御伴神

伊勢神宮内宮の主祭神 (天照大神) の相殿 (両脇) は手力男神と万幡豊秋津師比売 (天照大神長男の妻でニニギノミコトの母) で、よくある三位一体の三角形を形成しています。 ところが伊勢神宮外宮の主祭神(豊受大神)の相殿は三座の御伴 (みとも) 神で、三角形にはならない。 御伴神の具体的な名前は記されていませんが、豊受大神の御伴ということから考えると丹波の神であるはず。 放浪生活を余儀なくされた豊受大神を影で支え続けたのが御伴神。 落ち着ける場所に落ち着いた四神は同じ故郷の旧友だったのかもしれない。

粟島

有人・無人を含め大小3千もの島々が散在する瀬戸内海を西から東に向かったのが神武天皇でした。大和入りを果たす目的で東征コースに選んだのが潮の干満差(燧灘周辺では2m以上になる)が著しい瀬戸内海。本州・四国・九州に挟まれた瀬戸内海を何十年もの年月をかけ航海したのが日本の初代天皇だったことを思うと、日本をリードする男の条件は潮の流れを熟知し干満差に耐え危険を顧みない海の男でなければいけない。四方を海に囲まれた島国日本を支えるのは海の男であるはずなのに、神話では長男・海幸彦が三男・山幸彦に対し服従しなければいけないよう設定されています。イチニのサンで始めることが習慣化されている日本でイチ(長男)ニ(次男)はあってないようなもの?

 
瀬戸内海に浮かぶ島グループの一つが塩飽諸島(中部)で、その塩飽諸島の中でも特にユニークな形で浮かんでいるのが粟島という島。一つの島ではあっても実際は三つの島が砂洲でつながって形成されていることから地図上でもそのユニークさで人目を引くことに・・
  


この粟島にかかわっているのが先に述べた三という数と潮の満ち引きで、
長い年月をかけ名もなき三つの島の架け橋的役目を果たしたのが砂洲の形成でした。香川県の荘内半島(北西に突き出す)の東海上にある粟島(三つの山)を結び付けることになったのが月と地球が引き合うことで引き起こされる潮汐で、離れていた三つの島はその潮汐で形成された砂洲で一つの島になりました。そしてその名が海の男たち(日本で最初に国立海員学校が設立された)を生み出した粟島。

  
        荘内半島の紫雲出(しうで)山から眺めた粟島

イザナギ&イザナミ両親に捨てられた島の名前に淡島というのがありました。女性リードの国生みが敬遠され捨てられることになった淡島を粟島と仮定して考えると、はかない泡のような島はどこかでつながりたいと願っていた可能性が・・ 親に捨てられるという厳しい環境に置かれたことで支え合うことを求めたのが粟島? その支え合いで生まれた奇妙な形の粟島は見方によれば『人』という漢字に似ています。
  果てしなく長い時間をかけて
月と地球が影響し合うことで生じたのがが粟島。

       そして粟島と似た形の人も壮大な宇宙が生み出した賜物。

  離れていても自分を支えてくれる人がどこかに他に二人居ることを信じて・・

  
  粟島サイクリン途中、眼下に見渡せる透明度抜群の海の輝きは海男の象徴?   


だいだいの香り

                

最近はほとんど表現されなくなった色は“ダイダイ(橙)”色。黄色と赤色を混ぜたような色合いでミカンの皮の色に例えてオレンジ色と呼ばれることの方が多いダイダイ色。このダイダイ色の元は柑橘類の一種で正月飾りなどに使われるあの果実のダイダイ。他のミカン類同様に五枚の白い小花をつけ、熟すにつれて緑色から黄色そしてダイダイ色に変わっていく果実の皮が特徴的。しかし中身は酸っぱいことからスダチやユズなどと同じグループの酢ミカンに属しています。人は余り酸っぱいのを好まないようで、多くの人は食べようとしないミカンがダイダイ?

