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  • 2017.10.26 Thursday
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漂着を考える

             名も知らぬ遠き島より流れ寄る椰子の実一つ

 
イザナギ&イザナミの間に生まれ捨てられた最初の子“蛭子”は椰子の実のように陸地に寄り付きます。三歳になっても足が立たなかったことで海に捨てられた蛭子。葦船に乗せられ海上を漂流した後、漂着ゴミのように陸地に寄り付き祀られることになるのが全国各地に伝わるエビス神社。祭神は蛭子神あるいは出雲の国譲りを決めた事代主神である場合が多く、エビス神は何らかの形で死に匹敵するような体験をしたことが伺えます。
           
故郷の岸を離れて汝はそも波に幾月

 
海の向こうにある見知らぬ国から日本の岸辺に寄り付いたエビス神は渡来神であり寄神であり客神で、海の王者クジラ(古称イサナ)もエビス神と見なされていました。
同じ哺乳類ではあっても人と鯨は住む世界が違うしコミュニケーヨンも成立しない。ヒルコやコトシロヌシはきっと鯨の世界の住人で、日本人の目から見れば異国人に見えたはず。さらに海の生き物クジラが岸辺に寄り付くということはそのクジラは死んでる・・ となると鯨と同じように寄り付いたエビス神も死んでる。海よりの死者は岸寄りの死者だった?


いさなとり 海や死にする 山や死にする 死ぬれこそ 海は潮干て 山は枯れすれ       

 
神話に深く関わる淡路島にこんな漂着話が伝わっています。淡路島近海を漂っていた沈水香木(東南アジアに生息するジンチョウゲ科の常緑高木)が淡路島の岸辺に寄り付き農民の手で燃やされたそうな。燃やすことで生じるのが煙。その煙はいい香りを放ち周囲にも伝わります。その香りの良さで朝廷に献上されたとか聖徳太子が観音像を刻んだとかの逸話も残され、海から流れ着いたものの重要性が示されています。

 

    この話から何が見えてくるか?

  海を漂っていた沈水香木は枯れていた
 
もし腐敗した木ならまず火が点かないし、火が点いたとしても悪臭でしかない。
      淡路島に流れ着いたこの香木を神体として祀っているのが
              名は体を表す“枯木神社”。

   場所は西海岸の一宮地区に隣接する浜。
         一宮といえば線香で有名(町全体がいい香り)。
           さらに神生みのホントの一番目は蛭子
 
  イチニはないものと見なされ、三から始まるのが日本流儀イチニノサン。
   生きていくにはいい香りより不味くても腹をふくらます物の方が大事!
      
しかしナマモノは腐りやすく干物や燻製品は長持ちする。


ところで水に沈むこの香木・・ 自然に生えているのではありません。
自然災害や害虫によってダメージを受けた木が自分で自分を癒すため樹脂を蓄積させ、その結果ただの木から香木へ・・ 仲哀天皇の話にも死んでいい香りがしたという記述がありました。いい香りか臭いニオイかは死んでからでないと分からない。            


夷三郎

三歳になっても足が立たなかったヒルコ神(イザナギ&イザナミの第一子)は葦船に乗せられ海に流されます。ヨシ船になるかアシ船になるかは乗せられたヒルコ次第。古事記の葦船に対し、日本書紀は楠(スサノオノミコトの眉毛から成った)材で造られた天磐樟船。共通して言えるのが不具の子と見なされたヒルコは親に捨てられ海をさ迷う環境にあったということ。目標にすべきものが見つからない広大な海をさ迷わなければいけなかったヒルコを読み解くヒントは名前(水蛭子・蛭子・蛭児)に当てられた漢字“蛭”。池・沼・田などヌルヌルした場所を住処にしている蛭は吸血鬼にも負けない吸血動物。そんな蛭に噛まれた時の気になる特徴がすぐには痛みを伴わないので状況把握が遅れてしまうらしい。痛みをキャッチした時は更なる多くの血が流されてしまった後で、蛭と対峙するのは難しい。だから海へ?


