土左大神

              役小角は呪術で葛城神 (一言主) を翻弄した。            
              宙を舞い人 (神)を惑わす小角の実体とは?
                         呪い。                
         夜しか仕事をしなかった一言主がその標的にされたことを思うと
                  昼は仕事をしなければいけない。
                     さもないと呪われる?
       エライ人の右腕になれなかった一言主はその後土左大神になりました。 

闇にとろける牛

                

あと数日後に迎える新年の干支 “丑” に因み牛に関する慣用句で物の色が黒いことを “牛驚くばかり” という風に表現しています。 また “牛つかむばかりの暗がり” という慣用句もあり、物の判別がつかない全くの暗闇を表現する言葉に牛が使われています。 牛は手でつかめるようなサイズではないことを考えると、余りの暗闇で血迷った人がつかめるはずがない牛をつかめるような錯覚に陥ってしまった状態を “牛つかむばかりの暗がり” と表現したのかな。 イマイチ分かりにくい“黒と闇”に関わっているのが巨大な図体の牛で、干支順の二番目に配されています。 家畜として人間にこき使われることが多い牛は、ロバと同じようにいつの間にか愚鈍なイメージが形成されてしまいました。

 
しかし牛の頭を持つ “牛頭天王” という神が日本でも信仰されていて、出身はインド祇園精舎の守護神と言われています。 祇園精舎の祇園とは祇樹給孤独園(ぎじゅぎつこどくおん)の略であるらしく、孤独な場所が祇園? 昔は祇園=花街=遊女と結びつき、歓楽街の代表的な場所が祇園でした。 そんな歓楽街のすぐ近くにある神社が“八坂神社(京都市東山区祇園町)”で、元々の名前は“祇園社”。 祭神は牛頭天王と同一視されたスサノオノミコト。 身売りして生計を立てていた遊女と荒々しさで高天原から追放されたスサノオノミコトが如何にして結びつくことになったのか。

 
また“午”ではなく“牛”の頭と書いてゴズと読む牛頭は、地獄にいるという牛頭人身の獄卒(地獄で亡者を責める鬼)。 イメージ的に地獄を支配する閻魔大王のような感じがします。 牛頭に縁がある祇園社で大晦日から元旦にかけて行われる有名な神事が“白朮(おけら)祭”。 木と木を擦り合わせて発火させた鑽火(きりび)に薬草のオケラ(朮)を混ぜてかがり火が焚かれます。 そして参拝者はその火を竹で編んだ火縄(に移し、その火が消えないように先端を回しながら家に持ち帰ります。 
そのオケラ火で雑煮を煮ると無病息災が得られるという神事で、燃やされる薬草のオケラから名付けられました。

単に火を発火させることだけが目的ではなく、オケラを燃やして発生する煙の方位が新年の吉凶に影響を及ぼしていたらしい。 風の影響を受けて流れる気まぐれな煙が新年の豊作・不作を決定していたってことですよね。 アテにしにくい煙がかつての日本の将来を占う役目を担っていました。 
その前にまず火が点くかどうかが問題で、憤怒の形相を表していた牛頭天王は怒りの火が点いていたように思います。

夜を徹して燃やされるオケラ火の方位を占う神事は、何故か牛頭天王を祀る祇園社で行われてきました。 カラダは人間だったけれど頭は牛だった牛頭天王は、もしかして牛の歩みのようにトロカッタ・・ すなわちオケラ? ダラダラ垂れる牛のよだれは汚いし牛の歩みはトロサの象徴。 しかし汚くてトロイ牛がたどり着いた場所は善光寺。 牛はカラスと同じように光物を好む習性があり漆黒の闇にとけるカラスのように巨体の牛も暗闇にとろける?

