物語

        兄(大碓)を殺した小碓は西方の敵クマソタケル征伐に向かう際、
                   少女に変身して臨んだ。
      少女の剣によって死に瀕したクマソタケルは小碓に自らの名を献上する。
 命を賭けた闘い(だまし討ち)で勝利した小碓は以降ヤマトタケルを名乗ることになる。
                熊襲の影響でタケルとなった小碓。
          東奔西走の忙しいこの世から脱出する日々が近付いていた。
     死んだタケルの魂は白鳥となって海岸線(海と陸の間)沿いに大和を目指す。
       海(支配される側)にも陸(支配する側)にも属さなかったタケル。
       ヤマトタケルの大和(倭)は西でも東でもない要(不動)のヤマト。
       どこにも属さないヤマトタケルだったからこそ自分の物語が完成した。
           ヤマトタケルの物語はクマソタケルの物語でもある。

橘媛

      海を渡ろうとしたヤマトタケルは仕事(日本の東部統制)の壁にぶつかった。
          これほどの荒波では海を渡れない(仕事を達成できない)。
             同船していた弟橘媛(橘媛)が行動をおこした。
      菅畳八重、皮畳八重、きぬ畳八重を波の上に敷きて、その上に下りましき。
                荒波は穏やかになり船は前進した。
          
         不変の芳香を放つ橘のルーツは海(荒波)の彼方にある常世。
            タケルの仕事を前に進めた橘媛は常世に渡った。

大碓命

           父 (景行天皇) の征伐命令に忠実だったのが勇敢な小碓命。
一方、父の女 (美濃出身) を自分の女にした大碓命 (双子の兄) は父の東征命令を拒否。
            賛美されて早世するより意気地なしで長生きしたい。
                  殺し合うより愛し合いたい。
                脚光を浴びるよりのんびり暮らしたい。

     
          猿まねする猿を投げる猿投 (さなげ) 神社の主祭神が大碓命。
          ヤマトタケル (右利き) の本心は大碓命 (左利き) だった?

気の置き場所

     ヤマトタケルはイズモタケルを討ち滅ぼすため友好的態度を装い接近します。
               見かけの友情で気を許したイズモタケル。
                二人して川に水浴びに行くのですが、
    この水浴び(身を守る太刀を身から外す)がイズモタケルの命取りになります。
            壁に耳あり障子に目ありの地上生活は気を抜けない。
大和統一を成し遂げるためには気を許してはいけないことを一番知っていたはずのタケル。
  しかし伊吹山の荒ぶる神に立ち向かう時は大切な剣を持たず素手で臨んでいます。
   タケルが伊吹山の神(白い猪または大蛇)を見くびったがゆえに死に至った
                 という解釈が一般的ですが、、
 常に剣を持って戦うことに疲れ果て死を受け入れる覚悟で素手を選んだのかもしれない。
          誰にも気を許せない人生が長く長く続くのは苦痛だよね。
         タケルが地上で過ごした30年は気を抜けない戦いばかりで、
                気の置き場所はこの世になかった。

布忍入姫

耳慣れない布忍入姫 (ぬのしいりひめ) は死んでいい香りがしたという仲哀天皇の実妹で、ヤマトタケルと両道入姫の間に生まれた女の子。 死んで白鳥になったというタケルの血を受け継いだ子 (10人) のなかで女の子は彼女だけ。 気になる女の子なのにエピソードは何もない。 しかし彼女の名前から命名されたという布忍神社 (大阪府松原市) がその人となり示しているように思う。 ヒントは布忍 (ぬのせ) 神社の祭神で、出雲系のスサノオノミコトと八重事代主神と剣がキラ (綺羅) と光るタケミカズチノミコト。 タケミカズチは出雲に国譲りを迫った人物で、出雲側からすると敵を仲間にしたくない。 そこで登場するのが両道入姫を母に持つ布忍入姫。 

 
                 布忍神社の北西に布忍寺もあります。 
            日本のヒーローを父に持つ布忍入姫の逸話はなくても
           彼女の鷹揚な人柄は地名と神社の祭神に残されていました。           


両道入姫

女装が似合ったヤマトタケルの夢 (大和統一) を応援したのは倭姫 (叔母) とオトタチバナヒメ (妃) で、ミヤズヒメ (尾張国造の祖) はタケルの死後に遺品となった草薙剣を熱田神宮に奉納します。 女性とのエピソードが多いタケルですが、彼と正妻 (両道入姫) に関する話は何も伝わっていない。 表面化しないフタジノイリヒメですが、彼女が果たした役割はエピソードを残すことより大きいことでした。 両道に入る姫が何故気になったのか? 何故なら特殊な名前の綺戸辺(かにはたとべ)という女性が彼女のママ(パパは垂仁天皇)だったこと。 イザとなれば横暴な蛇や猿をやっつける蟹の血筋は仲哀天皇に受け継がれ現在に至っています。