そんな危険な要素を含むヒルコが後に海から出現する笑顔のエビス(夷・戎)神としてエビス信仰に結び付いて
いくのですが・・ 親に捨てられ辛い想いをしたであろう蛭子が一転して笑顔で登場できるかな。人の御都合主義的考え方が如実に反映された典型的解釈なのでは・・名前の蛭を思い出せば分かるように笑顔の蛭子が復讐に向けばどうなるか。捨てた親の生き血を吸ってキレイな血と入れ替える? 自分の都合しか考えない機械脳のヤローが笑顔のエビスを勝手に創造したような話で、さらにひっかかるのがエベッサンの耳は遠い(誰がいつこんなこと決めたんや!)。だから何を言ってもエベッサンは怒らない? 三歳で海に流され死を体験した蛭子の別名は夷三郎。ヨシアシを決める鍵を握っていると考えられるヒルコの合言葉はイチニのサン。

 

海洋国

八壽鰐と化した豊玉姫は産屋の屋根(軽い鵜の羽根)が完成しない慌しい状況で出産に至っています。この切羽詰まった出産で誕生するのがウガヤフキアエズ命という人物。その緊迫状況に加担しているのが八壽鰐。天地開闢から日向を舞台に展開した日向三代(天孫ニニギ命・火から遠い山の管理者だった火遠理命・ウガヤフキアエズ命)の命の話は終わり、四代目の四人兄弟が向かった先が故郷(吾田)から東に位置する他者の土地? 海に面した日向を捨て彼らが目指したのが山に囲まれた大和盆地で、上下の差が激しい山と海の血を受け継いでいた四代目メンバーは八壽鰐が潜む海の危険性を察知していた可能性が・・ そこで内陸部に侵入しようとしたのが神から人へと切り替わる時期を迎えていた四代目。

         
巨大な鰐に変身したのは豊玉姫だけではなく、出雲の統治者だった大国主神の二男・八重事代主神も八壽の熊鰐(わに)に姿を変えることができました。そのワニの相手を務めたのが三嶋のミゾクイヒメ。夫婦の溝を解消すべく溝を食うミゾクイヒメと事代主神の間に誕生するのが神武天皇の后となる姫踏鞴五十鈴姫。一方神武天皇の父ウガヤフキアエズ命の生みの親もワニで、自ら乳房を切り裂くという気性の激しいタイプでした。

 
八という冠をかぶせられた鰐に変身した事代主神の冠も八重で、日本人の根本ルーツと考えられる神武天皇夫妻はともに八にかかわる鰐の血が流れています。また八雲立つ出雲に八重垣を作って妻と一緒に隠れたスサノオノミコトに関し、樹木の種を携え海の向こうから土船(沈む可能性大)で日本にやって来る話(一か八かを試す?)がありました。他に少彦名神や大物主神、さらには兎も海を渡っています。その兎に対抗したのが鰐だった話から想像すると危険な海の統治者は熊鰐。神から人へと転換した日本人・・ その祖となった神武天皇と后の両者に流れているのがワニの血。 海洋国ニッポンで日本人が秘めるワニ(熊鰐)の血が騒ぎ出すと怖い。

 

死と再生

高天原生まれのスサノオノミコトは天照大神の管理下にあった高天原を捨て地上に降り立つという選択をしています。毛を抜かれたスサノオノミコトが降り立った場所は日本の西に位置する出雲国。その後スサノオノミコトの次のパートを受け持つことになるのが死と再生を繰り返した大己貴神。無知だった大己貴神が大国主神へと変貌することができたと思われる理由はもしかして死と再生の繰り返し? 泣き虫だったスサノオノミコトも地に落ちた後、女を食い物にしていた八岐大蛇と闘いヒーローになりました。しかしスサノオノミコトが開拓し大己貴神が引き継いだ建国途中の出雲国に突如やって来たのが高天原のメンバーで、彼らは強制的に出雲国を乗っ取るというのが記紀の筋書きでした。

 
そんな危機的状況に置かれた出雲国の行く末を最終決定したのが大国主神の二男・八重事代主神。釣り好きだった事代主神の舞台は海上。国譲りを迫った高天原組に対し頭を縦に振った事代主神は天の逆手(手の平ではなく手の甲で打つカシワデ)を実践し、海に飛び込みます。事知る託宣の神という要素も備えた事代主神のこの決断は当然死を意味するもので、出雲出身者は死を覚悟できる人物を多く輩出しているように思います。その後死んだ事代主神はどうなったか・・ 先に述べた出雲出身者の大己貴神がそうであったように事代主神も再生します。場所は伊豆毛から毛を取った伊豆方面。火山列島として連なる伊豆諸島を創った三島明神というのが事代主神のことで、死を覚悟した事代主神の威力が示されているような話。昔も今も死を覚悟できる人たちの生き方は強く美しい。


