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  • 2017.10.26 Thursday
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羽根つき

              

小学校低学年の頃の正月の遊びは羽根つき。普段の外遊びは缶蹴り・陣地取り・ケンケンなんかをしていたように思いますが、正月は慣例に従い羽子板で遊んでいました。羽子板の裏に羽根の黒い部分が当たるとカァ〜ンという音が響き渡り、気分ヨカッタのを思い出します。飾りが付いた表に羽根が当たると飛ぶことは飛んでも心地イイ音はしないし、相手がいる場所まで飛んでいかない。羽子板の上手下手を決定するのは羽子板の裏で羽根を打ち返せるかどうか。

 
今まで意識しなかった羽子板を調べて分かったのは“羽子”というのは羽子板でつく羽根のこと。羽子をつく板が羽子板で、羽根の方を中心したネーミングになっています。その羽子の先に付いている丸くて黒い玉が“ムクロジ” という木の果実の中に入っている種なんだって。エスマルも今日知りました。

 
種を包む果実の方はこすり合わすと泡立つことから石鹸にも使用されています。果実は清潔を保つ石鹸で、種は羽子になるムクロジは社会への貢献度大です。調べれば調べるほど知らないことでイッパイなのが世の中。2010年は社会貢献より自然素材のムクロジ石鹸をまず取り寄せることから始めます。清潔であることが何よりキレイ!

        
          無関心ではいられない“無患子”の皮と種


カカは女

                 

多くは山の峰を出発点にして流れる河川の淡水が最後にたどり着く場所は、海と接点を持つ河口部。 生まれた淡水のまま流れ続けることができた川の旅も終り、いよいよ塩辛い海水と混合されなければいけない場所に存在する神の名は “速秋津日子(はやあきつひこ)” と  “速秋津日比売(はやあきつひめ)” の夫婦神。 彼らの両親はイザナギノミコトとイザナミノミコト。 古事記に記されている国生みに続いて神生みの九番目(八番目は海の神・大綿津見神)に産み出されました。 ケタが上がる次の十番目は風の神のシナツヒコ(男神)が誕生しています。
  
淡水と海水という異質なモノ同士が合体しようとする河口を守る夫婦神もまた、以下の八神を産み出しました。 沫(あわ)のナギとナミ・頬(つら)のナギとナミ・天と国の水分(みくまり)・天と国の久比奢母智(くひざもち)の4組のペア神。 何かがこの世に誕生するためには、同じものではなく異なる成分が交り合う必要があるのかもしれません。 異質なものを排除しようとするだけの単純思考を前進させるパワーがあれば、ナニカを産み出す原動力になるのではないかと思います。
         
河口を司る二神の両親もまた、イザ!ナギ(凪)とイザ!ナミ(波)の異質な交り合いによって多くの神々を誕生させました。 塩分濃度が淡水によって薄められる場所を管理するのがハヤアキツヒコとハヤアキツヒメの男女としているのは古事記。 日本書記の一書では、水門(みなと)神を “速秋津日命” と呼んでいます。 最後に子(こ)も売(め)もくっ付かないことから男女の区別がない神としているのが日本書紀。 混合する直前は性別が確認できない状態になるのではないかと思います。

『荒塩の塩の八百路(やおじ)の、八塩路(やしおじ)の塩の八百会(やおあい)に坐(ま)すハヤアキツヒメという神、持ちカカ呑みてむ』 荒塩の塩とは荒々しい潮流のことで、その多くの荒い潮流(八潮路)が集まり出会う(八百会)場所にいてハヤアキツヒメがカカと呑むと表現されているのは、大祓(おおはらえ)の詞として読み上げる祝詞。  “祓う” ということが祝いの詞になるの?
       
祝福の意味が込められた “祓う” ことを仕事にしている神を “祓戸神” と呼びました。 祓戸四柱と言われるように、ハヤアキツヒメ以外に祓う役割を担わされた神の名はセオリツヒメ ・ イブキドヌシ ・ ハヤサスラヒメ。 祓戸四柱のうち三柱までが女性であるということから考えると、祓う仕事は女性に託されているように思います。 さらに祓うと祝福されることの意味は何なのか・・
   
