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- 2022.04.05 Tuesday
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故郷の岸を離れて汝はそも波に幾月
同じ哺乳類ではあっても人と鯨は住む世界が違うしコミュニケーヨンも成立しない。ヒルコやコトシロヌシはきっと鯨の世界の住人で、日本人の目から見れば異国人に見えたはず。さらに海の生き物クジラが岸辺に寄り付くということはそのクジラは死んでる・・ となると鯨と同じように寄り付いたエビス神も死んでる。海よりの死者は岸寄りの死者だった?
いさなとり 海や死にする 山や死にする 死ぬれこそ 海は潮干て 山は枯れすれ
この話から何が見えてくるか?
海を漂っていた沈水香木は枯れていた
もし腐敗した木ならまず火が点かないし、火が点いたとしても悪臭でしかない。
淡路島に流れ着いたこの香木を神体として祀っているのが
名は体を表す“枯木神社”。
場所は西海岸の一宮地区に隣接する浜。
一宮といえば線香で有名(町全体がいい香り)。
さらに神生みのホントの一番目は蛭子
イチニはないものと見なされ、三から始まるのが日本流儀イチニノサン。
生きていくにはいい香りより不味くても腹をふくらます物の方が大事!
しかしナマモノは腐りやすく干物や燻製品は長持ちする。
ところで水に沈むこの香木・・ 自然に生えているのではありません。自然災害や害虫によってダメージを受けた木が自分で自分を癒すため樹脂を蓄積させ、その結果ただの木から香木へ・・ 仲哀天皇の話にも死んでいい香りがしたという記述がありました。いい香りか臭いニオイかは死んでからでないと分からない。
三歳になっても足が立たなかったヒルコ神(イザナギ&イザナミの第一子)は葦船に乗せられ海に流されます。ヨシ船になるかアシ船になるかは乗せられたヒルコ次第。古事記の葦船に対し、日本書紀は楠(スサノオノミコトの眉毛から成った)材で造られた天磐樟船。共通して言えるのが不具の子と見なされたヒルコは親に捨てられ海をさ迷う環境にあったということ。目標にすべきものが見つからない広大な海をさ迷わなければいけなかったヒルコを読み解くヒントは名前(水蛭子・蛭子・蛭児)に当てられた漢字“蛭”。池・沼・田などヌルヌルした場所を住処にしている蛭は吸血鬼にも負けない吸血動物。そんな蛭に噛まれた時の気になる特徴がすぐには痛みを伴わないので状況把握が遅れてしまうらしい。痛みをキャッチした時は更なる多くの血が流されてしまった後で、蛭と対峙するのは難しい。だから海へ?
そんな危険な要素を含むヒルコが後に海から出現する笑顔のエビス(夷・戎)神としてエビス信仰に結び付いていくのですが・・ 親に捨てられ辛い想いをしたであろう蛭子が一転して笑顔で登場できるかな。人の御都合主義的考え方が如実に反映された典型的解釈なのでは・・名前の蛭を思い出せば分かるように笑顔の蛭子が復讐に向けばどうなるか。捨てた親の生き血を吸ってキレイな血と入れ替える? 自分の都合しか考えない機械脳のヤローが笑顔のエビスを勝手に創造したような話で、さらにひっかかるのがエベッサンの耳は遠い(誰がいつこんなこと決めたんや!)。だから何を言ってもエベッサンは怒らない? 三歳で海に流され死を体験した蛭子の別名は夷三郎。ヨシアシを決める鍵を握っていると考えられるヒルコの合言葉はイチニのサン。
八壽鰐と化した豊玉姫は産屋の屋根(軽い鵜の羽根)が完成しない慌しい状況で出産に至っています。この切羽詰まった出産で誕生するのがウガヤフキアエズ命という人物。その緊迫状況に加担しているのが八壽鰐。天地開闢から日向を舞台に展開した日向三代(天孫ニニギ命・火から遠い山の管理者だった火遠理命・ウガヤフキアエズ命)の命の話は終わり、四代目の四人兄弟が向かった先が故郷(吾田)から東に位置する他者の土地? 海に面した日向を捨て彼らが目指したのが山に囲まれた大和盆地で、上下の差が激しい山と海の血を受け継いでいた四代目メンバーは八壽鰐が潜む海の危険性を察知していた可能性が・・ そこで内陸部に侵入しようとしたのが神から人へと切り替わる時期を迎えていた四代目。
巨大な鰐に変身したのは豊玉姫だけではなく、出雲の統治者だった大国主神の二男・八重事代主神も八壽の熊鰐(わに)に姿を変えることができました。そのワニの相手を務めたのが三嶋のミゾクイヒメ。夫婦の溝を解消すべく溝を食うミゾクイヒメと事代主神の間に誕生するのが神武天皇の后となる姫踏鞴五十鈴姫。一方神武天皇の父ウガヤフキアエズ命の生みの親もワニで、自ら乳房を切り裂くという気性の激しいタイプでした。
身勝手な高天原組の一方的要求に応じ、出雲国を彼らに譲るという決定を下したのは創立者・大国主神ではなく次男の事代主神でした。長男タケミナカタは出雲国存続を期し高天原チームのタケミカヅチに抵抗しましたが、次男は何の抵抗もせず大切な国を高天原側に譲ることに同意しています。目には目、タケにはタケがまかり通らないことをすでに知っていたと思われる事代主神。抵抗して無駄な時間を浪費するぐらいならサッサと船を引っくり返して死んだ方がマシ? 死ぬ間際に天の逆手という呪術を駆使したことから考えると、自分の都合だけで動く高天原チームに呪いをかけて死んだのでは・・
また釣り好きだったことからエビス信仰と結び付いているのが事代主神で、先の呪術的要素は全く失われています。過去のイヤなことは水に流し生まれ変わった気分で新たな一歩を・・というのが事代主神のエビス化? 足が立たない理由で両親に捨てられたヒルコも何故かエビス化しています。“過去にこだわらず前に前に進め!”というのが福の神エビス化とするなら、余りに能天気な話では・・ 確かに過ぎたことにこだわっている限り前には進めない。しかし高天原チームの傍若無人な振舞いすべてをナカッタことに・・という考え方は嫌いダッ!