対立を避ける神

身勝手な高天原組の一方的要求に応じ、出雲国を彼らに譲るという決定を下したのは創立者・大国主神ではなく次男の事代主神でした。長男タケミナカタは出雲国存続を期し高天原チームのタケミカヅチに抵抗しましたが、次男は何の抵抗もせず大切な国を高天原側に譲ることに同意しています。目には目、タケにはタケがまかり通らないことをすでに知っていたと思われる事代主神。抵抗して無駄な時間を浪費するぐらいならサッサと船を引っくり返して死んだ方がマシ? 死ぬ間際に天の逆手という呪術を駆使したことから考えると、自分の都合だけで動く高天原チームに呪いをかけて死んだのでは・・

 
神屋楯比売を母とする事代主神は戦うことより自分の周囲を楯で防備し、保守することに重きを置いているように思います。何らかのコトを知っていた事代主は改革派ではなく保守派? 元々は葛城出身の神で、余りの醜さで昼は働くことができず夜だけ働いたとされる一言主神との接点が強いのも特徴。昼の活動より夜の活動を好む傾向にあるのが戦いを拒否した事(言)代主神? 聖書に登場するモーセのように、民衆を引っ張る託宣の神という要素も担っています。神の言葉を代弁し進むべき道を指示するのが事代主と考えれば、日本書紀に記された事代主(神武天皇の義理父)影響力は多大なものがあると思われます。

             
また釣り好きだったことからエビス信仰と結び付いているのが事代主神で、先の呪術的要素は全く失われています。過去のイヤなことは水に流し生まれ変わった気分で新たな一歩を・・というのが事代主神のエビス化? 足が立たない理由で両親に捨てられたヒルコも何故かエビス化しています。“過去にこだわらず前に前に進め!”というのが福の神エビス化とするなら、余りに能天気な話では・・ 確かに過ぎたことにこだわっている限り前には進めない。しかし高天原チームの傍若無人な振舞いすべてをナカッタことに・・という考え方は嫌いダッ!

 
ヒルコやコトシロヌシを日本古来の神という視点で見ると日本に新たにやって来た神は高天原族ということになり、国譲りは避けて通れない過去の事実だったように思います。そのことにいち早く気付いていたのがコトシロヌシ? 一方、“夷”あるいは“戎”という漢字で表現されるエビスは乗っ取り組からすると戦わない異端民族に見えたのかも。ぶつかり合いを当然と考える高天原族とぶつかり合いたくないエビス(出雲)族。そして日本の初代リーダー(神武天皇)の正妻がコトシロヌシの血を受け継ぐヒメタタライスズヒメという話を展開しているのが日本書紀。乗っ取り組に属する男性と乗っ取られ組に属する女性の結婚は男と女の原型かも。 


八重の主

                  

日本の根源に位置する天照大神の孫がニニギノミコトそしてニニギノミコトの曾孫が磐余彦になり、天照大神の直系として日本の初代天皇になった磐余彦は六代目で長年の夢を完成させました。 ロクでもない代ではなく、天照大神から六代目になる磐余彦の念願したコトは達成されました。 そして初代天皇の正妻になったのが “媛蹈鞴五十鈴媛” で、前も後も “媛” で塞がれた 『踏鞴五十鈴』 という名前。 彼女の父親は大物主神という説もありますが、今回は出雲の国譲りで最終決定を父親(大国主神)から任された事代主神説を採用したいと思います。

“事代主神” は記紀ともに登場する神・・ 古事記は八重言(事)代主神と表し “八重” という偶数(陰数)が頭にかぶせられています。 コトという漢字は言葉の 『言』 あるいは仕事の 『事』 という漢字が用いられていることから考えると、言葉に示すことは現実のコトに現れるという意味が含まれているように感じます。 コトシロヌシ神は “言葉にしたことを現実にそのように成す” ことができる特別な能力を秘めていたのかもしれません。 高天原グループが出雲国に国譲りを迫った時も、最後の決定をしたのは事代主神で父親の大国主神ではありませんでした。

