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    ホッタラカシの涙

    • 2008.06.15 Sunday
    • 22:02
      

    ヤマトタケルの子 “仲哀天皇” が不審な死に方をしたまま、何の解明もされずに時は流れました。 その後 仲哀天皇の子すなわちヤマトタケルの孫になる “応神天皇” がその血統を受け継いでいくことになるのですが気になることがあります。 まず応神天皇は別に “胎中天皇” という名前でも呼ばれていました。 胎中(生まれる前の胎児)にいる時すでに天皇になる運命を担っていたことからこのように呼ばれています。

    この世に誕生していない胎児をすでに天皇に決めてしまうことの不自然さを感じます。 当然その意志は母親である “神功皇后” によるもののはず。 男勝りの彼女は、何が何でも自分の子を天皇にすることが夢だったみたいです。

    視点を変えれば神功皇后自身が皇位に就こうとするようなもので、周りのよき人材を見渡すことなく我が息子だけにしか目が配られていないことが分かります。 夫が残した子がこの世に他にいたにもかかわらず、仲哀天皇の後を継ぐべき子として指定したのはまだこの世に生まれていない胎児。

    そして自分の夢を実現させるために神功皇后がしたことは、皇位を継ぐことができる可能性があった邪魔者を消すこと。 その邪魔者の名は “香坂王” と “忍熊王” で、その二人を生んだ母親の名は “大中津比売” という仲哀天皇の先妻でした。

    後に正妻になった神功皇后に多少の配慮があれば、血にまみれた歴史を刻むことはなかっただろうと思います。 しかし歴史のどの時代を振り返っても血が流れてこその歴史。 血は常に流されなければいけないというのが歴史上の鉄則ということ?
              
    神功皇后は夫の国内に目を向けた熊襲征伐だけでは納得がいかず、他国の朝鮮半島にまで出向いて行って 異国の民を自分に従わせようとしていました。 領土を拡大することが第一の目的で、そのためには胎内に宿っていた我が子の出産を遅らせてでも他国に侵入し自分の威厳を示すことを優先させた母親というより父親タイプ。

    関西で有名な安産祈願の寺 “中山寺” にオオナカツヒメとその子の忍熊王(おしくまおう)の墓があります。 さらにそこから山道を2kmほど登って行くと元中山寺である奥の院があり中山寺本来の姿を示している聖域に到ります。 そこには “白鳥石” と名付けられた大きな岩があって、その岩の下から “大悲水” という名の水が湧き出ています。

    表舞台にほとんど登場しないオオナカツヒメのルーツは多くの説がありますが、そのうちの一説は景行天皇の孫という風に伝わっています。 景行天皇の子だったヤマトタケルが死んで白鳥になった話を思い出すと、中山寺の背後に隠れるように存在する白鳥石は、悲劇の母子を守るヤマトタケルの魂が白鳥石に込められているように感じます。
             
    中山寺一帯(兵庫県宝塚市)にある白鳥石や大悲水には、神功皇后が我が子を天皇にするため消す必要があった香坂王と忍熊王の母 “大中津比売” の哀しみが託されているような気がします。 我が子を失ったからこそ生命の誕生を守る場所(中山寺)に大中津比売の魂は眠っているのでしょう。

    男性的な神功皇后と女性的な大中津比売はともに仲哀天皇の子を産みました。 しかし女性的な母親から生まれた二人の子は殺され、男性的な母親が胎中天皇と無理やり決定した応神天皇が歴史の表舞台で活躍することになります。 裏で泣いている瑣末な人々の想いはホッタラカシのまま、表舞台は現在も進行中!

