「箱の中身は?」
             「分からない。」 とただ一言答えたフィンク。
世間からは殺人鬼のように見られていたチャーリーの人生が、カラッポの箱に詰まっていたのかもしれない。 あの鬱陶しいホテルで書き上げた原稿のタイトルは “大男”。 フィンクが自分の内面にいた、デブで変人のチャーリーを思い浮かべて書いた物語だったように思います。

* 監督・製作・脚本 ジョエル&イーサン・コーエン     * 1991年 作品
* 出演 ジョン・タトゥーロ   ジョン・グッドマン   ジュディ・デイヴィス 

爆弾 フィンクが、自分自身も気付いていなかったチャーリーの存在を自分の中に確認したのは鬱陶しいジメジメした部屋でした。

ミラーズ・クロッシング

日本人移民も含めた多くの移民が住む
アメリカ合衆国は、自由を求めて入国した
異なる民族で構成されています。
この映画は1920年代後半から30年代初頭にかけて
世界に連鎖した大恐慌で、人々が苦しんでいた
時代が背景になっています。
米国内部でも民族的対立が激しくなっていた頃の
闇社会が引き起こした争いをベースに
損得勘定で動く人間の汚さや孤独があぶり出されているように感じます。

「考えるのはイヤでね」 と言うのは暗黒街のボスで
名前はレオ。 彼はアイルランド系アメリカ人で、イタリア系アメリカ人のキャスパーと対立していました。 
ギャンブルで八百長を仕掛けているのに稼ぎが少ないキャスパーは、自分が仕組んだ八百長情報を横流しするバーニーに苛立ち バーニーを消すことをレオに求めました。

互いに闇社会を生き抜くためには、八百長を抜きにしては考えられないのが暗黒街のボス。 キャスパーにとって致命傷になりかねないバーニーは、暗黒街全体の裏切り者でした。
映画の冒頭でキャスパーはこんなことを口にしていました。 「八百長が通じないギャンブルがまかり通る今の闇社会は倫理感に欠けている!」  (エッ!)

不確かなチャンスに賭けるようなことは絶対しないキャスパーが、対立していたレオのところに来て その倫理感に欠けた社会を構成している一員と考えられるバーニーが裏切ったとわめき散らしていました。 その後キャスパーは裏切り者が余程キライらしく、自分の損得を考えず自分を裏切った者を消しました。 しかしイタリアの血を引くキャスパーが我が子に接するときの姿勢は、好感が持ててオモシロカッタ! 外見はカッコ悪いけれど、内面は熱い血が流れているようで興味深いタイプ。

そんな友情と人物と倫理を好むキャスパーを裏切ったバーニーの姉がヴァーナで、彼女は弟を護るためにレオの愛人になっていました。 こうして人は微妙に損得を考えながら生きてきました。 打算的に考えるということは決して悪いことではなく、生きていくためには計算が必要です。 こんな状況で計算を余りしないのが、バーニーとトム。
 
考えるのが嫌いなレオに対して 「よく考えたほうがいい」 と言っていたのがトム。 考えるのは好きだけれど計算は好きではなさそう・・ レオというボスを支えてきたトムは、レオの恋人だと分かってヴァーナに手を出すやりにくい男。
           ギャンブル好きで酒好きで女好きな男がトム。
「自分以外に味方はない」 と言うトムは、人や状況を厳しく正しく見つめる目を持っています。  自分の損得より公平な目線でモノゴトを判断できるタイプ!
              それ故 孤独でどこか寂しそう・・

   タイトルの “ミラーズ・クロッシング” というのは、
   オープニングで山高帽が風に吹かれて転がる
     十字路の森の名前のことらしい・・ 
    この森で多くの殺人が行われてきたようで、
  トムがバーニーを殺すように仕向けられたのもココでした。 
     バーニーのみっともない懇願によって
       トムはバーニーを逃がしました。 
     その事実がばれて殺される寸前に助かったのは、
バーニーが殺した別の死体がその十字路にあったから・・ 
                      この二人・・何か不思議な関係です。
             
