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- 2022.04.05 Tuesday
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葦原中国の統率者として天から派遣されたのが天照大神の孫ニニギノミコト。 従者(岩戸に隠れた天照大神を外に引き出したメンバー)を従えた天孫一行は天磐船に乗って地上を目指します。網の目が入り組んだ様相を呈する天地の間・・ そう簡単には方向が定まらない。そんな中、猿田彦神(国津神)が彼ら(天津神)の先導役を務めるため天の八衢で待機していました。高天原を光らせ葦原中国も光らせる巨大な神が猿田彦神で、地上により近い太陽神という考え方もできる。神話の中で示されたそのユニークな風貌(鼻長七咫で背長七尺)の数字は7。鼻が強調されていることから考えると高天原を去ったスサノオノミコトとの接点も考えられ、繰り返す8(数字の形も繰り返し風)の八岐大蛇に対し7の猿田彦神は繰り返さずに去る?
天孫一行を日向に案内した後、猿田彦神は故郷だった伊勢に戻ります。元々は猟師(海人族)だったと思われる猿田彦神は比良夫貝に手を挟まれ溺れ死ぬことになるのですが、その最後の場面が結構詳しく語られていました。猿田彦が水底に沈んでいる時はソコドク御魂、猿田彦の吐いた息が海面に上昇する時がツブタツ御魂、そしてその息(泡)が海面で弾ける時がアワサク御魂という風に三段階で表現されています。三段階で思い出すのはイザナギノミコトの禊で誕生した住吉三神(底筒・中筒・上筒の三段階)。彼らは綿津見三神(底津・中津・上津の三段階)とそれぞれペアになって生まれています。水あるいは海に関わる神は三段階(三層)に分かれる? 天の八衢に出現した猿田彦神は天地の空間の核的存在で、その根本は吸って吐く息。
また天照大神とスサノオノミコトの誓約(息が関わっている)で誕生するのが宗像三女神で、この三女神が誕生したことでスサノオノミコトの赤心が証明されました。
初めと最後がキチンと描写されていた猿田彦神もきっと赤心の持ち主。だからこそ底にぶつかり、その息は上昇し、海面で弾けたのではないか。ギリシア神話に出てくるエロスに愛されたプシュケは“息あるいは人間の魂”を意味する言葉でした。その目には見えない息に関与するのが鼻。伊勢神宮内宮近くに猿田彦神を祀る猿田彦神社というのがあり、その特徴は戦前まで無格社だったこと。息の深さは愛情の深さで、高い低いのツマラン格世界とは完全に別世界。
そこで以下の歌を詠んだのが軽大郎女こと衣通姫こと衣通王。
君が行き 日長くなりぬ 山たづの 迎へを行かむ 待つには待たじ 衣通王
冒頭の“奸(かん)”とは姦通の姦に通じる漢字で、邪悪であることを意味しています。同じ母から誕生した軽同士の兄が妹に行った奸とはタブー(ポリネシア語で聖を意味する)を破る行為でした。皇太子(允恭天皇の長男)の地位にあったにもかかわらず、彼が求めたものは一時の地位ではなく永遠の愛。抜き差しならぬ関係に陥った二人は記紀にも取り上げられ、愛を成就させることだけに命の火を注いだように感じます。記紀によって軽大郎女(通称・衣通姫)の立場は異なり、古事記では允恭天皇の娘、日本書記では允恭天皇の愛人ということで允恭天皇との関わりはかなり深いものがありそう。父と娘の親子関係あるいは愛人関係にあった深い縁の二人に立ち入り、彼女を横取りしたのが木梨軽皇子。縁としてはそれほど深いとは思えない立場にあった軽皇子ですが、その縁を無視して逃避行?