このことから考えても重要事項を決定する権限を担っていたのが事代主神と考えられ、事代主神が判断したように最終的に出雲国は高天原に譲渡されることになりました。 何かのコトを成す場合、すべては事代主の言葉によってそのコトが完成するのでは・・ 逆に考えると事代主が言葉を発しない限り、そのコトは完成しない?  そんな非凡な事代主神の子として誕生したのが “ヒメ踏鞴五十鈴ヒメ”。 彼女の母親は “玉櫛姫(別名はミゾクイヒメ)” で、事代主神が八尋鰐になって玉櫛姫のもとに通い詰めたという話が伝わっています。

八重や八尋など事代主神と “八” との関わりは深い。 かつて八尋鰐に姿を変えたのは出産を控えていた山幸彦の妻・豊玉姫。 海神の娘だった豊玉姫は出産する時は元の国の姿に戻るという約束事があり、豊玉姫の元の姿は八尋鰐。 最終的に山幸彦が豊玉姫の元の姿を見てしまったことで、二人の結婚生活は破綻しました。 見てはいけないものを見ようとする男は結婚生活には不向き?

今回の事代主神は玉櫛姫に会いに行く際、自分を八尋鰐に変身させて彼女を訪問しています。 八尋鰐に変身させる必要があったからこそ変身したのだろうと思うのですが、その理由は?  彼女に嫌われないよう玉櫛姫と同族であることを示したかったのでは。 事代主神の八尋鰐変身の術は功を奏し、晴れて事代主神は玉櫛姫を妻にすることができました。 
どう考えてもこの事代主神・・ 先にコトを知っていたように思います。 自分にとって都合よくコトが進むよう、その手段を選ぶ能力も持ち合わせていたということでしょうか。 スゴイッ!

先を見通す予言者のような能力を備えた事代主神の血と、海神の可能性がある玉櫛姫の血を受け継いだのが神武天皇の正妻。 神武天皇は “高天原(天空)族” の血そして神武天皇の妻の血筋は “出雲(陸地)族” と “海族”。 日本を形成していく上であらゆる血が交り合うことが大切!ということを示している話?  しかし多くの血が交り合うということは犬に例えれば雑種。 神武天皇の父(ウガヤフキアエズノミコト)の代は甥と叔母の近親結婚だったので濃い血の関係が保たれていましたが、神武天皇の代で濃い血は分散されることになったように思います。 

単純を形成していた一つの核のようなものが六代目を境に薄められるという現象が起こっているのでは・・ 指で1から5までを数える時は堅いグーが形成され、6以降を数える時は解放するパーが形成されているように思います。 日向時代は恋や子育てに関する話が多いのに比べ、神武天皇の東征を境に争い事の多さが目立ちます。 血みどろになって人が殺し合う争い事をかつて未然に回避することができたのが事代主神。 その回避の仕方は自ら没すること。 自分が乗っていた船を引っくり返してその中に隠れてしまった事代主神の判断で日本は内乱という悲劇に至らなかったと思います。

先に何かを感じ取る能力に秀でていた事代主神のルーツは、出雲ではなく大和にありました。 奈良県御所市宮前町に “鴨都波(かもつば)神社” の祭神が事代主神でフルネームは “積羽八重(つわやえ)事代主命”。 桜井市に鎮座する大神神社の別宮とも称され、大物主神との関わりも深いように思います。 古事記で神武天皇の正妻の父が大物主神だったことを思い出すと、大物主神の別顔が事代主神だったのかも。 オオモノは将来を見通し未然に争いを避けることができた?