川の源は山・・ その山から落ちてくる川瀬(底が浅い場所)に居る女神がセオリツヒメで、祝詞には以下のように記されています。 『高山短山の末より、さくなだりに落ちたぎつ速川の瀬に坐すセオリツヒメという神、大海原に持ち出でなむ』 セオリツヒメが大海原に持ち出してくれるものは人々が犯した罪や穢れ・・ そして人々の罪や穢れをカカと呑み込んでくれるのがハヤアキツヒメ。 セオリツヒメから託されたツミ・ケガレはやはり女性のハヤアキツヒメが引き受けてガブリと呑み込んでくれます。 今の感覚で “ガブリと飲み込むこと” を祝詞では “カカと呑む” と表現しているような・・

ハヤアキツヒメが河口に陣取って罪や穢れを呑み込むことから考えると、海に至る段階でツミ・ケガレは失われて浄化された状態になっているように思います。 逆に考えると陸地を流れる川や河の塩分を含まない淡水状態は、ツミ・ケガレを含んでいるということ? そして海水は罪や穢れが失われた水ということになりそう。 異質なものを受け入れた淡水が海水になって海に流れることで、ツミ・ケガレが祓われたということなのでしょうか。

古事記で桁が上がる直前の九番目に生まれたハヤアキツヒメとハヤアキツヒコは異質成分の淡水と海水が混合する場所の守り神でした。 異質なものを排除するのではなく、受け入れ混合する場所は神聖な場所だったからこそ神が存在していたのだろうと思います。 異質なものをカカと呑み込むことができたのは、カカのような存在の女神でした。 異質なものを排除しようとするのが男性的要素・・ 女性的要素はそんなツマランことにエネルギーを費やさないでガブリガブリと呑み込みました。 祝福される対象者はカカに似た女神?

命の炎

          

イザナミノミコトが自分の命を犠牲にして最後の最後に産み出したのは “火の神” カグツチ。 彼女は夫とともに多くの国や神をこの世に誕生させ、最後 土に還りました。 母イザナミノミコトの肉体は失われてしまったけれど、その精神を受け継いだのがきっとカグツチという名の命の炎!

イザナミノミコトの亡骸は出雲国(島根県)と伯耆国(鳥取県中西部)の境にある比婆山に葬られたと古事記は伝えています。 『境』 とは物事の分かれ目・・ 右か左か・生か死か・夢か現(うつつ)かというように、どちらにも偏らない分岐点を表現しています。
          
丁度ヤジロベエの真ん中にある支柱のような場所にイザナミノミコトのホーム(墓)が造られました。 これは何を意味しているのか? そして分岐点にあるのは “比婆山” という山。 山になるぐらいのイロイロなものが堆積した場所とも想像できます。
        
出産のときに立ち会う神の名を 『箒神(ほうきがみ)』 と言い、“掃き神” あるいは “産神(うぶがみ)” とも呼ばれています。 漢字の “箒” が示しているようにチリやゴミを掃いて清める神のことで、何かを産み出すには先に掃いて清潔にしておく必要があったように思います。

掃き掃除をする道具の箒は、古代日本において神聖な神が宿っているものと考えられていました。 昔の葬式に際して “帚持(ははきもち)” という参列者がいて、彼らは箒を持って葬儀に加わりました。 そういえばアメノワカヒコの葬儀の折に、『川雁を以て帚持とする』 という記述があったっけ・・ このことから川雁という鳥は、掃除を担当するキレイ好きで出産に導くことができる鳥のように思います。

海外に目を向けると、箒に関して思い出すのは魔女の乗り物が箒ということ。 宮崎駿監督の “魔女の宅急便” キキをイメージすると分かりやすいと思いますが、何故か魔女と箒は切っても切れない関係になって話が伝わっています。 魔女の乗り物が箒だとすると、魔女は川雁に近い存在かもしれません。
        
魔女狩りという裁判が中世ヨーロッパで行われたことがありました。 キレイ好きだった魔女は、この世の異端分子と見なされ時の権力者によって非情な制裁を加えられました。 この世は汚いものがまかり通らなければならず、裏でつるんだ不正の清掃がされてはいけないのが世の常識(実際は非常識)。 というわけで、箒に関係していた魔女や川雁は苦しい立場に立たされました。

真似ることは猿にもできますが、初めて何かを生み出すには古いものや決められたことに捉われない新しい発想が求められます。 自分の頭の中をキチンと整理整頓して掃き清めることで新しい発想が生まれます。 誰かの手によって過去に築かれたことを踏襲するだけではなく、一度は放棄してゼロにしない限り 新しい考えは育たないように思います。