笹葉に 打つや霰の たしだしに 率寝てむ後は 人は離ゆとも
愛しと さ寝しさ寝てば 刈薦の 乱れば乱れ さ寝しさ寝てば
“(夢や幻ではなく)アラレが笹の葉を打つと音がするように確かに一緒に寝たという実感がほしい。周囲の人の心が自分から離れてもいい。刈り取った薦が乱れるなら乱れろ。そんなことより愛しいあなたと共に一つの床を温めて寝たい。”という情熱的な歌。当然のことながら国のリーダーとしての資格はなく、民の心は皇太子から離れます。暴挙ともいえる軽太子の熱烈な言い寄りの結果、妹も正気を失ったかのように兄を追いかけ伊予の湯に・・ 冒頭の歌はその時に軽大郎女が詠んだもの。
歌に表現された“山たづ(山多豆)”とはニワトコ(庭常・庭床・接骨木)の古名で、対生する葉が特徴です。あなたが伊予に流され長い間待ちましたが、もう待たないわ。あなた(一方の葉)を迎えに私(その葉に対生する葉)も伊予に行きます。
こうして兄のそばに行った妹・・ 二人は共に自害という形で奸に関する話は終わります。なお冒頭の歌の註釈として表記されているのが“此云山多豆者是今造木者也”。この歌に示された山多豆は今の造木(みやつこぎ)のことであるとのこと。
言わんとすることが理解しにくい註釈で、敢えてミヤツコギという名前を加えているような・・
また中世には魔女狩り(魔女がこの木に化ける)の対象にされた木でもあり、ニワトコに近付くと災難が降りかかります。その原因と思われるのがタブー破りの奸? 運命を決定する縁を無視して一体化を実現させた兄と妹ですが、世の中に対する貢献度は皆無。まあ二人が納得した行為であれば、貢献度なんてどうでもいいと思う。
その後、軽太子が捨てた皇位に座ったのが弟の穴穂皇子(後の安康天皇)で、血生臭い事件で暗殺されるという顛末を迎えます。世の貢献度より自分の感情を優先させた木梨軽皇子・・そしてその想いを引き受けた軽大路郎女。幻の如く伝説化した二人ですが、彼らが残した激しい歌は確かな事実として胸に響きます。
イザナギ&イザナミの“遘合(みとのまぐわい)”で国生みが実践されますが、
気になる表現がありました。
先づ淡路洲を以て胞とす。意に快びざる所なり。故、名けて淡路州と曰ふ。』
しかし母胎で胎児が成育するにはなくてはならない透明な液体が羊水で、その羊水的役割を果たしたのが淡路洲? この淡路洲を胞(え)として大日本豊秋津洲(本州)は誕生します。島国ニッポンで最大の島となった本州が誕生することができたのは胞の役目を担った羊水(淡路洲)が流れた結果? 淡路洲が国として固まらなかったからこそ大日本豊秋津洲という大きな島が形成できたのかも。天沼矛を授けられた夫婦神はその矛で塩辛い海水をかき混ぜることで島を生成しています。言い換えると塩辛い海水だったからこそ島が形成されたわけで、淡水を象徴する淡路洲は初めから島にはなり得ない存在だった?
鍛冶職人“天津麻羅”同様、名前の最後に神や命が付いていないのが“天津甕星(みかぼし)”。古事記には登場せず日本書記だけに見られる名前で、麻羅はその反対の古事記だけに登場していました。二人とも記紀のいずれか片方にしか登場していなくて、呼び捨てで呼ばれているという点での共通点はある。日本書紀の甕星は経津主神と武甕槌神が葦原中国を平定する場面に登場していました。高天原族が実践した横暴な乗っ取りに対し、ただ一人服従せず抵抗した人物が天津甕星、別名“天香香背男”。乗っ取り組からすると“抵抗する人物はやりにくい!”という苛立ちで天香香背男(あめのかがせお)は呼び捨てにされた? しかし麻羅も甕星も被せられた冠はともに“天津”。
納得のいかない乗っ取り作戦に最後まで抵抗した香香背男はフツッと切れる剣をイメージした経津主神と武甕槌神に対してはトコトン抵抗したけれど、その後に訪れた“倭文神(建葉槌命)”にはスンナリ従ったという話が伝わっています。脅しをかけて香香背男に迫った経津主神と武甕槌神は逆に香香背男によって敗退に追い込まれたということですね。古事記には甕星のように抵抗する人物(タケミナカタも抵抗したものの最後は信濃に逃走)は登場していなくて高天原の計画はスンナリ成功しますが、時代が下り日本書紀の時代になると抵抗する人物が日本にも出現したという風にも考えられます。
切れ味が鋭い剣のような経津主神や武甕槌神には反発が加わるけれど、シットリした名前の機織り上手な倭文(しとり・しずり)神に対する反発はなかったのが香香背男。小さい星グループに属していた甕星は鋭い剣には抵抗しシットリした倭文神なら抵抗はしない? 機織りが上手ということは女性的要素を持った男性神あるいはズバリ!女神。少なくとも剣で脅すような経津主神や武甕槌神とはタイプが違っていたはずだし、もし倭文神が女神なら男には抵抗するけれど女には従うということになり問題発生の要注意人物が香香背男。こんな男を男と見なすことはできん!という日本社会では当然はみ出し者で名前も呼び捨てってこと?