コソコソと這い回る習性の大物主神すなわち事代主神は、争い事より女に興味を示すタイプだったように思います。 その事実を物語っているのが事代主神にかぶせられた八重という女性的要素を示す陰数のハチ。 武力による衝突を避けたかった事代主神の血は、前も後もヒメだった媛踏鞴五十鈴媛に受け継がれ、日本の中枢を成す皇位継承の血筋に組み込まれていくことになりました。

サパッとしているように感じられた事代主神がかぶっていた八重は、先祖のスサノオノミコトが自分の住居に張り巡らせた八重垣の八重にも通じています。 自分の居場所を取り囲むように八重垣をめぐらせたスサノオノミコトもかつては女々しくママに会いたいと泣き叫び、父の言うことを聞こうとしない我儘な核(グー?)があったタイプ。 武力衝突を未然に回避しようとしない雄雄しい男ではなく女々しい我儘タイプの男が求めたものが八重のハチとして考えると、三種の神器にまつわるハチも女々しい男たちが関わっていたのかもしれないよね。

ミゾクイヒメのタフな胃腸



ワニに変身してわが子を出産したのは山幸彦の妻・豊玉姫。 海が故郷の豊玉姫にとって、わが子を産むときは本来の姿に戻る必要がありました。 また大国主神の子・事代主神も八尋鰐になって三嶋の溝咋姫(みぞくいひめ)のところに 何度も通いつめたことが日本書紀に記されています。 どうして男の事代主神が、豊玉姫のようにワニに変身する必要があったのかを考えてみました。

豊玉姫はワニになって出産しているところを夫の山幸彦に見られたために その後 別れて生きていかなければなりませんでした。 妻の本当の姿を知ると次に待ち構えているのは別離なので 別れたくない人は曖昧に有耶無耶に生活することを勧めます。

一方 事代主神はワニになって溝咋姫に会いに出かけました。 大阪府茨木市に安威(あい)川という川が流れていて近くに“溝咋(みぞくい)神社”があります。 ミゾクイヒメはこの神社に祀られていることから考えると、事代主神は安威川をワニになって泳いできたのでしょう。 この安威川はその後、摂津市三島を流れ相川で合流する神崎川と一緒に大阪湾に注ぎ込みます。 ワニに変身しなければ溝咋姫に会えなかったと推察すると そのワケは溝咋姫の本来の姿がワニだったので 同じワニなら嫌われることはないだろうという発想です。 そうすると事代主神は後に妻になる溝咋姫の本当の姿を先に知っていたことになりますね。 スゴイッ!
       
ワニの生態を調べてみると、コミュニケーション能力に優れていてオスが声を上げてメスを誘ったり、子ワニが自分の危険を感じると母ワニを呼ぶなど 一つのワニ社会が形成されているようです。 ワニ同志なら意思の疎通ができるということですね。 またワニの血液は強い免疫力を持っていて、汚れた水中で傷を受けても自らの治癒力でワニは自分を回復させます。 医療分野においてはエイズウィルスを無力化する能力があることも報告されています。 高級品であるワニ革のバッグやベルトなどでもワニはお馴染み!
         
溝咋姫というユニークな名前に惹かれて、ミゾクイヒメを追いかけています。 では、溝貝と書いてドブガイと読む貝の話をします。 この貝は名前以上に興味深い特性を持っています。 貝にもやはり幼いときがあり、独り立ちするまではハゼやドジョウなど水底を這う魚に付着して育ちます。 成長して魚の世話にならなくてもいい頃、このドブガイは自分のカラダを魚の産卵場所として提供しています。 幼い頃に世話になった魚への恩返しのようにも感じます。

卵を産み付けるのはフナによく似たタナゴ・・タナゴにとってドブガイは親のような存在ですね。 二枚貝の貝殻は卵型でコロンとしていて、黒褐色に見えているのは貝の殻皮の色で その内側は真珠のような光沢を放っています。 人が垂れ流す汚水の水路で悪臭を放つ元になるプランクトンを食べてくれるとてもありがたい貝の名前は いかにも汚そうなドブガイ。

ドブガイの生息場所は陽が当たる池・川・潟・水田などで、その底に溜まっている泥に殻を埋没させて生活しています。 海のような荒々しさがない浅瀬で、緩やかに陽射しが射し込む泥の中でまどろむドブガイの毎日は この世のセワシイ日常しか体験していない私たちには知ることのない“ひととき”なのでしょう。 最近ではドブガイの力を借りて水質浄化のプロジェクトが進んでいます。 溝貝が水質クリーナーを果たしてくれる貝なら、ミゾクイヒメはどんな仕事をしてくれるのでしょう?
      
