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- 2022.04.05 Tuesday
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黄泉戸喫(黄泉国の食べ物を口にすること)の結果、
イザナミノミコトは生者の国に帰れなくなる話がありました。
黄泉戸喫のヘグイとは火を使う竃で調理したものを食べること。
くど・へっついとも呼ばれるカマドは竃神が宿る神聖な場所。
父に殺され、この世に存在できなくなった火の神は
竃神とともに母の国の住人になっていました。
一方、イザナミノミコトが帰れなくなった生者の国は実際のところ火はありません。
竃神はオキツ(奥津)ヒコ&オキツヒメという名で表現されています。
ルーツは大山積神の娘(神太市姫)とスサノオノミコトの間に生まれたオオトシ神にあり、
その妹が食べ物を司るウカノミタマ。
オキツヒメの別名として大戸(おおべ)姫という名があり、
ヘグイ(戸喫)の戸はオキツヒメにもありました。
男神に食べ物を乞われ提供したにもかかわらずオオゲツヒメとウケモチ神は殺されます。
殺されないようにするには戸が大事。
天照大神の食事を受け持つのが放浪の果てに呼び寄せられた豊受大神。
豊受大神のルーツは火で陰部を消失したイザナミノミコト。
黄泉国で汚いものを見て逃げ出したイザナギノミコトの血は一滴も加わっていない。
死に瀕した女神の尿から生まれたワクムスビの子として生まれた豊受大神は
黄泉戸喫を実践したイザナミノミコトの孫。
一方、イザナギノミコトの禊単独出産で生まれたのが天照大神でした。
日本を代表する天照大神の親は父だけで豊受大神の親は母だけということになり、
ともに男女別々の単独出産による子。
男女の交わりがない状態で出産に至るのは聖母マリアの話に似て、
神聖であることの証し。
しこめききたなき国から逃走したイザナギノミコトは黄泉国とこの世の分岐点(黄泉平坂)で、妻に“これ以上は来るな!”と言って投げ捨てたのが杖(日本書紀)。そしてその杖から生まれたのがチマタとも読む岐(ふなど)神。また古事記は禊で最初に捨てたのが杖で、その杖から生まれたのが衝立船戸神でした。岐路に立ったイザナギノミコトは杖を捨てたことで方向性がハッキリしたように思います。
国生み・神生みで杖(妻?)を必要としていたイザナギノミコトは穢れた世界を見たことで、主要三貴神を誕生させるという快挙を成し遂げています。穢れた死者の国に行き穢れた妻に出会ったからこそ男・イザナギノミコトは杖を捨て、女性の役目である出産にこぎつけることができました。男でありながら出産できたのは黄泉国を管理していた妻のおかげ? 血迷ったイザナギノミコトを女色に染めたイザナミノミコトはきっと灰だらけ。
穢れた黄泉国の食べ物を口にしてしまった(黄泉戸喫)イザナミノミコトは死者が住む黄泉国住人となり、二度とこの世に戻れない状態にありました。穢れが強調された黄泉国に当てられた漢字を素直に考えると黄色い泉の国。地中から水が湧き出る場所を泉と呼ぶことから関連付けると黄色い水が黄泉。人の生命維持に不可欠な透明な水(真水)ではなく、飲料に適さない濁った水が湧き出る場所が黄泉国のよう。ここで五行(木火土金水の元素が互いに影響し合って万物は変化し循環する)思想を当てはめて考えると黄色を象徴するのが土。この土が水を濁し滅ぼすことから両者の関係は陰(相剋)となり、透明な水(泉)は濁った泥水(黄泉)に。そして発生するのが泥試合で、黄色い水(イザ波の国)はイザナギ(イザ凪)にとって合わない水だった?
水が合わない場所から帰ったイザナギが即座に実践したのが黄泉国の穢れを洗い流すための水を使った禊。キレイな水が湧き出ていたと思われるその場所は筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原という風に詳しく表現されています。この禊の場所で気になるのが日向(ひむか)の橘で、非時香菓を連想してしまう。今の橘にたとえられた非時香菓といえば常世国で、禊に設定された場所は時間に振り回されることのない常世国?