機織りが得意だった天照大神のイメージに近い倭文神を祀る“倭文神社”は全国に意外に多く、その本源は奈良県葛城市に鎮座する長い名前の“葛木倭文坐天羽雷命神社”。神社名になっている“天羽雷(あめのはいかづち)命”というのは建葉槌命の別名で、天から地に激しい勢いで落ちてくる雷のイメージはなく鳥の羽根のようにフワリフワリと落ちてくる感じ。そんなフワリ感が香りにこだわる香香背男好み?
この神社は雄岳と雌岳から成る二上山の麓にあり、祀られている神は三神で天羽雷命を中心に両脇をかためるのが天忍人命と大国魂命。どちらも耳慣れない神ですが、天忍人命に関する有名なエピソードがありました。日向三代の三代目ウガヤフキアエズノミコトが海辺に設置された屋根が途中までしか完成していない産屋で今にも生まれようとしていた時のこと・・横歩きの蟹が産屋に侵入した際、箒で蟹を掃き出したことで無事出産できたのがウガヤフキアエズノミコト。出産時に産屋を掃除したキレイ好きの人物が天忍人命。
どちらかというと影で支える縁の下の力持ちが天忍人命で、そのような神が倭文神を支えています。もう一人の大国魂神は土地の地主(土着の神?)的要素の強い神で、物語の主役を務めるような神ではない。香香背男も日本書紀のほんの少しの場面だけに登場する人物で、山幸彦のような派手な物語はありません。そして香香背男が従ったという倭文神も、さらには倭文神を支える神も派手さは全くないように思います。根本的に星族は主役物語から外れる傾向にあり、地道な道をコツコツ行くタイプ。
そして女に弱い!
闇夜が続いた高天原でオモイカネ神に一番に呼ばれたのが刀剣作りの名人だった天津麻羅。葦原中国平定に際し、剣で脅しをかけるような男には立ち向かい機織り上手な女神(?)には葦原中国を素直に譲り渡したのが天津甕星。ただの麻羅と甕星は呼び捨てにされてはいましたがタダモノではなく、ともに出身は天津国。さらに名前の最後に何もくっつかない麻羅と甕星は装飾のない人物という風にも理解でき、飾らない彼らの本音は飾り立てる社会から嫌われ呼び捨てにされるようになったという結論でガッテン! 元何々という形容で呼ばれる男社会に適合しにくい男を放っておかない女もいるので世の中のバランスは過去も現在も保たれています。
カオス状態の天地が分離してまず初めに出現するのが性別不詳(両性具有?)の“天御中主神”という独(ひとり)神。(古事記)。宇宙の中心に存在する神であるはずなのに出現後すぐに身を隠したという記述だけで、天御中主神の姿が伝わってくる話はありません。分かっているのは“天御中主”という名前とトップに出現した神であるということ。そして対になる相手を持たない独立した神だったというこの三点ぐらいで他に目立った話は何もない! その後に続く神話ストーリーにも名前だけは記されているものの物語には全く登場しない人物(火須勢理命)がかいました。もしかして正体不明の火須勢理(三人兄弟の真ん中)系のルーツにつながるのが天御中主神?
秩父神社といえば有名なのが12月1日から6日間の日程で開催される“秩父夜祭”。
六日間実施されることから“六日市”あるいは“お蚕祭り”とも呼ばれる秩父夜祭の実施時間帯は人々が眠りに就く夜(10時頃)から早朝(4時頃)にかけて。土地がやせ作物の収穫が期待できなかったこの土地は意外にも桑の木に適した土地だったことから桑の葉を利用し栄えたのが秩父市の養蚕業。夜祭と養蚕との関わりはいま一つ分かりませんが、寒い時期でしかも深夜に六日間行われる秩父夜祭に繰り出す山車(笠鉾2台と屋台4台)の数も六台。この地は陰数“六”にこだわる聖なる地?