人と人との間にできた溝はなくす必要があります。 溝があるとそこにチリ・ホコリ・ゴミなどが溜まって汚れてしまいます。 事代主命がワニになってミゾクイヒメに近付こうとしたときも、キレイ好きの溝クイ姫はその溝を食ってなくしていたので 多分そのワニは近づくことができなかっただろうと思われます。 ミゾクイヒメが食べていたものは、ドブガイと同じように溝に発生する汚れモノ。 汚いモノを食べることができるミゾクイヒメの胃腸はとてもタフで立派です。

事代主神が選んだミチ



天照大神が管理する高天原から葦原中ッ国の事情を調べるために遣わされた神は、天穂日と天稚彦でした。 しかし一番目の天穂日も二番目の天稚彦もともに 大国主神が支配する出雲国に飲み込まれていきました。 それだけ二人にとっては高天原より居心地がヨカッタ!ということかもしれません。

そしていよいよ出雲国を傘下にするための三番目のスパイ役は、ピカドンの建御雷之男神。 自分の足で歩けないのか天鳥船神に乗せてもらって、訪れた見知らぬ異国の地で、オドシをかけて容赦なく国譲りを迫りました。 出雲国の統治者であるはずの大国主神は何故か二男・事代主神に決定権を委ねています。 出雲国を高天原に譲り渡すことを最終決定したのは、この事代主神でした。
               
“事代(ことしろ)”とは神の言葉を伝えるという意味があり、事代主神は初めから分かっていたかのように、何の抵抗もせずに国を譲ることを承諾します。 ただその時に事代主神は奇妙なアクションを起こしました。それは自分が乗っていた釣り船を踏みつけ バランスを崩して転覆させて天の逆手(人を呪う時に打つかしわ手)を打ち、その転覆した船を青柴垣(あおふしがき)に変えて海底深く沈んでしまいました。
             
“青柴垣”とは山から採取してきてすぐのまだ新鮮な青葉が繁っている柴(榊)で造った垣根のことを表しています。 物語から判断すると、水中で自分自身をその青葉繁れる垣根で取り囲んだようなイメージです。 かつて八岐大蛇を退治して自分の役割を終えたスサノオノミコトが、妻の櫛稲田姫との住居を出雲に構えたとき 厳重に八重垣をめぐらしていました。 スサノオノミコトの子孫になる事代主神は海中に垣根をめぐらしました。
     
しかしこのままで終わらないのが神々の世界・・死んだと思われていた事代主神は伊豆の三宅島で三島明神として再生したという話が伝わっています。 出雲(いずも)から“も”が取れて南東方向に位置する伊豆(いず)に再び出現した事代主神は、以前の無口なイメージとはまるで違って、八人もの妃を迎え二十七人もの子がいたという話になっています。 『夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐(八雲たつ 出雲八重垣)』と詠まれた出雲は“伊豆毛”と記されています。

この歌を詠んだスサノオノミコトも、毛という毛はすべて抜かれて高天原から落ちてきました。 事代主神は出雲(伊豆毛)から毛を取って伊豆の地に浮き上がっています。 以前いた日本海に面する出雲とは全く反対側の太平洋に浮かぶ南北に連なる島々の一つ“三宅島”に 日本国土の暗部を通って海底より浮き上がってきたことになります。 記紀神話にはこのように“死と再生”を描いたストーリーが数多くあり、一度死んでもう一度という話こそ 古代の人たちから現代人への大切な伝言のはず!

スサノオノミコトが高天原から出雲国に降り立ち、本来の自分になってチカラを発揮したように 事代主神も自分の居場所を見つけるため、暗いミチを通り抜けて最終的に静岡県の“三島大社”に留まりました。 この三島大社の南東方向に“三宅島”があり反対の北西方向に“富士山”があります。

出雲の国譲りのとき、ツベコベ言わずに高天原グループに譲り渡すことを即決した理由はココにありそうです。 冬には寒さがしみるうえ荒波が打ち寄せる崖っぷちより、広大な太平洋を臨んで南風に吹かれながら魚を釣るほうが楽しいってことを 事代主神はチャント知っていました。 与えられた役を演じるより、自分がホントになりたい自分を探していたのは きっと海中で青柴垣に囲まれて過ごしていた時だったのでしょう。

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