今夏と出雲

    仕事(海の支配)よりママを優先したスサノオの血を受け継いでいたオオナムチは
  ガガイモ(果実は弾ける)の舟に乗ってやって来たスクナビコナをパートナーにした。

           大汝少彦名のいましけむ 志都の石室は幾代経ぬらむ

       大汝と少彦名は志都(静)の石室(洞窟)で出雲建国計画を練った。
    山の洞窟(形が見えない)ではなく水はけのいい砂浜の洞窟(形が見える)で。
           地底に住むスサノオをはじめ大汝少彦名も闇を好む。
         底でつながる闇グループは仕事グループのように水臭くない。
     今夏の西日本は天孫族(晴れ)に国を譲った出雲族(曇りのち雨)の勝利。


和気(別)のルーツ

 髭が胸まで垂れ下がっているのにホムチワケ(本牟智和気)又はホムツワケ(誉津別)は
                 その汚い髭を切ろうとしなかった。
     海の支配を命じられたスサノオノミコトも髭が胸まで垂れ下がっているのに
          泣き言(ママに会いたい)ばかりでウルサイだけだった。
                 この不潔な男の共通点が肥河と蛇。
           肥河に降り立ち八岐大蛇と向き合ったスサノオに対し、
   ホムチワケは一夜を共にした肥長比売(肥河の蛇)と向き合わないで逃げ出すだけ。
      ややこしい相手に巻き込まれなかったホムチワケは別天津神の血筋かも。

淤美豆奴神

      大国主神の祖父 (別名・八束水臣津野命) という立場に立つ淤美豆奴神は
        よその国の余り物を自国に継ぎ足し国土拡大に精を出しました。

 
         その結果生まれたのが海水と淡水 (斐伊川) が混じり合う中海。
            異なる要素が混じり合うことで新たな世界が開ける。
            そのことを知っていたのが大国主グループでした。

真水と海水

不特定多数の八十神と大己貴神は腹違いの兄弟。お人好しの大己貴神は自分の荷物以外にも八十神の荷物を背負うことを余儀なくされていました。主従関係にあった八十神と大己貴神ですが、その性格の違いが色濃く示されていたのが因幡の素兎。“海水を浴び山の尾根で伏せていれば完治する”と言ったのが八十神。その言葉に従い実践したウサギの症状は悪化の一途をたどります。一方、大己貴神のアドバイスが“真水で身体を洗い蒲の花粉を撒き散らした上に寝転べばよくなる”。弱いウサギの体質に合わせてアドバイスしたのが気のいい大己貴神で、海水派(苦い水)の八十神に対し真水派(甘い水)の兎とオオナムチ。


              ほーほー
ほたる来い

              あっちの水は苦いぞ
              こっちの水は甘いぞ
              ほーほー ほたる来い  (わらべうた)

                  

       ホタルが生息できるのはキレイな水が流れるところ。         

八という形

末広がりになった漢数字“八”は神話の中でキーワードになっていました。“八”をヤと読んで日本を意味する大八洲国。その大八洲国の宝の一つが“天叢雲の剣”で、高天原を追放されたスサノオノミコトと酒飲み八岐大蛇が向き合った結果の産物。
後に身の危険にさらされたヤマトタケルを救ったことで“草薙の剣”と名前を変え、現在は熱田神宮の御神体となっています。縁起がいいと考えられている末広がりの八ですが、限りなく末に広がっていくというのも怖い話。人間の欲望が末広がりなら、人間の寿命が末広がりなら、それこそこの世は魑魅魍魎が織り成す化け物の世界になってしまう。そこで殺されても殺されても果てしなく生き返る八岐大蛇は徹底的に殺される必要があり女を食い物にしていたヤマラナイ八岐大蛇の悪行はヤマッタ?