また指の間からこぼれ落ちるほど小さい神として表現されていた常世出身の少彦名神に合致するのが小門。さらに人に尽くすイメージの筑紫を想像するとすべての国民を不安に陥れている今の日本とはかけ離れた国が筑紫だと思う。しこめききたなき国から帰還したイザナギノミコトが実践した禊の場所に湧き出ていたと思われるのは当然真水。放射能に汚染された危険な水を周囲に垂れ流している今の日本は黄泉国同然で、国全体が禊をしなければいけないのかもしれない。
親父すなわち一家の柱であり長でありエライ人。特に組織の中のエライ人が構成する暗い世界は絶対的なもの・・ もし逆らえば身の破滅? 神話の中のイザナギは恐怖の雷から逃げ出し、禊(今までの持ち物や衣類を捨て去り、水で身を清める)を実践することで多くの神々を誕生させています。恐怖に直面したからこそ暗くて見にくい世界から脱出できたのがイザナギでした。地震・津波・原発という連鎖の恐怖に直面した日本はどこに向かうのか。
食べる以外に吸うという意味をもつ“喫”は竈から立ちのぼる煙を吸う・・すなわち香りを嗅ぐことかも。見る目聞く耳を重視する現世とは異なり、黄泉国の食べ物は香り? 母を死に追いやった迦具土神や母の国に行きたい!と泣き叫んでいたスサノオノミコオト(鼻から誕生)が関与する黄泉国は鼻が利き火を扱えるタイプでなければ入国できないような・・ そこで思い出すのが妻を迎えに行ったものの、醜い妻の姿に耐えきれず逃走した夫イザナギノミコト。妻の「見るな!」の禁を犯し覗き見した挙句、逃走するしかなかった夫は目耳派で鼻は利かない。
醜女が形成する黄泉国のリーダーになったイザナミノミコトですが、ギリシア神話にも女武者だけで形成されたアマゾン(アマゾネスとも)という部族がいました。アマゾンの語源はギリシア語で乳なし・・ となると直結するのは故郷に帰らなければいけなくなった豊玉姫が切り裂いた乳房。夫に恥をかかされた妻は自分の乳房をこの世に置き、乳なし女性として豊玉姫は帰国します。イザナミノミコトの陰部損傷に似て、女性の象徴である乳房を切断したのが豊玉姫というワニ部族。女性でありながら女という性を捨てざるを得ない立場に立たされた妻の心情を思うと切ない。夫と妻の間に介入した女の恥を受け止めなければいけないのは夫の方。余談になりますが、オオモノヌシの場合は妻に向かって恥をかかしたとネチネチ言ってましたが・・
ネットで拝借したヤマブドウ。
普通のブドウのように房状になっていないのが特徴で、実のなり方はバラバラ。
風通しがいいので蒸れる心配はなさそうですが、
商品化するには大変そうな感じ。
人の手で栽培される桃と対比させてヤマブドウを考えると奥山に育ち味は極めて酸っぱいのが特徴で、イザナミノミコトが管理下に置く黄泉醜女が好んで食べるフルーツとなります。もしかして自主独立できる女性たちの国が黄泉国? 人の手を煩わせることなく育つヤマブドウは野性パワーの宝庫かも。若い頃から妙に高原に惹かれていたエスマルが初めて旅した場所が信州の美ヶ原高原。開放感にあふれた高原に行くと日々の重苦しさから解き放たれる気分になるので最近は好んで高知から北を目指しています。高原育ちの山葡萄ジュースを飲んで黄泉醜女のグループに加えてもらうことにしよう。
『奇』 も 『帰』 も “き” と読むこの言葉は遥か昔の漢代を生きた
“淮南子(えなんじ)” という人の言葉です。
生と死を対比させて表現した言葉に“生は難く死は易し”というのもあって、
これは誰の言葉?
エスマルは淮南子が感じた生と死の言葉は好きですが、
難と易で示した生と死の言葉は嫌いです。
生は奇妙・奇跡・怪奇・奇特そして事実は小説より奇なりの “奇”。
死は帰宅・回帰・帰還・帰着など自分本来の場所に “帰ること” ができれば
詩になる死。
生成りの生を気成りに生き、奇体験をたくさん積んで
帰るのは記紀に登場する黄泉国の黄なり。
黄泉国行きの原因となったのはイザナギ&イザナミの最後の子となった火の神・迦具土神。イザナミノミコトが火の神を出産するまでは仲のいい夫婦だったのに、火の神誕生を機に夫婦は別れることになりました。その別離の根本は妻が火の神を生んだことで、その結果イザナミノミコトは黄泉国へ。女陰の火傷が元で死んだイザナミノミコトの亡骸から生まれたのが八種の雷だったことを思い出すと、屈折する光を伴う雷(神鳴り)すなわち稲妻がイザナミノミコトの真の姿? 黄泉津大神となったイザナミノミコトが管理する黄泉国は屈折する光を放射する天の国?
火傷した女陰は消滅し肉体的に女性とはいえなくなったイザナミノミコトが向かった先が黄泉国とすると、単に死者の国ということだけではなく性別不詳になった女性が多く住んでいたのが黄泉国かも。妻を裏切り汚い妻を覗き見した夫はただその場を離れることだけしかできないという情けない話が展開する中で、そんなツマラン男を追いかけたのがイザナミノミコトに指示された黄泉醜女。この追いかけシーンでイザナギノミコトが逃げ切るため自分の後ろに放り投げたものの一つが櫛の歯でした。先に火を灯したものと同一の櫛とするなら二本目の歯が折られたこの櫛は歯抜け状態。
まず初めに地面に落とされたのがイザナギノミコトの髪の毛の左側に挿していた黒い髪飾り。女性に変装していたのではないかと感じる黒っぽい髪飾りはたちまちその場で山葡萄となり醜女はムシャムシャ。次に落とされたものが先に紹介した爪櫛の歯で、右側の髪の毛を飾っていたモノ。左右の頭に飾り物を付けていたイザナギノミコトは女装でもしていたように感じるのですが・・あるいは黄泉国は女でなければ入れない国?