白鳥にまつわる話

西の熊襲、東の蝦夷を平定し大和統一を図ろうとした父・景行天皇を支え続けたのがヤマトタケル。休む間もなく果敢に戦い続けたタケルは東征を終え、大和に帰る途中の伊吹山で病に倒れます。その後、山を下り何とか自力で伊勢の能褒野までたどり着いたものの、この地がタケル終焉の地となってしまいます。死後タケルは衣だけを残して空高く舞い上がりますが、その時の姿が八尋白智鳥(古事記)。タケルの魂は余程巨大で純白だったということかな。地上に存在している間は見えないその人の魂の大きさが古事記に示されていました。

              
白鳥伝説で通常よく知られているのが英雄ヤマトタケルですが、神話の中にもう一人白鳥にかかわった人物がいました。泣いてばかりのスサノオノミコト同様、髭が胸まで垂れ下がっても言葉を発することがなかった(しかも泣いてばかりだったとか)ホムチ(ツ)ワケ(本牟智分気・誉津別)がその人。垂仁天皇と正妻(狭穂姫)の間に生まれた皇子がこのホムチワケで、母の火中出産という特殊な環境のもとで無事に誕生することができた子でした。

 
ホムチワケと命名したのが自分の命と引き替えに火中出産を果たした狭穂姫で、隠れていた稲城に自ら火を放つと同時に我が子を誕生させました。天孫の妻となったコノハナサクヤヒメも夫の疑いを晴らすため火中出産に臨んだ女性。見方を変えると火中出産を果たすことができる気の強い女性だったからこそ天孫の妻になり得たのかも。
一方、垂仁天皇の妻となった狭穂姫の場合は自分の行いを恥じた結果の火中出産で、自分の罪(夫の殺害計画に加担)を自ら断罪するかのように稲城に火を放っています。そんな危険な環境の中で産み落とされた子に母が名付けた名前は“本牟智分気・誉津別”。

 

生まれた時にはすでに母はなく、母の愛情を知らずに成長したホムチワケ。高天原時代のスサノオノミコトもすさまじい轟音を響かせ泣きわめく時期がありました。この時のスサノオノミコトの泣きわめきを想像すると高天原という場所が自分の本意と合ってなかったのが原因? 後に出雲国の祖となり根国の主となるスサノオノミコトですが、自分本来の場所を見つけることができなかったが故に言葉を発することができなかったのがホムチワケ? そのホムチワケが言葉を発するキッカケとなったのが空を舞うクグイ(白鳥の古名)と出雲大神でした。

 
巨大な白鳥となり大和を目指したヤマトタケルの魂は伊勢の能褒野(亀山市)で解放されたかのように南西方向(鬼の通り道に一致)に向き琴弾原(奈良県御所市)に着地しています(日本書記)。その後向きを北西に変え河内古市(大阪府羽曳野市軽里)に着地、そして三回目の飛翔で天に向かいます。伊吹山で病に倒れたタケルは足を引きずりながらも最後まで自分の足で歩き続けました。その辛い時期に詠んだ歌が多く残されています。まさに白鳥が死に瀕してうたう歌(白鳥の歌)がヤマトタケル晩年の歌だったように思います。


  命の またけむ人は たたみこも 平群の山の 熊白樫(くまかし)が葉を 
            髻華(うず)に挿せ その子


“これから先のある若者たちよ! 平群の山に生えている神聖なカシの葉を髪に挿し命を輝かせよ”というような意味で、
クマ・シロ・カシにこだわると生命が輝く? 