                        
神話が伝える八岐大蛇の風貌は八つの谷と八つの山で構成されていました。谷と山が同じ数の八岐大蛇は円のようにクルクル回転し、同じことを何度も繰り返していた様子が伺えます。その繰り返しがやまるためには誰かがどこかで切り裂かなけれならない。それを実行したのが高天原のはみ出し者だったスサノオノミコト。谷と山を繰り返す振幅の激しい八岐大蛇の目は赤く充血し、腹は血でただれていました。これらの記述から想像すると到底平和な日々を過ごしていたとは思えない様子で何かに苛立っていた可能性が・・ 安定とはかけ離れた雰囲気の八岐大蛇の頭上には光を遮り雨を降らす大きな雲が常に同行していました。先に示した天叢雲の剣は八岐大蛇について回る叢雲からの命名で、雨(水)と深く関わっています。         

                                   
出雲を舞台に繰り広げられた八岐大蛇とスサノオノミコトの戦いで救われたのが手名椎&足名椎夫婦の八人姉妹の八番目の娘クシナダヒメ。そのクシナダヒメと結婚し新居を構えたスサノオノミコトが詠んだ歌が“八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣作るその八重垣を”。八重垣が三回繰り返されたこの歌でスサノオノミコトの退治劇は終了します。また八重という冠をかぶせられた事代主神(大国主の次男)は出雲国を高天原チームに譲り渡す最終決断をした神。こうして八重事代主神はいつまで続くか分からない危険な末広がりの状況にピリオドを打ち、再生に向けて第一歩を踏み出すのが話の筋書きでした。              

 
その八重という冠をかぶせられた事代主神は釣り好きでした。山幸彦(弟)に服従することを強いられた海幸彦(兄)側に属するのが八重事代主神? 対立を避ける傾向にあったのが出雲族の特徴で、それをいいように利用したのが高天原族だったのかも。ぶつかりたくなかった事代主神はカモにされやすい鴨(水鳥)族が信仰していた神で元々のルーツは大和盆地の葛城にありました。奈良県御所市(葛城の中心)の鴨都波神社に祀られているのが鴨族のツバがかかった事代主神。常に形を変える水との関わりは深いはず。

      
さらに出雲にかかる枕詞『八雲立つ』あるいは『八雲さす』のように出雲を舞台にした話に関与しているのが八。この八とは切っても切れない縁のある出雲国風土記(意宇郡)には狭い国を継ぎ足し造り上げた国引き神話が紹介されていました。その国引きをクニコクニコ(国来国来)と実践したのが“八束水臣津野(やつかみずおみつの)命”というややこしい名前の神で、名は体を表す如く八と水が使われています。
狭い出雲国に他国の余りモノを継ぎ足し完成させたのが今の島根半島ということで、元の出雲国と新たにくっ付けた島根半島の間に生じたのが海ともつながる宍道湖と中海。淡水の琵琶湖とは違い、塩分濃度が異なる海水と淡水が混じり合う汽水湖を形成しています。いつまでもどこまでも流れ続け姿を変え続ける水を閉じ込めた(終らせた)のが八と水にかかわる八束臣津野命。ダラダラが続く限り完成に至るはずはなく、形あるものはすべて終りがありました。 


鰐と兎

敏捷な動きの哺乳類“兎”とトロイ動きの爬虫類“亀”が走り合いをして勝つのは亀。途中で兎が眠ろうが眠らなかろうが話の筋は亀が勝つことになっていて、大切なのは兎の相手を務めるのが龍宮にいざなうことができる亀であること。さらに兎を中心にした話で思い出すのがワニと部族の数を比べようとしてワニを騙したウサギ(古事記だけに登場)。その結果、哺乳類のウサギは爬虫類のワニに皮を剥がれマルハダカにされてしまいます。部族が違う亀や鰐を相手に、常に敗者に設定されているのが長い耳が特徴のウサギ。