レオにもキャスパーにも肩入れせず、自分ひとりで生きていこうとするトムの姿勢は 格好よすぎて観ていて痛いッ! 時代は暗黒街にふさわしい暗い時にもかかわらず、帽子を含めたファッションそして部屋の豪華なインテリアやクルマなど その時代が創り上げた美しさが目を引きます。

そのなかで変に気になったのは、トムの部屋に入るときドアから座る椅子までの距離がかなりあること。 部屋が広いと言えばそうだけれど、意図的な空間が創り出されているように感じました。 登場人物全員が頭のテッペン(帽子)から足元までキチッとした身だしなみのファッションで、現在のフリー・スタイルではない統制された美しさがヨカッタ!
         
      「人は計画ずくめじゃない」 とトム。  「俺はそうさ」 とレオ。
     自分のことより周りの人のことを考えて行動するトムは、損してばかり・・
まるで計画性がなく、その時々で考えて行動するトムの生き方はチャランポランだけれどカッコイイ。 先行きどうなるかを考えずに公平に判断する彼のこれからを応援したい!

* 監督・製作・脚本 ジョエル&イーサン・コーエン     * 1990年 作品
* 出演 ガブリエル・バーン   アルバート・フィニー  ジョン・タトゥーロ  ジョン・ポリト

ぴかぴか 自分の帽子を追いかけることはしなかったと言っていたトムは、ひそかに自分だけの帽子を追いかけているんじゃないかな。

ファーゴ


微かにライトが確認できる薄暗い雪道をコチラに向けて走ってくる車がオープニングです。 車が雪道を走る時はスリップするので、注意して運転をしなければいけません。
            
借金を抱えて困っていたジェリーはその返済のため妻の偽装誘拐を企て、結果として家族を失いその他にも死者を出してしまいます。 
人と関わったときに起こるズレの恐怖を観る側は強く感じます。
      
実話をもとに創られたというコーエン監督の
趣旨とは異なり、実際にはこの地域(米国北部)でこのような事件は起こっていないということです。

しかし創った主が言う限りコレは実話。 観る側の頭のスィッチを切り替えると“創られた実話”がこの映画。

お金さえ手にすればよかったはずのジェリーが計画した偽装誘拐が発端になって、それに関わった何人かの人が殺され 事態は悪化の方向へ突き進んでいきます。

一方犯罪に関わった人たちと対照的に描かれているのが、事件を追う女性警察官。
彼女には新たな生命が宿っています。 そんな大きなお腹を抱えながら事件をバシッと解決しました。 晴れた空を見上げて「こんないい日なのに・・」という彼女の言葉は犯罪者に届くのでしょうか。

緻密に作意を持って創られた実話は、現実の社会のほんの一片のデキゴトでホントはもっとひどい実話が毎日起こっています。 同じ穴のムジナになって殺したり殺されたりすることのないよう、足の裏をいつもピカピカにしておくことが必要!

ピカピカの足の裏なら変な穴に引きずり込まれることはないはずだから・・

* 監督 製作 脚本  ジョエル&イーサン・コーエン    * 1996年 作品
* 出演 フランシス・マクドーマンド   スティーブ・ブシュミ

銃 犯人を追う女性警察官は普通の状態ではなく、身重(御母)だったので事件が解決できたのではないかと思っているのですが・・

バーバー

髪型によって人はかなり雰囲気が変わってしまいます。 男と女の性にまで影響を及ぼすこともあり、それくらい髪型で 他人は勝手なイメージを抱いてしまいがち! 
幼児にパパとママの絵を描いてもらうと ママはふさふさ髪でパパは毛なしのことが多いので、幼児の目にはそのように映っているのでしょう。
     
この映画の主人公エドは、そういう髪型のイメージ作りが仕事の髪切り屋・・英語でバーバー  髪の毛は切らないと伸びっぱなしになり不潔です。 だから この世に
この仕事は必要不可欠。 