背後に女あり

                 

古代における熊襲の本拠地は現在の鹿児島県の大半を占める九州南部。また大隅半島・薩摩半島の最南端は海幸彦の子孫となった隼人族の本拠地で、朝廷に従いたくない人たちの生活圏は日本の西南地域。広大な海に出て行こうとする男たちが見つめているのは山に囲まれた安全な大和とは正反対の危険な海の向こう。熊襲や隼人は海洋系民族と考えられ、周囲を海に囲まれた海洋国(日本)は海の男たちに支えられていたはず。しかし神話では山幸彦が海幸彦に絶対服従を迫り、主従関係は明確なものとなりました。

 
そこで思い出すのが海の支配を父から命じられたスサノオノミコト。イザナギノミコトの左目から生まれた天照大神には昼の支配を命じ、右目から生まれた月読命には夜の支配を命じているのに鼻から生まれたスサノオノミコトには海の支配? 流れる時間は昼も夜もなかなか支配しにくいですが、海の支配というのはかなり現実的。
そんな現実的支配を嫌ってママのいる黄泉国に行こうとしていたスサくんは読みが深い? 海の支配を求めるなら陸の支配があってもよさそうですが、イザナギノミコトは陸の支配を誰にも命じていません。 

 
その後 時代は下り、陸地の支配者になるのが天孫ニニギノミコトから始まる高天原チーム。しかし高天原チームが陸に介入する以前に海の支配を嫌っていたスサノオノミコトは高天原から追放され、結果として陸地に落とされ出雲国という陸地の創業者になっていました。スサノオノミコトの血を受け継ぐ大国主神が出雲という陸を統治していましたが、スパイを何度も出雲に送り込んでいた高天原族が最終的に陸を乗っ取るという形で現在に至っています。

 
ではスサノオノミコトが拒否した海を管理する人物は過去も現在も不在? 支配者に従う必要はない代わりに、さ迷うことを覚悟で海に出て行くことは命懸け。そんな命懸けの生き方を選択したのが熊襲や隼人。熊襲の首長にクマソタケルという人物が神話に登場します。八岐大蛇のように大酒飲みだったというクマソタケルは女装したオグナ(後のヤマトタケル)にやっつけられ、死ぬ直前に自分の名をオグナに与えたことからヤマトオグナはヤマトタケルになりました。


海の勇者だったと考えられるクマソタケルは猛る心の持ち主。
しかし女装したオグナに向き合ったクマソタケルは女に弱い・・あるいは女好き。支配を好む高天原系の男たちとはかなりタイプが違うよう。そんな女好きな海の男クマソタケルから名前をもらったのがヤマトタケル。そういえばタケルの背後に女ありというような話が結構たくさんありました。

 
まずクマソタケルを退治する際、ヤマトタケルが変装したファッションはヤマトヒメの衣装。その後ヤマトヒメはタケルの身の安全のために剣を与え、危険に遭遇したタケルの命を救ったのがそのヤマトヒメからプレゼントされた剣。叔母・甥関係になるヤマトコンビの協力で発揮された強力パワーの源はタケルの背後に女あり。また荒れ狂う海で立ち往生していた時も、タケルを救うためオトタチバナヒメが海に飛び込むというドラマがありました。女が放っておかないのが女装も似合うヤマトタケル?

 
話が前後しますが、クマソタケルを退治した後の帰り道で出雲のイズモタケル退治に赴いています。クマソタケルとイズモタケル・・ということは出雲族も海洋系?
スサノオノミコトが根本を築いた海洋国家(出雲国)は案の定乗っ取られることになりましたが、陸地の深い部分に相当する根国を支配するスサノオノミコトが乗っ取り組の勝手気儘を放っておくとは思えない。海洋系の男たちの背後には頼りになる女がチャントついているんだから・・        


真剣と神剣の象徴

                 

小碓命(ヤマトタケルという名前を獲得する以前の名)は夜明けに厠に入った双子の兄(大碓命)を取っ捕まえて殺しました。その大碓命が殺される以前にこんなことがありました。三野の美しい姉妹“エヒメ”と“オトヒメ”を召すため大碓命に連れてくるように命じたのが父・景行天皇。しかしこの姉妹の美しさに惚れ込んだ大碓命は父の女(女性は誰かのものではありませんが)を横取りし、父には内緒で彼女たちを妻にしてしまいました。ニセモノを与えられた景行天皇はすぐに大碓命の嘘を見破ったものの、平気で嘘を押し通そうとしていたのが大碓命。

 
そこで“嘘つき人間は死ななきゃ治らない!”を実践したのが小碓命? 手足をもぎ取り薦(こも)に包んで投げ捨てるという荒々しい手口で父の女を掠め取った兄を殺害。景行天皇は小碓命に食事時も顔を見せなかった兄をねぎ(念入りに)教え諭すように頼んでいました。父に忠実だった小碓命は父の指示通り念入りに教え諭した方法が、握りつぶすだけではなく手足をもぎ取り薦(むしろのようなもの)にくるんで捨てるという手の込んだもの。何事に対しても徹底的に臨む強い姿勢が感じられます。