 
食物連鎖の底辺にいるウサギの長い耳は肉食系動物から我が身を守るためのアンテナ的役割を果たしていて、耳賢い生き物がウサギ。耳賢いことはズル賢いことにもつながり、ワニを利用し海を渡ろうとしたウサギはワニの怒りを買うことに。その点、ワニは兎の提案“我らウサギ族とお前らワニ族とではどちらが多いか数えてみよう”を真に受ける素直さが感じられます。しかし土壇場でこけるのがウサギ。言わなきゃいいのに本心をさらけ出してしまうズル賢いアホな奴。本心を知った鰐は兎を丸飲みしようと思えばできたはず。でも実際は皮剥ぎだけで丸飲みはしなかった。その理由として考えられる(勝手な想像)のが神のように海を渡ろうという意気込みが感じられたから? あるいは寝たふりをして亀を勝者に導く桂男だったから?

               
耳賢い兎の皮剥ぎを実践したワニですが、そのワニ(日本に実在しない)に関する話が出雲国風土記(意宇郡安来郷)にありました。地元では結構有名な伝説みたいで、主人公は猪麻呂(いまろ)という名の語り部。その猪麻呂の娘が北の海の毘売埼でワニに襲われ死んでしまいます。その不運な事故が起こったのが天武天皇3年(674年)713日。娘の名前は記されておらず、その娘が死んだ日は明確にされています。何の前触れもなく娘を奪われた父の苦しみは尋常ではなく、娘の復讐を決心した猪麻呂は“我にワニを殺させたまえ”と神に祈りの言葉を捧げ続けました。

父の祈りの言葉は天に通じ、一匹のワニを取り囲むように出頭したのが百余りのワニ。ワニ族が一致団結し犯人のワニを猪麻呂に捧げた様子が伺えます。娘の無念を晴らすため父はその真ん中のワニを串刺しにして細かく切り裂きました。切り裂かれたワニの腹からこぼれたのが愛する娘の片足・・こうして猪麻呂の願いは天の神に届いたことが証明されます。猪麻呂の神への祈りはホンモノだったことが示されはするのですが、ワニの役割をどのように考えればいいのか。娘を殺した犯人はワニで、その犯人を知り犯人を猪麻呂に引き渡したのもワニ。同族が犯した罪を庇ったりしないのがワニ族?

 
神話に登場するワニは巨大な八壽鰐であることが多く、山幸彦を追いかけた豊玉姫のホントの姿がこの八壽鰐でした。彼女は息子(ウガヤフキアエズノミコト)を自分の手で育てることができない状況(故郷に戻らなければいけなかった)に立たされ、地上に残す息子のため自分の乳房を切り裂くことを躊躇せずやってのけた女性。その息子は後に自分を育ててくれた玉依姫(母の妹)と近親結婚(叔母&甥)することになりますが、その根源に居るのが巨大なワニ。そして天孫ニニギノミコトから数えて四代目となる神武天皇がこのワニ族の両親から誕生します。

 
日本では獰猛で邪悪なイメージが先行する鰐ですが、世界を見渡すと鰐を神聖視する国(特にメラネシアの島々や古代エジプト)は結構多い。食物連鎖の上部に立つ鰐が日本の出雲国を舞台にした神話に登場し、食物連鎖の底辺を担うウサギと部族の多さを競う話の意味するところは何なのか。さらに神武天皇の正妻イスケヨリヒメのルーツ(父)に関与しているのが八壽鰐になってミゾクイヒメの元に通った事代主神で、もう一人父とされているオオモノヌシが祀られている金刀比羅宮の祭神はクンピーラというワニでした。そのワニの舞台にされているのが日本海に面した出雲国。高天原族に国を譲った古代出雲人はワニ族(あるいはウサギ族)だった可能性が・・
では神話に登場しない食物連鎖の中央部を担っているのはどんな部族? 