    仲哀天皇のルーツ

    • 2008.02.28 Thursday
    • 17:36
                     

    一人で琴を弾きながら突如死んだ仲哀天皇の父はヤマトタケル そして母親は一般的に名前が通っていないけれど両方の道に通じていそうな名前の“両道入姫(別名・石衝毘売)” 母親の両道入姫は垂仁天皇(仲哀天皇にとってはヒジイサン)が妃のうちの一人綺戸辺(かにはたとべ)に生ませた子でした。 

    垂仁天皇の正妻(日葉酢姫命)の子がヤマトタケルの父親になる景行天皇なので ヤマトタケルを中心に考えると父親(景行天皇)と自分の妻(両道入姫)は異母兄妹の関係になります。 

    これは父方の血が濃い近親結婚といえますね。 こうして近親結婚で生まれた子が皇位に就いたけれど不審な死に方をした仲哀天皇でした。 不審な死と父方の血の濃さが気にかかり 仲哀天皇の足跡をたどってみたいと思います。

    古事記では熊襲征伐のため急に滞在先の紀伊国から長門国を経て筑紫(九州)に向かったとされ、行宮(仮の宮)として“詞志比宮”を住まいとしたという話です。 日本書紀では“橿日宮”という漢字があてられていて神武天皇が即位した橿原を思い浮かべます。現在の福岡市東区香椎にある香椎宮の近くで仲哀天皇は住んでいました。 

    大和から遠く離れた西方の橿日宮で熊襲征伐のための策を練っている時、妻の神功皇后にある神託が下ります。 『西方の宝の国を討つべし』 しかし仲哀天皇はこの言葉を信じようとはせずニセ者の神ではないかと疑いました。 そのことが原因かどうかは明確にされないまま 仲哀天皇は日本の西方に位置する橿日宮で死んでしまいます。 一人で琴を弾いているときの突然のデキゴトでした。 大和から西さらに西に国を見ることができなかった仲哀天皇は死にました。
                      
    橿日宮跡とされている古宮跡が香椎宮本殿の北東にあり、すぐそばに仲哀天皇の屍を納めた棺を掛けた(?)椎の木というのが六角形になった玉垣に囲まれた中にあります。 掛けたという状況は土の上に横にして置くのではなく、縦に立てかけたということなのでしょうか。 伝承によるとそのときイイ香りがしたので香椎という名がついたという話。

    どうも分かりにくくて理解しにくいけれど 仲哀天皇の死と橿(樫)の木・椎の木に何か関係があるのかな。 フムフム・・クンクン・・イイ香り? 普通は死ぬと腐敗臭でクサイニオイが充満するはずだけれど 死んでイイ香りがするというのはウジやハエがたかる屍とは全く違うということだと思います。

    仲哀天皇の母方(両道入姫)に綺戸辺という人がいました。 “綺(かにはた)”というのは薄い細幅の絹織物のことで繊細さを象徴しています。 またキレイ(綺麗)の綺にこの漢字が使われています。 近親結婚で生まれた子は欠陥が出てくることがあるから 避けた方がいいという話もよく言われます。 

    欠陥というのはこの絹織物のような繊細さと綺麗さにあるのかもしれません。 こんなものを持ち合わせていると、糞にまみれた社会を生き抜くことは到底できません。 糞だらけの世を生き抜くためには、図太い政治家のような精神を持っていることが必要とされます。

    ウソやホントなどはどうでもよくて 西に国があろうがなかろうが首を縦に振ることが生き抜くコツ! しかし それで一巻の終わりかというとそうではありません。 死ぬ時に琴を弾いていた仲哀天皇のルーツは後の異母兄弟に受け継がれ、再び活躍したのは仲哀天皇の妻だった神功皇后。 正妻だった人の言ったことに疑問を挟んだ仲哀天皇は琴を弾きながら死にました。

    気比神が提供した食べ物

    • 2008.02.21 Thursday
    • 15:40
               

    天照大神の御食津神として近くに呼び寄せられたのは豊宇気毘売神で伊勢神宮・外宮に祀られています。 神話に登場していたスサノオノミコトや月読命にそれぞれ食べ物を提供したのは オオゲツヒメとウケモチノカミで この二神もトヨウケヒメ同様“御食津(みけつ)神”と呼ばれています。 “御”という漢字の読み方はいくつかあり 読みを誤るとクサイ名前になってしまうのでご用心!