しかしひょんなことからドライクリーニングの仕事に関わってお金儲けをしてみようと魔が差したあたりから エドがエドらしくなるのか、あるいはその逆でドンドン自分から離れてしまっているのか はっきりしないまま、次々に事件や思いもよらないデキゴトが動き始めます。

通常 日常というのはそれほど何も起こらない あるいは起こさないものだけれど、“生きる実感”という極めて不安定なものを求め出すと その毎日に緊張が加わり エドのようにワケが分からないまま 他人の渦に巻き込まれてしまいます。

原題は<The man who wasn’t there> そこには居なかった人という意味で これはエドを表現していると思います。 ではエドの代わりにいたのは誰なのか? それは画面を通して観ている私たちが そのキャラを創り出さなくてはいけません。
魔が差すアクマなのか 見たこともないカミなのか エドに似た別人なのか。

そんなウネリの渦に巻き込まれたエドは何も言わない一方で、世の中の人(警察 弁護士など)は 自分に都合のいいストーリーを組み立てて進んでいく不条理な社会が淡々と描かれていきます。 そういう視点で観ると、自分の都合だけで動く人を相手にしないで 事実とは異なる罪にもかかわらず 刑をスンナリ受け入れたエドは、やはりこの世の人ではないのかもしれないですね。
映画のなかのエドは常にタバコをふかしているだけで、人と争うことは一度もなかった人物でした。

* 監督  脚本  製作  ジョエル&イーサン・コーエン  * 2001年 作品
* 出演 ビリー・ボブ・ソーントン    スカーレット・ヨハンソン

ハサミ ドライクリーニングというのは乾燥洗濯のこと・・水を使わずに化学溶剤だけで汚れが落ちる?

オー・ブラザー



ギリシア神話の“長い航海”を意味する【オデュッセイア】が原作になっています。 名前は知っていても長編すぎて読むことさらに理解することは、かなりのエネルギーがいりますね。 作者はホメロス 物語(叙事詩)は主人公オデュッセウスがたどった漂白の10年間が語られています。 それをベースにした映画が “オー・ブラザー”
          
オープニングで、一人でトロッコを漕ぐ目が見えない(ホントカナ?)黒人のじいちゃんが、鎖で足を繋がれた三人に思わせぶりなコトを言いました。
「君たちは宝を探している。 鎖で繋がれた三人組 宝物は見つかる。 だがそれは目当てのものと違う。 これから先 とても長くてつらい旅路が君たちを待っている。 危険に満ちた道のり だが そこで実に美しいものも見るだろう。 道は曲がりくねり 身も心も疲れ果てるだろう。 それでも歩むのだ。 人生の救いにたどり着くまで・・」 
   
多分 これが【オデュッセイア】のテーマなんだと思います。 この世に美しいものが本当にあるのか・・ホントに救いなんてそんな疑わしいものが果たしてあるのか・・99%以上はないと分かっていても、残りの1%を信じたい気持ちがあったのが 鎖につながれていたズブ濡れボーイズ三人組!

鎖を解き放とうとする気持ち 自由になりたいと感じる気持ちが大切なのでしょう。 とぼけた会話とゆるやかなテンポで表現されている ジョエル&イーサン・コーエンの世界。 生きることは誰にとっても長い航海のようなもの。 

航海を終えた船が安全な港を目指すように、人も 最後にたどり着ける場所を見つけることができさえすれば、そのクネクネの航海が少しぐらい長くなっても大丈夫! 自分の目で美しいモノと救いを見ることができれば きっと それは“生きる”ってことの答えのはずだから。

全編を通して軽快なブルーグラスを聞かせてくれたアリソン・クラウス&ユニオン・ステーションや、トップにインパクトを与えた黒人霊歌など音楽としても楽しめる作品です。

* 監督・脚本・製作 ジョエル&イーサン・コーエン   * 2000年 作品
* 出演 ジョージ・クルーニー  ジョン・タトゥーロ  ホリー・ハンター

チューリップ 今年のアカデミー賞の作品賞を含む四部門を受賞した【ノーカントリー】はこのコーエン兄弟の監督作品。

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