ペアの鏡

三種の神器を持たされ高天原から地上に下ったのが天照大神の孫ニニギノミコト。
天孫であることを証明する持ち物が八咫“鏡”・八尺瓊“勾玉”・天叢雲“剣”で、

岩屋に隠れた天照大神を呼び出すため思兼神の提案で用意されたのが咫鏡と八尺瓊勾玉でした。咫鏡を作ったイシコリドメ、八尺瓊勾玉をつ作ったタマノオヤ(玉祖)はニニギノミコトの従者として高天原から地上に随行しています。しかしもう一つの天叢雲剣は八をかぶった持ち物とは全く違う場面で紹介されていました。

 
鏡と勾玉は高天原を舞台にした天照大神に属するアイテムのようで、天叢雲剣は地上(出雲)で女を食い物にしていた八岐大蛇のシッポにあったもの。そのシッポをつかんで探り出したのがスサノオノミコト・・ということで天叢雲剣はスサノオノミコトに属するアイテム? しかし元々は大酒飲みの八岐大蛇が尾に内包していた剣で、三種の神器すべてにハチが関与しています。天照大神側の二つのアイテムは闇からの脱却を図るため知恵の神が指示して作らせたもの。一方スサノオノミコト側のアイテムは自分の妻となるべき女性の敵と闘い手に入れたもの。            

                 
出所を異にする三種の神器ですが、咫鏡に関して気になる事実が伝わっています。その事実とは咫鏡が完成する以前にすでに二つの鏡(日像鏡・日矛鏡)が作られていたこと。三番目の咫鏡は伊勢神宮(内宮)に祀られているということですが、一番目と二番目の鏡は現在どうなっているのか。“捨てた”の一言で済んでしまう杜撰管理体制ではないのが古代日本の美点で、二つの鏡は同じ境内に立つ二つの神社にそれぞれ祀られていました。

   
その神社というのが和歌山市秋月に鎮座する紀伊国一宮に指定されている“日前(ひのくま)神宮”と“国懸(くにかかす)神宮”。日前神宮に祀られているのが日像(ひがた)鏡、そして国懸神宮の神体が日矛(ひぼこ)鏡で、咫鏡以前に作られた二つの鏡は紀伊国で存続し守られていました。通常は消されて無きモノにされてしまうことが多い一番目と二番目の鏡が生き延びた理由は何だったのか。しかも同じ敷地(名草宮とも呼ばれている)にペアで祀られていることも不思議だし、元々この地は伊太祁曽神社の敷地だったという話も伝わっていて何やら怪しいムード。捨てるに捨てられなかった鏡が日像鏡と日矛鏡?

 
さて問題の自分の土地を追い払われた伊太祁曽神社(和歌山市伊太祈曽)ですが、祭神はスサノオノミコトの子・五十猛神(大屋毘古神)とその妹二神の樹木三神。彼らは日本に深い森を形成するため海を渡って来たスサノオノミコトの子で、全国に樹木の種を植えて回り最後は紀伊国に鎮まっています。紀伊国(木国)といえば地上で二回も八十神に殺されたオオサムチが根国を訪問する際の入口になっていた国でした。紀伊国を管理する五十猛神とつながっているのが根国で、一番目と二番目の鏡はもしかして出雲国に属するいつも一緒の大切なペア鏡だった? 


久延毘古

海の向こうにあるという常世から日本に渡って来た少彦名神の名前を知っていたのは案山子の久延毘古。出雲国を造ろうとしていた大国主神はそのパートナーとなるべき相手の名前を当初知らなかったようで、その名前を明かしたのが一本足の案山子。
大国主神が名前を尋ねても答えなかったということから考えると、自分の本名をそう簡単に人には教えないのが常世出身者なのかも。その常世人の名前をすでに知っていたのが歩行不能の案山子で、古代における案山子はソホズあるいはソホドという風に呼ばれていました。

 
この案山子を意味する“曾富騰(そほど)”は濡れそぼつのソボツが語源になっている言葉で、風雨にさらされ身体が崩れてしまったことから命名され崩え彦(クエビコ)になったという説が一つ。もう一つは杖彦からの連想で、イザナギノミコトが黄泉国から帰還し禊を行った際の捨てた杖から生まれた船戸神(岐神)との関連が考えられるという説。再出発に向け禊を実践したイザナギノミコトがまず一番に捨てたものが杖でした。杖(頭脳を優先させるクエビコの象徴)を必要としていたイザナギノミコトは行動力の大切さを痛感したはず。男に多い頭脳行動は机上の空論に過ぎないことを示しているのが崩え彦?