ウジウジしているように見えても最後は目的を達成できる生き物が牛! 食べた物を戻して何度も反芻する牛は、消化活動のノロサも天下一。 鈍いと非難される牛は、天神・菅原道真を乗せて大宰府に下ったという話も伝わっています。 ロバの背に乗ることが多かったキリスト教世界の聖家族。 日本では天神様が牛の背に乗って日本の西を目指しました。 
トロイ牛やロバを好むのは天に関わっている人たちで、トロイと言われれば言われる程 火花が飛び散るタイプだったのかも。

また “牛に対して琴を弾ず” という諺の意味するところは、魯国の公明儀が牛の前で高尚な曲を琴で弾いたらしいが牛は素知らぬ顔で草を食べ続けたという故事から成立した言葉。 言っちゃ悪いが(チットモ悪くないと実は思ってる)牛に琴を弾いて聞かせようとする人間の頭の方がイカレテルのとちゃうのん。 自分のペースを乱されたくなかった牛はトロイなりにいろいろ考えていたのかもしれません。 
風が吹くまま気の向くまま、煙の流れに左右される日本に合う動物はやはり牛のような感じ。

“牛にひかれて善光寺参り” という諺の由来は、善光寺近くに住んでいた不信強欲の老婆が晒しておいた布を隣家の牛が角に引っ掛け走ったのを老婆が追いかけたどり着いたのが善光寺だったという話がベースになっています。 スペインの国技になっている闘牛士が振りかざす赤い布に向かって行くのが牛。 赤色を判別できる可能性があった牛の角に引っ掛けた老婆の晒しの布とは赤い腰巻? 牛はユラユラ揺れていた晒しの布が好きだったのかそれともその布に苛立ったのか。 どちらにしてモ〜、ユラユラしたものに向かって行くのが牛の習性。 赤色か白色の揺れる晒しの布に興味を持った乳を垂らす牛が2009年を背負います。 


不二関係

            

奈良県奈良市春日野町というステキな地に鎮座しているのが春日大社。 “売春” という言葉が持つ卑猥さは、 “春日” になると何故か男女の性行為が払拭されて、のどかで暖かいイメージが感じられます。 同じ春なのに売り買いする春のイメージは悪く、春の日になるとノタリノタリムードで男と女のイビツな関係は消滅してしまうように感じます。 そんな春のイメージを大転換させてしまうのが 『日』 という漢字。

春日大社は藤原氏の氏神で、春と藤が合体したようなダレダレの藤が有名。 地面の砂に擦れるぐらいの状態を称して “砂ずりの藤” と呼ばれています。  どうも名前の響きに濁音が入っているせいなのか、美しいイメージよりダンダラダ〜ンに垂れ下がって のびて不味くなったウドンのように感じてしまうのですが・・ さらにズリの響きから鶏肉の内臓(砂ずりあるいは砂ぎも)を思い出してしまいました。 ネットの写真で見る限りはマア美しいけれど、砂ずりねぇ・・ どうして地面は土ではなく砂なのか?

春日大社に祀られている春日の神は、鹿島から白鹿(?)の背に乗って大和に出現したということらしい。 常陸国の鹿島から鹿に乗った神がやってくるまで この土地を治めていた春日の神は、耳が聞こえない神だったことに関するエピソードが残されています。

耳が聞こえない状態を漢字で書くと 『聾』・・ 龍の耳と記します。 そんな元春日神のもとを訪れたのが常陸国の鹿島神。  「この山(春日山)を三尺借りたい」  という鹿島神の突然の申し込みに、龍の耳の春日神は、何も聞こえないまま快諾したという話。
   
まさに庇を貸して母屋を取られるという事態に発展していってしまうのが、常陸の鹿島神が大和の春日神に申しいれた唐突な土地拝借問題。 実際のところ春日山全体の地下三尺(?)という話で、鹿島神は春日山に地底世界を築こうとしていたのかもしれません。 
春日神の耳が聞こえないことをいいことに、モグリ的性格が発覚した鹿島神。
          
現在 春日大社が鎮座する奈良公園から興福寺一帯にかけて鹿がウジャウジャいます。 その原因をもたらしたのは、鹿の島の可能性が高い常陸国の神ではないか・・ 春日大社に祀られている四人の神の一人であるタケミカヅチ神の別名が鹿島神。 タケミカヅチはイザナギノミコトが息子カグツチを斬った時、その斬った剣の根元に付着した血から生まれた神でした。  武勇に優れ、雷のピカドン要素も備えた神が鹿島神の実態です。

しかし耳が聞こえなかった春日神は鹿島神の危険性を意に介さず、のたりのたりの春の日を満喫するのにピッタリの藤の花のようダレ〜ッと眠りこけていたのかも・・ そしていつの間にか鹿島神に乗っ取られていたのに、それさえ気付かなかったのが春日神?