“箒” という字は “ははき” とも読み、母の木あるいは母の気にもつながります。 伯耆国に接していたイザナミノミコトの魂は、放棄することの大切さを教えてくれているように感じます。 いつも同じという変化がない状態から新しい発想が産まれるはずはなく、古いものを放棄(伯耆)して初めて新しい発想ができるのではないでしょうか。
                 
箒と塵取りをいつも用意して身の周りの掃除に心がければキレイになり、そのキレイな場所から生まれるものは きっとキレイなものに違いありません。 イザナミノミコトが最後に産み出した火の神カグツチの役割は、この世でまかり通る汚れたものをすべて焼き尽くして灰にする美しい命の炎だったと思います。

メタボリック症候群の克服

              

ゴミ・チリ・クズなど不用物のことをまとめて芥(あくた)と言います。 人間の汗や糞尿も芥のように汚物として処理されます。 また鉄を焼いて鍛える時、剥がれて落ちるクズのことを鼻クソみたいに “金クソ” とも・・この金クソは鉄サビの原因にもなるので、鉄の強度を保ったまま長い期間使用するためには金クソが多く取り除かれる・・すなわちそのクズの山と入れ替わりに品質のいい鉄が生まれます。

この例からも分かるように人のカラダも糞尿を搾り出すことで健康体を維持することができます。 ついでに精神面のイライラやモヤモヤやコテコテなども排出することで、毎日の心地よさを手にすることができそうです。

平安時代の歌物語で男女の情事ばかりを扱った作品が “伊勢物語” 作者は女の扱いがうまいプレイボーイの色男として名前が通っている在原業平らしき(?)人物という、何とも思わせぶりな風評・・しかし業平らしきでは誰か分からず伊勢物語の作者は不明! その伊勢物語にアクタという名が付けられた『芥川』のことが記されています。

芥川とは大阪府高槻市を流れる川で、本流の淀川に流れ込む支流の一つです。 またその川の沿岸一帯が芥川という地名にもなっていて そこに鬼が住んでいたという話になっています。 鬼って節分だけではなく 童話や伝説そして伊勢物語のような古典にも、意外に頻繁に出没する人気者ですね。

物語では、ある男が高貴な姫を盗み出し京の都から逃れ来て 芥川を越えた所で一夜を過ごしたことになっています。 ポイントは“芥川を越えた” “越えてはいけなかった芥川を越えた!” アクタにまみれなければいけなかったのに、それを越えてしまったことで鬼が出現したような表現です。

結局 何かの怒りに触れて夜明け寸前 鬼はその姫を食べてしまいました。 姫を盗んだ男はいったい何してるのん・・イライラ・・姫を守れ! 芥川を越えた姫は鬼によって赤ずきんのように食べられました。 鬼は狼のように、姫を待って食べる用意をしていたのかも・・芥川を越えたトコロで!
    
さてココで掃溜めにいた鶴を考えてみたいと思います。 カラスが得意とするゴミ漁りの場所に白い鶴がいるとやはり目立ちますね。 カラスは黒いから よけいに白い鶴を引き立ててしまいます。 “掃溜めに鶴” という言葉は、カラスに混じっていた鶴が今から飛び立とうとしているように感じられます。

     人をとく 芥川てふ津の国の 名にはたがはぬ ものにぞありける

広辞苑に説明されている “掃き溜めに鶴” の意味は、つまらぬ所に優れたものが現れたタトエという風に書かれていました。 しかしその反対に、自分にとって不釣り合いな場所から飛び立とうとしている場合も考えられます。 “人をとく芥川” と詠まれた歌から想像すると、何かに縛られたようになっていた鶴が解き放たれたようにも感じます。

この歌の出典は“拾遺和歌集”で遺失物(忘れ物)から拾われた歌のひとつです。 人を解き放つカギはゴミ・チリ・クズが散乱する芥であり、アクタを越えると鶴になるのかも・・出すだけ出し切れば鶴になって掃溜めを離れることができるので、キレイを目指す人は体内毒素を出しましょう。 自分の体内に溜まったアクタを全部出し切れば、解放された強い自分を手にすることができそうです。

鉄の場合と同じように、アクタの山が高くなればなるほど自分のスリム化が達成できて 
メタボリック症候群の克服につながると思うのですが・・ついでに自分の身にまとっているヨロイも脱ぎ捨てると、軽くなってキレイの階段を昇り始めることができると思います。  何といってもキレイが一番!