 
神話の中にも有名な柑橘類が登場していました。11代目垂仁天皇の命令で常世国にあるという神秘のミカンを探しに行ったのが天日槍(新羅の王子)の子孫だった田道間守。記紀には不老不死のパワーを持つ“非時香菓(ときじくのかくのこのみ)”という名前で表記されている果実で、季節に関係なく(非時)常にイイ香りを発するのがトキジクノカクノコノミ? 海の向こうにある常世国で10年もの歳月を要して田道間守が探し求めたことから考えると、通常システムの実がなって落ちるという果実ではなさそう。四季サイクルにとらわれず常に実がなっている状態の果実として想像すると、この世には存在しないはず。


この世という自然界で人や植物が一定であり続けるのは難しく、
もし一定を保とうとするなら瞬間冷凍のような保存の仕方しかないのではないか。しかし田道間守は10年という気が遠くなる時間をかけ、やっとの思いで変化のない(腐らない?)果実を手に入れました。古事記には非時香菓のことを“今で言う橘である”と明記していますが、確かなことは分かっていません。ただ橘を表現する言葉として“左近の桜”に対応して“右近の橘”があり、左は散る桜そして右は散らない(変化がない)橘という理解もできそう。このように理解すると垂仁天皇の右腕となり異国で10年も力を尽くしたのが田道間守となり、非時香菓とは田道間守その人だったのではないかと感じます。

帰国後、垂仁天皇の死を知った田道間守は垂仁天皇の陵墓を前に嘆き悲しみながら死んだという話。タジマモリという名前にあてられている漢字も田と田の間にある道(畦)を守るというような意味が込められているような・・田と田の間すなわち垂仁天皇と自分との境界をキチンと守ろうとしたのが田道間守? 他人の土地に土足で足を踏み入れるようなルール違反はせず、コツコツと地道に非時香菓を探し手に入れた田道間守は間違いなく垂仁天皇の右腕? 左近は潔さと美しさが人目を引く散る桜、そして右近は粘り強く永遠を求める橘と想定すると日本の美を表現しているのが左近の桜と右近の橘かな。

 

先に紹介した酸味と苦味が強いダイダイ色のダイダイの果実は冬を過ぎても木から落ちず、翌年の夏に緑色に戻り数年は枝についたままの状態が続くらしい。古い果実と新しい果実が同じように一つの木になることから“代々”という漢字でも表記されています。非時香菓がダイダイなのか橘なのかは分かりませんが、どちらもいい香りがする柑橘類の一種。新羅の血を引いていた田道間守と日本の伝統ある血を受け継いでいた垂仁天皇の関係は出身国を超えた大きな友情が感じられます。信頼できる右腕を得た垂仁天皇と右腕になろうと努力した田道間守はもしかして先祖代々で深い交流があったのかもネ。その二人の深い友情が表面化した話が非時香菓に関する伝説として今日まで語り継がれてきたように思います。    


豊受大神

                

神産みの最後に産んだ迦具土神により陰部に火傷を負ったのがイザナミノミコト。
火傷の痛みにもがき苦しむ中でイザナギノミコトが単独で誕生させた神は二組の男女ペア神と一組の女同士の神でした。死に瀕したイザナミノミコトの嘔吐物から生まれたのが金山彦神と金山姫神の男女ペア。食べたものが消化されず口から吐き出された嘔吐物に対して、胃腸でキチンと消化され肛門を通って排出された糞から誕生したのが土神“埴安彦と埴安姫”。そしてイザナミノミコトの尿から生まれたのが男女ペアではなく女女ペア神“ミズハノメ&ワクムスビ”。

 
古事記が記す話ではイザナミノミコトの尿から誕生したこの女同士神の間に生まれたのが伊勢神宮外宮に祀られている“トヨウケビメ”で、内宮に祀られている天照大神の料理担当としてこの地に呼び寄せられた神。天照大神とならんで豊受大神という名前も併せ持つトヨウケビメの両親が二人の女性、そして祖母がイザナミノミコト。
ミズハノメとワクムスビを産んだのはイザナミノミコト一人だったのでトヨウケビメに祖父はいません。これらの話から判断すると女系家族から誕生したのが天照大神の食べ物を受け持つことになる豊受大神ということに・・

 
トヨウケビメのルーツは丹波国にあり、アチコチ放浪の旅を続けたという風評が残る御饌の神。丹波国風土記逸文の話では比冶山の頂の真奈井で水浴をしていた八人の天女の一人がトヨウケビメということになっていて、彼女の羽衣を隠した老夫婦の家で10年という時を過ごしたあと何故か突然家を追い出される羽目になり着る服もないまま漂泊の旅を続けたトヨウケビメが落ち着いた場所が未奈具村というトコロ。
羽衣を奪い隠した末、10年間をともに暮らしたトヨウケビメを突然追い出す無神経な老夫婦の意図は何なのか。

 