シッカリ根を張って、光輝く世界を目指すなんてそんな格好ワルイ生き方は性に合っていないと感じていたのが龍の耳だった元春日神? 春の売買もそれほど明るい世界で行われることはないのが世のナライ。 春を買った鹿島神の性分は、暗黒好きでした。  
闇の世界を好む神の傾向は春好き?

常に陸を目指していた鹿島神は 海に近い常陸国より周りに海がない盆地の大和に住みたかった可能性を考えると、元春日神は要望に応じて春を売ってあげた優しい神のような気がします。 だからこそ暗黒の世界を住み処とするモグリ鹿島神と折り合いをつけて現在に至っています。 春日と鹿島の関係は、他に類を見ない不二関係だったことが証明されました。

食国の仕事

    

九州の国東半島(大分県豊後高田市)にある平安時代後期に彫られたという有名な石仏の名は “熊野磨崖仏”  紀伊半島を思い出しそうな熊野という名前の由来は分かりませんが、高さ8mもある不動明王像の石仏が左 そして右側にある少し小さい大仏ヘアー(螺髪)の石仏が大日如来像です。 足の踏み場が悪そうなこのような場所で、巨大な岩壁にカタチを刻んだ人たちのことを考えてみました。
            
この熊野磨崖仏を見に行くためには、下にある胎蔵寺から300m程の急な石段を登らなければなりません。 胎蔵寺までは車で行けても それ以降の坂道は徒歩しか許されておらず、ある程度の健脚者でないと目的地に立つことはできません。 健脚者向きのこの石段には、次のような話が伝わっています。

鬼が人間になりたくて神にお願いをしました。  「一晩で百段の石を積み上げることができれば人間にしてやろう」 と神は鬼に言いました。 そこで鬼の活動時間である暗闇の中で石を積み上げ、あと一歩の九十九段目で朝を告げる鶏の声がしたので、鬼は慌てて逃げてしまいました。 この世のルールなのか、最後の一歩はなかなか許されない仕組みになっているようです。

しかし実際は夜が明けたのではなく鶏が間違って鳴いてしまったらしい。 その鶏を鳴かせたのは神なんだって・・ この話から推察すると、神は初めから鬼を人間にする気持ちはなかったように思います。 活動時間は夜に限定されている見にくい(醜い)鬼をだまして階段を造ったのが神?  馬鹿正直に神の言うことを信じると損をする可能性があるみたい。 暗闇で鬼が積んだ石段はミゴトに乱れて美しい!

日本の昔話でよく知られている “瘤取り爺” の話にも鬼が登場していました。 右の頬に瘤のあるジイが木の裂け目に入り込み、鬼の宴会にタマタマ出くわします。 思わず高揚する気持ちを抑えきれず、鬼の前で無我夢中になって踊り狂ってしまった爺さん。

それを見ていた鬼は爺のダンスが気に入り、又来てもらうために爺が大切にしている瘤を取ってしまいました。 それを知った左の頬に瘤がある隣のジイが 自分のも取ってほしくて鬼の前で踊るのですが、これがどうにも下手で先に取った瘤を下手なジイの右頬にくっつけてしまいました。 夜の世界を仕切る鬼は、夜に宴会を開いてダンスを楽しむ遊び人・・ それと同時にバランス感覚にも優れていて、右か左に片寄って瘤がついているアンバランスを嫌う傾向にあるようです。

神話の世界にも気になる神がいました。 イザナギノミコトが黄泉国で見てしまった穢れを祓うため、禊をした時に洗った右目から生まれたのが “月読命”。 記紀にも各地に残されている風土記にも月読命はほとんど登場しません。 父イザナギノミコトから “夜の食国(おすくに)を治めよ!”  と命令された月読命の真の姿は鬼だったのかもしれないと感じます。

食べる国と書いてオスクニと読ます奇妙な国がパーティを開催するのは夜限定。 昼に仕事をしない鬼たちが昼のスポットライトを浴びることは決してないけれど、着々と夜のオスクニで仕事をしている月読命の姿は どこか鬼を思い起こす一途さがあるように思われてなりません。 それにしても見にくい夜に月読命を初め鬼たちは、夜間パーティでどんな仕事をしているのか・・(?)