    古代から御食津国の一つで朝廷に海産物を献上していた国が若狭国。 東大寺のお水取りの取るほうは奈良県(大和)で 逆に水を送る側がココ若狭国でした。 その水がない奈良県の丁度北方に位置するのが福井県。 今回の話はその福井県敦賀市にある気比神宮にまつわる話です。 この気比神宮に祀られている気比(笥飯)神も御食津神の一人で 食べ物を提供した相手は 後に応神天皇となる誉田別命(ほんだわけのみこと)でした。 誉田別命の母親は男勝りの神功皇后で、彼女のおなかの中にいる間から すでに天皇になることが決められていたという胎中天皇という名前も持っています。 決めたのはもちろん母親の神功皇后で 誉田別命は自分の意思がどうあれ 日本を動かす使命を担わされて生まれました。

    その誉田別神に笥飯神が提供した食べ物というのが鼻をつぶされた入鹿魚(イルカ)。 人間と同じグループに属している哺乳類の入鹿魚を笥飯神は誉田別命に食べさせようとしました。 笥飯神は誉田別命にこの入鹿魚を与える前に名前の交換を申し出ています。 記紀ではよく意味不明の名前の交換という物語が提示され 理解不能のまま話は進行していきます。 ココで紹介した名前の交換と鼻をつぶされた入鹿魚とは何らかのつながりがありそうです。 スサノオノミコトや月読命でなくても こんな変なものを食べ物として差し出されたら食べるのに躊躇しますね。 鼻をつぶされた入鹿魚とは何を表現しようとしているのか・・

    その変なものを食べることで名前の交換が成立しそうです。 想像できるのは こんなもの食べられるはずがない!と怒って誉田別命は気比神を殺してしまうこと。 かつて殺されたオオゲツヒメやウケモチノカミから新たな生命(食べ物)が誕生したように 気比神は初めから殺される覚悟で誉田別命に食べられそうもない入鹿魚を提供した? スサノオノミコトや月読命がクサイ食べ物を提供した相手を殺したように 誉田別命が自分を殺すかどうかを見極めたかった? その理由は? 胎中天皇として決められていた応神天皇がいかに神に応じることができる人物であるかを試したかったから・・

    名は体を表すという言葉通り 誉田別命は胎中天皇から抜け出しその後応神天皇という名前通りの天皇になりました。それを判断したのは気比神で応神天皇は気比神の精神を受け止めたってことかな。 
     
    さて余談になりますが、イルカの鼻(噴気孔)は頭のテッペンにあります。 水中生活をしているけれどイルカは人間と同じ哺乳類なので呼吸するのはエラではなく肺。ハイ! だから水中にいるときは噴気孔が閉じられていて水面に出てきた時に呼吸をします。 哺乳類でありながら水中生活をするイルカは 鼻をつぶされたので水面に出てくる必要はなくなり 海の底にあるという竜宮生活が可能になりました。

    神功皇后が信じた信託

    • 2008.02.17 Sunday
    • 11:26
                

    神功皇后は神託を受けて西方にあるという宝の国に向けて出兵の準備を整えていました。
    かつてスサノオノミコトが海の支配を嫌がり母の国に行きたくて姉の天照大神に別れを言うため高天原を訪れた時、そこで待ち構えていた天照大神は髪の毛を “みずら” に結い 武装した姿でスサノオノミコトを迎えました。

    【みずら】というのは古代の男の髪型で 戦闘に先駆けて髪型をこのようにしたものと思われます。 神功皇后も出兵に際して福岡県の香椎宮の近くの海で髪の毛を海水に浸して神意を占うと 髪の毛は自然に左右二つに分かれてミズラのカタチになりました。 まるで天照大神の神意であるかのように神功皇后は宝の国を目指して戦闘準備をしたようです。

    このとき皇后は臨月を迎えていたにもかかわらず、その出産を抑えるため石を腰に巻き付けて海を渡りました。 生み(海?)を抑えるためには石を腰に巻き付ける?(ナンジャそれは!) ここまでして戦いたい理由は何なのか?を考えると やはり天照大神の神意が反映されているように思います。 その後 三韓を制圧して帰国した神功皇后は無事に天皇になるべき御子を出産しました。 出兵前に神功皇后が髪の毛を海水に浸して神意を伺った場所というのが香椎宮の西・博多湾にある “御島(みしま)” という島です。
     
    しかし常に島であるのではなく干潮のときだけ現れる島で、満潮時は海に隠れて見えません。 潮の干満によって陸地とつながったり離れたりする御島は一定性に欠き変化を好む島のよう・・ トキジクノカクノコノミ(非時香菓)が生えているという常世国とは正反対!