そしてこのような経緯があったトヨウケビメを丹波国から伊勢国の度会(わたらい)に遷宮させたのが日本の中心にいた天照大神。記紀にはこのような話は記されていませんが、天照大神が自分のパートナー的存在に選んだのは女神・豊受大神。羽衣を隠され故郷に帰れなくなったトヨウケビメは住む家まで失う羽目になりながらも老夫婦と争うことなく漂泊の旅人になりました。そんな女性を放っておかなかったのが日本を導くリーダー女神・天照大神。

 
天照大神のパートナーであり食べ物を調理する役目のトヨウケビメを産んだワクムスビ(和久産巣日・稚産霊)に関するこんな話を伝えているのが日本書紀第二の一書。
古事記の方はイザナミノミコトの尿から生まれたのがワクムスビとしていましたが、日本書紀はイザナミノミコトを死に追いやった迦具土神と死ぬ間際に産んだ埴安姫との間に生まれたのがワクムスビとしています。ワクムスビは燃えて灰になったものが土に戻るという循環システムの最後の段階で生まれているように思います。オオゲツヒメや保食神のように一度死ぬことで再生され新たな命(食べ物)が生まれたように、ワクムスビも頭から蚕と桑、臍の中からは日本人の食の根源ともいえる五穀を生じさせました。

 
ワクムスビの娘だったトヨウケビメも自分の居場所を求めて彷徨っている間は死んだような状態だったと想像します。崖っぷちの死に直面することで人は何かを生み出すことができるパワーを備えることができるのかもしれません。自分の居場所がなかったトヨウケビメが選んだ未奈具村とはどんな場所なのか。未完の“未”と奈具(和ぐ・凪ぐ)から想像するとまだ穏やかな状態ではない場所のような・・天照大神を祀る伊勢神宮内宮の北西に位置する伊勢神宮外宮がトヨウケビメの現在の居場所。
女系家族出身のトヨウケビメは天照大神の食べ物を料理することでナグ心境になったのでしょうか。


また料理ができるということは危険な火を扱えるということにもなるので、
生まれてすぐ父親に殺された迦具土神の生命が宿っているようにも思います。日本書紀第二の一書にも迦具土神と埴安姫の間に誕生したのが豊受大神のママになるワクムスビでした。再生能力を秘めた女性(ワクムスビ)が単独で産んだ可能性がある豊受大神。
水の神ミズハノメとワクムスビの女性コンビから誕生したという話(古事記)も思い出すと、豊受大神のルーツは完璧な女系家族という結果に落ち着きました。


水の旅

               

旧約聖書創世記が記す宇宙の始まりは“天地創造”という言葉で表現され、神は暗闇の中から昼を誕生させました。無という暗闇から明るい光を生み出した神の初めての言葉が「光あれ」。この世に具現化させるチカラを持つ神の言葉は絶対的パワーがあるようで、“光あれ”と神が言ったのでこの世に光が生まれました。

海を航行する乗り物は船・・空を飛行する乗り物は飛行機。そして宇宙を移動する際に乗る乗り物は宇宙船・・ということから想像すると宇宙は海? 神が二日目に発した言葉は「水の中に大空あれ 水と水を分けよ」。もともと宇宙全体が“水”だと判断すれば神の言葉や宇宙船という名称にも納得できる。

宇宙を示す水を分離させてこの世に誕生させたものが大空。単純に考えると大空は水? そういえば雨は空から降るよネ! 水の惑星と呼ばれる地球に生き物が発生したのは水があったから。人間も含めて水がなければ生きてはいけない生き物たち。

地球の約7割を占める海の塩辛い水は生き物が生きるには不適で、川や湖あるいは地下水など淡水が命の水の役割を果たしています。“水と水を分けよ”という神の天地創造の根源にあるのが水ということになり、空(天)も地も水によって構成されているのが地球という理解でいいのカナ。

天から降った雨水は地中にしみ込むか水蒸気として天に上昇するかの道を選んでそれぞれの水の旅は続きます。こんな水の旅を象徴させているのが日本書紀の“天地開闢(かいびゃく)”説。 もともと一つのものだった天地(混沌)が陰陽に分離して天と地がなったという話を展開する日本書紀は清浄なものは上昇して天に、重く濁ったものが大地を形成したとしています。天に上昇するのは気体になった水(水蒸気)、そして地を形成したのが大地にしみ込んだ重い水?