獅子(四×四)と十六夜

              

“十六夜” はイザヨイと読み、意味は進もうとして進まないことで “ためらい” を表しています。 ためらいという表現は美しいけれど、別の言葉で表現すると “停止状態” 英語で 『ストップ・ザ・モーション』
       十五夜は満月のことで満ち足りたパンパン状態を表現しています。

十六夜は満月よりも少し遅れてためらうように出てくることから、十五に一をプラスしてこのように名付けられました。 十五夜は奇数で陽の数・・・しかしプラスイチで陽の数から陰数(偶数)に変わります。 性別で考えると、男から女に変化したということですね。 女装ではなく性転換です。 十五夜がパンパン状態なら、プラスイチでどうなるか・・ 多分破裂!
         
              やすやすと 出でていざよふ 月の雲

これは芭蕉が旅の途中 琵琶湖の南西岸に位置する堅田で詠んだ句で、“簡単に出てきた月が雲の中に隠れてしまった” というような意味になります。 『出たかと思えば隠れた月』 は 『いま泣いたカラスがもう笑う』 というイメージに近い。
どうしてカラスが選ばれているのか不思議だけれど、テーマとして考えたいことは 十六夜という月はカラスに似たタイプなのかもしれないということ。

どちらも変化して落ち着かず、どうしたいのか定まらない状態が感じられます。
十六夜という月は、人に見てほしいのか見てほしくないのか迷っているようです。
昼のカラスは目立つけれど、黒ずくめの夜のカラスを見つけることはできません。
同じ黒色を持つ夜に混ざったカラスが、安心して眠ることができるのはやはり夜。

白黒の区別がつきにくい状態を、“混沌(カオス)” とも表現されて ギリシア神話でこの世に誕生した最初の神の名をカオスと言いました。 二番目がガイア(大地)とタルタロス(冥界の最奥部)そして次がエロスでした。

カオスは混沌という意味の他に、無秩序という意味も含んでいます。 男から女に変化した十六夜は、無秩序な月ということにもなりそう・・・ 秩序正しくなければ、計画を練ることもできず 結果も見えないという不安な月が十六夜の月。

この “混沌” というドロドロ状態の中から、ギリシア神話のカオス神が産み出したものがありました。    それは “闇(エレボス)” と “夜(ニュクス)”。
闇と夜という区別できない 似たような二神を カオス神が産み出しました。
そしてこの似た者同士の神(闇と夜)が交わって、ニュクスが昼(ヘメラ)と光(アイテル)をこの世に誕生させました。 人間が生きていくのになくてはならない明るい光を誕生させた一番の根本は、カオスにありました。

無秩序で何かを産み出すことは到底できそうにないカオスは、日本の十六夜あるいはカラスに近いように思います。 出た出た月がぁ〜 で喜んでいる暇もないまま、雲に隠れてしまった十六夜。 十六夜の別名は望月(十五夜)を過ぎたことから “既望(きぼう)” あるいは その日(陰暦十六日)は一晩中出ていることから“不知夜月”とも呼ばれている十六夜。
           
十六(四×四)は、同じ偶数(女性的)を掛け合わせた数で構成されています。 カオス神が誕生させた闇と夜も、十六のように同じものを組み合わせたものでした。
この同じモノ(闇と夜)を掛け合わせてこの世に生まれたのは昼と光で、十六夜は、カオスに変わって昼と光をこの世に出現させることができる可能性を秘めています。 カオスという名によく似たカラスも、十六夜と同じように黒同士の中からナニカを産み出せる希望が感じられました。

