かえる

        貝原益軒の『大和本草』によれば、かえるの名は他の土地に移しても
          必ず元の所に帰るという性質に由来すると記述されている。
                     蛙は上も下も土。
                時を経ても竜頭蛇尾にはならない。
            尻すぼみになりたくなかった蛙は古池に飛び込んだ。
     

壁と璧

                   壁があると向こうが見えない。
                   向こうが見えないと鬱陶しい。                       
      しかし完璧や双璧で使われる 『璧 (ドーナツ状の玉) 』 は向こうが見える。
              行き止まりになる壁に対して突き抜けるのが璧。
                      完璧なものは核がない?

東海林

        東海と林がくっ付くと (東海林) とついショウジと訓んでしまいます。
              習慣化されてしまうと違和感はなくなる?
                素直に訓むとトウカイリンなのに
   東海林をトウカイリンと発音しようものなら蔑みの目で見られたりするのがこの社会。
            山形ではショウジよりトウカイリンと訓むのが一般的で
     寒河江市 (東海林平・東海林原) や鶴岡市 (東海林場) には特殊な地名もある。
         東海の林は丸見えの平らな原っぱなので狩人の居場所はない。

無茶

                    茶が無いと無茶をする。
               無茶から苦茶になり最後はクチャクチャ。
                  火の無いところに煙は立たぬ。
                  茶の無いところに茶柱は立たぬ。

       足名椎・手名椎・塩椎・野椎に共通するのがツチと読まされる『椎』。
          広辞苑に示された椎は犯土・土・槌などと同じ範疇に属し、
      陰陽道で土を犯してはならないとする日という風に説明されていました。
                    意味ワカランですが・・
           椎という漢字は椎の木とか椎茸のシイが一般的ですが、
           脊椎動物のツイもこの椎という漢字が使われています。
        人の姿勢を決定する背骨を構成しているのが椎骨(ついこつ)で、
           背骨が曲がっていると左右どちらかに傾いてしまう。

   この椎骨で構成された背骨のイメージで思い出すのが呼び捨てにされた天香香背男。
         高天原グループの乗っ取り戦略に最後まで抵抗した星神でした。
             抵抗できたのは椎骨がシッカリしていたから?

             秋空を 二つに断てり 椎大樹   高浜虚子

             冒頭に記したツチ神を犯すと後で祟られるかも・・ 


日下川と赤兀橋

数年前、全国規模で実施された市長村合併で村として存続することを選択した“日高村(高知県高岡郡)”。日下村・能津村・加茂村の三村合併で成立した日高村の中心は特殊な読み方が定着している日下。  

  
           葦原中国のイメージに近い日下川調整池。

    
            淀む日下川の水面に映った太陽。

 
   深い淀みの淵に架かるのが“赤兀橋”で、狩猟禁止区域という看板もある。


漢字とは思えない『兀』は訓読みで“あしきる”音読みで“ごつ”と読む特殊な漢字で、
意味は高く突き出た場所とか山に草木がないことを表しています。日高村の資料によると兀はアカハゲと読むようで、流れるはずの水は滞り育つはずの樹木が育たない場所に架けられたのが兀橋?
 
   
          赤橋を映す日下川は全く流れていない。

       人にたとえると足を切られて歩けなくなった状態?

    かつての日下川(仁淀川の支流)は仁淀川が氾濫するたび逆流し、

           地域の住民を困らせていたらしい。

しかし近年は高低差のない平地を流れる日下川を調整する巨大な池とのつながりで、

              停滞している日下川。

        池に調整されている日下川は川というより溝。

               だからクサカ?


番人

   当番の“番”、茶番の“番”、番茶の“番”という漢字が気になっています。

       『一番』は何と読むか? 誰だってイチバンと読むよね。

          ところがヒトツガイと読む場合もあるんです。

        聖書の中で弟アベルを殺したカインに神は尋ねました。

            God 「アベルはどこにいる?」

       Cain 「知りません。私は弟の番人なのでしょうか?」

     表現を変えれば“アベルの番人じゃないので居場所は知らない。”

       カインとアベルは一番(ひとつがい)ではなかった? 

 

           一番の関係とは如何なるものか?  

       雌雄一対(二つで一つ)を普通は一番と呼びますが、 

    そのヒトツガイを代表するものに“蝶番(丁番)”がありました。

              

         蝶の羽根に似ていることから命名された蝶番。

 

  扉や蓋の開閉のために用いられるもので、くっ付いたり離れたりするヤツ。

          蝶番のような夫婦は互いに番をし会う?