日本書紀が語るのは天と地の形成は陰陽が分離した結果ということになっています。ということは世界の始まりは天と地が交り合った混沌状態の性別不詳? 人間に例えると思春期を迎える以前の幼児期が考えられ、特に赤ん坊は男か女かの区別はつかない。宇宙の始まりは性別不詳の赤ん坊だった?  

そんな一人の赤ん坊が成長して陰陽の分離で天と地に分離されたと仮定すると、自分の分身がこの世に存在するはず。自分が男(陽)なら分離された相手は女(陰)ということになり、水の旅は自分の分身を探すこと。しかし性が違うと目的地も異なるので永遠に出会えない。分身に出会うのに必要なことは性が同一にならないといけないんじゃないかな。

清浄さという共通点で陰の女性が男性化して陽の二人として出会うか、重くて濁った水同士の男性の女性化として出会うか二つに一つ。 どう考えても重くて濁った水同士というのは湿気過多で虫がわきそうで不潔。 健康的に自分の分身を探すには女性の男性化が手っ取り早い方法で、陽の男同士で出会うと清浄な二人として天に到達できる?


梅の故郷

            

          梅は食うとも核(さね)食うな、中に天神寝てござる

 

お茶漬けの友といえばウメエ梅干し・・しかし昔の人のこの言葉によると梅の核には天神が寝ているので気をつけろ!という表現がなされています。 おいしいオイシイと無闇矢鱈にパクついているとロクなことにはならない戒めが込められているように感じます。 そういえば梅と天神との親密な関係が表現された歌がありました。


    東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春を忘るな


“匂草”あるいは“春告草”という別名を持つ花は梅。 
暦がない頃の農家は梅の開花で農作業の準備を始めました。 いい香りとともに春の到来を教えてくれる梅を愛したのが平安時代の学者で政治家の菅原道真。       

 

京の都から離れる際、愛する梅との別れを惜しんで詠んだのがこの歌。 道真の梅を愛する心が通じたのか、屋敷の庭に生えていた紅梅の木の一枝が大宰府まで空を飛びました。 左遷された道真を追って西方に飛んだのが“飛梅”という梅。

寒さに強い梅が目指そうとする方向は太陽を背にして進む西。

          
    
難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花

                                        

歌に詠まれた“この花(木の花)”というのは日本人好みの華々しく散る“桜”ではなく道真が愛した“紅梅”だと言われています。 他の生き物にとっての冬ごもりタイムが梅の春。 虫たちがモゾモゾ動き出さない状態の中で開花する梅は静かな時を求めてる?

  
梅の故郷は西方にある静かなトコロ。 紅梅に降り積もった雪が白梅の役割を果たし、冷たい雪と紅い梅が一体化した景色は美しい。 飛翔力を持つ梅の故郷は雪で覆われた白い国。 そんな紅梅を愛した道真は死後 雷神になって都の人々を恐怖に突き落としました。

      
我が園に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の 流れ来るかも    大伴旅人

 
サイモン&ガーファンクルの♪早く家に帰りたい(Homeward Bound)♪をバックに梅の故郷をイメージして作りました。 東大阪市出雲井町という生駒山の西麓に鎮座する枚岡神社は河内国一宮で社殿は西向き。 祀られている神は四柱・・本殿は四人の神が並んで(手をつなぐ?)祀られている聖地。 早く家に帰りたいグループの進路は西だね・・きっと!

     


イカンともしがたい話

                  

“石見国” は現在の島根県西部にあった地域で東部の出雲国と接しています。 この石見国の総社が “伊甘神社” で、伊甘(いかん)郷を開拓したと言われている猪甘首(いかんのおびと)の租と言われているのが “天足彦国押人(あめたらしひこおしくにひと)命”。 イカン関係者と深い関係にあると思われる天足彦国押人という人物を追いかけてみました。

存在を否定されている五代目の孝昭天皇の第一皇子と伝えられる人物で、母親は世襲足媛(よそたらしひめ)。 名前から推察すると “たらす(垂らす)” あるいは “たれる(垂れる)” から足がブランとして大地にシャキッと立っていないような名前です。 宙に浮く雲のようにブランとしていて、女性的な “地” の象徴である国を押す人?