神話の矛盾

               

神々の話を読み続けていると、多くの矛盾する話に出会います。 日本書紀のある書で “神日本磐余彦(後の神武天皇)” は、『神日本磐余彦火火出見天皇』 という名で
記録されています。 一般的に伝わっている話では “火火出見(ほほでみ)” は山幸彦を表す名で、磐余彦の祖父の正式名が “彦火火出見命”。
 
これらの矛盾することから単純さを導き出すと、神武天皇の背後に祖父の山幸彦がくっついていることが想像されます。 神武天皇の父親はウガヤフキアエズノミコトで、通常はこの名前で通っています。 磐余彦の曽祖父になるニニギノミコト(山幸彦の父)も、一般的にこの名前で理解されています。

以上のことをまとめて考えると、一代目(ニニギノミコト)と三代目(ウガヤフキアエズノミコト)はシンプル。 二代目(山幸彦)と四代目(磐余彦)はいくつかのの異名を持っています。 
古代中国の陰陽の世界を当てはめて考えると、奇数は陽の数でオトコを表し、偶数は陰の数でオンナを表します。 あくまで空想として想定できる一つの仮定は、偶数の代の山幸彦や磐余彦は女性的男性の傾向があるのかも?

また兄弟を調べてみるとニニギノミコトもウガヤフキアエズノミコトも一人っ子! 
(天火明命がニニギノミコトの兄とする話もあるけれど、後から付け足した感じで不自然)
それに対して山幸彦は三人兄弟 磐余彦は四人兄弟でともに末っ子です。

一人っ子は皇位継承においても一人なので、誰かと比較されたり皇位をねらって争うこともしません。 しかし兄弟がいるとそのうちの誰か一人が皇位継承者になるシステムなので、ふさわしい人物としての資質が問われ その過程で争いが発生することも考えられます。
     
そのような状況で闘い勝ち抜いてきた人物が二代目の山幸彦と四代目の神武天皇(当時は磐余彦)。 生活拠点は三代目までが日向で、四代目の磐余彦の代になって大和に進出しました。 しかも初めに記したように、この二人(女性的男性)がくっついたような名前を持っているのが神武天皇です。
 
またもう一つ納得しにくい話があります。 日本建国の租・神武天皇(磐余彦)以降二代目から九代目までの天皇は、業績が伝わっていないという理由で存在が疑問視されています。 天皇が愛する妻と仲良く幸せに暮らしただけではいけないらしく、天皇は業績を残す必要がありました。

そういう理由もあってか、業績がない天皇は存在していないとみなされ “欠史八代” とまで呼ばれています。 しかし天皇が生活していた宮や御陵がチャント残っているので 欠史八代などと勝手に現代人が決め付けてしまうことの方がオカシイと思うのですが・・

また二代目から九代目までの天皇の宮や御陵は奈良県橿原市・御所市など葛城地方に多く存在しています。 天皇以前の神代に “一言主神” という葛城の神がいました。 
顔が醜いので夜しか働かなかったという神です。 そうすると欠史八代の天皇たちはみんな夜だけ活動して昼は何もしなかったので、業績も伝わってこないという風に考えることもできます。

一言主神に関する話として伝わっているのは、土佐に追放され中央から離された神でした。 一言主神と同じグループと考えられる神武天皇以降九代目までの天皇は、存在していない天皇にされたまま欠史八代というスタンプが押されたまま今日を迎えています。

しかし夜に働くことができる目を持っていたはずの 一言主神の血を受け継いでいる欠史八代の天皇たちは、業績よりも妻と仲良く暮らすシンプルさを求めたのではないかと思います。 でもそのようなシンプルさは中央に認められることは決してなく、存在しない天皇にされたまま現代の世に受け継がれてきました。 たとえ業績がなくても、天皇と妻の名 二人が一緒に生活した宮跡 そして死んだあとの御陵は、一言主神の故郷である葛城地方にシンプルに残っています。    
       