ツミやケガレをカカと飲む

         

海水と淡水の出会いによって、塩分の低い水が川の最下流部(河口)に形成される場所を“汽水域”と呼びます。 ココでは海水の方が淡水より重い比重なので海水の上に淡水が重なる(乗る)水域になり 液体同士でも簡単に交り合うことはありません。 全く異質な海水と淡水が出会う場所が水門(みなと)と呼ばれる汽水域のことで、日本書紀の一書で水門神は“速秋津日命”と記されています。

古事記ではイザナギノミコトとイザナミノミコトの神生みで速秋津日子神と速秋津日売神のペア神が生まれました。 また祓戸四柱の一神である速秋津日売神は大祓詞に 罪や穢れをカカと飲み干すという表現があり 汚いものをガブガブ飲み込んでくれる頼もしい女神!
 
水門神である“速秋津日子神”と“速秋津日売神”は海水と淡水のように あるいは男と女のように正反対の二神であるのかも? 対になっているということは“天と地”あるいは“+と−”のように陰陽を形成します。 水門神の二神も陰陽の神とするなら互いの協力で一つになることは可能なはず。 そのためには塩分濃度を等しくしなければいけません。 もし人なら男は女に近付き 女は男に近付く互いの歩み寄り精神が必要! でも人間社会では現実が物語っているように無理みたい・・

神の世界では速秋津日子神(男神)の罪や穢れを速秋津日売神(女神)がガブガブ(カカ)とカカ(母)のように飲み込んだのではないかと想像します。 祓戸四柱には男の速秋津日子神は加わっていません。女神の速秋津比売だけ。

もし罪や穢れが垂れ流し状態であり続けたら 世界はゴミと糞に埋もれて呼吸困難に陥り風が通らずクサイ! その垂れ流しにストップをかけることができるのが女神の速秋津日売! 二神が最後に生んだ天之久比奢母智(あめのくひさもち)神と国之久比奢母智神は水を汲む柄杓を持っている神。 何のコッチャ!というカンジですが、柄杓は水を汲む(水をすくう)ための道具で、この神は溺れる人たちをすくう(救う)ことができるのかもしれません。

陰と陽がぶつかり合わずにうまく交り合うことができれば キレイな地球に一歩近付く?それを可能にするのは男ではなく 汚い垂れ流しをカカと飲み干す男よりたくましいカカの存在。

玉押金亀子はどこにいる?



『金亀子(こがねむし)なげうつ闇の深さかな』
これは 俳人高浜虚子の句です。 まず読み方がチョット変でしょ。 ホントは玉押金亀子(たまおしこがね)というフルネームで知る人ぞ知る昆虫の一種・・別名“糞ころがし” ハイ!れっきとした名前でこの昆虫の日常そのものの名前です。 正式な学名は『スカラベ・サクレ』(仏語)日本では聖なる玉押金亀子と呼ばれ、馬・牛・羊の糞を食べて育つ糞虫です。

まず ばっちい糞をころがすのに見合うくらいの大きさに切り 真ん丸くカタチを整え、後ろ足でバック(蹴る)するように前進し土中の穴に蓄え そこに卵を産みつけ孵化した幼虫もその糞を食べて成長します。 このようにして家畜が草を食む草原は、先祖代々糞を食べ続ける玉押金亀子の完璧クリーニングのおかげで広大な草原の衛生が保たれているのです。 汚い代表の糞・・・しかも糞というのは動物の排出物で残り物すなわちカスです。

ウサギも自分の消化されなかった糞を再度食べるけれど金亀子は他の動物の糞を食べるのです。それも大量に・・ 日本には玉押金亀子はいないけれどこのスカラベに似た役割をする神様がいます。 古事記でいうところのオオゲツヒメがそうで、身体の穴という穴からさまざまな食べ物を取り出してスサノオノミコトに奉りました。 日本書紀では保食(うけもち)神が同じ役割で月読命に食べ物を捧げました。 二人とも汚いということでそれぞれに殺されてしまいました。 その死体から米・麦・粟・豆・黍・稗など穀物を生じさせ五穀豊穣の源になった神様です。

“汚い”だけではなさそう・・その答えは全て玉押金亀子が握っているようです。 だってナント言っても古代エジプトの太陽神の化身なんだから!

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