この第一皇子は父のあとを継がず、何故か国の中心から遠く離れた石見国の伊甘神社(浜田市下府町)の祭神になっています。 皇位を継承したのは弟(孝安天皇)のほうで、兄はワニ氏の祖ということが日本書紀に記されています。 伊甘神社が鎮座する “下府(しもこう)” という地名から想像できるように、かつてこの地には国府がありました。

石見国の政治・文化の中心地だった国府跡に “伊甘神社” が建てられています。 境内奥には御所の池と呼ばれる小さな池があり、伊甘の池という名でも呼ばれています。 伊甘は猪甘・・ 真っ直ぐで甘く、湿気を含む(池があるから)場所がココなのかな・・

また調べて分かったことは、伊甘神社はその昔 “吹上浜” という丘(?)にあったらしく、その頃は “印鑰(いんやく・いんにゃく)神社”という名であったことが境内に残されている棟札に書かれています。 インヤクとは官印と官庁の倉庫の鍵ということらしい。 何か秘密めいたものが入っている可能性がある倉庫を開くことができるカギをインヤクと表現しています。

そう簡単に開けてはいけないようなカギがインヤク。 またインヤクを別の漢字に当てはめると “淫薬”・・ 性欲を盛んにする媚薬のようなもの。 “隠約” という日本語もあり、意味は簡単な言葉で意味が深いことを指します。 特定の人だけに何かを伝えることができる暗号のようなもの?
    
“石見国” は柿本人麻呂が国司として派遣された地であり、また終焉の地とも伝えられています。 現在 伊甘神社がある場所が国府だったことを思い出すと、人麻呂と伊甘神社との関連 そして存在を否定されている天足彦国押人のルーツが関わってきます。
 
 天離る(あまざかる) 鄙(ひな)の荒野に 君を置きて 思ひつつあれば 生けるともなし
  
この歌は人麻呂の気持ちになって誰かが詠んだ歌。 (どうしてそんなことが分かったの!) “天離る鄙” という地は都から遠く離れた場所で荒地を意味しています。 統制が図られていなかっただけに、その土地の自然に触れることができる地域だったのだろうと想像します。 そんな場所が人麻呂の “死に場所”。

伊甘神社が元あった場所は吹上浜という “丘” でした。 浜と丘の矛盾を考えると、砂が舞い上がるぐらい高い丘だったということかな。 通常 砂で構成される山は考えられません。 そんな常識では考えられない場所にあったのが伊甘神社。

イカンともしがたい矛盾する場所に祀られている人物は、存在が危ぶまれている欠史八代の血を受け継ぐ人物でした。 後の人々が消したくても消せない歴史に埋もれた人たちの心の叫びが聞こえてくるような気がします。 大きな業績を果たさなくても、その時を楽しく生活することができる人たちに対して 他の誰かがイカン!などと言うことはできません。

人麻呂の気持ちになって誰かが詠んだ上記の歌も納得しにくい話。 ヨクワカラン人物が “人麻呂の気持ちになって詠んだ歌” と指定したのは誰なんだッ? 人麻呂の気持ちになって代役で歌を詠むということは、インヤクという鍵を手にした人物のはず・・ 表舞台に出なくても隠約関係を結ぶことができる人に出会えるなら、皇位などはどうでもいいと考えたのが天足彦国押人的傾向なのかもしれない。 再確認しておくと、この人物は五代目・孝昭天皇の一番目の子でした。

枯野号の最後

            

フレンド(friend)は親しい友人の他に仲間や同国人さらには味方を意味する言葉として使われています。 シップ(ship)は大型の遠洋航路に乗り出すことができる船を意味していて、オールや櫂を使って自分の力で漕ぐボートとは全く違うタイプの船。 一度自分がこの船に乗り込んでしまえば、その乗り込んだ船にすべてを預けるしかないというのがシップ本来の意味になっています。 自分の力でどうこうできないという立場に立たされてしまうのがシップなので、独立心が強い人はあまり乗らないほうがいいのかもしれない船です。

しかしフレンドとシップの組み合わせで、友達同士の船になり結束力のあるフレンドシップが生まれます。 海上には陸地がないので気に入らないからという理由で そう簡単に飛び降りることはできません。 自分で自由に動き回ることは許されず、動くのは船なので、船に任せて自分はじっとしているしかありません。 港に碇を下ろすまで 自分が乗った船が安全航行することを祈り信頼するしかないのです。

      大船の たゆたふ海に 碇下ろし いかにしてかも わが恋ひ止まむ
  
万葉集で詠まれた恋の歌・・揺れ動く恋心(大船)が碇を下して自分のもとに留まってくれることを願っているような歌です。 男と女のすれ違いの恋は、昔から一つの場所に落ち着くことは難しそうですね。
    