      
そんな懸命さを備え持ち、日本の西へ東へと全国を駆けめぐって戦い続けたヤマトタケルに最後の日が近付いていました。キッカケは今まで肌身離さず携帯していた草薙剣を持たずに戦場の地に赴いたこと。尾張国のミヤズヒメの元で安らぎのひと時を過ごしたタケルは大切な剣をミヤズヒメに預け、向かった先が近江の伊吹山。その伊吹(伊服岐)山で出会ったのが大きな白いイノシシで、タケルが死に至る原因になった伊吹山の神でした。一方 赤いイノシシに見せかけた燃える岩を山の上から落としたのがオオナムチに恨みを感じていた八十神。タケルもオオナムチも猪(十二支の最後)によって死の方向に向かわされています。

                                 
“白猪”の真の姿は伊吹山の神で、“赤猪”の真の姿は燃える大きな石。白でも赤でも猪は人間の命を左右する生き物・・真っ直ぐに突き進む猪的傾向は命取りになる可能性もあるので要注意。赤猪のつもりで赤岩を受け止めたオオナムチは焼死・・その後母の手で再生可能だったのが赤猪。しかしタケルが出会った白猪を装った伊吹山の神はすぐに死に至らせることはなかった分、再生は不可能でした。そこで思うんですが、自分の命を守ってくれていた草薙剣を持参しなかったタケルは自ら死の旅に赴いたのでは・・タケルの叔母(ヤマトヒメ)から託されていたこの剣を敢えて手放し戦場に赴いたタケルの心を想像すると戦うことに疲れ果てた?

 
伊吹山(岐阜県との境)に向かう前日には尾張のミヤズヒメと夫婦の契りを交わしていました。何かを終らせようとするかのようい尾張から伊吹山に向いた(南東から北西)タケルの無防備な戦いの主は白猪。大雨を降らせ毒を含んだヒョウまで叩きつけ、タケルを振り回すのが白猪に姿を変えた伊吹山の神。油断大敵とはまさにこの時のタケルのことで、神の使いが白猪だと勘違いしていたタケルは神そのものだった白猪を軽視したことからこっぴどい目に合わされます。楽観的思考は時に事態を悪化させることになるという手本がこの話?

 
草薙剣を手放し素手で戦いを挑んだタケルの体調(特に足)は伊吹山をスタートにして崩れていきます。赤猪の場合のようにすぐに死ぬことはなく、ジワジワと死の淵に追いやるのが白猪? 尾張を旅立ったタケルの人生も終りに差しかかっていました。
その後タケルがたどった道は当芸野(たぎの)で足が腫れ杖を必要とする状態になっていました。杖をついて何とか歩こうとするタケルは伊勢の三重村までたどり着いたものの、その時点で足が三重に折れ曲がり自分の足ではもう歩けない段階にまで達していました。

 
最後の力を振り絞り這うようにして向かった先がホ(穂?)のない能煩野(のぼの)という場所。滋賀県と三重県の県境に南北に連なる鈴鹿山脈の南に位置する亀山市辺りが能煩野だったようで、そこでタケルは故郷を偲び自分の名前でもある倭を歌に託し、その直後に絶命。

 

    倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭しうるわし

                 
自分の死を招くキッカケになった伊吹山の丁度南に位置しているのが能煩野という場所になり、伊吹山から能煩野にたどり着くまでの行程は紆余曲折があったように思います。倭を代表する有名な歌の作者ヤマトタケルはこうして自分の人生の幕を閉じました。ヤマトヒメから託されていた三種の神器の一つとなる草薙剣の持ち主の名は“ヤマトタケルノミコト”。漢字で書くと“大和武尊”または“倭建命”で、古代日本の男精神を象徴するような名前。

そしてタケルの持ち物だった宝物を託されたのが天火明命の血を引く尾張国造の祖(建稲種公)の妹ミヤズヒメ。
タケルの死を受け止めたミヤズヒメは真剣なタケルの持ち物だった神剣を祀る役目を負い、その後に建立された熱田神宮(名古屋市熱田区)の起源をなした女性。またタケルが死の旅立ち前夜に契りを交わした女性がミヤズヒメだったことを思うとタケルの精神を受け継いだのはミヤズヒメ。そのミヤズヒメが熱田神宮に祀った熱田大神の真の姿はタケルの真剣な生き方を象徴した神剣・草薙剣でした。


八拾分の三

             

日本の12代目景行天皇には、御子が80人もいたという記録が日本書記に残されています。
そのうちの一人が “ヤマトタケル” で、彼は双子の一人(弟)として生まれ、景行天皇にとっては初めての子になります。 しかし厳密に言えば双子の兄が一番目と考えられ(昔は先に生まれたほうが弟としていたらしいが 現在は先に生まれたほうが兄になるらしい)ヤマトタケルは二番目それとも一番目?
       