別名を持たなかったニニギノミコトとウガヤフキアエズノミコト・・そして業績を残さずシンプルに生きた二代目から九代目までの天皇の名前は、世の中には余り伝わっていないけれど 自分自身が納得できる時間を生きることができたのではないかと思います。

麦と十三夜

                

“十三日の金曜日”は英語圏・独・仏などで不吉な日であると信じられてきました。 十三という数が不吉なのか金曜日が不吉なのかあるいは二つが合わさって不吉なのかはハッキリ分かっていません。 でも不吉とみんなが言うので不吉なのでしょう。

日本ではかつて十二月の次に“十三月(じゅうさんがつ)”という月があり、一年(十二ヶ月)を過ぎて、その翌年の一月のことを十三月と呼びました。 一年は十二ヶ月で終わりまた一月に戻るのではなく そのままダラダラ続くような日々の経過を表しています。 見方を変えれば積み重なっている日々の重さにもつながり、古代の日本がそうであったように 月を中心にした暦法の名残りが十三月という月に表れているような・・動く昼より 動かない夜を重視したのが古代の人々だったのでしょう。

旧暦八月の“十五夜”に対して【後の月】又は【月の名残】と呼ばれている“十三夜”という月夜があります。 十五夜から二十八日後の月のことで、『十三夜に曇りなし』と言われるぐらいにこの時期の月は美しいとされてきました。 十五夜は【中秋の名月】と言われ 十三夜は【小麦の名月】と言われています。(クスッ!) ふざけて言っているような名前に聞こえるけれど、小麦の豊作を願って古代の人たちが名付けた名前を 十三夜と呼びました。

中国から伝えられた十五夜に対して、十三夜は日本で古くから行われていた月見の宴でした。 平安時代の天皇で59代宇多天皇が十三夜を無双(二つとない)の月と言い表し、十三夜を愛でたということが伝わっています。 古代の人たちは『十三月』や『十三夜』など 十三と月 十三と夜などを合わせて他に比べようがないくらいの美しいものを表現しようとしたのかもしれません。

小麦の名月と表された十三夜ですが、神話世界で小麦が生まれた場所がこのように記されています。 高天原を追放されたスサノオノミコトがオオゲツヒメに食物を求めた時のこと・・そこでヒメは自分の鼻や口などから、食物を出してスサノオノミコトに与えました。人が常食とする五穀(米・麦・粟・豆・黍)を生み出したのがこのときで、麦はオオゲツヒメの陰部から生まれました。

麦の故郷は暗い陰部すなわち見にくい場所で夜の生まれです。 現代の日本を代表する米(稲)はオオゲツヒメの目から生まれました。 これと似たような状況で月読命に殺された保食神の死体の陰部からも麦が発生しています。

麦の穂は稲の穂のように垂れたりしません。 また水を必要とせず、荒地でもサボテンのようにスクスク育つ真っ直ぐなヤツ。 そんな麦の豊作に願いを込めて月見をする十三夜は、きっと本来の日本のカタチを表していると思います。

暗い洞穴で生活していたとされる土蜘蛛や 朝廷に逆らい征伐された熊襲と呼ばれた人たち そして素直に国譲りを承諾した出雲国の人たちなどはみんな麦を主食にしていた? 水がなくても真っ直ぐに成長できるこれらの人々は、十五夜ではなく十三夜を愛しく想ったのでしょう。 黄金色に輝く麦の穂は十三日の金曜日に隠された暗号!           

“醜男” “醜女” という名前

                

お相撲さんの呼び名を“シコナ”と言い朝青龍とか白鵬がそのシコナにあたります。 漢字で書くと醜名・・醜い名前がお相撲さんの名前になっています。 神の世界にも“シコ”いう名前を持つ神がいました。古事記では “葦原色許男” 日本書紀は “葦原醜男” と書く神の別名は大国主神。 だからシコというのはブサイクということではなく 色(痴情)を許す男あるいは強くて頑丈という意味の “醜” い男がシコオになります。
             