そして神社の南に位置しているのが秩父神社の神南備山と考えられている“武甲山(武光山・妙見山とも呼ばれていた)”。伝説では秩父神社の女神(妙見菩薩)と武甲山に住む男神(蛇神)が年一回の逢瀬を楽しむことが夜祭の起源とされています。
しかもこの二人・・人目を避けなければいけない関係で蛇男には正妻がいたという話。その正妻というのがナント諏訪大社に祀られている建御名方神の妻・八坂刀売命。ということは武甲山に住んでいた蛇男というのは大国主神の長男で出雲から信濃にトンズラした建御名方神? 浮気性の蛇男が住む武甲山の北に立地する秩父神社の祭神が妙見菩薩(天御中主神)とするなら、性別不詳とされた天御中主神は海をさ迷う男たちが目標にする女神の可能性が・・
佐保山の ははその色はうすけれど 秋は深くも なりにけるかな 坂上是則
椰子の木の英語名“palm tree”のパーム(palm)は手のひらという別の意味も含んでいる単語で、ココ椰子の木になる果実は手のひらに収まりきらない固くて大きな“ココナッツ”。椰子の木の幹のヒョロヒョロ感から考えてもあんなに大きな実をつける椰子の木には何か秘密が隠されているのでは・・と思いつき岸辺に寄りつく椰子の木と椰子の実なるものを追いかけてみました。
旧(もと)の木は 生(お)いや茂れる 枝はなお 影をやなせる
われもまた 渚を枕 孤身(ひとりみ)の 浮寝の旅ぞ
実をとりて 胸にあつれば 新(あらた)なり 流離の憂(うれい)
海の日の 沈むを見れば 激(たぎ)り落つ 異郷の涙
これは島崎藤村が作詞した♪椰子の実♪の二番と三番の歌詞です。椰子の木(親)から離れ海をさ迷い続けた椰子の実(子)が親子別々の時間を過ごしてきた哀しみが表現されています。南国の島でよく目にする光景は椰子の木陰にハンモックを吊るして白日夢に浸るまどろみタイム。サンサンサンと太陽が降り注ぐビーチにくつろげる木陰を提供してくれるのが椰子の木。塩分を含む海水や風にも強い椰子の木ならではのたくましい生命力を感じます。
インドネシアやポリネシアの島々に広く分布しているハイヌウェレ型神話というのがあり、“ハイヌウェレ”という名の少女がモデルになっています。その彼女が生まれたのがココ椰子の花。すなわち海を漂流してどこかの島にたどり着く運命を背負っていたココナッツのような少女がハイヌウェレ? ココ椰子の花から生まれたハイヌウェレは肛門から出る汚い糞からさまざまな宝物を排出することができました。そんな特殊な場所から排出された宝物を気にいる人は誰もなく、ハイヌウェレは周囲の人々からすると気持ち悪い存在として殺害されてしまいます。
人々の手で切り刻まれたハイヌウェレの死体は地面のアチコチに埋められ、そのアチコチの地面から種類の違う芋が生じたというのがハイヌウェレ型神話の概要です。
日本にもハイヌウェレ的な女神(オオゲツヒメや保食神)がいました。二人とも不潔だと罵られた挙句オオゲツヒメはスサノオノミコトに、保食神は月読命に殺された二人の死体から生じたのが日本人の主食となる五穀。南方の島々の話では殺されたハイヌウェレの死体から生じたのは芋ですが、不潔だという理由で殺された少女(女神)の死体から主食となるモノが生まれています。
さすらいを続けた可能性が高いハイヌウェレの故郷は砂浜に木陰を与えてくれる椰子の木。島崎藤村が表現した異郷の涙とは殺されたハイヌウェレの涙かも。最後に藤村はこんな言葉でこの歌を締めくくっています。
思いやる 八重(やえ)の汐々 いずれの日にか 国に帰らん
流離の旅を続けた子(ココナッツ)が親の手のひらに乗る日はいつなのか。塩分や強風にも屈しないココナッツの強い生命力の元は油分を含むドロドロした白いエキス?
簡単には割れないココナッツの故郷はきっとビーチの木陰で夢見た世界。