幼少期の名前は小碓命(おうすのみこと)、双子の兄が大碓命(おおうすのみこと)。 兄の方が弟よりオが一つ多いことが特徴として考えられ大小の対称関係になっています。 この双子の兄は、弟(ヤマトタケル)によって手足をもぎ取られて死にました。 結果的に生き残ることができたのは、大より小のヤマトタケルだったことが示されています。

日本書記が伝える景行天皇の皇子と皇女は合わせて80人いました。 そのうちの三人だけが “日嗣の御子” に選ばれ、この三人以外の御子は、すべて国や群に封じられたことになっています。 封じ込まれなかった三人(日嗣の御子)とは、先のヤマトタケルそして残る二人は、稚足彦と五十城入彦皇子。

この二人も兄弟で、ヤマトタケルとは母が違う異母弟の二人になります。 母は 美濃国の “八坂入姫命(やさかのいりひめのみこと) で、彼女は七男六女を生み その第一子が稚足彦(わかたらしひこ) 第二子が五十城入彦(いおきいりひこ)でヤマトタケルの時と同様一番目と二番目。 残り77人の御子は、その他大勢・・十把一絡げのように扱われています。
       
そして最終的に景行天皇の跡を継いだのは稚足彦(一番目の子)で、後の成務天皇。 ヤマトタケルは父より先にこの世を去ったので日嗣の御子としての立場は消滅。 ヤマトタケルにとっては異母弟だった稚足彦が、皇位継承権を得て景行天皇の後を継ぎました。 成務天皇は、異母兄になる自分と同年同日生まれの武内宿禰を大臣に任命します。 成務天皇が選んだパートナーは、母は違うけれど父が同じで生まれた日も同じだった武内宿禰という人物。 宿禰は多くの天皇を長い間支え続け、神託を受け取る霊的役割としての能力も発揮しました。
          
稚足彦(成務天皇)は景行天皇にとっては四番目の子になり、皇位在任中の事績はほとんど何も伝わっていません。 存在を危ぶまれている二代目から九代目までの天皇と似た感じで、政策的なことを挙げれば大国・小国の境界を明確にしてそれぞれの国を治める者を配置したぐらい。 そんなわけで、成務天皇も例外にもれず存在を否定される危機に直面しています。 大きな政策をしなかった天皇は、存在を否定されるという変な社会制度はどこからくるのか。
       
そんな影がうすい成務天皇は、自分の後継者を我が子に託さず 異母兄(ヤマトタケル)の子である足仲彦(たらしなかつひこ)を皇太子に立てました。 成務天皇にとって甥になるのが足仲彦で、後の仲哀天皇。 我が子がいるにもかかわらずヤマトタケルの子を推した成務天皇は、同じ血であることにこだわらず 異なるものも受け入れることができるタイプそして我が子よりヤマトタケルの子の方が優秀とみなすべきものがあったのか・・
      
記紀ともに成務天皇のことは余り記されていないので確かなことは分かりませんが、ヤマトタケルと並んで日嗣の御子に選ばれていた三人の内の一人。 異母兄弟をめぐる争いごとがウンザリするぐらい多い歴史のなかで、成務天皇は敢えて異母兄弟の子を皇位に推しました。

しかし大きな業績を果たさなかった成務天皇の意思を歴史は継承することができず、仲哀天皇は不審な死に方をします。 かつてヤマトタケル(弟の小)が兄の大を殺したことがありました。 それが原因かどうかは分かりませんが、ヤマトタケルは若くして死にその後 成務天皇の後継者だった仲哀天皇も死にました。

その不審な死の傍らにいたのは、景行天皇の三番目の子で想像を絶するぐらい長生きした武内宿禰。 80人もいた景行天皇の子供たちの中から選び抜かれた三人の日嗣の御子の傾向は、小さいほうが大きいほうを殺すヤマトタル的傾向がまず一つ。 そして大きな仕事をしなかった成務天皇は不在的傾向にあるようです。

景行天皇の意思を継ぐ最後の一人(五十城入彦)は、成務天皇の実弟でした。 イオキイリヒコについては、資料が余りなく明確な人物像を特定することはできません。 少なくとも他の二人同様、歴史舞台で大きく名を残すタイプではなかったように思います。 80人もいた御子の中から選ばれし三人の血筋は、ほとんど絶えてしまった傾向にあるということ?

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