この大国主神は描かれる場面によって異なる名前が使われていて、シコオという名で登場するのは 八十神に殺されそうになって根の堅州国に行ったときの名前がシコオでした。 それまでは大己貴神(おおなむちのかみ)という名で八十神から多くの迫害を受けていました。 ただシコオは自分が名乗ったのではなく、根の国の支配者になっていたスサノオノミコトが娘・須勢理姫に紹介されたとき もうすでに知っていたかのように須勢理姫の父親は言いました。

「あいつは葦原醜男じゃないか」 オオナムチはスサノオノミコトによって突然アシハラシコオに変えられてしまいました。 須勢理姫が一目で好きになったのがアシハラシコオだったことを考えると この根の国では強くて格好イイ男のことをシコオと呼ぶ習慣がありそうです。 だから強くてたくましいお相撲さんの名前が醜名?

また醜男ではなく醜女と言われた女神がいて 一般的に通用している名前は磐長姫。 山の神・大山祇神の娘として生まれた姉妹の姉がイワナガヒメで妹はコノハナサクヤヒメ。 顔が醜いので嫁ぎ先から追い返されたというヒドイ話も伝わっています。 この醜女の磐長姫を祀っている神社が茨城県の筑波山中腹にある“月水石神社” 月水というのは月経のことで、月に一度赤い水を流すと言われる巨石が御神体になっています。 

しかしこの神社の由来では大山祇神の娘ではなく 高天原から遣わされ国産み・神産みを行った イザナギノミコトとイザナミノミコトが両親になっています。 さらに不思議なことは 人々に永遠の命を授けるとされる磐長姫が若くして病気で死んだという話。 この巨石があるところが死んだ場所でイワナガヒメは巨石のように動かなくなった? あるいは忙しく動くことをやめて石のような生活を始めたのが筑波山中腹なのかな。

現在 イワナガヒメを祀る月水石神社は子宝神社として参拝客を集めています。 月に一度月経があるってことは子供ができていない証明のようなものなのに子を授ける神? 磐長姫が祀られていることから想像すると この巨石のように強くてたくましい神が磐長姫であるような・・今の感覚では醜女と蔑まれているような名前のそのホントの意味は 女であっても強くたくましく生き抜くことができる醜女。 その醜女を見抜くことができなかった高天原出身のニニギノミコトの目は見にくい目だったということですね。

現代社会の視点で醜(しこ)を見ると混乱が起こります。 国柄や土地柄さらに人柄などあらゆる違いがあって当たり前! 醜いことは忌み嫌われることではありません。 見にくい社会をキチンと見るために“醜男”“醜女”が伝えたい意味を考えてみましょう。

月と桂の親密さ

              

山城国風土記によると、月読命が天照大神の命令で葦原中ッ国の住人である保食神(うけもちのかみ)を訪ねるため高天原から降りていったとき “湯津桂”に寄りかかっていたと記されています。 山幸彦が海底の宮殿を訪問したときも 海神の家の門に立つ桂の木に寄りかかって立っていました。 月読命と山幸彦に共通することは真っ直ぐに立てない・・表現を変えると何かに寄りかかりたい! 一人ぼっちはイヤなんですという甘えっ子タイプの男かもしくは自立できない依存男?

かつてスサノオノミコトが青山を枯山にし、河海の水が乾上がるぐらいに泣き続けていた時がありました。 樹木に覆われた山が枯山になるぐらいだから 水はけがいい砂のような土だったのかな・・だから水をため込むことができずに樹木が枯れてしまったということは考えられます。 しかし山は通常 岩や粘土質の土で構成されているので水を溜め込みやすく木々も十分に生育するはずなのにね。

ココで紹介する桂の木。この木は水を大量に求める特性があり、根元から水が湧き出ることもあります。 それだけ目に見えていない地下深くまで根を張り 水を掻き集めているのかもしれません。 中国の古い伝承にこんな話があります。 

『仙人になる修行の途中 過ちを犯して月に追放された男がその月で与えられた仕事は桂の大木を切り倒すこと。でもその桂の木は切っても切っても また生えてきたので いつまでたっても桂の木を切り倒すことができなかった』という話。 中国では桂は月にしかない木と考えられ“月”そのものを“桂”と呼ぶこともあります。