               
水田の真ん中に立ち、その田を守る案山子(山田のそほず)は考える葦のように天の下のことを熟知している存在だったけれど実践力が伴っていない。国造りを目指し大国主神と力を合わせる存在だったのが八百万神に先駆け高天原に出現した造化(天地の万物を創造)三神に属する神産巣日神の子・少彦名神で、大国主神のパートナーになることはすでに決定されていたような筋書きで出雲建国はスタートします。しかし完成させることができないまま途中で投げ出し、少彦名神は故郷へ帰国。久延毘古の力を借りて初めて自分のパートナーの名前を知ったのが大国主神で、実践力のある少彦名神からすれば他者の力を借りようとする(杖が必要)大国主神に愛想が尽きた結果の帰国?


雨の神

多くの神々をこの世に誕生させたイザナギ&イザナミ夫婦は最後の火の神誕生を機に夫婦離別に至り、棲む世界を異にしてしまいます。男女二神で誕生させたのは海の神・山の神・河口の神・木の神・野の神・風の神・火の神。そしてイザナミノミコトが生死の境目で単独出産したのが鉱山の神・土の神・水(川とかかわる)の神。ここで気になるのが天照大神を最高神とする日本では重視されてないのが雨の神のようで、雨神誕生に関する記述は見つからない。民間信仰では雨を司るのは池などに棲む龍神と考えられていたようですが、今回アヂスキタカヒコネ神を調べていて雨の神を発見しました。


迦毛大御神という別名を持つアヂスキタカヒコネ神と天御梶日女との間に誕生したのが雨の神・多伎都比古。
スサノオノミコトと天照大神の誓約で誕生した宗像三女神のうちの一人が“タギツヒメ(多岐都比売・湍津姫)”で、アヂスキタカヒコネ神の母になるのがタギツヒメと姉妹関係にあった多岐理毘売。宗像三女神の区別はつきにくいですが、三者に共通するのは朝鮮への海上交通を守護する神であったこと。しかも特別な誓約出産で誕生した女神と深くかかわっているのが雨の神? また事代主神の母として記述されているのがタギツヒメで、曇りがちの出雲グループに属していたアヂスキタカヒコネ神の子が雨の神というのは興味深い。

 

     瀬を速み 落ちたぎちたる 白波に かはづ鳴くなり 朝夕ごとに    

 
      “落ちる”とくっ付き“落ちたぎちたり”と表現されたタギツ。
       流れる水が何かに遮断され飛び散る様子が表現されています。

         

     嘆きせば 人知りぬべみ 山川の 激つ心を 塞かへてあるかも

 
激つ心を抑えきれない作者の嘆きが感じられる歌。失恋による哀しみなのか憤りなのか、感情のコントロールができない状態にまで達した時に使う言葉がタギツ。これ以上どうすることもできない崖っぷちの心が感じられます。そんなギリギリの状態で誕生するのが雨の神・多伎都比古で、死に瀕ししていたイザナミノミコトが単独出産させた神々と状況は似ているような感じ。水を象徴するのは通常女性であるにもかかわらず、雨の神とされた多伎都比古は男性。女性的要素を含む男性と仮定するなら、日本では嫌われてシカルベシ。