神話にも“枯野”と名付けられた船がありました。 『枯野を 塩に焼き 其が余り 琴に作り かき弾くや 由良の門(と)の門中(となか)の海石(いくり)に 振れ立つ 浸漬(なづ)の木のさやさや』 この歌のトップに出てくる枯野というのが実は伊豆国から献上された船“枯野”のこと。 長年 淡路島の清水を汲んで都(仁徳天皇の御世で難波)を行き来したこの船が壊れて朽ちてしまったことを悲しみ、枯野船のことを後世に伝えるため詠まれた歌が先に書いた歌でした。

【海水を蒸発させて塩を作るため その海水を煮詰めるための薪に枯野の船の材を利用したところ、水分を吸収しすぎたせいかすべてが燃えずに一部に残ったところがありました。 その残った材で琴を作って弾いてみると、由良の門(紀淡海峡)で沈んで見えていなかった岩場に生える埋れ木と水が、絡まりあうようにサヤサヤと心地よい音がしました】というような意味になっています。

人間にとって欠くことができない水は真水でなければならず、海水では生きていけません。 淡路島には古事記が伝えている御井(おい)の清水という妙見山から湧き出る真水がありました。 そんな真水を都に届けるために何度も航行したのが枯野という船。 その真水を多く含んだ木で作った琴が奏でる音色は、枯野船が果たした役割を象徴するように清らかだったということです。

“旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる” 有名な芭蕉の辞世の句。 この枯野は枯れた野原を意味するのではなく先の歌に詠まれていた枯野号のことで、元気で活躍していた頃 淡路島と都の間を行ったり来たりしていた懐かしさを詠んだ句であるように思います。 枯野号に飛び乗った芭蕉が、枯野に任せて一緒に夢のようにゆらゆらとアチコチ航行する・・そこには紛れもなく、お互いの強い信頼関係で深められたフレンドシップが築かれていました。 

阿豆那比の罪

           

明治時代の初め 鶏姦罪という罪で処罰される条例が刑法に追加され一時期施行されていました。 鶏姦(けいかん)とは 『男色』 のことで個人的な性的傾向で罰せられていたということです。 殺人を犯したり 銀行強盗で他人を脅したりしているわけではなく、男が男に興味を持ち仲良く一緒に生活するということを想定したとき どうして国がそんなところに入ってきてトヤカク言うのか理解できません。

一方的な強姦のようなものであれば罪に値するはずだけれど、相互の了解のことなら納得できるはず・・ここで気になるのは“女と男”あるいは“女と女”には全く触れられていないにもかかわらず“男と男”に限って罪になるということ。 しかも 『鶏』 という漢字があてられた鶏姦という名前も変なカンジ・・・ナンデ鶏?

古代日本にも男色に関する記述がありました。 日本書紀の神功皇后紀に紀伊国の日高から小竹宮(しののみや)に入ったとき、何日も夜のように暗い昼が続いたので神功皇后は紀氏の租(紀豊耳)にその原因を問いました。 彼曰く「阿豆那比の罪が考えられます。」 友人同士だった“小竹の祝”と“天野の祝”が合葬されていることによって起こった異変であると考えられたのが阿豆那比(あずない)の罪というものでした。 

小竹の祝が病気で死に、それを悲しんだ天野の祝が倒れて死んだ場所が小竹の祝が埋葬された所だったのです。 しかし日本書紀には性別は記されていません。男色と決め付けてしまうことも危険です。 ただ【阿豆那比の罪】で確実なことは一つの墓に一体ではなく二体が埋葬されたということ。 もちろん男同士かもしれないけれど男女の二人そして女同士も考えられます。 阿豆那比の罪に問われることのポイントは男同士ということより合葬にあるのでは?

また二人の名前に付けられた祝(はふり)というのは神に仕えることを仕事にする人のことを言います。 生きている間は二人とも同じ仕事をしていて死んだ後も同じ墓ということがよくないのでしょうか? 昼と夜は区別されないといけません。 その後、小竹の祝と天野の祝の埋葬場所を別々にすることで昼夜の混沌が取り除かれました。生まれてくる時が一人なら、死ぬ時も一人で死ななければいけないということですね。 それなら生きている間は蛭のように好きな人にベッタリピッタリくっ付いて人生を送るのはどう? 

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