月読命に食べ物をもてなすため保食神は首を自由自在に回転させてイロイロな食べ物を口から吐き出しました。 陸地を向いてご飯 海を向いて魚 山を向いて獣を月読命に提供しました。 カラダはそのままで首だけを動かしてそれぞれ陸・海・山に向き合いました。 想像するとちょっと不気味! このようにクルクル首を回転させて食べ物を月読命に差し出したのが月読命を受け持つ保食神。 

しかし “口から吐くとはキタナイ!” と月読命は保食神を斬り その斬られた保食神の屍体からは多くのモノ(牛馬・粟・蚕・稗・稲・麦・小豆・大豆)が生じました。 かつて迦具土神やイザナミノミコトの屍体からもたくさんの神が生み出されていました。
       
どれだけ切ってもまた生えてくる桂の木は枯れることはなく とても頼り甲斐がある木といえます。 月読命も山幸彦もつい寄りかかりたくなってしまうのでしょう。 しかし仙人になろうとしていた男にとってはシンドサだけを与えられた木が桂の木。 月と桂が親密な関係を築くためには修業は必要ないということですね。

オンリーワン

          

葛城神というのは名前の通り葛城山(大阪府と奈良県の境)をねぐらにしていた “一言主神” の別名です。 今昔物語に登場する一言主神は顔が醜いので 昼に働くことを避けて夜だけ働いたと言われています。 修行のため 葛城山と吉野の金峯山(葛城山の南東方向)の間に石橋を架けるように役行者に命じられた一言主神は 醜い顔のため夜しか働かず 昼は何をしていたのか? 

いつ眠るのか?という疑問はさておいて 山と山に石橋を渡すという役行者との約束を果たすことができず 役行者は怒って 近くの小川沿いに立っている木に一言主神を縛り付けました。

一言主神は神でありながら要領が悪いのかいつも神以外の人物から迫害を受けているように思います。 しかも石橋を渡すように!という命令をする側ではなく逆に命令されているのが一言主神。 神なんだからもっと威厳を持ってヨ! それにしても一言主神は どうしてこんなにこき使われてしまうのでしょう。

そのヒントは名前にありそうです。 名前にも出身地にも使われている“葛(かずら)”はツタ性で 周りの立っているものに絡みついていく植物です。 ネトネバのくず粉はこの葛の根が原料。 絡み体質とネトネバが虐められる原因かもしれません。 また葛は桂ともつながり、中国では月にしか存在しない木と考えられていて夜を象徴しています。 

暗い夜に活動するということは醜い顔が見にくいので丁度いいのかな・・そういえば鬼の生活様式も活動時間は夜なので、一言主神は鬼グループの一員であると考えると物語の辻褄が合ってきます。
 
鬼の住処と考えられる葛城山の南東方向の麓に鎮座しているのが “一言主神社” その社殿の横に “蜘蛛塚” があります。 逆に土蜘蛛の霊を鎮めるためにココに社殿が建てられたという風にも考えられます。 伝承では神武天皇に滅ばされた人々の怨霊のことを蜘蛛塚と呼び、平安時代には生き残った人々が本拠地としていたのが葛城山でした。

土蜘蛛は 『身短くして 手足長し』 と伝えられ、洞穴を住居と定めていた人々のことを言います。 追い詰められて身を潜めなければいけなかったということですね。 そんな土蜘蛛の塚があるところに一言主神社があり しかも土蜘蛛の中心地とされた葛城山の麓です。 神でありながら醜いと蔑まれ、一時期 土佐国に追放されたこともありました。 

イイコトもワルイコトも一言でスパッと言い切ってしまう潔い一言主神の顔の見にくさに比べれば 現代に蔓延した携帯電話のダラダラ話の方がもっと醜い!
               
         なほ見たし 花に明けゆく 神の顔       松尾芭蕉

芭蕉が見たかった神の顔とは・・洞穴生活を強いられた人たちの見にくい顔こそ神の顔だったのでは・・

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