 
神話の中でも軽視されてきたような感じの雨の神ですが、そのルーツはアヂスキタカヒコネ神と天御梶日女にありました。いいカモにされやすいカモ族を代表する男神の梶(舵)を取るのが妻の役目? リードするのは必ず男で妻がリードすることは何が何でも厳禁(妻がリードした子は捨てられる)システムが日本。そんなシステムに反して天御梶日女が産んだと考えられるのが雨をコントロールする多伎都比古。日照り続きで作物に影響を与えるのか、恵みの雨を提供してくれるのか・・ ギリギリを本能的に知っているタギツ心の持ち主がその権限を握っています。


迦毛大御神

土佐神社の祭神の一人であるアヂスキタカヒコネ神は“迦毛之大御神”とも呼ばれ、天照大御神と同格の扱いをされています。父は大国主神で母はスサノオノミコトが誓約で誕生させた多紀理比売(宗像三女神の一人)。同じ両親の間に生まれたのが下照姫(別名は高姫)で、天上界における血の濃いアヂスキタカヒコネ(兄)とシタテルヒメ(妹)は下界(葦原中国)で夫婦として出会うことになります。

     
夫婦になった経緯は高天原から命を受けた天稚彦(アヂスキタカヒコネの下界ネーム?)が出雲国の視察に訪れた時のこと。高天原の命令に背き下照姫と夫婦になり楽しいひと時も束の間で天稚彦は高天原の返し矢で帰らぬ人に・・・ そして彼の葬儀に参列したのが稚彦の友人と称したアヂスキタカヒコネ神。美男子だった天稚彦と瓜二つだったと紹介されているアヂスキタカヒコネを見た天稚彦遺族は稚彦が生き返ったと勘違いし、彼にまとわりついたらしい。そこで明らかになるのが下照姫の夫(下界)であり兄(天上界)でもあったアヂスキタカヒコネの本性。

 
“穢らわしい死人と見間違えるな!”と稚彦家族に怒りをぶちまけ、設置されていた喪屋を破壊。高天原の命令に背き下照姫と結婚した天稚彦のホントの顔はヤンチャな荒くれ者? 出雲国風土記に登場する幼少期の彼(ネのないアヂスキタカヒコ)は大きな声で鳴き叫ぶ扱いにくい子として描かれています。また階段を上り下りするように梯子を上り下りしたという記述もあり、上を目指したいのか上のことなんてどうでもいいのか真意がつかみにくい性格のアヂスキタヒコ。そんな彼が日本を代表する天照大神と肩を並べる敬称で呼ばれているのは興味深い。

 
土佐神社に祀られているもう一人の一言主神も醜い(見にくい)ことにおいては引けを取らないタイプで、身勝手な行為を推し進めてきた雄略天皇とのエピソードが記紀に語られています。自分と対立する皇位継承者を皆殺しにして自分が皇位に就いたことで知られる傍若無人な人物が雄略天皇で、その天皇と容貌が似ていたのが一言主神。二人の出会いは奈良県の葛城山・・ 一回目は丁重に二回目は仲良くそして三回目は一言主神に怒りを爆発させ土佐国に一言主を流したのが雄略天皇。闘争心の強い雄略天皇にとって口数の少ない一言主神は脅威の存在だった?

              
天稚彦と似ていたアヂスキタカヒコネ神、そして雄略天皇と似ていた一言主神が祀られているのが土佐神社。京都の上賀茂神社・下鴨神社など全国のカモ神社の総本社が“高鴨神社(奈良県御所市鴨神)”で、祭神は迦毛大御神。全国的にメジャーになってしまったのが京都のカモ神社ですが、本家があるのは意外にも奈良県。扱いに困る話が伝わるアヂスキタカヒコネ神の父方は出雲で、母方は高天原。相反する血を受け継いでいるように感じるアヂスキタカヒコネ神の精神の振幅の差は当然大きいはず。出雲(下界)に傾き高天原(天上界)にも傾き、行き場所に困った迦毛大御神は土佐一宮の土佐神社で満足してるカナ。 


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