    ところで神功皇后の胎内にいる頃から天皇に決められていた御子(胎中天皇)には異母兄弟がいました。 神功皇后の夫になる仲哀天皇の先妻(大中津比売)が生んだ香坂王と忍熊王がその異母兄弟です。 大中津比売というのは景行天皇の孫で仲哀天皇も同じく景行天皇の孫(ヤマトタケルの子)でした。 景行天皇の孫同士の結婚で生まれたのが香坂王と忍熊王ということです。

    二人が皇位を狙っているという情報を受けて神功皇后はまたもや戦いを始めました。 結果は神功皇后の勝利で我が子を天皇の地位に導き入れました。 こうして神功皇后の血が継承され、仲哀天皇と大中津比売の近親結婚で生まれた二人の子は消されました。 近親結婚で生まれてくる子は濃い血ゆえに長生きが許されず歴史の闇に葬られる傾向があるようです。 母強しというより父強しの神功皇后の血はこうして皇位継承権を得ることになりました。 間違いなくわが国は天照大神が先頭に立っています。   

    不審な死

    • 2008.02.15 Friday
    • 21:34
              

    ヤマトタケルの父“景行天皇”の跡を継いだのはヤマトタケルの異母弟の13代 “成務天皇” でした。 しかし子がいなかったため、ヤマトタケルの血を引く子 “仲哀天皇” が成務天皇の跡を継いで 日本国を統制していくことになりました。 ヤマトタケルはこの国のために自分の体力のすべてを懸けてフラフラになる最後まで闘い続けた人物です。 その子“仲哀天皇”が殺されたかもしれないという疑惑が記紀に記されています。

    仲哀天皇の正妻は神功皇后・・妊娠中の身でありながらも男のように戦いを挑んで勝利に導いた女性です。 ある日 九州筑紫の橿日宮で仲哀天皇が相変わらず従わない熊襲国を討とうと神託を待っていた時のことです。 妻の神功皇后が神の言葉を受けてこのように託宣しました。 「この国の西に多くの財宝を持っている国がある。その国を手に入れよ。」 

    そこで仲哀天皇は高い所に上って西の方を見渡したけれど海以外には何も見えませんでした。 その事実に基づいて仲哀天皇は不審を抱き「お前は偽りの神であろう。」と言います。 暗闇で琴を弾いていた彼の奏でる琴の音が突然途切れたのはどうしてなのか? 灯りをつけて確認すると、そこにはコトキレタ仲哀天皇の姿がありました。

    これはどのように理解すればいいのでしょうか? 神に逆らったので神の怒りに触れ神に殺された? それだったら神の思い通りにならない奴らは全員 神に殺されてしまいます。神は独裁者?

    仲哀天皇の死去に伴い急遽“殯宮”を建造し世の中の罪や穢れが祓い清められることになりました。 その罪や穢れとは生きている獣の皮を剥ぐ罪・田んぼを区切っている溝を壊す罪・糞を撒き散らして神聖な場所をクサイ臭いで充満させる罪・親子同士の不倫・獣(馬牛鶏など)と交わる罪・・その時代これらが社会を大きく混乱させるという理由で仲哀天皇の死とともに 祓い清められということが記紀にキチンと記されています。

    いろいろな罪があるもんだ! 先に記した罪はその時代を生きていないのでハッキリしたことは分からないけれど、神代の大昔からスサノオノミコトも似たような罪で天照大神から高天原追放を言い渡されたことがありました。 

    しかし仲哀天皇の死が社会を乱すとはどのように理解すればいいのでしょう? 死んではいけなかったのに死んだ? 殺されたのではなく自殺? 仲哀天皇は暗闇で琴を弾いていたので、その現場を実際目にした人は誰もいませんでした。

    こうしてヤマトタケルの血を引く仲哀天皇はこの世からいなくなってしまいました。 後世を生きている私たちに大きな謎を残したまま・・・  

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