      同じバンなら見張る“番(違う二人が一つになる)”より

      一緒に歩む“伴(半分の人同士が一つになる)”がいい。   


枉と柱

“上の瀬は流れが速い。下の瀬は流れが遅い。”という言葉を発して中の瀬で身を清めたイザナギノミコト。その直前に今まで身に付けていた冠・腕輪・衣類さらに杖や嚢(ふくろ)など一切合財を捨てて禊に臨みます。神話の舞台になった葦原“中”国の傾向は真ん中を重要視しているようで、禊に際して強調されていたのが速くもなく遅くもない中途半端(?)な中の瀬。そして一番に生まれたのが八十禍津日(やそまがつひ)神で次に生まれたのが大禍津日神。(古事記) 日本書紀では八十枉津日神と書き、災厄を意味する“禍”を示す部分に“枉(おう)”という漢字が使われています。王様流に道理を押し曲げる意味を含んでいるのが枉・・ 柱と似た漢字ですが決して柱になれない(なってはいけない)のが何かを捻じ曲げてしまう枉。黄泉国の穢れに接したイザナギノミコトが身を清めた際の垢から生まれたのが八十マガ津日神で、その直後にマガを直すための神直毘神が生まれています。災厄が露呈(邪な八十マガ津日神誕生)することは正しい方向に導く神の誕生でもあり、道理を曲げてでも居座り続けてきた王様の時代は終わりを告げようとしている感じ。日本は神代の時代からあらゆる穢れを祓おうとする直な心を宿していました。

 

アメリカ人の目で分析された日本人論“菊と刀”という本(名前しか知らない)がありました。菊と刀のうち刀はもちろん訓読みですが、和名として知られているキク(菊)は訓読みではなく音読みでキクと読む珍しい漢字。また神話(日本書記巻一の一書だけ)に登場するのが謎多き菊理媛(くくりひめ)で、菊をククと読むのが習わしの神話ワールド。

   
イザナギ&イザナミの口論場面となった黄泉平坂(黄泉国と葦原中国の境目)に突如出現し、両者を和解させる方向に導いた女神の名前が音読みしかない菊の理(ことわり)。このククリヒメがそれぞれの言い分を聞き助言したことで二人は和解したという展開で、話はこれで一巻の終り。長く続かない話は至ってシンプルですが、イザナギの禊もなくなってしまうので生まれるものは何もない。その何もない方向に向かわせたのが菊理媛。

                  

      夜々むすぶ 夢の哀艶 きくまくら     飯田蛇笏


合歓

      歓び合うという漢字で表現されるのがネムノキ(合歓木)で、

       ネブまたはゴウカンという呼び名も持ち合わせています。

      ネムやネブはともかく、ゴウカンという響きはどうもネェ・・

 広辞苑によると“歓楽を共にすること”“夫婦が同衾すること”が合歓の意味で、

       同衾(どうきん)という響きもちょっとネェ・・・

    一つの夜具の中で男女が共に寝ることをドウキンと表現するようで、
            
初めてこの変な言葉を知りました。

   

    微妙な隙間を保ちながら小さな葉が几帳面に並んでいるネムの葉。 

   夜になると自然に閉じて(それぞれ対になっている葉が重なる)垂れて
          眠るイメージから
命名されたのがネムノキ。
       昼は離れていても夜は一つになる葉の習性はまさに同衾。


   

   ネムの花はというと・・ 扇形に伸びて広がる糸状のコレ(↑)ですね。

       しかし厳密にいえば、この糸状のものはすべてオシベ。

       花弁はどれ? メシベはあるの?・・という感じで、

          ネムの花と思っていたのはネムのオシベ。

              

昼は咲き夜は恋ひ寝る合歓の花 君のみ見めや戯奴さへに見よ     紀女

 

我妹子が形身の合歓木は花のみに 咲きてけだしく実にならじかも   大伴家持
 
合歓の花に託して自分の恋心を家持に贈ったのが紀女郎。現代の女郎は遊女をイメージしますが、当時は身分のある女性を女郎(いらつめ)と呼んでいました。紀女郎が詠んだ歌に表現された合歓の花は花だけで実にならないという返歌を贈ったのが家持。オシベだらけでメシベが見えない合歓の花は当然実を結ばない? そこで気になるのが“形身”と表現された合歓木。 死を連想させる合歓(歓び合う)木の恋はこの世では実らない? しかし眠りに就いた夢の中なら歓び合う恋は成就できる。


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